司馬承禎 しばしょうてい
643-735
盛唐の道士。上清派第12代の宗師。洛州・温(河南省温県)の人。字は子微。号は道隠、白雲子。諡は正一先生。北周の琅邪公司馬裔の玄孫といわれる。上清派第11代宗師
潘師正の弟子となり, 辟穀(穀物を食することをさけて仙人生活をすること)・導引(あんま)の術を授けられたところ、精通したので師正から感嘆された。のち各地を遍遊してから、天台山に衆妙台をきずいて、そこに住み、
陳子昂・
李白・
王維・
賀知章ら10人と親交をむすんで、仙宗十友といった。
則天武后の召請には応じなかったが、
睿宗や
玄宗の召請には応じた。ことに睿宗は治国の法に対する司馬承禎の答に感心したという。その帰途
盧蔵用から終南山に住むように勧められたが、それは仕官の近道だとしりぞけて、天台山に帰ったといわれている。玄宗は、彼が篆隷が上手なのを聞き、三体の書体で、『老子道徳経』を筆写させた。字も巧みで、詩にもすぐれていた。『白雲記』は、公卿たちが贈った詩集である。弟子は70人余りあったという。死後、銀青光禄大夫をおくられ、玄宗みずから、その碑の撰文をした。上清派は唐初から王室と関係が密であったが、司馬承禎によりことにその関係が促進された。唐代の道士としても傑出した一人である。『修真秘旨』『坐忘論』などの著書がある。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典』4(平凡社,1960)
外部リンク
最終更新:2025年05月21日 01:28