唐書巻十六
志第六
礼楽六
【賓礼】
二を賓礼という。四夷の君長とその使者を接待する。
蕃国の主が来朝すると、使者を派遣して迎え労う。一日前、守宮署が幄を館門の外の道の右に設置し、南向きとする。その当日、使者は幄に到着すると、蕃主はその国の服を着用し、東の階段の下に立ち、西向きとなる。使者は朝服で幄を出て、門の西に立ち、東向きとなる。従者は束帛を持ってその南に立つ。担当官吏は門を出て、西向きになって、「お招きしてください」と言うと、使者は「制を奉ってその主を労います」
その国名をいう。担当官吏は入って告げ、蕃主は門外の東に迎え、西向きになって再拝し、一緒に入る。使者は先に登り、西の階段の上に立ち、束帛を持つ者は登るのに従い、その北に立ち、共に東向きとなる。蕃主は登ると、東の階段の上に立ち、西向きとなる。使者は幣を持って、「制がここにある」と言うと、蕃主は下って拝礼しようとすると、使者は、「後で制があるので、下がって拝礼しません」と言うと、蕃主は旋回し、北向きになって再拝稽首する。使者が制を宣うと、蕃主は進み出て命を受け、退いて版位に戻り、幣を左右に授け、また再拝稽首する。使者が降りると、出て門外の西に立ち、東向きになる。蕃主は門の外に送り、西向きとなり、使者は止まって、会釈して一緒に入り、どちらが先に登るか譲り合い、蕃主が先に東の階段に登って、西向きとなる。使者は西の階段から登って、東向きとなる。蕃主は土産物で使者をもてなし、使者は再拝して受け取る。蕃主は再拝して物を送り、使者は降りると、退出し、蕃主は従って門外に出ることは、いずれも最初の通りである。蕃主は再拝して使者を送り、戻る。蕃主が入り、鴻臚寺は迎えて引き連れて
朝堂に詣で、方角によって北向きに立ち、担当官署は奏聞し、通事舎人は勅を承って退出し、「勅旨あり」と述べる。蕃主は再拝する。感謝の詞を述べ、また再拝する。そこで宿館に向かう。
皇帝は使者を派遣して蕃主の謁見日を間違いないようにさせることは、労いの礼と同様である。制を宣うて「某日、某主に見えん」と述べ、蕃主は拝礼稽首する。使者が降りると、出て、蕃主は見送る。
蕃主奉見。儀式の一日前、尚舎奉御は御幄を
太極殿に設置し、南向きにし、蕃主の座を西南に東向きとする。守宮署は幄を設置し、太楽令は宮縣を展開し、挙麾位(指揮台)を上下に設置し、鼓吹令は十二の机を設置し、乗黄令は車輅(天子の車)を列べ、尚輦奉御は輿輦を列べる。典儀は蕃主の
版位を縣の南道の西に設置し、北向きにし、蕃国の諸官の版位をその後ろにし、二列にし、北向きで西を班位の上とし、典儀の版位を縣の東北にし、賛者二人はその南にあっってやや退き、共に西向きとした。諸衛はそれぞれ部下を統率し、門に駐屯して
黄麾仗を列べる。担当官署は蕃主を迎えて引率し
承天門外にやって来て位座で待機させる。本司は入奏し、矛戟の近仗が全員入る。典儀は賛者を率いて先に入り、座位につく。侍中は版奏して「厳粛にしてください」と言う。諸侍衛の官および符宝郎は宮中に迎え、蕃主およびその部下はそれぞれ宮中の外の西の廂に立ち、東向きとする。侍中は「外辦(お出ましになる準備は出来ております)」と版奏する。皇帝は
通天冠・
絳紗袍を着用し、輿に乗って出発する。舎人は蕃主を引き連れて入門し、「舒和」の楽を演奏する。典儀が「再拝せよ」と言うと、蕃主は再拝稽首する。侍中は制を受けて降りて蕃主の西北にやって来て、東向きになって「制がある」と言うと、蕃主は再拝稽首する。制を宣うと、また再拝稽首する。侍中が報告の奏上を行なうと、制を受けて降りて労い、勅によって座に昇らせる。蕃主は再拝稽首し、座に昇る。侍中は制を受けて労問し、蕃主は平服して席を避け、下りて拝礼しようとすると、侍中が制を受けて、「降りて拝礼しなくてよい」と言うと、蕃主は位座に戻り、拝礼して対面する。侍中は報告の奏上し、制を受けて労い館に戻らせる。蕃主は降りて、再び縣の南に位座し、再拝稽首する。その部下を舎人が労い、その主とともに退出する。侍中が「礼が終わりました」と奏すると、皇帝が立ち上がる。
もし蕃国が使者を派遣して表幣を奉ってきた場合、その労いおよび謁見日を間違いないようにさせることは、すべて蕃国主と同様である。貢献の物を客前に並べ、中書侍郎は表を受け取って机に置き、西の階段にやって来て登って上表する。担当官吏はそれぞれ部下を率いてその幣を受け取る。
皇帝が蕃国主およびその使節と宴するのは、いずれも『礼(『大唐開元礼)』に見える通りである。皇帝は御座につくと、蕃主が入り、献物をその前に並べる。侍中が制を受けて勅を下すと、蕃主は座に登る。蕃主は再拝して礼物を奉り、「某国蕃である臣某が敢えて土産物を献納致します」と述べると、侍中が登って奏じ、勅旨を受けて「朕はこれを受け取ろう」と言うと、侍中は蕃主の東北に降りて、西向きとなり、「制がある」と言う。蕃主は再拝して、そこで制を宣う。また再拝して土産を侍中に授け、これを担当官吏に授ける。担当官吏は他の幣を受け取り、一緒に東向きとなる。通事舎人は勅旨を受けて降りて勅して座につき、蕃国の諸官は一緒に再拝する。昇殿すべき者は西階から、昇殿しない者は分かれて別に廊下の席後に立つ。典儀は「着席せよ」と言うと、階下の賛者が伝達し、全員が着席する。太楽令は歌を歌う者および琴瑟を引き連れて階段にやって来て、履を脱ぎ、座に登り、笙管の者は、階段の間に北面して立つ。尚食奉御は酒を進め、階段にやって来ると、典儀が「酒がついた。起立せよ」と言い、階下の賛者が伝達すると、全員が平伏し、そして立ち上がる。殿中監が階段にやって来て酒を持ち、尚食奉御が酒を進め、皇帝が酒をかかげ、良醞令がお酌をする。典儀が「再拝せよ」と言うと、階段下の賛者が伝達し、全員が再拝し、盃を受け取る。皇帝は初め酒をかかげ、堂上で「昭和」の楽を三度演奏する。尚食奉御が空の盃を受け取り、坫(土製の高台)に捧げる。酒を三度つぎ、尚食奉御は食を進め、典儀が「食事が来たら起立せよ」と言うと、階下の賛者は伝達して、全員が立ち上がる。殿中監が階段にやって来て机を持ち、尚食奉御が品ごとに食を嘗めてから幄に進り、太官令は蕃主以下の食を机に置く。典儀が「着席せよ」と言うと、階下の賛者は伝達し、全員が着席する。皇帝が食事すると、蕃主以下が全員食事する。机を撤去すると、また酒が出され、庶羞(天子の二の膳で、八豆)を準備する。二舞が順番に入り、演奏される。食事が終わると、蕃主以下は席を縣の南に戻し、全員が再拝する。もし筐篚(竹編の容器)があれば、舎人が前で勅旨を受け降りて勅を宣い、蕃主以下は同じく再拝してから退出する。
【皇帝親征】
その三を軍礼という。
皇帝親征。
纂厳(厳重警戒)。一日前に、担当官吏は御幄を
太極殿に設置し、南向きとする。文武の群官は太極殿の庭の東西に幄を設置し、序列ごとにし、二列で北向きとする。乗黄令は
革輅以下の車・旗を庭に陳列する。その日未明、諸衛は部下を率い、
黄麾仗を列べる。夜明け、侍臣・将帥・従行の官は皆
平巾幘・
袴褶。留守の官は
公服で、席につく。上水五刻(辰時)、侍中が「厳粛にしてください」と版奏する。矛戟・近仗を庭に列べる。三刻、群官は席につき、侍臣たちは宮中似てお迎えする。侍中が「外辦(お出ましになる準備は出来ております)」と版奏する。皇帝は
武弁を着用し、御輿で出て、御座につく。典儀が「再拝せよ」というと、席にある者は全員再拝する。中書令が勅旨を受けて百寮群官に勅して出ると、侍中は跪いて「礼は終了しました」と奏ずる。皇帝は東房から入り、侍臣は従って宮中に行く。
昊天上帝に禷(るい。軍の出陣で神に祈るために行われた特別な祭礼)する。祭祀一日前、皇帝は
太極殿にて清斎し、およそこのことを官・侍臣・軍将に告げ、席につく者は全員一日清斎する。その日、皇帝は
武弁を着用し、
革輅に乗り、
大駕を備え、壇所に到着する。犠牲は二で、犠牲・玉幣はいずれも蒼である。尊は
太尊・
山罍をそれぞれ二つ用い、一献のみとする。皇帝が福酒を飲み終わると、諸軍将は東の階段から登り、神座の前に立ち、北向きで西を班位の上とし、福酒を飲んで受胙(供肉を受け取る)する。将軍の幄は外壁の南門の外の道の東にあり、西向きで北を班位の上とする。そこで役職者の
版位を縣の南に設け、北向きとし。身分ごとに序列とし、二列で西を班位の上とする。奠玉帛・進熟・飲福・望燎は、いずれも南郊と同様である。
大社に宜祭し、祖廟に造祭する場合、いずれもそれぞれ礼は一献する。軍将が太稷で福酒を飲むのは、廟では皇考の室で行なう。
凱旋では、捕虜を廟の南門の外に陳列し、軍の土産はその背後に陳列する。
解厳(警戒解除)では、皇帝は
通天冠・
絳紗袍を着用し、群臣は再拝して退き、しかし詔は行わない。その他はすべて纂厳と同様である。
もし征服した地で禡(軍神を祭る)する場合、壁を二重につくり、熊の皮の敷物で軒轅氏(黄帝)を祀る。兵部は二旗を外壁の南門の外に立て、甲冑・弓矢を神位の側に陳列し、矛をその後方に立てられた。以
犧尊・
象尊・
山罍がそれぞれ二つで、饌は特牲(犠牲の供物)を用いる。皇帝は
武弁を、群臣は
戎服を着用し、三献とした。神に接するのはすべて常祀と同様で、埋納して望燎しなかった。その軍将の位座は禷(軍の出陣で神に祈るために行われた特別な祭礼)と同様である。
国門に軷(はつ。旅に出るときに道の神を祭ること)する。右校署は土を国門の外に捨てて軷とし、また穴を神位の西北に埋め、太祝は神位を軷前に宣布し、南向きとなる。太官令は宰人を率いて羊を割く。郊社署の部下は尊・樽・篚(竹籠)・冪(白布)を神位の左に設置し、共に右向きとなり、幣を尊の所に置く。皇帝が到着しようとする時、太祝は樽・洗を東南に立て、西向きとなって再拝し、幣を取って進み出て、跪き神位に捧げる。進饌者は干し肉と塩辛をお供えし、羊を軷に加え、首を西にする。太祝は手を洗って爵を洗い、酒を酌んで進み、跪き神に捧げ、立ち上がって、やや退いて、北向きに立ち、祝文を読み上げる。太祝が再拝する。しばらくして、斎郎を率いて幣・爵・酒を奉ってお供えし、宰人は羊をかかげて肉と骨に解体し、太祝は一緒に載せて、穴に埋納する。執尊者は樽・篚(竹籠)・席を撤去し、駕がやって来ると、一旦やめる。太祝は爵で酒を酌んで、太僕卿に授け、太僕卿は左に轡(たずな)を取り、右に酒を受け取り、両方の軹(じくがしら。車軸の末端)と軌(軏。とこぎ。車輿の床木を組み立てて輢式、つまり車輿の両旁の板をたてる基礎となる三本の材)の前を祭り、そこで飲み、爵を授け、駕は軷を引いて行く。
皇帝親征で山川を通過する場合、官吏を派遣して告祭し、一献とする。もし将軍を派遣して出征する場合、いずれも役人が行事する。
賊が平定されると露布(戦捷報告)を発布する。その当日、守宮署は群官の幄の設置を準備する。露布が到着すると、兵部侍郎は奉って奏聞し、制書を承って文武の群官・客使を
東朝堂に集め、それぞれがその服を着用する。奉礼が
版位をその前に設置し、南に近づけ、文官は東に、武官は西とし、二列で北向きとする。また客使の
版位を設置する。中書令の版位を群官の北に設置し、南面きとする。吏部・兵部・賛官たち・客使は、謁者が率いて版位に就く。中書令は露布を受け取って机に置く。令史二人は
絳公服で、一緒に露布を掲げて従う。中書令が退出すると、南面の版位につき、机を持つ者は西南に立ち、東面きとなる。中書令は露布を取ると、「制がある」と言う。群官・客使は全員再拝する。遂に発布し、また再拝して、蹈舞の礼(足をふんで喜び舞う礼)をし、また再拝する。兵部尚書は進み出て露布を受け取り、退いて版位に戻り、兵部侍郎は進み出て受けとる。中書令が入ると、群官・客使はそれぞれ幄に戻る。
【講武(閲兵)】
仲冬の月(二月)、武を都の外で講ず。
実施の十一日前、担当官署は講武を奏請する。兵部は詔を受けて、遂に将帥に命じて軍士を選抜し、地を掃いて場をつくり、一方は千二百歩で、四方に張り出して軍門とする。また歩兵・騎兵の六軍を陣営に分け、左右軍でそれぞれ三軍とし、北を班位の上とする。中間はそれぞれ三百歩の間隔があり、五つの表を立て、表の間隔は五十歩で、二軍の進退の節とする。別に地を墠(祭りの庭)として北軍とし、南向きとする。三日前、尚舎奉御は大幄を墠に設置する。一日前、講武の将帥および士卒は墠所に集まり、旗を立てて軍門とし、方角の色の通りにする。墠の中および四角は、すべて五采の牙旗・旗鼓・甲仗を立てる。大将以下は、それぞれ統帥する。大将は甲冑を着用して馬に乗り、兵士たちを教導する。若年者は前に、壮年者は後ろにする。帰路には順番が逆となる。壮年者は弓矢を持ち、若年者は戈・矛を持ち、力のある者は旌(はた)を持ち、勇者は鉦・鼓・刀・楯を持って前列となり、矛を持つ者がその次となり、弓箭を持つ者は後方となる。演習させるのに旌旗を見て、金鼓の律動による。旗が下ろされると跪き、旗があがると立ち上がる。
講武の日、未明十刻(日の出3時間前)に警戒態勢となり、未明五刻(日の出1時間15分前)に甲冑を着用し、歩兵は直ちに陣を敷いて待機し、大将は旗鼓の下に立つ。六軍はそれぞれ鼓十二・鉦一・大角四である。七刻(日の出2時間15分後)、鼓を一度ならして警戒態勢となり、侍中が「宮殿門および城門を開きます」と奏じる。五刻(日の出1時間15分後)、再度警戒態勢となり、侍中は「厳粛にしてください」と版奏する。文武の官で従うべき者は共に先に置かれ、文武官は全員
公服を着用し、所司は
小駕を用いる。二刻(日の出30分後)、三たび警戒態勢に入り、諸衛はそれぞれその隊を率いて矛戟と共に幄に入り、殿庭に列べる。皇帝が
革輅に乗って墠(祭りの庭)に到着すると、兵部尚書は甲冑を着用して馬に乗って引率し奉り、北門から入り、二個歩兵軍の北に到着すると、南向きとなる。黄門侍郎は革輅から降りることを願い出る。そこで大幄に入る。兵部尚書は東廂に止まり、西向きとなる。領軍は
小駕から減員し、騎士は都墠の四周に立ち、侍臣は左右に分かれて大幄の前に立ち、北を班位の上とする。九品以上は全員
公服を着用し、東・西の文・武官は侍臣の外の十歩の所に立ち、二列となって北を班位の上とする。諸州の使人および蕃客は先に北門の外に集まり、東方・南方は道の東に立ち、西方・北方は道の西に立ち、北を班位の上とする。駕が到着しようとすると、奉礼は「再拝せよ」と言う。
版位にいる者は全員再拝する。皇帝は幄に入り、謁者は諸州の使人を引率し、鴻臚は蕃客を引率し、東方・南方では大幄の東北に立ち、西方・北方では西北に立ち、観る者は都墠の騎士の仗外の四周に立ち、その後に講武する。
大角を三度吹き鳴らす。中軍の将はそれぞれ鞞(騎乗用の大鼓)で太鼓を叩き、二軍は共に鼓を打つ。三度目の鼓で、担当官吏は旗を伏せ、歩兵は全員跪く。諸帥で果毅以上は、それぞれその中軍に集まる。左廂の中軍の大将は旗鼓の東に立ち、西向きとなり、諸軍の将はその南に立つ。右廂の中軍の大将は旗鼓の西に立ち、東向きとなり、諸軍の将はその南に立つ。北向きとなり、大将の宣誓を聞く。左右の三軍はそれぞれ長史が二人で、鐸を振って盾をもって巡行し、果毅たちはそれぞれ誓詞によってその部下に告げる。鼓が鳴ると、担当官署は旗を挙げ、兵士たちは全員立ち上がって進み、表になって鉦がなると停止する。また三度鼓が鳴ると、担当官署は旗を伏せ、兵士たちは全員跪く。また鼓が鳴ると、担当官署は旗を挙げ、兵士たちは全員立ち上がり、馬を走らせて上表し、そこで停止する。東軍は鼓を一度打つと、青旗を挙げて単形陣とし、西軍も同じく鼓を打ち、白旗を挙げて方陣となって応じる。次に西軍が鼓を打つと、赤旗を挙げて鋒矢陣となり、東軍が同じく鼓を打つと、黒旗を挙げて曲陣となって応じる。次に東軍が鼓を打つと、黄旗を挙げて円陣となり、西軍が同じく鼓を打つと、青旗を挙げて単形陣となって応じる。次に西軍が鼓を打つと、白旗は方陣となり、東軍が同じく鼓を打つと、赤旗は鋒矢陣となって応じる。次に東軍が鼓を打つと、黒旗を挙げて曲陣となり、西軍が同じく鼓を打つと、黄旗を挙げて円陣となって応じる。おおよそ陣形は、先に旗を挙げる方を客とし、後に挙げる方を主とする。陣形を変えるごとに、二軍はそれぞれ刀・楯五十人で戦いを挑み、第一・第二の挑戦は互いに勇怯のようにし、第三の挑戦は我敵が拮抗しているようにし、第四・第五の挑戦では勝敗の形とした。将ごとに陣形を変え、先に鼓を打って単形陣とし、その後は他の陣の法に従って変える。その後、両軍は共に単形陣とする。また三度鼓が打たれると、担当官署は旗を伏せ、兵士は全員跪く。また鼓が鳴ると旗を挙げ、兵士たちは全員立ち上がり、騎兵は駆けて、歩兵は走り、左右の軍も共に中に至って表し、互いに攻撃する様相をみせて戻る。退くごとに一行の表をもたらし、跪き立ち上がることは前述の通りで、また最初に戻る。侍中が跪いて「騎軍を御覧ください」と言い、制を承るとこれをうけて「よし」と述べる。二軍の騎兵はすべて歩兵の法と同様で、陣ごとにそれぞれ八騎が戦いを挑み、五陣が終われば、大いに鼓を打って前進し、馬を翻して戦うようにして中止し、遂に軍を整えて凱旋する。侍中は跪いて「侍中である臣某が申し上げます。以上で儀礼が終了します」と奏ずると、そこで帰還する。
【皇帝狩田の礼】
皇帝狩田の礼も、同じく仲冬に行われる。
祭祀の十日前、兵部は部属を集めて作戦要領を頒布し、虞人は部下を率いて田狩と演習の場所の野草を刈り除いて、その後方に旗を建てる。祭祀の一日前、将兵たちは旗の下に集まる。夜が明けると、建てた旗を斜めに倒して、遅刻者を処罰する。兵部が田令を申し上げると、遂に田を囲い込む。その両翼の将はいずれも旗を建てる。夜になると、囲みを広げ、その南面を開けておく。皇帝の駕が田の所に到着すると、皇帝は鼓の音と共に囲みに入り、鼓吹令は鼓六十を皇帝の東南に並べ、西向きとなり、また鼓六十を西南に並べ、東向きとする。全員が馬に乗り、それぞれが
簫角を備える。諸将は全員鼓の音で囲みに入る。そこで禽獣を駆り出す騎馬を設ける。皇帝は馬に乗って南向きとなり、担当官署は旗を収めて従う。諸公・王以下は全員馬に乗り、弓矢を帯びて、前後に並ぶ。担当官吏の部下も同じく小旗を収めて従う。そこで禽獣を駆り出す者が前に出る。それより以前、一騎が駆けて通り過ぎると、担当官署が弓矢を整備して前にする。再び騎馬が通過すると、担当官署は弓矢を進め奉る。騎馬が三度目に通過すると、皇帝は禽獣の左から射る。騎馬が駆けるたびに必ず禽獣は三頭以上である。皇帝が出発すると、大旗を高くあげ、その後に公・王が出発すると、小旗を高くあげる。禽獣を駆り出す騎馬が停止すると、その後に百姓が猟をする。
おおよそ禽獣を射るのに、左から射て、右肩骨に達するのを上射とし、右耳の本に達するのを次射とし、左大腿骨から右肩骨に達するのを下射とする。禽獣の群れが追従してもすべてを殺さず、すでに射られた禽獣は二度目を射ることはしない。禽獣の顔を射ることはせず、その毛を刈り取らない。おおむね出表者は禽獣を追わない。田狩を止めようとすると、虞部は旗を田内に建て、駕の鼓および諸将の鼓を連打し、兵士は一緒に喚呼の声をあげる。およそ獲得した禽獣は旗の下に献じられ、その左耳を送った。大獣は公用とし、小獣は私用とした。その上の物は宗廟にお供えし、次のものは賓客に供給し、下のものは調理に用いる。そこで担当官吏に命じて禽獣を近隣の村々の農夫の弁当とし、禽獣を用いて廟社に告祭する。
【射】
射。
祭祀一日前、太楽令は宮縣の楽を設置し、鼓吹令は十二の机を射殿の庭に、東面の縣は東階段の東にあり、西面の縣は西階段の西に設置した。南北二縣および登歌を広く中央に開くが、射者の位座を避ける。大きな的を殿から九十歩のところに張り、乏(矢防ぎ)を的の西十歩・北十歩のところに設置する。五つの矢筒を庭前に設置し、やや西にする。射に侍った者の
版位を西階段の前に設置し、東向きで北を班位の上とする。司馬の
版位を射に侍った者の版位の南とし、東向きとする。獲者(的中を報告する者)の
版位を乏(矢防ぎ)の東に設置し、東向きとする。射に侍った者の射位を殿の階段の下に設置し、御前からやや西とし、横に敷き、南向きとする。射に侍った者の弓矢は西門の外に待機する。賞品を東の階段の下に並べ、やや東にする。罰豊(罰爵を置くための豆の形に似て低い木製の台)を西の階段の下に置き、やや西にする。罰尊を西の階段に設け、南北によって殿の奥にする。篚(竹籠)を罰尊の西に設置し、南に並べ、爵に満たして冪(白布)を被せる。
当日夜明け、皇帝は
武弁を着用し、文武官は共に
公服を着用し、典謁は引率して入見し、音楽が演奏されることは、元会の儀と同様である。酒が二順すると、侍中の一人で奏上して、「担当官署が謹んで申し上げます。射を行ってください」と申し上げると、侍中の一人が進み出て制を承り、退いて、「制が出されて「よろしい」と仰せになられた」と言う。王・公以下は全員が降りた。文官は東の階段の下に立ち、西向きで北を班位の上とする。武官は西の階段の下に立ち、射乏(矢防ぎ)の後方にて、東向きで北を班位の上とする。矛を持った隊が両側に林立し、千牛備身が二人、御弓および矢立を東の階段の上で奉り、西向きとなり、弓を持つ者は北に位置した。また坫(土製の高台)を、弓を持った者の前に設置し、また御弓懸・芦で編んだ籠・弓籠をその上に置く。獲者(的中を報告する者)は旗を持って乏(矢防ぎ)の南から行き、的の東に当たり、行って的に到着すると、的を背負って北向きに立つ。射に侍った者は西門の外に出て、弓矢を取り、両手で弓を捧げ、四本の矢を帯に差し挟み、入り、殿下の射位の西に立ち、東向きとなる。司馬は弓を奉って西の階段から登り、西柱の前にあたって、南向きとなり、弓を振るい、獲者に命じて旗によって的から西に十歩のところに行かせ、北に行って乏に到着すると停止した。司馬は西の階段から降り、位座に戻った。千牛中郎が一人、弓懸・弓籠を捧げるのに芦で編んだ籠を用い、千牛将軍は弓を捧げ、千牛郎将は矢を捧げて進み、御椅子の東のやや南に立ち、西向きとなる。郎将は跪き御椅子の前に矢幹を捧げて、やや東とする。そのまま芦で編んだ籠の中で弓懸・弓籠の塵埃を巾で払い、弓懸を取って立ち上がる。弓懸をつけることを手伝う。また跪き弓籠を取り、立ち上がり、弓懸をつけるのを手伝う。芦で編んだ籠を持って退き、坫(土製の高台)を捧げる。千牛将軍は北向きに弓を張り、弓の強弱を調べるために、衣の袂をもって弓の左右に上下の曲がりを撫でる。上側については二度行い、下側は一度だけ行なう。
弓の左右を撫でるというのは、弓の表の上下のことを言うのである。衣の袂を用いて上面を二度拭き磨き、下面は一度である。西向きとなり、左手に弓束を持ち、右手に弓筈を持って進み出る。千牛郎将は巾で矢を払って進み出て、一一供御する。射ようとすると、協律郎が指図旗を挙げ、まず鼓吹(軍楽)が演奏され、「騶虞」の楽の五節が演奏されると、御して射る。第一矢は第六節と相関し、第二矢は第七節と相関し、九節になると、協律郎は指図旗を下ろし、音楽が止む。千牛将軍は矢の行き先を奏じ、的中すれば「獲」、下になると「留」、上になると「揚」、左は「左方」、右は「右方」と言う。
留というのは、矢の到達が短く的に及ばないことをいう。揚というのは、矢が的を過ぎることをいう。左・右というは、矢が偏って正しくないことをいう。千牛将軍は御座の東に、西向きとなって弓を受け取り、退き、東の階段の上にて千牛に授ける。千牛郎将は芦で編んだ籠で弓懸・弓籠を受け取り、坫(土製の高台)を捧げる。
射に侍った者が進み出て、射席に登って北向きに立ち、左に体を廻し、東向きで弓を張り、南向きで矢を挟む。協律郎が指図旗を挙げると、音楽が演奏されるが、軍楽は演奏しない。音楽は「狸首」三節を演奏し、その後に矢を放つ。もし射に侍った者が多ければ、一斉に放つ。第一射は第四節と相関し、第二射は第五節と相関し、こうして七節となる。協律郎が指図旗を下ろすと、音楽や止む。弓は右に廻し、東西で弓を緩め、向きに立つようにし、そこで退いてまた西の階段の下に戻り、立つ。司馬が西の階段から登り、西の柱の前から、南向きとなり、弓を振るい、命じて矢を取る。矢を取る者は御矢を東の階段の下にて千牛に授け、射に侍った者は弓を位座に置き、庭前に北向きとなり東を班位の上とする。担当官署は奏上して賞罰を請い、侍中は「制が出されて「よろしい」と仰せになられた」と言う。担当官署は矢筒の西に立って、東向きとなり、矢を射るのを監督・名前の読み上げ唱えるのを行なう。矢を取る者はそれぞれ的中した者の姓名を読み上げる。的中した者は東の階段の下に立ち、西向きで、北を班位の上とし、的中しなかった者は西の階段の下に立ち、東向きで北を班位の上とする。共に再拝する。担当官署は東の階段の下に賞物を付する。酌する者を罰尊(罰酒)の西にし、東向きとし、跪き、爵を豊(罰爵を置くための豆の形に似て低い木製の台)の上に捧げる。的中しなかった者は豊の南に進み出て、北向きとなって跪き、爵を取り、立って飲み、爵を飲み干すと、豊の下に捧げる。酌する者は北向きに跪き、空の爵を取って酌んで捧げ、的中しなかった者は順次飲んでいき、いずれも最初の通りである。典謁は王公以下および射に侍った者を率い、全員が庭前にて北向きで相対して先頭とし、再拝し終われば、引率して退出する。矛を持つは位座に戻る。皇帝が入ると、音楽を奏で、先払いする警蹕(先払いの触れ)をする。担当官署は弓矢を持って中門の外に出て、射に侍った者は退出する。
もしただ射する者一人のみで、射に侍る人がいなかった場合、矢筒を設置せず、賞罰を並べない。もし宴会の小射の場合、常服とし、楽縣を設置せず、会礼も行わない。
【合朔伐鼓】
合朔伐鼓(日食時の太鼓の打ち鳴らし)。
その日の二刻前、郊社令および門僕は赤い頭巾に絳衣(深紅色の衣)で、四門を守り、門を巡って監察させる。鼓吹令は
平巾幘・
袴褶で、工人を率いて方角の色によって指図旗を持ち、分かれて四門の建物の下に置き、龍蛇鼓を右に設置する。東門では北の塾(門の両脇の建物)に立ち、南向きとなる。南門では東の塾に立ち、西向きとなる。西門では南の塾に立ち、北向きとなる。北門では西の塾に立ち、東向きとなる。隊正一人は
平巾幘・
袴褶を着用し、刀を持ち、衛士五人を率いて五人の兵を選んで鼓の外に立たせ、矛は東にあり、戟は南にあり、斧・鉞は西にあり、矟(槊杖)は北にあった。郊社令は短矛を社壇の四隅に建て、朱糸の縄で周囲を取り囲む。太史一人は赤い頭巾、赤い衣を着用し、社壇の北に立ち、日に向かって変容を観察する。黄色の指図旗がこれに続き、龍鼓一がこれに続き、北にいる。弓一・矢四がこれに続く。兵たちは鼓を打ち鳴らしながら変容を待った。太陽に変化がおこると、史官は「祥に変化がある」と言い、工人は指図旗を挙げ、龍鼓は雷鳴のように鳴り響く。史官が「止めい」と言うと、そこで止まった。
その日、皇帝は素服を着用して、正殿を避け、百官は廃務し、府史より以上は全員素服となり、それぞれが官衙の前にて、二列で整列することは、身分ごとに序列があり、太陽に向かって立つ。明るくなるとまた止めた。
貞元三年(787)八月、日食がおこると、担当官署は伐鼓しようとしたが、
徳宗は許さなかった。太常卿の
董晋が、「伐鼓を実施する理由は陰を責めて陽を助けることにあります。何卒、担当官署に経典によって伐鼓することをお許しになられますように」と申し上げたが、返答はなかった。これによってこの礼は遂に廃止された。
【大儺之礼】
大儺の礼。
年齢十二歳以上の人を選ぶ。十六歳以下が侲子(しんし、わらべ)である、仮面をつけ、赤布・
袴褶を着用する。二十四人が一隊、六人が一列となる。執事が十二人、赤い頭巾に赤い衣を着用し、麻の鞭を持つ。工人二十二人、その一人が方相氏となり、仮面、黄金の四つ目、熊皮を被り、黒の衣、朱色の装束、右手に楯を持つ。その一人が歌を指揮し、仮面をつけ、皮の衣、棍棒を持つ。鼓・角笛がそれぞれ十、合せて一隊となる。隊別に鼓吹令が一人、太卜令が一人、各部を監督する巫師が二人である。これによって悪鬼を禁中から追い払う。担当官署に命じて門ごとに雄鷄および酒を供える。宮城の正門・皇城の諸門で動物を磔して、祭壇を設ける。太祝一人、斎郎三人、右校が埋納物を埋め、それぞれ皇城の中門の外の右にて実施する。祭祀一日前の夕方、儺者は集所に赴き、祭器・服装を備えて待機する。
その当日未明、諸衛は時刻によって部下を統率し、門に集まって仗を並べ、近仗は入って階段に並ぶ。鼓吹令は儺者を率いてそれぞれ宮門の外に集まる。内侍は皇帝のおわします御殿に詣って、進み出て「侲子の準備が出来ました。疫を追い払ってください」と申し上げる。出ると寺伯六人に命じて、分かれて儺者を
長楽門に引率し、
永安門から入り、左右から宮殿に入り、鼓で喧騒立てて進む。方相氏は戈を持って楯を挙げて歌い、侲子は唱和し、「甲作は災いの鬼を食らい、胇胃(ふつい)は虎を食らい、雄伯は魅を食らい、騰簡は不吉の鬼を食らい、攬諸は咎の鬼を食らい、伯奇は迷いの鬼を食らい、強梁と祖明は共に磔の鬼と人に寄生する鬼を食らい、委随は墓場の鬼を食らい、錯断は巨大な鬼を食らい、窮奇・騰根は共に呪いの鬼を食らう。およそ十二匹の神獣を駆使して、悪事・凶事をなす鬼を追い立て、お前達の体を炙り、背骨を砕き、肉を切り刻み、肺と腸を抉り出すぞ。鬼どもよ、急いでここから立ち去らず、遅れれば神獣の餌となると知れ」という。回って叫び終わると、前後の鼓が喧騒立てて出てきて、諸隊はそれぞれ
順天門を走って出て、分かれて諸城門に行き、城郭を出るよ終わりとする。
儺者が出ようとすると、祝(巫女役)が神の席を供える。中門に向かって南向きとなる。出終わると、宰手・斎郎が神席の西にて動物を磔して、席に広げておく。頭は北に向ける。斎郎が清酒を酌んで、太祝が受け、これを捧げる。祝史は
祝版を座の右側に持ち、跪いて祭文を読み上げる。「維れ某年歳次月朔日、天子が太祝の臣姓名を遣わし、太陰の神に告げる。」 立ち上がると、
祝版を神の席に捧げ、犠牲の動物を酒と共に土に埋納する。
最終更新:2026年04月20日 23:18