寿王李瑁 りぼう
720-775
盛唐の宗室。
玄宗の第十八皇子。母は
武恵妃。武恵妃は玄宗の寵愛を得ていたが、子が夭折していたから、生まれると寧王
李憲に養育され、その妃元氏に授乳された。開元十三年(725)寿王に封ぜられて宮中に入り、開元二十三年(735)開府儀同三司となり、李琩と改名した。同年
楊貴妃を妃とした。開元二十五年(737)皇太子
李瑛らが母の策謀によって殺害され、母は寿王を皇太子になるよう望んでいたが、同年中に没し、翌年宰相
李林甫らが寿王を皇太子にするよう推したが、
高力士の進言により
粛宗が皇太子となった。開元二十八年(740)
楊貴妃は父に奪われ、天宝四載(745)
韋昭訓の娘を妃とした。安史の乱がおきて、蜀に逃れる途上に馬嵬の変がおこると、玄宗に命じられて兵士を慰撫した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 寿王瑁
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 寿王瑁
外部リンク
最終更新:2024年12月26日 00:32