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GEARS 第零.五話前編

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時は統合歴329年1月下旬、まだ守屋一刀が中学生だった頃まで話は遡る。
当時の八坂高校と、宋銭高校のギア部の関係はそれ程懇意な物では無く、選手間の交流もあって無いようなものだった。
両校が力を入れている種目が全くの正反対であった為、両校の代表的な選手達は其々に意識を傾けていなかったのである。
とは言え、この頃の矢神玲はと言うと328年度の全国大会を終えたばかり。
矢神玲は全国大会で共に轡を並べた加賀屋望の実力を認めていたし、加賀屋望も矢神玲の実力に着目していた。
だが、既に矢神の意識は月島静丸一人に向けられており、ただ静かに勝利への執着と言う心の刃を研ぎ澄ませている頃だった。

GEARS 0.5話 ~矢神玲の慌しい三日間~

今でこそ州立高校でスポーツギアをやるなら宋銭高校一択と言われる程の強豪高校として注目を浴びているが
この当時は不良高校のレッテルを払拭するかの如く、スポーツに力を入れるようになったばかりで
住み分けこそ出来てはいたものの、校内には不良と言われる人種と、スポーツマンと言われる人種が混然としていた。
矢神玲という男を、どちら側にカテゴライズするのかと問われると、取り合えずスポーツマン扱いで問題無い。
彼に関する事で教師が頭を悩ませている事と言えば、精々二つか三つ。一つは学力が不良と言うか極悪な事。
それでも、「本当に真面目な良い子なんです」とフォローする教師が多いのは、せめてもの救いだろうか。
何かと味方が多く、「人との巡り合わせが良い」と言うのは本人の弁。
それでも、一つや、二つ。誰からも受け入れ難いとされる一面が無いわけでは無い。
残りの一つか二つの問題。色町の傍で一人暮らしをしているとか、その家が廃墟となった病院であるとか。
スポーツ名門校の第一歩を踏み出したとは言え、宋銭高校に対する世間様の風当たりは、まだまだ冷たい。
だと言うのに勘当同然に実家から追い出された彼には、それを咎める親が居ない。
更に不法占拠かと思いきや、合法的な手段で彼が購入した、れっきとした物件なのである。
なので、彼を廃墟から立ち退かせる為の法的な強制力は、八坂の州条例の何処を見ても存在しない。
その事が尚更、教師達の頭を悩ませていた。ついでに販売した不動産業者も一緒に頭を抱えている。
安くで販売する代わりに廃墟と化した病院の取壊しの費用などを客に負担させる腹積もりだったからだ。

――なんで、心霊スポットみたいな所に平然と住んでいるんだよ……

そんな大人達の嘆きも何処吹く風。それなりに波乱万丈な人生を歩んでいるせいか
年齢の割に成熟した物の考えが出来る男だが、矢神玲も所詮は未成年の高校生。
結局の所は社会と法によって保護され、何の義務も責任も持たない歳相応の子供でしかない。
なので、彼が大人たちの頭を抱えさせるのも、それに気付いていない事も無理無からぬ事と言えた。
だが、そんな彼でもまさか自分が手を焼き、頭を抱える側になる事は予想だにしていなかった。

一日目――

彼の自宅は廃墟と化した病院。適当に嘘八百並べ立てるだけで、心霊スポットをでっち上げる事だって出来る。
それに此処が住居で、実際に人が住んでいるなどと思い至る筈も無く、ちょっとした侵入者など日常茶飯事。
矢神の盛大なクシャミを悪霊の叫び声と勘違いして、悲鳴を上げながら侵入者が逃げ帰るのも日常。
今の所、彼の住居スペースがある地下二階まで何の予備知識も無く、入り込んできた勇敢な侵入者はいない。
だから、矢神も見ず知らずの他人が侵入してきても、特に気分を害した事は無かった。

仮に居住スペースまで入って来たとしても――

「我が家へようこそ。自力で此処まで来れた勇敢な奴はお前が初めてだぜ」

――くらいの事は言ってやるつもりでいた。

「言ってやるつもりではいたんだがなぁ……」

夕暮れ時。廊下の天井に灯る白色光が自室を薄暗く照らし、今までいなかった何かがいる事に気付いて溜息を吐く。
事もあろうに廃墟化した病院の地下二階にある矢神の居住スペースまで侵入した挙句、大きなパイプベッドの上で丸くなり
小さな寝息を立てて、夢見心地で眠りについている少女と彼が出会ったのは、まだまだ寒さの厳しい日の事だった。

(こりゃあ……一体、どうすりゃ良いんだろうな?)

この病院が廃墟では無く、矢神の住処である事を知っている者がいないわけでは無い。
特に色町の近くという性質もあってか、それなりに多くの風俗嬢や、キャバクラ嬢が出入りしている。
女だけでは無い。アウトローに憧れて家出した世間知らずの少年を拾った事もあった。
日常の範疇と問われれば、辛うじて日常の範疇だった。

(けどよ、何の連絡も無く此処まで来て、見ず知らずの女の子を置いていく知り合いはいねぇよな……)

大抵、事の始まりは色町でのトラブルが端を発していたり、色町の女が問題を抱えた人間を此処に連れて来る事から始まる。
唐突に縁もゆかりも無い見ず知らずの他人が矢神の目の前に現れるというケースは今回が初めての事であった。
その上、書置きらしき物も残されていない事から、彼はこの少女が全くの他人であると断定する事にしたわけだが
しかし、そうなると矢神は少しばかり頭を悩ませる必要が出て来る。だったら、この少女は一体、何者なのか?

候補.1――家出少女。これなら話は簡単だ。警察に届けて保護者に引き取らせれば良い。
候補.2――家から追い出された少女。これも珍しくない。暫くの間、自分が面倒を見てやれば良い。
候補.3――何かしらの厄介ごとを抱えた時限爆弾付きのワケあり少女。

(個人的には候補.2を希望するんだけどなぁ)

矢神は半眼で少女を見下ろしながら考える。候補.1なら叩き起こして警察に連れて行って無事解決。
候補.2なら叩き起こして話を聞いた上で、少女が飽きるまで夜のぶつかり稽古でもヤりながら楽しくヤっていけば良い。

問題は候補.3だ。

(こんな所で寝るような奴だ。間違いなく、まともな手合いじゃねぇよなぁ……)

数年もの間、こんな所で日々の生活を営んでいる自分自身を棚に上げて矢神は更に考える。
どの程度、まともで無い人間なのか? そして、それは自分に御する事の出来る程度の物なのか?
どちらにせよ話を聞いてみなければ何も始まらないと、少女を起こす為に照明のスイッチを入れる。

「候補.3……つーか、穏やかじゃねぇな、オイ」

照明に照らされた少女の手足首は何かで拘束されていた痕が残されており、凝固しかけた血液に覆われている。
その上、服の所々が破れ、足の裏には幾つかのガラス片が突き刺さっており泥に汚れていた。
真っ当な生活を送っていれば、こんな怪我は有り得ないという事は考えるまでも無く、矢神は眉をひく付かせた。

「穏やかじゃない。穏やかじゃねぇなぁ……全く持って穏やかじゃねぇよ、これは」

矢神は頭を抱えて同じ言葉を三度呟くと、パイプベッドの上で丸まっていた少女が光を遮るように顔を覆いながら起き出す。

「あー……マジサイアク……もう朝ァ……?」

結構な惨状にも関わらず、如何にも寝ぼけていますという風情の少女に矢神は苦笑し、照明の光量を抑えてベッドに向かう。
緩慢な動きで身を起こした少女の目線と合うように身を屈め、改めて眺めて見るも矢張り、見ず知らずの他人。
あどけなさの残る顔立ちと、女になりつつある身体から察するに恐らく歳は十三、四。
ボサボサになった栗色の髪から覗く、勝気な吊り眼を擦る様を美少女と呼ぶにはあんまりな有様であった。

(まあ、ズタボロになった美少女なんざ聞いた事無いけどな)

「良かったな。まだ夕方だ」

「ああ、そうなの……ってぇ!?」

矢神が声をかけると、自分以外に人が居る事に驚いたのか、それとも、怪奇的な意味で驚いたのか。
寝ぼけていた少女は瞬時に脳を覚醒させたらしく、ベッドから飛び退き、小動物の様な身のこなしで矢神から距離を取る。

「お前もアイツ等の仲間か!?」

険を含んだ鋭い声。警戒心と敵意を剥き出しにした表情の中には若干の怯えが含まれている。

「アイツ等の仲間……と来たか。やっぱり、候補.3かよ。本当に面倒臭そうな鼠が入り込んで来たもんだな。
大体よ、嫌な予感や外れて欲しい予想に限って、よく当たるんだが、ありゃ一体、どういう理屈なんだろうな?」

楽しそうと言えば楽しそうに笑みを浮かべ、面倒臭そうと言えば面倒臭そうに頭を掻きながら少女に近付く矢神に
少女は腰を抜かしたまま身を強張らせて睨み付けるが、矢神が足を向けたのは少女の隣に鎮座する真っ白な保温庫。
観音開きになった保温庫からボトルを二つ取り出し、その内の一つを少女に投げ渡す。

「豆……乳?」

反射的に受け取ったボトルは程良く暖められているが、そんな事よりも無駄に気合の入った達筆で豆乳と書かれたラベルに少女は目を白黒させた。

「態々、俺の家に遊びに来た奴を歓迎しないわけにもいかないからな」

「こんな廃墟が家……? お前、ホームレスか何か?」

少女の怪訝そうな表情と辛辣な言葉に矢神は鼻で笑い、肩を竦め、得意気な表情で口を開いた。

「おいおい、ご挨拶だな。そりゃあ、見た目に問題があるのは認めるけどよ。これでも、電気、ガス、水道は勿論。ネットも完備なんだぜ? 」

天井の照明から煌々として明かりが放たれ、少女が使っていたパイプベッドには病院の備え付けとは考え難い高級ブランドのロゴが入った毛布。
更に少女が周りを見渡すと過度に装飾された悪趣味な灰皿、ビールの空き缶、山積みにされたいかがわしい本などなど。

「いかにも一人暮らしの男の部屋って感じ……」

「だろ? で、我が家に不法侵入をかましてきたお嬢ちゃんは一体、何処の誰なんだ……って聞くより先に病院だな。こりゃ、俺の手に負えんわ」

まるで世間話でもするような口調で、戸棚から包帯や消毒液が無造作に詰め込まれたクリアケースをテーブルの上に乗せるも
少女の手足首に走る傷口や足裏に刺さったガラス片を思い出して、取り出した消毒薬を再び、クリアケースの中に投げ入れた。

「鬼塚小春……って何だよ?」

「話の流れで分からなかったか? 今から医者に診せに行くんだよ。その手足、針金で縛られてたんだろ?
早いとこ治療しねぇと腐れ落ちるぞ。全く……何処のヤクザモンだか何だか知らんが、ヒデェ真似しやがる」

「く、腐……っ!?」

腐れ落ちるぞという言葉に鬼塚と名乗った少女は青褪めた表情で絶句する。
そうこうしている内に矢神は鬼塚の傷に触れないように脇から右肩を入れて肩を抱き、膝裏に左腕を通して持ち上げた。
所謂、お姫様抱っこという奴である。

「な、何すんだよ!? 下ろせって!!」

「大人しくしろって! お前、逃げるのに必死で痛覚がバカになっている事に気付いて無かっただろ!?」

暴れる鬼塚の足を上に傾け、彼女の足の裏を鏡に映してどんな有様になっているかを見せ付ける。ついでに――

「わ、分かった! 分かったから足を持ち上げるな、み、見え……」

「あーあー、見えてない見えてない。レモンイエローの紐パンなんて全然見えてねー」

「死ね! 今すぐ死ね!!」

「あー分かった。分かった。取り合えず、病院だー。病院行こうなー。此処は経営破綻した元病院だから医者は一人もいねーからなー」

顔を朱に染め、涙目で両腕を振り回す少女をしっかりと胸に抱き止め、軽薄な笑みの裏側で矢神は考える。
両手足首が出血するまで縛られ、暴行の痕はほぼ全身。それにも関わらず、何故、警察や普通の病院に行かなかったのか?

(こりゃあ、生まれからして穏やかじゃねぇかも知れねぇな……)

お前って普通の病院に連れて行っても大丈夫な奴? と正面切って聞くのも気が引ける。
そう思った矢神の足は自然と繁華街裏路地の闇医者の診療所へと向いていた。

(あんまり行きたい場所じゃないんだけどな)

闇医者の名はセシリナ・レコルワン。長い睫毛に紅色のチークと、アイシャドウが大きな碧眼を際立たせ
薄紅のリップで濡れそぼった唇からは真っ赤な舌が艶かしく動き、布地の小さなシャツから大きく肩が露出し
真っ白な肩を流れる縦ロールのブロンドが行き着く先には、豊満なバストの谷間が、これでもかと言わんばかりに自己主張している。

医者と言うよりはキャバ嬢――セシリナ・レコルワンという闇医者は、そういう【男】だった。

「あらぁ~、女連れでご登場とは相変わらずねぇ。宋銭の種馬さん?」

彼女……基、彼は甘ったるい声で品を作りながらも、得物に飛び掛ろうとする肉食獣の様に矢神の周りを回り始める。
鬼塚は場違いな場所で、場違いな者に出会ったかの様に怯え、矢神の上着を握り締め、身を硬くする。

「良いわぁ~。その怯える表情……食べちゃいたいわぁ」

自らの唇を舐め、ねぶる様に見つめる姿に鬼塚は眼で犯されているような気分になるが矢神にとっては見慣れた光景である。

「相変わらずだな、変態。もう少しまともに診察出来ないのか?」

「診察!? これが!?」

「小さなガキから、棺おけに片足突っ込んだ老人相手でもこんなだからな、この変態は……
まあ、変態だが腕は立つ。で、どうなんだ変態? 結構、ヤバい気がしたから連れて来たんだが」

やや興奮交じりに鬼塚を視姦しながら怪我の状態を見て取ったセシリナは、頭の中で医療プランを組み立てて行く。
どうしようもないが、この界隈の闇医者の中では一番腕が立つのだから仕方が無い。
一番どうしようも無いのは此処までの異常性を見せておきながら、この界隈の闇医者の中で一番【まともな人格の持ち主】であるという事だ。

「そうねぇ……骨や臓器に異常は無いみたいだし、毒性物質の投与も認められないわねぇ。
異物除去に手首と足首の治療、その他の皮膚の修復で明日の朝までには終わりそうねぇ」

「そか。ま、腕だけは信用している。コイツの事頼むわ」

矢神は勝手知ったる調子で全面をピンクの壁紙で覆われた診察室に入り、診察台の代わりになっている回転ベッドの上に鬼塚を下ろした。
天井には蛍光灯の代わりにミラーボールが淫靡な輝きを無駄に放っている。

「じゃあ、明日の昼になったら様子を見に行くから、良い子にしてろよ?」

「煩いな……お前は私の兄さんかっつーの……」

からかい混じりに撫でようとする矢神の腕を打ち払った鬼塚ではあったが、行動とは裏腹にその口調は弱々しく、不安げな表情を浮かべている。

「なんだ? 怖いのか?」

「当たり前だろ」

「だよな……」

此処が普通の病院なら徹底的にからかい倒すところだが、普通らしさの欠片も無く、何もかもが異常な病院である。
口には出さないものの、行く当ての無い少女を風俗店に沈めるような悪辣な人間になった気分にならないでも無い。
これでも、真っ当な部類に入るのだから仕方が無いとは言え、不安そうにしている鬼塚を一人残して行くのも後味が悪い。

「つーか、この部屋のレイアウトはどうにかならんのか……」

強者と競い合い、食いたい時に食い、寝たい時に寝て、抱きたい時に抱く、何かと大雑把で豪快な男ではあるのだが
流石の矢神もセシリナのこういったセンスだけは契合出来ないようで苦々しげに呟いていると、鬼塚が泡食ったように目を見開いた。

「このレイアウトには意味があるのよぉ? 淫靡な空間を演出する事により患者のエロスパゥワーを屹立させてぇ
性命力。つまりは明日への活力を高めるのが狙いなの。これも一種の医療空間。おわかりになって頂けるかしらぁん?」

「気配も無く唐突に現れるな。耳元でサッカリンみたいな声で喋るな。気持ちが悪いんだよ」

突如として矢神の耳元に現れたセシリナが甘い声で囁くが、矢神は目一杯不快そうな顔をして早口に捲くし立てる。

「表現の仕方が可愛く無いわねぇ……ところで玲? 今日は休憩? ノータイム? それとも、宿泊かしらん?」

「はいはい。宿泊宿泊。お前には何も突っ込む気になれねぇよ。少しは自重してくれ変態。小春が怯えちまってる」

鬼塚は矢神の上着を握り締めたまま、青ざめた表情で硬直しているが、セシリナはそれすらも楽しいのか、唇を舐め上げ――

「そそるわねぇ……その怯えた顔」

「ッ!?」

「良いから、さっさと治療を始めやがれ!!」

その夜、診療所からは女の笑い声、男の怒号、少女の悲鳴が鳴り止む事は無かったらしい。
朝焼けで空が白み出した頃、悪趣味な診療台に鬼塚を寝かし付けた矢神と、セシリナは
これまた悪趣味な診療所前の道路で一仕事やり遂げたような顔で煙草に火を付け、紫煙を吐き出した。
実際、仕事をしたのはセシリナだけの様にも思えるが、矢神は矢神で、鬼塚が動けないのを良い事に
良からぬイタズラをしようとするセシリナを食い止めたり、突っ込んだりと忙しい一晩を過ごしている。

(残って良かった……つーか、これから此処を使う時は女を一人で残さねぇようにしよう。見た目はアレでも、男だしな……)

寄せては返す波の様に襲い掛かる睡魔を追い払いながら決意するも
実の所、セシリナにとってみれば簡単な施術でしか無く
久々に訪れた矢神で遊んでみようと、からかっていただけに過ぎない。

空回りをしていた矢神と、からかいが過ぎたセシリナだったが――

「それで? 小春を縛っていたのは?」

「そうね……0.7ミリの針金。それから、縛り痕には、かなりの量の鉛が付着していたわ。安全基準値の数十倍のね」

――適切な処置を行えば後遺症すら残らない様な些細な傷でしか無い。
それでも、矢神ですら感付いた鬼塚の傷の異常性にセシリナが気付かない筈も無く、二人の表情と声色が切り替わる。

「数十倍の鉛……宋銭に入学したばかりの頃、この辺りで似たようなニュースを聞いたな……」

矢神はフィルターに口を付け、煙を肺の中に溜め込み、睡魔と一緒に吐き出す。朝焼けの空に紫煙が昇り消えて行く。
頭の片隅で永眠しかけていた記憶の一つを丁寧に掘り起こすように、ゆっくりとした調子で言葉に変えていく。

「キサラギ金属って言ったっけな……安全基準値の数十倍の量の鉛でコーティングされた針金を販売して監査が入ったのは。
んで、それが切欠で蛇蝎ってマフィアの下部組織のストリートギャング、サーペントとの関係性が明るみに出た後に共倒れしたんだっけな」

「学校のお勉強は全然なのに、その手のニュースには強いのね? 八坂の州知事とか言える?」

「サーペントの構成員の中には宋銭の生徒もいたからな。俺も入学したばかりの頃、誘いを受けた事があったから覚えていただけだ」

因みに八坂の州知事が誰かという、セシリナの問いかけに対してはフィルターを咥えて黙殺する事にして
朝霧に紛れて消えていく紫煙から首を巡らせ診療所へと眼を向ける。

「まー、今優先すべきはだ……小春の服と靴だな」

「そうねぇ。あの格好じゃ、此処でも職質を受けるわねぇ」

この界隈は、感覚が麻痺する程治安が悪く、特に暴行、傷害、窃盗など数え上げたらキリが無く、殺人で無ければ騒ぐ事は無いと言われる程。
それでも、流石に裸足で、泥と血に汚れた襤褸切れを纏っている鬼塚の有り得ない格好を見れば、ここの住人でも無関心ではいられない。
例え、それが色町の治安維持をヤクザ者に丸投げしている職務怠慢警官であってもだ。

「それに警察はマズイ系の子なんでしょう?」

「多分な。でなけりゃ、あんな所に逃げ込まねぇだろうしな」

そこで言葉が途切れ、二人は同時に二本目の煙草に火を付け、鬼塚の今後について考える。
鬼塚小春とは一体、何者なのか? 何故、怪我を負って尚、病院や警察にも頼らず、地下に逃げ込んだのか?
その怪我を負わせた人物、または組織は? 社会の裏側。腐敗した部分に精通しているだけに多くの憶測が駆け巡る。

そして、辿り着いた結論――

「やっぱ……服と靴だよなぁ」

「やっぱり……服と靴よねぇ」

疑わしい連中が居るには居るが、現状では何を言っても憶測の域を飛び越える事は出来ない。
結び付けられそうな情報はあっても其処止まり。結局、二人は考えるのを止めて口を揃えるのであった。

二日目――

診療所の空いたベッドで仮眠を取っていた矢神が目を覚ましたのは昼を過ぎてからの事だった。

「おーい、起きろー。玲ー、起きろってばー」

「んだよ……もう朝かぁ?」

「昼過ぎだよ、バカ。それより、この格好どうだ?」

浅い眠りから目を覚ました矢神の視界に飛び込んできたのは、馬乗りになって身体を揺する鬼塚の姿だった。
但し、ファー付きの白のパーカーを纏い、ボサボサだった栗色の髪は肩ほどで切り揃えられ、仮眠を取る前とはまるで別人かの様に整えられている。

「へぇ……見違えたじゃないか。俺の寝てる間に改造してんじゃねぇよ。変態。
つーか、この格好で虫取り網と麦藁帽子を持たりゃ、立派な虫取り少年だな」

「誰が虫取り少年だ、この野郎!」

こうした張本人――得意気な顔で此方を見つめるセシリナに異を唱える矢神。そして、その胸に拳を振り回す鬼塚。
確かに矢神の言う通り、成長途中の鬼塚の顔立ちは中性的で、格好次第では少年に見えない事も無い。
だが、ストライプブルーのインナーを、ささやかに押し上げる双丘と、女特有の香りがれっきとした女である事を証明していた。

「私なりに実用性も合わせて、この子の魅力を最大限に引き出したつもりよぉ? 」

「実用性ねぇ……」

寝ぼけ眼で身を起こし、成長途中のバストから視線を下へと下げていくと
引き締まったウェストと、ヒップの形がはっきりと分かるデニム生地のショートパンツから伸びる白い素足――

「……って、何処見てんだよ!?」

「アンダーティーンのナマ足」

「死ね!」

額と額がぶつかり合う程の距離で騒ぎ立てる鬼塚を無視して、一番の気がかりだった足首に刻まれていた傷は跡形一つ残っていない。
別に確認は同じ症状だった手首でも良かったのだが、其処はご愛嬌という奴である。
靴は真新しい白のランニングシューズ。実用性というのは比較的、走り易い――逃げ易い格好をさせたという事らしい。

「まあ似合っているじゃないか。 それで、これから如何するつもりだ?」

矢神の反応は概ね好評。鬼塚は安心したかの様に溜息を一つ吐いて、ニカッと笑うが矢神の言葉に表情をすぐに曇らせた。

「如何するって……何がだよ?」

「暫くの間、ウチで面倒見ても良いし、他所の州に逃げたいなら手引きしても良い。どうせ行く当ても無いんだろ?」

「な、なあ……何でそこまでしてくれるんだ? 良くしてもらっても何も出来ねぇのに……」

「善意っつーか、ここの土地柄だな。色町には俺も含めて色々とワケアリの奴等が流れて来るからな。
そういった連中が普通にやっていけるようにってぇ、お人好しどもの考えが連鎖してるってだけだ。
それに目の前に助けられそうな奴がいたら助けるなんてのは、人として当たり前の行動だと思うがな?」

矢神自身、今でこそスポーツギアメーカーのスポンサー契約料と、スポーツ特待の奨学金で生計を立てているが
勘当同然で家を追い出されたばかりの頃は、色町で働く女達に拾われ学校に通っていた。
良くも悪くも外界の常識が通用しない色町特有の文化が根強いこの街では、そうする事が当たり前とされてる。
だから、鬼塚の様な明らかに普通で無い者でも、面倒を見てやる事自体、矢神にとってみれば普通の行いで
散歩中にゴミ箱の前に空き缶が落ちているのを見かけたから、ゴミ箱の中に入れた程度の感覚でしかない。

「俺も、其処の変態も野垂れ死ぬ寸前のところを、この街に助けられたからな。だから、助けるのさ」

「急いで結論を出す事も無いわぁ。暫くは玲の所で身の振り方を考えなさいな?」

人が良さそうにも、胡散臭そうにも見える彼等の笑みに鬼塚は即座に頷けないでいたが
結局、鬼塚は矢神に引き取られる形で暫くの間、廃墟で同居生活を送るという事で話は落ち着いた。
帰り道、鬼塚は一人で喜び、怒り、照れ、呆けを何度も繰り返し、矢神はそれを飽きる事無く、柔らかい表情で眺めていた。

それでも、矢神の胸中は晴れない――

(一体、誰がヒデェ真似をしやがった? それにコイツはナニモンだ?)

――判断材料が少なすぎる。どんなに考えようとも、それが憶測を越える事は無いと分かっていても疑念が湧き上がる。

だが、問い質すつもりは無い。変態――基、医者に診せ、生活の基盤が整うまでの間、寝食の場を提供してやる。
鬼塚に限らず、彼が自発的に手助けをするのは其処までだ。其処から先は自分自身の意思で関与する気は無い。少なくとも今の所は。
尤も、助けて欲しいと言われれば、二つ返事で鬼塚をこんな目に遭わせた連中の息の根を止めてやる腹積もりだが。

三日目――

翌朝、寝ぼけ眼で上体を持ち上げた鬼塚をパイプベッドに残して矢神は宋銭高校の制服に着替えていた。
成績は兎も角、矢神は真面目な学生なので、月曜日早々から理由も無く欠席する事は無い。
何より、下手に休んだ日には卒業を間近に控えた部長に鬼のシゴキを受け、朝食どころか昨晩のディナーと感動の再会を果たす羽目になる。
後に天下無双と呼ばれる矢神玲にも、頭の上がらない人間の一人や二人はいるという事である。

「今から学校に行って来るけどよ、お前はどうする? 変態の所で留守番しとくか?」

変態の所――セシリナの診療所を思い出すのに約一秒、寝ぼけていた鬼塚が苦虫を噛み潰した様な表情になる。

「え……いや、良い。此処で待つ」

「そか。飯は冷蔵庫の中の物で済ませといてくれ。後、見えてるぞ」

矢神が指を差した先には両方の肩紐が二の腕に滑り落ち、脱げかかったキャミソールの襟から胸の先端が見え隠れしていた。
寝ぼけ眼でまどろんでいた鬼塚の顔が見る見るうちに赤く染まり、慌ててシーツを引っ掴んで胸を隠した。

「まあ、今更ではあるけどな」

「うるっさい! 早く行けよ! 死ね!」

目尻に涙を溜めて矢神の後頭部に枕を投げ飛ばすも、矢神が手首を翻すなり、枕は緩やかな放物線を描いて鬼塚の頭に圧し掛かった。
唸り声を上げながら、枕を跳ね除けた時には既に矢神の姿は影も形も消えて無くなっていた。

「キサラギ金属、蛇蝎、サーペントか……こういう時だけはヤンキー高校で良かったと思えるな」

矢神は廃墟の階段を昇りながら一人ごちる。スポーツ名門校の第一歩を踏み出したとは言え、叩けば埃が出て来る生徒が半数程。
そして、その手の事情に詳しい情報通の生徒を加えると、その数は実に過半数以上。手持ちの情報だけでも当たりを引く自信は充分にあった。

「おい、古坂。ちょっと、お前に聞きたい事がある」

宋銭高校スポーツギア部用シミュレータールームで作業をしているモヒカンの同級生、古坂正樹。
不良でもあり、スポーツマンでもある。或いはそのどちらでも無い。何かと中途半端な男なのだが
カタギで無い人間たちから何かと高く買われており、裏事情にも精通している――らしい。

「ンだよ?」

「お前、サーペントってチームと仲良かったよな? 解散後、どうなったか知らないか?」

「あー? へっへっへっへ、矢神ィ、お前みたいな優等生が興味を持つような連中じゃ……」

古坂は、とぼけた様な小馬鹿にしたような口振りで勿体付けようとするも、すぐにその動きを止める。
矢神が右腕で古坂の喉を締め上げ、空いた左腕で顔の形が変わる程、モヒカンを引っ張り上げたからだ。

「あのなー、古坂君よ? 今日はテメェの皮肉を聞いてやるって程、温厚な気分じゃねぇんだ。
ご自慢のモヒカンをネギみたく引っこ抜かれたく無けりゃ知ってる事全部吐いてくれねぇか?」

口調こそ穏やかだが、古坂の首を締め付ける矢神の表情は剣呑な色に染まっている。
わ、分かった分かった!! 言う言う言う!! 言うから放せって!!――とでも言いたげに目が動くのを見て開放。
自由の身になり、咳き込みながら床にへたり込んだ古坂は恨めしそうな表情で矢神を見上げて口を開いた。

「サーペントと、キサラギ金属が共倒れしたってのは学校で何度も噂になっていたのは覚えてんだろ?」

「ああ。宋銭にもサーペントの下っ端が何人が居たからな」

「けどな、実際には蛇蝎の構成員に昇格した元サーペントメンバーの梃入れで二、三ヶ月くらい活動を休止していたってだけだ」

「活動を休止していただけ……? サーペント解散の噂が流れたのは五月頃だったよな……って事ぁ、今は普通に活動しているのか?」

「あー、キサラギ金属から回収した商品を元手に八坂と砕牙の州境にある闇市で儲けているんだとよ。
此処最近の違法ギア事件もサーペントの連中が一枚噛んでるとか、出所は闇市だって噂が流れてらぁ。
まあ、そういう噂が流れるくらい何でも手に入るって所なんだがなぁ?」

「例えば人間……女とか。か?」

「サーペントで取り扱っているらしいぜぇ? 違法クローンとかでよ、最初から商品として作られた戸籍の無い女とかなぁ?」

「違法クローン……だぁ?」

「元々は金持ち専用の裏医療だったんだとよ。肺が悪くなったら、テメェのクローンから肺を取り出す。
骨が悪くなったら、テメェのクローンから骨を取る。火傷したら、テメェのクローンから皮を剥ぐってなぁ」

「余った医療用のクローンが売りに出されてるってのか? 仮にも自分自身だろうに……」

「少しばっかり違うなぁ。表向きだけでも、真っ当な医者をやっていれば色々な患者と巡り合う。
女優やアイドルみてぇな高嶺の花とだってなぁ? 医者だったらDNAデータの持ち出しだって簡単だろォ?」

「医療関係者がサーペントやら、人身売買ブローカーに一枚噛んでいるって事か……?」

「そういうこった」

「しっかし、高校生でも知っている様な事、よくも今まで明るみに出なかったな……」

「金持ちが医療用に作ったクローンが逃げ出して警察に行ったとするだろ?
そしたらよ、警察にな、オリジナルの方が居なくなったって失踪届けを出すんだ。
そして、無事に警察から合法的にクローンを受け取る事が出来るってわけだ」

「そこでクローンが何を言っても心神喪失、錯乱状態から出て来る妄言扱いか」

「ま、そういうこった。それに所詮は噂だからなぁ? 宋銭で出回っている噂の半分以上が事実って言ってもよぉ……
その真相を探ろうとする暇な大人……いや、頭の柔軟な警察が一体、どれだけいる? それこそ妄言扱いでしまいだ」

(色々繋がってきやがったぜ、クソッタレが)

部長に睨まれたのを皮切りに矢神は話を中断。そそくさとシミュレーターマシンに身体を滑らせハッチを閉じ、外部の喧騒を遮断した。
訓練メニューを起動する傍らでモバイルシステムを起動。セシリナの立体映像が表示されると共にリヴァーツが仮想世界に産み落とされた。

「ハァイ! マシンの中から秘密のお話かしらん?」

「調べて欲しい事がある。小春のDNA情報と一致する人間がいるかどうか」

無色透明の世界に着色が施され、矢神の眼前に無人のギアスタジアムが広がる。
二十五機のターゲットドローンがリヴァーツを囲み、格闘戦仕様のレイスが囲みの中に紛れ込み、砲撃戦仕様のイーゼルが囲みの外に配置される。

「人目を気にしてそんな事を言ってくるって事はぁ、早速何かを掴んだのかしらん?」

リヴァーツの肩にマウントされたギアの全長程もある巨大な斬馬刀を緩慢な動きで引き抜き、両腕で正眼に構える。
それと同時にリヴァーツを包囲する25機のターゲットドローンが二門のバルカン砲を展開。
リヴァーツのセンサーからでは分からないが、包囲網の中ではレイスが拳を、外ではイーゼルがキャノン砲を構えている頃合だろう。
そして、訓練メニューの開始を告げるサインがメインモニターの中央に表示される。

「確定情報ってわけじゃないが、小春は医療用に作り出された違法クローンなのかも知れん。
で、もしかしたら、小春のDNAデータと一致する人間に失踪届けが出ている可能性もな」

開始と同時にターゲットドローンが一斉に弾幕を展開、イーゼルのキャノン砲が火を吹き、無人のスタジアムに爆発の大音響を轟かせる。
レイスがトドメを刺すべく地を蹴り、爆心地へと飛び込むも、其処には縦一文字に切り裂かれた地面があるだけでリヴァーツの姿は無い。

「流石、ヤンチャボーイと、オテンバガールの学び舎。情報が早いわねぇ」

自身の剣圧で宙を舞い、全方位攻撃を無傷で掻い潜り、重力と自重を上乗せした重い斬撃をレイスの肩に叩き込み一刀両断。
矢神自身最初の一人目で行動指針となる情報を得る事が出来るとは思っておらず、苦笑しながら真っ二つになったレイスを斬馬刀の腹で打ち飛ばす。
レイスの残骸が数機のターゲットドローンと、キャノン砲を構えるイーゼルを巻き込む。
更にもんどり打って盛大に転倒したイーゼルがキャノン砲を暴発させ更に半数近くのターゲットドローンを消滅させた。

「放課後、そっちに寄るから情報をまとめておいてくれ」

何事も無かったかのように朝練に戻り、授業内容に頭を悩ませ、クラスメイトと談笑し、普段通りの高校生活を送る。
そして、夕暮れ――ラブホテルの様な外観をした悪趣味な診療所で、矢神とセシリナは其々に得た情報をすり合わせていく。
鬼塚と一致するDNAデータは存在するが、鬼塚小春という人間は存在しない。
鬼塚のDNAデータと一致する人間の名はフォートイン・デルモンという十三歳の少女である。
フォートイン・デルモンには捜索届けが出ていると同時に砕牙と八坂の州境にある私立病院に入院中。絶対安静以前に意識が無い。
更に鬼塚小春を産み出したのはサーペントが抱えている闇医者であるという事。

「小春はフォートインって子の予備パーツとして産み出されたってわけか。それで? そのデルモンってのは何処のヤクザモンなんだ?」

「それがねぇ……真っ白なのよねぇ」

「穏やかじゃないな……偶にいるんだよな。カタギ相手に商売吹っかけるチンピラが」

「よくある話よねぇ。デルモン氏は娘を助けたい一心。何も知らないんじゃないかしらねぇん」

「面倒だな……そのフォートインって子、お前なら治せるのか?」

「そうねぇ、あの子からDNAデータを提供してもらって臓器だけをクローニングして移植。
問題は、サーペントから目の仇にされるって事だけども……どうしようかしらん?」

「壊滅したって噂を俺が事実に変えてやれば良い。砕牙と八坂の州境の闇市を洗えば簡単だ。
今から小春を連れて来るからクローニングの準備とデルモンって人にコンタクト取っておいてくれ」

もしも……などと予期しない出来事が起こった後に言い出しても、何の意味も無い。
だが、無意味と分かっていても、矢神はそう思わざるを得なかった。
帰りに何か美味い物でも食わせてやるかなどと思って戻ってみれば廃墟の前には黒塗りにされた自動車が三台。
珍しい事では無いが、昨日の今日で真っ白な大蛇をマーキングされた車が止まっていたら矢神とて穏やかではいられない。

(セシリナの所で留守番させておけば良かったか!!)

内心で舌打ちしながら廃墟の階段を数段飛ばしで駆け下りるも、その疾駆も一つの銃声に阻まれる。

「玲ッ!!」

「ニィちゃん、運が無かったなァ? もちっと来るのが遅けりゃ死なずに済んだのによォ」

下卑た笑みを浮かべ、黒光りする拳銃を矢神に突き付ける紫色のスーツを着た猫背の男。
その背後には両脇を二人の黒服に抱えられ無理矢理引きずられる鬼塚の姿があった。更に後を続くチンピラが八人。

「サーペントってのはストリートギャングだって聞いていたんだが、どうやら暇な大人の集団らしい」

「結構結構。威勢が良いのは結構だけどなニィちゃんよぉ。あーんまり、調子くれってっとオジサン――」

猫背の男が目を見開き、拳銃の引き金にかけた指に力を込めたと同時に矢神が動いた。
乾いた銃声が廃墟の中に木霊する。銃身から放たれた弾丸が螺旋を描きながら矢神の眉間に喰らい付こうと直進する。
ベルトのバックルを握る矢神の右手が閃き、鰐皮で出来たベルトの帯が銃弾の腹を叩いて軌道を逸らし、背後の壁に吸い込まれる。

「怒っちゃうぞーってか? チャカ持って強気になるのは結構だけどなオッサンよぉ。あーんまり、調子くれてっとニィちゃん、噛み殺しにかかるぜ?」

「器用だなァ? さては、ニィちゃんカタギじゃねぇな?」

「ちょっと負けそうになったらカタギじゃないだの、素人じゃないだのと……俺は何処にでも居る、ごく普通の高校生だぜ……っと!!」

老朽化などが原因で壁や天井から崩れ落ちた瓦礫やガラス片を蹴り飛ばし、矢神は姿勢を低く駆け抜ける。
散弾の様に放たれた瓦礫が猫背の男達を襲い、その際に巻き上げられた塵や埃が煙幕の様に矢神の姿を隠す。

(チャカ持ってんのは厄介だが、大した事ァねぇな。流石に慣れているみたいだが)

脅しでもハッタリでも無く正確に眉間を狙った技量や思い切りの良さからして、猫背の男等が殺しに慣れている類だと評する。
だが、その一方で多少の反撃や目くらまし程度で怒号を上げながら出鱈目に拳銃から火花を散らせている姿を見て察する。

(一方的な暴力に慣れているだけだ。荒くれ者としては下の下だな)

塵や埃の煙幕を飛び抜け、猫背の男を一気に背後に抜き去り、鬼塚の両脇を固める黒服の前に躍り出る。

「姿が見えりゃ当てれンだよォッ!!」

猫背の男の叫び声。態々、振り返るまでも無く銃口が背後に向けられている事は分かっている。
矢神は反射的に側面に飛び退こうとして背筋が凍るような圧迫感に総毛立たせた。

(かわしたら、小春に当たる……気合入れっか!!)

右足を軸に急反転。鬼塚を背にして身を屈め、右腕で自らの頭部と首を守り左腕で胸部を庇う。
しかし、銃弾が穿ったのは矢神の左肩。避けたとしても、鬼塚に危機が及ぶ事の無い軌道だった事に矢神は舌打ちして踏み止まる。

(チッ……気合入れりゃ何とかなるって言ったのは何処の馬鹿だ!)

穿たれた左肩から少量の赤い鮮血が糸の様に吐き出され、一拍置いてから堰を切ったかの様に血液が溢れ出し、矢神の左肩を赤に染める。

「ハァッハッハ! ニィちゃん心配性だなァ? 大事な商品に傷を付けるわきゃねェだろォ?」

「玲ッ!? 逃げろ!! 逃げて!!」

傷口の中に煙草の火を押し付けられる様な灼熱感。骨の内側をヤスリで削り取られるような激痛に脂汗を浮かべる。
それでも、苦痛に耐えながら不敵な笑みを浮かべる矢神の表情に猫背の男は満足気に甲高い声で哄笑、拳銃を握った腕を挙げる。
次の瞬間、背後で鬼塚の両脇を抱えたまま微動だにしなかった黒服二人が動いた。
巌の様な拳が矢神の後頭部を、巨木の様な脚が矢神の背中を同時に強打し壁に叩き付ける。
更に間の悪い事に老朽化して脆くなった壁が崩れ落ち矢神を飲み込んだ。

「玲!? 玲!!」

「オメェが逃げ出さなきりゃ、このニィちゃんも死なずに済んだのになァ?
オメェはクライアントの愛娘に臓器を提供する為に生まれたスペアパーツだって事を自覚しろよォ?
役割を果たして死ねば皆幸せだったのになァ。このニィちゃん、オメェのせいで死んじまった!」

「ッ!?」

鬼塚は弾かれた様に矢神が下敷きになった瓦礫の山に目線を動かす。矢神の呻き声も何も聞こえない。

――死なずに済んだのになァ?

――お前のせいで死んじまった

鬼塚の瞳から玉の様な涙の粒が浮かび頬を流れ、表情から色が失せる。

「まあ、性処理用なら兎も角、医療用のスペアパーツに感情や人格、意思を与えたのは、こっち側のミスと言えばミスだなァ。
臓器移植の前にレイプしたがる変態も多い。仕様変更は見込めそうにねぇのが面倒だが……良かったなァ? 今回は時間が無い。
お前で遊んでいる暇も無いんでなァ。おウチに帰ったら、その腹掻っ捌いて必要なモン取り出したら意識残したまま焼却炉行きだ」

そして、猫背の男は鬼塚の顎を掴んで、顔を上げさせ耳元で囁いた。

「処分前に良い夢見れて良かったなァ? あのニィちゃんとあの世で宜しくヤってくれや」

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