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「鈍色の繭」

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「鈍色の繭」



「… 遠い所をお運び頂き申し訳ありません…」

「…よい。」

深々と頭を下げる獄卒隊副長、蒼燈鬼聡角の言葉を遮り、少女はむっつりと扉をくぐった。ここは閻魔庁の鬱蒼たる中庭に聳える特別棟、限られた獄卒幹部しか入室を許されぬ警戒厳重な一室だ。

「…して、『奴』は?」

自らの倍を越す体躯の鬼たちに向けて、少女はぶっきらぼうな問いを発する。芳しい花の香りを纏う彼女の髪からも、ちらりと短い角が覗いていた。

「…は、このままでは恐らく肉体の再構成に失敗し、消滅するのみかと…」

恭しく少女を案内しながら答える聡角は獄卒隊随一の知略家だ。彼が少女…ほかならぬ師、花蔵院藤角の助力を乞うなど珍しい出来事だった。
『藤ノ大姐』として知られる鬼、未だあどけない童女としか見えぬ花蔵院藤角は聡角の示す先に安置された球体を見上げる。脈打つ幾つかの管に繋がれた楕円形のそれは、柔らかく透き通った卵にも似ていた。

「…よく見えぬ…」

「しょ、少々お待ちを…」

藤角の呟きに獄卒のひとりが慌てて踏み台を運ぶと小さな女鬼はちょこんと台に登り、かつての友、『我蛾妃』の繭に険しい顔を寄せた。

「…自ら魂を圧縮する際に、何らかの手落ちがあったのでしょう。羽化出来ぬままで腐り始めました…」

無言で繭を睨み続ける藤角の眼には正視に耐えぬ物体が映っていた。凶悪な女妖我蛾妃…その今は無力な幼生は虫とも人ともつかぬ奇怪な姿で薄い膜のなか呻吟している。
濁った粘液のなかで捻れ絡み合う昆虫の脚と、苦悶を表情を貼りつけビクビクと痙攣する嬰児の顔。策に破れちっぽけな毒虫として捕らえられた彼女の、自業自得とはいえあまりに哀れな姿だった。

「…殿下は?」

師の質問の意味をしばらく思案し、聡角は低く答えた。我蛾妃の魂を滅さぬことは閻魔羅紗弗殿下、すなわち次なる地獄界の意志と協議した結果のものだ。
今は自領に暮らすかつての師を急いで呼び寄せたのも、この悲惨な境遇から地獄界の仇敵、我蛾妃を救う為なのだから。

「…殿下は私に全てを委されました。師よ、我蛾妃を助けることは可能でしょうか?」

いつになく無口に不気味な繭を見つめ続ける師の心中を察し、聡角もまたしばらく唇を閉じた。
混沌と無秩序を信条とし、宇宙の理を否定する為に暴虐の限りを尽くした我蛾妃と、厳粛な法の守護者花蔵院一族の藤角が親しい友であったことを知る者は少ない。
そしてまた幾多の仲間を失いながらも我蛾妃を捕らえ、永遠の虜囚として地獄の塔に封じたのがこの『藤ノ大姐』であることも。

「… 退っておれ…」

重い呟きとともに藤角の小さな掌が、我蛾妃の病める繭にそっと触れた。


「…しょせん宇宙など汚物の堆積、生命などそれにたかる蠅に過ぎぬ…」

幾千の罪無き魂を喰らい、その不浄な生を長らえ続けた我蛾妃の言葉だ。だが藤角の知る限り、彼女は生まれ落ちたときからこの信念を持っていた訳ではない。
妖蝶の変異種として生を享け、幼くして輝くような美貌と類を見ない魔力を備えていた彼女。野辺を舞い遊ぶには余りに桁外れの力は、遠く藤角の暮らす冥府の地にも届いていた。
まだ魔と人の境すら曖昧な昔、腕白で好奇心旺盛な少女だった藤角が我蛾妃を訪ね、二人が親しい友となるのに時間は掛からなかった。
光溢れ、花咲き乱れる地上の世界と同じくらい自由闊達で無邪気な妖蝶の姫に、若かりし藤角はたちまち魅了されたのだ。

『…地上は良いな…明るくて、賑やかで…』


『…いや、まだまだこの世界にも昏い場所がある。まあそのうちに妾が、全てを眩く照らしてみせるがの…』

我蛾妃の言葉は偽りではなかった。遥かな高次で世を司るという神仙たちより、地の底で厳格な戒律を守る藤角たち鬼よりも、彼女は迅速かつ大胆に人界に平安をもたらしたのだ。
天災や疫病を容易く退け、まだ未開の山野を闊歩していた野蛮な魔を一瞬で滅する彼女は、まさに人々が想い描く『女神』だったかもしれない。
朝露の雫を浴びて虹を追い、壮麗な夕日を並んで眺めた二人の遠い日々。しかしその平安は長く続かなかった。無尽蔵とも思える我蛾妃の魔力は、その成長と共に危険なものとまでになったからだ。
地獄界に座し、ただ罪のうち生を終えた魂を迎え入れることが果たして鬼である自分の唯一の務めなのか。全ての鬼が直面するその苦悩は、藤角にとって我蛾妃のかたちをしていた。

『…蛞蝓神たちにも幾らかの理はあった!! 一族に至るまで皆殺しにする必要はなかったであろう!?」

『…お主ら鬼が世の為に働こうとせぬからじゃ。天命、とは怠け者にはまこと都合の良い言葉かも知れんの…』

藤角の額をチョンと小突き、傲慢な笑みで彼女を見下ろす我蛾妃の肉体は、すでに妖艶な女の色香を備えていた。同族たちを臣下に従え、『我蛾妃』を名乗りだしたのもこの頃だ。
それからひとつの世紀を終えずして恐怖の象徴となったその名。彼女が正義の旗印のもとに次々と起こした戦はいつしか無慈悲な殺戮の舞台と化し、地獄界からの調停者として再び我蛾妃の前に立った藤角は、旧友を蝕む狂気の源を見たのだった。

『…天は…天は呆けておるのか!? 地の底で安穏と暮らす貴様ら鬼どもが若さを失わず、いつか全能の神ともなれる妾が老いてゆくなど…おかしいではないか!?』

妖蝶は魔物としては短命な種だ。その美貌と魔力の絶頂を超え、早過ぎる肉体の衰えを感じた我蛾妃は無慈悲な宇宙の摂理に憤怒していた。
世界を美と調和に導く理想の力が、脆く儚い器に宿る不条理…宇宙に法など無い。その憤りは鬼としても稀有な存在、年経てなお瑞々しい肌と快活な瞳を失わぬ友に向けられたのだった。

『…見ておるがよい藤角、愚かな天が妾を誅せるか、ひとつ試してみようぞ…』 

さらに幾年月、菫色の瞳にただ虚無を映し、虹色だった羽根を暗褐色に染めた魔物は、天を冒涜するためだけに虐殺を繰り返し、抑え難い羨望のまま地獄界を憎悪する人喰いと成り果てた。
生き長らえる為に夥しい魂を啜る『邪神』の名すら相応しい魔物と、地獄界の長きに渡る闘い。迷える心の隙を我蛾妃に魅入られ、無明の闇へと堕ちた鬼も数え切れない。

だが我蛾妃の信じがたい蛮行に天は怒りの鉄槌を下さず、ただ人と鬼と魔物だけがその血を夥しく流した。それでも自分が天を疑わなかったのは何故だろう、と藤角はいつも思う。
もしかすると誰にも窺えぬ天命の執行者として、揺るぎなく寡黙に討伐の指揮を続けた閻魔大帝の姿こそが、藤角にとっては唯一確かな『天』の姿であったのかも知れない。

『…役にも立たぬ家来共をみな喰ろうてみたが…それほど若返った気もせぬ。藤角、貴様を喰えば少しは精気もつこうかの…』

戦慄すら感じさせる退廃の美に包まれて決戦地に立った我蛾妃の前には、数百年を経て変わらぬ姿の藤角がいた。突き刺さる嫉妬、憧憬、悲嘆…そしてもはや我蛾妃にとって血肉の殆どを占める憎悪。
もはや馴染み深いその全てを静かに受け止めた藤角は、遠い日の可憐な妖蝶を想い出すように眼を閉じると、恐るべき禁断の技で旧友をしっかりと封印したのだった。

『…行こうぞ繭姫、我が故郷、地獄へ…』


…サクリと繭を破って歪んだ幼体に触れた藤ノ大姐の指を、聡角たち獄卒は固唾を呑んで見守る。この偉大な鬼がいかなる想いを秘めて眼を閉じ、複雑な術式を諳んじているのかは長年彼女に師事した聡角にも判らなかった。

「ク…ゥ…」

藤ノ大姐の指先で醜い幼体が鳴く。たとえ短くとも、健気に羽ばたく蝶のごとくただ一度の生を全うしていれば、今頃彼女はまた生まれ変わり、軽やかに地上を舞っていたかも知れない。

(…そうではない…我らがかつて姉妹であったことも、こうして再び向かい合うことも全ては天の意志。繭姫…いや我蛾妃よ、そなたもまた天の愛し子…)

誰にも聴こえぬ心の呟きと同時に藤ノ大姐は小さな吐息を震える肉塊に吹きかけ、長く複雑な『変形(へんぎょう)の術』を終えた。

「おおっ!?」

彼女が裂けた繭から抱き上げたもの、それはぐっしょりと濡れ、力なく額の触角を垂れてはいるものの、確かに規則正しい呼吸を繰り返す愛らしいひとりの幼女だった。

「…どのように育つかは判らん。しかしこやつは幼くとも我蛾妃、くれぐれも注意を怠ってはならぬぞ…」

獄卒たちの驚きに混じる喜びの色を戒め、藤ノ大姐は眠る幼児をそっと寝台に降ろした。つかつかと立ち去りながらも、どこか切なげな師の様子に、蒼灯鬼聡角は少しだけ首を傾げる。

「…お疲れでしょう。あちらに部屋を用意してあります。お帰りまでお休みに…」

「… いいや、城もずいぶん久しぶりじゃ。色々と寄りたい所もあるゆえ、誰か付き合いってくれんかの…」

涼やかな少女の声。悪戯っぽい微笑みを浮かべて弟子を見上げる藤ノ大姐の顔はもう、聡角のよく知る気紛れな師のものだった。


おわり

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