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「キズナのキセキ・ACT1-14:謝ることさえ許されない」(2011/09/13 (火) 22:24:46) の最新版変更点
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&bold(){キズナのキセキ}
ACT1-14「謝ることさえ許されない」
■
また。
また視界に映るすべてのものが灰色に見える。
わたしの目の前には、大きな鉄の扉。
人間の大人が一人で開けるのも大変そうな、重い扉。
その一番上にランプが赤く光っていて、それだけがわたしの目に色づいて見える。
ランプは文字を表示している。
『手術中』
……マスターはさっき、この扉の奥へ連れ込まれた。
港の倉庫街での一戦の後。
すぐに救急車が呼ばれた。
大城さんがマスターについて救急車に乗ってくれて、わたしを病院まで一緒に連れて来てくれた。
病院に着いて、お医者様の診察を受け、間をおかずに手術することになった。
当然だった。
救急車の中でうつぶせにされたマスターの、傷ついた背中。そして左手。
わたしが見たって、普通じゃない傷つき方。
救急隊員の人たちが言ってた。
命に関わる、って。
すぐに治療が必要だ、って。
マスターとわたしたちが乗った救急車は、大きな総合病院にやってきた。
到着してすぐ、マスターは準備された手術室に入り、わたしたちは閉め出された。
この分厚い扉の向こう。
マスターが今どんな様子なのか、わたしには知る由もない。
わたしは力なく、そびえ立つ鉄の扉に触れる。
わたしはレッグパーツを装着したままで、左の足首は壊れたまま。
レッグパーツを治してくれる手は……マスターの手は傷ついていて……もしかして、もう治すことはかなわなかも知れない。
「……いや……」
それどころか、この鉄の扉の向こうから、マスターが無事に戻ってこないことだって……あるかも知れない。
だって、命に関わるって、言っていた。
そうしたら、どうなってしまうだろう?
わたしはもうマスターの声を聞くことも、あの大好きな笑顔を見ることも出来ないままで。
ただ電池切れの時を待つだけ?
それとも誰か他のマスターの神姫になってしまう?
あるいはまたお店に戻されてしまう?
いずれにしても、もうマスターに会えないのだとしたら。
「……いやです……マスター……」
わたしにとって、マスターは『世界』そのものだった。
マスターがいてくれたから、世界に色が付いた。
マスターがいてくれたから、絆を紡ぐことができた。
マスターがいてくれたから、わたしは……幸せだった。
その幸せを手放さなくてはならない。
不意に、その想像がリアルに胸に迫った。
灰色に染まった視界の影が濃くなったように思える。
心が何かに掴まれて、ぎゅっと握られたように、苦しく、痛い。
マスターがいなくなる。わたしにとって、この上ない恐怖だった。
「いやだあああぁぁ……!」
なぜあのとき、わたしは動かなかったの。
ストラーフの爪を、この身体が裂かれても、止めればよかった。
マグダレーナのミサイルを、脚が砕けても、身を呈して防げばよかった。
そうすれば、マスターが傷つくこともなかったのに!
でも、そんな風に思ってももう遅い。マスターは大けがを負い、わたしはこうして不安に泣き叫ぶことしかできないでいる。
◆
「なんでこんなことになっちまうんだよ……」
泣き崩れるティアの肩を抱きながら、虎実は悔しげに呟く。
虎実には何も出来なかった。
現場に着いたときには、すべて終わっていたのだ。
虎実が見たのは、遠野がゆっくりと倒れるところだった。
その後、救急車が来るまでの間、半狂乱になったティアを抱きとめていた。
救急車の中で、遠野の胸ポケットにミスティがいることに気付いたのも虎実だった。
ミスティはずっと、電池切れのように眠ったまま動かなかった。ミスティが意識を取り戻したのは、遠野が手術室に入った後のことだ。
虎実は無力感に苛まれる。
ティアもミスティも、一番の友達であり、ライバルだと思っていた。
その友人たちが大ピンチの時に、虎実は何もしてやれなかった。
いま泣き続けるティアの肩を抱いているだけが精一杯。
もう、彼女の涙なんて見たくないというのに。
なんでティアはまた泣かなくてはならないのか。
「なんで、アタシは……こんなに役立たずなんだよ……!」
肝心なときに、いつも、何の役にも立てない。虎実にはそれが泣きたくなるほど悔しかった。
ティアの肩を抱きながら、唇を噛みしめる。
そんな虎実とティアを見て、ミスティもまた無力感に苛まれる。
貴樹の左手のケガは、ミスティに原因がある。
貴樹の胸ポケットにミスティがいなければ、貴樹自身が狙われることもなかったのだ。
親友であるティアにとって、マスターの貴樹がどんなに大切か、どんなに依存しているのか、よく知っている。
だからこそ、自分のせいで貴樹が傷ついたことに、責任を深く感じていた。
しかも、そのケガは、自分のマスターが別の神姫に命じて負わせた……いや、正確には、ミスティを破壊しようと攻撃してきたのだ。
神姫が自らのマスターに命を狙われる。
その事実はあまりにも悲しい。
自らの深い悲しみと重い責任の板挟みになり、ミスティは寄り添うティアと虎実を見ながら立ち尽くす。
「……ナナコ……どうすればいいっていうのよぉ……」
いつも自信たっぷりなミスティの、それは初めて口にした泣き言だった。
◆
悲嘆にくれる神姫たちを、大城大介は直視できずにいた。
ティアの泣き声、虎実の呟き、ミスティの嘆き。それらに耳をふさぐこともできず、ただ、手術室前の簡素なソファに腰掛けてうつむき、ただただ、手術が終わるのを待つしかなかった。
あのとき、パトカーを引き連れてきた大城は、予定の時間を大幅に超過していた。
理由は単純で、警察の説得に難儀したのである。
大城は、やんちゃはやめたと嘯いてはいるが、見た目はまったくヤンキーと変わらない。
時間を見計らい、近所の警察署のMMS犯罪担当のところにタレコミに行ったはいいが、逆に裏バトルの主催とのつながりを疑われ、弁明に時間を費やした。
なんとか警察を説得して、パトカーを出してもらったときには、すでに遠野との約束の時間をオーバーしていた。
現地に着くまで、遠野たちが無茶をしていないか心配していた。
心配は的中し、大城の予想を超える事態になっていた。
大急ぎで救急車を呼び、ティアとミスティを回収、遠野について救急車に乗り、病院へ向かう。
茫然自失になっている菜々子も心配ではあったが、そちらは彼女の祖母がいたので、全面的に任せることにした。
彼女たちは警察に連れて行かれたらしい。
病院に着くと、遠野はすぐに救急治療室に運ばれ、そしてすぐさま手術室に移された。
そして今、大城は手術室の前で、まんじりともせずに待っているというわけだった。
あのとき、一体何があったのか。
その場に居合わせた人物たちも神姫たちも、語る状況にない。
だから彼は、自分で見た状況で判断するしかなかった。
大城は大きな疑問を抱いている。
いくらリアルバトルだからといって、遠野が瀕死の重傷を負うなんて、おかしくはないか?
バトルロンドは確かに面白くて奥深く、真剣に遊ぶゲームだ。
だが、所詮ゲームなのだ。
なぜそこにマスターの命のやりとりが加わってくるのか。
大城はどうしても納得できない。
(遠野が死んじまったら……俺は菜々子ちゃんを許せないかもしんねぇ……)
最後にはそんなところまで、考えが行き着いてしまう。
大城は暗い瞳のまま、悶々と考えを巡らせ続けていた。
そこに、足音が一つ聞こえてきた。
規則正しい靴音は、迷わず真っ直ぐに、この行き止まりの手術室前へと向かっている。
足音が大城のすぐそばで止まった。
うつむいた大城の視界に黒い革靴が目に入った。ビジネス向けの革靴とスラックスの裾。大人の男と思われるが、今こんなところに現れる人物に心当たりがない。
大城はゆっくりと顔を上げる。
暗い目で無愛想な表情をした大城は、さぞかしおっかない顔をしていたであろう。
しかし、その男性は少し眉をひそめただけだった。
「貴樹の友人にしては珍しいタイプのようだが……君は貴樹の友達かね?」
「……え?……ああ、奴とはマブダチだけどよ……あんたは?」
初対面の相手に随分と失礼な物言いだ。大城の返事も、ついぞんざいな口調になる。
スーツをきっちり着こなした、大人の男だった。年の頃は四○歳を越えているだろうか。ここにいるにはあまりに場違いな人物のように、大城には思えた。
いぶかしげな大城の視線を受け流し、男性は短く答えた。
「父親だ」
その答えに、大城は世にも間抜けな表情を返してしまった。
◆
倉庫街のリアルバトルから一晩が明け、昼近くなってようやく解放された。
久住菜々子は茫然自失の状態のままで、取り調べはもっぱら久住頼子が答えていた。
頼子は事件の詳細を適当にでっち上げた。
頼子と菜々子、遠野の三人で倉庫街を歩いていたところを、目出し帽をかぶった人物に襲われた。相手は神姫マスターで、武装神姫をけしかけてきた。
身の危険を感じ、仕方なく応戦した。
結果、神姫たちの被害は甚大、もうだめかと思ったその時、遠野が連絡した友人の大城が、警察を連れて来てくれたのだ。
相手の神姫マスターは泡を食って逃走した。
その神姫マスターに、頼子は面識がない。おそらく、菜々子も遠野も大城もないだろう。
単なる通り魔の神姫だったのだ。
あきらかに適当な作り話だったが、こちらは被害者だという主張を押し通した。
取り調べの刑事たちは当然疑っていた。
朝になって再開された取り調べの際に、頼子は仕方なく切り札を切った。
知り合いの刑事に連絡を入れたのだ。かつてMMSがらみの事件に首を突っ込んだときに、担当だった刑事は本庁のMMS公安勤務だった。
彼は快く身元引受人を引き受けてくれ、すぐに頼子が留置されている所轄の警察署までやってきてくれた。
すると、取り調べていた刑事たちは手のひらを返すような態度となり、頼子と菜々子は早々に釈放されたのだった。
「あんまり無茶言わんでください。こっちも忙しいんですよ」
「でも、これであのときの貸し借りはチャラってことでいいでしょ? たっちゃん」
「……これでチャラなら、お安いご用ですが、ね」
頼子は隣で缶コーヒーをすする、年若い刑事に微笑んだ。
地走達人は苦笑しながら首を振る。彼は警視庁MMS犯罪担当三課所属の刑事で、日々MMS関連の凶悪事件を追っている。
頼子と地走は、とある武装神姫がらみの事件で知り合った。ファーストリーグも二桁ランクの神姫マスターともなれば、事件の一つや二つ、巻き込まれるものである。
その時に頼子と三冬が活躍し、事件を解決した。地走とはその時以来の付き合いである。
「その呼び方をするのは、神姫屋やってる古い友人と、あなたくらいですよ」
「その堅い表情やめるといいわ。そしたら、たっちゃんて呼び名も似合うし、もてるから」
「やめてください」
地走刑事は苦笑した。
出会った頃から、頼子はこんな調子である。にこやかに笑いながら、難局を切り抜けるような女性だった。
その彼女が自分に助けを求めて来るというのは、よほどに差し迫った事態なのだろう。
まさか警察のやっかいになっているとは思わなかったが。
それでも、頼子が道にはずれることをするはずがない。地走にそう信じさせるほど、頼子への信頼は深かった。
だからこそ、彼女の「別のお願い」も素直に聞き届けてしまう。
しかし、一警察官として、堂々と機密情報を漏らすわけにはいかない。
「まあ、これは独り言なんですがね……」
地走刑事はとってつけたような前置きをして、話し出す。
「あの神姫……『狂乱の聖女』を秘密裏に追っかけてる組織があるんですよ」
「組織?」
「ええ。あんまり大手なもんで、そこが動くときには、うちもマークしてるんですが……」
「どこなの?」
「亀丸重工」
さすがの頼子も絶句する。
それは、国内でも屈指の財閥グループの、中心企業の名前だった。
◆
夕方。
菜々子は病院にいた。心療内科での診察が終わり、待合室のソファに所在なく座っている。
ここ数日の記憶は曖昧だった。
昨日の夕方、倉庫街でリアルバトルした理由も思い出せない。
はっきり覚えているのは、機械の目だけが露出したのっぺらぼうの神姫をなぜかミスティと思いこんでいたことだけ。
耳元で貴樹が叫んでくれたから、そこは覚えていた。
だが、その後のことはやはりよく覚えていない。
気が付いたときには取調室のドアが開いて、頼子さんが迎えに来てくれた。
そして、自分が今どこにいるかも分からぬまま、病院に連れてこられて、問診を受けていた。
一体、自分はどうしてしまったというのか。この数日、特に昨日の夕方、何があったのか。
ミスティはどうしているだろう?
お姉さまは、貴樹は、今どうしているだろうか?
チームのみんなや、『ポーラスター』の仲間たちは?
菜々子は漠然とそんなことを考えながら、夕暮れの赤い日差しの中で佇んでいた。
「……菜々子ちゃん、か……?」
野太い声が、菜々子の耳に届いた。
菜々子はゆっくりと声のした方に顔を上げる。
「……大城くん……みんな……」
菜々子はゆっくりと立ち上がる。
菜々子の視線の先で、大城は複雑な表情をしていた。
それから大城の背後には、シスターズの四人と、安藤智也の姿も見えた。
八重樫美緒は花束を抱いている。
誰かのお見舞い、だろうか。
そう思ったとき。
チームメイトの一団から、蓼科涼子が素早く抜け出した。
菜々子に向かって駆けてくる。
前に来た、と思った瞬間、菜々子の身体は衝撃を受けて、床に倒されていた。
右頬に熱い痛みがある。口の中に鉄の味が広がった。
「涼子!?」
「ちょっ……やめろ、蓼科っ!」
緊迫した声。
菜々子は振り向いて見上げる。
まるで鬼のような形相をした涼子を、安藤と大城が両脇から羽交い締めにしている。
菜々子は涼子に殴られた。武道をやっている涼子の打撃だ。一発殴られただけで転ばされるほどの威力があった。
だが、涼子はそれでもまだ納得が行かないようで、転んでいる菜々子にさらに襲いかかろうとして、仲間に押さえられている。
……なぜ涼子ちゃんは、こんなに怒っているんだろう。
菜々子は漠然と思う。
涼子が辺りもはばからずに大声で怒鳴りつけた。
「あんた……なんてことしてくれたのよ!
あの人の手はね! ティアのレッグパーツを作った手なのよ!? 涼姫の装備を作ってくれた手なのよ!?
それを……リアルバトルで神姫けしかけて大ケガさせるなんて……腕が動かなくなるかも知れないのよ!?
信じられない!」
涼子の言葉に、菜々子は愕然とする。
思い出した。
あの時何をしたのか。
耳から聞こえる声に導かれて、ストラーフに抜き手を打たせた。
ミスティを破壊するために。
もし、遠野の左手がそれを阻んでいなければ。
ミスティもろとも、彼の心臓まで貫いていたはず。
つまり……自分の神姫と一緒に、愛する人の命さえ奪おうとした!
いま初めて認識する事実は、菜々子にはあまりに重く、そして痛い。
うなだれて表情を見せない菜々子に、有紀が追い打ちをかける。
「なんでだよ……遠野さんは恋人だろ?……なのになんで、あんな女のいいなりになって……大事な人を傷つけて……あの女が、そんなに……わたしたちより大事かよ!」
違う。
菜々子は頭の中で否定する。
誰かより誰かの方が大事だなんて、ない。
お姉さまとチームのみんな、どっちが大切かなんて、比べられない。
菜々子にとっては、両方とも大切だった。
だが、それを言葉にできなかった。
いま、菜々子が何を言っても、嘘になってしまうから。
「……憧れてたのに!」
有紀が怒りに悲しみをにじませながら叫ぶ。
「尊敬していたのに……好きだったのに!
神姫を使って、好きな人を傷つけるなんて……最低だっ!」
有紀の言葉一つ一つが菜々子の心に突き刺さる。
有紀も涼子も、菜々子を慕ってくれるチームメイトだった。
菜々子は神姫マスターとしてもっともやってはならないことをしてしまったのだ。
彼女たちが裏切られたと思うのも当然だった。
「ご……ごめ……」
「謝らないで!」
反射的に口をついた謝罪は、涼子の怒声に遮られ、菜々子はびくり、と肩を震わせた。
涼子の声は、地の底から聞こえる呪詛のように響く。
「謝ったって許さない……絶対に許さない!!」
「ーーーーーっ!」
その言葉は菜々子の心を折るのに十分だった。
もう顔を上げることも、声を上げることさえ出来ない。
菜々子は床にはいつくばる以外に何も出来ない。
チームのみんなが、横を通り過ぎていく気配。
誰も声をかける者はいない。
ただ、背中に投げかけられる視線を感じた。
侮蔑、戸惑い、怒り。そうした感情がこもった視線が一瞬、菜々子の背中に突き刺さり、消えた。
足音が遠ざかる。
しかし、菜々子は、足音が消え去った後も、身じろぎ一つ出来なかった。
◆
夜の病院の待合室は静謐だった。
最小限の照明で薄暗く、ときどき、職員や見舞い客の気配がする。
昼間の活気は遠く、今は静かで穏やかで少し寒い。
その待合室の奥の隅。
菜々子はいつの間にか、奥まって目立たない位置にあった椅子に座り、身を隠すように背を丸めていた。
うつろな瞳からは、流れた雫の跡が頬へと続いている。
菜々子は思う。
わたしは間違っていたのだろうか。
だとしたら、何が間違っていたのか。
菜々子にとって、何が一番大切かと問われれば、それは「仲間」だった。
武装神姫を共に楽しむ仲間たち。
かつての『七星』、今のチーム・アクセルのメンバー、そして、遠征を続ける中で出会った神姫マスターたち。
菜々子にとって、誰も失いたくない、かけがえのない仲間だった。
その仲間たちの大切さ、仲間とともにいることの楽しさやかけがえのなさは、あおいが教えてくれたことだ。
だからこそ、菜々子は今も、あおいに仲間の輪の中にいてほしいと願う。
だが、仲間たちでそれを理解してくれる人はいない。
今の仲間と桐島あおい、どちらが大切なのか。
その問いを菜々子に投げかけたのは、先ほどの有紀だけではない。
『ポーラスター』の仲間たちにも、幾度となく尋ねられてきた。
その都度、菜々子は答える。
どちらも大切で比べようもない、と。ただ、あおいお姉さまが昔のように一緒にいてくれればいい、と。
それが菜々子の本心だった。
それは、とんでもないわがままだろうか? 途方もない高望みだろうか?
そもそも、仲間か憧れの人か、どちらかを選び、片方を切り捨てなければならないものなのだろうか?
だが、どちらも切り捨てられずにいるうちに、菜々子はどちらも失うことになってしまった。
どちらも大切にしてきたはずなのに、どうしてお姉さまも今の仲間たちも、そして愛する神姫さえも、わたしの元から去ってしまうのだろう?
愛した人さえも傷つけてしまうのだろう?
わからない。
わたしは何か間違っていた?
だとしたらどこで間違ったの? 何が間違っていたの?
結論のでない問いがループする。
暗い思考のループは、やがて渦を巻き、菜々子の心を少しずつ飲み込んでゆく。
開かれた瞳は何も見ておらず、光は徐々に失われてゆく。
……もう、このまま死んでしまえばいい。
そんな言葉が心に浮かび始めた頃。
「……菜々子! こんなところにいたの? 捜したわよ」
聞き慣れた声が近寄ってくる。
頼子さん。ぼやけた意識の中で、祖母の名前を呼ぶ。
頼子は菜々子の隣に腰掛けた。
菜々子は、呟くように、言う。
「頼子さん……わたしは、まちがっていたの……?」
「え?」
「みんな……みんな……たいせつだったのに……わたしからはなれていくよ……」
「菜々子……」
頼子は菜々子の頭に腕を回し、そっと抱き寄せた。
菜々子は力なく、頼子の肩にもたれかかる。
「なんで……? わたしはだれもきずつけたくないのに……みんなでいっしょにいたいだけなのに……なんできずつくの? なんでいなくなってしまうの? いつも、いつも……」
修学旅行から帰った後も、あの暑い夏の公園でも、そして今も。
求め、手に入れたと思っても、菜々子の手から滑り落ちてしまう、かけがえのない宝物。
「菜々子は間違ってなんかいないわ」
その時の頼子の声は、限りなく優しかった。
「わたしは、菜々子を信じている。他の人がどんなに菜々子を責めても、わたしはあなたの味方よ」
「……どうして?」
「家族だから」
頼子は即答した。
菜々子の肩を掴む手に力がこもる。
「あなたはわたしの、たった一人の家族だから。
あなたがいてくれて、今日までどんなに心強かったことか……。
菜々子の両親が……雅人と早苗が亡くなったとき、わたしも悲しくて悲しくて……もう立ち直れないと思った。もう死んでもいいかも、って思ったの。
でもね、あなたがいたから、わたしは死ぬわけにはいかなかった。忘れ形見のこの子を守り、育てなくちゃって。しっかりしなくちゃって、ね。
菜々子がいてくれて、本当に嬉しかった。家族がいてくれて、本当にありがたい、そう思ったの。
だから、助けてくれたあなたを、わたしは決して見捨てたりしない。わたしはずっと、あなたのそばにいるわ」
頼子さんは知らない。
菜々子が、たとえわざとでないにしても、遠野の命を奪おうとしたことを。
それを知っても、頼子は菜々子を許せるだろうか。
でも今は、頼子の温もりが何よりも暖かくて。
「……よりこさん……ありがと……」
菜々子の礼は弱々しかった。
だが、頼子さんの言葉で、暗い思考の渦を止めることは出来た。
菜々子はまた立たなくてはならない。この後、どんなことが待っているとしても、ずっとここで、うずくまっているわけにはいかないのだ。
ほんの少しだけ、気力を取り戻せた。
頼子は優しく微笑むと、不意に立ち上がる。
「それじゃあ、行きましょう」
「……どこへ?」
「あなたを待っている人がいるのよ」
頼子に手を引かれ、菜々子はよろけるように立ち上がった。
思考も身体も、まだぎこちない。縮こまっていたせいか、節々が鈍く痛む。
菜々子はふらつきながら、頼子の後を追う。
エレベーターに乗り、長い廊下を歩いていくと、個室の病棟に入った。
扉のいくつかを通り過ぎ、たどりついた個室。
代わり映えのしない扉の前で、菜々子は立ちすくんだ。
さっき、頼子さんが言っていたことは、嘘だ。
味方なんかじゃない。
なぜ、いま、この時に、わたしをここに連れてくるの。
菜々子は恐怖に身をすくませ、顔を凍り付かせた。
扉の横、患者の名前の表札。
『遠野 貴樹』
と書かれていた。
[[次へ>>]]
[[Topに戻る>>キズナのキセキ]]
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&bold(){キズナのキセキ}
ACT1-14「謝ることさえ許されない」
■
また。
また視界に映るすべてのものが灰色に見える。
わたしの目の前には、大きな鉄の扉。
人間の大人が一人で開けるのも大変そうな、重い扉。
その一番上にランプが赤く光っていて、それだけがわたしの目に色づいて見える。
ランプは文字を表示している。
『手術中』
……マスターはさっき、この扉の奥へ連れ込まれた。
港の倉庫街での一戦の後。
すぐに救急車が呼ばれた。
大城さんがマスターについて救急車に乗ってくれて、わたしを病院まで一緒に連れて来てくれた。
病院に着いて、お医者様の診察を受け、間をおかずに手術することになった。
当然だった。
救急車の中でうつぶせにされたマスターの、傷ついた背中。そして左手。
わたしが見たって、普通じゃない傷つき方。
救急隊員の人たちが言ってた。
命に関わる、って。
すぐに治療が必要だ、って。
マスターとわたしたちが乗った救急車は、大きな総合病院にやってきた。
到着してすぐ、マスターは準備された手術室に入り、わたしたちは閉め出された。
この分厚い扉の向こう。
マスターが今どんな様子なのか、わたしには知る由もない。
わたしは力なく、そびえ立つ鉄の扉に触れる。
わたしはレッグパーツを装着したままで、左の足首は壊れたまま。
レッグパーツを治してくれる手は……マスターの手は傷ついていて……もしかして、もう治すことはかなわなかも知れない。
「……いや……」
それどころか、この鉄の扉の向こうから、マスターが無事に戻ってこないことだって……あるかも知れない。
だって、命に関わるって、言っていた。
そうしたら、どうなってしまうだろう?
わたしはもうマスターの声を聞くことも、あの大好きな笑顔を見ることも出来ないままで。
ただ電池切れの時を待つだけ?
それとも誰か他のマスターの神姫になってしまう?
あるいはまたお店に戻されてしまう?
いずれにしても、もうマスターに会えないのだとしたら。
「……いやです……マスター……」
わたしにとって、マスターは『世界』そのものだった。
マスターがいてくれたから、世界に色が付いた。
マスターがいてくれたから、絆を紡ぐことができた。
マスターがいてくれたから、わたしは……幸せだった。
その幸せを手放さなくてはならない。
不意に、その想像がリアルに胸に迫った。
灰色に染まった視界の影が濃くなったように思える。
心が何かに掴まれて、ぎゅっと握られたように、苦しく、痛い。
マスターがいなくなる。わたしにとって、この上ない恐怖だった。
「いやだあああぁぁ……!」
なぜあのとき、わたしは動かなかったの。
ストラーフの爪を、この身体が裂かれても、止めればよかった。
マグダレーナのミサイルを、脚が砕けても、身を呈して防げばよかった。
そうすれば、マスターが傷つくこともなかったのに!
でも、そんな風に思ってももう遅い。マスターは大けがを負い、わたしはこうして不安に泣き叫ぶことしかできないでいる。
◆
「なんでこんなことになっちまうんだよ……」
泣き崩れるティアの肩を抱きながら、虎実は悔しげに呟く。
虎実には何も出来なかった。
現場に着いたときには、すべて終わっていたのだ。
虎実が見たのは、遠野がゆっくりと倒れるところだった。
その後、救急車が来るまでの間、半狂乱になったティアを抱きとめていた。
救急車の中で、遠野の胸ポケットにミスティがいることに気付いたのも虎実だった。
ミスティはずっと、電池切れのように眠ったまま動かなかった。ミスティが意識を取り戻したのは、遠野が手術室に入った後のことだ。
虎実は無力感に苛まれる。
ティアもミスティも、一番の友達であり、ライバルだと思っていた。
その友人たちが大ピンチの時に、虎実は何もしてやれなかった。
いま泣き続けるティアの肩を抱いているだけが精一杯。
もう、彼女の涙なんて見たくないというのに。
なんでティアはまた泣かなくてはならないのか。
「なんで、アタシは……こんなに役立たずなんだよ……!」
肝心なときに、いつも、何の役にも立てない。虎実にはそれが泣きたくなるほど悔しかった。
ティアの肩を抱きながら、唇を噛みしめる。
そんな虎実とティアを見て、ミスティもまた無力感に苛まれる。
貴樹の左手のケガは、ミスティに原因がある。
貴樹の胸ポケットにミスティがいなければ、貴樹自身が狙われることもなかったのだ。
親友であるティアにとって、マスターの貴樹がどんなに大切か、どんなに依存しているのか、よく知っている。
だからこそ、自分のせいで貴樹が傷ついたことに、責任を深く感じていた。
しかも、そのケガは、自分のマスターが別の神姫に命じて負わせた……いや、正確には、ミスティを破壊しようと攻撃してきたのだ。
神姫が自らのマスターに命を狙われる。
その事実はあまりにも悲しい。
自らの深い悲しみと重い責任の板挟みになり、ミスティは寄り添うティアと虎実を見ながら立ち尽くす。
「……ナナコ……どうすればいいっていうのよぉ……」
いつも自信たっぷりなミスティの、それは初めて口にした泣き言だった。
◆
悲嘆にくれる神姫たちを、大城大介は直視できずにいた。
ティアの泣き声、虎実の呟き、ミスティの嘆き。それらに耳をふさぐこともできず、ただ、手術室前の簡素なソファに腰掛けてうつむき、ただただ、手術が終わるのを待つしかなかった。
あのとき、パトカーを引き連れてきた大城は、予定の時間を大幅に超過していた。
理由は単純で、警察の説得に難儀したのである。
大城は、やんちゃはやめたと嘯いてはいるが、見た目はまったくヤンキーと変わらない。
時間を見計らい、近所の警察署のMMS犯罪担当のところにタレコミに行ったはいいが、逆に裏バトルの主催とのつながりを疑われ、弁明に時間を費やした。
なんとか警察を説得して、パトカーを出してもらったときには、すでに遠野との約束の時間をオーバーしていた。
現地に着くまで、遠野たちが無茶をしていないか心配していた。
心配は的中し、大城の予想を超える事態になっていた。
大急ぎで救急車を呼び、ティアとミスティを回収、遠野について救急車に乗り、病院へ向かう。
茫然自失になっている菜々子も心配ではあったが、そちらは彼女の祖母がいたので、全面的に任せることにした。
彼女たちは警察に連れて行かれたらしい。
病院に着くと、遠野はすぐに救急治療室に運ばれ、そしてすぐさま手術室に移された。
そして今、大城は手術室の前で、まんじりともせずに待っているというわけだった。
あのとき、一体何があったのか。
その場に居合わせた人物たちも神姫たちも、語る状況にない。
だから彼は、自分で見た状況で判断するしかなかった。
大城は大きな疑問を抱いている。
いくらリアルバトルだからといって、遠野が瀕死の重傷を負うなんて、おかしくはないか?
バトルロンドは確かに面白くて奥深く、真剣に遊ぶゲームだ。
だが、所詮ゲームなのだ。
なぜそこにマスターの命のやりとりが加わってくるのか。
大城はどうしても納得できない。
(遠野が死んじまったら……俺は菜々子ちゃんを許せないかもしんねぇ……)
最後にはそんなところまで、考えが行き着いてしまう。
大城は暗い瞳のまま、悶々と考えを巡らせ続けていた。
そこに、足音が一つ聞こえてきた。
規則正しい靴音は、迷わず真っ直ぐに、この行き止まりの手術室前へと向かっている。
足音が大城のすぐそばで止まった。
うつむいた大城の視界に黒い革靴が目に入った。ビジネス向けの革靴とスラックスの裾。大人の男と思われるが、今こんなところに現れる人物に心当たりがない。
大城はゆっくりと顔を上げる。
暗い目で無愛想な表情をした大城は、さぞかしおっかない顔をしていたであろう。
しかし、その男性は少し眉をひそめただけだった。
「貴樹の友人にしては珍しいタイプのようだが……君は貴樹の友達かね?」
「……え?……ああ、奴とはマブダチだけどよ……あんたは?」
初対面の相手に随分と失礼な物言いだ。大城の返事も、ついぞんざいな口調になる。
スーツをきっちり着こなした、大人の男だった。年の頃は四○歳を越えているだろうか。ここにいるにはあまりに場違いな人物のように、大城には思えた。
いぶかしげな大城の視線を受け流し、男性は短く答えた。
「父親だ」
その答えに、大城は世にも間抜けな表情を返してしまった。
◆
倉庫街のリアルバトルから一晩が明け、昼近くなってようやく解放された。
久住菜々子は茫然自失の状態のままで、取り調べはもっぱら久住頼子が答えていた。
頼子は事件の詳細を適当にでっち上げた。
頼子と菜々子、遠野の三人で倉庫街を歩いていたところを、目出し帽をかぶった人物に襲われた。相手は神姫マスターで、武装神姫をけしかけてきた。
身の危険を感じ、仕方なく応戦した。
結果、神姫たちの被害は甚大、もうだめかと思ったその時、遠野が連絡した友人の大城が、警察を連れて来てくれたのだ。
相手の神姫マスターは泡を食って逃走した。
その神姫マスターに、頼子は面識がない。おそらく、菜々子も遠野も大城もないだろう。
単なる通り魔の神姫だったのだ。
あきらかに適当な作り話だったが、こちらは被害者だという主張を押し通した。
取り調べの刑事たちは当然疑っていた。
朝になって再開された取り調べの際に、頼子は仕方なく切り札を切った。
知り合いの刑事に連絡を入れたのだ。かつてMMSがらみの事件に首を突っ込んだときに、担当だった刑事は本庁のMMS公安勤務だった。
彼は快く身元引受人を引き受けてくれ、すぐに頼子が留置されている所轄の警察署までやってきてくれた。
すると、取り調べていた刑事たちは手のひらを返すような態度となり、頼子と菜々子は早々に釈放されたのだった。
「あんまり無茶言わんでください。こっちも忙しいんですよ」
「でも、これであのときの貸し借りはチャラってことでいいでしょ? たっちゃん」
「……これでチャラなら、お安いご用ですが、ね」
頼子は隣で缶コーヒーをすする、年若い刑事に微笑んだ。
地走達人は苦笑しながら首を振る。彼は警視庁MMS犯罪担当三課所属の刑事で、日々MMS関連の凶悪事件を追っている。
頼子と地走は、とある武装神姫がらみの事件で知り合った。ファーストリーグも二桁ランクの神姫マスターともなれば、事件の一つや二つ、巻き込まれるものである。
その時に頼子と三冬が活躍し、事件を解決した。地走とはその時以来の付き合いである。
「その呼び方をするのは、神姫屋やってる古い友人と、あなたくらいですよ」
「その堅い表情やめるといいわ。そしたら、たっちゃんて呼び名も似合うし、もてるから」
「やめてください」
地走刑事は苦笑した。
出会った頃から、頼子はこんな調子である。にこやかに笑いながら、難局を切り抜けるような女性だった。
その彼女が自分に助けを求めて来るというのは、よほどに差し迫った事態なのだろう。
まさか警察のやっかいになっているとは思わなかったが。
それでも、頼子が道にはずれることをするはずがない。地走にそう信じさせるほど、頼子への信頼は深かった。
だからこそ、彼女の「別のお願い」も素直に聞き届けてしまう。
しかし、一警察官として、堂々と機密情報を漏らすわけにはいかない。
「まあ、これは独り言なんですがね……」
地走刑事はとってつけたような前置きをして、話し出す。
「あの神姫……『狂乱の聖女』を秘密裏に追っかけてる組織があるんですよ」
「組織?」
「ええ。あんまり大手なもんで、そこが動くときには、うちもマークしてるんですが……」
「どこなの?」
「亀丸重工」
さすがの頼子も絶句する。
それは、国内でも屈指の財閥グループの、中心企業の名前だった。
◆
夕方。
菜々子は病院にいた。心療内科での診察が終わり、待合室のソファに所在なく座っている。
ここ数日の記憶は曖昧だった。
昨日の夕方、倉庫街でリアルバトルした理由も思い出せない。
はっきり覚えているのは、機械の目だけが露出したのっぺらぼうの神姫をなぜかミスティと思いこんでいたことだけ。
耳元で貴樹が叫んでくれたから、そこは覚えていた。
だが、その後のことはやはりよく覚えていない。
気が付いたときには取調室のドアが開いて、頼子さんが迎えに来てくれた。
そして、自分が今どこにいるかも分からぬまま、病院に連れてこられて、問診を受けていた。
一体、自分はどうしてしまったというのか。この数日、特に昨日の夕方、何があったのか。
ミスティはどうしているだろう?
お姉さまは、貴樹は、今どうしているだろうか?
チームのみんなや、『ポーラスター』の仲間たちは?
菜々子は漠然とそんなことを考えながら、夕暮れの赤い日差しの中で佇んでいた。
「……菜々子ちゃん、か……?」
野太い声が、菜々子の耳に届いた。
菜々子はゆっくりと声のした方に顔を上げる。
「……大城くん……みんな……」
菜々子はゆっくりと立ち上がる。
菜々子の視線の先で、大城は複雑な表情をしていた。
それから大城の背後には、シスターズの四人と、安藤智也の姿も見えた。
八重樫美緒は花束を抱いている。
誰かのお見舞い、だろうか。
そう思ったとき。
チームメイトの一団から、蓼科涼子が素早く抜け出した。
菜々子に向かって駆けてくる。
前に来た、と思った瞬間、菜々子の身体は衝撃を受けて、床に倒されていた。
右頬に熱い痛みがある。口の中に鉄の味が広がった。
「涼子!?」
「ちょっ……やめろ、蓼科っ!」
緊迫した声。
菜々子は振り向いて見上げる。
まるで鬼のような形相をした涼子を、安藤と大城が両脇から羽交い締めにしている。
菜々子は涼子に殴られた。武道をやっている涼子の打撃だ。一発殴られただけで転ばされるほどの威力があった。
だが、涼子はそれでもまだ納得が行かないようで、転んでいる菜々子にさらに襲いかかろうとして、仲間に押さえられている。
……なぜ涼子ちゃんは、こんなに怒っているんだろう。
菜々子は漠然と思う。
涼子が辺りもはばからずに大声で怒鳴りつけた。
「あんた……なんてことしてくれたのよ!
あの人の手はね! ティアのレッグパーツを作った手なのよ!? 涼姫の装備を作ってくれた手なのよ!?
それを……リアルバトルで神姫けしかけて大ケガさせるなんて……腕が動かなくなるかも知れないのよ!?
信じられない!」
涼子の言葉に、菜々子は愕然とする。
思い出した。
あの時何をしたのか。
耳から聞こえる声に導かれて、ストラーフに抜き手を打たせた。
ミスティを破壊するために。
もし、遠野の左手がそれを阻んでいなければ。
ミスティもろとも、彼の心臓まで貫いていたはず。
つまり……自分の神姫と一緒に、愛する人の命さえ奪おうとした!
いま初めて認識する事実は、菜々子にはあまりに重く、そして痛い。
うなだれて表情を見せない菜々子に、有紀が追い打ちをかける。
「なんでだよ……遠野さんは恋人だろ?……なのになんで、あんな女のいいなりになって……大事な人を傷つけて……あの女が、そんなに……わたしたちより大事かよ!」
違う。
菜々子は頭の中で否定する。
誰かより誰かの方が大事だなんて、ない。
お姉さまとチームのみんな、どっちが大切かなんて、比べられない。
菜々子にとっては、両方とも大切だった。
だが、それを言葉にできなかった。
いま、菜々子が何を言っても、嘘になってしまうから。
「……憧れてたのに!」
有紀が怒りに悲しみをにじませながら叫ぶ。
「尊敬していたのに……好きだったのに!
神姫を使って、好きな人を傷つけるなんて……最低だっ!」
有紀の言葉一つ一つが菜々子の心に突き刺さる。
有紀も涼子も、菜々子を慕ってくれるチームメイトだった。
菜々子は神姫マスターとしてもっともやってはならないことをしてしまったのだ。
彼女たちが裏切られたと思うのも当然だった。
「ご……ごめ……」
「謝らないで!」
反射的に口をついた謝罪は、涼子の怒声に遮られ、菜々子はびくり、と肩を震わせた。
涼子の声は、地の底から聞こえる呪詛のように響く。
「謝ったって許さない……絶対に許さない!!」
「ーーーーーっ!」
その言葉は菜々子の心を折るのに十分だった。
もう顔を上げることも、声を上げることさえ出来ない。
菜々子は床にはいつくばる以外に何も出来ない。
チームのみんなが、横を通り過ぎていく気配。
誰も声をかける者はいない。
ただ、背中に投げかけられる視線を感じた。
侮蔑、戸惑い、怒り。そうした感情がこもった視線が一瞬、菜々子の背中に突き刺さり、消えた。
足音が遠ざかる。
しかし、菜々子は、足音が消え去った後も、身じろぎ一つ出来なかった。
◆
夜の病院の待合室は静謐だった。
最小限の照明で薄暗く、ときどき、職員や見舞い客の気配がする。
昼間の活気は遠く、今は静かで穏やかで少し寒い。
その待合室の奥の隅。
菜々子はいつの間にか、奥まって目立たない位置にあった椅子に座り、身を隠すように背を丸めていた。
うつろな瞳からは、流れた雫の跡が頬へと続いている。
菜々子は思う。
わたしは間違っていたのだろうか。
だとしたら、何が間違っていたのか。
菜々子にとって、何が一番大切かと問われれば、それは「仲間」だった。
武装神姫を共に楽しむ仲間たち。
かつての『七星』、今のチーム・アクセルのメンバー、そして、遠征を続ける中で出会った神姫マスターたち。
菜々子にとって、誰も失いたくない、かけがえのない仲間だった。
その仲間たちの大切さ、仲間とともにいることの楽しさやかけがえのなさは、あおいが教えてくれたことだ。
だからこそ、菜々子は今も、あおいに仲間の輪の中にいてほしいと願う。
だが、仲間たちでそれを理解してくれる人はいない。
今の仲間と桐島あおい、どちらが大切なのか。
その問いを菜々子に投げかけたのは、先ほどの有紀だけではない。
『ポーラスター』の仲間たちにも、幾度となく尋ねられてきた。
その都度、菜々子は答える。
どちらも大切で比べようもない、と。ただ、あおいお姉さまが昔のように一緒にいてくれればいい、と。
それが菜々子の本心だった。
それは、とんでもないわがままだろうか? 途方もない高望みだろうか?
そもそも、仲間か憧れの人か、どちらかを選び、片方を切り捨てなければならないものなのだろうか?
だが、どちらも切り捨てられずにいるうちに、菜々子はどちらも失うことになってしまった。
どちらも大切にしてきたはずなのに、どうしてお姉さまも今の仲間たちも、そして愛する神姫さえも、わたしの元から去ってしまうのだろう?
愛した人さえも傷つけてしまうのだろう?
わからない。
わたしは何か間違っていた?
だとしたらどこで間違ったの? 何が間違っていたの?
結論のでない問いがループする。
暗い思考のループは、やがて渦を巻き、菜々子の心を少しずつ飲み込んでゆく。
開かれた瞳は何も見ておらず、光は徐々に失われてゆく。
……もう、このまま死んでしまえばいい。
そんな言葉が心に浮かび始めた頃。
「……菜々子! こんなところにいたの? 捜したわよ」
聞き慣れた声が近寄ってくる。
頼子さん。ぼやけた意識の中で、祖母の名前を呼ぶ。
頼子は菜々子の隣に腰掛けた。
菜々子は、呟くように、言う。
「頼子さん……わたしは、まちがっていたの……?」
「え?」
「みんな……みんな……たいせつだったのに……わたしからはなれていくよ……」
「菜々子……」
頼子は菜々子の頭に腕を回し、そっと抱き寄せた。
菜々子は力なく、頼子の肩にもたれかかる。
「なんで……? わたしはだれもきずつけたくないのに……みんなでいっしょにいたいだけなのに……なんできずつくの? なんでいなくなってしまうの? いつも、いつも……」
修学旅行から帰った後も、あの暑い夏の公園でも、そして今も。
求め、手に入れたと思っても、菜々子の手から滑り落ちてしまう、かけがえのない宝物。
「菜々子は間違ってなんかいないわ」
その時の頼子の声は、限りなく優しかった。
「わたしは、菜々子を信じている。他の人がどんなに菜々子を責めても、わたしはあなたの味方よ」
「……どうして?」
「家族だから」
頼子は即答した。
菜々子の肩を掴む手に力がこもる。
「あなたはわたしの、たった一人の家族だから。
あなたがいてくれて、今日までどんなに心強かったことか……。
菜々子の両親が……雅人と早苗が亡くなったとき、わたしも悲しくて悲しくて……もう立ち直れないと思った。もう死んでもいいかも、って思ったの。
でもね、あなたがいたから、わたしは死ぬわけにはいかなかった。忘れ形見のこの子を守り、育てなくちゃって。しっかりしなくちゃって、ね。
菜々子がいてくれて、本当に嬉しかった。家族がいてくれて、本当にありがたい、そう思ったの。
だから、助けてくれたあなたを、わたしは決して見捨てたりしない。わたしはずっと、あなたのそばにいるわ」
頼子さんは知らない。
菜々子が、たとえわざとでないにしても、遠野の命を奪おうとしたことを。
それを知っても、頼子は菜々子を許せるだろうか。
でも今は、頼子の温もりが何よりも暖かくて。
「……よりこさん……ありがと……」
菜々子の礼は弱々しかった。
だが、頼子さんの言葉で、暗い思考の渦を止めることは出来た。
菜々子はまた立たなくてはならない。この後、どんなことが待っているとしても、ずっとここで、うずくまっているわけにはいかないのだ。
ほんの少しだけ、気力を取り戻せた。
頼子は優しく微笑むと、不意に立ち上がる。
「それじゃあ、行きましょう」
「……どこへ?」
「あなたを待っている人がいるのよ」
頼子に手を引かれ、菜々子はよろけるように立ち上がった。
思考も身体も、まだぎこちない。縮こまっていたせいか、節々が鈍く痛む。
菜々子はふらつきながら、頼子の後を追う。
エレベーターに乗り、長い廊下を歩いていくと、個室の病棟に入った。
扉のいくつかを通り過ぎ、たどりついた個室。
代わり映えのしない扉の前で、菜々子は立ちすくんだ。
さっき、頼子さんが言っていたことは、嘘だ。
味方なんかじゃない。
なぜ、いま、この時に、わたしをここに連れてくるの。
菜々子は恐怖に身をすくませ、顔を凍り付かせた。
扉の横、患者の名前の表札。
『遠野 貴樹』
と書かれていた。
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