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ゴミ箱の中の子供達 第23話

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konta

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ゴミ箱の中の子供達 第23話



23-1/6

「何があったのか教えてくれるかな」

 金魚の糞のように後を追うアレックスと共に孤児院の門を抜けていくゲオルグの背中を見送ったイレアナは、そうモニカに
詰問した。口調こそ穏やかであったが、その響きに拒否を絶対に許さない決然とした意思をモニカは感じた。食堂の椅子に
座り、ゲオルグが孤児院を出て行くまでじっと押し黙っていたモニカは姉の問いに抗うことなく口を開いた。
 怪我の手当てを終えて喫茶店を出てからというもの、モニカは兄に声をかける事が怖くてならなかった。また拒絶されるのでは
ないかという恐怖がゲオルグとの前に壁を作っていた。孤児院まで送る、そう言って並んで歩くことになった帰り道をモニカはただ
気まずさだけ募らせていった。針の山を歩く苦行じみた帰路を終えて孤児院にたどり着いたモニカは食堂の椅子に力なく座り込んだ。
対してゲオルグはというと腕に包帯を巻いて帰ってきたことに目を丸くしたアレックスを面倒そうにあしらっていた。病院で縫って
もらって来る。そうアレックスの頭越しに言ったゲオルグは、別れの言葉を続けて踵を返した。一緒に行くと言ってまとわりつく
アレックスに、悪いな、と謝って、ゲオルグは孤児院を出て行ったのだった。
 喫茶店での出来事を傷の手当をしたと軽く流して、告白を終えたモニカは姉の所感を待ち構える。兄が傷つくことになった今日の
出来事を姉は叱るのだろうか。叱責を予測してモニカは身を強張らせた。机を睨み、悔恨に沈み、モニカはただただ叱咤を待ち構える。
だがそんなモニカの耳に優しい声が飛び込んできた。

「よかった」

 思いもしなかった言葉にモニカは視線を上げると、テーブルの向こうに座るイレアナは安堵したかのように微笑んで、モニカに
カップを滑らせた。目の前にやってきたティーカップに思わず手をかけたモニカに、イレアナは続ける。あなたが無事でよかった、と。

「あなたが無事でよかった。それがなによりよ」

 そう言って、イレアナはモニカに笑いかける。その笑顔がモニカには理解できなかった。なによりだと言えるイレアナの心理が
理解できなかった。そもそも兄は怪我をしてしまったというのに。

「無事って、お兄ちゃんは怪我したんだよ」

 ティーカップを手にしながらモニカは反駁する。だが、イレアナの笑顔は崩れない。

「あなたを守った勲章ね。今度来たら褒めてあげないと」

 楽しげな声色で、イレアナは語る。その明るさが、兄の腕を走る傷を誉れだというその朗らかさが、モニカには我慢ならなかった。
いままで兄の一番近くにいた人は誰だったのか。毎度のように行っていた二人の茶会。モニカがひたすら羨んだあの時間は
なんだったのか。

「笑わないで」

 湧き上がった怒りをぶつける様にモニカは声を張り上げた。自分へ向けられた怒声に、イレアナはカップを持ち上げた手を止める。

「お兄ちゃん、ボロボロだった。腕だけでも、いっぱい、いっぱい傷があった」

 垣間見た兄の素肌に走る無数の傷跡。下肢でこれなのだから、体の惨状は言わずもがなだ。兄はいったいどれだけの辛酸を
舐めてきたのだろうか。

「あのままじゃ、お兄ちゃん死んじゃう。もっと傷だらけになって、もっとボロボロになって、いつか絶対死んじゃう」

 傷を見て感じた予感。無数の傷跡がこのまま際限もなく増殖し、いつか兄を取り潰す未来。いつか起こるであろう兄の破滅の姿。
それがモニカにはどうしようもないほど怖かった。いつか兄をボロ屑のように磨り潰すであろう無数の傷跡が、堪らないほど怖かった。
だからこそ、兄に新たに生まれた傷を、兄を一歩一歩着実に奈落へと引きずり込んだ証を、勲章だと無邪気に喜ぶ姉がモニカには
どうしても許せなかった。

「あのままボロボロになるお兄ちゃんなんて、あたし見たくないよ。お姉ちゃんみたいに笑えないよ」

 胸の中で渦を巻く憤りに声を震わせながらモニカは言う。握り締めたカップが震えて小さな音を立てた。責めるような妹の言葉を受けた
イレアナに普段の暖かい微笑みはなかった。
 微笑を落とし、真摯な表情に変わったイレアナの、どことなく悲しげな瞳がモニカの眼を覗き込む。心の奥底を探るような、真っ直ぐな瞳。
かまうものか。あたしはお兄ちゃんのことが好きなんだから。あなたよりも何倍もお兄ちゃんのことが大好きなんだから。己を見据える
眼差しにモニカは臆すことなく睨み返した。


23-2/6

 一拍の間を空けて、イレアナが先に視線を落とした。何かを思い至ったかの様に息をついた彼女は、机に手を突き、椅子を鳴らす。
おもむろに立ち上がったイレアナは、怪訝な視線を送るモニカに背を向けると、前庭へのガラス戸へと歩いていった。
 ガラス戸から差し込む赤みを帯び始めた日の光に、イレアナが影を作る。ガラス戸の向こうでは、影が背を伸ばしても尚遊び続ける
子供達の歓声が木霊していた。ガラス戸の前で立ち止まったイレアナは、前庭とを隔てる透明な壁に、まるで羨むかのように手を
合わせると声を上げた。ねえ――視線は庭を移したまま、背後に座るモニカにむけて。

「ねえ、モニカ、あの壁の向こうには何があると思う」

 イレアナの視線の先で、孤児院を守る白壁は傾いた太陽でオレンジ色に輝いていた。あの壁の向こうには廃民街がある。お世辞にも
治安が良いとは言えないが、幼いころから慣れ親しんだ街が。それがどうかしたのか、そうモニカが言う前にイレアナが言葉を続ける。

「あの壁の向こうには悪い人がいっぱいいる。いっぱい、本当にいっぱい、ね」

 噛み締めるように呟くイレアナの言葉。確かに壁の向こうの廃民街は都市の悪徳を詰め込んだスラム街だ。暴力沙汰は当たり前。
マフィアが当然の様に跋扈し、悪漢がいたるところで蠢いている。だがそれはこの街の住人にとっては当たり前のこと。ましてや
その悪漢が作り上げたこの孤児院の住民が気にする必要があろうか。疑問を込めたモニカの視線に、イレアナは振り向きもせずに
続けた。

「ゲオルグはね、その悪い人たちから皆を守るためにああして頑張ってるの。皆を守るために傷だらけになっても頑張ってるの。
 あの傷は皆を守った証。ゲオルグは見栄っ張りで恥ずかしがり屋だから外に出したがらないけど、褒めてあげてもいいんじゃ
 ないかな」

 姉の言い分は理解していた。兄の傷も、その後ろ暗い生業も、全てはこの孤児院のためであることを。自分を含めた弟妹達の
笑顔のためであることを。でもモニカは笑えなかった。自分達の笑顔が兄達を下敷きにしていることを笑えなかった。笑って
兄達の身が滅びるまで囃し立てる事なんてできるわけがなかった。例え兄の望む道であろうとも、死につながる道を、兄を
失うことになる道をどうして受け入れられようか。

「でも、そうするとお兄ちゃん死んじゃう。あのまま傷だらけになっていつか死んじゃう。お姉ちゃんはそれでもいいの」

 兄が死ぬことを、兄を失うことを、今まで兄を一番近くで見ていたあなたは怖くないのか。モニカは魂を込めて姉に問うた。自分の
兄への想いで打ち砕かんとばかりにモニカは声を張り上げる。目頭が熱いのは姉への怒りか、兄への憐憫か。滲み掛けた視界の
中に姉は赤い逆光で影を作る。
 孤児院の壁を眺めていた影が振り返った。証拠とばかりに一つにまとめていた姉の髪が舞い上がる。赤くなった夕空を背に、
イレアナはモニカに顔を見みせて、微笑んだ。夕日の影の中でイレアナは確かに微笑んで答えた。

「信じてるから」


23-3/6

 信じてる。頭の中で姉の言葉を反芻し、それでも理解しきれぬ意外な言葉にモニカは絶句する。言葉を失ったモニカにイレアナは
笑いかけて、スリッパを鳴らした。

「それに、私は私ができることをしているもの」
「できること?」

 元の席に座って言葉を続けたイレアナに、モニカは言葉を繰り返してたずねる。イレアナは嬉しそうに笑ってティーカップを持ち上げた。

「お茶を淹れる事」

 穏やかな、優しい声でイレアナは答える。

「外だとゲオルグはいつも気を張ってるから、せめてここくらいは気を抜けるように、美味しい美味しい紅茶を淹れてあげる事。それが
 私のできること」

 そう言うと、イレアナは誇るように微笑んだ。
 イレアナの言葉につられて、モニカは自分の掌の中にあるティーカップに目を移した。おぼろげに自分の姿を映す琥珀色の液体。熱を
失って時間がたっているのか、取っ手からは微かに冷気すら感じられる。ティーカップを持ち上げて、口をつけた。咥内に流れ込んだ紅茶は
予想通り冷め切っていた。冷たい。だが、美味しかった。喉を通る紅茶は、温もりを完全に失っているはずなのに、どこか心地よく優しい
味がした。これは信頼なのだ。そうモニカは思った。姉の兄に対する信頼がこの味を作っているのだ。
 紅茶に込められた兄に対する想い。それを理解した途端、モニカはどうしようもない敗北感を感じた。つまるところ、自分は兄を信じて
いなかったのだ。危険で後ろ暗い兄の行いを自分は信じ切れなかったのだ。だからこそ、兄がいなくなると思ったのだ。自分の想いは、
姉ほどではない。そもそも姉は兄との茶会を数年も続けていた。数年も、来訪する度に思いのこもった紅茶で兄をもてなし続け、そして
見送り続けた。欲望と陰謀が渦巻く闇の世界へ帰っていく兄の背中を幾度となく見届け、そして再来を信じて紅茶を作り続けた。そもそも
自分なんかが敵う相手ではなかったのだ。

「紅茶、美味しかった」

 そう言って、モニカは席を立つ。突然立ち上がった妹に戸惑う姉をモニカは出来るだけ見ないようにして廊下に向かった。姉を見れば見るほどに
兄への想いを見せ付けられてる気がして、自分が情けなくてならなかった。微かに目頭が熱を帯びる。だが、自分のプライドと、自分の兄に対する
想いを賭けて、涙だけは零さなかった。

「そうそうモニカ、最後に良い事教えてあげる」

 食堂と廊下とを隔てる扉に手をかけたところでイレアナが不意にモニカを呼び止めた。背後からかけられた言葉に、モニカも思わず振り返る。

「ゲオルグにコーヒーは止めてあげてね」

 兄にコーヒーはいけない。何故。そもそも何でこんなときにその話を。姉の意図が分からず困惑するモニカにイレアナは続けた。

「ゲオルグは甘党なの。見栄っ張りだから黙って飲むけど、本当はあんなニガニガ嫌いなのよ」

 そう言ってイレアナは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


23-4/6

 事の顛末を黙って聞いていたマリアンの横で、クッションを抱きしめたモニカの声がいつの間にか震えていた。

「あたし、お姉ちゃんに勝てない。お兄ちゃんのこと好きだけど、でも、でも……」

 喉を震わせ、搾り出すように続けていた声がついに止まる。抱きしめられていたモニカのクッションに雫が落ちた。1つ2つ……クッションに
出来た染みは着実に数を増やしていく。自らの頬を伝うものに限界だったのかモニカはクッションに顔を埋めて、とうとう声を上げた。
 隣で咽び泣くモニカの背にマリアンは手を伸ばす。体を丸めて、ずいぶんと小さくなったその背中を慰めるようにマリアンや優しくさすった。
恋破れた者にかける言葉をマリアンは思いつかなかった。思えばこの結末は最初から想像していた事のはずだ。かつてモニカの兄に対する
想いをBGMに、慰めの言葉をあれやこれやと考えていたはずだった。だが、いざ現実になると、用意していた言葉は全て霧散していた。
雄弁だった想像とは違い、今の自分はまるで小心者の様に喉から声は出ない。それでもマリアンは迷わなかった。態度は言葉に勝る。
そう信じたマリアンは思い切ってモニカの背中から肩に手を伸ばしモニカを抱き寄せた。モニカとは同性であるが、胸を貸すつもりだった。
モニカは抵抗しなかった。全てを任せるようにマリアンの胸元に収まったモニカは、それまで抱きしめていたクッションを離すと、マリアンの
背中に手を伸ばす。マリアンの胸元に縋り付いて、モニカは泣き続けた。
 泣きなさい。モニカの頭をなでながら、マリアンは思う。悲しみは涙になって外に出て行く。そして後には幸せな記憶が残るのだ。だから
泣きなさい。今は泣いて、泣き続けて、この悲しみを全部出しなさい。マリアンの思いに同調するように、モニカは声を上げて泣き続けた。
 マリアンの胸に抱かれ泣き続けるモニカ。時が経つほどに咽ぶ声は弱まり、しゃくり上げの間隔は広がり、やがて止んだ。マリアンの
背中に回された手の力が弱まり、マリアンの胸からモニカの重みが抜ける。マリアンから身を離したモニカは小さな声で言った。

「ありがとう」
「どーいたしまして」

 モニカの感謝の言葉にマリアンは胸の荷が下りた気がした。
 そのとき、くぅー、という可愛らしい音がマリアンの耳に飛び込んだ。腹の虫の音だ。当然ながらマリアンではない。となると……。マリアンの
視線の先でモニカは恥ずかしそうに目を落とした。大失恋の後でも体は平常進行らしい。それが余りにも滑稽で、マリアンは思わず噴出した。
あはは、と声を上げて笑うマリアンにつられたのか、モニカも笑い始める。つい先ほどまで泣き声が響いていた部屋に今度は笑い声が木霊した。
 モニカと二人で笑いながらマリアンは時計を盗み見る。夕食の時間は既に終わっていた。恐らくもう食堂は片付けられているだろう。仕方ない。
意を決し、マリアンは二段ベッドから立ち上がった。

「ちょっと晩御飯買いに行くわ」
「あたしもいく」

 マリアンが告げるとモニカも二段ベッドから這い出てきた。ベッドから足を下ろそうとするモニカをマリアンは笑って制する。

「あんたその顔で行くつもり?」

 マリアンの言葉に、モニカははっとしながら自分の頬に手を当てた。

「今のあたしの顔ってそんなに酷い?」
「控えめに言って、酷いわね」

 真っ赤になった目。頬には涙の後がくっきりと残っている。どこからどう見ても大泣きした後だ。
 マリアンの指摘にモニカは、嘘、と声を上げた。

「だから私が買ってくるわ。何がいい?」
「じゃあ、サンドイッチ」
「具は?」
「卵」

 モニカの意向を聞きながらマリアンはクローゼットを開ける。中から手近な上着を見つけると、それを羽織った。涙やら何やらでべちゃべちゃになった
胸元は、決して人に見せられたものじゃない。

「分かったわ、じゃ、いってくるわね」
「うん、いってらっしゃい」

 笑いあって、マリアンは部屋を出た。


23-5/6

 職員室で外出の連絡の後、玄関に行くとドラギーチに出くわした。スリッパを出して靴を下駄箱に閉まっている所を見ると今帰ってきたところらしい。

「あんた、こんな時間に何してたの?」

 夕食の時間も過ぎ、玄関の向こうは闇が下りている。このなよなよしたナード面に、自室でエレキギターを鳴らすことを好む少年が、夜中に外に出て
一体何をしているのか。
 マリアンの疑問にドラギーチは言いにくそうに言葉を詰まらせてから答えた。

「……走ってた」

 見れば額や胸元に汗が浮かび、顔も赤みを帯びている。息も少し乱れてるようだ。あんたはそんな体育会系だったか? 意外な答えに言葉を失う
マリアンははたと昼の会話を思い出した。兄に嫉妬の念を募らせて、うじうじと昼食の芋を潰していたこの少年に、マリアンはいざというときに守って
くれそうな逞しさがモニカの惚れたところだと語った。大方その言葉に感化されて、自分もタフネスを得ようと鍛えていたのだろう。なんとも殊勝な
心がけだ。

「そっちは?」

 マリアンが納得したところで、今度はドラギーチがたずねる。

「晩御飯を食べ損ねたから、買出しってとこ」
「付いていこうか」

 女の夜道は危険とばかりに、ドラギーチが同伴を進み出る。だが、マリアンは片手をひらひらと振って断った。

「いーわ、ボブおじさんの店だから」

 ボブおじさんの店とは、孤児院の者からボブおじさんと呼ばれている腹の出た中年のアフリカンが経営しているコンビニエンスストアのことだ。門から
左を向けば30m程先の丁字路に看板が見える。何かあれば孤児院にも店にも駆け込める距離であるし、最悪の場合でも悲鳴くらいは届くだろう。
 マリアンの返事にドラギーチは気にするそぶりも見せず、そうか、と答えて、床に出ていたスリッパをつっかけた。スリッパを鳴らし、脇を抜けていく
ドラギーチと入れ替わるように下駄箱に手をかけたマリアンは、ふと思うところがあり口を開けた。

「そーそー、いまモニカが大変なのよねー」

 まるで独り言でも呟くように、床に並べた靴に視線を向けたまま言った。マリアンの横で離れていくスリッパの音が止まった。
 食いついた。


23-6/6

「恋破れたってやつ? さっきまで大泣きしてさ、こっちも大変だったのよねー」

 ほくそ笑みたい思いを押し隠し、マリアンはさも人事の様に呟く。

「モニカを一人には出来ないけど、買い物には時間がかかりそうだからねー」

 流石に白々しすぎる気もするが、この奥手な少年にはこれ位がいいかもしれない。
 マリアンが靴を掃いている間、逡巡するかのように静寂が帰ってくる。もう一押しかもしれない。つま先を叩きながらマリアンはドラギーチを見据えた。

「あんたはモニカを一人にするの?」

 マリアンの眼差しを耐えれなかったのか、ドラギーチは視線を落として、首を横に振った。

「……しない」
「じゃあ、どうするの?」

 問い詰めるようなマリアンの言葉を受けて、ドラギーチは、でも、と躊躇うように呟く。

「でも、俺でいいのか?」
「あんたじゃ駄目だと言ったら、あんた、それでいーの?」

 マリアンの問いかけに、考え込むようにドラギーチは押し黙る。だが、マリアンが痺れを切らす前にドラギーチは顔を上げた。

「行く」

 決然とした眼差しでマリアンを見据えて、ドラギーチは言った。なんだ、男らしい顔も出来るじゃないか。満足したマリアンが頷くと、ドラギーチは
踵を返した。
 後は彼の武運を祈るだけだ。マリアンも踵を返し外に向かおうとすると、出し抜けに背後から、マリアン、と呼び止められた。振り向くとドラギーチが
廊下の前で立ち止まって、マリアンを見ていた。

「ありがとう」
「貸し1ね」

 感謝の言葉にマリアンは笑った。笑って、今度こそ2人は別れたのだった。

 ふと、玄関を出て前庭を横断しながらマリアンは思った。自分は大切な友を売ってはいないか。恋に破れたこの一番大切な時期にドラギーチを
けしかけたこの行為は、本当は凄く外道なことではないか。胸の奥で沸き起こる罪悪感。心臓が溶かされるようなこの心の痛みを、マリアンは
楽観的な想像で振り払った。上手くいけばモニカは新しい恋に目覚める訳だし、そこまで行かなくとも、自分のことを大切に思ってくれている人に
気づけるはずだ。自分のことを気にかけてくれている人がいるというのは、それだけで救われた気になれるものではなかろうか。ドラギーチが
失恋の弱みしか付込めないクズなら、後で制裁すればいいだけだ。どう転んでも悪くはならないはずだ。そう結論付けると、マリアンは罪悪感を
振り払うように別のことを考え始めるのだった。晩御飯は何にしよう。モニカがタマゴサンドだから、自分はツナサンドにしようか。



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