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ゴミ箱の中の子供達 第17話

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ゴミ箱の中の子供達 第17話


 まず小麦粉にベーキングパウダー、砂糖、塩を混ぜたものを粉ふるい器に入れる。レシピによると量は小麦粉が
250グラムに対し、ベーキングパウダーが大さじ1、砂糖が大さじ3、塩は少々。男性向けだから砂糖は少し少なくても
いいかもしれない。思案した後、砂糖は2杯だけ入れた。粉を全てふるい器に入れたところでふるいを開始する。
粉ふるい器を叩くたびに中の粉がさらさらとボウルに落ちていく。特に何事もなく粉は全てボウルの中に落ちていった。
 テーブルの奥に置いた端末の画面をスクロールさせ、レシピの続きを表示させる。次の作業工程を読む限り、
どうやらここからが正念場らしい。気を引き締めなければ。
 冷蔵庫からあらかじめ小さく切っておいたバターを取り出すと、粉が入ったボウルに入れる。ここで小さく深呼吸。
呼吸が整ったら意を決し手をボウルにいれた。ボウルの中の粉とバターを一緒につかんだら粉を揉み込むようにして
バターを指先で潰していく。冷蔵庫で冷やしてあっただけにバターが冷たい。バターが小さくなったら粉で手のひらを
洗うようにこすり合わせて粉にバターをすり込んでいく。バターを溶かさないように手早く、だけど粉全体に馴染む様に
丁寧にすり込んでいく。
 レシピによるとこの工程はサブラージュと言うらしい。小麦粉をバターの油脂で包むことで、グルテンというものが
形成されるのを防ぐんだとか。どうやらこのグルテンというものがあるとおいしくならないみたいだ。
 程なくボウルの中の粉全体が粉チーズのようにパサパサになった。レシピを確認するとこれでいいみたいだ。
小さく息をついた。
 続いては牛乳と卵をボウルに入れて混ぜる。レシピを見ると、このとき粉っぽさがなくなるくらいでいいらしい。
粉をへらで切るようにしてさっと混ぜ込んでいく。しばらくすると粉っぽさがなくなり、ぼろぼろと崩れる塊ができ始めた。
これくらいでよさそうだ。
 端末の画面をスクロールさせレシピの次を見る。生地をまとめてめん棒で薄く引き延ばした後、重ね合わせる。
これを3度繰り返す。内容を頭に叩き込むと、ボウルに視線を移した。まずは1つにまとめなくては。ボウルの中に
手を入れると、ボロボロと崩れる生地を押しつぶすようにして1つにまとめた。
 次はめん棒で薄く延ばして折りたたむ。レシピを頭の中で反復しながらめん棒を取り出した。打ち粉を振るった
まな板の上にボウルの中身を落とすと、めん棒で薄く延ばしていく。生地の厚さが1cm程になった。そろそろ
折りたたんだほうがいいかもしれない。めん棒を脇に置くと、生地を4つ折にした。あと2回。再度めん棒を手に、
生地を薄く引き延ばしにかかった。
 程なくして折りたたむ作業工程は終了した。次の作業を確認すべく端末の画面をスクロールさせる。2cm程の
厚さに延ばしたら好きな形の型で抜いていく。レシピの指示通り再度生地を延ばすと、型抜きに入った。
型はすでに丸型を用意してあった。1つ1つ丁寧に型を抜いていくと、クッキングシートを敷いたオーブンの天板に
乗せていく。
 表面に牛乳を塗ったら、200度に予熱したオーブンで20分焼く。レシピはこれで最後のようだ。丸く型抜きされた
生地の上に、指示通り刷毛で牛乳を塗っていく。オーブンは既に十分に予熱してあった。天板を入れて扉を閉じると
タイマーを設定。レシピと同じ時間に合わせるとスタートボタンを押した。
 オーブンの耐熱ガラスの向こうが赤く光る。電気ヒーターに照らされる生地を見つめながら祈った。美味しく焼きあがりますように。

 休日の孤児院は一層賑やかだ。前庭では普段より数を増した弟たちを相手にアレックスが苦心している。学校から
解放された少年たちの有り余る力の前には流石のアレックスも押され気味だ。

「あ、取られた」

 イレアナとともに前庭の喧騒を眺めていたゲオルグは、アレックスの失態に思わず声を上げた。アレックスが蹴り上げた
ボールは横合いからの足先に弾かれ、アレックスの傍を離れていく。悔しそうに地団太を踏むアレックスに対し、見事な
足捌きを見せた少年は誇らしそうに胸を張っている。ふとゲオルグは思った。あの少年、さっきもアレックスからボールを
奪っていなかっただろうか。

「あいつ、アレックスから2回もボールを奪うとはやるじゃないか」
「あの子はサッカーが好きだもの。学校でもサッカークラブに入っているそうよ」

 道理で。イレアナの説明にゲオルグはほくそ笑む。あのアレックスの手を焼かせるのだから才能は本物だろう。ゆくゆくは
プロリーガーかもしれぬ。華々しい弟の将来を夢見て、ゲオルグは心が躍るのだった。

 賑やかなのは前庭だけでなくゲオルグ達のいる食堂も同じだった。食堂に並ぶテーブルのそこかしこではハイティーンの
子供達がたわいもない話に花を咲かせている。壁際では机に腰掛けた男達がどこのバンドのドラムが最高か議論を交わし、
また日差しが差し込む暖かそうな窓辺では女性陣が紅茶を手にドラマの若い俳優の魅力について語り合っている。
 そしてカウンターを挟んで隣の厨房からも楽しげな声が聞こえた。
 時とともに規模を増していく孤児院に厨房の能力が追いつけなくなって久しい今、孤児院の食事は外部の給食センターが
担っている。役目を失い閉鎖されるはずだった厨房は孤児院の料理好きの子供達により維持され、料理教室へと姿を変えた。
かくして厨房ではパティシエを志す子供達による菓子作りや、花嫁修業のための手料理教室、食の道を究めんとする者達の
怪しい創作料理の場として週末ごとに賑わいを見せている。
 ふと仄かにトウモロコシの匂いがゲオルグの鼻をくすぐった。これはママリガだろうか。ママリガは粗挽きしたトウモロコシの粉を
熱湯で練り上げた食べ物だ。かつて厨房が孤児院の食を一手に引き受けていたころは、付け合せとして毎食のように食べていた。
1人立ちした最近は商店で手軽に買える利便性からパン食の日々だが、あのトウモロコシの香りが懐かしくて、食欲をそそる。

「お腹空いた?」

 心情を見透かしたように、イレアナがゲオルグの顔を覗き込む。胸中をずばり言い当てられたゲオルグは恥ずかしさのあまり
顔をそらすと、慌ててイレアナの言葉を打ち消した。

「いいや、別に」
「はいはい。そうそう、このビスケット、シモナお姉ちゃん達が作ったの。ゲオルグもよかったら食べたら」

 可笑しそうに微笑むイレアナは思い出したようにテーブルの脇に置かれていた籠をゲオルグの前に滑らした。白いプラスチック製の
籠の中には、表面にゴマを散らしたビスケットが並べられている。姉に見透かされた空腹感を否定した手前、そう易々と手を出すわけには
行かない。だが、不満そうに声を上げる腹は正直だ。プライドと欲望との板ばさみ。結果は欲望が勝った。かくしてゲオルグは
眉間にしわを刻みながらビスケットに手を伸ばした。そのまま1口かじる。口いっぱいに広がるゴマの風味。これは美味い。
思わず鼻を鳴らしたゲオルグの眉間からは、たちまち皺が消えていった。

 しばらくゲオルグはイレアナとともにビスケットをかじっていた。ビスケットそのものは文句なしの出来だ。だが、ふと思うところがあり、
ゲオルグは再度眉間に皺を作った。
 菓子作りが行われているせいか、今日はどこにでもお菓子がおいてある。これでは、自分が持ってきたケーキは邪魔だったか。
むう、と思わずゲオルグはうなり声を漏らす。

「どうしたの」

 目の前で苦悶されては流石に黙っていられないらしい。不安げな面持ちでイレアナがたずねてきた。

「いや、俺が持ってきたケーキだが、もしかしたら邪魔だったかと思ってな」
「そんなことないわよ。皆感謝してるわ」

 ゲオルグの言葉を打ち消して、イレアナはにっこりと微笑む。その笑顔に、ゲオルグはなんだか救われた気がした。

「それに、今日は普段食べれない子も食べられるもの」

 それは一理あるかも知れぬ、とゲオルグは考える。普段は世間一般で言う平日であるため、学校のある年長組は必然的に
食べそびれている。年少組が手作りのビスケット等で腹を満たしている今日ならば、普段は食べることのできない年長組も
機会があるわけだ。

「なら、いいんだがな」

 安心した風に微笑んで、ゲオルグは紅茶に口をつける。イレアナの、絶対そうよ、という後押しが、ゲオルグには嬉しかった。

「そういえば、この前の演劇、楽しかったね」

 ゲオルグのつまらぬ憂いが一段楽したところで、イレアナが新たな話題を切り出した。イレアナはつい先日孤児院で行われた
有志による演劇の余韻がまだ取れていないようだ。。

「確かにな。とくに"やりたいことリスト"の消化方法は秀逸だった」

 突然の事故で友人を失ったアスカとオトハは喪失感のあまり死を決意する。死が目前に迫ったからこそ彼女達は
"やりたいことリスト"をつくり、死までの1年間精一杯生きる。というのが演劇のストーリーだ。リストアップされたやりたいことは
たわいもないものもあれば、破天荒なものもある。リストを1つ1つ潰していく過程の寸劇には何度も笑わされた。だが、
最大の見所は最後の項目、愛の告白、だろう。想い人を事故で失い、実行は不可能だと思われるのだが、ここで
それまでの伏線が次々に回収されていき、物語はクライマックスを迎えるのだ。そしてここから怒涛の勢いで感動的な
ラストシーンへと進んでいく。最後の灯台での2人の会話にはゲオルグも目頭が熱くなった

「最後の灯台での2人の会話、よかったねえ」
「ああ、そうだな」

 遠い目をするイレアナに適当な返事を返しながら、ゲオルグは別のことについて考え始めていた。孤児院で演劇を行った
有志の1人、クラウス・ブライトのことだ。
 演劇の後、食堂で茶会を楽しんでいるとき、彼は自身の身の上について語り始めた。最初に彼が切り出した話は、
自分が告死天使だということの告白だった。もっとも、ゲオルグにはそんなことどうでもよかった。心の内で彼を
虚言癖を持つ男とレッテル張りしたゲオルグは、そんな心情をおくびにも出さない持ち前の鉄面で彼の告白を受け流した。
 重要なのはその後だ。彼は酒場を営んでいた自分の父がマフィアの抗争に巻き込まれて死んだと語った。死の時期や、
酒場の場所を鑑みるに、ゲオルグは思う。クラウスの父の殺害を指揮したのは俺だと。
 復讐者の存在などとうに承知していた。ベッドの上で死ぬなどという幻想はとうの昔に投げ捨てた。自分が放った銃弾は
いつか必ず我が身に帰ってくると常に自分に言い聞かせてきた。だが、それでもゲオルグは当惑せざるを得ない。向こうは
知らないとはいえ、復讐者が友好な存在だからだ。これも神の試練か。苦笑い1つ浮かべてゲオルグは紅茶をすする。
 殺される覚悟はある。だがむざむざ復讐されるつもりはなかった。可愛い弟妹を放っておくわけにはいかないからだ。
 ゲオルグは考える。さて、復讐を企むクラウスに自分は何をすればいいのだろうか。すっぽりとはまり込んだ殺し合いの
泥沼で、自分はどのようにあがけばいいのか。
 殺すか。
 短い思索の末の結論は天啓的な閃きをもってゲオルグの脳内を占拠していく。
 そうだ、殺せばいいのだ。殺せば、復讐の恐怖から開放される。クラウスに己の罪過を暴かれることに怯えずに済む。
友人に隠し事をする苦悩もなくなる。全ての問題がたちどころに解決される。これほどの解答がどこにあろうか。
 泥沼の更なる深みへはまり込んでいないか。己の良心が理論武装して究極の解法に異を唱える。健気にも
立ち上がったゲオルグの良心はゲオルグの中の修羅によりすぐさまねじ伏せられる。既に自分の手のひらは
血で真っ赤だ。いまさら綺麗事などあるものか。

「お兄ちゃん」

 不意に声をかけられ、ゲオルグははっとして顔を上げた。
 視界に飛び込んできたのは、肩まで伸びたゆるいウェーブの茶髪に、そばかすの少女の顔。モニカだ。何事かとゲオルグが
当惑していると、モニカは両手で持っていた籠をゲオルグの目の前に差し出した。中には膨らんだクッキーのようなものが入っている。

「スコーン作ったんだけど、1つどう?」
「ん、ああ、ありがとう」

 籠の中身はどうやらスコーンらしい。ゲオルグは礼を言うと籠の中に手を伸ばした。焼き立てだろうか、手に取ったスコーンは
仄かに熱を帯びている。かじる。美味い。口に広がる甘みを租借しながら、ゲオルグは再度思索に入った。
 思考を仕切りなおしたせいだろうか、殺人の魅力がどこかか色あせている。これを好機とばかりにゲオルグはクラウス殺害について
再考した。
 これまで自分は数え切れぬほどの人を殺してきた。では自分はニュースでたびたび現れる殺人鬼と同類の存在なのか。
否。提示された問題をゲオルグはすぐさま否定する。その理由として、ゲオルグには自負があった。自分は決して自分のための
殺しをしていない。これまで自分が行ってきた殺人は、全て"偉大な父"のため、ひいては巡り巡って弟妹達のためだった。
これこそが、己の欲望に振り回されて他者を踏みにじる殺人鬼との大きな違いだ。
 そこまで考えたところでゲオルグは思考を進展させる。では、クラウス殺害はいったい誰のためだろうか。これは家族のためだろうか。
 ……分からない。
 家族のためなのか、と頭の中で問題を提起するが、その後が続かない。言葉にできない思考は印象に近い形でか細い声を上げる。
違うんじゃないかな。違うのか、と言葉にした時には声を上げた印象は既に身を隠しており、後には後ろ盾を失い申し訳なさそうに
佇む言葉だけが残る。これではどうにも判別がつかない。

 しばし1人で悩んでいると、不意に横合いから、ゲオルグ、と声をかけられた。顔を上げると、声の主であるイレアナは黙って
ゲオルグの正面へ指を指す。姉の動作に釈然としないながらもゲオルグは指示通り前を向いた。ゲオルグの真正面では、
先ほどスコーンをくれたモニカが、どういうわけか不安げな面持ちでこちらを見ていた。

「ん、モニカ、どうかしたのか?」
「あの、お兄ちゃん、スコーンの味、どうだったかな?」

 ゲオルグの言葉に、モニカは籠を持つ手の人差し指だけ立てて、おずおずとゲオルグの手の内のスコーンを指差す。

「味、ああ、美味かったが」

 味を確かめるようにゲオルグはスコーンをかじった。さくさくした食感のスコーンは控えめな甘みが小麦の風味を引き出していて、
素朴ながら実に美味だ。

「そう、よかった。そうそう、お姉ちゃんも1つどう?」
「ありがとう、いただくわ」

 ゲオルグのモニカは言葉に安堵したかのように笑うと、手に提げていた籠をイレアナに差し出した。丁寧に礼の言葉を述べた
イレアナがスコーンを受け取ると、モニカは踵を返して窓際で歓談している女性グループの方へ向かっていった。同じように
スコーンを配って回るようだ。
 モニカの背中を見送りながらスコーンの残りを口に放り込んだところで、また横からゲオルグと呼ばれた。今度はなんだろうか。
顔を向けると、中指を折り曲げた手が眼前に突きつけられて――こつん。眉間を貫く軽い衝撃。でこピンだった。不意を打たれ
驚くゲオルグをよそに、イレアナは椅子に座りなおすと言った。

「感想はすぐに言うこと」

 憤慨した風に言う姉の言葉に、ゲオルグは目を白黒させる。確かに、スコーンの感想を言うのは遅れたが、ここまで怒られる
必要があるのだろうか。……あるのだろうな。ぴしゃりと言った姉の台詞に反論の余地はない。理解は未だ追いついていないが、
その必要性を認めたゲオルグはしゅんと肩を落として、はい、と呟いた。

「よろしい。でもどうしたの? 考え事?」
「まあ、な」

 この孤児院によくしてくれているクラウスを殺すつもりだった、などとは口が裂けても言える筈がない。適当に言葉を濁して、
ゲオルグは視線をそらす。

「ねえ、ゲオルグ」

 遠慮がちにイレアナがゲオルグを呼んだ。いつになく控えめな口調に、ゲオルグは気になって視線を姉に向けた。

「ゲオルグがよく考えて出した答えなら、お姉ちゃんはそれについていくからね」

 丁寧に紡がれたイレアナの言葉が、ゲオルグの臓腑に突き刺さる。この人はどこまで見通しているのか。驚愕と畏怖が
入り乱れた感情が、ゲオルグの喉を詰まらせる。ゲオルグが言葉を失い生まれた一瞬の間を、イレアナはただ黙って
目を伏せている。
 演技をしろ。狼狽する思考は停止寸前のところで持ち直し、ゲオルグに指令を送る。問題は些細な事象に過ぎないという
演技をしろ。ゲオルグは己の思考に言われるがまま、わざとらしく頭をふった。

「……何を言い出すかと思えば。これは姉さんには関係のないことだ。気にしなくていい」

 これは"子供達"とクラウスとの問題だ。孤児院とは関係のないことだ。自分に言い聞かすようにゲオルグは自分が発した
言葉を頭の中で繰り返す。
 そう。イレアナはそう呟いてそれっきり押し黙る。降りしきる沈黙が気まずくてゲオルグは紅茶をすすった。
 とりあえずクラウスについては、しばらく静観しよう。そう易々とばれるようなものでもあるまい。下手に動いて尻尾を出すよりは
ましだろう。もしばれてしまったら。考えたくないが考えねばならない。もし自分の正体がクラウスにばれたならば、腹を決めるしか
あるまい。降りかかる火の粉は払わねばならない。彼には死んでもらう。
 前庭で遊ぶ子供達を眺めながらゲオルグは祈った。どうかあの兄妹が志半ばで果てんことを。





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