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白夜に輝く堕天の月 > 9


「皇剣・朧夜……か。フン、悪くねえ名前だな。確かに刻んだぜ、白夜」
 目を疑うほどに巨大化した蟹の鋏を手に陽太がそう言うと、白夜は薄く微笑みを浮かべ、満足そうに
ゆっくりと頷く。
 改めて蟹の鋏、もとい皇剣・朧夜に目をやる。
 さっきの状況から判断するに、白夜は蟹の鋏と陽太が出したごぼうとを能力で融合させたのだろう。そ
の結果、このごぼうサイズの蟹の鋏ができたのだ。
 蟹の甲殻が持つ、頑強そうでとげとげしい質感は少しも損なっていない。斬撃武器と断言できるほどの
先鋭さこそないが、「勝利を与える剣」の風格は十分にあると、陽太は感心した。

 ぞぶりぞぶりと背後から不気味な音を聞いて、はっと我に返る陽太。
 朧夜を構えながら、素早い動きで身を翻す。
 さっき噛ませた大根を、キメラが熱心に咀嚼しているところだった。とっさに出したせいで精度が落ち
ていたのだろうか、それとも単にキメラの顎の力が異常なのか。いずれにしても大根はもうすっかり粉々
に噛み砕かれている。キメラの口には、もう大根の水分がしたたっているのみだ。
 正気の失せた目で陽太を睨んで「グガガガガ」と一唸り。よくもやってくれたなとでも言ってんだろう
なと、陽太は勝手に脳内補完しておく。

 冷静になって対峙してみると、陽太はこのキメラが以前自分が一戦を交えたアレとは少し違うものじゃ
ないかという考えを抱いた。
「デコの宝石がねえな、こいつ」
 いかにも弱点っぽく、実際それを破壊すると活動を止めることができた、あの赤い宝石。それが、今目
の前にいるこのキメラにはない。
 この剣があれば、負ける気はしない。それでも、相手の急所を知っておくに越したことはないはず。
 陽太はおそらく手持無沙汰にしているであろう今限りの相棒に、もう一仕事してもらうことにする。

「白夜、お前恐ろしく目がいいって言ってたな。こいつの体のどこかに赤い宝石があるはずなんだが、ぱっ
と見見当たらねえ。お前、その視力で見つけてくれないか」
「恐ろしく、ではないわ。凄まじく、よ。『壮絶』と『凄絶』くらいの差があるわ。まあいいでしょう。
それで、貴方が求めている悪魔の血で染まった真紅の宝玉だけど、その汚らわしい魔犬の後頭部あたりに
埋まってるわ」
「え? お前、そこから見えるのか? この犬っころの後頭部」

 白夜が何事か言っているようだったが、陽太にそれを聞く余裕は失われた。眼前のキメラがいっそう身
を屈めた攻撃態勢に入ったからだ。まさにいつでも飛びかかるぞという姿勢。
 朧夜をキメラの鼻先に突きつけ、その動きを牽制。その先端は刃物には程遠いとはいえ、勢いをつけて
突けば突き刺すことは容易だ。キメラもさすがに下手に動くことはできない。
 だが、この状態はよろしくない。陽太はすぐにそう悟った。これではさっきと状況が対して変わらない。
結局のところ、サイレント・シールドが皇剣・朧夜に変わっただけなのだ。

「見るに堪えないわね岬月下。皇剣・朧夜の使い方がまるでわかっていない。まあ、私もただ傍観してい
るだけというのも退屈だから、少し遊んであげるわ」
 冷たい声が聞こえてからやや遅れて、陽太に集中していたキメラの不意をついて彼方から飛来する赤い
何か。それは過たずキメラのわき腹に直撃し、硬質な音を立てて地面に転がる。
 見紛うことなきサイレント・シールドの本体部分。さっきのベリーダンスでキメラの顔面に押しつけて
から放置してあったものだ。

「さあ、おいで。おつむの弱い憐れな魔犬。この白夜が一時、戯れてあげるわ。光栄に思いなさい」
 ぱんぱん、と手拍子をしながら、背後で白夜がそんなことを言っている。そこはかとなく朗らかな声で。
要するにこの蟹の甲殻を投げたのも白夜ということだろう。というかそれ以外あり得ない。
 あいつ、怖いとか思わねえのか。目の前の元犬が手のなる方へと目線を向けたのを見つつ、陽太は軽く
呆れた。
「グフウ」と一鳴きして、キメラが陽太の視界から走り去る。

 その俊敏な動きを追って陽太が振り返った時には、キメラはすでに白夜との距離を大きく詰めていた。
一方の白夜は微動だにしない。今更恐怖を感じたわけでもあるまいが、その小さな体をピシッと直立させ
て、確実に近付きつつある死の足音をじっと見つめている。
「白夜!!」
 叫んだ時には、遅かった。跳躍するキメラ。その巨大な口が、小さな少女の喉元を捉える。なす術もなく、
半ば吹き飛ばされるように背中から崩れ落ちる、真っ黒の人影。

 キメラはその体に覆いかぶさって、とどめを刺そうと食らいつき続ける。最後の抵抗を試みているのか、
黒いロングスカートがふわふわと揺れる。

「嘘、だろ? なんでこんな……。白夜、お前馬鹿だろ……お前のほうがよっぽど愚者じゃねえか」

 この時、陽太には見えていた。白夜を痛めつけているキメラの後頭部に輝く、赤い宝石が。
 だから思った。白夜は隙を作ってくれたのだと。狙いにくい後頭部をガラ空きにするために、あえてこ
んな危険を冒したのだと。
 だから自分は報いないといけない。その犠牲に。彼女が遺した、この剣で。自分の勝利を約束した、
この剣で。

 そう思った時、すでに陽太の足は動き出していた。どれほど噛めば気が済むのか、キメラはまだ白夜に
集中している。白夜のことを思えばそれは辛いことだが、今の目的のためにはありがたいことだった。
「こんの犬っころがあぁぁ! いい加減離れろおぉぉぉ!」
 叫べば、きっとキメラは振り返る。だから無言で近づき、音もなく宝石を壊すのが理想。そう思っていた。
それでも、叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。
 案の定、キメラは声に反応して顔を上げる。同時に陽太は、駆けながら朧夜を地面と水平に構え、突
きの態勢に入る。
 振り返るキメラ。だがその時にはすでに完全に陽太の間合いだった。標的である赤い宝石だけを視界に、
全体重をかけて繰り出す渾身の突き。

 刹那、硬いものが触れる感触。一瞬、その硬いものにめり込む感覚。直後、その硬いものが割れるよう
な手応え。
 朧夜の先端で、赤い宝石だったと思しき小さな結晶がさらさらとこぼれている。
 これがどういう役割を担っているかは不明だが、以前の犬同様重要なものだったのだろう。キメラはそ
の体をガクガク震わせながら、覚束ない足取りであさっての方へと歩き始めた。

 その場所から、陽太は思わず目を逸らす。見たくない。無残に喉を噛みちぎられた少女の姿なんて。
たとえ出会いは敵であっても、この時は協力し合う仲間だった。自分に戦うための剣をくれた。力をくれた。
『岬月下君、白夜ちゃんを頼むよ。この子、夜はあんまり強くないからな』
 ごめんドクトルJ。自分は守れなかった。白夜を、あんたとの約束を。
 空を見上げる。物言わぬ月が陽太を見つめている。陽太もまた、月を見つめた。そうしなければ、涙が
こぼれ落ちてしまいそうだった。

「ふう、まったく。一時戯れてあげるだけのつもりが、あの愚かな魔犬ときたら。そもそも戯れるという
言葉の意味を理解してなかったようね。ああ、なんてこと! 私の貴い装束が獣臭くなったわ。この装束
は帰ったら荼毘に付しましょう」
 月との見合いに耽っていた陽太だったが、聞き覚えのある、だがもう聞こえるはずのない声が聞こえて、
声の方へ振り返る。
「それにしても岬月下、遅いわ。もう少しで戯れでは済まなくなるところだったじゃない。何を呆けてい
たのかしら」
「び、白夜? 生きてる、のか?」

 くだらないことを聞くなとでも言うように口をへの字にしながら、白夜はひょこっと身軽に立ち上がる。
その右手には、なぜか折れた大根。ぐずぐずに崩れている。
「貴方があの魔犬に放った初撃、あの時に折れたレイディッシュがこれよ。首に噛みつかれる直前にこれ
を噛ませたっていう、ただそれだけのこと。貴方が魔犬と鮮血迸る演舞を踊っている時、魔犬の荒牙を逃
れた手法を参考にね」
「な、何だよ……。びっくりさせんなよ。俺はてっきりお前が……」
「あんな汚らわしい生命体如きに私の命は奪えないわ。それは宿命という絶対不変の真理に裁定された決
定事項なの。それを知っているからこそ、あんな戯れも躊躇なくできるのよ」

 そう語る白夜の顔色や声は、さっきまでと何の違いもない。陽太は心配したことがばかばかしくなった
が、それでもやはり、本気で安心した。
「ところで岬月下、さっきの根菜よりもさらに長い、圧倒的に長い野菜、何か出せるかしら」
「は? 何だいきなり」
 そう問い返した陽太だったが、白夜の視線を見てもうすぐに理解できた。
 一難去って、また一難。この言葉をこの時ほど身にしみて感じたことはなかった。

「まだ余裕はあるわ。落ち着いて考えて」
 さっき自分たちが歩いてきた道のはるか彼方を凝視しながら、白夜は静かにそう言う。
 促されて、陽太は思案に入る。
 長い野菜。ごぼうをしのぐ長い野菜。思いつけと言われて思いつくものでもないのだが。
「岬月下! さっきの魔犬! まだ余力があったみたい!」
 白夜の鋭い声に、陽太は思考を中断。さっきとはほぼ間逆のほうを見ている白夜の視線を追えば確かに、
ついさっき朧夜で赤い宝石を砕いたあのキメラが、ふらつきながらも陽太を見据えていた。

「岬月下。朧夜を渡しなさい。貴方には圧倒的に長い野菜を考えて創造するという使命があるのだから。
さあ、生という形骸にしがみつく愚かな魔犬よ。この白夜、今度は少しばかり、真剣に戯れてあげるわ」
 陽太からやや強引に朧夜を奪い取ると、白夜はふらつくキメラへと向かっていく。
 さっきまでなら引き留めるところだが、陽太はもうなんとなく大丈夫そうな気がしていた。
 彼女があの魔犬に負けないことは、宿命という絶対不変の真理に定められたことらしいから。
「白夜、任せた。リクエスト通り、長物は必ず出してやるからな」

 改めて考える。長い野菜。ごぼうを超える長い野菜。一度考えてみたことがあった。レイディッシュ
をしのぐ武器になるものはないかと考えていた時だ。
 やはり無難に守口大根だろうか。しかし白夜は『圧倒的に長い』野菜を所望している。やはりごぼう
の3倍くらいは期待したいところだろう。
 白夜は大根のように硬質な野菜を所望しているわけではないはずだ。おそらくは白夜の能力の素材に
するだろうから、単に長ければいいのだろう。
「そうか! それなら……」
 陽太の中に、一瞬の霊感が閃いた。

 ふっと目をやると、白夜が朧夜を振り回して、暴走キメラと互角の戦いを演じている。といっても足
元の覚束ない千鳥足キメラであって、さっき彼が対峙したやる気満々のキメラとはわけが違う。そう思っ
てみたが何か悔しい陽太だった。
 気を取り直して、陽太は野菜創造に集中する。大きく深呼吸し、胸の前で掌を合わせる。目を閉じて、
いっそう集中。
 次の瞬間、合わせた掌から現れる物。手に余るほど長いそれを見て、陽太はにやりと笑みを浮かべた。
「白夜! お望みの品だ! こんなもんでどうだ!」

「……長いわね。凄まじく長いわ。素晴らしいわ岬月下」
「わんちゃんの相手は俺が代わる! お前はこれでまた武器を作れ! そのつもりだったんだろ!?」
 白夜の元まで走りよって、その手に握られた朧夜をつかみ取る。代わりに自分がたった今作り出した、
白夜もびっくりの長い野菜、フキを手渡してやる。
 ゆうに3メートルはあるそれは、小さな白夜の手に渡るとますます長く見えた。さすがの白夜も手に
余るようで、目を丸くしてフキを見つめている。

「白夜、さっさと武器を合成するんだ! 次の奴が来てんだろ!?」
 陽太の声に弾かれたように、白夜は場を離れる。陽太の眼前には千鳥足キメラ。もはや恐れることは
ない。
「なんで立ってられんのかは知らねえけどな、もうこれで終わりだ! その邪悪な命、無に還してやる!
来いよ! 犬っころおぉぉ!」
 陽太の雄たけびに反応したか、キメラは最期の唸りを上げ、力ない跳躍で陽太に飛びかかる。
 その動きは、陽太にはまるでスローモーションのように緩慢に見えた。
 頭上に構えた朧夜を真っ向から一閃。鈍いような重いような複雑な音を立てて、キメラの頭部にめり
込む刀身。そのまま地面まで振り抜くと、キメラはもはや四つ足を立たせることもできず、豪快に胴体
着陸した。

 皇剣・朧夜は折れない。キメラは立ち上がらず、体をピクピク震わせるのみ。
 今度こそ仕留めた。陽太は安堵のため息を漏らし――たかったが、背後にただならぬ気配を感じてあ
きらめる。

 息つく暇もないとはまさにこのこと。だが疲れている暇などない。身を翻した陽太が見たのは、たっ
た今朧夜の錆びとなった犬とは明らかに違う異形だった。
「三頭の怪物、『地獄の番犬ケルベロス』ってか。まったく、趣味悪いな」
 異形の胴体からは、なぜか3本の首が伸び、だから当然だとでも言うように頭も3つついている。その
不気味な形態故か、動きこそキメラよりは緩慢なようだが、単純に考えて攻撃力は3倍。
 瞳が発する狂気の光はキメラ以上。もはや陽太を視認しているのかも定かではない。そしてさっきの
キメラと同様、額に赤い宝石は確認できない。

 それ以上じっくり観察する隙を、ケルベロスは与えてくれなかった。「グゴゴ」とどれかの頭の唸り
声が聞こえたかと思った時には、その巨大な口に生え揃った無数の強靭な牙が、陽太の眼前に迫っていた。
「くっ!」
 咄嗟に、右手の朧夜を胸の前に横向きに構える。ケルベロスの狙いは陽太の首。その間に朧夜を割り
込ませる形になる。
 ガギン、と耳障りな音を立てて、狙い通りにケルベロスは朧夜をその口に咥えこむ。
 だが、その先が計算外だった。ケルベロスの体は、キメラのそれよりもはるかに重かった。それ故、
体の小さい陽太はその体重を受けきれず、押し倒されるようにうつ伏せに倒されてしまう。

「ぐおっ! クッソ、いってえなこの……!」
 それでもまだ陽太は冷静だった。ケルベロスの動きがよく見えていた。
 真ん中の頭の動きは、朧夜を噛ませることで封じている。朧夜が折れない限り、これは揺るがない。
左右の頭が問題だった。咄嗟に陽太は腰を浮かせ、両足をケルベロスの首の股に蹴りこむ。
 左右の頭をできるだけ自分の体から引き離すにはそれが最良の手段だと判断したのだ。
 それでも左右の頭は、陽太の頭を噛み砕こうと迫ってくる。さっきのキメラのように、蛇の如くそ
の首をくねらせながら。

 脚は全力で踏ん張っているが、これでは長くもたない。さすがに陽太は自分が消耗してきているこ
とを認めざるを得なかった。体温調節のための健康的な汗なのか、身の危険を感じて流す冷や汗なの
か。判断に困る汗が、全身を濡らしている。
 脚の力がフッと抜ける。それを待っていたとばかりに、これまでにない距離まで迫る禍々しい怪物
の顔。
 ひらりと、小さな黒い影が陽太の視界をかすめる。一瞬遅れて閃く、赤い閃光。それは陽太に迫る
異形の頭へと突きたてられ、情けない苦悶の唸りを上げさせる。

 咥えこまれていた朧夜が解放される。折れていない。あの地獄の番犬の牙でさえも耐えきってみせ
たのだ。陽太は朧夜に心から感謝した。
「岬月下。貴方は本当に奮戦したと思うわ。少し休んでいなさい。この異形の相手は私がしてあげるわ」
 消耗しきってまだ立ち上がれない陽太と、攻撃を受けて距離を取ったケルベロスの間に立つ黒い影。
「白夜、助かった……けど、ちょっとばかり待ちくたびれちまったぜ。で、お前が持ってるそいつは
一体何だ?」
 白夜が、その小さな右手に持っているもの。正確には、右肩に担ぐように戴くそれ。

「煌鎌・十六夜(こうれん・いざよい)。そう命名したわ。私が振るうに相応しい武器とはどんなも
のか考えた結果、行き着いた終着がこの大鎌だったの。悪くない出来でしょう? 少し蟹臭い点は気
に入らないけどね」
 陽太に背を向けたままそう語る白夜。
 長い真っ黒の髪。真っ黒のゴスロリファッション。後ろから見れば本当に真っ黒の少女が、蟹の甲
殻でできた身の丈よりも巨大な赤い大鎌を構えるその姿。
 不思議と、それが綺麗だと思った。滑稽なようで、それはやはり綺麗だった。頼もしく思った。小
さな背中が大きく見える、なんてことはなかったが、それでも頼もしく感じた。

「私の名は白夜。夜の闇を祓う者、白夜。存在する世界を、時間を違えた魔物よ、その醜悪な形骸に
囚われた穢れきった魂に、この私がせめてもの救済を与えてあげる。永久の輪廻の鎖の中、次こそは
清浄なる躰と魂を与えられ、幸福な生涯を得られるように。福音の光を享受できるように……。その
為に今、ここで、咎を受けなさい。地獄の沙汰よりもなお凄惨で壮絶な咎を。それが、私がお前に与
えることができる、唯一つの救済。さあ、詫びなさい、世界に。祈りなさい、神に。そして、懺悔な
さい、永遠に」


 つづく

登場キャラクター



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最終更新:2010年07月10日 10:49
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