Top > 【シェア】みんなで世界を創るスレ【クロス】 > 異形世界・「白狐と青年」 > 第53話
「鬼」
●
倒れて動かない通光に距離を置きつつ墓標の先端を向けて、匠は通光の様子を観察した。
先程通光を打ちすえた攻撃は彼の腕によって受けられた。その後、彼は生じた爆発によって吹き飛ばされており、匠が振るった刃自体は通光の身体には当たってはいない。
彼が吹き飛ばされた先も硬い壁や床面ではなく異形の肉塊のただなかだ。死んではいないだろう。
気を失っているのか、あるいはこちらが不用意に近付くのを待っているのか、そのどちらかを判ずるには異形の肉塊が影になっているため分からない。
様子をうかがいながら距離を詰め、匠は別の要件を済ませる事にした。
「クズハ、この部屋の中にある計器の類を完全に破壊できるか?」
「あ、はい」
目を覚ました議員たちを護衛するようにして複数の陣を構築していたクズハは、その幾つかに手を加えながら応えた。
「ある程度以上の電気を流せば壊せますよね?」
「そのはずだ。さっきの戦闘でもうほとんど壊れてるとは思うが、念には念を入れてくれ」
「分かりました。他の実験施設の位置などの情報が残ってるかもしれませんけど、それはいいんですか?」
「じいさんが庁舎内にウイルスを流してる。もし情報があったのならそれでもう回収できたはずだ。気にしなくていい」
「はい」
クズハは手を加えて内部の式を組み替えた陣を両掌で捧げ持つようにして起動した。
陣から咲いた雷花が、部屋の壁を伝うように迸り、通り道にある先程の戦闘の中で生き残っていた計器を次々に破壊していった。
計器が破壊されていく音を聞きながら、匠は通光に近付いた。
その時、俯いたままの通光の声が聞こえた。
「まったく、貴重なデータがいくつも封じられているというのに」
「――!」
瞬時に体を緊張させた匠の眼前、両腕を失くした通光は立ち上がった。
足元がおぼつかなく、肩で息をして、半顔を流れ落ちる血を拭う事も出来ずに左目を閉じている彼は、異形の肉塊から床の上へと降りた。
匠はそんな通光の首筋に墓標の先端から生成した刃を押し当てる。
「動くな、じきに下からも人が来る。大人しく捕まれ」
「問答無用で殺さないとは……甘いな」
そう言う通光の、開いた右目の眼光は鋭い。降参する気はなさそうだった。
しかし、意志は下る気はなくても身体の方はもう満足に動かす事も出来ないだろう。
そう判断して匠は通光まで残り数歩の距離を詰める。と、そこで、議員たちに現在の状況を説明していたクズハが出し抜けに叫んだ。
「匠さん! ≪魔素≫が通光さんから――これは異形の……っ」
匠も一拍遅れて気付く。
異形の死体から残り香のように漂ってくる≪魔素≫に紛れて判別しづらかったが、通光を中心にして≪魔素≫が渦を巻いていた。
疲弊した様子で不安定に体を揺らしながら、バランスを取るように、そして無くなった腕を広げるように両肩を左右に開いている通光に危険を感じる。
彼を制圧にかかろうとした匠は、いつの間にか彼の肩口から新たな腕が生えているのを視認した。
生えてきたのは、鉄のような鈍い色をした、異常発達した筋肉をもつ異形の腕だった。
異形の腕、それが通光の失われた腕から生えてきた意味を匠は直感した。
「異形の身体を、自分にも仕込んでいたのか……?」
通光は徐々に生え伸び、肥大化していく腕に振り回されるように身を痙攣させながら頷いた。
「そもそも初めの実験体は私だ。万全を期した筈の異形への対抗手段だったのだが、そこの子狐――クズハに起こったような侵食が起こるとは当時は思いもしなかった。これまでは機械で異形の血肉の侵食を抑えていたのだがな、それも破壊されてしまった今となっては侵食されるままに任せるしかない」
「じゃあ、お前はもう……」
生え伸びる腕の太さが通光の胴を上回った。同時に彼の身体自体が腕の太さに合わせるようにして急速に巨大化していった。
侵食され巨大化していく体の各部の翻弄されながら、通光は狂気じみた笑みを浮かべた。
「さて、忌まれるべき異形として、人々の記憶に恐怖を刻みつけよう」
「お前……っ」
通光の首を狙って墓標から刃を伸ばすが、伸長した刃は腕の一振りで軌道を逸らされた。
異形の肉塊に刃が突き刺さる音を背景に、通光は告げた。
「変じた私がどのような姿になるのかは未知数だが、大阪圏の中枢を破壊する事ができれば混乱も広がろう。データ自体はほとんど協力者の間に散っている。私が消えても恐怖を刻みつけられた人々は力を求めて実験に手を出すだろう」
急速に侵食されていく通光の巨体は、天井まで届こうとしていた。
匠は危機感を得て叫んだ。
「クズハ! 天井をぶち抜け!」
先程通光を打ちすえた攻撃は彼の腕によって受けられた。その後、彼は生じた爆発によって吹き飛ばされており、匠が振るった刃自体は通光の身体には当たってはいない。
彼が吹き飛ばされた先も硬い壁や床面ではなく異形の肉塊のただなかだ。死んではいないだろう。
気を失っているのか、あるいはこちらが不用意に近付くのを待っているのか、そのどちらかを判ずるには異形の肉塊が影になっているため分からない。
様子をうかがいながら距離を詰め、匠は別の要件を済ませる事にした。
「クズハ、この部屋の中にある計器の類を完全に破壊できるか?」
「あ、はい」
目を覚ました議員たちを護衛するようにして複数の陣を構築していたクズハは、その幾つかに手を加えながら応えた。
「ある程度以上の電気を流せば壊せますよね?」
「そのはずだ。さっきの戦闘でもうほとんど壊れてるとは思うが、念には念を入れてくれ」
「分かりました。他の実験施設の位置などの情報が残ってるかもしれませんけど、それはいいんですか?」
「じいさんが庁舎内にウイルスを流してる。もし情報があったのならそれでもう回収できたはずだ。気にしなくていい」
「はい」
クズハは手を加えて内部の式を組み替えた陣を両掌で捧げ持つようにして起動した。
陣から咲いた雷花が、部屋の壁を伝うように迸り、通り道にある先程の戦闘の中で生き残っていた計器を次々に破壊していった。
計器が破壊されていく音を聞きながら、匠は通光に近付いた。
その時、俯いたままの通光の声が聞こえた。
「まったく、貴重なデータがいくつも封じられているというのに」
「――!」
瞬時に体を緊張させた匠の眼前、両腕を失くした通光は立ち上がった。
足元がおぼつかなく、肩で息をして、半顔を流れ落ちる血を拭う事も出来ずに左目を閉じている彼は、異形の肉塊から床の上へと降りた。
匠はそんな通光の首筋に墓標の先端から生成した刃を押し当てる。
「動くな、じきに下からも人が来る。大人しく捕まれ」
「問答無用で殺さないとは……甘いな」
そう言う通光の、開いた右目の眼光は鋭い。降参する気はなさそうだった。
しかし、意志は下る気はなくても身体の方はもう満足に動かす事も出来ないだろう。
そう判断して匠は通光まで残り数歩の距離を詰める。と、そこで、議員たちに現在の状況を説明していたクズハが出し抜けに叫んだ。
「匠さん! ≪魔素≫が通光さんから――これは異形の……っ」
匠も一拍遅れて気付く。
異形の死体から残り香のように漂ってくる≪魔素≫に紛れて判別しづらかったが、通光を中心にして≪魔素≫が渦を巻いていた。
疲弊した様子で不安定に体を揺らしながら、バランスを取るように、そして無くなった腕を広げるように両肩を左右に開いている通光に危険を感じる。
彼を制圧にかかろうとした匠は、いつの間にか彼の肩口から新たな腕が生えているのを視認した。
生えてきたのは、鉄のような鈍い色をした、異常発達した筋肉をもつ異形の腕だった。
異形の腕、それが通光の失われた腕から生えてきた意味を匠は直感した。
「異形の身体を、自分にも仕込んでいたのか……?」
通光は徐々に生え伸び、肥大化していく腕に振り回されるように身を痙攣させながら頷いた。
「そもそも初めの実験体は私だ。万全を期した筈の異形への対抗手段だったのだが、そこの子狐――クズハに起こったような侵食が起こるとは当時は思いもしなかった。これまでは機械で異形の血肉の侵食を抑えていたのだがな、それも破壊されてしまった今となっては侵食されるままに任せるしかない」
「じゃあ、お前はもう……」
生え伸びる腕の太さが通光の胴を上回った。同時に彼の身体自体が腕の太さに合わせるようにして急速に巨大化していった。
侵食され巨大化していく体の各部の翻弄されながら、通光は狂気じみた笑みを浮かべた。
「さて、忌まれるべき異形として、人々の記憶に恐怖を刻みつけよう」
「お前……っ」
通光の首を狙って墓標から刃を伸ばすが、伸長した刃は腕の一振りで軌道を逸らされた。
異形の肉塊に刃が突き刺さる音を背景に、通光は告げた。
「変じた私がどのような姿になるのかは未知数だが、大阪圏の中枢を破壊する事ができれば混乱も広がろう。データ自体はほとんど協力者の間に散っている。私が消えても恐怖を刻みつけられた人々は力を求めて実験に手を出すだろう」
急速に侵食されていく通光の巨体は、天井まで届こうとしていた。
匠は危機感を得て叫んだ。
「クズハ! 天井をぶち抜け!」
●
彰彦は庁舎前に現れた男が持つ多節の腕を避け、異形化した人間の男の腹部に拳を打ち込んだ。
骨を砕く手応えを感じとると同時に男は吹き飛ぶ。
男は体勢を大きく崩しながらもなんとか着地すると、自身を殴った男の腕が異形のそれである事を確認して叫び問うた。
「貴様、その腕をもっていて、何故そっち側につく?!」
言いながらも男は多節の異形の腕を伸ばして多方向から打ち込んでくる。腕の先端にある鋭い爪が彰彦の死角から急所を狙うが、彰彦はそれらの攻撃を最小限の動きで回避する。
「なんでって、そりゃあ」
呟きながら男の方へと彰彦は駆けた。
「望んで手に入れた腕じゃあねえしな!」
この腕を負い目に感じていた時もあったのだ。しかし、
異形の腕を、異形の腕で捌いて男の懐に侵入する。
「でも忌々しく思っちまう程不便でもないんだよな、この腕!」
掌底を打ち込む。人体というよりも、甲虫の外骨格を砕くような手応えを得ながら、彰彦の掌に溜められた≪魔素≫が掌打の衝撃と共に男の心臓を貫いた。
「――――ガッ?!」
血を吐いて頽れた男がもう動かない事を確認して、彰彦は男の心臓を打ち貫いた状態で硬直させていた体を息を一つ吐くと共に弛緩させた。
周囲を見渡して呟く。
「とりあえず、こっちは大丈夫そうだな」
周りでは庁舎からあふれ出てきた異形達を壊滅させようとしていた武装隊達が、指揮役の敗北を確認して、気勢を上げていた。
「皆が手助けに来てくれて助かったな」
既に戦闘をひと段落させた後衛の武装隊達は逃げた異形に相手の掃討戦を行う部隊編成を行っている。行政区内の侵略する異形とそれに対する者達の勢力図は順調に塗り替えられていた。
……大勢は決したって感じだな。あーしんどかった。
そう思っていると、通信機に連絡がきた。
「うむ? 誰かのう?」
平賀が通信機をとる。
先程まで旧下水道の位置を知らせるために使われていた拡声器越しに声が響く。
『明日名です』
キッコと共に庁舎地下へと侵入していた明日名からの連絡だった。平賀がどうしたのかと問うと、明日名は疲労の滲む声で報告した。
『地下、行政区内のあちこちに異形達を侵入させる道になっていた旧下水道を封鎖。これで行政区に異形が新たに出没する、という事もないと思います』
「おお……!」
喜びの声が方々で上がる。それらの声を聞きながら、彰彦は庁舎を見上げた。
これで後は議員たちを助けて、あわよくば通光の身柄も押さえる事ができれば万々歳だ。
「もうここを離れても大丈夫そうならいっそあいつらの手伝いにでも――!?」
彰彦は言いかけていた言葉を途切れさせて、視界に移った異形の姿に鳥肌を立てた。
「あんなもんがいやがったのか……?」
庁舎の頂上が破壊され、その中から鈍色の巨体が現れていた。
庁舎の頂上は遠く、明確にはその姿は視認できないが、巨体の頭頂には双の角があるのが陽の光の照り返しでわかる。
「ありゃ、鬼か……?」
正体を見定めようとする間にも破壊された庁舎からは瓦礫が落下してきている。彰彦は周囲の人々に警告を叫んだ。
「おい! 頭上瓦礫注意! ――庁舎ぶち抜いて鬼が出たぞ!」
声に反応した武装隊達が鬼の出現に驚愕し、直近に迫っている瓦礫の落下という危険に反応できた幾人かが防御用の術を展開した。
立ちあげられた防壁に瓦礫が受け止められていく。
「おいおい……」
地上で起きた異変を察した明日名達が何が起こったのか訊ねてきた。
『これは、随分と強大な異形が現れたようだの?』
キッコの声が拡声器越しに聞こえて来る。相手に見えない事を承知で頷きながら、彰彦は呆然と呟いた。
「生きて帰ってこいよ。匠、クズハちゃん」
骨を砕く手応えを感じとると同時に男は吹き飛ぶ。
男は体勢を大きく崩しながらもなんとか着地すると、自身を殴った男の腕が異形のそれである事を確認して叫び問うた。
「貴様、その腕をもっていて、何故そっち側につく?!」
言いながらも男は多節の異形の腕を伸ばして多方向から打ち込んでくる。腕の先端にある鋭い爪が彰彦の死角から急所を狙うが、彰彦はそれらの攻撃を最小限の動きで回避する。
「なんでって、そりゃあ」
呟きながら男の方へと彰彦は駆けた。
「望んで手に入れた腕じゃあねえしな!」
この腕を負い目に感じていた時もあったのだ。しかし、
異形の腕を、異形の腕で捌いて男の懐に侵入する。
「でも忌々しく思っちまう程不便でもないんだよな、この腕!」
掌底を打ち込む。人体というよりも、甲虫の外骨格を砕くような手応えを得ながら、彰彦の掌に溜められた≪魔素≫が掌打の衝撃と共に男の心臓を貫いた。
「――――ガッ?!」
血を吐いて頽れた男がもう動かない事を確認して、彰彦は男の心臓を打ち貫いた状態で硬直させていた体を息を一つ吐くと共に弛緩させた。
周囲を見渡して呟く。
「とりあえず、こっちは大丈夫そうだな」
周りでは庁舎からあふれ出てきた異形達を壊滅させようとしていた武装隊達が、指揮役の敗北を確認して、気勢を上げていた。
「皆が手助けに来てくれて助かったな」
既に戦闘をひと段落させた後衛の武装隊達は逃げた異形に相手の掃討戦を行う部隊編成を行っている。行政区内の侵略する異形とそれに対する者達の勢力図は順調に塗り替えられていた。
……大勢は決したって感じだな。あーしんどかった。
そう思っていると、通信機に連絡がきた。
「うむ? 誰かのう?」
平賀が通信機をとる。
先程まで旧下水道の位置を知らせるために使われていた拡声器越しに声が響く。
『明日名です』
キッコと共に庁舎地下へと侵入していた明日名からの連絡だった。平賀がどうしたのかと問うと、明日名は疲労の滲む声で報告した。
『地下、行政区内のあちこちに異形達を侵入させる道になっていた旧下水道を封鎖。これで行政区に異形が新たに出没する、という事もないと思います』
「おお……!」
喜びの声が方々で上がる。それらの声を聞きながら、彰彦は庁舎を見上げた。
これで後は議員たちを助けて、あわよくば通光の身柄も押さえる事ができれば万々歳だ。
「もうここを離れても大丈夫そうならいっそあいつらの手伝いにでも――!?」
彰彦は言いかけていた言葉を途切れさせて、視界に移った異形の姿に鳥肌を立てた。
「あんなもんがいやがったのか……?」
庁舎の頂上が破壊され、その中から鈍色の巨体が現れていた。
庁舎の頂上は遠く、明確にはその姿は視認できないが、巨体の頭頂には双の角があるのが陽の光の照り返しでわかる。
「ありゃ、鬼か……?」
正体を見定めようとする間にも破壊された庁舎からは瓦礫が落下してきている。彰彦は周囲の人々に警告を叫んだ。
「おい! 頭上瓦礫注意! ――庁舎ぶち抜いて鬼が出たぞ!」
声に反応した武装隊達が鬼の出現に驚愕し、直近に迫っている瓦礫の落下という危険に反応できた幾人かが防御用の術を展開した。
立ちあげられた防壁に瓦礫が受け止められていく。
「おいおい……」
地上で起きた異変を察した明日名達が何が起こったのか訊ねてきた。
『これは、随分と強大な異形が現れたようだの?』
キッコの声が拡声器越しに聞こえて来る。相手に見えない事を承知で頷きながら、彰彦は呆然と呟いた。
「生きて帰ってこいよ。匠、クズハちゃん」
●
異形化の過程で巨体となった通光は、それなりの大きさの異形が問題なく動く事ができ、長物を得物とする匠が不自由を感じる事なく立ち回る事ができていた庁舎最上階の天井をぶち抜いた。
瓦礫が建物内外にばら撒かれていく。匠の咄嗟の叫びに反応して天井が通光の身体によって破壊されるより早く、自身の真上の天井を破壊して瓦礫を外に弾きだしていたクズハの近くへと避難した匠は、近くに落下してくる通光の破壊によって落ちてきた瓦礫を払いながら、つい数秒前まで人間であったその異形の巨体を見た。
もはや見上げる状態になった通光の身体は暗灰色をしており、巨体を支える肢体は丸太のように太い。そして頭部に存在する一対の角。まるで鬼のような風体だった。
いや、狐の異形の身体を移植されたクズハには狐の異形の影響が如実に現れている。おそらく通光も鬼の異形の身体を移植したが故に、今のような姿になったのだろう。
鬼の目は、見上げる匠を見下ろしてきた。
その目に意外にも理知的な光が宿っている事に気付き、こちらの様子を下に伝えるために通信機を操作していた手が止まる。
あの鬼からは目を逸らしてはいけないと本能が訴えていた。
鬼が口を開く。
「意外な事だ。意識が残るとは」
「意識が……?」
鬼という異形が元々人と似た容姿を持つ者が多いという点を考慮すれば、今の通光にはもう人としての外見は残されていないと言っても差し支えない程に彼の姿は変貌していた。今までも人と異形の、両方を連想させる容姿をした人間とは言葉を交わしたことはあるが、これほどまで完全に異形の侵食を受けた人間とはっきりと言葉を交わしてきたのは、匠にとっても初めての経験だった。
鬼――通光は、重く、響くような声で言葉を吐き出した。
「平賀博士によって会談が設定された時点で事が明るみに出る事はある程度覚悟はしていた。いくつか手を打っていたのだ。各地への異形化した人間の派遣や、異形の侵食があろうとも私の中の意識が異形の血肉に食い潰されないための措置などな」
苦笑するような声音で続ける。
「結局ほとんどは失敗に終わったが、これだけは成功したようだ。私としての意識を保ったまま、かつて恐れ、憎み、そして憧れさえした異形そのものとなれるとは。この姿を新たな人々の恐怖の記憶として刻みつけよう」
「させねえよ」
言うが早いか、匠は墓標から通光を狙って刃を伸ばした。
顔面を狙って放たれた≪魔素≫製の刃は防御に回った通光の腕に激突して、軋んだ音とともに砕かれた。
……硬いっ!
舌打ちと共に単純な感想を抱きながら、匠は通光へと接近する。
「≪魔素≫の扱いはこのようにするのだな、機械に頼りっぱなしだった私には不思議な感覚だ」
通光は自身の身体の丈夫さに満足するように砕け落ちた刃の残滓を振り払うと、腕に≪魔素≫の光を集中させ、匠が次の攻撃に出る前にその腕を振り下ろした。
頭上からの、匠の全身をすっぽりと掴めてしまいそうな拳を先端とした一撃を、匠は改めて全身に≪魔素≫の光を纏って墓標で受け止めた。
――っ!
衝撃に歯を食いしばって耐える。
しまい損ねた通信機が床に落ちた。
そっちに視線を持って行かれると、足元に亀裂が入っている事に気付いた。
その亀裂は見る間に匠の周囲に刻まれて行き、
「……っ!」
どうにかする時間もないまま、匠は砕かれた床から階下へと落下した。
一階下に落とされた匠は、床面に叩きつけられる事なくなんとか着地して頭上を見上げて、天井を砕いた時に落下してきた鉄筋を手に匠のいる階へと飛び下りて来る通光の姿を視界に映した。
匠は通光の落下軌道から退避して、墓標に≪魔素≫を集めて数メートルの長さの刃を作成する。先程通光に突きだした刃よりも強靭になるよう、特に≪魔素≫を固めた刃だ。
そして、着地した通光の持つ鉄筋を、もう長物として役に立たないよう真ん中あたりから切断した。
高音を上げて切断される鉄筋。匠は更に返す刀で通光へと斬り付けた。
今度の一撃は刃が砕かれる事もなく、傷を付ける事も出来た。しかし刃は肉に少し食い込んだところでやはり筋肉の壁に阻まれてしまい、与える傷は浅い。
「くそ、通らないか!」
即座に傷を塞いで行く通光の身体を見て吐き捨てる。
ここまで墓標を使用して戦い詰めてきた匠には、もうあまり自身の≪魔素≫の量に余裕がない。その事に焦りを感じながら、匠は再び素手に戻った通光の動きを窺う。
と、通光の掌へと≪魔素≫が集まりはじめた。先程自分をこの階へと叩き落とした殴りつけが来るのだろうと考えた匠は受け流す構えをとり、
「こういうのはどうだね!?」
次の瞬間に掌から撃ちだされた圧縮した≪魔素≫の塊に、匠は瞠目した。
掌が叩きつけられる場合に経ることになったであろう幾つかの動作を飛ばした一撃を、匠はなんとか墓標の本体、金属製の柄で受けた。
「――っ」
受け止めると同時、≪魔素≫の塊は破裂して匠を壁に向かって弾き飛ばす。
墓標を突き立てて壁に叩きつけられる事を回避した匠に向かって、通光は突進を開始していた。
――やば、
猛スピードで接近してくる巨体に抵抗する為に即座に体勢を整えようとして、匠は上階から滝のように落下してきた炎の奔流が通光を叩き打つ光景を見た。
「何――?!」
炎に押しつぶされた通光が疑問の声を上げる。炎は質量を持ち通光の身を抑えつける程の力を持っていた。自然の炎ではない。魔法の産物だ。
……クズハか。
思いながら、匠は動きを止められた通光に大上段から一撃を叩き込んだ。
加えられた衝撃は通光の巨体に下敷きにされていた床を打ち砕き、先程の匠を再現するように、通光は階下へと落下した。
通光が落ちて行った穴から距離をとり。匠は頭上に顔を向けた。
穴の縁に薄れゆく魔法陣が見える。その向こうにクズハの姿があった。
彼女は下階へ落下した通光を探るように視線を向けながら、匠に訊ねる。
「これで倒せましたでしょうか……?」
「いや、あれじゃだめだ」
数度打ち合っただけだが、その手応えから匠は通光のあの身体は本家の鬼以上の丈夫さを秘めているとみて間違いないと判断していた。
今はなんとか階下にあの巨体を叩き落とす事に成功したが、すぐに復帰してくるのは明らかだ。
「クズハ、この建物の上層階はかなり危険な状態だ。せっかく解放した議員連中に死んでもらっちゃ骨折り損だ。彼らを連れて早く庁舎から脱出してくれ」
「匠さんは?」
「俺は通光を止めておく。下の、じいさんや彰彦、武装隊の連中に合流したら通光の様子を伝えてくれ。鬼、それも上位の異形を相手にする準備をしておいてくれってな」
クズハは何か言いたそうに口を開きかけたが、下の階から瓦礫を跳ねのける音が聞こえてきて、咄嗟に身を翻して議員たちのもとへと走っていった。
よし、と匠が頷いた直後。
階下から放たれた圧縮された≪魔素≫の塊が一直線に空へと駆け抜けて行った。
瓦礫が建物内外にばら撒かれていく。匠の咄嗟の叫びに反応して天井が通光の身体によって破壊されるより早く、自身の真上の天井を破壊して瓦礫を外に弾きだしていたクズハの近くへと避難した匠は、近くに落下してくる通光の破壊によって落ちてきた瓦礫を払いながら、つい数秒前まで人間であったその異形の巨体を見た。
もはや見上げる状態になった通光の身体は暗灰色をしており、巨体を支える肢体は丸太のように太い。そして頭部に存在する一対の角。まるで鬼のような風体だった。
いや、狐の異形の身体を移植されたクズハには狐の異形の影響が如実に現れている。おそらく通光も鬼の異形の身体を移植したが故に、今のような姿になったのだろう。
鬼の目は、見上げる匠を見下ろしてきた。
その目に意外にも理知的な光が宿っている事に気付き、こちらの様子を下に伝えるために通信機を操作していた手が止まる。
あの鬼からは目を逸らしてはいけないと本能が訴えていた。
鬼が口を開く。
「意外な事だ。意識が残るとは」
「意識が……?」
鬼という異形が元々人と似た容姿を持つ者が多いという点を考慮すれば、今の通光にはもう人としての外見は残されていないと言っても差し支えない程に彼の姿は変貌していた。今までも人と異形の、両方を連想させる容姿をした人間とは言葉を交わしたことはあるが、これほどまで完全に異形の侵食を受けた人間とはっきりと言葉を交わしてきたのは、匠にとっても初めての経験だった。
鬼――通光は、重く、響くような声で言葉を吐き出した。
「平賀博士によって会談が設定された時点で事が明るみに出る事はある程度覚悟はしていた。いくつか手を打っていたのだ。各地への異形化した人間の派遣や、異形の侵食があろうとも私の中の意識が異形の血肉に食い潰されないための措置などな」
苦笑するような声音で続ける。
「結局ほとんどは失敗に終わったが、これだけは成功したようだ。私としての意識を保ったまま、かつて恐れ、憎み、そして憧れさえした異形そのものとなれるとは。この姿を新たな人々の恐怖の記憶として刻みつけよう」
「させねえよ」
言うが早いか、匠は墓標から通光を狙って刃を伸ばした。
顔面を狙って放たれた≪魔素≫製の刃は防御に回った通光の腕に激突して、軋んだ音とともに砕かれた。
……硬いっ!
舌打ちと共に単純な感想を抱きながら、匠は通光へと接近する。
「≪魔素≫の扱いはこのようにするのだな、機械に頼りっぱなしだった私には不思議な感覚だ」
通光は自身の身体の丈夫さに満足するように砕け落ちた刃の残滓を振り払うと、腕に≪魔素≫の光を集中させ、匠が次の攻撃に出る前にその腕を振り下ろした。
頭上からの、匠の全身をすっぽりと掴めてしまいそうな拳を先端とした一撃を、匠は改めて全身に≪魔素≫の光を纏って墓標で受け止めた。
――っ!
衝撃に歯を食いしばって耐える。
しまい損ねた通信機が床に落ちた。
そっちに視線を持って行かれると、足元に亀裂が入っている事に気付いた。
その亀裂は見る間に匠の周囲に刻まれて行き、
「……っ!」
どうにかする時間もないまま、匠は砕かれた床から階下へと落下した。
一階下に落とされた匠は、床面に叩きつけられる事なくなんとか着地して頭上を見上げて、天井を砕いた時に落下してきた鉄筋を手に匠のいる階へと飛び下りて来る通光の姿を視界に映した。
匠は通光の落下軌道から退避して、墓標に≪魔素≫を集めて数メートルの長さの刃を作成する。先程通光に突きだした刃よりも強靭になるよう、特に≪魔素≫を固めた刃だ。
そして、着地した通光の持つ鉄筋を、もう長物として役に立たないよう真ん中あたりから切断した。
高音を上げて切断される鉄筋。匠は更に返す刀で通光へと斬り付けた。
今度の一撃は刃が砕かれる事もなく、傷を付ける事も出来た。しかし刃は肉に少し食い込んだところでやはり筋肉の壁に阻まれてしまい、与える傷は浅い。
「くそ、通らないか!」
即座に傷を塞いで行く通光の身体を見て吐き捨てる。
ここまで墓標を使用して戦い詰めてきた匠には、もうあまり自身の≪魔素≫の量に余裕がない。その事に焦りを感じながら、匠は再び素手に戻った通光の動きを窺う。
と、通光の掌へと≪魔素≫が集まりはじめた。先程自分をこの階へと叩き落とした殴りつけが来るのだろうと考えた匠は受け流す構えをとり、
「こういうのはどうだね!?」
次の瞬間に掌から撃ちだされた圧縮した≪魔素≫の塊に、匠は瞠目した。
掌が叩きつけられる場合に経ることになったであろう幾つかの動作を飛ばした一撃を、匠はなんとか墓標の本体、金属製の柄で受けた。
「――っ」
受け止めると同時、≪魔素≫の塊は破裂して匠を壁に向かって弾き飛ばす。
墓標を突き立てて壁に叩きつけられる事を回避した匠に向かって、通光は突進を開始していた。
――やば、
猛スピードで接近してくる巨体に抵抗する為に即座に体勢を整えようとして、匠は上階から滝のように落下してきた炎の奔流が通光を叩き打つ光景を見た。
「何――?!」
炎に押しつぶされた通光が疑問の声を上げる。炎は質量を持ち通光の身を抑えつける程の力を持っていた。自然の炎ではない。魔法の産物だ。
……クズハか。
思いながら、匠は動きを止められた通光に大上段から一撃を叩き込んだ。
加えられた衝撃は通光の巨体に下敷きにされていた床を打ち砕き、先程の匠を再現するように、通光は階下へと落下した。
通光が落ちて行った穴から距離をとり。匠は頭上に顔を向けた。
穴の縁に薄れゆく魔法陣が見える。その向こうにクズハの姿があった。
彼女は下階へ落下した通光を探るように視線を向けながら、匠に訊ねる。
「これで倒せましたでしょうか……?」
「いや、あれじゃだめだ」
数度打ち合っただけだが、その手応えから匠は通光のあの身体は本家の鬼以上の丈夫さを秘めているとみて間違いないと判断していた。
今はなんとか階下にあの巨体を叩き落とす事に成功したが、すぐに復帰してくるのは明らかだ。
「クズハ、この建物の上層階はかなり危険な状態だ。せっかく解放した議員連中に死んでもらっちゃ骨折り損だ。彼らを連れて早く庁舎から脱出してくれ」
「匠さんは?」
「俺は通光を止めておく。下の、じいさんや彰彦、武装隊の連中に合流したら通光の様子を伝えてくれ。鬼、それも上位の異形を相手にする準備をしておいてくれってな」
クズハは何か言いたそうに口を開きかけたが、下の階から瓦礫を跳ねのける音が聞こえてきて、咄嗟に身を翻して議員たちのもとへと走っていった。
よし、と匠が頷いた直後。
階下から放たれた圧縮された≪魔素≫の塊が一直線に空へと駆け抜けて行った。
●
階下に通じる穴から突きぬけて行く高密度に圧縮された≪魔素≫の塊を目の当たりにしたクズハは、嫌な汗が全身を伝うのを感じた。
……魔法でもなんでもない、ただの≪魔素≫の圧縮塊……。
全身にあのレベルの高密度の≪魔素≫の圧縮体を纏う事が出来るという事は、それだけ肉体の強靭さを補強できるという事でもある。匠が先程一方的に加えることができた一撃の後で、尚決着は付いていないと確信していたのはこれをじかにその身で味わって知っていたからだろう。
遠距離攻撃の手段を持っている以上、あの鬼の視界に映る位置に居るのは危険だ。クズハは背後に庇っていた議員たちを一刻も早く退避させることにした。
「皆さん、あちらに私達が上って来た階段があります。そこに早く」
今ここで起きている事態を辛うじて把握している議員たちは、異形擁護派も異形排斥派もとりあえずか関係なくクズハの指示に従った。
クズハはその事に内心でほっとしながら、既に割れていた階段踊り場の明かり取りのための窓を狐火のひと吹きで完全に窓枠だけの状態にした。
「階段を使って下りるのは時間がかかりますし危険です。ここから飛び下りましょう」
さも当たり前のような感じで発せられた言葉に議員の一人が慌てた声を上げる。
「ま、待て! 私達はほとんど魔法など扱えん。飛び下りたら死んでしまう!」
「あ、いえ、魔法は使えなくても大丈夫です」
そう言ってクズハは懐から符を取り出した。以前、明日名と匠が行政区から脱出する際に使用した、落下速度を軽減する符だ。
その符を議員たちに配って簡単に使い方を説明し、クズハは言伝を頼んだ。
「これから、もしかしたら鬼の上級異形が地上に降りて来るかもしれないので、対処のための準備をしておいてもらえるように頼んでください」
「う、うむ。構わないが、君はどうするのだね?」
階下から響く解体工事現場のような破壊的な戦闘音に身を竦ませながら議員が問いかけてくる。
「私は――」
クズハは議員の質問に答えかけ――
「――ッ!」
匠の苦悶の声を聞いた。
「匠さん!?」
振り向くと、床に開いた穴から弾き飛ばされてきた匠の姿が見えた。彼は空中で姿勢を取り戻しながら、半ば程で折れてしまっている墓標の刃をそのままに、最上階に残っている床面の上に横たわる異形の肉塊の上に着地した。
「皆さん、早く飛び下りてください!」
クズハは性急に議員たちへと注文して、匠と、そして匠を追うように階下から跳び上がって来た通光に注意を向けた。
匠は命や戦闘にすぐに差し支えを及ぼすような大きな怪我はしていないようだったが、全身が小さい傷だらけだ。
その匠を追うように現れた通光は、その全身にほとんど傷が見られない。
……匠さんは戦い詰めで、≪魔素≫を使いすぎている。
半ばで折れた刃を再構成しないのはそこまでの余裕が無くなっているからだろう。
クズハは匠の不利を確信した。
「では、私も行くよ。お嬢さん」
「――あ、はい」
最後に残っていた議員が表情と同じくらい硬い声で、背後の戦闘やこれから飛び下りる高さを出来るだけ意識しないように前方だけを見たまま窓から飛び下りて行く。
符が飛び下りた人数分確かに発動している事を感じとって、クズハは彼らはこれで大丈夫だと頷いた。
そして匠と通光の方へと全ての意識を向け、クズハは決意した。
……魔法でもなんでもない、ただの≪魔素≫の圧縮塊……。
全身にあのレベルの高密度の≪魔素≫の圧縮体を纏う事が出来るという事は、それだけ肉体の強靭さを補強できるという事でもある。匠が先程一方的に加えることができた一撃の後で、尚決着は付いていないと確信していたのはこれをじかにその身で味わって知っていたからだろう。
遠距離攻撃の手段を持っている以上、あの鬼の視界に映る位置に居るのは危険だ。クズハは背後に庇っていた議員たちを一刻も早く退避させることにした。
「皆さん、あちらに私達が上って来た階段があります。そこに早く」
今ここで起きている事態を辛うじて把握している議員たちは、異形擁護派も異形排斥派もとりあえずか関係なくクズハの指示に従った。
クズハはその事に内心でほっとしながら、既に割れていた階段踊り場の明かり取りのための窓を狐火のひと吹きで完全に窓枠だけの状態にした。
「階段を使って下りるのは時間がかかりますし危険です。ここから飛び下りましょう」
さも当たり前のような感じで発せられた言葉に議員の一人が慌てた声を上げる。
「ま、待て! 私達はほとんど魔法など扱えん。飛び下りたら死んでしまう!」
「あ、いえ、魔法は使えなくても大丈夫です」
そう言ってクズハは懐から符を取り出した。以前、明日名と匠が行政区から脱出する際に使用した、落下速度を軽減する符だ。
その符を議員たちに配って簡単に使い方を説明し、クズハは言伝を頼んだ。
「これから、もしかしたら鬼の上級異形が地上に降りて来るかもしれないので、対処のための準備をしておいてもらえるように頼んでください」
「う、うむ。構わないが、君はどうするのだね?」
階下から響く解体工事現場のような破壊的な戦闘音に身を竦ませながら議員が問いかけてくる。
「私は――」
クズハは議員の質問に答えかけ――
「――ッ!」
匠の苦悶の声を聞いた。
「匠さん!?」
振り向くと、床に開いた穴から弾き飛ばされてきた匠の姿が見えた。彼は空中で姿勢を取り戻しながら、半ば程で折れてしまっている墓標の刃をそのままに、最上階に残っている床面の上に横たわる異形の肉塊の上に着地した。
「皆さん、早く飛び下りてください!」
クズハは性急に議員たちへと注文して、匠と、そして匠を追うように階下から跳び上がって来た通光に注意を向けた。
匠は命や戦闘にすぐに差し支えを及ぼすような大きな怪我はしていないようだったが、全身が小さい傷だらけだ。
その匠を追うように現れた通光は、その全身にほとんど傷が見られない。
……匠さんは戦い詰めで、≪魔素≫を使いすぎている。
半ばで折れた刃を再構成しないのはそこまでの余裕が無くなっているからだろう。
クズハは匠の不利を確信した。
「では、私も行くよ。お嬢さん」
「――あ、はい」
最後に残っていた議員が表情と同じくらい硬い声で、背後の戦闘やこれから飛び下りる高さを出来るだけ意識しないように前方だけを見たまま窓から飛び下りて行く。
符が飛び下りた人数分確かに発動している事を感じとって、クズハは彼らはこれで大丈夫だと頷いた。
そして匠と通光の方へと全ての意識を向け、クズハは決意した。
●
「疲弊しているな。動きが鈍ってきている」
「まだ、いける」
通光の指摘に強引に笑みを作って答えながら、一方で匠はこのままでは目の前の鬼に敵わないと悟っていた。
……庁舎の入り口の辺りまで行ければ武装隊もいる。数で囲いこめばなんとかなるか……?
いや、と匠は否定を内心に思った。
……地上に行かせたら通光に逃げられる。
いくら地上の武装隊たちと協力して囲い込もうとも、この巨体だ。未だ異形が暴れていて万全の陣を構える事ができない行政区内では、包囲しきるのは難しいだろう。
そしてこんな巨体に街を逃走されたらどこでどのような被害が出るか分かったものではない。
……逃がすわけにはいかないか。
せめて先に地上に行ったクズハたちが地上の人々に状況を伝えて通光を逃さないよう、準備を整えるまでの時間は稼ごうと匠は考え、突進の勢いのままに振り下ろされた通光の剛腕から大きく一歩退いた。
顔面に飛んできた床の破片を首を振って避けながら、匠は半ばで折れた刃を、振り下ろされた通光の肩口へと叩き込んだ。
「無駄な事を!」
刃は鬼の暗灰色の肌に食い込み、僅かに肉の中へと潜り込んだところで厚い筋肉に止められた。
刃を引こうと力を込め、その負荷に耐えきれずに刃が異音とともに更に欠ける。
匠はボロボロになった刃に眉を歪め、通光からの次の一撃が来る前に距離をとった。
通光の傷口に刺さって残った刃が≪魔素≫の光に還元され、開いた傷口は急速に塞がれていく。
……再生能力もやっぱり高いか。
力自体は鬼の身体に傷を付けるにあたって不足しているわけではない。
……あとは武器の強度がもう少しあればいいんだが……。
無残な姿になった刃を分解してもう一度新たな刃を作成しようとも考えるが、現在構成している刃以上の強度を持つ刃を形成するには、もう匠自身の残りの≪魔素≫量が心許ない。
通光の巨体から放たれる攻撃に耐える為に身にまとう≪魔素≫の分も考えると、再構成はしない方が良いだろう。
そこまで自身の状態を分析し、さてどうしたものかと匠は思考する。
……あの剛腕、≪魔素≫で防備を固めようと、まともに受けたら俺の身体は耐えられないな。
思う間に通光の掌から先程と同じ、圧縮した≪魔素≫の塊が放たれた。
動く壁のような威圧感をもって迫ってくる攻撃を避けると、回避位置を狙った第二撃が打ち込まれて来た。
「――!」
墓標を地面に突き立てた反動を利用して、際どい姿勢で二撃目を一撃目が飛んできた位置にまで跳び避ける。
そこに、通光の巨体が駆けてきていた。
二発の圧縮≪魔素≫弾を囮にしての狙い澄ました一撃だった。
生身一つであの鬼の一撃を喰らってしまえば無事ではすまない。
匠は直撃だけはなんとしても避けるために身を捻るが、崩れた姿勢を矯正しきることはできない。
――くっそ……ッ!
このままでは回避する事は不可能だと諦めた匠は、せめて腕による直撃を受けるのだけは避けようと、墓標を翳して腕を受け止めようと覚悟を決めた。
来るべき衝撃に対して体を緊張させたところへ、
床から飛び出した氷柱が、通光の身体へとその先端を向けた。
「クズハか!」
暗灰色の身体に殺到した氷柱の先端は刺さる事はなく、当たる傍から次々に砕かれていく。鬼の身体に対して強度がまったく足りないのだ。
「――邪魔だッ」
それでも、氷柱の群れに塞がれた床を掻きわけるように進んでくる通光の動きは確かに鈍くなった。
匠はこれ幸いと体勢を立て直し、
同時に、砕かれて行く氷柱の根元に刻まれていた紋様が新たな術を起動した。
氷柱が悉く溶かされ、水へと変化する。
「これは――」
氷柱の真ん中を走っていた通光は体中に水を被る結果となっている。その通光が言葉を漏らした直後、床の、氷柱の根元があった位置に刻まれていた別の紋様が更に≪魔素≫の光を帯び、直後に宙空が破裂した。
発生した破裂は瞬時に破裂の発生源とその周囲の空気を押しのけ、更に白色の霧のようなものを発生させ、匠にもその余波を届けた。
匠は自身に触れる余波を受けながらその正体を呟いた。
「冷気……?」
白色の霧は極小の氷の粒のようだった。それに匠が気付くのと時を同じくして周囲を包んでいた霧が晴れる。
晴れた霧の中には、水浸しの身体を氷の中に封じられた通光の姿があった。
「凍結、魔法……」
通光の不意を打つ形でここまで攻撃を喰らわせたのはクズハだろう。両腕に≪魔素≫が集中され始めているが、今ならば動きを封じられた通光を攻撃する事ができる。
「匠さん!」
「ああ!」
後方から聞こえてきた自分を呼ぶ声に応じるように、匠は墓標の刃で通光を一鎚した。
反動で砕け欠けていた刃が完全に砕け散った。
そして、大穴が空いていた上に、氷柱を発生させたために更に脆くなっていた庁舎最上階の床面はこの一撃の衝撃によって呆気なく崩れ、通光は階下へと落下していった。
「まだ、いける」
通光の指摘に強引に笑みを作って答えながら、一方で匠はこのままでは目の前の鬼に敵わないと悟っていた。
……庁舎の入り口の辺りまで行ければ武装隊もいる。数で囲いこめばなんとかなるか……?
いや、と匠は否定を内心に思った。
……地上に行かせたら通光に逃げられる。
いくら地上の武装隊たちと協力して囲い込もうとも、この巨体だ。未だ異形が暴れていて万全の陣を構える事ができない行政区内では、包囲しきるのは難しいだろう。
そしてこんな巨体に街を逃走されたらどこでどのような被害が出るか分かったものではない。
……逃がすわけにはいかないか。
せめて先に地上に行ったクズハたちが地上の人々に状況を伝えて通光を逃さないよう、準備を整えるまでの時間は稼ごうと匠は考え、突進の勢いのままに振り下ろされた通光の剛腕から大きく一歩退いた。
顔面に飛んできた床の破片を首を振って避けながら、匠は半ばで折れた刃を、振り下ろされた通光の肩口へと叩き込んだ。
「無駄な事を!」
刃は鬼の暗灰色の肌に食い込み、僅かに肉の中へと潜り込んだところで厚い筋肉に止められた。
刃を引こうと力を込め、その負荷に耐えきれずに刃が異音とともに更に欠ける。
匠はボロボロになった刃に眉を歪め、通光からの次の一撃が来る前に距離をとった。
通光の傷口に刺さって残った刃が≪魔素≫の光に還元され、開いた傷口は急速に塞がれていく。
……再生能力もやっぱり高いか。
力自体は鬼の身体に傷を付けるにあたって不足しているわけではない。
……あとは武器の強度がもう少しあればいいんだが……。
無残な姿になった刃を分解してもう一度新たな刃を作成しようとも考えるが、現在構成している刃以上の強度を持つ刃を形成するには、もう匠自身の残りの≪魔素≫量が心許ない。
通光の巨体から放たれる攻撃に耐える為に身にまとう≪魔素≫の分も考えると、再構成はしない方が良いだろう。
そこまで自身の状態を分析し、さてどうしたものかと匠は思考する。
……あの剛腕、≪魔素≫で防備を固めようと、まともに受けたら俺の身体は耐えられないな。
思う間に通光の掌から先程と同じ、圧縮した≪魔素≫の塊が放たれた。
動く壁のような威圧感をもって迫ってくる攻撃を避けると、回避位置を狙った第二撃が打ち込まれて来た。
「――!」
墓標を地面に突き立てた反動を利用して、際どい姿勢で二撃目を一撃目が飛んできた位置にまで跳び避ける。
そこに、通光の巨体が駆けてきていた。
二発の圧縮≪魔素≫弾を囮にしての狙い澄ました一撃だった。
生身一つであの鬼の一撃を喰らってしまえば無事ではすまない。
匠は直撃だけはなんとしても避けるために身を捻るが、崩れた姿勢を矯正しきることはできない。
――くっそ……ッ!
このままでは回避する事は不可能だと諦めた匠は、せめて腕による直撃を受けるのだけは避けようと、墓標を翳して腕を受け止めようと覚悟を決めた。
来るべき衝撃に対して体を緊張させたところへ、
床から飛び出した氷柱が、通光の身体へとその先端を向けた。
「クズハか!」
暗灰色の身体に殺到した氷柱の先端は刺さる事はなく、当たる傍から次々に砕かれていく。鬼の身体に対して強度がまったく足りないのだ。
「――邪魔だッ」
それでも、氷柱の群れに塞がれた床を掻きわけるように進んでくる通光の動きは確かに鈍くなった。
匠はこれ幸いと体勢を立て直し、
同時に、砕かれて行く氷柱の根元に刻まれていた紋様が新たな術を起動した。
氷柱が悉く溶かされ、水へと変化する。
「これは――」
氷柱の真ん中を走っていた通光は体中に水を被る結果となっている。その通光が言葉を漏らした直後、床の、氷柱の根元があった位置に刻まれていた別の紋様が更に≪魔素≫の光を帯び、直後に宙空が破裂した。
発生した破裂は瞬時に破裂の発生源とその周囲の空気を押しのけ、更に白色の霧のようなものを発生させ、匠にもその余波を届けた。
匠は自身に触れる余波を受けながらその正体を呟いた。
「冷気……?」
白色の霧は極小の氷の粒のようだった。それに匠が気付くのと時を同じくして周囲を包んでいた霧が晴れる。
晴れた霧の中には、水浸しの身体を氷の中に封じられた通光の姿があった。
「凍結、魔法……」
通光の不意を打つ形でここまで攻撃を喰らわせたのはクズハだろう。両腕に≪魔素≫が集中され始めているが、今ならば動きを封じられた通光を攻撃する事ができる。
「匠さん!」
「ああ!」
後方から聞こえてきた自分を呼ぶ声に応じるように、匠は墓標の刃で通光を一鎚した。
反動で砕け欠けていた刃が完全に砕け散った。
そして、大穴が空いていた上に、氷柱を発生させたために更に脆くなっていた庁舎最上階の床面はこの一撃の衝撃によって呆気なく崩れ、通光は階下へと落下していった。