「適当にかっこよさげなこと言ってるだけに見えて、あながち間違ってもいないから手がつけられな
いところだよねー。まああの日以降、全人類が世界の理を乱し始めたって言っても言い過ぎではない
んだけどさ。っておーおー、盛り上がってきたところ、水を差すようで申し訳ないね」
口上を決め、臨戦態勢を整えた陽太の気勢を削ぐように唐突に聞こえてきた、眼前の敵白夜のもの
とは明らかに異なる低く落ち着いた声。
新手か? この状況で? 警戒しつつ、陽太は声の主に視線を巡らせた。
仕立てのよさそうなグレーのスーツに身を包み、銀縁の理知的な眼鏡をかけた大柄な中年男。
温和な笑顔を浮かべてはいるが、その体格とオールバックでかっちりとまとめた髪型が、言いよう
のない威圧感を放っている。
こいつが真打か。陽太はさらに警戒心を強めざるを得なかった。
男は一歩一歩ゆっくりと、にらみ合う陽太と白夜のもとへ近づいてくる。
「それにしても遥ちゃん、私ここに来る前に言っといたよね? 許可なく能力は使っちゃダメだって。
それと、
岬陽太君にはケンカを売りに行くわけじゃないんだって。ちゃんと話聞い――」
「遥……。懐かしいわね。その名前で呼ばれていたのは、いつの時代のことだったのかしら。永久に
巡り廻る輪廻の鎖の中で、私は確かに遥という名で生きていた。でも、遥としての生涯は、あまりに
苛酷で惨めだったわ。なのに私は転生を繰り返す度、前世の記憶を引き継いでしまう。遥としての人
生も例外ではない。こんな記憶、忘れてしまいたいのに。記憶の海の奥底、暗闇と静寂に彩られたそ
の世界に、そっと棄ててしまいたい。なのになぜ、貴方は私をその名で呼ぶの? なぜ私は、前世の
記憶に縛られなければならないの? 教えて、
ドクトルJ……」
『遥ちゃん』と呼ばれた黒衣の少女が、今にも泣き出しそうな顔で中年男に語りかける様を、陽太
はわけもわからずきょとんと見つめていた。
だが、『岬月下』でありながら岬陽太と呼ばれている自分と彼女とは、同じ苦しみを抱えているの
かもしれない。そんなシンパシーも同時に抱いた。
「始まっちゃったよこれ……。面倒くさいなー。まあ私も多少迂闊だったけどな。ってこら! 私を
『ドクトルJ』とか呼ぶのやめ! 恥ずかしい! 研究所の中でだけならまだしも、ここ公共スペース!
老若男女が集うのどかな公園! あんま人いないけど。ちゃんと主任と呼びなさい主任と」
「貴方こそ、ちゃんと私を現世の名前で呼びなさい。それとも、名前を忘れたのかしら? 研究者の
癖に、物覚えが悪いのね。いいわ、改めて教えてあげる。私の名前」
「はいはいちゃんと覚えてますぅー! 夜の闇を祓う者白夜さんですよねー! 次からちゃんと呼ば
せて頂きますぅー! すいませんでしたぁー!」
さっきまで漂わせていた威圧感はどこへ行ってしまったのやら、中年男はあっさり白夜のペースに
飲まれ、幼児化してしまった。かなり低レベルなやりとりだったが、陽太はこの間すっかり蚊帳の外
に置かれていたことが気に喰わず、
「おい、お前ら。敵である俺を前にして、そんな笑えねえコントやってていいのかよ?」
と、軽く凄んでみた。
「このゴスロリはあんたの差し金か? ドクトルJさんよ」
「ちょ、君までドクトルJ呼ばわり? 勘弁してよ。私は――」
「質問に答えろ! 簡単に答えられるだろ! あんたの差し金ならイエス、そうじゃなきゃノー!
それだけだろうが!」
陽太にさらに迫られたドクトルは、何かを諦めたように大きなため息をひとつつき、
「君をひどい目に遭わせるつもりはなかったよ。ただ彼女は少し御しにくくてね、勝手な行動を取っ
てしまった。その結果が今だ。だが私たちは決して君と敵対する存在じゃない。こんなことを言って
現れた連中が、実際に怪しい存在じゃなかったためしがあるかと言われれば否定できないんだが、ど
うか信じてもらいたい。私たちは純粋に君の能力に興味を持っている。君に会いに来たのはそのため
だ。だから、そんなに警戒しないでほしいな。どうかな、岬よ……岬月下君」
眼鏡をくいっと直しながら滔々と語るその様は、彼が姿を現した時と同様の落ち着きと威厳を取り戻
していた。だが彼が自分で言うとおり、こんな風に現れた者が信用できる存在である可能性は、0では
ないかもしれないが非常に低いだろうと陽太は考えていた。
「私は納得できないわね」
陽太をさしおいて、なぜか白夜がドクトルの言葉につっかかる。
「ドクトルJ、貴方がいつからそこにいたか私は知らないけど、彼は私の能力の前に手も足も出ずただ
醜くもがいていただけよ。己の能力を発現することも適わずに。なのになぜそこまで彼の能力に関心
を抱くのかしら」
「はる……じゃねーや。白夜ちゃん。それは君が先制攻撃を仕掛けたからこそだろ? 彼が先に能力
を使っていれば、結果はどうかわからない。お菓子や軽食を出す能力が、戦うという目的ではさっぱ
り使い物にならない能力だと断じるのは早計だ。それに……」
ドクトルはそこでいったん言葉を切って、陽太がもともとこの公園に来ていた目的、それによって
生まれた産物の数々に視線を投げた。
「彼は努力してるだろ。使えない能力を使えるものにしようとする努力。方向性が合ってるかどうか
はこの際捨て置くとして、ひたむきに努力する少年、応援してやりたいじゃないか。白夜ちゃん、君
がそうであるようにさ」
「ふん、何の世迷言かしら。私のこの能力は天性のもの。努力なんて一切していないわ」
「昼間能力はそうかもしれないけどね。まあいいかこの話は。また怒られそうだ。で、どうかな月下
君。全面的に信用してくれとは言わないよ。ただ君の敵でもないってことだけわかってくれれば」
もちろん陽太は、彼らを全面的に信用する気なんてなかった。むしろどう考えてもきな臭い連中と
しか思えない。既に彼は実害を被ってしまっているのだ。
だが、目の前に立つこの中年の静かな迫力は、無碍な返答をためらわせるのに一役買っていた。
下手に断れば強硬な手段に出てくる恐れもある。そんな気がした。
どうしたものか。陽太が頭を抱えていると、彼の胃が「仕事をよこせ」と文句を垂れる音が大きく
響いた。
それを聞いたドクトルはブフッと噴き出し、
「そっかそっか、あれだけたくさんのお菓子やらなんやら出してたから、お腹空いてるんだ。じゃあ
なんか食べに行こうか。そこでゆっくり話をしよう。何食べに行きたい? あ、あんまり高いものは
勘弁してくれな」
そう朗らかに言って、陽太の返答も待たずにすたすたと歩き出す。
その背中に、トコトコ小走りで白夜がついていく。
「ドクトルJ、私はハンバーグが食べたいわ」
そんなことを言いながら。
「緊張感ねえ奴らだな……」
そうぼやきつつ、陽太も二人の後を追った。
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年07月08日 02:50