エシュガル語文化圏の時刻表現
日本語の文章をエシュガル語に翻訳する際、普通には訳しようのない言葉がある。エシュガル語文化圏に全く存在しない概念は当然エシュガル語の語彙には存在せず、翻訳しようとすれば頭を悩ませる事になる。
身近な処では午前・午後という語がある。エシュガル語文化圏の一日は日の出と共に始まる。前半はすなわち昼間でありdaehである。後半はすなわち夜間でありnuotである。昼間の前半はmeuzであり後半はxiocである。夜間の前半はboaþであり後半はwiesである。
さて、では午前は何と云うかとなると、真夜中から正午までなのでwiesプラスmeuzとなる。午後はxiocプラスboaþである。それ以外に云いようが無い。そもそもエシュガル語文化圏に午前とか午後とかいう概念は必要とされておらず、5時を午前5時にも午後5時にも使い分ける類の習慣などは存在しない。よって午前午後を省略してひっかけるようなトリック、つまり「明日の5時に」とだけ言っておいて、聞き手は文脈と常識で午後5時の事と解釈し、話し手は「午前とも午後とも言わず5時とだけ言った以上は24時間制に決っているじゃないか」などとのたまうような類の話は訳しようが無いわけだ。
エシュガル語文化圏では常に24時間制で時刻表示をしているに近い。もっとも単位としての時間、つまり一日を24分割する単位というのもエシュガル語文化圏には無い概念だ。代わりに一日を一〇〇(=144)分割するkuokという単位を使う。日本式エシュガル語教育ではこの語には伝統的に刻の訳があてられている。午前6時がneerkuok 〇刻、正午がtuecjirkuok 三〇刻、午後6時がsuacjirkuok 六〇刻、真夜中がquicjirkuok 九〇刻である。
日本語に25時とか26時とか云う表現があるように、エシュガル語にも同様の表現がある。いや、同様と云うべきかむしろ逆と云うべきか。本来ならば日付が変わるのは午前6時であるが、午前4時以降はフライング気味に日付が変わった扱いにしても構わないと云う習慣があり、その場合は午前5時をceìksuackuok −六刻(一六刻ではなくてマイナス六刻)のように表現する。
最終更新:2021年02月12日 20:08