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初春抄.5

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初春抄







第3話「どうして?」






 羽百合はじっと机の上の紙切れを睨みつけていた。

 佐伯と、その幼なじみという不二と偶然会って食事をし、家に帰り着いてからの1時間程、この紙切れを睨むという動作から次へ移せずにいたのだ。

 今日、羽百合と美緒があのレストランに行くなど知るはずも無い佐伯が、どうしてこうも用意周到に自分の携帯番号とアドレスを書いた紙を持っていたのか。

「もしかして、色んな人に渡せるようにいつもいくつか持ち歩いてる、とか?」

 首をひねって辿り着いたその答えに納得し、羽百合は漸く服を脱ぐ事が出来た。

「そうよね。じゃないとおかしいもん。そうそう、そうに決まってる」

 あーすっきりした。

 と、豪快に服を脱ぎ、颯爽とシャワーを浴びに浴室へと入った。

 熱いお湯を頭から浴びながら、羽百合は先日通った自分の企画の事を考え始める。

 新設部署で、今回一番大きな企画は今日美緒がミスをした大手食品会社からの仕事だ。その次の号の企画として羽百合が提案した案件が本格的にスタートするのだが、今回は幼児とその親を対象とした、親子で出来る健康体操と、アレルギー体質の子どもの為の料理のレシピ特集というものだ。

 昨今家庭内での親子のコミュニケーションが低下している中、少しの時間でも子どもと楽しく過ごし、さらには子どもの体調を管理しよう。というのが目的だ。

 現代病とでもいうのか、アレルギー体質の子どもも増えているし、添加物などアレルギー物質を含まない料理を簡単に作れるように、そのレシピも掲載する。その後の反響によっては年に数回の特集記事になる可能性もある。形を変えれば年配向けの体操や料理レシピなど、アレンジはいくらでもきくだろう。

 週末は料理レシピを作る為に、アレルギー体質について大学の教授に話しを聞きに行く事が決まっている。

 が、その大学というのが佐伯がいる大学で、羽百合は少しだけ気持ちが落ち着かなかった。

 近くの大学に詳しい教授がいてくれるというのは大変ありがたいが、佐伯ともし鉢併せたら……。そう思うと憂鬱だった。

「ああー。もう! 考えても仕方ない! ていうか、どうして私がこんなにあの人の事を気にしなきゃいけないのよ!」

 ガシガシ! と少し乱暴に髪の毛を洗うと、羽百合は一気に全身を流した。















 嫌な予感というものは何故か当たるもので、羽百合の目の前にはにこやかな笑顔の佐伯が歩いていた。

 大学へやってきて、受付で取材の件を伝えていた所、偶然やってきた佐伯に見つかってしまった。そして丁度羽百合が会う予定の教授に用があるからと、佐伯が案内を買って出てくれたのだ。

 若者で溢れるキャンパス内を歩いていると、あちこちから佐伯に声が掛かる。

 特に女性から……

 佐伯君、バイバイ。という呼びかけに相変わらず爽やかに答えながら手を振る佐伯を後ろからじっと見つめて、羽百合は美緒の顔を思い出す。

 イケメンーーーと言われても、羽百合にはピンとこない。昔からアイドルなどに興味がなかったし、恋愛に関しても先んでて行事事に関わろうとしてこなかったおかげで、世間一般で言う所の色恋をほとんど経験してこなかったのだ。

 というのも羽百合には3つ年上の幼なじみがいて、ずっとその幼なじみの事が好きだった。

 どこにでもいる平凡な顔立ちに成績も普通で、取り柄と言えば料理が上手な事といつもニコニコと誰にでも優しい事くらいのその幼なじみを、物心着いた頃から好きだった羽百合は、他の男性に興味を持った事が無かった。

 その幼なじみも羽百合の大学卒業と同時期に結婚し、今は遠く離れた所で新しい生活を送っている。

 思いを告げる事無く失恋した訳だが、それでも特別傷ついたという事はない。恋人という存在がどうしても必要だと感じていないし、幼なじみの幸せそうな顔を見た時に嬉しかったのだから、自分が失恋したという感覚が薄かったのかも知れない。

「新部さん?」

 ふと過去を思い返して羽百合の顔を心配そうに佐伯が覗き込む。

「あ、はい?」

「どうかしたんですか?」

「いや、佐伯君って本当にモテるんだなーっていうのを再確認してたの」

「そうですか?」

 普通の人ならば厭味に聞こえるのかも知れないが、佐伯が言うと厭味っぽくないから不思議だ。

「美緒だって佐伯君の事気に入ってるし、さっきからずっと色んな子に声かけられてるし、スクールも佐伯君のおかげで生徒が増えたって言ってたし。すごいね」

「あんまりすごいと思ってなさそうな言い方ですけどね」

「いや、思ってるよ。ただその人気の感覚が私には分からないだけで……」

 ふと視線を感じ、羽百合は顔を上げた。

 佐伯がじっとこちらを見つめていて、ほんの少し居心地の悪さを感じる。

「どうして連絡くれないんですか?」

「え? ……ああ」

 レストランで渡された紙を思い出し、空返事をした。

 佐伯は続ける。

「ずっと連絡待ってたんですよ?」

「連絡する、なんて言ってないもん」

「ーーまあ、そうですね。でも、連絡もらえないと先に進めませんし」

「あのね、いい加減年上をからかうのはやめてちょうだい」

「からかうんなら俺の方から連絡先しつこく聞いてますよ。それに、戸村さんから聞こうと思えばいつでも聞けます」

 なるほど、と羽百合は佐伯の言葉を真摯に受け止めた。確かに羽百合の連絡先を知る手段などいくらでもある。それをせずに自分の番号を渡したのは、佐伯なりの考えあってのことだったのだ。

 だが……

「今新しい企画の事でいっぱいいっぱいだから、あなたに構っている暇はないの」

 冷たくそう言ったが、佐伯は引き下がらない。

「じゃあ、お仕事が一段落着いたら連絡ください。俺、ずっと待ってますから……教授の研究室、ここです」

 丁度足を止めたところで会話も終了し、羽百合は最後にもう一度佐伯の顔を見て仕事に集中した。















 「まさか本当に通う事に決めるなんて」

 呆れたように言う羽百合の目の前で、美緒が嬉しそうにカメラを磨いている。

 結局美緒は佐伯に会いたいが為にテニススクールに通う事にしたのだ。まだ1回しか行っていないが、やってみるとストレス解消にもなって楽しいらしい。

「だってー、やっぱり佐伯コーチに会えるし、なんだかテニスが出来るって響きが格好良くない?」

「出来るのレベルによるけどね」

「もうひっどーい! 羽百合ってば結構毒舌よね~。ていうか、聞いてよ! 来月に市のテニストーナメントがあるの、知ってるでしょ?」

「うん」

「そのトーナメントに、佐伯コーチ出るんですって。他のコーチやスクールの生徒さん達も結構出るらしいからさ、なんか楽しみだよねー」

 すっかり仕事よりテニスに重きを置いてい楽しみにしている美緒に、羽百合はため息を寄越す。

「あのねえ、仕事に支障をきたさないっていうのが約束だったでしょーが、応援するのはいいけど、仕事の方もきっちりやってよね」

「んもう! 分かってるってば! 本当に羽百合ってば真面目なんだから。あんまり真面目すぎると、モテないんだからね!」

 頬を膨らます美緒に、羽百合は目を伏せて次の仕事に取りかかる為書類を開いた。

「モテなくて結構です。ほら、午後から管理栄養士さんの所に行くんだから、準備準備」

「どうしてそんなに女らしい事を放棄するかなあ」

 そう捨て台詞を吐いて自分のパソコンに向かう美緒の言葉を耳の端に捕らえ、羽百合ははたと手を止めた。

 女らしいを放棄する。

 と美緒は言った。

 私は女らしさを放棄してるの? 女らしいって何? どうして恋愛に必死じゃないといけないの?










                              続く…





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