「高いものは勘弁って言ったのに……うう~」
「ぬしぇんごしゃくえんのだんぢな~がそん――」
「口にステーキ詰め込んで無理に喋るなよ。余計に腹が立つわ。あーもう、2500円のランチなんて私
一度も食べたことないのに。ほんと最近の子どもは贅沢だなおい。少しは遠慮してくれよ」
ドクトルにやや強引に連れられて公園を離れた陽太は、駅前のデパートにあるレストランで少し遅
めの昼食を御馳走されていた。
駅前と言っても、陽太の地元の小さい駅ではない。そこから電車に数分揺られてたどり着く、それ
なりに栄えた駅前だ。陽太が一人ではあまり行くことのない場所である。
「遥……ではなく。白夜ちゃんは白夜ちゃんでこれまた2000円のハンバーグとか頼んじゃうし……私
たいして給料よくないんだよ? 今年はボーナスも寒いもんだったし……って、聞いてる? お二人
さん」
「聞いてねえ」
陽太がすげなくそう答えたのと全く同時に、彼の隣りからも「聞こえないわ」という、これまた愛
想も可愛げもない声が聞こえた。
まさか、白夜とハモってしまうなんてな。陽太は少し複雑な気持ちになって白夜を横目で見てみた
が、彼女はその眼差しに気づくこともなく、せっせとハンバーグを口に運んでいる。
「助手くん、君凄いよ。この二人ほんと仲良しさんだよ。まあさっき公園でやってた理解不能な迷言
の応酬からして、その傾向はもう十分にわかってたけどさ」
ドクトルがそう呟いて、彼の前にぽつんと置かれたホットコーヒーをズビビと寂しそうにすする。
そして長い溜息。今日が平日なら、この男はリストラされたことを妻に切り出せずに悩む中年サラ
リーマンにしか見えないなと、陽太はちょっと可哀想に思った。
「まあまあ
ドクトルJ、そうシケた顔するなって。それなりに高いランチおごってもらったんだから、
話を聞くくらいはしてやってもいいぜ」
「え、もう食べちゃったのか? 結構高いんだから、味わって食べてほしかったんだけど……。ま、
いいや。それじゃあ話をさせてもらうよ。と、その前にだ。なぜか私は完全に君の中で『ドクトルJ』
というマッドサイエンティストっぽい男という設定で定着しちゃってるように思うんだが、まずその
誤解を解――」
「誤解も何も、こいつがドクトルJって実際に呼んでたろ。仲間内でそう呼ばれてる以上、あんたは
ドクトルJなんじゃねえのか」
隣で黙々とハンバーグを口に運んでいる白夜を指さしながら、陽太はドクトルを制して言う。
陽太がさした指をチラリと一瞥した白夜だったが、その視線はまたすぐにハンバーグへと戻って行っ
た。
「というわけであんたはドクトルJ決定だ。今後この話を蒸し返すのはなしだ」
「……あれ、なんか言い返せない。私なんで中学二年生に論破されてるんだろう。最近の子どもって
怖いなあ」
また寂しそうにコーヒーをすするドクトル。出会った時に抱いた威圧感も今は昔、大きく感じた体
さえなんだかしぼんでしまったようだ。
「うん、もういいやドクトルJで。んじゃまあ、何から話そうか。何か特に聞きたいことはあるかな」
「あんたたち、一体何者だ? どうして俺を狙う?」
間髪入れない陽太の問いかけに、ドクトルは薄く苦笑いを浮かべた。
「直球だね、君。そういうの嫌いじゃないよ。でもすまないね、私たちの素性については、詳しく話
すことはできないんだ。能力を研究しているある団体の一員だということぐらいしかね」
「フン、まあそうだろうと思ってたよ。最初っから期待してねえ。じゃあもうひとつのほうはどうな
んだ? 俺を狙う理由くらいは話せないのか?」
ステーキと一緒に頼んだコーラをグビッと飲み込みながら、陽太は改めて質問する。彼にとって重
要なのは、むしろこちらのほうだ。
「君を狙う理由? さっきも言ったけどね、君の能力に純粋な科学的好奇心を持っているからだよ。
実を言うと、私の個人的興味だったりするんだけどね」
中年男には似つかわしくないニコニコ笑顔で、なんの裏もなさそうに語るドクトル。
陽太はその言葉を額面通りに受け取るつもりはなかったが、ドクトルのその子供のような笑顔を
見ていると、なぜか少し信じたいという気持ちにもなった。
「科学的好奇心、ってのは?」
「ちょっとした実験をさせて欲しいんだ。あ、そんな大がかりなものじゃなくてね。今ここでできる
ようなものなんだ。どう? 協力してくれないかな」
ドクトルの瞳が、銀縁眼鏡の奥でキラキラと萌えアニメの美少女のように輝いている。
若干不気味に思いつつ、ここまで期待されていると断るわけにもいかないなということで、陽太は
空気を読んでおくことにした。
「ここに、さっきデパ地下で買っておいた高級チョコレートがある。一口サイズがたった8個入って
4千円。うーん正直詐欺に近いよね。まあそれはいいとして、月下君。このチョコ食べたことある?」
「んー……いや、たぶんないな。パッケージに見覚えがないし」
「オッケ。じゃあ1個あげる。あ、これこそ味わって食べてくれよ。1個500円なんだからね」
余計な念を押しながら、ドクトルが高級チョコの箱を陽太に差し出す。レストランの中で持ち込み
のチョコを食べていいのかと思いつつ、陽太はそのうちの一粒を手に取る。
正直なところ、陽太には板チョコと高級チョコの区別がつかない。両親がベルギー土産に買ってき
たチョコも、日本のチョコと何が違うのかと思ったものだ。
一粒500円か。確かに詐欺だこりゃ。そう思いつつ、陽太はそれを口に運……ぼうとしたが、隣か
ら強烈な視線を感じて動きを止める。
「岬月下、それは卑怯じゃないかしら。能力の特性を利用してチョコを独占しようと企むなんて。ど
うせ貴方なんて、板チョコと高級チョコの区別もつかない小市民でしょうに」
「うぐぉ! 白夜、お前なんでそれを知って……!? ってんなことはいいんだよ! ドクトルJがくれ
るって言うから食ってるだけなんだからな。だいたい独占する気なんてねえし。食いたいなら素直に
ドクトルJに頼めよ」
「ドクトルJ、私も食べたいわそのチョコレート」
「うんうん、後であげるから。まずはハンバーグを早く食べちゃおうか。ほんと白夜ちゃんは食べる
のが遅いよね。まあ女の子らしくていいと思うんだけどね私は」
「お前会話に一切入ってなかった割にまだハンバーグ半分も残ってんのな。冷めるぞ。俺が手伝って
やろうか?」
「どの口がそんな戯言を言うのかしら。貴方の如き愚昧の輩に、私が口をつけたハンバーグを食べる
資格などないわ。慎みなさい岬月下」
そう言い捨てて、またハンバーグを小さくする作業に戻る白夜。密かにため息をつきつつ、陽太は
チョコを口に放り込んだ。
「食べたぞ。これからどうするんだ?」
「今食べたチョコと全く同じチョコを、君の能力で生成してほしい。できるかな」
「『できるかな』? ハン、なめられたもんだぜ、俺の万物創造【リ・イマジネーション】も。これ
ぐらい朝飯前だっての」
うんざりといった調子でそう言って、陽太は右手のひらに軽く力を込め、意識を集中させる。
キラキラと輝く粉が舞うように、小さな光の結晶が陽太の手のひらにわだかまる。それは陽太の手
のひらから発生したようでもあり、もともと大気に離散している結晶を、陽太が引き寄せているよう
にも見える。それらは徐々に互いに引き付けあい、やがてひとつの明確な像として結ばれていく。
その創造図を、ドクトルはもちろん、白夜さえも魅入られたように見守っていた。陽太はその視線
に構わず、さらに集中を深める。
無数に浮遊していた小さな光の粒は完全にひとつに融合し、かすかなシルエットを浮かび上げる。
ひとつに融け合って消え去った光が、陽太の手のひらに残していったもの。彼が先ほど食べたもの
と全く同一の、詐欺的値段の高級チョコがそこにあった。
「へえー……なんか私が思ってたよりもすごく雰囲気があるな。出してるものはただのチョコレート
なのに、ちょっと感動してしまったよ」
「今回は最大限集中したからな。もっと味もそっけもなくポンポン出せるんだぜ。その分実際の味も
そっけなくなるけどな。で、これで実験は終わりなのか?」
「ん? ああそうだったそうだった。ちょっと待ってね。チョコの個数は……7個。減ってないな。ふ
ーむなるほど」
高級チョコの箱を確認しながら、ドクトルは何事か独りごちている。
「おい、一人で納得すんなよな。ちゃんと説明してくれよ」
「わかってる。怒らないで聞いてくれよ。私はね、君の能力を疑ってたんだ。表面的には、君の能力
はお菓子を『創造』しているようにしか見えない。だが実際に起きている現象は『創造』ではないん
じゃないか、とね」
「……どういう意味だ?」
陽太は大きく身を乗り出して聞いた。ドクトルが懸念したように腹が立ったから、ではなく、単に
彼の論旨に興味を持ったのだ。
隣の白夜はと言えば、逆に全く興味が失せたのか、またハンバーグとの戦いに戻っている。
「私は、君の能力は『世界に実在する物の中からランダムに選んで取り出す』能力なんじゃないかと
考えた。わかりやすく言うなら『創造』ではなく『召喚』だってことだ。そしてテーブルからの選択
がランダムに行われるとしても、やはり近くにあるものから選ばれるのが自然だと思う。つまり君が
ファミチキを一個発生させると、近所のファミマで忽然とファミチキが姿を消すという怪現象が起こ
るのではないかということだね」
陽太は盲点を突かれた気分だった。この能力は創造だとばかり思っていたが、そのメカニズムは自
分自身理解しているわけではないんだと、改めて気づく。
そんな陽太を見て、ドクトルは穏やかに微笑んだ。
「君は素直だな。今までそんなこと考えたことなかったよね。でもそれでいいんだよ。だって、考え
てわかることじゃないからね。だからこそ私たちみたいな研究者がいるわけだけど、その私たちです
らまだまだ未知の部分が多い。それに今回のことでわかったよ。君の能力はほぼ間違いなく『創造』
だ。少なくとも昼間能力についてはね。夜間能力も見てみたいけど……ま、片方わかれば十分かな、
私としては」
「フン、めんどくせえんだな研究者ってのは。創造だろうと召喚だろうと、俺がこの手に食い物を出
せるってことにはなんの違いもねえよ。物の価値ってのはそういうもんだろ」
強がりで言ってみた陽太の言葉はしかし、意外に強くドクトルの心に響いたようだった。
「そう、その通りだね。本質を追い求めることが常に正しいわけでも、意味があるわけでもないよ。
でも私にとっては、それはとても大切で重要なことなんだ」
つづく
登場キャラクター
最終更新:2010年07月08日 03:06