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試合に向けて(垂司)No.2

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 「……え?」

「だから、橘って女に垂司さんがちょっかいだしたんだよ」


 時刻は正午を回り、美琴が手製の弁当を持って訪ねてきたので、ともえが道真と美弦、そして美琴と共に縁側に並んで美琴の料理に舌鼓を打っていた時だった。

 話題は昨日の笠原道場での一件へと移り、そして今――美弦から衝撃の一言が発せられていた。


「垂司さんが……?」

「そ。あの人、女ってみたら見境ないんだもん。なんであんなんが真弓兄さまの実の兄なんだよ」

「美弦、言葉がすぎるわよ」


 ぷぅっと頬を膨らませながら愚痴た美弦を、すかさず美琴がたしなめた。

 道真はと見ると、無表情のまま黙々と料理を口に運んでいる。


「ともえもさ、あの人の言うことあんまり真に受けない方が良いよ。お前ってなんか何でも信じそうなところあるもんな」

「そ、そんなことっ」

「いいか? ともえ、垂司さんがお前に言うような事は当然美琴にも橘にも言ってるんだからな」


 そう言うと美弦はくすくすと意地悪そうに笑った。


「美弦っ!」

「なんだよ、本当の事じゃん」


 誰にでも同じ事を言っている――――確かに美琴にも同じように甘い言葉をかけているのを目の当たりにもした。では今朝の事は? 橘にもあんな風に――弓を握ったのだろうか?

 ともえは自分の心が深く暗い所へと落ちていくのを感じた。


「おい」


 ともえの表情が僅かに曇ったのを察知して、それまで無言だった道真がふいに口を開いた。


「あんま気にすんな」

「え? あ、別に何も気にしてないよ?」

「……ならいいけどな」


 取り繕ったように笑顔を見せたともえに、道真は低く呟くと静かに視線を外した。


「あ、真弓兄さま」


 それと同時に美弦が嬉しそうな声をあげ、おもむろに立ちあがった。

 美弦の視線の先を追うと、真弓が廊下の向こうからこちらへと向かって来ているところだった。慌ててともえと美琴も立ちあがる。


「おや、みんなでお昼かい?」


 真弓が相変わらずの優しげな様子でともえ達に声をかけてきた。


「はいっ! 良かったら真弓兄さまもご一緒にどうですか?」


 嬉しそうに誘う美弦を前に、真弓は少しだけ残念そうな顔をして小さく首を振った、


「美琴ちゃんの手料理は是非とも頂きたいんだけどね、僕はこれから大学の方へ行かなければならないから」

「え? 真弓さんって大学生だったんですか?」


 思わず驚きの声をあげたともえに、真弓はにっこりと頷いた。


「ともえさんは来たばかりだから、知らなくてもおかしくないですよ」


 そう言って美弦は真弓の荷物を持った。


「玄関まで見送ります!」

「ありがとう、美弦。そういうわけで、僕は出かけてくるから。美琴ちゃん、また今度ご一緒させてもらってもいいかな?」

「あっ、はい! もちろんです……!」


 そう言うと美琴は小さく頷いた。その様子をちらりとともえが伺うと、美琴の頬が朱色に染まっている事に気が付いた。

 美琴は真弓を好いている――――直観的にそう感じると、ともえは美琴の助けになりたい、と純粋に思った。


「ぜひご一緒して下さい! 私もう美琴ちゃんの料理の大ファンになっちゃいました!」

「ははは、本当にともえちゃんは元気だね。道真、しっかりともえちゃんと稽古に励むんだよ」

「分かってるよ」


 そう言って微笑むと、真弓と美弦は正門へと向かって行った。


「美弦って、真弓さんを随分慕っているのね」

「ええ、真弓さんは年上で優しい方だもの」


 美琴はまるで自分の思いを話すように嬉しそうに言った。それを見てともえも微笑む。

 ――――年上で優しい方。

 それはともえ達のような年頃の娘が特別な感情を抱くには、十分すぎる程に十分な素因だ。まして日輪家の人間はそれぞれが違った美しさを放っている。

 ともえの脳裏にあのどこか寂しげな佳人の姿が浮かび上がった。


「……ともえちゃん?」


 物思いに耽ったように黙り込んでしまったともえに、美琴が心配そうに声をかける。


「―――美琴、飯美味かった。おい、さっさと道場に戻るぞ」

「え? あ、ちょっと……!」

「いいからさっさと来い。時間がもったいない」


 食べ終えて立ち上がると振り向きもせずに道場へと戻る道真を、ともえは慌てて追いかけようと立ちあがった。


「美琴ちゃん、ご馳走さまでした! 本当に美味しかった!」

「ともえちゃん、練習頑張ってね!」

「有難う!」


 礼を言うとともえは急ぎ道真の背中へ向かって走った。


 弓は人の心そのもの――――


 私は一体何でこんなに動揺しているのだろう。

 ちらと振り向けば遠くで美琴が玄関の方へと視線を馳せている。

 ああ、そうだ―――――私もきっと、美琴が真弓に抱いている想いと同じものを内包している。

 ……あの、弓を捨てたという麗人に。

 自分の心を見つめて出たその答えに、ともえはギュッと唇を噛みしめた。










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