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この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(中)

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この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(中) ◆JvezCBil8U



《 Midvalley The Hornfreak -音界の覇者- 》


数十メートルで行われていた、訳の分からない取り引きを見届ける。
先刻出会った子供が何やら説明していた気もするが、理解しようとする気など起きはしない。
ケイタイとやらの端末を互いに渡し合い、至極詰まらない会話を交わし、
端末の挙動を確認し、そのまま互いに背中を向け、静かに離れて――、
その終わりは、実にあっさりとしたものだった。

終わったのは取引じゃない。
全部だ。
全部、全部、全部……、そう、全部だ。

「……おい、嘘だろ」

ダブルファングの呆然とした声。
それに俺も、似たような感情を得る。

崩壊は、常に一瞬だ。

絶望という親友は、俺を見放すことなくいつもいつも親切に面倒を見てくれる。
全く、嫌になるほど素晴らしいセッションだ。

ああくそ、そうだ。俺はよく知っていたはずじゃあないか。
これが、これこそが運命だ。
鋼鉄の処女にも劣る最低で最悪な、絶対に逃れる事の出来ない首枷だ。

彼奴の名前を、俺の口は勝手に紡ぐ。


悠然と、泰然と、轟然と。

誰もが気付かないうちにそこにいたにもかかわらず、圧倒的な存在感を持つ男。
誰が見間違うものか、自分を殺した男を。
相も変わらず凄惨なほどに狂った笑み。闇よりもなお黒く燃える炎を押し込めたその瞳。

俺に諦念を刻み込んだ時の姿のまま――、いや、その時よりもなお禍々しくさえ感じる風貌だ。
どういう仕掛けか、まともに動かないはずの体を強く強くただ強く暴力の気配を纏わせて、あの男はひた動かしている。
トラックの中心に向けて、ただ歩く。

俺をGUNG-HO-GUNSにブチ込むきっかけとなったこの耳が、皮肉にもヤツの言葉を逐一俺にプレゼントしてくれていた。
その言葉は直接俺に向けられたものではないというのに、いとも簡単に俺の心をまた折った。


「果たして――君達は僕のこの忠誠を示すに値する強者だろうか。
 そうである事を僕は欲するし、そうでないなら汚い肉と血と化すべきだ。
 ……踊ってくれ、僕の手で。僕の力で」

――もう何もかもがどうでもいい。
結局俺は、くそったれの神様に汚物のような愛を注がれているのだろう。

「そんな、馬鹿な。襲撃は12時ちょうどのはずじゃ……」

上擦った囀りがとてもやかましかった。
よくもまあ悪夢そのものを目の前にして、こうまで五月蠅くいられるものだ。

「く……! 雪輝君の無事が保証されてるからと、襲撃者の正体を楽観視していました。
 そもそも襲撃者の情報が我妻さんから伝えられてなかったのが致命的すぎる!
 雪輝君はどうにかして助かるにしても、これでは歩さんが……!」

首を振り、今はそれどころじゃないと口にする子供を――、俺は養鶏場の鶏を見る目で見下ろしている。

「リヴィオさん、彼らの救出を――!」

「分かってるッ、くそ、最悪の相手だ!」

駆けだしていくダブルファングのその先を向くまでもない。
筋肉の異常な軋みが告げている。餓鬼どもはとうにあの男の支配下だ。

発射音が届く。
奴の杭打機から飛翔する特大の弾頭は、甘い事に脚狙い。
……よほど温い世界に浸ってしまったか、ダブルファング。
殺す気であったならば、一糸くらいは報い得たかもしれんのに。

「……ダブルファング。よもやここで出会うとはね。
 だが――、」

グルリと人形めいた動きで首を回したブルーサマーズは、一歩動いただけで奇襲の一撃を避けきった。
だからこれで、唯一の勝機は潰える。
たとえ殺す気であったとしても――、そんなものがあったかは定かでないが。

魔人は、正門の陰から駆けだしたかつての手駒に顔色一つ変えず対処する。
あたかもそれは、水溜りを避けて進む手間と同じ程度の面倒臭さだと言わんばかりに。

「トリップオブデスならいざ知らず、貴様では力不足だというのが分からないかい?
 背信者には芥も残さず消えてもらうとしよう。
 あのお方に牙を剥くなど、屈服のあまりにただ逃げようとする愚者より救い難い」

……そしてまた、一人。

「逃げろ、あんた……!」
「く、ぅぅぅううぅぅ……っ! 一体何が起こってるんだよぉっ!」

餓鬼どもが喚く最中、虫が一匹蜘蛛の糸に絡め取られていく。
棒立ちになったダブルファングは、でかい図体のおかげで実に見事な案山子となった。

「……どうして……ッ、俺は、くそぉ……ッ」

「リヴィオ、さん――ッ!」

分かりきった寸劇だ、予定調和にも程がある。
これを演じるというならば、逆に金を払ってさえ見物客はつくまい。
笑いのネタとして見るならばそれなりかもしれないが。

如何にダブルファングがヒトを超えた力を持っていても、あの男の技には逆らえない。
それは、タンパク質で構成された肉体を持つ存在ならば避けえないことだ。
あのプラントさえ制御し得るそれの前では、俺達はただ蹂躙されるのみ。

そうだ。
もう、どうにもなりはしない。


たとえ今この俺の手の中に、ようやく取り戻した愛用のサックスがあるのだとしても。


こいつと引き換えにする代わりに、杭打機と仕組みも分からない妙な棒きれを手放した。
そんな小さな事で少しだけ落ち着きを取り戻していた自分があまりにも矮小で惨めに思えて仕方ない。
……だから。

「そうか、そういう事か。我妻さんか……っ!」

この子供が何に思い至ったのか、それだってどうでもいい事だ。

どうせ、俺がこいつらに同行したのは消極的な理由によるものでしかない。
ダブルファングとの交戦を避けるためと、俺自身の情報を流布されないため。
要するに、面倒事を避けるためだけだった。

その程度の理由なぞ、無慈悲なだけの現実の前では塵の如く霞む。

結局――、俺のする事など最初からこれしかなかったのだ。


せめて何を理解する事もなく逝け、少年。

唇をマウスピースに触れさせれば――、


「……か、ッ!!」


最後の声さえ打ち消され、探偵を名乗る子供は地面に眠る。
本当に、実にあっけないフィナーレだ。

……やれやれだ。つまらない小細工ばかりしてくれたな。
だが、今度こそ――終わりだ。もう兎の逃げる道はない。
あの時のように、頼みの綱のダブルファングの助けも入る事はない。

これもまた運命だろう。
お前達と俺が出会った時点で決定された、避けえない結果。
俺の枷にならんとして同道を申し出るなど、思い上がりに過ぎなかったわけだ。

恨むなよ、少年。その矛先を向けるべきは自らの慢心なのだから。
あるいは――、襲撃者がレガート・ブルーサマーズであったその運命こそが、真に唾棄すべき事実だったかもしれない。


「ホォォォォンフリィィィィイィクゥゥッ!」


少し遠くから聞こえるのは、悔しさと怒りの入り混じったダブルファングの咆声。
……音は相殺可能であろうと、俺は視覚まで自在にすること能わない。

だからそれが紛れもない失策だった事を悟るのは、既に手遅れとなった後だった。
ぞくりと体が芯から震える。
凍てつくような悪寒の正体は考えるまでもない。
気持ちの悪い汗が滝のように流れる最中、俺はただ自嘲の笑みを浮かべるのみ。

狂信者の昏い眼が、嘗めつけるように俺を串刺しにしていた。

否が応でも悟らされる。
俺は永遠に被食者なのだ、と。

ゆっくりと、絶望が唇を動かしていた。

こ・ん・ど・は・か・し・づ・く・だ・ろ・う・?

音界の覇者――、と付け足して、その口元がニィ……、と歪んだ。

自分の意思とは無関係に、俺の脚は気付かぬうちに背後に歩を進めている。
睨まれれば、ただ逃げる事しか思い浮かばない。
……惨めだった。

そして気付く。
〝制限”のおかげか、あの男の支配がここまで及んではいない事に。
だからその場にへたり込み、地面に尻を吐いて――動けなくなってしまった。

それは安堵であり、どうしようもない敗北主義の負け犬根性からくる代物で。

「く、くく……はは、ははは……。
 はは、はははははははっ! ははははははははは!
 無様だなあ、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク!」

――泣きたくなるほどに滑稽な、道化者の末路がそこにあった。
俯き地面を向いて、ただ自分を笑う。
笑って、嗤って、哂って、嘲って――、どれだけ経ったろう。
おそらく数十秒だったろうが、それは無限に等しい自傷の時間だった。
死んだ魚の目のままに顔を上げる。


そしてそこに、俺は、全く信じられない光景を見た。

笑う事さえできない、完全な静止。

何故、どうして。

あの少女は――、



「あはっ♪」



――ブルーサマーズの支配圏にも拘らず、自らの意思で動いている……!?


愕然とした顔で、ブルーサマーズはその少女を見つめている。
絶対の信を預ける自らの技が通じない異常中の異常に、目を大きく開いている。
そんな、一度たりとも他人に許した事のないはずのブルーサマーズの表情すら意識に留まらない。
俺はただその光景に打ちのめされるだけだった。

少女はひらひらと舞い踊るように、整い過ぎて怖気のするステップを踏み続けている。

この耳が、そこで何が起こっているかを教えてくれた。


あの少女は直感と異常なほどの察知能力だけで、ブルーサマーズの糸を全て掻い潜っている――!


「待っててねユッキー。私はずっと、この時を待ってたんだよ」

極めつけのイレギュラー。現実の光景とは思えない狂気の剣舞。
その在り様は醜悪なまでに歪で、それ故に奇妙な美しさを見るものに感じさせていた。

「だって――、」

慈愛に満ちた聖母の笑みを浮かべ、ブルーサマーズに勝るとも劣らない異形の精神がトン、と大地を蹴る。

「全員の動きが一斉に止まるこの時こそ、あいつを始末するチャンスなんだから」

上半身を下げた低い疾走体勢を維持したまま、ひたすらに糸を回避し続ける。
ブルーサマーズの事など一切眼に入っておらず、ただ愚直なまでに自分の意志を成し遂げんとする。

「雪輝日記を取り返す、絶好のチャンスなんだから――!」


彼女の言動を聞き入れたその瞬間、訳の分からない恐怖が湧き起こる。
胸が、苦しい。
どうしてかと思ったら、息をしていなかった。
体が完全にそれを忘れていた。

……この、少女は。
“あの”ブルーサマーズが乱入する事を知って、逃げるのでもなく利用すらした……とでもいう、のか?
あんな……小さな端末の為だけに、こんな狂気を平然と行ったとでもいうのか!?

それを成し遂げるとするならば、それは最早人間の所業ではない。
魔人の範疇ですらない。

……怪物だ。

壊れた笑みを崩さぬままに、怪物は疾駆する。
大刀を振り上げて、突き進む。
あまりに無力なたった一人の少年の下へと。
ピアスをしたただの少年は、覚悟でもしたかのようにぎゅう、と瞳を閉ざす。

その顔は戦場でこそ見覚えのあるものだ。
故に、確信した。

間違いない。
あの少年は死ぬ。
あの少女に殺される。

心音から分かる。
あの少年は、この事態を――少女が己に殺意を向ける事を、想定していたはずだ。
どういう推論からかは分からないが、襲撃者さえ利用して己を消そうとする事を、理解していたはずだ。

だが、そこに一つ誤算があったのだ。
それこそ即ち、襲撃者がレガート・ブルーサマーズであったこと。
襲撃者があの男でさえなければ、切り抜ける手筈が整っていたのだろう。
その為の策をいくつも用意しておいたのだろう。
されど、指一つ動かせないという未知の暴力が故に――、全ての備えが意味が為さなくなった。

――運命が、少年の死を望んでいる。
俺にはそうとしか思えない。

それでも、きっ、と眼を見開いた少年の顔には、足掻けるだけ足掻く人間の表情が刻まれていた。
目前の死を認めながらも、ただ仕方ないと甘んじて受け入れるのではない――泥に塗れた者しかできない眼。

だが、音は全てを語る。
心理、感情、身体能力、行動意図。
少女の実力と少年の状況を考えるならば、不可避の死こそ自明の理。

どれだけ少年が生の為に尽力しようとも、この運命は覆せない。


『その人は、自分を信じているわけでもなく、ただ負けてたまるかと意地を張ってるだけです。
 でも、決して諦めることなく、人の手ではどうしようも無い運命に立ち向かっています』

何故か――、この場で初めて声を交わした、あの女の言葉が脳裏に響いた。
そら見た事か、どれだけ諦めなくとも全ては無為だ。

『その人はあらゆる絶望を与えられて、なおうつむかない覚悟をしているんです。
 これは怖いですよ。そんな人、いったいどうすれば倒せるんですかね』

簡単だ、暴力で蹂躙すればいい。
それだけの話だ。

「駄目だ、由乃――!」

痛みに顔を引き攣らせていたもう一人の少年が、悲痛な叫びを上げる。
だがもう遅い。動き出した流れは止まらない。

少年の運命は死に収束する。
どれだけ立ち向かっても、再演は始まらない。


始まるはずが、ない。


その時だった。
白き鷹が、眼前を掠めて翔けたのは。



《 Griffith -落日の国の白き鷹- 》


機は熟した。
オレの求める力が、あの場にこそ集っている。

遥かな空から視線を向ける先は一人の少年。

彼を救う事こそが、更なる高みに繋がる道。
だからオレは邁進しよう。
愛しき仲間たちと共に、戦場を駆け抜けた時のように――、

風となって、飛んだ。

青の世界から茶の世界へと、身を浸す。
霞み、滲む景色と身を切る大気に快を得る。

この手に未来を抱き抱える為に。



――事態の全ては、鳴海歩の予測通りに進んでいた。
空から睥睨する限りではそのように見える。
あの少年は、このオレでさえ脱帽するほどに頭が切れる。
……素晴らしい。手に入れたいと、ただそう思う。

鳴海歩が我妻由乃の意図を看過したのは、彼女と電話で最後の交渉をした時だ。
『襲撃によって12時ちょうどに雪輝が死亡する』と我妻由乃は告げていた。
それはあたかも12時ちょうどに襲撃があるかのような言い回しで、敢えて意識しなければ誰もそれを疑わないだろう。

おそらく我妻由乃は嘘はついてはいなかったろう、天野雪輝に不信感を持たれない為にも。
しかし、実際に襲撃があったのは今現在――11:50だ。
要するに、襲撃があってから本来雪輝が死ぬまでの時間のタイムラグを利用し、鳴海歩を嵌めようとしていたのだ。
最初から我妻由乃が雪輝日記を取り戻す為に行動する事を前提で考えていたからこそ、鳴海歩はその可能性に思い至る事が出来た。

……本来ならば、協力者と聞く秋瀬或とやらにこの事を伝えるべきだったのだろう。
だがそれをしなかったのは、最悪の可能性として秋瀬或達が襲撃者そのものであるケースを疑っていた為だ。
取引の時間を知っているのは鳴海歩とオレ、天野雪輝と我妻由乃、そして第三者である秋瀬或たちだけであり、
偶然危険人物が介入をしてくるのでないとしたら、間違いなく秋瀬或の手引きが背後に存在すると推測できる。
実際の襲撃者が秋瀬或と繋がりがあるか否かは現時点では不明確であり、検証の必要があるだろう。

……そして鳴海歩は、本来の10分前という一方的な時間変更を呑んだことで、向こうの計略を看過した事を気付かれないようにする。
全く以って頭の回転が速く、加えて底意地も悪い。

なぜならあの僅かな交渉時間で、鳴海歩は罠を仕掛けてさえいたのだから。


未来日記とやらの性質上、交渉を10分前にするのを了承した事で未来が書き変わったはずだ。

この時『オレが天野雪輝の味方であり、いざという時にその命を襲撃者から助ける』という事態を想定に組み込んでおく事で、
予知の記述上ではオレの存在がアピールされると鳴海歩は推測した。
本来の未来では襲撃者の手で天野雪輝の命が消されている以上、その事態を防ぐキーとして、彼らはオレを受け入れざるを得ない。

そして秋瀬或曰く、未来日記は主観情報を反映するという。
……つまり。オレが鳴海歩の仲間であるという情報は、口を滑らせない限り決して伝わらない。
鳴海歩は交渉の時点で既に警戒されている為、オレが天野雪輝たちに仲間として入り込む――、それが鳴海歩の罠だった。

つまり、命を救った恩によって天野雪輝たちと強い協力関係を作る駒。
鳴海歩はそうオレを盤上に配置した訳だ。
主導権を握られるのはいささか不満だったが、確かにこれは全員にメリットのある策ではあった。

……鳴海歩を守るものがおらず、身一つの彼が命を危険に曝すこと以外は、だったが。
自らの生を張った策に反対する理由もなく、オレは彼に乗る事にした。

鳴海歩がどうやって我妻由乃と襲撃者から身を守るのかは聞いていない。
ただ、それについてもいくつも手は打っているのだろう。
それにしてもリスクが高すぎるのは事実であり、だからこそ強い興味が彼自身に湧く。

だからかもしれない。
オレは先刻、彼に一つ問いを投げかけた。
内容は、何故――、

『何故君はオレの助けすら振り解き、自らの命を投げ出そうとする?
 オレには自己犠牲に酔っているとしか思えないんだがな。
 ……偽善の果てに掴めるものなど、そこにつけこむ浅ましい豚の視線だけだ。
 己の為に生きてこその命だろう。少なくともオレは、オレ自身の夢の為に前へと進む。
 遥かな高みに手を届かせられると信じてな』

 『……さあ、何故だろうな。
  一つ言えるのは、俺は聖人でもなんでもないってことさ。
  御大層な悟りを開いた訳じゃない、見栄っ張りなだけの常人だ。
  ――だから、現に。あんたを見てると、眩しくてしょうがないよ。
  本当に……、苦しくて堪らないくらいにな』

『なら、何故未来を掴もうとしない?』

 『俺なんかに希望を託す連中がいる。望まれたのなら、答えてやらなくちゃあな』

『それこそ聖人の所業だろう。そうまでしても君の得るものは何もない。
 むしろ彼らは、君に寄り掛かって何もかもを毟り尽くそうとしているんだ。
 気に障ったら申し訳ないが、結果的に見ればそれは明らかだ。
 君の言葉には、論理はあっても動機がない。完全に破綻しているぞ』

 『……つまりは、俺のその動機が知りたいのか』

『その通りだ。君の動機さえ掌握すれば、それを下賜してやることもできる。
 つまり君自身を手に入れる事に等しい訳だ』

 『本当に真っ直ぐに、壁さえ壊して欲しいものを掴むんだな、あんたは』

『オレが掴むんじゃない。掴むからこそ、オレなんだ』

 『……凄いな、あんたは。……けれどそれは、企業秘密――教える事は出来ないな。
  俺自身、認めたくない動機なのさ』

ふっ、と柔らかな笑みを浮かべてさえ、あの少年はただ口にした。
その勢いは強くもなく弱くもなく、まさしくそれが当然なのだと言わんばかりの自然体で。

この少年を手に入れたい――その想いは更に強くなる。
そして、この少年すら危険視する二人の予知能力者を手中に収めたのなら、オレの国にはどれだけの豊穣がもたらされるだろうか。

オレは今、まるで初めてあの城を見上げた時のように――子供のようにワクワクする心を抑える事が出来ない。
そしてその城の門は、今まさに目の前に迫ってきているのだ。
石畳のすぐ向こうに、駆けて数秒の距離にあるのだ。

天野雪輝――彼こそが完全予知を実現する要。
我妻由乃を抑え、オレと彼らを繋ぐ光。
さあ、オレの国の礎となれ。オレが栄光を見せてやる。

天を庭とする一羽の鷹となり、オレは輝く星へと手を伸ばす。
掻き抱く。

そしてそのまま、遥かな高みへと昇り詰め、何処までも何処までも高く飛ぼう。
世界の全てが、このオレの背に吹く風となる。
祝福と賛美がオレを包む。
その美声は確かに、こう告げていた。



「ちょろいっ」



ザザ、と、二台の携帯電話からノイズが走るのがいやにはっきりと聞こえた。

空を飛ぶよりなお強い浮遊感が訪れた。
両腿から下を、吐き気すら感じる喪失感が襲った。
天野雪輝の体に引っ張られて、体が勝手に思い切り前傾姿勢を取った。
衝撃で倒れた天野雪輝が、この手から零れ落ちていくのを感じた。
赤い雫が、どこからかオレの頬を濡らしていた。

自分の息さえ跳ね返ってきそうな距離に、土の壁があった。
地面に顔がめり込んだ。
鼻が潰れる感触がした。
顔の肉がこそげ落とされる様を自覚した。
制動を期待して伸ばした左手から、ごきりと嫌な音がした。
左眼と小枝か何かがキスをした。
ずるずると、引き回される罪人のように体が地面を擦った。
天と地が何度も何度も回転して、二桁を超えてしばらくした所でようやく止まった。

最後の最後にようやく――激痛がオレを満たしていく。
両足と、左腕と、顔面と。
猛烈な吐き気と共に、腹の奥から何かがせり上がってくる。
堪える間もなく口から漏れた。
血と吐瀉物の入り混じった、正視に耐えないカタマリだった。

すっぽりと――、思考する、という行為が俺から完全に抜け落ちた。
目の前のモノを認識して対応する事は出来ても、何故そうするのか、その意味だけが受け止められなかった。
他人の脈絡のない悪夢を覗いているようで、心と体が完全に乖離していた。

まだ動く右腕を、震えながらどうにか右の膝へと伸ばす。

そこには、何もない。

続いて、まるで機械仕掛けの人形のように、左の膝を確認する。

そこにも、何もない。

妙な方向に曲がった首を、激痛を押し殺してゆっくりと上げていく。
左の視界がやけに暗く、そこから流れ出ていく何かが気持ち悪い。
だから、右眼にだけ、その光景が刻みつけられた。

――自分の体からだいぶ向こう側に、ついさっきまでオレの一部だった右脚と左脚が転がっている様を。

ようやく精神と肉体がカチリと填まる。

「……ァ?」

オレは、

「ア、……ア、」

オレは、

「アアぁ、ああ、ぅああ……」

……オレは、

「うぁああぁぁああああぁぁぁあぁあぁああぁぁぁぁッ!」


足下――高みへと続く階段が、崩れ落ちる音をただ呆然と聞いていた。

背中にあったはずの翼が羽一枚残さず毟られた事を、抗いも納得もする暇もなく――ただ、理解させられていた。


自由に駆けられたはずの空は奈落の底に続く闇で。

優雅な飛翔と思っていた行為は、その実無様に突き落とされている最中でしかなかったのだ――、と。


誰の言葉だったか。どこかで聞いた気もするし、“オレは”聞いていない気もする。

『信じるもの、奪えないものを持っていると思う者は無敵だ。
 だが逆を言えばそれを失えばおしまいだ』


この世の全ての闇を押し固めた黒の中で、オレは絶望を初めて理解する。

オレの翼は、今この時に奪われる為だけに与えられたのだ、と。
誰にも奪えないと思っていたオレの夢を、オレをオレたらしめる夢を。
――最も悲惨な形で奪う為だけに。


涙する余地すら残らないほど、オレの中も外も黒いモノで満ち満たされていた。

そして、オレの五感は深淵に呑み込まれる。
意識が紐を切るようにぷつりと途切れていく。



《 ???? ?????? -The Watcher- 》


間に合わなかったと呟いて、突撃の対象をグリフィスへと切り替えた少女を観察しつつ思案する。
彼女の言葉は、グリフィスの介入前に鳴海歩を始末しきれなかった――という意味であろう。

――端的に言えば。
鳴海歩の誤算は一つではなかった、という事だ。

レガート・ブルーサマーズの魔技という誤算は、確かに彼の策の全てを砕き尽くした。
故に彼の死は、最初に書き換わった未来――交渉の開始時間を10分前に変更した時点の未来では決定づけられていた。

だが、それを超える更なるイレギュラーこそが我妻由乃。
鳴海歩は彼女の天野雪輝への想いの在り様を、秋瀬或から聞かされてなお完全な把握に至らなかったのだ。
そもそもが、彼女を理解できるものなど存在しないのかもしれないが。

皮肉なものだとは思わないかね?
レガート・ブルーサマーズという誤算さえ存在しなければ、ただ彼の策をぶち壊しにするだけの我妻由乃の暴走が――、
誤算が二つ重なったことで、彼の命を一時でも永らえさせる結果をもたらしたとは。

彼女は雪輝日記を鳴海歩の手から切り離す事よりも、天野雪輝を連れ去られないようにする事を選んだのだ。
たとえそれが天野雪輝の命を救う存在であったとしても、天野雪輝を守るのは自分だけいい、と。
結果、我妻由乃の攻撃対象は鳴海歩から、天野雪輝を懐柔せんとするグリフィスへと転じた。
仮に鳴海歩が自身を助けて逃走してほしいとグリフィスに頼んでいたのならば、彼らは重ね切りで纏めて両断されていたろう。


見方を変えるならば。
グリフィスの手すら振り解き、孤独の中で笑うという意思が――、
あの場に集う全員の思惑を超えて鳴海歩を生かした。
そのように未来を書き変えたのだと言う事が出来るかもしれぬな。
そして、見据えるべきはもう一人。

クク……。
一度は私を殺したのだ、この程度はやってもらわねば私の面子が立たぬ。
やはり鍵は貴様か? 我妻由乃。
未来は少しずつ変わりつつあるぞ。

……さて、観察に戻るとしよう。
今の私はしがない“ウォッチャー”。見届け観察する事しか許されぬ身。
直接介入は“ハンター”や“セイバー”に任せるべき事案なのだから。



《 Livio The Double Fang / Razlo The Tri-Punisher of Death -Chapel's Brother- 》


有り得ないはずの異常に呆気に取られ、立ち尽くしていた俺の耳に耳障りな音が突き刺さる。

――唐突な、レガートの哄笑だった。

「面白い……。面白い!
 君が、君こそがこの僕の技の真価を問うべき存在なのか?
 僕の忠誠を計るべき存在なのか!?」

おそらくは、ナイブズですら聞いた事がないだろう壊れた笑いが響き渡ってる。
目頭を押さえながら背を思い切り反らすその姿に、ゾッ……、とする。
これが、人間に出せる声だとでも言うんだろうか。

そしてもう一つのとびっきりの異常の塊は、レガートとは正逆の態度だった。

「忠誠とか技とか、あんたの事情なんてどうでもいい。
 私はただユッキーが好きなだけ。
 ユッキーを傷つけ、私の愛を邪魔するというなら――、切り捨てるだけよ」

魔人の極北たるあのレガートに向かって、由乃という少女は面倒臭そうに言い捨てる。
その扱いはまるで、積もった生ゴミが臭くて邪魔だとでも言わんばかりだ。

……狂ってる。
どちらも俺の理解を超えている。

「いいだろう。
 ならば、君のその愛と僕の忠誠、どちらが強いか試させてもらうよ。
 僕はこの体を使わず、ただ技だけで君を凌駕する――」

「あっそ」

レガートの口元がおぞましい三日月の形を取った瞬間、少女の舞いが再開した。
その動きは先刻とは比べ物にならないほどに、時として鋭く、時として緩やかで、規則性が存在しない。
あたかもそれは観劇者の心をとても不安定にさせる、邪教の儀式のようだった。
肉と肉との交わりのようにも思えて、ただひたすらに不気味な挙動だった。

存分に膨れ上がった究極と至高の狂人のぶつかり合いは、何もかもを贄として呑み込みそうだ。

――肉体の行使では間違いなくレガートに分があるはずだ。
だが、奴はそれを行わない。
結末の分かりきったジャンルで勝利を収めても、彼の歪んだこころは満たされないんだろう。
だから――糸で彼女の動きを意のままにするために、磨き抜いた技を試そうとしているんだ。
それは不幸中の幸いと呼ぶべき時間の猶予を与えてくれたが、しかしこのままではジリ貧だ。

由乃が右手の大刀を、棒切れでも振るかのように一振りする。
同時、レガートの哄笑が完全に狂笑へと変化した。
おそらく、あの金属糸をひとつ断ち切ったんだろう。

忠誠と愛。
表面上は美しく聞こえるその二つの言葉がこれだけどす黒く凄惨な代物だなんて、俺は全く知らなかった。

……くそ!
なあ、リヴィオ。俺は、何のためにここにいる!?

目を凝らし、背後を振り向く。
ホーンフリークの姿はとうに消え失せていて、そこにはピクリとも動かない――或が転がっているだけだった。

ぎり、と歯を噛み締める。目を強く強く瞑る。
そうしなければ、何かがそこから零れて落ちてしまいそうだった。


『僕と共に、“神”とのゲームに臨んでいただけますか?』


小さな友人とのあまりにも短い時間が、何度も脳内で繰り返される。

僕は――、守れなかった。
あの人のようになりたいと思ったのに、守るべきはまた掌をすり抜けていってしまった。
外道に落ちた身じゃあ、そんな綺麗事は許されないのか?
俺の手はただ、血に浸す為にしか存在しないのか!?

……畜生。
畜生、畜生、畜生、畜生!

なんて俺は、無力なんだ……ッ!

握り締めた手の皮が破け、赤い雫が滴り落ちていく。
……地面に打ち付ける音は、聞こえなかった。

  哀れな自分に酔ってボサっとしてんじゃねえよ、チンカス君よォ。
  テメェの自問なんざ、とっくに答えを出した人間がいるだろーが。

……え?

  暢気に突っ立ってないで、こんな時にあの男ならどうするかでも考えてろ。
  お前はアレか、こんなことにも気づいてねーのか?
  テメー、その拳を握り締められるってどういう事か、足りない頭でも分かるよな。  

え? あ……、あ、あ……!

  あの変態ホモ野郎が小娘に浮気してるから、テメーら全員の拘束はとっくに解けてんだよ。
  野郎、全ての糸を小娘に集中させてやがる。
  それでもまだ捉えきれない小娘も大概だがな。

ラ、ズロ……。どうしてお前が、こんな?

  ……馬鹿が。言ってたのはテメェだろうがよ。
  あの人みたいになりてぇんだ、ってガキみたいによ。
  だったら、俺を押し込めてる分くらいは果たしてみやがれ。
  甘ちゃんなりに出来ることだってあるだろうさ。

でも、どうやって。俺なんかが近付いても、また糸に囚われるだけじゃ……。

  ……ヒントはあそこの乳臭そうな小娘が十分実践してるだろが。
  少しはテメェで考えろ。

出来るのか? ……俺に。

  だからチンカス君なんだよ、ったく。
  しゃあねぇ、俺がやる……と言いてーがな。

…………?

  制限とやらがキイてるのか、俺が表に出るのはキツいっぽいぜ、くそったれが。
  ……だからよ、リヴィオ。

「お、」

  俺が見る。
  その代わりお前は――、死ぬ気で凌げ。

「おぉ、ぉあああああぁぁぁああぁぁああああぁぁぁあぁああ……ッ!」

ラズロの声に背中を押されるように――、俺は走りだしていた。
レガートの頬のこけた形相が、お楽しみを邪魔されたとばかりに胡乱にこちらを捉えてくる。

その場所へ向かって一歩踏み込む度に、気違い染みた殺気が叩きつけられる。
ヴァッシュさんはこんな代物をずっとその身に浴びていたのか。

いかにも面倒くさそうにレガートが片手を動かす。

それが、合図だった。

世界の流れが急激に遅滞する。
全てが蝸牛よりゆっくりと動き、皮膚に当たる風は物体の動きを雄弁に語る。
感覚機器は鋭敏過ぎて痛いほどで――、まるで自分を取り巻く環境そのものが己の体になったかのようだった。

モノクロームの世界の中で、レガートの“糸”が静かに、確かに俺に近づいてきたのを感じる。
……ラズロの能力なのか、制限のおかげなのか。
その存在感は明確に認識できるくらいに強く――、

姿勢を低くし大地を思い切り蹴る事で、矛先を十分に回避する事が出来た。

「……!?」

レガートの驚く顔に、ざまあみろ、と漏らす。
しかし優位は一瞬。
レガートは少女に回していた糸の一本を新たに追加し、俺を木偶にしようとしてくる。

駄目だ、この姿勢ではもう避けきれない。
……察知能力に加えて常軌を逸した直感まで備えたあの少女とは違って、俺はここまでが限界だった。

……だから、俺は俺たちにしかないものを活かす。
レガートの糸が俺の腕に絡みついた、その瞬間。

「……ぐ、……らああぁぁっ!」

電流が流される直前に、“その部分の肉ごと”糸を毟り取った。
ぐじゅ、と嫌な音がして黄色い汁が一瞬滲み、血が噴水のように吹き出てくる。

「……はは。いってえ、なあ……」

再生がいつもより遥かに遅い事に舌打ちする。
だが、――いずれにせよ十分だ。

だってもう、俺の拳は見事にレガートの顎をブチ抜き、砕いているんだから。

「ご、あ……」

アッパーカットで宙に浮くレガートに、続けざまに追撃を。
片足をばねに、丸太を突き込むように足刀を抉り込む。

吹っ飛ぶ。

校舎に叩きつけられ、レガートはずるりと崩れ――なかった。
頭から血を流しながら薄ら笑いを浮かべ、幽鬼の如く立ち上がる。

「……この程度じゃあ、やっぱ倒れてくれないか」

けれど、いける。
俺は、戦える。
いや――、俺たちが、戦えるんだ。

なあ、ラズロ。

  あん?

情けないよな、俺……。
カッコつけた事ばかり言っておきながら、結局はいつもいつもお前を頼ってばかりで。
それが悔しくてたまらないんだ。

  ハッ、ようやく自分の弱さに気づいたかよ。
  だが先は――まだ長ェぞ?
  そう簡単には追い付かせてやらねぇ。

ああ、だから駆け上がろう――二人で。

ラズロの物言いに苦笑しながら、背後を意識。
そこには三人の少年少女がいるはずだ。

先刻まで一緒にいた大人びた少年を思い浮かべながら。
守れなかった後悔を胸に、それでも足掻くと心に誓う。

「――逃げろ! こいつは僕が引き受けた!
 或の友達を、みすみすこんな所で死なせてたまるものか……!」

張り上げた声への返答は、三者三様異なるもの。

「あ、ありっ、ありがとうございますっ! 由乃……っ!」
「……秋瀬或の差し金? 感謝なんてしないわよ」

手と手を取り合い立ち去る音と、

「……すまない、必ず、必ず応援を呼んでくる。
 その時まで俺を守ってくれ。
 そしてそれまで、持ち堪えていてくれ……!」

たった一人の駆け出す音が、確かにここから離れていった。

「……なるほど、確かに僕に一矢報える力はあるようだ。
 だが――、特例を許されたとはいえ一介のGUNG-HO-GUNSが僕に敵うと思っているのか?
 今この場で背信者として処刑を行おう。
 悲しいよ、わざわざナイブズ様が手塩にかけて集めた人員をこの手で消さねばならないなんてね」

砕けた顎にもかかわらず、無理矢理己の力で言葉を捻り出す狂人。
その在り様に唾を飲み込みながらも、もう僕は自分を疑わない。逃げ出さない。

片手には杭打機、もう片手には握り拳。

血みどろになりながらも蜘蛛の糸の全てを薙ぎ払い、俺はここに誰かを守れることを証明する。


  構える事ぁねぇ。
  ……証明するぜ、チンカス。俺の最強を――、俺達の、お前の最強を!


「ああ――、行こう、ラズロ」



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