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贖罪のラプソディー

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贖罪のラプソディー ◆JvezCBil8U



ジャック・クリスピン曰く。

死んでるみたいに生きていたくない。



ただ、自分の無力さを痛感していた。


とらと組んでいない自分が、白面の者というあまりにも圧倒的な存在に敵う事などありえないのだと。
獣の槍、ギリョウさんがいなければ、自分など本当にちっぽけな力しか持たないのだと。
二つ――いや、二人がいない自分は、ほんとうにたいせつなたった一人すら助ける事ができないのだと。
今までどれほど、二人の相棒に助けられていたのかと、それを思い知った。

とらは、自分勝手に見限ってしまった。
獣の槍は、自分が憎しみに囚われたが故に砕け散った。


「は、はははははは……」

だから、なのだろう。
少なくとも彼らと路を違える要因となった原因が、実は嘘っぱちだったと、それが分かったのだから。
今の彼にとってはそれこそが真実に思えて、真実に思いたくて仕方なかったのだから。

「あはは、は、は……。なんだよ、とらぁ……。どうして嘘なんかついたんだよ、全く……」

そう、だからこそ蒼月潮は笑うのだ。

「生きてたんだ……。生きてたんだ。生きてくれてたんだ……、流兄ちゃん!
 な、がれ、兄ちゃ……、あ、ああ……」

今まで自分を助けてくれた、大切な人が一人でも生きてくれていた事が、とても嬉しかった。
そしてまた、とらを嫌う理由がなくなったことに安堵して、もはや泣いているのか笑っているのか分からない。

そんなうしおに相対するは、照れたような苦笑で人好きのする顔を綻ばせる青年。

「おいおいひでぇなあ、うしお……。勝手に人を殺すなよ。
 この秋葉流がそう簡単にくたばるかっての」

その心中は、如何ばかりか。
秋葉流は静かに薄笑ったまま、さぞや心配したという口調でうしおに語りかける。

「災難だったな、うしお。……ツレぇよな? ツラくねえはずは、ねえだろ。
 ……あの嬢ちゃんがあんな事になっちまったんだからな」

じぃ、と見つめられ、うしおはびくりと体を震わせる。
たいせつな帰る場所だった、一人の少女の結末を思い出してしまう。

「構えるこたぁねぇ。……お前はよ、泣いて当然なんだ。
 ここに来る前、俺は婢妖に乗っ取られちまっててよ……。
 悪い事しちまった分、オレがそれを受け止めてやるさ」

申し訳なさそうに、悔しそうに眉根を詰める流に、うしおは気丈にも両手を振って気にするなとの意思表示。

「やっぱり……なんだ。え、へへぇ。婢妖に操られていたのか、そうだよな、そうだよなぁ……。
 流兄ちゃんがあんなことする筈、ないもんなァ……」

言葉を言い終える前から、うしおからは堰を切ったように涙がどんどんと零れ落ちてくる。
これまで二回遭遇した、豹変した流の姿は全部嘘っぱちの悪夢だったのだ。
それが、今この瞬間のうしおにとっての真実となる。

「ほら、こっちに来い。……肩ァ貸してやるからよ。
 こんなムサい男ので悪ぃけどな、我慢してくれや」

だって、そうだろう?
こんなにも彼は、こちらを案じてくれているのだから。

「流兄ちゃ……、あ、あ、わぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁ……!」

二度と見られないと思っていた、頼りになる兄貴分のその顔が、言葉が、縋らせてくれるその態度が。
知り合い一人いるかどうかすら分からず、人々の記憶からも、とらからも、獣の槍からも見放され。
――母親からすらも頬を打たれて、大切な幼馴染……それ以上の存在を失ったうしおにとって。
流が生きて今ここにいてくれる事が、ほんとうに心の底から嬉しくて嬉しくて、救いに思えて仕方なかった。


だから、ぼろぼろと雫を落として駆け寄って――、


「そこまでにしとけよ。そっちのヤロウも、蒼月もな」


鋭い一声が、感動の抱擁に楔を入れる。
妨げられる。

「……蝉兄ちゃん」

今まさに流の懐に飛び込もうとする体勢で、うしおはぎこちなく声の主へ顔を向ける。
流もうしおを受け止める格好をやめ、ゆっくりと中腰を直立へと移行。
その顔に浮かぶのは、無表情と不快感。

「そいつは誰だ?」

蝉の通り名を持つ殺し屋は憮然と、しかし油断なく淀みなく流を見据え、言い放つ。
その声色には不審と警戒が色濃く漂い、お涙頂戴の雰囲気など雪が溶けるかのように消え失せた。
うしおは一息に緊張したその空気を悟り、慌てつつも名残惜しそうに蝉に相対する。
丁度、流と蝉との中間で。

「話してなかったっけ? 流兄ちゃんって言って、俺の大切な仲間なんだ」

申し訳なさそうな小さな声で放つのは、流にも蝉にも申し訳ないことをしたと思っているから。
流が死んだと思い込んでいたとはいえ、仲間だと伝えなかったのはどちらにも失礼だろう。

「…………」

無言で蝉は流を見定める。
流がうしおにとってどのような存在なのか、蝉にも何となく分かる。
死別した――、そう思い込んでいたのだろう。
それも、何らかの不和の会った形でだ。
だからこそ生存にあれだけ歓喜し、また殺し合いの最中でも信頼を寄せるのだろう。
いや、こんな場だからこそ、だ。

その事がどうしてか蝉には少し妬ましく思え、そう感じる自分に気付かぬ程の嫌気が差す。
だから嫌気を振り払うかのように、少しばかり乱暴に口を開く。

「おい蒼月、知り合いだからってホイホイ引っ付くな。
 油断させてブスリ! かもしれねーぜ。
 ……こんな状況じゃあ、どう考えたって信用できねえよ」

……誰かの操り人形みてえに、何にも考えず殺しに乗った連中もいるに違いねえんだ。
そう続けようとして、蝉はしかし言葉を飲み込んだ。

それは、自分に戒めるべき言葉であるからだ。
少なくとも蒼月はそんな類の人間ではなく、彼に着いていくという依頼をこなすに当たって余計な軋轢を生むのは喜ばしくない。

「でも、流兄ちゃんなんだぜ……?」
「……オレはそいつがどんな人間か知らねーんでな」

無造作に告げると、蝉は音一つ立てずナイフを握り、ゆらりと構えを取る。
怪しげな事をしたのならすぐに処理すると、威圧を込めて眼光迸らせる。

そんな態度に怯えたのを隠したのか、あるいは余裕の表れか。
老若男女、家族単身問う事無く幾十幾百幾千の人を殺め、
数え切れない修羅場を潜ってきた蝉にすらそれを悟らせることなく、流は肩を竦めて一歩引く。

「おいおい、こえーなぁ。んな警戒しなくてもいいだろうよ」

……一瞬。
ほんの一瞬だけ、流れが舌打ちをしたように蝉には見えた。
しかし蛍の光よりなお儚く消えたその光景の真偽を確かめることなどできず、はや残滓も残らない。
その不自然な自然さにますます疑心を育んで、蝉は構えを崩すことをしなかった。

嫌な予感がする、と蝉は歯の根を噛み締める。
嫌な予感がするのに――、不気味な事に、まったく頭の中で警報が鳴ってはいないのだ。
今のところ流の態度を見る限り、疑う要素はゼロなのだから。
それが余計な不安となって、蝉の落ち着きを静かに奪っていく。

「そ、そうだぜ、蝉兄ちゃん……、信じてくれよ。
 大丈夫だって。警戒するのは分かるけど、この人はそんな人じゃねぇんだよ!」

うしおは蝉の態度に気が気でない様子を見せている。
一触即発のその空気が、流に不快さを与えていないか不安、いや、恐怖すら抱いていたのだ。

もし流が、自分たちを敵と見なしてしまったら。
もし流が、自分たちと戦うことになってしまったら。
……その時流は、また豹変してしまうのではないか。

それがうしおは、怖くて怖くてしょうがないのだ。
流の狂気に歪んだ表情ばかりが脳に浮かんで仕方ない。
まるでそれが、確定した未来であるかのように。

だが、当の流と言えば。

「……と、そうだった。すまねえ、うしおにゃ悪いが、こんなことしてる場合じゃねぇんだ」

蝉の殺気に近い威圧すら無視し、彼らしくもない慌てた声を上げる。
自分が疑われる事など瑣事でしかないと言わんばかりに、もっと別の、優先すべき事に注目しろと。

「おいうしお。それに蝉っていったか、そこの兄ちゃん。
 手ェ貸してくれ、オレ一人じゃ手に負えねェかもしれねえんだ」

真剣に誰かを案ずるかの如き声色を向けた先は、うしおでも蝉でもない。

「……う、ぁ。ひでぇ……」

――絶句したうしおの前には、見知らぬ少女が息も絶え絶えと言った様子で転がっている。
腕を失い、意識すらも定かでないその少女にうしおは駆け寄り、自分の身内であるかのように泣きそうな顔をした。
おそらく聞こえてなどいないだろうにもかかわらず、だからこそ死の縁から呼び戻すかのように必死になって。

「おい、大丈夫かよ! 死んだらダメだ、絶対死んだらダメなんだぞ!
 もう、誰一人死んだらダメなんだよぉ……ッ!」

そんなうしおに苦笑をこらえ、蝉は視線を流から外して俯き思う。

(嫌な予感は、コレか?)

成程、確かに厄介事だ。
自分たちの目的地が都合よく病院とはいえ、うしおの性格を考えればこれからどうなるかは非常に分かりやすい。
そんな面倒ごとを抱え込むのは、依頼にしてもご勘弁願いたいのだけれども。

ただ、もう一つの懸念は消えていない。
流が危険人物であるという目が出る可能性もある。
だから蝉は、見知らぬ少女を見つめながら鋭く問うた。

「……テメエが殺ったんじゃねえだろうな」

「オレが殺ったんだったらこんなとこでグズグズしてねえって。
 それよりまだこのコは生きてんだ、滅多なこと言うんじゃねえよ」

静かに流に諭され、言葉を失う。

確かにその通りであり、言い返せる台詞はない。
疑念が渦巻き、思考と身体の両方が停止する。

流を信じていいのか、疑うべきなのか。

しばらくの間同道するはずのうしおは、明らか過ぎる信頼を寄せている。
そして、自分にこの男を信じるよう懇願してもいる。
当のこの男も先ほどからうしおと見知らぬ少女を気遣ってばかりで、嘘をついている素振りをはっきりとは見せてくれない。

対し、疑う理由は自分の予感……、直観という不確かな代物だけだ。

(……蒼月のガキの言いなりになってもいいのか? オレは人形じゃねえのによ)

……人形であることと、自分の意思で頼まれごとをこなすことは、全く違うのを蝉は知っている。
この場合は果てさて、どっちなのか。
答えを出したくとも――、どうやら依頼の護衛対象は、そんな時間を与えてくれないようだ。

「せ、蝉兄ちゃん! はやくこのコを病院に連れてかねぇと!」

やれやれ、と深く深く溜息を吐いて、それでも蝉は確かに頷いた。

「……分かったよ、しゃーねえな」

それを見届けるなり、うしおは焦って病院に向かおうと立ち上がる。
いまはグダグダしているよりも、一人でも多くの命を救いたいからと、そんな想いを心に刻んで。

握り拳を作るうしおは、しかし歩みを止めざるを得ない。

「おいおいお前ら、勝手に話を進めるなっての。誰が病院なんかに行くって言ったよ」

……そんな、予想すらしていなかった静止の声があがったからだ。

「流兄ちゃん……? な、なにを言ってるんだよ! こんな傷、病院でしか手当できねえよ!」

戸惑いと困惑。
その2つの単語を表情にありありと滲ませながらうしおは踵を返して訴える。
流のことを信じたくてしょうがないから、人を救わない選択肢を告げる彼の言葉を打ち消すために。

そんなうしおに、流は落ち着けというゼスチャーをして苦笑した。
そして目と目を合わせ、告げるのだ。

「うしお、よぅく考えろ。……怪我をしたら病院に行くなんて選択肢はな、誰だって考え付く。
 そんな場所、殺人鬼にとっちゃ格好の餌場じゃねえかよ。
 ……薬だって、全部毒に入れ替えられてるかもしれねえ。
 包帯やガーゼだって、とっくに誰かが持ってっちまってるかもしれねえ。
 だったら行っても危険なだけだ」

「あ……」

……もう少し事態を把握しろと言わんばかりに、冷静で理に適った意見。
それはまさしく、うしおのよく知るキレ者で頼りになる流の姿だった。

蝉もそうだと頷かざるを得ない。
これまでの流の言動はすべて正しくて、信用はできなくても信頼はできるかもしれない。
そんな風に思えるのは、確かなのだ。


ならば、これで見極めよう。
秋葉流という人物が信ずるのに足りるのか、いつまでもグダグダ考えていても仕方ない。
ナイフを下ろして、しかし手から外すことはしないまま、一つのことを問う。

真正面から向き合って、どんな形でも対決するのだ。

「じゃあどーするってんだよ。何かアイデアでもあんのか?
 どっちみちオレと蒼月は病院で人探しする予定なんだぜ」

具体的な解決策を。
そして、自分と蒼月の当初の予定は、どうするのかと。
それに具体的な解答を示せるなら、ひとまず協力的だと見ていいだろう。

「……ああ。ひとつオレに考えがある」

どうすれば少女を助けられるのかと苦悩するうしおを安堵させるかのように、ぽんぽん、と肩を叩く。

「そ、そっか。良かった……」

溜め込んでいたものが開放されたからか、うしおの体から力が抜けて頬が緩む。
よかった、と小さく呟いて、流がいる事に感謝をして、とびっきりの信頼を込めてうしおが秋葉流に笑いかける。

「それで流兄ちゃん……、どうするつもりなんだ?」

対する流も、極上の笑みを浮かべて優しく優しくこう語るのだ。




「お前らもこのガキもブチ殺して首輪を奪うんだよ」






僅かに、3秒ほどで全ては決着した。





蝉は刹那の間に辺り一帯を飽和させるほど膨れ上がった殺意に、ぞく、と骨の髄まで寒気を覚える。

思考が停止し、視界が真っ白に染まる。

息が詰まるような圧倒的暴力の予兆は、動物の本能に訴えかけて意識の全てを平伏させる。

ヒトがヒトである限り、本質的に逆らえない生まれつきの才能と言う名の絶望の壁。

狂気を糧に限界知らずに練り高められた秋葉流という個の強大さに、蝉の意識は完全に飲み込まれていた。



だが、培った技と業は意識など歯牙にもかけず完璧に仕事をこなす事を蝉に許す。

流が何かをしようと動くのを視界の端に捉えた。

させない、と、一息すらつかず紫電の疾さで踏み込む。

うしおが何か叫んだような気もするが、聞こえない。

むしろ、目の前にいられては邪魔だから、突き飛ばした。

力なくうしおが数歩下がり、座り込む光景すら今の蝉には見えはしない。

躊躇いも迷いも葛藤もなく、糸に操られるかのように。

蝉は、殺し屋としての仕事を全うする。

機械の正確さで氷より冷たく雪より真白く突き出される白刃は、風を切りながら何一つとて障害物に邪魔されることはない。

ただただ、ヒトをコロスものとして秋葉流の全存在を消滅させる。

その為だけに、今の蝉のすべては在る。

そして、ヒトゴロシはその意義を十全に発揮した。

すとんと服と肌を抉じ開け、肉に金属が埋まっていく。

ずぶりずぶりと、胸の中へ中へ。

鏡として使えるほどに研ぎ澄まされた刃の表面が、血の赤と肉のピンクと脂肪の黄色に染まっていく。


そして――――、


とうとう胸の奥の奥の奥を突き破り、背の側からナイフの先っちょがぴょこんと生えてくる。


愛沢咲夜という銘柄の、肉の盾の胸から。

秋葉流が首根っこを掴んで持ち上げた、肉の盾の胸から。

「――――!」

なにか、妙な家畜の鳴き声のような音が聞こえた。

だが、そんな物に構っている暇はない。

今は一刻も早くナイフを引き抜いて、こんどこそ秋葉流の息の根を断たねば。

撃滅せよ! 撃滅せよ! 撃滅せよ!

自分の意思で彼奴のイノチを奪い、自分たちを騙し、弄び、嘲笑った男に自分は玩具ではないと知らしめねばならない。

自分は自由だ、玩具でも人形でもない!

コンマより短い単位の時間でナイフを引き抜き、そのまま追撃せんと僅かに切っ先を引いた所で、ようやく気付く。


ああ、まだ響き続ける家畜の鳴き声は自分の口から漏れていて。

引き抜いたと思ったナイフは肉に突き刺さったままで、自分の手からすっぽ抜けただけなのだ、と。

夜明けは近い。

いつの間にか仰いでいた空は白み始めていて。

幾十重にもブレる鞭のような影が、せっかくの光景を台無しにしていた。

そして蝉は一つのことを悟る。


やべ

内臓割れた


蝉にとってその感触は、あまりにも現実味が感じられなかった。



うしおはただ呆然としたまま、すべてを見ていることしかできなかった。
否、見ていることしか許されなかった。

……誰に?

当然、決まっている。
秋葉流に――だ。

かたかた、かたかたと、肩を震わせて、泣きそうな半笑いで呟く。

「な、なが……れ、兄、ちゃん?」

「おう」

肉の盾を無造作にぶら下げ、手にした鞭をしまいながら流はへらへらと頷いた。
これは確かに現実なのだと教えるために、何度も何度も。

「え? あ……、せみ、兄ちゃん、は? ……その子は?」

――ようやく、当の蝉が地面にぶつかって転がる音が、うしおの背後から響いてくる。
おむすびころりん、すっとんとん。
幻覚と割り切るにはあまりにも生々しい音だった。

「死ぬぜ、どっちも。オレが殺すんだけどな」

呟くようにあっさりと口にすると、流はいきなり口元を吊り上げ、肩を竦める。
僅かに目線を上げ、何もない虚空を見つめ――笑った。

笑った。笑った。笑った。

大きな声で、笑った。

「あァひゃははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははは、」

「……ぅ、あ」

「ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははァッ」

ぞくり、と体を震わせる。
耳に届くのは、狂った哄笑だけ。
目に見えるのは、薄明かりの中の歪みきった兄貴分の笑顔だけ。
縋り付いて泣き出したくなるほどに頼もしいはずのその声が、どうしてか一秒たりとも聞いていたくない。
じわじわと、じわじわと、静かにうしおの精神を削り磨耗させていく。

「……どう、して」

つう、と、堪えきれなくなった涙が目の端から流れ、
しかしそれでも、流を信じていると言わんばかりに笑いだけはどうにか形骸を残したまま。
うしおは、恥も外聞もなく懇願した。取り乱した。

「どうして、どうしてだよ、どうしてなんだよ流兄ちゃん!
 いつだってかっくいーバイクに乗って、オレたちを助けてくれたじゃんかよう!
 悪ふざけはやめてくれよォ、婢妖に操られてたんだろ!?
 やめろよ、やめろよ、やめてくれよぅ!
 もう、嫌なんだ! 誰かが死ぬのは御免なんだよォ!」

不気味なまでにぴたりと、哂い声が止んだ。
流はスイッチを切り替えたように無表情になり、うしおを見つめる。

まるで自分を取り戻したかのように目を見開き、うしおの後ろにいるはずの蝉の方へ視線を動かす。
そして、信じられないと、何てことをしてしまったのだと、申し訳なさそうな顔を形作りつつもう一度うしおと目と目を合わせる。

「……オレが、婢妖に操られて……?」

その表情にうしおは、まだ婢妖が取り付いたままなのかもしれない、と、蜘蛛の糸のような希望を見つけ出し――、



「嘘に決まってんだろォォォがよぉぉぉぉ、馬ァぁァァぁぁァァァ鹿!」


そしてまた、にィぃィィィいィ、と狂気に染まる流の表情に、積み木よりも脆く春の雪より早く一切合切を壊された。


「ああああぁあぁぁああああぁぁぁあぁぁぁぁあぁあああぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、
 嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だぁぁぁぁぁぁ! 流兄ちゃんは嘘をついてるんだよぉぉおぉ!」

ああ、そうだ。
今もずっと、認めることが出来ていないのだ。
流が裏切ったのは何かの間違いだ、と、愚直なまでにうしおは流の事を信じ続けているのだ。
このどこまでもまっすぐな少年は、最後まで流の心と向き合う事はなかったのだから。
――秋葉流と相対したのは、彼の相棒である化け物だけだったのだから。

うしおが知っているのは、二度の邂逅だけ。
流が自分たちを裏切ったと告げた、HAMMRに向かう時の奇襲。
そして、とらが流を殺したと『嘘をついた』、“仙嶽”でのやり取り。

そのどちらともが僅かな応対を交わしたに過ぎず、うしおはただひたすらに流が裏切るはずはないと喚いていただけだった。

「だぁからそう言ってんだろ? 相変わらずあったま悪ィよなァ、本ッ当に救えねぇ救えねェようしおぉぉぉ。
 あの時オレはご丁寧に説明してあげたよなあ、秋葉流は白面の側についたってよ!」

ああ、と、うしおはつくづく思い知る。

とらは、こんな理不尽をオレに浴びせたくなかったのかもなあ、と。
似合わねえけど、庇ってくれたのかもしんねぇなあ、と。

最高の相棒に絶縁を言い渡したことを、これほどに悔やむことになるとは予想もしなかった。

悪意の泥沼の中で希望を見出して寄りかかった柱こそが、実は腐りきって蛆の涌く汚物の集積だったと知ったとき。
人の心は、真実ぽっかりと穴を開ける。

まだ中学生であるにもかかわらず、うしおはそんな悲しい現実を刻み込まれてしまった。
がくりと膝をつき、生気の抜けた表情で、流に雨中の子犬の表情を向けるだけのモノに成り果てた。
哀れささえ感じる程に顔をくしゃくしゃに歪めさせて、だけど、この表情は確かにまだどこかで流を信じているもので。

「……お願いだよ、流兄ちゃん。やめてくれよぉ……」


そんな少年の無残な有様を見て、流は実に気分がいい。この上ない悦に浸る。絶頂すら感じそうになる。

これだ。これが、見たかったのだ。
すごく、いい。

同時に、まだどこかで自分を信じているうしおのその態度に、妬ましさと悔しさと腹立たしさが湧き上がってくるのを止められない。
それはどうしようもなく卑劣で外道で人でなしな行動に走らせる衝動となって、流を突き動かす原動力となる。

「そうそう、救えねェと言えばよぉ……」

だからそんな想いをまるで見せる事無く、さも平然としているような態度で、腕にぶら下げたソレを無造作に突き出した。

「このガキ、どうしたいよ?」

右胸からナイフの柄を生やして、ゲロと血を吐いて白眼を剥く少女がだらりと四肢、もとい三肢を垂れ下がらせ、それでも生きている。
まだ、生きてしまっている。

――だから、まだ生きているから、うしおはそれを失いたくなくて何一つ為す事が出来ない。

「な、流兄ちゃん……なにを、」

うしおはようやくその事に気付いて、涙目で声に鳴らない声を洩らすだけ。
まるで赤ん坊のように、今のうしおはあまりに無力だった。

とらもおらず、獣の槍もなく、母には打たれ、幼馴染は死に、蝉は虫の息で、流に奈落に突き落とされた。
それでも救える命を救いたいと心の底から思う、思ってしまう真っ直ぐな存在こそが、うしおなのだ。

ただ、キリコと名乗った医者の言葉が、何度も何度も脳内で木霊して止むことがない。

本当に、死なせない事が正しいのだろうか?
あんな有様で、生きている方が辛くてしょうがないんじゃないか?
キリコとの邂逅が、最悪の形となってうしおを拘束する鎖となっている。

くるくると、幾十の苦悩の感情が渦巻くうしおは、それを素直に表情に出してしまっている。

「いい事を教えてやるぜ、俺が首輪を集めてる理由をよォ。
 伝えたきゃ他の奴にも伝えていいんだぜ?
 まあ、お前がこの場を生き延びられたら、つまりはこのオレをブチ殺すことが出来たらの話だがなァ」

うしおが流を殺して生き延びる、と、そんな言動にうしおは自分を抱きしめた。
次いで、哀れなうしおを眺めてニタニタと、実に上機嫌に流は伝言ゲームを始めるのだ。

「この殺し合いな、白面のヤロウが裏で手を引いてるのよ」

「……え、」

もちろん嘘っぱちだ。口から出任せ、うしおにある一線を越えさせるための方便でしかない。
少なくとも流は、白面がこの殺し合いに一枚噛んでいるなんて事実は全く記憶にない。
もしかしたら嘘から出た真という可能性もあるが、そんな可能性は知ったことじゃあない。

……だが、効果は覿面だ。

「……また、白面かよォ。なんで……、なんで、皆奪っていくんだよ。
 ちくしょォ、ちくしょォ、ちくしょオちくしょオちくしょオちくしょオぉぉぉ!!」

泣き笑いが歪み、憤怒と激昂と苦渋に彩られる。
それらを統べるのは、いーい具合に熟成された憎悪。
深く理由を考えることもなく、純粋であるが故にうしおはただただ怒りを爆発させる。

そんな、だん、だんと膝をついたまま地面を握り拳で何度も叩くうしおを上から見下ろして、流は淡々と虚言を弄す。

「……でな? この首輪を集めた数だけよ、白面が功績として扱ってくれるのよ。
 生き延びる保障もくれるし、願いだって叶えてくれるかもしれねえ。
 だったらよぉ、やる事は一つしかねぇだろ?」

ああ、そんな理由で酷いことをするのかと、うしおは理解する。
理解しても納得は出来なくて、いろいろな感情でごちゃごちゃになって、もう何をすればいいのか分からなかった。

「まあそういう訳で首輪を集めてるんだがよ、オレ一人じゃ効率が悪ィだろ?
 だからうしお、つるんだよしみで手伝ってくれや」

うしおが地面を向いたまま、耳を塞いで叫びを上げる。

「聞きたくねえ、聞きたくねえよ! 流兄ちゃんの顔でそんな事言うんじゃねえよこの婢妖野郎!
 そうだ、婢妖だ、婢妖なんだよぉ! お前は流兄ちゃんじゃなくて取り付いた婢妖なんだぁぁぁぁ!」

うしおが現実逃避をし始めた。
そろそろ、まともに流の言動を聞かなくなる。

次だ。
次の言葉で、うしおにさせたいことを言葉の暴力で叩きつけてやる。


「そこの男を殺せ。テメエがその手でよぉ、うしお。
 そしたらこのガキだけは助けてやる」


その台詞を聞いたときのうしおの百面相ったら、もう!
筆舌に尽くしがたい芸術品で、文章に書き起こすのは筆者程度の力量では全く以って不可能だ。


「それか、このガキを殺すかだな。
 好きな方にしろよ。どっちを生かすのか選ぶのはお前さんだぜ?」

もちろんこれも、嘘。
うしおが実際に少女か男かどちらかを殺そうが、あるいはどちらも殺すまいが、結局残ってれば自分が殺す。
もちろん、うしおの目の前で、だ。

「……まあ、どっちも長く保たねえしなあ、それが優しさってモンだろ?」

ぼそりとうしおに聞こえない小ささで呟いて、クックと含み笑う。

ただ、出来ることならうしおに手を汚して欲しいと、そう願って止まない。
そして、うしおが人を手にかけたその時に、全部全部嘘だと告げたのなら、彼はどんな表情をするのだろう。
ああ、それが楽しみで楽しみで、ゾクゾクワクワクしてしょうがない。
だからその為に、秋葉流は全力を以ってうしおの殺人を支援するのだ。
うしおのいちばんたいせつだったモノを踏み躙って、トラウマをほじくり出して塩水にさらすのだ。

「なぁーあ、うしおー。いーのかよ? 許せんのかよ? 
 このお前らと同じくれーのガキが、テメエの大事な大事な中村麻子みてえによぉ、
 惨めに! 何の意味もなく! 何一つ残さず!
 生きてるときゃどんな姿だったのかすら分からねーくらいに、肉もミソもハラワタもぐっちゃぐっちゃになっちまってもよぉぉぉ!」

そう言うと、ぶるん、と手に持った肉の盾を振り回した。

「あ……!」

衝撃で肉の盾が、ゆっくりと目を開けていく。
が、は、と、溜まっていた血を吐いて、次の瞬間肉の盾は絶叫した。

「あ゛ァぁぁがぁががっががががががが、ぎぎぎがぁぁぁぁ、い゛だだだだああああぁぁぁぁい゛ぃぃぃぃい゛ぃ!
 どぼじ、どぼじでぇっぇ、う゛ぢ、な゛んでごんな゛め゛に゛あ゛っでる゛んや゛ぁぁぁぁ、い゛だい゛、い゛だい゛よ゛ぉぉぉぉぉ、
 な゛ぎ、じゃっぎんじづじ、い゛ずみ゛ざん、ま゛ぎだ、ぐに゛え゛だ、だれ゛でも゛い゛い、゛だずげでぇぇぇぇぇ……」

涙と鼻水と血と吐瀉物とでぐちゃぐちゃになりながら、少女は喚くことしかできない。
腕は半ば消し飛んで血が止まらず、右胸にナイフを突き立てたまま。

「心配すんな嬢ちゃん、右の肺が潰れても左が残ってりゃ息はできるさ。
 死ぬかもしれねえけどそこはご愛嬌だな」

暴れることすら出来ない少女をぶら下げるのは気楽な仕事なのか、流は平然と飄々と取り合わない。
ああ、つまりこの子を救えるのは自分だけなのだ、と、うしおはその事を思い知らされる。
だが、それでも。

「殺すなんて、……できねえ。できねえよ……。
 なんで、そんな事しなきゃあならねぇんだよぉ」

現実逃避すら、許されることはなかった。
どう足掻いてもこの少女が目の前にいる限り、流と相対することを選ばなくてはならない。
そして、そんな目に遭ってまで少女を救えないのが悔しくて惨めで腹立たしくて――、
もう、うしおの精神は限界寸前だった。

だから、仕上げとばかりに流は追い討ちをかけるのだ。

「ほらほらほらほらァ、あと3秒数える間に殺らなきゃどっちもお前の目の前で殺すぜ。
 二人殺して自分も殺されるか! 一人殺して自分ともう一人が生き延びるか!
 うしお、選ぶんだよォぉおおぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉ!
 さァぁぁああぁぁぁぁあんんんんン!
 にィぃぃいいいぃぃいぃいいいぃィ!
 いィぃいいいいぃいぃぃちぃぃぃィ、」


考える時間を一切与えない、3秒カウント。
それが、止めだった。

とうとう、ぽき、と心の折れる音が、確かに響く。


「麻子……、あさこ……。麻、子ぉ……っ。
 もう、嫌だ……。
 死んで欲しく、ねぇよ……」


――――木のうろの様に、何一つ、詰まってない。
ぽっかと空ろな表情で、幽鬼じみた挙動で、ようやくうしおがゆらりと立ち上がる。
手にはしっかと槍を携えて。

スーパーの生鮮市場の魚の目で、死体になりかけている蝉を、じぃ……と眺めた。
ああ、そうだ。
キリコも言っていたではないか。
楽にしてやるのも、一つの幸せなのだ、と。

頼りないおぼろげな足取りで、音一つ立てずに蝉に近寄り、見下ろす。
ぎゅう、と、槍を握り締めるのが流の瞳にはっきり映り込んだ。

ケタケタケタケタ、ゲテゲテゲテゲテ。

流の狂った嗤い声が、漣のように木の葉擦れのように、処刑のBGMとしてよく馴染む。
「そうだよ、それでいいのさうしおぉぉぉぉ……。
 テメエもよ、獣の槍で散ッッッッ々! ぶっ殺してきたんだろうが!
 いくら取り繕おうが、いくらイズナとか鎌鼬の兄妹に懐かれようが!
 てめーが連中の仲間を喜び勇んで殺してきたことにゃ変わりねえのさ。
 だったら別に人間一匹殺そうが大した違いなんてねえよ。
 なあうしお、認めちまえよ。
 てめーもオレも、所詮は人殺しの同類なんだよ、なあ!」


ああ、それこそが本心だったのかもしれない。
うしおも自分と同じで、どこまでもまっすぐ突き進める訳じゃあないと、それをうしお自身に認めさせたかったのかもしれない。
たったそれだけの光景を、見てみたかったのかもしれない。

そして流の思惑通り、ゆらりとうしおが槍を振り上げた。
幽かな朝の月の光が刃に反射する。


――そして。


「できねえ……っ! できねえよぉ! 蝉兄ちゃんを殺すなんて、できねえに決まってるだろ!
 その子だって、流兄ちゃんだって、知らない人だって!
 人殺しなんか、できるはずねえよぉ……」

からん。

槍を取り落とす音がする。
うしおはそれでも、人を殺すことを認めなかった。

どれだけ痛めつけようとも、こころを刻まれても、水面のように透き通っていて、太陽のように輝いていた。
それが、蒼月潮だった。

興が冷めた。
急速に失望感が漂ってくる。


もういい、さっさと全員殺す。
皆殺す。

鏖す。

そう決めた。

目を瞑りながらゆっくりゆっくり息を吐いて、丹田に力を入れる。

そして、あらためて目を見開いてみれば――――、


見知らぬ少女が二人の男を従えて、怒鳴っている光景が見えた。


「……ッなに、殺し合いなんか乗ってんだよあんたらぁ……っ!」

羽蟲を見る目で、流は闖入者たちをぼう、と眺めていた。



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