ガラスケースに陳列された商品は競うようにその姿を晒す。
その中に大きなガラス瓶があったが、ジャムでもいれる物なのだろうか。
俺たちはその横をすり抜けて歩いていく。
「どうかしたかにゃ?ヨシユキ」
「暑い」
俺はダウンジャケットを脱ぎ、脇に抱える。
リンドウは手を口に当てくすくすと笑っていた。
「凍らせる能力は寒さにも耐性を持つみたいね」
「そうみたいだな」
ふー、と掌で扇を作り、パタパタと扇ぐが全然涼しくならない。
まさか、先程のたこ焼きに薬が入っていようとは。
周りを見渡す。正午過ぎで太陽が照っているとはいえ、春先でこんな薄着になっているのは俺だけか。ちと恥ずい。
先程のオープンカフェで新しい薬を飲んで10分。テレポート能力は完全に消えた。
リンドウは俺の額に手を当てたりして、興味深く効果の具合を確かめていた。
「体温の変化は無し。だけど体感温度は変わっている。能力の一時的な複合によるショックや副作用は認められないわね」
今のところは、と付け足すリンドウ。何だ、今のところはって。
「ところでどうして今度は凍らせる能力なんだ?」
「どうしてって、戦闘用」
「戦闘……」
「尾行している二匹の蝿を叩き潰すのにゃ」
ルローが両手をパフンと叩き合わせる仕草をする。
恰幅(かっぷく)の良い髭面
トルトルと、黒服のゼンの事か。
「なぁ、どうして奴らは俺らを追ってるんだ?いや、俺らというかリンドウをか」
かねてからの疑問を二人に聞く。
「さぁ。以前壊滅させた組織の復讐かしら?」
「この前のイモータル壊滅作戦は面白かったにゃ。いくら斬っても死にゃにゃい人間ばっかりだったから夜の能力に切り替わるまで相手を斬り続けてたにゃ。何人かには逃げられたけどにゃ」
「……なんとも頼もしい限りで」
やはり、そのような争いもするのか。
俺にはまだそのような覚悟はできない。
だとすれば今、こいつらから逃げ出してみたらどうだろう?
だが、何故かこいつらとは縁を切りたくない感情があった。
「それとコレを渡すにゃ。扱いに注意するにゃ」
「うぇ」
ルローが袖からひょいと取り出したそれは、黒光りする玩具のようでずっしりと重い、本物の拳銃だった。
急いで腰の裏のズボンに突っ込む。
「人ごみで取り出すなよ」
「にゃはは、注意するにゃヨシユキ。そろそろ来るにゃ」
何が、と聞こうとして背中に悪寒。ビリビリと痺れるほどの。
これは
フェムやルローを前にしたときに感じた、本物の殺意。
ルローのフードがピクピク動く。金色の瞳がフードの陰からせわしなく左右を見ている。
リンドウも、ルローの死角を何気ない振りを装って見渡している。
俺も会話している振りを装って、集中して周囲を見渡す。
時間が遅くなったような感覚。
街の喧騒が、耳触りで酷く騒がしい。
「街中で仕掛けてくる確率は低かったはずににゃ。なりふり構ってられにゃくなったかにゃ?」
俺に向けられる殺意は一つ。背筋が凍りつくような暴力的な圧力。
オブジェの鐘が、午後一時を告げる音を鳴らした。
噴水が水を噴き上げる。
信号が変わり、歩行者と人が歩いていく。
ひどく時間がゆっくりと感じられた。
「奴らはこんな街中で荒事を起こす気なのか?」
「そんな連中の集まりよ。彼らも、私たちも」
水色の服を着た男の子が走って俺らの脇をすり抜ける。
ルローが俺の襟首を掴んだ。
「噴水にゃ!」
無理に引っ張られて地面へと強制的に伏せられる。
倒れる間際、噴水に奇妙な金色のオブジェが浮かんでいるのが見えた。
金色のリボルバー。それが撃鉄を起こし、薬莢を叩く。
銃弾が子供の肩を掠めて倒れさせた。
突然の光景に、俺の脳内が停止。そして、激烈に怒りが沸き起こってくる。
「あらら、水辺からの狙撃は無いと判断してくれんかったか」
「金色の銃なんて目立ちすぎにゃ。次からは銃も透明にしておくべきにゃ」
ルローが俺を街道の大きな植木鉢の陰に隠しながら時間稼ぎのために返答する。
トルトルが透明な液体の姿で噴水から出てくる。その姿はさながら水の魔人だった。
街中は、三秒ほど普段の光景を保ったが、歩行者が一人、また一人と気づき、悲鳴が連なる。
日常は崩壊した。俺は植木鉢に姿を隠しながら、子供を保護し建物の陰に隠れる。
リンドウに少年を診せると彼女は傷を確認するやいなやポーチから医療器具を取り出しアルコールで殺菌、血止めを行い、傷口を手早く縫合していく。
増血剤として能力で合成された錠剤が子供に飲まされる。
その時間、わずか三十秒。
その子供を父親らしきサラリーマンがリンドウに礼を言いながら奪い取るようにして逃げて行った。
「ほんとはな!能力で戦いたかったからな!わざと気づかれるように撃ったんよ!」
周囲の悲鳴に負けぬように大声で叫ぶトルトル。透明な人体模型の肥満型の姿。
「家畜が人間様に許可なく喋るにゃ、髭豚」
ルローも両手から銀の爪を取り出す。黒い霞も纏わりついて、本気モードだ。
トルトルとルローが互いに走り出す。俺は建物の陰から二人の様子を見ていた。
ルローが投げた銀のナイフは水を突き抜けてトルトルの背中から飛び出す。見た目的にはダメージを受けていないみたいだ。
トルトルは体中の水を腕に集中させて振り下ろす。それは水量に任せた大瀑布の攻撃。ルローは見切って回避した。
俺の傍で同じように観察していたリンドウが俺に情報を与える。
「彼は傭兵事務所“イモータル”所長、トルトルね。仲間の仇討にでも来たのかしら?」
「奴の能力は?」
「水になる能力。殺し方は不死身を利用して接近したあとに窒息させること。あなたのすることはルローの合図で飛び出すこと。彼のリボルバーに注意して」
「了解」
そして注意深く二人を観察する。
一見不利だと思われるルローは、それでも不敵に笑っていた。
ルローの黒い霞による能力の一閃。トルトルの透明な液体に朱が混じる。
「ぐわあっ!水を斬りやがった!?」
「ルロー様に不可能は無いのにゃ。ヨシユキ!」
合図。俺は飛び出す。
トルトルが俺にリボルバーの先端を向けてくるが、銃身をルローが切り裂いた。
「うおおおおおおおおおおっ!」
恐怖に負けぬよう叫びながら、両手に能力を最大限に発動。
氷の冷気が飛び出す。俺の手が凍りついたが、冷たさは全く感じない。
冷気が水男に直撃。トルトルの腹部が凍りつく。
だが、能力が急激に減少していった。
「どうして冷気が十分に出ない!」
「なんや知らんけど助かった!?」
青ざめる俺とは対照的に、好機を見出したトルトルの右腕の水量が増大。
一気に加速して俺に殴りかかってくる。
だが、俺には全てがスローモーションに見えた。
極限状態で剣術の極意にでも触れたのかもしれない。それに感謝しつつ、わざとトルトルに向かっていた自らの脚を絡ませて、盛大にこける。
右の頬を地面に強く強打。血の味が口の中に広がった。だが、それが幸いした。
俺の頭上を過ぎていった水の腕は、コンクリートの建物の壁に亀裂を入れていた。
避けなければ、俺の体が四散していただろう。
だが、脅威は終わらない。トルトルの左腕が急激に増大。
脚が絡まった体勢で倒れたため、すぐには起きられない。
ルローが能力で左腕に斬りかかるが、トルトルが痛みを無視して水量を増大させていく。
その腕に何処からともなく飛翔してきた大量の白い粉がブチ当たる。
大量の白い粉はトルトルの水の体を固め始めていた。
みると、建物の陰に隠れていたリンドウが両手から消火器のように粉を噴出させていた。
おそらく乾燥剤か凝固剤。それを理解したのかルローの黒い爪が斜めに動く。
ルローの攻撃が左腕を捉え、斬りつけた左腕がいとも容易く切断された。
トルトルの白い粉でドロドロになった口が動くが、言葉は出なかった。
残忍な笑みがルローの口の端に浮かぶ。
あっさりとトルトルの首をルローが刎ねた。両断された首と胴は再び接合することは無かった。
俺は立ち上がり、しばらく待っても動かないことを確認して、盛大に深呼吸をした。ふー。
「あ、危なかったー」
「どうしたにゃ、ヨシユキ。さっきは全然役に立って無かったにゃ」
「能力が低下してるわね。どうしてこんな症状が」
確かに、凍らせる能力が低下したせいで、気温の上がりきらない春先の寒さが堪える。
道端に落としていたダウンを拾い上げ、再び着る。
「リンドウもリンドウにゃ。途中で出てきちゃ駄目にゃ」
「仕方ないじゃない。私の後任が不甲斐ないばっかりに」
不甲斐ないと言われた俺は両手を広げておくしかない。ん、後任だと?
「一応、首を持って帰るかにゃ。まだ生きてるだろうから途中で復活されても困るにゃ」
そう言って一番近かったリンドウがトルトルの白く固まった頭部を拾い上げる。
だが、俺はトルトルの白く固まった体が動くのが見えた。
俺が警告を発しようと思ったと同時に、固まった体から腕を突き出し、男の拳がリンドウの腹部を直撃。
苦痛で意識を失ったリンドウを腕に捉えた。
「つーかまえたー」
トルトルの歪んだ笑みが、そこにはあった。
トルトルが完全に白い体を脱ぎすてる。
先程口が動いているように見えたのは、頭を胴体に引っ込めていたからだろう。
詐術に騙された。
トルトルはよりにもよって、俺が凍らせた体の一部を剣のようにリンドウの首筋に付けていた。
トルトルの暴発を防ぐため、ルローが俺を引っ張って大きな柱の陰まで退避する。
「別に君らに興味は無いんや。そっちが見逃してくれたらうちはこのまま去るけどどうする?」
「リンドウをどうする気にゃ」
陰に隠れながらルローが聞く。対策を考えているようだった。
「リンドウ君はうちらの仲間にする。もともと、優れた能力者を集めるために事務所を経営しよったんやけど、リンドウ君の能力者の死体から能力を奪う技術があれば人件費も安く抑えられると思ってな」
「能力者が道具かにゃ」
「君らの組織だって同じやろ。ヨシユキ君。あんまり彼らを信用せんほうがええよ」
トルトルが俺の動揺を誘うが、俺は揺れない。
「そうかもしれない。だが、お前よりは嘘を付きそうに無さそうだな」
「ほう、どうしてや?」
「嘘を付くのは弱者だけだからだ」
「暗にうちを弱者として罵ってるわけか。ま、ええわ。それでどうするん?」
「ちょっと待つにゃ」
ルローが俺に向かって小さな声で問う。
「……何か隠し事してないかにゃ?」
あまりの意外な発言に俺は動揺した。
「『運命レポート』にはこんな展開は無いにゃ。冷気の能力の低下といい、リンドウの捕縛といい、何かのイレギュラーが発生している可能性があるにゃ」
「いや、何もない……待てよ。先程から戦闘に入ったときだけ、時間が遅く流れるように感じるんだが……」
「にゃるほど」
ルローがポリポリと頭を掻く。
「お前の本来の能力が目覚めかけているにゃ。能力の早期発現も、何らかのイレギュラーが発生した結果のせいにゃんだがにゃ。ま、今は目の前の出来事に集中するにゃ」
そうだ。リンドウが危ない。
「奴らはリンドウを拷問にかけて無理やり協力させる気にゃ。まぁ、奴ら程度に従う女じゃにゃいから毒薬で自害するだろうけどにゃ」
そんな事は許せないし、許さない。俺は自然と拳を握りしめていた。
「『運命レポート』に書かれていない以上、取る選択肢は二つにゃ。奪還か撤退、どちらを選ぶにゃ?」
俺は腕に弱まった冷気を集中させる。
「決まっているだろ」
「にゃはは。じゃあ行くにゃ」
唇の端から牙を見せて、ルローが笑う。
俺とルローは柱の左右から飛びだした。
「やっぱり来たか!」
トルトルの腹腔が増大。口から水飛沫を噴き出す。
それはトルトルの体の脂肪だった。それが地面に穴を空けるとはどんなエクザをしてやがる。
だが、命の危険を感じたときだけ、俺は時間がゆっくりと感じる。脂肪の水弾をギリギリで回避した。
ルローはフェムの拳ですら見切っていただけあって、この程度は余裕でかわしていた。
トルトルがリンドウの首筋につけていた氷の剣を外す。
そしてリンドウを高々と放り投げる。
戦闘力の低い俺が、地面へと落ちていくリンドウを受けとめるためそちらに走る。
俺の背後から迫る氷の刃。
俺は前転しながらそれを躱す。
放り投げられたリンドウはルローが受けとめた。
「よくかわしたなぁ!ヨシユキ君!」
「あたりまえだ、そんな見え見えな手!」
本当はトルトルの思考が分かったのだ。俺の方が奴より弱いから、詐術には強い。
「だが、君じゃうちには勝てんよ」
「くっ」
前転した回転を利用して、立ち上がるが、目の前には氷の刃。
ルローはリンドウを受けとめたせいで動けない。だったら生き残るために俺が戦うしかない。
俺はトルトルの胸に突っ込んで、能力を全力で発動。腕と肩を凍らせる。
「うおっ!?」
回転の軸を凍らせてしまえば、氷の刃は動かない。
俺の本来の能力とやらは、戦闘時に高速の思考が出来て色々と役に立つ。
だが、凍らせる能力がほとんど消えてしまった事に気付いた。
封じ込めれたのは右肩と右腕だけ。
俺を掴もうと左腕が伸びる。
今の無力な俺を掴まえてしまえば、無理やり鼻腔やら口から水を飲ませることで窒息死させることが出来る。
だが、その腕は空を掴んだ。
「なっ……消えやがった!?」
トルトルが半身を凍らせた体勢のまま、左右を見渡す。
「おい、おっさん」
驚愕している髭面に背後から呼び掛ける。
「こいつ!いつの間に回り込んだ!」
……その指摘は間違いだ。
俺の本来の能力とは、おそらく俺の時間を早めるものなのだろう。
トルトルがゆっくりと俺の残像に手を伸ばしている間、俺はショーウィンドウに飾られていたあるものを盗んできてからトルトルの背後を取った。
あるものとは、握りこぶし大のジャムの瓶。
それをトルトルの脈動する胸の一点に突き刺し、蓋を閉める。
トルトルが反応するまえに腕を高速で取り出すと、ジャムの瓶の中には透明な心臓が入っていた。
それをキラキラと目を輝かせているルローに投げる。
人体蒐集家として透明な心臓に興味を持ったのだろう。
「……はっ、心臓抜かれたからと言って、死にはしないよ」
焦るトルトルが体の構造を変化させる。
代用で人工心臓を創り上げていた。
「そうだな。昼の間は死にはしないだろう」
俺は腕時計を確認。午後二時を指していた。
「だが、夜の能力に切り替わったとき、心臓が無ければどうなるかな?」
「……こんのぉ、糞餓鬼!」
水の拳を俺は能力で回避する。何もかもが遅い。
こいつを殺す気は無かったが、リンドウを傷つけたのなら話は別だ。
ドロドロとした黒い感情が、俺に歪んだ笑みを作らせた。
「ルローは追わなくていいんですか?」
見るとルローは心臓を掲げて街路を颯爽と走って行った。
トルトルは盗まれていく自分の心臓を見、余裕の表情の俺を見、意識を取り戻したリンドウを順番に見た。
「くそおおおおおおおおっ!」
トルトルは沸騰した形相でルローを追いかけていった。透明な顔で感情が分かりにくい。
「待てや糞猫!ぶっ殺しちゃる!」
「にゃはは!仮に殺されたとしても返さないにゃ!」
ルローの楽しそうな声と、トルトルの怒りの声がだんだんと小さくなっていくのを確認して、俺は膝を付いた。
余裕そうな演技をしていてよかった。もう俺の意識は限界だった。
初めて体験した、俺の常識外れの能力。だが、過剰な情報量が俺の脳に過負荷を掛けていたらしい。
駆けよってくるリンドウの無事な姿を確認したとたん、俺の意識がブラックアウトした。
登場キャラクター
最終更新:2010年07月06日 23:56