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匿名ユーザー

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Beyond the school gate


 ※


 ――時針は、数字の十二と一からほぼ等距離。“お楽しみはこれからだよ”。
 ――時刻は、午前零時半にわずかに足りない。“早すぎるんじゃないかな”。




 ※


 十数メートルの距離で相対する、巨大な蜘蛛の化け物と、金属の棒を携えた青年――
 それは、特撮作品のワンシーンのような、ひどく現実味のない光景だった。
 青年の背後で尻餅を突いている俺が一般市民すぎる。いや、それでもいわゆる“今週の犠牲者”になっていな
いだけ幸運か。
 戦闘の邪魔にならないように一秒でも早くこの場から逃げ出したいところだが、……今ちょっと起てる気がし
ない。これが腰が抜けたというやつなのか。うわだせぇ。一般市民以下だな。

「なかなかの大物だな」

 青年は口笛を吹くような口調で言ってのけたが、その声に油断の響きは微塵もない。やはり、こういう事態に
慣れている?

「――!!」

 蜘蛛が乱入者を敵と見定め、撥条仕掛けとなって跳んだ。成人男性ていどは頭から丸齧りにする口腔は、もは
や一個の魔窟だ。
 だが、青年は、蜘蛛が動き出すのと同時に、既に地を蹴っていた。
 空中に浮かぶ巨体の下に潜り、金属棒を突き上げる。
 狙いは、蜘蛛の腹か! だが、あれだけの図体で上を押さえられては、もし腹を突き破れたとしても圧し掛か
る死骸の重さに潰される!
 さらに、蜘蛛は青年を捕獲しようと八つの肢を総動員。それはさながら、地上の人間に覆い被さる野蛮な巨人
の掌。逃れる術はない。
 上からは巨大質量、下には大地、前後左右から殺到するのは長槍と見まがう爪牙。
 絶体絶命の状況下にあって、最期に垣間見えた青年の口元には、しかし不敵な笑み。

 ――燐光――

 信じ難いことに、一瞬、蜘蛛の巨体が、浮いた。
 俺の目撃したままを話すなら、青年が金属棒による打突に剛力を乗せて“押し上げた”、でいいのか?
 ……あの男、本当に人間か!?
 青年を刺し貫くはずだった八つの肢は、いずれも標的から上方にずれて金属棒の半ばを挟みこむに留まる。彼
はいわゆるノックバック攻撃によって、同時に回避も行ったのだ。

「……ちょっと足らなかったか」

 棒を足場に器用に一躍して距離を取る蜘蛛を見送りながら、青年はパートナーを軽く振ってみせる。

 この戦闘――。一合目は青年の判定勝ちといったところか。
 もっとも、俺の見た感じ、蜘蛛のほうにも目立った損傷はなさそうだ。跳ぶ動きも憎たらしいほど俊敏。陸上
生物の多くが急所とする腹まで装甲でがちがちに固めていたというのもあるだろうが、狙いを外された足が結果
的に金属棒を抑えるかたちになり、その分威力が減衰したのだろう。
 無機質な四連単眼に、にわかに警戒の色が濃くなる。
 するする、するする。蜘蛛は青年との隔たりを小刻みに削る。恐る恐るやちょこちょこなどという可愛らしい
動きではない。虎視眈眈と獲物を窺って隙あらば領土を侵犯しようという厚かましい動き。

「させねぇよ」

 まどろっこしいのは好かぬとばかりに、青年がにじり寄る蜘蛛へと大きく一歩を踏み出す。
 猛者と猛獣の殺傷圏が重なり合い、学園の片隅に時期外れの嵐が巻き起こった。
 一帯を薙ぎ払う蜘蛛の前脚は、まさに暴風めいていた。一撃の重さではさすがに怪物の圧倒的有利。直撃すれ
ば人類などひとたまりもないだろう。……まあ、あの青年が人間であるかは個人的に大いに疑わしいが、彼にと
っても脅威であることは間違いない。事実、青年はまともに“受け”ようなどとは考えず、ひたすら捌きに徹し
ている。
 そう、青年は蜘蛛の猛攻をうまく捌いていた。人類の反応速度ではどう足掻いても対応できないので、反射的
に行えるようになるまで反復練習した身体操作と先の先の読み合いで戦うとか、そういう次元の話だ。
 もちろん、そこに反撃の布石も打たれているであろうことは想像がつく。
 八つの歩脚で地上を這う蜘蛛は安定性が高く、致命的に体勢を崩すことは容易ではない。だが、必要な時に必
要な動作を間に合わせないようにすることはできる。

「……ここだっ!」

 金属棒が遠心力によって青年の掌の中で滑る。そうやって間合いを変化させるのは、長柄武器の使い手の常套
手段だ。
 届かないはずの攻撃が、届く。いわゆる介者剣法の要領で、単眼周りの継ぎ目を抉る狙い。対して蜘蛛は後出
しで反応、辛うじて打点をずらし、一枚甲殻の中央で受ける。
 金属棒は、蜘蛛の顔面で撥ね返るような動きをした。効いているようにはまるで見えない。
 だが。青年は貌色ひとつ変えず、その弾みをそっくり追撃に流用する。切り上げられた金属棒が、青年の腕の
しなりで鞭のように加速、さらに螺旋運動を通して“突き”に変化。再び蜘蛛の眼窩を目掛けて射出された。
 堪らず蜘蛛が歩脚を左右側で逆に動かし、戦車でいう超信地旋回を敢行。急所を避けるが、横っ腹への衝撃で
巨体が揺らぐ。
 動きの止まった今になって気づいたが、カウンター気味に青年の肝臓に伸ばされていた蜘蛛の爪を、彼は金属
棒の手元の部分で遮っていた。かの武器には、それができるほどの長さがある。
 目まぐるしい攻防に、俺のほうはまったく付いていけてない。援護射撃に石投げちゃってもいいんだが、何か
余計なことをするとかえって場が荒れそうで怖い。

 流れが青年にあると察した蜘蛛は、さらに畳み掛けようと攻撃態勢を整える青年の射程範囲から急速離脱を図
り、八つの肢を撓(たわ)めて筋力を溜める。

「させるかよ!」

 だが、見す見す退避を許す青年ではない。
 ここから先は、俺の理解をはるか超えていた。
 何の幻か。
 “光”が。
 夜蛾じゃれつく外灯すら霞む光源が、地上に出現。青年と金属棒が燐光を帯び、夜の闇を討ち祓う。
 金属棒の表面全体にひと際強い白光の線が引かれていき、それらは精緻な幾何学模様を形作っていった。

 ――奇跡を行う魔法使いが描くという魔方陣のようであるが、
 ――プリント基板の上を整然と走る電子回路のようでもある。

 体系化された技術を想わせる中にも、我らが不可能を可能とする不思議な要素があると分かる。発見されざる
極微の粒子、あるいは波動、そういう何か。

「“異形”ならざる異形のもの」

 金属棒の先端から、莫大な光が迸る。
 白い光は“本体”に劣らぬ確かさで実体化し、刃渡り二〇〇センチメートル、身幅五〇センチメートルの巨大
な刃となる!
 全体としては馬上突撃槍のようなシルエットだが、れっきとした諸刃の剣だ。芸術的な機能美に、ある種の神
々しさをすら感じさせる、流麗な金属の刃。どう考えても棒より刃のほうがでかいよな、などという考察が馬鹿
らしい。
 青年はむしろゆっくりとその切っ先を上空へ向け、

「――粉砕してやる」

 落雷と見まがう斬撃が発動。
 輝ける処刑人の刃が怪物へと落ち、目映い光が一帯を制圧。
 それは、“光の爆発”とでもいうべき圧倒的破壊現象を引き起こす。視界に灼きつく閃光、思わず体が強張る
地響き。赤褐色の煉瓦が砕かれて吹き飛ぶのがちらと見えた。

「……」

 たぶん、つかの間の静寂。耳鳴りのせいでよく分からないからたぶんだ。
 巨大な刃を振り下ろした青年の足元から前方へ、大地にはやはり巨大な割れ目が刻まれていた。氷原の裂縫の
ような奈落の暗さは、時間帯のせいなのか、傷の深さのせいなのか。どうであれ、地面を切り裂くなど、常軌を
逸しているとしか言いようがない。

「えー……」

 もう笑うしかない威力だが、笑えない。全然笑えない。これ以上こいつらに本気を出されると俺たちの学園が
倒壊する。『学園を壊しませんか?』……どこのキャッチコピーだ。やめろ!
 いや、そんなことより、蜘蛛は……!?

「いない……?」

 艶のない黄金の巨体は、悪寒を催す威圧感ともども消滅していた。……逃げた? まさかあのタイミングで仕
留められなかったというのか?

 それは、まずい。
 完全に役立たずの俺がいうのも何だが、今後どれほど犠牲者が出るのか想像もつかない。日本獣害事件史に残
る三毛別羆事件のような惨劇を連想する。不吉にすぎる未来予測に、俺の顔からは血の気が失せていただろう。

「ぎりぎり間に合った」

 “逸らすのが”――
 一方、青年の吐いたのは安堵の息だった。
 蜘蛛への攻撃を、“わざと外した”と言ったのだ。
 意味が分からず、俺は青年の視線を辿って、地面の亀裂を見る。より正しくは、その左隣。
 そこに小さな人影。

 ――女の子が倒れていた。

 小柄な体格から、恐らくは小学校中学年以上、齢一〇歳ていどと見た。可憐な少女。長く綺麗な黒髪が無骨な
煉瓦の寝台の上に散らばるさまは、奇しくも彼女が蜘蛛の巣に囚われているかのように見えた。
 青年がこの女の子に必殺技をぶちこみ掛けて慌てて太刀筋を曲げたということは理解できたが、……どういう
ことだよ。

(蜘蛛が消えて、女の子が現れた?)

 とてつもなく単純に考えれば、この子があの化け物の正体だということになるが? ひとつも他の可能性を考
えられないというわけではないが、シチュエーションとして自然なのはそれくらいしかない。
 しかし、んなアホな。それじゃ質量保存の法則が……

(……ふっ……)

 馬鹿馬鹿しい。
 ことここにいたって、俺はこの件について科学的な説明を求めることを完全に諦めた。……まあ今更という気
もするが。“そういうもの”として受け入れた上で、今後をどうこうするのか考えるほうがまだしも精神衛生上
よいだろう。

(ていうか俺、もう帰っていいか? だめか)

 ……じりりりりりりぃぃ……

 我関せずとやかましく騒ぎ始めるヤブキリたちの草木に半眼をくれてやりながら、俺は空を仰いだ。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう?
 月は……まだ赤い……。




 ※



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