「ああ、そういえば主任。向こうの連中、あの少年からはマークを外したようですよ」
「あの少年……? あーあー、あの大根振り回して改造犬を退治した中学生か。マーク
を外したって、観察対象外になったというのか?」
一日の作業を終えての定時報告。その最後に、まるで世間話でもするかのように、助
手はおそらく今一番この上司がほしいであろう情報をしれっと口にした。それを受けて
の上司の反応は、予想通り手ごたえのあるものだった。
「ええ、そのようです。向こうの連中としては、彼とともに行動していたもう一人の
しょうね――失礼しました。少女のほうに関心があるようですね」
「あのモデルみたいな体型の女の子か。ふーむ、まあ道理だろうな。彼女は”人間の動
きさえ止めた”って話だからな。本腰入れて観察する価値のある能力ではある。いやま
あそれよりも、だ。我々にとって重要なのは”彼”のほうなわけだ。ならやはりこれは
好機と呼ぶべきなのかいやそれとも……」
ぶちぶちと何事かをつぶやきつつ、主任と呼ばれた男は思案に落ちていく。
じっと目をつむり、眉間に人差し指を添えて、いかにも全力で悩み中ですと言いたげな
その姿。
だが、助手はもう知っている。この上司がこんな風に悩んでいる時というのは、実は
意外に悩んでいないらしいということを。というかすでに答えを出しているらしいことを。
もっと酷い場合、全然別のことを考えているらしいことを。
「主任、お悩みのフリはしなくて結構ですから。もう次に取る行動は決めていらっしゃる
んでしょ?」
「お、おいおい、最近助手くんノリが悪くなってきたな。たまには『重要な局面で苦渋の
決断を迫られ、我がふりを定めきれずに思考の泥沼にはまるダンディな中年男性』を演じ
させてくれたっていいじゃない」
「お断りです。そんなものを見せられても嬉しくありません」
「えー。助手くんなんかどんどん手厳しくなっていくよね……」
そう言いながら、主任は露骨にしゅんとなってしまった。ぐりぐりと指で押していたせ
いか、その眉間はほんのりと赤くなっている。
瞳をうるうるさせながらしょぼくれる三十路男。それだけですでに香ばしい眺めだが、
それプラスポチッと局所的に色づいている眉間。助手はのどからこみあげる笑いの衝動
をぐいと飲みこんで言った。
「あーもう、仕方ないですね。次はとことん付き合ってさしあげますから、そんなに拗ね
ないでください主任。全然可愛くないんですから。じゃあ話を戻しますよ。もう次に取る
行動は決めていらっしゃるんでしょう?」
「それ、約束だぞ? 破ったら能力使うからな。よし、じゃあ本題に入ろうか。まあ君の
察しの通りだ。次にやることはもう決めている。そして君のことだ、次にやることが何か
ってことも察しちゃってるんだろう?」
「接触されるんですね?
岬陽太に」
「イエスェス! あのモデルみたいな子と関わりがある以上、あちらさんとニアミスして
しまうリスクは抱えることになるけど、まあ我々が直接あの子と接触しなければ面倒なこ
とにはならないと思うしね。上の許可は結構前から取ってあるし、あちらさんがマークを
外した以上、全面衝突ってことにはならないと考えてるんだ」
落ち着いた口調で整然と考えを述べる主任の顔は、穏やかでありながら、確固とした自
信を湛えていた。
こういうまともな面を見せられる度助手は、やや奇矯なこの上司の本性はいったいどっ
ちなんだろうかと、ほんの少し悩んだりもする。本当にほんの少しだけ。
「主任がそうお考えなら、きっとそうなんでしょう。それでは、接触は主任自ら行うとい
うわけですか?」
「そのつもりだ。彼にはずっと興味があったからね。中学二年であの身長ってところに、
抗いがたい親近感を覚えちゃってね。私もちっちゃかったからね」
「あえてツッコみませんが。ところで主任、彼との接触にあたって、僕から提案があり
ます」
「別にボケてないからツッコんでくれなくていいもん。それで、どんな提案を叩きつけて
くれるんだ?」
「岬陽太との接触には、”彼女”を同行してはいかがでしょうか」
助手の発言から、暫しの沈黙が流れる。だがその沈黙の間に、微笑を浮かべていた主任の
顔は、軋む音が聞こえてきそうなほどにみるみる引きつっていった。
「か、彼女って、あの子のこと、だよな……? えー、めんどくさー! 私あの子めっさ苦
手なんだよなー……いや、自分で連れてきといてこんなこと言うの、人としてアウトだって
ことはわかってるよ? でもさ――」
「御心配には及びません。僕の見立てでは、あの少年と彼女とは相性抜群のはずです。主任
の入り込む余地はないかもしれません。というか、出る幕もないかもしれません。むしろ、
主任は行かなくてもいいかも」
「……私の出番なくなっちゃうわけ?」
「まあまあ。とにかく、彼女を連れていくと面白いことになると思うんです。ぜひ検討して
みてください」
登場キャラクター
最終更新:2010年06月18日 20:42