韋昭度 いしょうど
?-895
唐末の宰相(在任881-888、893-895) 。字は正紀で、京兆韋氏の出身。韋逄の子。母は
楊虞卿の娘。
韋綬の孫。進士に及第し、中書舎人に昇進した。中和元年(881)、
黄巣の乱で
僖宗が西に逃れると、兵部侍郎・翰林学士承旨となって従った。同年七月、同中書門下平章事(宰相)に任じられ、司空(任885-887)、太保(任887-893)となる。
昭宗が即位すると宰相を罷免されて守中書令、剣南西川節度使となり、さらに兼行営招撫使となって
陳敬瑄討伐にあたり、
王建・剣南東川節度使
顧彦朗と共に攻めたが、王建の策略により長安に逃げ戻り、罷免された。景福二年(893)九月、宰相
杜譲能が殺害されると代任として司徒(任893)・門下侍郎、同中書門下平章事(宰相)となり、さらに太傅(任893-895)に昇進した。
王行瑜が尚書令の地位を求めると猛反対し、代わりに尚父の称号を与えたが、これによって王行瑜の恨みを買い、王行瑜・
李茂貞・
韓建は軍を連合して昭宗を恫喝して韋昭度の左遷を求め、返答が到着する以前に王行瑜は韋昭度を都亭駅で捕らえて殺害した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年09月30日 01:25