「……っ」
何か、夢を見ていた気がする。
夢の詳細は覚えてないのが普通だ。覚えている夢は明晰夢と言うらしい……って何を誰に説明しているんだオレは。
とりあえず体を起こし、部屋の窓を開け放ち空を見上げる。もはやオレの朝の日課となっている行為だ。
今日の天気は昨日とは打って変わって曇天。
いつも通り自転車で行くか…もしくは雨を懸念してバスで行くか。
とにかく、今すべきことはなにか。
「とっとと飯食ってアイツを迎えに行くことだな……」
素早く着替え、階段を降りて台所へ。
そう、台所。お世辞にもキッチンなんて洒落た言い方が出来る場所ではない。
そこで鼻歌を歌いながら弁当箱に無理矢理唐揚げを押し込んでいる我が母、安田美緒。
「あ、俊明起きたの?」
オレに気付いてもなお唐揚げを詰め込むことに必死な母。いい加減入らないと認めて幾つか昼のおかずとして残したほうがいいんじゃないだろうか。
「……おう」
「じゃあ俊明、お父さん呼んできて」
面倒臭ぇ…と思った瞬間に我が家の台所に響く声。
「おっはよう諸君!」
勢いよく挨拶をするなかなかガタイのいいナイスガイは、我が家の大黒柱の安田俊彦。…地味にナイスタイミングだった。
「おはよう、それより唐揚げ余ったから食べちゃってー」
微妙にマイペースな母。でも言い方がとても投げやりな母。
「もちろんだ、任せろ!」
「親父朝っぱらからテンション高すぎ…って、おいそこ、オレの分を取るなっ」
そんなこんなでバタバタと我が家の朝食は過ぎていき、あっという間に学校に行く時間になった。
「…つか、今更ながら朝に唐揚げはどうかと思うんだが」
「その発言は『弁当はいらない』と同義である、と受け取ってもいいわけね?」
笑顔で脅しにかかる我が母。
「いや、そういうことじゃない…っ、時間がないんだ、早く弁当をくれよっ」
「はい、どうぞ」
「お、おう、サンキュ」
…随分とあっさりでいらっしゃるんですねー。
と、その時。家のインターホンがピンポーンという軽快な音で鳴った。
「あら、誰かしら」
母がインターホンに気付き、受話器に手を取ろうとする。
「いいよ母さん。どうせ学校行くんだ。ついでに受け答えしてくる。……どうせ新聞の勧誘か千尋だろうから」
「そう?じゃあ、お願いするわ」
母のその言葉を聞き、オレは家を出る。
門の前には、赤銅色の短髪の青年が立っていた。年の頃は二十歳前後だろう。
「どなたですか?」
オレが声をかけると、青年は爽やかな笑顔で口を開いた。
「突然すみません、実は、迷子を探していましてね。親戚とここに旅行に来てたのですが…はぐれてしまって」
「そうですか…。どんな人ですか?特徴とか」
「十二歳の女の子で、髪は水色のポニーテールですね」
そう言いながら写真を渡してくる。そこに映ってた顔を見て、オレは一瞬声をあげそうななった。
「すみません…オレは見たことがないですね」
「そうですか…。いや、わざわざ朝からありがとうございました。では」
「いえ、こちらこそすみません」
互いに愛想笑いを浮かべながら、青年は立ち去っていった。
青年が立ち去っていったのを見届けると、オレはため息を吐くとともに壁に寄り掛かった。
…あの写真に映ってたの…シュタムファータァだったよなぁ。
んでアイツを探してたってことは…仲間なのか、違うのか…。髪もアイツと同じく変だったし、十中八九関係者の類ではあるだろう。
それ以前に今の季節、ここに旅行に来るなんてよっぽどの変人しかいないだろう。その時点で不信感を持って警戒していたおかげで声を上げずに済んだが…。
「(まぁ、バレてないだろう。こちとらポーカーフェイスは得意なんだ)」
無愛想なだけなんだけどな……と心の中で突っ込み、オレは息を整えると、バックを担ぎ直し、門を開けようとした…その瞬間。
守屋神社の石段を降りているさっきの男が目に入った。
オレは咄嗟に屈み塀の影に隠れる。
「(まずい、バレたか!?)」
いや、そんなことよりもこの島を消しに来たのに何もせず、あまつさえ島民の家に厄介になっているところとか見られて大丈夫なのだろうか。いや、普通駄目だよな…。
背筋を冷や汗が伝い、嫌なイメージが頭に浮かぶ。
………“口封じ”………。
気付けばオレは守屋神社の石段を駈け登り、本殿の裏の千尋の家の玄関のドアを開け放っていた。
「千尋ッ!」
「うがぁあああっ、目が、目がぁあああっ」
……茫然自失とはこのことか。ドアを開けた先には目を手で押さえながら洗面所に駆け込む千尋の姿が。そしてそれを見守る孝明さんにシュタムファータァ。
「やあ、おはよう俊明くん」
「おはようございます、ヤスっちさん」
「ああ、おはよう……」
いいさ、敢えてオレは突っ込まないし聞きもしないし首を突っ込むつもりもないさ。
どうせ“いつもの守屋一家でした☆”の一言で片が付く話だろう。
「はぁ……」
思わず安堵と呆れから深いため息を吐いてしまう。
そしていつの間にか洗面所から出てきたのか。千尋がオレの前に立っていた。
「お、ヤスっち…ため息を吐くと幸せが逃げるんだぜ…まぁヤスっちの普段の顔の方が薄幸そう…ってうがぁあああっぁあああっ!」
とりあえず何故か近くにあった塩を握り拳で掴み、千尋の瞳目掛けて全力で投擲しておいた。ああ…これでチャラだ。
再び洗面所に駆け込んでいった千尋を尻目にオレは孝明さんに声をかける。
「あ、そうだ孝明さん、赤色の髪の男が来たりしませんでしたか?こう、よくある赤色じゃなくてちょっとくすんだ感じの赤色の髪の男なんですけど」
来てた場合はとてもマズいだろう。今回は見逃したとしてもいつか口封じに来る確率はかなり高い。
「いや、来てないよ。大体、そんな髪の人が来たら不審に思ってまず家にはあげないよ」
「そうですか……って、アイツ髪蒼いんですけど」
「彼女は女の子だろう?僕は美少女に対しては皆平等さ。……それに、彼女は“あの人と同じ側”だから、ね」
最後に孝明さんが何か言ったように聞こえたが、声がそこだけ小さくて聞こえなかった。オレは聞き返そうとした…が、それが果たされることはなかった。
「おーいヤスっちー、拉致すっぞー」
いつの間にか復活していた千尋がオレの手首を掴み、ぐいぐいと引っ張られる。
「おい、千尋、そこは、遅刻、すっぞ、だろうが!」
「いってきまーすっ!」
オレの言葉を華麗にスルーしながら守屋家の玄関が遠のいてゆく。孝明さんとシュタムファータァがこちらを向いて手を振っている姿が最後に見えた。
「おい千尋、今日は何で学校行くんだ」
そうオレが聞くと、千尋は短いスカートを揺らせながら自転車な飛び乗る。
「チャリに決まってんしょ!」
「オッケー」
オレはそう返事すると、千尋の後を追うように自転車に乗って、ペダルを動かし始めた……。
「……ふう」
物凄い勢いで走り去って行く娘と、その幼馴染みを見送ってから一息吐いた。
今“俺”がいるのは、仏壇の前。
遺影に写っているのは、優しく微笑む、千尋によく似た一人の女性。
「孝明さん、何をしてるんですか?」
そう尋ねながら傍らに座る蒼い髪の少女。
「ああ、妻に……千里に朝の挨拶をしようと思ってね」
仏壇の上の遺影を見上げたまま質問に答えた。
「千里さん、ですか。……綺麗な人ですね」
「そう言ってくれると、アイツも喜ぶよ」
一時の静寂。まだ朝は早い。電線の上に止まった小鳥の囀りと、辺りの木々のざわめきの音だけがこだまする。
「彼女も……」
ゆっくり、ゆっくりと口を開く。
「千里も、運命から逃れる事は出来なかった。千歳さんも、千夏も」
死んで行った者たちとの思い出が、次々と浮かんでは…消える。まるで走馬灯のように。
「……まぁ、由紀や春みたいに巻き込まれなかっただけでも、ウチは幸せだったのかもしれないけどね」
何故か笑みが浮かぶ。これは苦笑か、それとも自分に対する嘲笑か。
「彼等を、恨んでいるんですか?」
少女が問う。視線を合わせず、ただ一点を見つめたまま。それを聞いて、今度こそ僕は苦笑した。
「彼等を、恨むことなんてするものか」
「え……?」
少女が、驚きに目を見開きながらこちらを見やる。
「恨んで皆が帰ってくるなら……、千里や由紀が帰ってくるなら、俺は彼等を恨もう。でも、違うだろう?」
そう、違うんだ。“彼等”を恨んだって仕方ない。それこそ…“彼等”と同じだ。
「それに、僕は“和平と仲裁”の守屋だ。そんな僕が彼等を恨んだら変な話だろう?」
「…………」
無言で呆けている彼女の頭を優しく撫でてやる。
「それに“十年前の事件”は、“君たち”は無関係だろ?君が、気にすることはないんだ」
「え……?」
………まったく、この娘といい、娘たちといい、微笑ましいものだ。
「さ、僕は境内の掃除に行ってくるけど、ちゃんと留守番できるかい?」
「え…あ、はい、出来ますっ」
「よしよし。ありがとう」
頭をぽんぽんと優しく叩き、振り向いてから気付いた。
「って、その前にこの塩をなんとかしなくちゃね」
「あ…そうですねっ」
二人で顔を見合わせ、苦笑する。
そして二人で掃除をしていると…俺は昔をふと思い出した。
幼い千尋が、飲み物を床に零してしまい、俺と彼女が二人で床を掃除したことがあった。
『あらあら、千尋ったらまた汚しちゃったのね』
そう言いながら、笑って床を拭く千里の姿が、今でも眼に浮かぶ。
もし…千里や由紀が、今もまだ生きていてくれたら、どんな生活を送っていただろう?
先程は彼女にああ言ったが、未練は山程ある。
千里にここまで成長した千尋を一緒に見て欲しかった。一緒に授業参観だって、卒業式だって行きたかった。
それに千里が今の俊明くんを見たらどう思うだろうか?きっと、我が子のことのように喜んでくれるだろう。俺だってそうだったのだから。
「…ごめん、後は任せていいかい?」
「あ、はい」
彼女の姿を再び見ることなく、逃げるように外に出た。本殿に入り、その奥にある御神体に手を触れる。
「千里……千尋や春は、今も立派に生きていてくれている。そして俊明くんや孝一くんもいるんだ。心配は…することないんだよな?」
ふと朝の俊明くんの言葉が頭を過ぎる。そして…今家にいる彼女。
だが、大丈夫だろう。親が出ることではない気が、何故かするのだ。
俊明くんが朝尋ねて来たとき。彼は汗だくで俺の言葉を聞いたときひどく安堵したように見えた。
おそらく石段を駈け登って来てくれたのだろう。彼なりに、娘のことを心配して。
「今回は、大丈夫だよな?」
千里に語りかけるように、俺は優しく御神体に触りながら呟いた。
「さて、境内の掃除をしなくちゃね」
そう言って、僕は本殿の外に出て、ふと空を見上げる。
「そう…大丈夫だろう、きっと…」
誰に聞かせるわけでもないその言葉は、曇天の空に夏風と共に消えていった。
オレの家から学校まで、片道約45分。校門が閉まり、遅刻となる時間が8時35分。そして今は7時40分。予想より少し時間に余裕はあった。
「おい千尋、スピード落とせ…時間が5分余る。事故るぞ」
ペダルを漕ぎながら喋っているので言葉はぶつ切りになってしまうが、意味は伝わるだろう。
前を走っていた千尋が無言でブレーキを握り速度を緩める。オレも同じように速度を緩めた。
「……何? ヤスっち」
「……いや、今日お前テンション低くないか?」
ひょっとしたら塩をぶつけたのが原因なのか?と思ったがそこまで子供ではないだろう。
「……いや?そんな事ないぜ?!」
千尋は笑みを浮かべ必死に否定したが、無理に笑っているのは明らかだった。
「…そんなこと、あるだろ」
「無いって」
ムキになったように否定する千尋に対し、少し苛立ってくる。
「いや、あるだろ。人が心配してるのに何だよ…お前」
「うっさいなぁ馬鹿野郎!もう先に行く!」
突然怒ったように声を荒げ、スピードを上げオレとの距離がグングンと離れていく。
「なんなんだアイツ……」
オレ何か悪いこと言ったか?たしかにしつこかったとは思うが…。
そのまま特にスピードも上げずにチャリを走らせていると、目の前に知った顔が自転車を漕いでるのが見えた。
「おーい、椎名っ」
オレがそう呼び掛けると、前を走っていた椎名が後ろを一瞬だけ向き、オレに合わせるようにスピードを落とす。
「…一人とは、珍しいな」
椎名がいつもの声色で話し掛けてくる。千尋がいないのを不思議に思ったのだろう。
「置いて行かれた」
誤魔化すことでもないので、そのまま正直に伝える。すると椎名は軽く微笑すると口を開いた。
「さっき守屋がオレに気付かず通り過ぎていったからな。喧嘩でもしたんだろうとは思っていたが……今の安田の顔を見たら納得したよ」
「……なんだよそれ」
「わかりやすい、ということだ。……まぁそれはさておきオレもお前と同じようなものだ。松尾は課題が終わらないので朝イチで学校に向かったらしい」
…そこまでわかりやすい顔をしてるのか、オレは。
まぁそれはいいとして…松尾が朝イチで学校行ったところで終わるのかは甚だ疑問だった。
それからお互い特に会話もなく通学路を自転車で走る。元よりオレも椎名も自分から喋るタイプではない。
学校まで沈黙は続くと思っていたが、意外にもそれを破ったのは椎名からだった。
「なぁ安田。今のこの島をどう思う」
ふと真剣な表情で振られたので面食らうが、真面目に考えることにする。
「いや……“十年前の事件”から、特に何も変わってないんじゃないか。平和だしな」
「そういう意味ではなかったんだがな…。なぁ安田、オレはどうも“閉じ込められた”という感覚がするんだ。いや……この島だ。“牢”になったという表現の方が近いだろう」
「……牢?」
「考えてもみろ。安田…お前はこの島から出ようと考えたことがあるか?」
この島から出る……そんなこと、考えたことすらなかった。
「ないだろう?それはそうだ。オレも同じだからな。地下に幾層にも連なる食料プラントのお陰で食料には困らない。そして工業や商業も今の不況の世の中に比べ、不自然なくらいに就職先には困らない。
しかも元々の島の土地にはあまり手を付けてないから自然も豊富だ。正直一日に二回しか出ない定期船で島を出る必要はない。…というか、本土よりこの島で暮らした方が地価も収入も条件がいい」
椎名が一呼吸置き、再び口を開き始める。
「おかしくないか?まるでオレたちをこの島から出す気がないようだ。それに、第二次世界大戦で大きなダメージを受けた本土より、この島の発展を優先したという記録…。明らかに不可解だとは思わないか?」
正直…今のオレはこの話の30%も理解出来ていなかった。
だから、間の抜けた返事を返すことしか、オレには出来なかった。
「……なんだ。オレは椎名みたいにそこまで考えたことがなかったから上手く言えないけど……、運が、良かっただけなんじゃないか?」
オレがそう言うと、椎名は真剣な表情を崩し、いつもの顔に戻った。
「……運が良かった……か。まぁ、たかだかガキがあれこれ詮索したところで意味はないか」
「……なんか、悪いな」
きっとオレの答えは椎名の望むモノではなかったのだろう。そう感じた。
「いや、気にすることはない。オレも朝から変な話題を振ってすまなかったな」
どこか気まずい雰囲気のまま走っていると、前に千尋が自転車を漕いでいる姿が見えた。
「おいっ、千尋っ!」
とりあえず呼び掛けてみる。これで無視するなんて子供っぽい真似はさすがにないだろう。
「……何」
ぴったり並走したところで返事をする千尋。やはりどこか不機嫌そう……というか、心なしかスピード上げやがったコイツ。
「……あれだ、何でお前今日マウンテンなんだ?」
さっきの話題を繰り返すのも気まずかったので、とりあえず今思ってる最大の疑問を投げかけてみる。
「……へ?」
よほどオレの言葉が予想と違かったのか、疑問符が目に見えるような間の抜けた返事を返してくる。
「…だから、何故お前はママチャリじゃなくてマウ」
「あ、あーそゆ事ね!なるほど了解了解」
早口でオレの台詞を遮るようにまくし立てる千尋。
「それはね、アレさ。ついこの前までギアの調子が悪かったから、バラしてギア交換してたの。で、ついでにオーバーホールをね」
ピンっと人差し指を立てながら得意気に説明する千尋。……何を得意になっているんだ、と思いながらも一応相槌を打っておく。
「てかお前…恥ずかしくないのか?女子でマウンテンってお前くらいだぞ」
するとさらに得意気な顔になる。
「意外性って必要じゃない?」
「あ、そう」
オレでもマウンテンバイクに若干の抵抗を感じるというのに、なんというか……図太い神経してるな。
……と、まぁそうこうしてる内に流れて行く風景が田畑から市街地に変わり、そして学校が見えてきた。
そのまま三人揃って駐輪場に到着する。
「あ、私職員室に用あっから先行ってて~」
オレたちの返事を聞くこともなく、素早く面前から脱兎の如く去っていく千尋。
「……なんなんだアイツ。本日二度目」
「まぁ、気にしても理由は守屋にしかわからないさ。それより、早く教室に行くぞ」
どこか釈然としない気持ちを抱えながらも、椎名と一緒に教室へ向かう。
教室の中に入ると、時間も時間だったために知った顔はほとんど登校していた。そしてオレの席の近くで突っ伏していた男に話し掛ける。
「おはよう松尾。課題の調子はどうだ?」
するとのっそりと起き上がり、意気消沈したようにこちらに顔を向ける松尾。
「無理でした。馬鹿でした。自分の頭舐めてました」
「いいから涙拭けよ」
泣き付いてくる前に先手を打っておく。今のコイツなら飛び付いてくる可能性がかなり高い。
「クソ……、甘んじて課題を受けるしかないのか……」
「単純にお前がサボってたツケが回って来ただけだろ」
バッサリと切り捨てる。そしてそのまま撃沈した松尾をスルーして自分の席に着く。
隣りを横目で見ると、千尋はもう座っていた。おそらく松尾と喋っている内に教室に入って来たのだろう。
「おい、千尋…」
「朝のこと」
またもオレの言葉を遮るように口を開く千尋。
「私が悪かった…ゴメン。もう、気にしてないから」
そう言った千尋の顔は、いつも通りとはいかないまでも…もう不機嫌という表情ではなかった。
「えらく、唐突だな」
思わず苦笑が浮かぶ。すると千尋は自嘲気味に笑った。
「『言おう』って思った時に言わないと、タイミング以前に言う気になれないからね」
何かその言葉に深い意味を感じたように思ったが、始業のチャイムが鳴り、思考は中断を余儀なくされた。
…そしていつも通り何も変化なく一時現目が終了。同じように二、三、四時現目も終了。期末テストが終わった後の学校なんてこんなものだ。グダグタと時間が流れていくだけである。
そして昼休みになり、いつもの面子で集まる。
弁当を取り出し、広げたるは唐揚げ弁当。というか一面唐揚げ。
「うぉい、ヤスっち……ついにその貧弱な体に終止符を打とうとしたんだね……」
千尋がオレの弁当を見るなりいきなり感想を言い始める。
「貧弱って程貧弱じゃねぇ。大体別に体力つけるために唐揚げ弁当にしたわけじゃねぇよ。母さんが作りすぎただけだ」
オレがそう弁明している間にオレの弁当に箸が伸ばされ、あっけなく強奪されていくオレの唐揚げ。
「なら、戴いても構わないよな?」
「なんだよ…美味ぇじゃねぇか」
椎名と松尾がオレの唐揚げを頬張りながら悪びれもなく宣言する。こいつら、オレのを黙って取っていったという罪悪感はないのか?
「ったく…、仕方ねぇから松尾の弁当で許してやる」
負けじとオレも松尾の弁当からおかずを強奪する。……ふむ、美味い。
「やってくれるじゃねぇか安田……ついにオレとお前の間に決着をつける時が来たようだな…!」
椅子から立ち上がり、箸を構え不気味なポーズを取る松尾。そしてその変なポーズでオレを威嚇している最中にも椎名と千尋によって自分の弁当が殲滅の限りを受けていることに気付いていない。
「なんというか……哀れだな、お前。唐揚げもう一つやろうか?」
オレは自分の弁当を着々と消化しつつも、松尾に慈悲をくれてやる。
「ふん……!敵の施しは、受けぬわぁ!」
声高らかに誇り高く宣言する松尾が、深い悲しみの絶望の悲鳴を上げるのは昼休みが終了間際になってのことだった……。
それからは特に何も起こる事無く、午後の授業が終了。ちなみに松尾はもう指一本動かすことはなかった。
「うーっし、放課後だーっ」
ガッツポーズと共に勢いよく立ち上がる千尋。なんというか、ハイテンションだな。
「今日はどうするんだ?千尋」
とりあえず予定を伺っておく。
「久々にゲーセン行こうぜヤスっち!ゲーセン!」
「-ATT-(アームド・トルーパーズ・トラスト)か。いいな。最近やってなかったから、ちょうどいい」
-ATT-とは、ドームスクリーン型のアクションゲームで、プレイヤー同士自ら構築したロボットを操って戦闘する。ちなみに二回プレイ500円と少し学生には痛い出費だが、それを上回る感動がプレイにはある……と千尋の談。
伊崎と千尋がこういったロボットゲームのファンで、オレも二人に勧められるがままにハマってしまった…というわけだ。
千春が入院するようになってからはあまり行ってなかったから、腕を鈍らせないためにも丁度良かった。
「オレも繁華街に用があったんだ。途中まで一緒していいか?」
椎名が会話に入ってくる。…オレは別に構わないが、お前今日弓道部って休みだったっけか?
そんな疑問を口に出そうとした時、一人の少女がオレたちの面前に躍り出た。
「……『オレも一緒していいか?』じゃないでしょ」
ぴょこんと揺れる腰くらいまでの伸びるお下げに、小柄な体躯の少女…“神守遙(かもり はるか)”。一つ上の先輩であり、千尋の従姉妹でもある。
そして弓道部の主将だ。おそらく副主将である椎名に部活の連絡をしに来たところに、たまたま椎名の台詞を聞いてしまったのだろう。
「…悪いな、安田。コイツをあしらってる間、お前達を待たせるのも忍びない。先に行っててくれていい」
「もう!先輩には敬語を使いなさいっ!」
相変わらず椎名は遙先輩に対して特別冷たい。が、詮索することでもないだろう。そんな雰囲気を漂わせていた。
「…そうか。じゃあ先行ってるな。遙先輩も、また」
千尋は教室の外で待っている。これ以上待たせたら怒りそうだ。……オレはそそくさと教室を出た。
「はぁ……」
掃除が終わり、縁側でぼーっと空を見上げる。
揺籃を消すのが正しいのか、消さないのが正しいのか。私は、どうしたいのか。
「抗う……か」
今までそんなこと考えたこともなかった。常に受け身に回ってきた私。逃げ続けてきた…私。そんな私が、セカイの意志に抗うことなんて……。
「おっと、ここに居たのかい?」
障子が開き、顔を表す孝明さん。いつの間にか帰ってきたのか…、全然気付かなかった。
「掃除が終わったので、ずっとここで日向ぼっこしてました」
「曇りなのに?」
「……考え事、です」
そう言って、私はまた視線を空に戻す。
「そういえば、朝俊明くんが言っていたんだけど…、どうやら君達の本部からお客様が来てるようだよ」
その言葉を聞き、私は全身の神経が逆立つのを感じる。即座に立ち上がり、孝明さんに詰め寄る。
「その人は、今どこに!?」
「……さあ、どうだろう。もう午後だからね。でも待」
私は飛び出していた。もう孝明さんの声は、耳に入らない。
「(いくら何でも強行策には早すぎる、なら……!)」
その何者かのリーゼンゲシュレヒトにヤスっちさんが接触しているという事実が、一番マズい…!
「急がなきゃ……、急がなきゃ……!」
最悪、この島が地図上から消えて、陰惨な歴史に名を刻むことになる。
…そう、嫌だ。それだけは……、嫌だ。ヤスっちさん達とは知り合ってまだ一日しか経ってないけど、だけど、私はずっと見ていたんだ、この島を。ずっと見守っていたんだ、この場所を。
そう…、ここは私の担当地域だ。私の居場所だ。
私が守りたい場所。私だけが、守れる場所だったんだ。
この場所は、消せない。消させない…!
力いっぱい走る。息が切れる。それでも、ただひたすら。
「……ぃつ…!」
足が縺れて、私はアスファルトの地面に叩き付けられた。
『そう難しく考える必要はないぜ?シンプルに考えるんだ』
ふと昨日の千尋さんの言葉が、頭の中で残響する。
『納得いかないなら逆らっていいんだよ。逃げるのも大事だぜ』
……私は、……
地面に手を付き、息を整える。
膝小僧からは少し血が出ているが、それでも…立てる。
私は今、初めて自分の意思で動く。それも、抗うために。
セカイの意志ではなく、自分の意思だ。
私は今、吹っ切れた。
『まぁ、最終的な結論はお前次第だろ』
ヤスっちさん…千尋さん、私は決めました。
……私はっ……!
「行っちゃったか。言い方が悪かったかな……」
縁側に一人残された俺は、一人苦笑した。
「まったく、微笑ましい」
……だが、今回は微笑ましいとかそんな事を考える程の余裕はなさそうだ。
ピンポーン、と軽快な機械音と共にチャイムが鳴った。
…意外と律義なようだ。だが、あえてインターホンには出ずに直接外に出る。私服だが問題は無いはずだ。そもそも礼装やら正装に着替えている時間はない。
満面の笑みを張り付け、玄関の引き戸を開ける。
「いらっしゃいませ、遠路はるばるご苦労様です」
「いえ、こちらこそこのような時間にすみませんね」
そこには、爽やかな笑みを張り付けた、赤銅色の髪の男がいた。
そのまま男を家の中に招き入れ、リビングに案内する。
「それで、今日はどんな御用件で?」
麦茶を出しながら問う。
すると、彼はその爽やかな、それ故に不自然に感じる表情を崩す事なくこう言った。
「こちらに赴いている者に“期限”を伝えに来ました」
……期限、か。つまり彼らはここを消しに来た来たという事になる。そして御三家の中で“外交”を担当していた“守屋”に報告がてら来たのだろう。まったく、外交を担当してたのだってもう昔の話だというのに。
そして話によると彼女に最初に接触したのは千尋達らしい。千尋達がこの事を知っている可能性は高い。
「そうですか。なら私が伝えておきましょう。何の期限なのかは知りませんが」
笑顔でプレッシャーをかけておく。しかし彼はその薄い唇を歪め、微笑みながら、
「いえ…、一応本人に伝えないといけない規則でして」
『一応』の部分を強調して、言った。
……つまり自分が本人に伝えた後にいくらでも聞けという事か。
「そうですか。まぁ、彼女なら貴方を捜しについ先程出て行ったばかりなんですがね」
一瞬、男の顔が引きつった。
麦茶を一口飲んでから男が尋ねた。
「彼女はいつからここに?」
「昨日の夜から、ですね」
互いに気まずい沈黙になる。彼女のことをずっと探してたんだろう、この人は。
「……大変ですね」
ひとまず労いの証明として茶棚から出した来客用のカステラを乗せた皿を彼の目の前に置く。
「まぁ…仕事ですからねぇ」
その言葉に込められていたのは、哀愁とかそういう漠然とした感情ではなく、『いや、こーいうの本業じゃねーんだわ』というもっとはっきりした感情が感じられた。確かにこういう仕事よりも、傭兵の類でもやってそうな雰囲気が見え隠れする。というか笑顔が不自然過ぎる。
そして彼の笑顔の使い方は、自分と同じ匂いがする。
「まぁ、お仕事頑張って下さい」
「はい、ありがとうございます」
交わしたのは社交辞令。まぁ本心から何とも思ってないわけではないのだが。
最後にカステラを頬張り、残った麦茶を一気に飲み干してから、彼は立ち上がった。
「ではお邪魔しました。もし、また会う機会があったのなら…酒でも飲みませんか?」
それに対して、本心からの苦笑で返す。
「お酒は勘弁して下さい。私はあまりアルコールな強いタイプではないので」
互いに本心から苦笑した後、彼は玄関を開け出て行った。
「……襲われるんじゃないかと、ヒヤヒヤしたよ」
彼が見えなくなってから、伸びをしながら言う。
「くっくっく、心にも無い事を言うな」
聞こえたのは、嘲笑。
「いやいや、多少は思っているんだよ、これでも」
そう言いながら振り返ると、そこには銀色の長髪を靡かせながら笑う少女と、さっきの男とは違う、純粋な赤い髪をした長身の男が立っていた。
「ほら、多少だろう?」
「多少であっても感じたのは事実だよ」
「ふっ、屁理屈だな」
銀髪の少女は笑いながらリビングのソファに腰掛ける。
とりあえず茶でも出してやろうとキッチンから麦茶を二つ用意する。
「それにしても、今日は白衣じゃないんだね」
「この暑い中、わざわざ旧友宅まで遊びに来るのに白衣はないだろう?」
たしかに、今日の彼女は黒のノンスリーブにジーンズというラフな服装である。
「君も、座ったらどうだい?」
さっきからずっと立っているので、声をかけておく。
「…いえ、私は」
「許せよ孝明。イデアールはレンと違い堅物な男だからな」
「君が柔軟過ぎるんだよ、ハーゼ」
麦茶を豪快にグビグビと飲んでいる銀髪の少女…ハーゼ。彼女の態度も客人としてどうかと思うが。
「で、今日はどんな用件だい?」
「なに、この島が消えると聞いてな。消える前に旧友の顔でも見に来ただけさ」
彼女にしては殊勝な用件だった。だが、彼女らがここにいるということは予想外の幸運だった。
「ならハーゼ、冥土の土産に旧友の頼みを聞いてくれないか?」
「ほう…?お前が、私に頼み事とはな」
珍しい物を見る目でこちらを見る。
「彼女と…千尋達を守ってあげてくれないかい?」
俺がそう言うとハーゼは一瞬驚いた表情になり、呆れた表情に代わり…苦笑しながら口を開いた。
「……相変わらず、諦めの悪い男ね……。いいだろう、ただし一度だけだ。それ以降は私は関与しないぞ」
「それで充分さ」
これで、布石はほとんど置き終わった。
あとは、どうなるかは俺の運次第だろう。
「イデアール、先に行っていろ」
「わかりました」
私に一礼すると、イデアールと呼ばれた青年は玄関から外に出ていった。
「孝明、カステラは戴いていくぞ」
「相変わらず目敏いんだな」
俺の言葉を無視し、茶棚から勝手にカステラを取り出してバッグに入れるハーゼ。
「報酬を先にもらっただけだよ。……じゃあな。まぁ、ここが残っていればまた私が来るだろう。」
軽い嘲笑と共に、縁側から彼女は外に出て行った。
「せめて玄関から出て行こうな、ハーゼ」
空を見上げながら、俺は思わず苦笑を浮かべた。
結局椎名は途中で追い付くことはなく、俺と千尋だけでゲーセンに着いた。
そしてそのままATTの筐体の前に行き、受付を済ませると、後ろから誰かに呼び止められた。
「よう、俊明」
「伊崎…来てたのか」
伊崎がここにいるのは珍しくない。というより伊崎はATTのかなりの上級プレイヤーだ。オレから言えば廃人クラスだが。
「最近は来てなかったからな。どうだ俊明、久し振りに1vs1でもどうだ?」
「お前と?勘弁しろよ、勝てるはずないだろうが」
「よし、なら私がヤスっち側に着こうじゃないか」
たしかに、千尋がいれば勝機はあるかもしれないが…、まぁ、たまにはいいか。
「千尋がいるなら、まぁいいぜ」
「1vs2か。いいだろう、掛かって来い」
そう言いながら伊崎も受付を済ませに行った。
オレと千尋は先に筐体へと向かう。
相変わらずのドーム状の筐体。外から見てもこれは非常に目立つ。
だが、平日なのであまり人はおらず、伊崎が筐体に入るのを見計らって適当に空いている筐体に入る。
コインを投入し、ドーム状のスクリーンにお馴染みの画面が表示される。
店内対戦を選び、ロビー画面に移行すると、ロビーにいるのは勿論伊崎と千尋の二人のみ。チーム設定でオレと千尋が同じチームになるように設定する。
そして機体設定画面に移行する。もうすっかり馴染んだオレの機体が表示される。
右上に小さく表示される千尋の機体は遠距離戦に特化している援護向きの機体だった。…ということは、オレは前衛か。
オレの機体は言ってしまえば可も不可もない、バランス重視の機体だ。 近距離も遠距離もそれなりにしか出来ない機体。
まぁ、今回はいつもとは違く前衛なので、長距離兵装を外しておく。…ライフルも外した方がいいな。
両手にマシンガン、背中にはレーダーを装備し、機体自体を軽量の機体に変更する。
伊崎の機体は、変わっていなければガチガチの高速特化機体だったはずだ。
そして最大の特徴はまだATTに実装されたばかりの機体特性“可変機構”を搭載していることだろう。
可変機構は実装された当初の頃こそ流行ったが、複雑で難し過ぎる機体操作に加えて、様々な装備制限があることから、可変機構を好んで使うユーザーはほとんどいない。
だが、それを好んで使うのが伊崎という男…なのだが。
「ま、さすがに二対一だからな。手加減なしで飛ばせてもらうぜ」
「上等だぜこーちゃん、掛かってきな!」
ゲーム画面が広い住宅街に変わる。高低差が激しく、障害物が多いステージだ。
「って、伊崎にあまりに不利じゃねぇか?」
「ま、選んだのはこーちゃんだし。思う存分ボコってやろうじゃん」
…たしかに二対一でこの伊崎にとって不利なステージならば、いかに伊崎のプレイヤースキルが上でも勝機はあるだろう。
そしてビルの間から現われる白銀の機体。
「さぁ、始まるぜヤスっち!」
「おう」
そうしてオレは、レバーを握る手に力を込めた。
マシンガンを構え、白銀の機体に突貫する。当たる当たらないは意識しない。ただただ弾幕で圧倒するだけだ。
だが、伊崎はその弾幕を軽やかにビルをステップし回避し、オレに肉薄する。
オレは咄嗟にレバーを後ろに下げ、距離を取ろうとするが、機動性で上回ってる伊崎の機体から逃げられるわけもなく、レーザーブレードが眼前に迫るが、回避は不可能。
だが、その刃がオレの機体に届くことはなかった。
伊崎の機体がブレードモーションを変形で強制キャンセルし、非常に器用な動きでビルの壁にぶつかることなく上昇していった。
「さすがにそう簡単にやらせてはくれないか、千尋」
「私を舐めないでね、こーちゃん」
そしてビルの間を器用に変形状態で抜けていく伊崎の機体に対し、追随する千尋のライフルから放たれる弾丸。
「くっそー、可変機でどーしてビル壁に直撃しないなぁ。これじゃあヒット&ウェイ決められっ放しじゃんか」
千尋が接近されたらこちらの負けは確実だ。故に伊崎の的になるように動かなければならないのだが、伊崎の機体に搭載されている“レーザーブレード”は最上級の物じゃないにしろ、威力はオレの軽量機体ならば二発で落ちてしまうだろう。
レーザーブレードは異様に当たりにくく設定されているため、威力が凄まじいのだ。
「プレッシャーが、半端ないな…」
何しろ相手はビルの間を高速で縦横無尽に駆け巡る機体だ。平地ならまだマシンガンは当たるかもしれないが、こうも障害物を上手く使われては弾の無駄遣いになるだけだ。牽制にもなりはしない。
「どうする、千尋?」
「正直、わかんないや」と、ため息と共に言った千尋だったが、声色はまだ諦めているようには感じなかった。
「こっちの機体特性を考えずに、単純に相手が可変機だから市街地は有利じゃんって、油断してた私のミスだわ。痛ったいけど、負けるのは癪」
そう言って、千尋はオレにMAPを開くように指示した。
「この直線距離になる大通り。ここにこーちゃんを誘い込めれば、私の狙撃で撃ち抜くぜ…と言いたいんだけど、こーちゃんに当てるのは至難の技だろうなぁ」
勿論千尋と伊崎の技量差もある…が、市街地で大通りと言っても、何も馬鹿正直に真っ正面から来てくれるわけではない。市街地だから無論横道だってあるのだ。
「でもまぁ、やるしかないか」
「うん、やるしかない」
互いにこれに懸けるしかないことはわかってるのだ。二つ返事で互いに了承した。
「まぁ、ヤスっちが上手く撃墜されずにこーちゃんを誘い込めるかどうかが一番の問題だけどねー」
「いいや、お前が伊崎に射撃を当てられるか…が問題だろ」
問題というより、負担や重圧は千尋の方が遥かに大きいだろう。オレはただ適度に逃げ回って誘い込めばいいが、千尋の場合は射撃を実際に当てなければならないのだ。アンチマテリアルライフルによる狙撃モードで当てなければならない。
アンチマテリアルライフルとはこのゲームにおけるブレード級の威力がある銃なのだが、狙撃モードと呼ばれる自分自身がまったく無防備な状態になり、レバーで照準を動かして当てなければならないのだ。
勿論、機械によるロックオン補正は無い。連射も出来ないために事実上チャンスは一発だけだ。
「頼んだぜ、ヤスっち」
「出来るだけのことはやってみるさ。期待しないで待ってろ」
そう言ってオレはレバーを握る手に力を込め、いまだにこちらの動きを伺っているようにビルの間を蠢く伊崎の機体に突撃する。
両手のマシンガンをフルバーストで撃ち続ける。弾切れは気にしない。自棄になったと思わせ、油断させる算段もある。
伊崎の機体はオレの軽量機体の追撃を軽やかに躱し続ける。こちらもスピードは早いはずなのに、全然距離が縮まらない。
そして突如変形解除し、人型形態になりビルを蹴りこちらに反転してくる。
「流石に、二度も食らいたくはない!」
オレは反転した時点で反応し、横の細道にクイックブーストと呼ばれる高速移動で転がり込む。
そしてオレの居た場所に一瞬遅く襲いかかる光刃。だが、回避したことを喜んでいる余裕などなかった。
こちらにとって直線距離は射撃が当たりやすい立ち位置ではあるが、それは相手にとっても同じこと。ましてや、この近距離戦の状態ならばマシンガンの砲撃程度でブレードの突撃を防げるわけがない。
オレは危機を感じ、全力でブーストを後ろに吹す。一撃がデカい。当たるわけにはいかない……!
こちらがブーストを吹すよりも早く方向転換し、細道に入ってくる伊崎の機体。
伊崎の機体に搭載されている左右のブレードが光輝く。ブレードのモーションは普通のゲームと違い、ATTはただ真っ直ぐに突っ込んで斜めに切り払うだけだ。だが、両方の腕に装備されている場合は話は別だ。
ただ突っ込んで来るというのは変わらないが、二本のブレードを同時に斬る、連続で斬る、従来通り片手で斬るの三パターンが存在するのだ。
ここで問題になってくるのは二つ目の、連続で斬るモーションである。連続で斬るというのは二回突っ込んで来るということ。つまり、片方のみの時より二倍の直線リーチがあるというわけだ。
当たり前のことだろ、と言われればその通りであるしそれまでなのだが、さすがに千尋の期待を裏切りたくはなかった。
一撃目が放たれる。こちらに襲い来る黄色に輝く光刃。半円を描くように横凪ぎにされたブレードは、ギリギリオレの機体に当たることはなかった。
そして、問題の二発目。もう片方に搭載されている先程と同じ黄色の光刃がオレに襲いかかる…が、オレは機体を思い切り横に倒し全力で横に回避行動を取る。
一瞬、時が止まったような感覚。そして間髪を入れず鳴り響く激しい衝撃音と大ダメージを知らせるアラート・メッセージ。
だが、撃墜はしていないようだ。それを理解したオレはHPを確認する余裕もないため、全力で指定ポイントまで逃げる。
これで伊崎からは、ブレードから無様にも逃げているように見えるはずだ。そして伊崎としてはこの絶好のチャンスを逃したくないはすだ。つまり、ほぼ確実にオレを追ってくるはず…!。
「千尋、もうすぐ指定ポイントに着くぞっ!」
「りょーかいだぜヤスっち…、狙い撃ってやんよ…」
そして、伊崎の機体が変形し、オレの退路を阻むように前に立ちはだかるようにオレを飛び越えて移動する。
そして、着地した場所は…指定ポイント通り、大通りに伊崎の機体は立っていた。
「だからよぉ……狙い撃つぜぇぇぇぇッ!」
千尋の謎の掛け声と共に響き渡る銃声。今度こそ時が止まったような感覚。
そして、時は動き出す。
伊崎の機体は相変わらず健在で、そこに立っていた。光刃が煌めき、オレの機体の撃墜を知らせるアラートが鳴り響く。
そして画面が第三者視点に切り替わる。
「まぁ、今のはヒヤっとしたぜ、千尋」
「…ヤスっちの敵は私が討つぜ。本気モードで行くから気をつけな、こーちゃん」
千尋の機体に搭載されている武装が全て脱着(パージ)され、新たに千尋の機体の両腕に搭載されるレーザーブレード。
今のは格納といって、普通の武器スロットとは別に予備として装備出来るシステムだ。弾切れになった場合などに使われる。千尋はそこにブレードを二本隠し持っていたのだ。
「その重量機体でオレとブレ戦やんのか?」
「やってやんよ」
そうして千尋の機体が一気に伊崎の機体に肉薄する。その巨体から想像出来ない程のスピードで接近する……が、可変機にスピードで追い付けるわけがなかった。
即座に後ろに回られ、両腕のブレードで斬られる千尋の機体。重量機体故に装甲が厚かったために一撃で落ちなかったが、次に二本同時を直撃されたら、いかに硬い装甲でも落ちてしまうだろう。
「くっ…、速さが足りないッ!」
千尋が急旋回しようとするが、機影は既にそこになく、背後に回られてしまう。
「さっきの策が失敗した時点で、お前等の負けだったよ」
そうして、画面には『LOSE』と、こっちのチームの敗北を表示された。
戦闘が終了した証として、IDカードが返却される。ドアを開け、ドーム状の筐体から外に出る。
自分の額に手を当ててみる。汗をかいていた。いつの間にか…こんなにも熱中していたのか、と自分で意外に思う。
「ああ、くそ」
地味に悔しい気持ちが湧いてくる。そして悔しい…と思ったのも久し振りだということに気付いた。
ふと、汗が張り付く髪が地味に気になってくる。普段はあまり気にならないものだが、何故だか今は何故か外の空気を吸いたくて仕方が無かった。
そうしてゲーセンの出口に向かうと、オレが行くより一瞬早く、自動ドアが開いた。
そして中から出てきた小さな人影が、オレに突っ込んでくる。少しよろけながらも、衝撃で転ぶことはなかった。
「って、シュタムファータァじゃねぇか」
空色の髪のポニーテールで、さらに小柄な少女といえば、シュタムファータァくらいしかいないだろう。
「ヤスっちさん!?なんという幸運ですか!いや、セカイを追って来たんで当たり前といえば当たり前なんですけれども」
「便利なんだな、セカイってのは」
なんだかは知らないがどうせファンタジー用語の一つだろう。興味もなければ深入りする気もなかった。
「ヤスっちさん!この島が消えるかもしれないんです!」
「いや、お前が消すんだろ」
オレの記憶ではたしかそういう話だったはずだ。
「違います!組織から誰かが派遣されて来ているんです!」
朝会った赤髪の男が一発で脳裏に浮かぶ。
「……そいつなら朝会った」
「何で教えてくれなかったんですかっ!」
よくよく考えてみればたしかにそうだ。あの時は千尋の安否ばかり頭に入ってシュタムファータァに話そうと考えてる余裕がなかった。
「で、それをオレに話して……お前はなにがしたいんだ?」
疑問だった。要するに今朝の赤髪の男とシュタムファータァは同じ組織の人間だろう。組織の内情は知らないが、敵対しているという事はないだろう。
なのに、何故そんなに焦る?
「私は……」
口ごもるが、深呼吸して、また口を開く。
「……私は、この島を」
だが、その意を決して発した言葉は、何者かによって遮られた。
「やっと見つけましたよ…罪深き始祖」
振り返るとそこには、今朝会った赤髪の男が不敵な笑みを浮かべながら立っていた。
「……名を」
オレを守るようにシュタムファータァが前に出て、男に問う。
「“赤銅の狩人”のイェーガーです。島をなかなか消しそうにないので、催促しに来ました」
男は笑みを崩さず、ただ淡々と告げる。
「……期日は?」
「三日後の月曜日までにお願いしますね。では、私はこれで」
必要なことだけを伝えて、身を翻し男は悠々と立ち去っていく。
「………」
何か声をかけようと思った。だが、出来なかった。
話したところでオレに何が出来る?興味や同情で踏み込んでシュタムファータァが、この島が助かるとでも?
「……クソ」
やはりこういう状況はあまり得意じゃないというのを実感させられる。
「おーい、ヤスっちー?」
千尋の呼ぶ声が聞こえる。
その声にビクっと体を震わせたシュタムファータァの体が、
何故か、いつもよりとても小さく見えた。
考えてるみれば、それは簡単な事だったのかもしれない。
でも、思い付くのが簡単な事ほど、実行するのは難しい。
希望という名の、儚いユメ。
だから、端から諦めてしまう。
そして、いつか忘れてしまう。
盲点になる。
それが見えたとしても、見ない振りをしてきた。
決意を決めても、立ち向かう事は難しい。
立ち向かうのに必要なのは、実行するのに必要なのはほんの少しの勇気と、それを後押ししてくれる理解者。
今の私には…それがいる。
だから、戦える。
廻るセカイ-Die andere Zukunft-
第二章「非日常エンカウンター」
何か、夢を見ていた気がする。
夢の詳細は覚えてないのが普通だ。覚えている夢は明晰夢と言うらしい……って何を誰に説明しているんだオレは。
とりあえず体を起こし、部屋の窓を開け放ち空を見上げる。もはやオレの朝の日課となっている行為だ。
今日の天気は昨日とは打って変わって曇天。
いつも通り自転車で行くか…もしくは雨を懸念してバスで行くか。
とにかく、今すべきことはなにか。
「とっとと飯食ってアイツを迎えに行くことだな……」
素早く着替え、階段を降りて台所へ。
そう、台所。お世辞にもキッチンなんて洒落た言い方が出来る場所ではない。
そこで鼻歌を歌いながら弁当箱に無理矢理唐揚げを押し込んでいる我が母、安田美緒。
「あ、俊明起きたの?」
オレに気付いてもなお唐揚げを詰め込むことに必死な母。いい加減入らないと認めて幾つか昼のおかずとして残したほうがいいんじゃないだろうか。
「……おう」
「じゃあ俊明、お父さん呼んできて」
面倒臭ぇ…と思った瞬間に我が家の台所に響く声。
「おっはよう諸君!」
勢いよく挨拶をするなかなかガタイのいいナイスガイは、我が家の大黒柱の安田俊彦。…地味にナイスタイミングだった。
「おはよう、それより唐揚げ余ったから食べちゃってー」
微妙にマイペースな母。でも言い方がとても投げやりな母。
「もちろんだ、任せろ!」
「親父朝っぱらからテンション高すぎ…って、おいそこ、オレの分を取るなっ」
そんなこんなでバタバタと我が家の朝食は過ぎていき、あっという間に学校に行く時間になった。
「…つか、今更ながら朝に唐揚げはどうかと思うんだが」
「その発言は『弁当はいらない』と同義である、と受け取ってもいいわけね?」
笑顔で脅しにかかる我が母。
「いや、そういうことじゃない…っ、時間がないんだ、早く弁当をくれよっ」
「はい、どうぞ」
「お、おう、サンキュ」
…随分とあっさりでいらっしゃるんですねー。
と、その時。家のインターホンがピンポーンという軽快な音で鳴った。
「あら、誰かしら」
母がインターホンに気付き、受話器に手を取ろうとする。
「いいよ母さん。どうせ学校行くんだ。ついでに受け答えしてくる。……どうせ新聞の勧誘か千尋だろうから」
「そう?じゃあ、お願いするわ」
母のその言葉を聞き、オレは家を出る。
門の前には、赤銅色の短髪の青年が立っていた。年の頃は二十歳前後だろう。
「どなたですか?」
オレが声をかけると、青年は爽やかな笑顔で口を開いた。
「突然すみません、実は、迷子を探していましてね。親戚とここに旅行に来てたのですが…はぐれてしまって」
「そうですか…。どんな人ですか?特徴とか」
「十二歳の女の子で、髪は水色のポニーテールですね」
そう言いながら写真を渡してくる。そこに映ってた顔を見て、オレは一瞬声をあげそうななった。
「すみません…オレは見たことがないですね」
「そうですか…。いや、わざわざ朝からありがとうございました。では」
「いえ、こちらこそすみません」
互いに愛想笑いを浮かべながら、青年は立ち去っていった。
青年が立ち去っていったのを見届けると、オレはため息を吐くとともに壁に寄り掛かった。
…あの写真に映ってたの…シュタムファータァだったよなぁ。
んでアイツを探してたってことは…仲間なのか、違うのか…。髪もアイツと同じく変だったし、十中八九関係者の類ではあるだろう。
それ以前に今の季節、ここに旅行に来るなんてよっぽどの変人しかいないだろう。その時点で不信感を持って警戒していたおかげで声を上げずに済んだが…。
「(まぁ、バレてないだろう。こちとらポーカーフェイスは得意なんだ)」
無愛想なだけなんだけどな……と心の中で突っ込み、オレは息を整えると、バックを担ぎ直し、門を開けようとした…その瞬間。
守屋神社の石段を降りているさっきの男が目に入った。
オレは咄嗟に屈み塀の影に隠れる。
「(まずい、バレたか!?)」
いや、そんなことよりもこの島を消しに来たのに何もせず、あまつさえ島民の家に厄介になっているところとか見られて大丈夫なのだろうか。いや、普通駄目だよな…。
背筋を冷や汗が伝い、嫌なイメージが頭に浮かぶ。
………“口封じ”………。
気付けばオレは守屋神社の石段を駈け登り、本殿の裏の千尋の家の玄関のドアを開け放っていた。
「千尋ッ!」
「うがぁあああっ、目が、目がぁあああっ」
……茫然自失とはこのことか。ドアを開けた先には目を手で押さえながら洗面所に駆け込む千尋の姿が。そしてそれを見守る孝明さんにシュタムファータァ。
「やあ、おはよう俊明くん」
「おはようございます、ヤスっちさん」
「ああ、おはよう……」
いいさ、敢えてオレは突っ込まないし聞きもしないし首を突っ込むつもりもないさ。
どうせ“いつもの守屋一家でした☆”の一言で片が付く話だろう。
「はぁ……」
思わず安堵と呆れから深いため息を吐いてしまう。
そしていつの間にか洗面所から出てきたのか。千尋がオレの前に立っていた。
「お、ヤスっち…ため息を吐くと幸せが逃げるんだぜ…まぁヤスっちの普段の顔の方が薄幸そう…ってうがぁあああっぁあああっ!」
とりあえず何故か近くにあった塩を握り拳で掴み、千尋の瞳目掛けて全力で投擲しておいた。ああ…これでチャラだ。
再び洗面所に駆け込んでいった千尋を尻目にオレは孝明さんに声をかける。
「あ、そうだ孝明さん、赤色の髪の男が来たりしませんでしたか?こう、よくある赤色じゃなくてちょっとくすんだ感じの赤色の髪の男なんですけど」
来てた場合はとてもマズいだろう。今回は見逃したとしてもいつか口封じに来る確率はかなり高い。
「いや、来てないよ。大体、そんな髪の人が来たら不審に思ってまず家にはあげないよ」
「そうですか……って、アイツ髪蒼いんですけど」
「彼女は女の子だろう?僕は美少女に対しては皆平等さ。……それに、彼女は“あの人と同じ側”だから、ね」
最後に孝明さんが何か言ったように聞こえたが、声がそこだけ小さくて聞こえなかった。オレは聞き返そうとした…が、それが果たされることはなかった。
「おーいヤスっちー、拉致すっぞー」
いつの間にか復活していた千尋がオレの手首を掴み、ぐいぐいと引っ張られる。
「おい、千尋、そこは、遅刻、すっぞ、だろうが!」
「いってきまーすっ!」
オレの言葉を華麗にスルーしながら守屋家の玄関が遠のいてゆく。孝明さんとシュタムファータァがこちらを向いて手を振っている姿が最後に見えた。
「おい千尋、今日は何で学校行くんだ」
そうオレが聞くと、千尋は短いスカートを揺らせながら自転車な飛び乗る。
「チャリに決まってんしょ!」
「オッケー」
オレはそう返事すると、千尋の後を追うように自転車に乗って、ペダルを動かし始めた……。
「……ふう」
物凄い勢いで走り去って行く娘と、その幼馴染みを見送ってから一息吐いた。
今“俺”がいるのは、仏壇の前。
遺影に写っているのは、優しく微笑む、千尋によく似た一人の女性。
「孝明さん、何をしてるんですか?」
そう尋ねながら傍らに座る蒼い髪の少女。
「ああ、妻に……千里に朝の挨拶をしようと思ってね」
仏壇の上の遺影を見上げたまま質問に答えた。
「千里さん、ですか。……綺麗な人ですね」
「そう言ってくれると、アイツも喜ぶよ」
一時の静寂。まだ朝は早い。電線の上に止まった小鳥の囀りと、辺りの木々のざわめきの音だけがこだまする。
「彼女も……」
ゆっくり、ゆっくりと口を開く。
「千里も、運命から逃れる事は出来なかった。千歳さんも、千夏も」
死んで行った者たちとの思い出が、次々と浮かんでは…消える。まるで走馬灯のように。
「……まぁ、由紀や春みたいに巻き込まれなかっただけでも、ウチは幸せだったのかもしれないけどね」
何故か笑みが浮かぶ。これは苦笑か、それとも自分に対する嘲笑か。
「彼等を、恨んでいるんですか?」
少女が問う。視線を合わせず、ただ一点を見つめたまま。それを聞いて、今度こそ僕は苦笑した。
「彼等を、恨むことなんてするものか」
「え……?」
少女が、驚きに目を見開きながらこちらを見やる。
「恨んで皆が帰ってくるなら……、千里や由紀が帰ってくるなら、俺は彼等を恨もう。でも、違うだろう?」
そう、違うんだ。“彼等”を恨んだって仕方ない。それこそ…“彼等”と同じだ。
「それに、僕は“和平と仲裁”の守屋だ。そんな僕が彼等を恨んだら変な話だろう?」
「…………」
無言で呆けている彼女の頭を優しく撫でてやる。
「それに“十年前の事件”は、“君たち”は無関係だろ?君が、気にすることはないんだ」
「え……?」
………まったく、この娘といい、娘たちといい、微笑ましいものだ。
「さ、僕は境内の掃除に行ってくるけど、ちゃんと留守番できるかい?」
「え…あ、はい、出来ますっ」
「よしよし。ありがとう」
頭をぽんぽんと優しく叩き、振り向いてから気付いた。
「って、その前にこの塩をなんとかしなくちゃね」
「あ…そうですねっ」
二人で顔を見合わせ、苦笑する。
そして二人で掃除をしていると…俺は昔をふと思い出した。
幼い千尋が、飲み物を床に零してしまい、俺と彼女が二人で床を掃除したことがあった。
『あらあら、千尋ったらまた汚しちゃったのね』
そう言いながら、笑って床を拭く千里の姿が、今でも眼に浮かぶ。
もし…千里や由紀が、今もまだ生きていてくれたら、どんな生活を送っていただろう?
先程は彼女にああ言ったが、未練は山程ある。
千里にここまで成長した千尋を一緒に見て欲しかった。一緒に授業参観だって、卒業式だって行きたかった。
それに千里が今の俊明くんを見たらどう思うだろうか?きっと、我が子のことのように喜んでくれるだろう。俺だってそうだったのだから。
「…ごめん、後は任せていいかい?」
「あ、はい」
彼女の姿を再び見ることなく、逃げるように外に出た。本殿に入り、その奥にある御神体に手を触れる。
「千里……千尋や春は、今も立派に生きていてくれている。そして俊明くんや孝一くんもいるんだ。心配は…することないんだよな?」
ふと朝の俊明くんの言葉が頭を過ぎる。そして…今家にいる彼女。
だが、大丈夫だろう。親が出ることではない気が、何故かするのだ。
俊明くんが朝尋ねて来たとき。彼は汗だくで俺の言葉を聞いたときひどく安堵したように見えた。
おそらく石段を駈け登って来てくれたのだろう。彼なりに、娘のことを心配して。
「今回は、大丈夫だよな?」
千里に語りかけるように、俺は優しく御神体に触りながら呟いた。
「さて、境内の掃除をしなくちゃね」
そう言って、僕は本殿の外に出て、ふと空を見上げる。
「そう…大丈夫だろう、きっと…」
誰に聞かせるわけでもないその言葉は、曇天の空に夏風と共に消えていった。
オレの家から学校まで、片道約45分。校門が閉まり、遅刻となる時間が8時35分。そして今は7時40分。予想より少し時間に余裕はあった。
「おい千尋、スピード落とせ…時間が5分余る。事故るぞ」
ペダルを漕ぎながら喋っているので言葉はぶつ切りになってしまうが、意味は伝わるだろう。
前を走っていた千尋が無言でブレーキを握り速度を緩める。オレも同じように速度を緩めた。
「……何? ヤスっち」
「……いや、今日お前テンション低くないか?」
ひょっとしたら塩をぶつけたのが原因なのか?と思ったがそこまで子供ではないだろう。
「……いや?そんな事ないぜ?!」
千尋は笑みを浮かべ必死に否定したが、無理に笑っているのは明らかだった。
「…そんなこと、あるだろ」
「無いって」
ムキになったように否定する千尋に対し、少し苛立ってくる。
「いや、あるだろ。人が心配してるのに何だよ…お前」
「うっさいなぁ馬鹿野郎!もう先に行く!」
突然怒ったように声を荒げ、スピードを上げオレとの距離がグングンと離れていく。
「なんなんだアイツ……」
オレ何か悪いこと言ったか?たしかにしつこかったとは思うが…。
そのまま特にスピードも上げずにチャリを走らせていると、目の前に知った顔が自転車を漕いでるのが見えた。
「おーい、椎名っ」
オレがそう呼び掛けると、前を走っていた椎名が後ろを一瞬だけ向き、オレに合わせるようにスピードを落とす。
「…一人とは、珍しいな」
椎名がいつもの声色で話し掛けてくる。千尋がいないのを不思議に思ったのだろう。
「置いて行かれた」
誤魔化すことでもないので、そのまま正直に伝える。すると椎名は軽く微笑すると口を開いた。
「さっき守屋がオレに気付かず通り過ぎていったからな。喧嘩でもしたんだろうとは思っていたが……今の安田の顔を見たら納得したよ」
「……なんだよそれ」
「わかりやすい、ということだ。……まぁそれはさておきオレもお前と同じようなものだ。松尾は課題が終わらないので朝イチで学校に向かったらしい」
…そこまでわかりやすい顔をしてるのか、オレは。
まぁそれはいいとして…松尾が朝イチで学校行ったところで終わるのかは甚だ疑問だった。
それからお互い特に会話もなく通学路を自転車で走る。元よりオレも椎名も自分から喋るタイプではない。
学校まで沈黙は続くと思っていたが、意外にもそれを破ったのは椎名からだった。
「なぁ安田。今のこの島をどう思う」
ふと真剣な表情で振られたので面食らうが、真面目に考えることにする。
「いや……“十年前の事件”から、特に何も変わってないんじゃないか。平和だしな」
「そういう意味ではなかったんだがな…。なぁ安田、オレはどうも“閉じ込められた”という感覚がするんだ。いや……この島だ。“牢”になったという表現の方が近いだろう」
「……牢?」
「考えてもみろ。安田…お前はこの島から出ようと考えたことがあるか?」
この島から出る……そんなこと、考えたことすらなかった。
「ないだろう?それはそうだ。オレも同じだからな。地下に幾層にも連なる食料プラントのお陰で食料には困らない。そして工業や商業も今の不況の世の中に比べ、不自然なくらいに就職先には困らない。
しかも元々の島の土地にはあまり手を付けてないから自然も豊富だ。正直一日に二回しか出ない定期船で島を出る必要はない。…というか、本土よりこの島で暮らした方が地価も収入も条件がいい」
椎名が一呼吸置き、再び口を開き始める。
「おかしくないか?まるでオレたちをこの島から出す気がないようだ。それに、第二次世界大戦で大きなダメージを受けた本土より、この島の発展を優先したという記録…。明らかに不可解だとは思わないか?」
正直…今のオレはこの話の30%も理解出来ていなかった。
だから、間の抜けた返事を返すことしか、オレには出来なかった。
「……なんだ。オレは椎名みたいにそこまで考えたことがなかったから上手く言えないけど……、運が、良かっただけなんじゃないか?」
オレがそう言うと、椎名は真剣な表情を崩し、いつもの顔に戻った。
「……運が良かった……か。まぁ、たかだかガキがあれこれ詮索したところで意味はないか」
「……なんか、悪いな」
きっとオレの答えは椎名の望むモノではなかったのだろう。そう感じた。
「いや、気にすることはない。オレも朝から変な話題を振ってすまなかったな」
どこか気まずい雰囲気のまま走っていると、前に千尋が自転車を漕いでいる姿が見えた。
「おいっ、千尋っ!」
とりあえず呼び掛けてみる。これで無視するなんて子供っぽい真似はさすがにないだろう。
「……何」
ぴったり並走したところで返事をする千尋。やはりどこか不機嫌そう……というか、心なしかスピード上げやがったコイツ。
「……あれだ、何でお前今日マウンテンなんだ?」
さっきの話題を繰り返すのも気まずかったので、とりあえず今思ってる最大の疑問を投げかけてみる。
「……へ?」
よほどオレの言葉が予想と違かったのか、疑問符が目に見えるような間の抜けた返事を返してくる。
「…だから、何故お前はママチャリじゃなくてマウ」
「あ、あーそゆ事ね!なるほど了解了解」
早口でオレの台詞を遮るようにまくし立てる千尋。
「それはね、アレさ。ついこの前までギアの調子が悪かったから、バラしてギア交換してたの。で、ついでにオーバーホールをね」
ピンっと人差し指を立てながら得意気に説明する千尋。……何を得意になっているんだ、と思いながらも一応相槌を打っておく。
「てかお前…恥ずかしくないのか?女子でマウンテンってお前くらいだぞ」
するとさらに得意気な顔になる。
「意外性って必要じゃない?」
「あ、そう」
オレでもマウンテンバイクに若干の抵抗を感じるというのに、なんというか……図太い神経してるな。
……と、まぁそうこうしてる内に流れて行く風景が田畑から市街地に変わり、そして学校が見えてきた。
そのまま三人揃って駐輪場に到着する。
「あ、私職員室に用あっから先行ってて~」
オレたちの返事を聞くこともなく、素早く面前から脱兎の如く去っていく千尋。
「……なんなんだアイツ。本日二度目」
「まぁ、気にしても理由は守屋にしかわからないさ。それより、早く教室に行くぞ」
どこか釈然としない気持ちを抱えながらも、椎名と一緒に教室へ向かう。
教室の中に入ると、時間も時間だったために知った顔はほとんど登校していた。そしてオレの席の近くで突っ伏していた男に話し掛ける。
「おはよう松尾。課題の調子はどうだ?」
するとのっそりと起き上がり、意気消沈したようにこちらに顔を向ける松尾。
「無理でした。馬鹿でした。自分の頭舐めてました」
「いいから涙拭けよ」
泣き付いてくる前に先手を打っておく。今のコイツなら飛び付いてくる可能性がかなり高い。
「クソ……、甘んじて課題を受けるしかないのか……」
「単純にお前がサボってたツケが回って来ただけだろ」
バッサリと切り捨てる。そしてそのまま撃沈した松尾をスルーして自分の席に着く。
隣りを横目で見ると、千尋はもう座っていた。おそらく松尾と喋っている内に教室に入って来たのだろう。
「おい、千尋…」
「朝のこと」
またもオレの言葉を遮るように口を開く千尋。
「私が悪かった…ゴメン。もう、気にしてないから」
そう言った千尋の顔は、いつも通りとはいかないまでも…もう不機嫌という表情ではなかった。
「えらく、唐突だな」
思わず苦笑が浮かぶ。すると千尋は自嘲気味に笑った。
「『言おう』って思った時に言わないと、タイミング以前に言う気になれないからね」
何かその言葉に深い意味を感じたように思ったが、始業のチャイムが鳴り、思考は中断を余儀なくされた。
…そしていつも通り何も変化なく一時現目が終了。同じように二、三、四時現目も終了。期末テストが終わった後の学校なんてこんなものだ。グダグタと時間が流れていくだけである。
そして昼休みになり、いつもの面子で集まる。
弁当を取り出し、広げたるは唐揚げ弁当。というか一面唐揚げ。
「うぉい、ヤスっち……ついにその貧弱な体に終止符を打とうとしたんだね……」
千尋がオレの弁当を見るなりいきなり感想を言い始める。
「貧弱って程貧弱じゃねぇ。大体別に体力つけるために唐揚げ弁当にしたわけじゃねぇよ。母さんが作りすぎただけだ」
オレがそう弁明している間にオレの弁当に箸が伸ばされ、あっけなく強奪されていくオレの唐揚げ。
「なら、戴いても構わないよな?」
「なんだよ…美味ぇじゃねぇか」
椎名と松尾がオレの唐揚げを頬張りながら悪びれもなく宣言する。こいつら、オレのを黙って取っていったという罪悪感はないのか?
「ったく…、仕方ねぇから松尾の弁当で許してやる」
負けじとオレも松尾の弁当からおかずを強奪する。……ふむ、美味い。
「やってくれるじゃねぇか安田……ついにオレとお前の間に決着をつける時が来たようだな…!」
椅子から立ち上がり、箸を構え不気味なポーズを取る松尾。そしてその変なポーズでオレを威嚇している最中にも椎名と千尋によって自分の弁当が殲滅の限りを受けていることに気付いていない。
「なんというか……哀れだな、お前。唐揚げもう一つやろうか?」
オレは自分の弁当を着々と消化しつつも、松尾に慈悲をくれてやる。
「ふん……!敵の施しは、受けぬわぁ!」
声高らかに誇り高く宣言する松尾が、深い悲しみの絶望の悲鳴を上げるのは昼休みが終了間際になってのことだった……。
それからは特に何も起こる事無く、午後の授業が終了。ちなみに松尾はもう指一本動かすことはなかった。
「うーっし、放課後だーっ」
ガッツポーズと共に勢いよく立ち上がる千尋。なんというか、ハイテンションだな。
「今日はどうするんだ?千尋」
とりあえず予定を伺っておく。
「久々にゲーセン行こうぜヤスっち!ゲーセン!」
「-ATT-(アームド・トルーパーズ・トラスト)か。いいな。最近やってなかったから、ちょうどいい」
-ATT-とは、ドームスクリーン型のアクションゲームで、プレイヤー同士自ら構築したロボットを操って戦闘する。ちなみに二回プレイ500円と少し学生には痛い出費だが、それを上回る感動がプレイにはある……と千尋の談。
伊崎と千尋がこういったロボットゲームのファンで、オレも二人に勧められるがままにハマってしまった…というわけだ。
千春が入院するようになってからはあまり行ってなかったから、腕を鈍らせないためにも丁度良かった。
「オレも繁華街に用があったんだ。途中まで一緒していいか?」
椎名が会話に入ってくる。…オレは別に構わないが、お前今日弓道部って休みだったっけか?
そんな疑問を口に出そうとした時、一人の少女がオレたちの面前に躍り出た。
「……『オレも一緒していいか?』じゃないでしょ」
ぴょこんと揺れる腰くらいまでの伸びるお下げに、小柄な体躯の少女…“神守遙(かもり はるか)”。一つ上の先輩であり、千尋の従姉妹でもある。
そして弓道部の主将だ。おそらく副主将である椎名に部活の連絡をしに来たところに、たまたま椎名の台詞を聞いてしまったのだろう。
「…悪いな、安田。コイツをあしらってる間、お前達を待たせるのも忍びない。先に行っててくれていい」
「もう!先輩には敬語を使いなさいっ!」
相変わらず椎名は遙先輩に対して特別冷たい。が、詮索することでもないだろう。そんな雰囲気を漂わせていた。
「…そうか。じゃあ先行ってるな。遙先輩も、また」
千尋は教室の外で待っている。これ以上待たせたら怒りそうだ。……オレはそそくさと教室を出た。
「はぁ……」
掃除が終わり、縁側でぼーっと空を見上げる。
揺籃を消すのが正しいのか、消さないのが正しいのか。私は、どうしたいのか。
「抗う……か」
今までそんなこと考えたこともなかった。常に受け身に回ってきた私。逃げ続けてきた…私。そんな私が、セカイの意志に抗うことなんて……。
「おっと、ここに居たのかい?」
障子が開き、顔を表す孝明さん。いつの間にか帰ってきたのか…、全然気付かなかった。
「掃除が終わったので、ずっとここで日向ぼっこしてました」
「曇りなのに?」
「……考え事、です」
そう言って、私はまた視線を空に戻す。
「そういえば、朝俊明くんが言っていたんだけど…、どうやら君達の本部からお客様が来てるようだよ」
その言葉を聞き、私は全身の神経が逆立つのを感じる。即座に立ち上がり、孝明さんに詰め寄る。
「その人は、今どこに!?」
「……さあ、どうだろう。もう午後だからね。でも待」
私は飛び出していた。もう孝明さんの声は、耳に入らない。
「(いくら何でも強行策には早すぎる、なら……!)」
その何者かのリーゼンゲシュレヒトにヤスっちさんが接触しているという事実が、一番マズい…!
「急がなきゃ……、急がなきゃ……!」
最悪、この島が地図上から消えて、陰惨な歴史に名を刻むことになる。
…そう、嫌だ。それだけは……、嫌だ。ヤスっちさん達とは知り合ってまだ一日しか経ってないけど、だけど、私はずっと見ていたんだ、この島を。ずっと見守っていたんだ、この場所を。
そう…、ここは私の担当地域だ。私の居場所だ。
私が守りたい場所。私だけが、守れる場所だったんだ。
この場所は、消せない。消させない…!
力いっぱい走る。息が切れる。それでも、ただひたすら。
「……ぃつ…!」
足が縺れて、私はアスファルトの地面に叩き付けられた。
『そう難しく考える必要はないぜ?シンプルに考えるんだ』
ふと昨日の千尋さんの言葉が、頭の中で残響する。
『納得いかないなら逆らっていいんだよ。逃げるのも大事だぜ』
……私は、……
地面に手を付き、息を整える。
膝小僧からは少し血が出ているが、それでも…立てる。
私は今、初めて自分の意思で動く。それも、抗うために。
セカイの意志ではなく、自分の意思だ。
私は今、吹っ切れた。
『まぁ、最終的な結論はお前次第だろ』
ヤスっちさん…千尋さん、私は決めました。
……私はっ……!
「行っちゃったか。言い方が悪かったかな……」
縁側に一人残された俺は、一人苦笑した。
「まったく、微笑ましい」
……だが、今回は微笑ましいとかそんな事を考える程の余裕はなさそうだ。
ピンポーン、と軽快な機械音と共にチャイムが鳴った。
…意外と律義なようだ。だが、あえてインターホンには出ずに直接外に出る。私服だが問題は無いはずだ。そもそも礼装やら正装に着替えている時間はない。
満面の笑みを張り付け、玄関の引き戸を開ける。
「いらっしゃいませ、遠路はるばるご苦労様です」
「いえ、こちらこそこのような時間にすみませんね」
そこには、爽やかな笑みを張り付けた、赤銅色の髪の男がいた。
そのまま男を家の中に招き入れ、リビングに案内する。
「それで、今日はどんな御用件で?」
麦茶を出しながら問う。
すると、彼はその爽やかな、それ故に不自然に感じる表情を崩す事なくこう言った。
「こちらに赴いている者に“期限”を伝えに来ました」
……期限、か。つまり彼らはここを消しに来た来たという事になる。そして御三家の中で“外交”を担当していた“守屋”に報告がてら来たのだろう。まったく、外交を担当してたのだってもう昔の話だというのに。
そして話によると彼女に最初に接触したのは千尋達らしい。千尋達がこの事を知っている可能性は高い。
「そうですか。なら私が伝えておきましょう。何の期限なのかは知りませんが」
笑顔でプレッシャーをかけておく。しかし彼はその薄い唇を歪め、微笑みながら、
「いえ…、一応本人に伝えないといけない規則でして」
『一応』の部分を強調して、言った。
……つまり自分が本人に伝えた後にいくらでも聞けという事か。
「そうですか。まぁ、彼女なら貴方を捜しについ先程出て行ったばかりなんですがね」
一瞬、男の顔が引きつった。
麦茶を一口飲んでから男が尋ねた。
「彼女はいつからここに?」
「昨日の夜から、ですね」
互いに気まずい沈黙になる。彼女のことをずっと探してたんだろう、この人は。
「……大変ですね」
ひとまず労いの証明として茶棚から出した来客用のカステラを乗せた皿を彼の目の前に置く。
「まぁ…仕事ですからねぇ」
その言葉に込められていたのは、哀愁とかそういう漠然とした感情ではなく、『いや、こーいうの本業じゃねーんだわ』というもっとはっきりした感情が感じられた。確かにこういう仕事よりも、傭兵の類でもやってそうな雰囲気が見え隠れする。というか笑顔が不自然過ぎる。
そして彼の笑顔の使い方は、自分と同じ匂いがする。
「まぁ、お仕事頑張って下さい」
「はい、ありがとうございます」
交わしたのは社交辞令。まぁ本心から何とも思ってないわけではないのだが。
最後にカステラを頬張り、残った麦茶を一気に飲み干してから、彼は立ち上がった。
「ではお邪魔しました。もし、また会う機会があったのなら…酒でも飲みませんか?」
それに対して、本心からの苦笑で返す。
「お酒は勘弁して下さい。私はあまりアルコールな強いタイプではないので」
互いに本心から苦笑した後、彼は玄関を開け出て行った。
「……襲われるんじゃないかと、ヒヤヒヤしたよ」
彼が見えなくなってから、伸びをしながら言う。
「くっくっく、心にも無い事を言うな」
聞こえたのは、嘲笑。
「いやいや、多少は思っているんだよ、これでも」
そう言いながら振り返ると、そこには銀色の長髪を靡かせながら笑う少女と、さっきの男とは違う、純粋な赤い髪をした長身の男が立っていた。
「ほら、多少だろう?」
「多少であっても感じたのは事実だよ」
「ふっ、屁理屈だな」
銀髪の少女は笑いながらリビングのソファに腰掛ける。
とりあえず茶でも出してやろうとキッチンから麦茶を二つ用意する。
「それにしても、今日は白衣じゃないんだね」
「この暑い中、わざわざ旧友宅まで遊びに来るのに白衣はないだろう?」
たしかに、今日の彼女は黒のノンスリーブにジーンズというラフな服装である。
「君も、座ったらどうだい?」
さっきからずっと立っているので、声をかけておく。
「…いえ、私は」
「許せよ孝明。イデアールはレンと違い堅物な男だからな」
「君が柔軟過ぎるんだよ、ハーゼ」
麦茶を豪快にグビグビと飲んでいる銀髪の少女…ハーゼ。彼女の態度も客人としてどうかと思うが。
「で、今日はどんな用件だい?」
「なに、この島が消えると聞いてな。消える前に旧友の顔でも見に来ただけさ」
彼女にしては殊勝な用件だった。だが、彼女らがここにいるということは予想外の幸運だった。
「ならハーゼ、冥土の土産に旧友の頼みを聞いてくれないか?」
「ほう…?お前が、私に頼み事とはな」
珍しい物を見る目でこちらを見る。
「彼女と…千尋達を守ってあげてくれないかい?」
俺がそう言うとハーゼは一瞬驚いた表情になり、呆れた表情に代わり…苦笑しながら口を開いた。
「……相変わらず、諦めの悪い男ね……。いいだろう、ただし一度だけだ。それ以降は私は関与しないぞ」
「それで充分さ」
これで、布石はほとんど置き終わった。
あとは、どうなるかは俺の運次第だろう。
「イデアール、先に行っていろ」
「わかりました」
私に一礼すると、イデアールと呼ばれた青年は玄関から外に出ていった。
「孝明、カステラは戴いていくぞ」
「相変わらず目敏いんだな」
俺の言葉を無視し、茶棚から勝手にカステラを取り出してバッグに入れるハーゼ。
「報酬を先にもらっただけだよ。……じゃあな。まぁ、ここが残っていればまた私が来るだろう。」
軽い嘲笑と共に、縁側から彼女は外に出て行った。
「せめて玄関から出て行こうな、ハーゼ」
空を見上げながら、俺は思わず苦笑を浮かべた。
結局椎名は途中で追い付くことはなく、俺と千尋だけでゲーセンに着いた。
そしてそのままATTの筐体の前に行き、受付を済ませると、後ろから誰かに呼び止められた。
「よう、俊明」
「伊崎…来てたのか」
伊崎がここにいるのは珍しくない。というより伊崎はATTのかなりの上級プレイヤーだ。オレから言えば廃人クラスだが。
「最近は来てなかったからな。どうだ俊明、久し振りに1vs1でもどうだ?」
「お前と?勘弁しろよ、勝てるはずないだろうが」
「よし、なら私がヤスっち側に着こうじゃないか」
たしかに、千尋がいれば勝機はあるかもしれないが…、まぁ、たまにはいいか。
「千尋がいるなら、まぁいいぜ」
「1vs2か。いいだろう、掛かって来い」
そう言いながら伊崎も受付を済ませに行った。
オレと千尋は先に筐体へと向かう。
相変わらずのドーム状の筐体。外から見てもこれは非常に目立つ。
だが、平日なのであまり人はおらず、伊崎が筐体に入るのを見計らって適当に空いている筐体に入る。
コインを投入し、ドーム状のスクリーンにお馴染みの画面が表示される。
店内対戦を選び、ロビー画面に移行すると、ロビーにいるのは勿論伊崎と千尋の二人のみ。チーム設定でオレと千尋が同じチームになるように設定する。
そして機体設定画面に移行する。もうすっかり馴染んだオレの機体が表示される。
右上に小さく表示される千尋の機体は遠距離戦に特化している援護向きの機体だった。…ということは、オレは前衛か。
オレの機体は言ってしまえば可も不可もない、バランス重視の機体だ。 近距離も遠距離もそれなりにしか出来ない機体。
まぁ、今回はいつもとは違く前衛なので、長距離兵装を外しておく。…ライフルも外した方がいいな。
両手にマシンガン、背中にはレーダーを装備し、機体自体を軽量の機体に変更する。
伊崎の機体は、変わっていなければガチガチの高速特化機体だったはずだ。
そして最大の特徴はまだATTに実装されたばかりの機体特性“可変機構”を搭載していることだろう。
可変機構は実装された当初の頃こそ流行ったが、複雑で難し過ぎる機体操作に加えて、様々な装備制限があることから、可変機構を好んで使うユーザーはほとんどいない。
だが、それを好んで使うのが伊崎という男…なのだが。
「ま、さすがに二対一だからな。手加減なしで飛ばせてもらうぜ」
「上等だぜこーちゃん、掛かってきな!」
ゲーム画面が広い住宅街に変わる。高低差が激しく、障害物が多いステージだ。
「って、伊崎にあまりに不利じゃねぇか?」
「ま、選んだのはこーちゃんだし。思う存分ボコってやろうじゃん」
…たしかに二対一でこの伊崎にとって不利なステージならば、いかに伊崎のプレイヤースキルが上でも勝機はあるだろう。
そしてビルの間から現われる白銀の機体。
「さぁ、始まるぜヤスっち!」
「おう」
そうしてオレは、レバーを握る手に力を込めた。
マシンガンを構え、白銀の機体に突貫する。当たる当たらないは意識しない。ただただ弾幕で圧倒するだけだ。
だが、伊崎はその弾幕を軽やかにビルをステップし回避し、オレに肉薄する。
オレは咄嗟にレバーを後ろに下げ、距離を取ろうとするが、機動性で上回ってる伊崎の機体から逃げられるわけもなく、レーザーブレードが眼前に迫るが、回避は不可能。
だが、その刃がオレの機体に届くことはなかった。
伊崎の機体がブレードモーションを変形で強制キャンセルし、非常に器用な動きでビルの壁にぶつかることなく上昇していった。
「さすがにそう簡単にやらせてはくれないか、千尋」
「私を舐めないでね、こーちゃん」
そしてビルの間を器用に変形状態で抜けていく伊崎の機体に対し、追随する千尋のライフルから放たれる弾丸。
「くっそー、可変機でどーしてビル壁に直撃しないなぁ。これじゃあヒット&ウェイ決められっ放しじゃんか」
千尋が接近されたらこちらの負けは確実だ。故に伊崎の的になるように動かなければならないのだが、伊崎の機体に搭載されている“レーザーブレード”は最上級の物じゃないにしろ、威力はオレの軽量機体ならば二発で落ちてしまうだろう。
レーザーブレードは異様に当たりにくく設定されているため、威力が凄まじいのだ。
「プレッシャーが、半端ないな…」
何しろ相手はビルの間を高速で縦横無尽に駆け巡る機体だ。平地ならまだマシンガンは当たるかもしれないが、こうも障害物を上手く使われては弾の無駄遣いになるだけだ。牽制にもなりはしない。
「どうする、千尋?」
「正直、わかんないや」と、ため息と共に言った千尋だったが、声色はまだ諦めているようには感じなかった。
「こっちの機体特性を考えずに、単純に相手が可変機だから市街地は有利じゃんって、油断してた私のミスだわ。痛ったいけど、負けるのは癪」
そう言って、千尋はオレにMAPを開くように指示した。
「この直線距離になる大通り。ここにこーちゃんを誘い込めれば、私の狙撃で撃ち抜くぜ…と言いたいんだけど、こーちゃんに当てるのは至難の技だろうなぁ」
勿論千尋と伊崎の技量差もある…が、市街地で大通りと言っても、何も馬鹿正直に真っ正面から来てくれるわけではない。市街地だから無論横道だってあるのだ。
「でもまぁ、やるしかないか」
「うん、やるしかない」
互いにこれに懸けるしかないことはわかってるのだ。二つ返事で互いに了承した。
「まぁ、ヤスっちが上手く撃墜されずにこーちゃんを誘い込めるかどうかが一番の問題だけどねー」
「いいや、お前が伊崎に射撃を当てられるか…が問題だろ」
問題というより、負担や重圧は千尋の方が遥かに大きいだろう。オレはただ適度に逃げ回って誘い込めばいいが、千尋の場合は射撃を実際に当てなければならないのだ。アンチマテリアルライフルによる狙撃モードで当てなければならない。
アンチマテリアルライフルとはこのゲームにおけるブレード級の威力がある銃なのだが、狙撃モードと呼ばれる自分自身がまったく無防備な状態になり、レバーで照準を動かして当てなければならないのだ。
勿論、機械によるロックオン補正は無い。連射も出来ないために事実上チャンスは一発だけだ。
「頼んだぜ、ヤスっち」
「出来るだけのことはやってみるさ。期待しないで待ってろ」
そう言ってオレはレバーを握る手に力を込め、いまだにこちらの動きを伺っているようにビルの間を蠢く伊崎の機体に突撃する。
両手のマシンガンをフルバーストで撃ち続ける。弾切れは気にしない。自棄になったと思わせ、油断させる算段もある。
伊崎の機体はオレの軽量機体の追撃を軽やかに躱し続ける。こちらもスピードは早いはずなのに、全然距離が縮まらない。
そして突如変形解除し、人型形態になりビルを蹴りこちらに反転してくる。
「流石に、二度も食らいたくはない!」
オレは反転した時点で反応し、横の細道にクイックブーストと呼ばれる高速移動で転がり込む。
そしてオレの居た場所に一瞬遅く襲いかかる光刃。だが、回避したことを喜んでいる余裕などなかった。
こちらにとって直線距離は射撃が当たりやすい立ち位置ではあるが、それは相手にとっても同じこと。ましてや、この近距離戦の状態ならばマシンガンの砲撃程度でブレードの突撃を防げるわけがない。
オレは危機を感じ、全力でブーストを後ろに吹す。一撃がデカい。当たるわけにはいかない……!
こちらがブーストを吹すよりも早く方向転換し、細道に入ってくる伊崎の機体。
伊崎の機体に搭載されている左右のブレードが光輝く。ブレードのモーションは普通のゲームと違い、ATTはただ真っ直ぐに突っ込んで斜めに切り払うだけだ。だが、両方の腕に装備されている場合は話は別だ。
ただ突っ込んで来るというのは変わらないが、二本のブレードを同時に斬る、連続で斬る、従来通り片手で斬るの三パターンが存在するのだ。
ここで問題になってくるのは二つ目の、連続で斬るモーションである。連続で斬るというのは二回突っ込んで来るということ。つまり、片方のみの時より二倍の直線リーチがあるというわけだ。
当たり前のことだろ、と言われればその通りであるしそれまでなのだが、さすがに千尋の期待を裏切りたくはなかった。
一撃目が放たれる。こちらに襲い来る黄色に輝く光刃。半円を描くように横凪ぎにされたブレードは、ギリギリオレの機体に当たることはなかった。
そして、問題の二発目。もう片方に搭載されている先程と同じ黄色の光刃がオレに襲いかかる…が、オレは機体を思い切り横に倒し全力で横に回避行動を取る。
一瞬、時が止まったような感覚。そして間髪を入れず鳴り響く激しい衝撃音と大ダメージを知らせるアラート・メッセージ。
だが、撃墜はしていないようだ。それを理解したオレはHPを確認する余裕もないため、全力で指定ポイントまで逃げる。
これで伊崎からは、ブレードから無様にも逃げているように見えるはずだ。そして伊崎としてはこの絶好のチャンスを逃したくないはすだ。つまり、ほぼ確実にオレを追ってくるはず…!。
「千尋、もうすぐ指定ポイントに着くぞっ!」
「りょーかいだぜヤスっち…、狙い撃ってやんよ…」
そして、伊崎の機体が変形し、オレの退路を阻むように前に立ちはだかるようにオレを飛び越えて移動する。
そして、着地した場所は…指定ポイント通り、大通りに伊崎の機体は立っていた。
「だからよぉ……狙い撃つぜぇぇぇぇッ!」
千尋の謎の掛け声と共に響き渡る銃声。今度こそ時が止まったような感覚。
そして、時は動き出す。
伊崎の機体は相変わらず健在で、そこに立っていた。光刃が煌めき、オレの機体の撃墜を知らせるアラートが鳴り響く。
そして画面が第三者視点に切り替わる。
「まぁ、今のはヒヤっとしたぜ、千尋」
「…ヤスっちの敵は私が討つぜ。本気モードで行くから気をつけな、こーちゃん」
千尋の機体に搭載されている武装が全て脱着(パージ)され、新たに千尋の機体の両腕に搭載されるレーザーブレード。
今のは格納といって、普通の武器スロットとは別に予備として装備出来るシステムだ。弾切れになった場合などに使われる。千尋はそこにブレードを二本隠し持っていたのだ。
「その重量機体でオレとブレ戦やんのか?」
「やってやんよ」
そうして千尋の機体が一気に伊崎の機体に肉薄する。その巨体から想像出来ない程のスピードで接近する……が、可変機にスピードで追い付けるわけがなかった。
即座に後ろに回られ、両腕のブレードで斬られる千尋の機体。重量機体故に装甲が厚かったために一撃で落ちなかったが、次に二本同時を直撃されたら、いかに硬い装甲でも落ちてしまうだろう。
「くっ…、速さが足りないッ!」
千尋が急旋回しようとするが、機影は既にそこになく、背後に回られてしまう。
「さっきの策が失敗した時点で、お前等の負けだったよ」
そうして、画面には『LOSE』と、こっちのチームの敗北を表示された。
戦闘が終了した証として、IDカードが返却される。ドアを開け、ドーム状の筐体から外に出る。
自分の額に手を当ててみる。汗をかいていた。いつの間にか…こんなにも熱中していたのか、と自分で意外に思う。
「ああ、くそ」
地味に悔しい気持ちが湧いてくる。そして悔しい…と思ったのも久し振りだということに気付いた。
ふと、汗が張り付く髪が地味に気になってくる。普段はあまり気にならないものだが、何故だか今は何故か外の空気を吸いたくて仕方が無かった。
そうしてゲーセンの出口に向かうと、オレが行くより一瞬早く、自動ドアが開いた。
そして中から出てきた小さな人影が、オレに突っ込んでくる。少しよろけながらも、衝撃で転ぶことはなかった。
「って、シュタムファータァじゃねぇか」
空色の髪のポニーテールで、さらに小柄な少女といえば、シュタムファータァくらいしかいないだろう。
「ヤスっちさん!?なんという幸運ですか!いや、セカイを追って来たんで当たり前といえば当たり前なんですけれども」
「便利なんだな、セカイってのは」
なんだかは知らないがどうせファンタジー用語の一つだろう。興味もなければ深入りする気もなかった。
「ヤスっちさん!この島が消えるかもしれないんです!」
「いや、お前が消すんだろ」
オレの記憶ではたしかそういう話だったはずだ。
「違います!組織から誰かが派遣されて来ているんです!」
朝会った赤髪の男が一発で脳裏に浮かぶ。
「……そいつなら朝会った」
「何で教えてくれなかったんですかっ!」
よくよく考えてみればたしかにそうだ。あの時は千尋の安否ばかり頭に入ってシュタムファータァに話そうと考えてる余裕がなかった。
「で、それをオレに話して……お前はなにがしたいんだ?」
疑問だった。要するに今朝の赤髪の男とシュタムファータァは同じ組織の人間だろう。組織の内情は知らないが、敵対しているという事はないだろう。
なのに、何故そんなに焦る?
「私は……」
口ごもるが、深呼吸して、また口を開く。
「……私は、この島を」
だが、その意を決して発した言葉は、何者かによって遮られた。
「やっと見つけましたよ…罪深き始祖」
振り返るとそこには、今朝会った赤髪の男が不敵な笑みを浮かべながら立っていた。
「……名を」
オレを守るようにシュタムファータァが前に出て、男に問う。
「“赤銅の狩人”のイェーガーです。島をなかなか消しそうにないので、催促しに来ました」
男は笑みを崩さず、ただ淡々と告げる。
「……期日は?」
「三日後の月曜日までにお願いしますね。では、私はこれで」
必要なことだけを伝えて、身を翻し男は悠々と立ち去っていく。
「………」
何か声をかけようと思った。だが、出来なかった。
話したところでオレに何が出来る?興味や同情で踏み込んでシュタムファータァが、この島が助かるとでも?
「……クソ」
やはりこういう状況はあまり得意じゃないというのを実感させられる。
「おーい、ヤスっちー?」
千尋の呼ぶ声が聞こえる。
その声にビクっと体を震わせたシュタムファータァの体が、
何故か、いつもよりとても小さく見えた。
考えてるみれば、それは簡単な事だったのかもしれない。
でも、思い付くのが簡単な事ほど、実行するのは難しい。
希望という名の、儚いユメ。
だから、端から諦めてしまう。
そして、いつか忘れてしまう。
盲点になる。
それが見えたとしても、見ない振りをしてきた。
決意を決めても、立ち向かう事は難しい。
立ち向かうのに必要なのは、実行するのに必要なのはほんの少しの勇気と、それを後押ししてくれる理解者。
今の私には…それがいる。
だから、戦える。
廻るセカイ-Die andere Zukunft-
第二章「非日常エンカウンター」