哀帝

李柷

892-908
唐第23代の皇帝(在位904-907)。諱は柷。哀皇帝。昭宣光烈孝皇帝と追諡された。昭宗の第9子。母は何皇后。6才で輝王に封ぜられ、12才で開府儀同三司諸道兵馬元帥となった。時に黄巣の乱鎮定後で、藩鎮割拠が激化し、とくに朱全忠が勢力をもち、鳳翔にのがれていた昭宗も彼の手中におちた(903)。しかも唐室簒奪の野望をもつ朱全忠は、神策軍を破り、監軍を各所で殺させ、唐室護衛の軍事力を除くと、翌年昭宗を殺し、13才の輝王(哀帝)を即位させた。しかしそれは、禅譲(帝王がその位を世襲せず有徳者に譲ること)形式をととのえようとするためにほかならず、すでに唐朝の実権は彼の手中にあり、907年、帝は位を奪われ、20代290年の唐朝は滅んだ。帝は済陰王となり、曹州(山東省曹県北西)に遷都したが、翌年殺された。斉陰の定陶郷に葬る。陵名は温陵

年号

天祐 904-907

后妃

(なし)

子女

(なし)

宰相

朱全忠 903-907
裴枢 903-905
独孤損 903-905
柳璨 904-905
崔遠 904-905
張文蔚 905-907
楊渉 905-907

本紀

『旧唐書』巻二十下 紀第二十下
『新唐書』巻十 本紀第十

参考文献

『アジア歴史事典1』(平凡社,1959年)

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最終更新:2025年06月24日 12:59
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