張造
846-890
唐代の武将。簡州刺史。当初は忠武軍監軍の
楊復光の配下で、楊復光が死ぬとその軍は八都に分割され、
鹿晏弘・
晋暉・李師泰・
王建・
韓建・
張造・
龐従らに分けられ、鹿晏弘に従った。中和四年(884)王建・韓建・晋暉・李師泰らとともに鹿晏弘から離脱して蜀に逃亡していた僖宗のもとにはしり、郡を与えられて刺史に任じられた。僖宗は喜んで「随駕五都」と呼んだ。大順元年(890)王建・
韋昭度とともに
陳敬瑄の成都を攻めたが、大敗して戦死した。
列伝・史料
外部リンク
最終更新:2023年06月04日 22:03