卓上ゲーム板作品スレ 保管庫

第02話

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匿名ユーザー

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迷錯鏡鳴 忍の巻



 深き迷宮がある。
 赤光に満ち満ちた空間。
 そこには無数の殺意と――生臭い血臭が吹き荒れていた。
 生臭い息を吐き出し、暴れ狂う異形の姿が一つ。
 牛頭人身の怪物――ミノタウロスと呼ばれる侵魔の一種、その手に巨大なる鉄槌を握り締め、迷宮中に響き渡るような悲鳴を上げていた。
 異形なる人外、その速度は凄まじく、振るう腕の一撃は鋼鉄をも拉げさせるだろう怪力。
 その化け物に悲鳴を上げさせるのは何者か?
 それは二人の人影、走り回り、息の合ったコンビネーションを見せる少年と少女の二人組だった。

「姫宮!」

 両手にクナイを持ち、輝明学園の男子制服を身に付けた中肉中背、十代半ばの少年がその身に叩き込まれた投射術を打ち放ちながら、声を上げる。
 吸い込まれるように撃ち出された二刀の刃物は片方を弾かれたものの、その影に隠れるように打ち込まれた漆黒の刀身がミノタウロスの眼球を抉った。
 四肢のうち三つの神経を巧みに切断され、片目を失い、血を撒き散らすミノタウロスは悲痛にも似た絶叫を上げる。
 ぐらりと膝から崩れ落ち、命乞いでもするかのような哀れなる叫び。
 されど、容赦する余裕もなければ、必要もないのだ。

「ごめんなさい」

 小さな声。
 それを発したのは少年に姫宮と呼ばれた少女。
 輝明学園秋葉原分校の女子制服を纏った彼女は滑るような速さで、ミノタウロスの失った眼球の方角――すなわち死角から迫り、その右手を振り上げていた。
 一見すれば少年には似つかわしくない可憐なる顔、美少女と呼ぶに相応しい少女。
 だが、今の彼女を見て愛らしいと好意を抱く人間は少ないだろう。
 振り上げた右手、それは人の手ではない。
 真っ直ぐに伸びた白い塊、吸血鬼を断罪するために作り出されたかのような杭の形状。
 彼女――姫宮 空は人間ではない。
 人造人間、人の手によって作り出されたホムンクルスと呼ばれる戦闘生命体。
 侵魔に抗うために作り出された人造の生命。
 その身は生物の理から剥離し、あらゆる形状に、戦いのために適した体へと作り変えることが出来る。
 アームブレイド。
 己の腕部を武器へと変えて、空は真っ直ぐに、僅かな躊躇いを浮かべた表情のままミノタウロスの頭部に腕を叩き込んだ。
 頑強なるミノタウロスの頭部、それがアームブレイドの一撃で柘榴のように粉砕される。
 脳漿を撒き散らしながら断末魔の言葉の途中でミノタウロスが崩れ落ちる。
 濃厚なる血臭が撒き散らされて――不意にそれが消失した。
 飛び散った血肉も、撒き散らされた脳漿も、崩れ落ちた遺骸も虚空に溶けたように掻き消えて、その場に残ったのは赤ん坊の手の平程度の大きさの小さな紅いガラスのような塊。
 空はアームブレイドを解除し、腕を通常の形状に戻し、手を伸ばした。

「あ、魔石」

 空は小さく呟き、ガラス塊――侵魔が落とすプラーナの結晶体、通称魔石を拾い上げた。
 手の平サイズのそれは質は悪いが、大きさはそこそこある。

「斉堂君、魔石だよ」
「うん。見えてる」

 空の下へと小走りで歩み寄った少年――斉堂 一狼は不器用に微笑んだ。
 床に転がった無数のクナイ、投擲に使ったそれらを回収すると、軽く一振りして手品のように制服の中に納めていく。

「それにしても……姫宮も強くなったよなぁ」

 強くなりたいと空が言い出したのは何ヶ月前のことだろう。
 姫宮 空が藤堂一狼の“支給備品”となってそれほどの時間は掛からなかったような気がする。
 己がウィザードであることの自覚、己が人造人間という存在だという理解。
 その果てに空はウィザードとして存在を確立し、その力を操ることに強い意思を見せていた。
 最初こそ反対していたものの、頑張る彼女の姿に一狼は根負けし、今ここで空の戦いぶりを見ていると説得に折れたことが間違いではなかったと思えた。

「そうだね」

 互いに無傷に等しい状態、精々少し埃を被っている程度の互いを見てクスリと笑う。
 空と一狼が居る場所。
 それは輝明学園の地下に広がる巨大フォートレス――訓練用迷宮【スクールメイズ】と呼ばれる場所だった。
 休日である土日、彼らは迷宮にもぐり、鍛錬をしていた。
 特別部活に所属しているわけでもない彼らだからこその行為、思春期の男女としては少しおかしいかもしれないが彼らなりに楽しんではいたのだ。

「そろそろ戻ろう。姫宮も疲れているだろ?」

 一狼はまったく疲労を感じさせない顔で、或いはそれを隠し通した表情で空に声をかける。
 空の額にはじわりと緊張による汗が浮かんでいて、それを一狼は見逃さなかった。

「ありがとう、一狼君」
「……べ、べつにこれぐらいは普通じゃないか」

 恥ずかしそうに答えると、真っ赤になった顔を背けて一狼はテクテクと歩き出す。
 既に月門は閉じられ、侵魔の気配は無い。
 空と一狼は事前にマッピングしておいた地図に沿って出口から脱出した。

 輝明学園秋葉原分校二年生。
 姫宮 空と藤堂 一狼の日常はいつものように過ぎていた。





 時刻はもう夕方を通り過ぎ、夜闇が訪れようとしていた。
 転送ゲートからスクールメイズを脱出し、オクタマーケットでいらない取得品を売り捌き、資金に変える。
 パートタイムで絶滅社からの任務をこなしているとはいえ、彼の備品でもある空の学費や食費を賄う彼にとって金は幾らあっても多すぎるということはない。
 積極的に彼がスクールメイズに潜るのは忍術の修行に最適という理由の他にも、手っ取りばやい稼ぎになるからだといっても過言ではなかった。
 顔なじみの錬金術師――二学年になってからは同級生になった少女から常備数が少なくなったポーションや足りなくなった幸運の宝石を買う。
 彼女の売る商品は相場よりもやや安い割には質がとてもいいお買い得商品だった。

「おおきにや~」
「あ、この間の幸運の宝石。ちゃんと使えたから、助かりました」
「そうかそうか。それならよかったわぁ」

 傷物ということでまけて貰った幸運の宝石、その成果を告げると錬金術師の少女――亜門 光明はにっこりと微笑んだ。

「そっちの彼女の分も、ご加護がありますように」

 短く祈りを捧げて、幸運の宝石を一つずつ入れた紙袋二つを一狼に手渡す光明。
 その袋を受け取り、空に袋の一つを手渡しながら、一狼は周囲を見渡した。
 いつものように賑わっているマーケット。
 その中で目当ての人物がいないことを確認し、一狼は光明に聞いた。

「えっと……亜門だっけ? ヴィヴィ先生はどこに居るか知らない?」

 亜門 光明が世界屈指の錬金術師、ヴィヴィの弟子だということはマーケットに出入りしているウィザードにとっては周知の事実だった。

「ヴィヴィ先生? あー、そういえばここ数日は外国に行くっていってたで?」

 光明はんーと唸りながら指先を口元に当てて首を捻る。
 子供っぽい仕草。

「そうか……」
「なんか用なんか?」
「いや、預けていた荷物を確認しようと思ったんだけど、しょうがないか」

 スクールメイズで手に入れた戦利品の大半はオクタマーケットで売り捌くか、保管のためにヴィヴィに預けることしか許されていない。
 ダンジョン内で何本か手に入れていた戦利品の暗器を預けていた一狼は返してもらうおうと思っていたのだが、どうやらタイミングが悪かったようだ。

「んー、さすがにうちの権限だと預けてる荷物は取り出せんしなぁ。ヴィヴィ先生に事前予約しておいたわけでもないんやろ?」
「あ、うん。一応その場で言おうと思っていたので、僕のタイミングが悪いだけです」

 どこか緊張した口ぶりで、彼をよく知るものならかなり緩和したと思える口調で一狼は礼を言うと、空と一緒に歩き出した。

「どうする? 一狼君。まだ六時ぐらいだし、少し時間はあるけど……」

 ひょこひょこと空が一狼の横を歩きながら、首をかしげて、見上げるような体勢で訊ねた。
 どきりと少しだけ一狼の心臓が高鳴る。
 昔よりはましになったけれど、やはりまだどこか女性が苦手で――しかも目の前に居る女性は大切な少女で、それが可愛らしい姿勢で見上げてくるのには冷静さを売りにする忍者である一狼の心臓でも飛び跳ねていた。

「そ、そうだなぁ。今日は順調に攻略が進んだし、少し早めに帰って休もうか。途中でスーパーにでもよって、食事にしないか?」

 がらりと敬語から、砕けた口調に切り替えた一狼は空の言葉に考えながら答える。

「あ、それなら私がカレーを作るね。ルーは確かあったはずだし」
「……い、いや、僕が作るから!」

 依然味わった悪夢。
 切りもしないどころか皮も剥かず、そのまま鍋で煮られたカレー(らしきもの)。

「一応……勉強しているよ?」
「あ、うん、でも」

 空は一応料理書などを買って勉強を続けているが、植え付けられたトラウマはそんなに簡単には払拭しなかった。
 簡単な肉じゃが程度なら何度か振舞ってもらい、食べられるものになっていることは知っている。
 だがしかし、カレーにはNOと言える男になりたかった。

「それじゃあこうしよう。二人で協力して作るって事で」

 見張りの意味も篭めて一狼が提案すると、空は少しだけ驚いて顔を歪めて……すぐに綻ばせる。

「いいよ」

 笑顔を浮かべる空に、え? なんか嬉しくなるようなこと言ったっけ? と一狼が内心首をかしげた時だった。

「にーさん、にーさん。仲がええのはけっこうやけど、目の前でいちゃつくのはやめてな?」

『あ』

 居心地悪そうに露天を広げたままの光明が告げると、慌てて一狼と空は頭を下げて、その場から離れた。
 見ればいつのまにやら注目を集めていて、二人は真っ赤になりながらオクタマーケットから抜け出した。
 そして、そのまま校門から外に出ようとした時だった。

「あ」
「どうした、姫宮?」

 不意に空が困った顔を浮かべたのを見て、一狼が訊ねると、彼女は恥ずかしそうに両手の指を絡めると、かすれるような声で呟いた。

「えっとちょっと忘れ物」
「忘れ物? スクールメイズに?」

 それなら厄介なことになるな、と一狼が少しだけ厳しい顔を浮かべると、慌てて空は両手を横に振って違う違うと言った。

「教室にね。英語のノート忘れてたの、今日迷宮に潜るついでに取ろうと思っていたんだけど……ついつい忘れてて。もうこんな時間だから校舎も閉まってるだろうし」

 その言葉に思い出す。
 そういえば英語の課題が週明けに出ていたはずだ。
 英語のノートがないと、課題を終わらせるのにも苦労するはず。
 馬鹿だね、と舌を少しだけ出して苦笑する姫宮に、一狼はふと思いついたことを言ってみた。

「僕が取ってこようか?」
「え、いいよ! それなら私が――」

 空が遠慮する中、一狼は事実を告げた。

「これでも忍者だからね。姫宮よりは脚は早いさ、待っててくれ。十分も掛からないと思う」

 スタンと少しだけ足を鳴らすと、今出たばかりの校門から反転し、足を校舎に向ける。
 走り出そうとする一狼に、空は慌ててこう付けたした。

「えっとノートは私の机の中にあると思うから!」
「わかった!」

 瞬間、一狼が力強く足を踏み出す。
 一応は月匣外、常識的な程度に――されど陸上部のエースよりも格段に疾い速度で一狼は校舎に向かって走り出した。





 誰も居ないはずの校舎はどこか不気味だ。
 上履きにすぐさま履き替えて、忍者としての習性で音も立てずに二学年の教室が占める廊下を走る。
 スクールメイズのある地下施設は未だに賑わっているだろうが、通常の校舎には部活で遅くなった学生ぐらいしか居ないだろう。
 音はしない。
 静寂のみが満杯になったプールのような感覚。
 電灯も消された校舎の中はまるで墓場のような不気味な静けさに満ちている。
 されど、一狼は忍者。
 闇を共にし、静寂の中で蠢くもの。
 恐れはない。
 不安もない。
 ただ己の感覚を信じて、一目に付かないことをいい事に全力で廊下を駆け抜けていた。
 百メートルの距離は数秒以内に踏破するほどの速さで、一狼は己の通う教室の前に辿り着く。

「よし」

 教室のドアを開き、一応宿直の先生などが居ないことを確認しながら、一狼は手っ取り早く闇の中で空の机を見つけ出した。
 普段彼女が座っている机。
 その中のものを取るというのはどこか気まずい感覚がしたが、まあ本人の許可は貰っているしと自分を誤魔化す。
 机の中のノート、一冊一冊を月夜で表記を確認し、英語と書かれているノートを見つけ出した。

「これだな」

 ノートを握り締めたまま己の纏う異相結界――月衣を開くと、その中にノートを仕舞い込んだ。
 さて、戻るか。
 と、一狼が踵を返して、教室のドアから外に出た瞬間だった。

「ん?」

 廊下の真ん中で、不意に一狼が振り返る。
 どこか遠くで足音が聞こえたような気がしたのだ。
 鍛え抜かれた聴覚が、遠い場所で僅かに響いた足音に気づく。

「見回りの先生か?」

 足音の主の正体を推測するが、しかし一狼の感覚は否と告げていた。
 校舎内を乱反射し、かすれる程度にしか聞こえない足音。
 されど、その重みを、その足音の実体を、忍者である一狼は聞き分ける。

「軽い?」

 足音の反響音から推測。
 宿直の先生――成人の人間が響かせる足音よりもどこか軽く、テンポも軽やかな足音。
 女性、それも若い人間の足音だと感じられた。

「部活中の女生徒かな?」

 そう結論し、まあ確認する義理もないので一狼は予定通り校舎から出ようと踵を返した。

 ――瞬間だった。

 コツリと足音が背後でしたのは。

「なっ!?」

 聞き違えるはずのない、至近距離での足音。
 誰が?
 誰もいなかったはず。
 それなのに足音。矛盾している事実。
 ――振り返った一狼、その前に一つの人影があった。
 それは少女。
 それは人型。
 それは美しい造形を持ち、秋葉原分校の制服を纏った少女だった。
 俯いた表情、そこからは顔は見えない。
 ツインテールに結い上げた髪型、造形の整えられた肢体を持ち、両手をだらりと垂らした――まるで操り手のいなくなったマリオネットがその場に立ち尽くしているような不気味さ。
 同年代の少女、その事実に一狼は心拍数を跳ね上げたが、同時にその身に纏う不気味な気配に厳しい目つきを浮かべて、一狼は警戒心を剥き出しに言葉を発した。

「誰だ?」

 一狼が訊ねる。
 俯いたままの少女に。
 されど、少女はゆっくりと手を掲げて、虚空より二振りの武器を取り出す。
 一対の箒、トンファー型の武装――ドラゴンブルームと呼ばれる装備。

「ウィザード!?」

 月衣からの武装顕現に、一狼が声を荒げた瞬間だった。
 少女が踏み込んだ。
 ダンッと廊下が震えるほどの踏み込み、鍛え抜かれた動体視力を持つ一狼でも接近に気付くのが遅れたほどの神速。
 声をすらも出さず、無言で少女の一撃が無防備な一狼を横殴りに弾き飛ばした。

「がっ!!」

 巻き上げるかのような打撃、咄嗟に両手を十字に組んで防ぐも、骨が軋み、激痛が走るほどの衝撃に、一狼の体が窓を突き破り、廊下から落下する。
 そして、見た。
 ガラスの舞い散る空の中で、空に浮かぶ紅い――月を。
 月匣、そして月門。

「エミュ――」

 追撃してくる少女。
 即座に同じようにガラス窓をぶち破り、煌めくガラス片の中で美しい造形を持った少女――不気味なほどに無表情の少女の双眸が、落下する一狼を睨んだ。

「レイターか!?」

 振り下ろされるドラゴンブルーム。
 落雷のような鋭さのそれを、両手の裾――己の手によって改造し、至るところの暗器を仕込めるようになった改造制服から、クナイを取り出し、受け止める。
 衝撃、打撃、浸透。
 落下する。
 空中での追撃によって一狼は空から叩き落され、地面に背中からぶつかり――強制的に肺から酸素を吐き出させられながらも、横に転がった。
 追撃で打ち込まれる踵、ニーソックスとミニスカートの間から見える艶かしい足を無造作に振り上げ、振り下ろされる鉄槌。その一撃が一狼の頭部のあった場所にめり込み、派手に爆音を響かせる。
 恐るべき身体能力、マトモに食らえば一狼の頭部など柘榴のように砕けただろう一撃。

「っ!」

 それに冷や汗を掻きながら、一狼は汚れた制服の土埃を払う余裕も無く飛び起きて、間合いを広げながらクナイを構えた。
 理由は分からない。
 ウィザードなのか、それともエミュレイターなのか。
 判断は付かない、月匣を展開することは弱体化した世界結界故に月衣のエキスパートである夢使いでなくとも可能となっている。
 ただ分かることは――敵だということのみ。

「敵ならば」

 敵だ。
 そう理解した瞬間、心拍数の上がっていた一狼の心臓がまるで魔法でもかけられたかのように静かになる。
 止まったわけではない、ただ静かになった。
 今まで浮かんでいた顔。
 襲撃に驚き。
 相手の性別に戸惑い。
 空に向けていた優しさ。
 戦うための勇気。
 それら全てを排除し、誰も知らない一狼の顔が浮かび上がる。
 冷酷。
 冷徹。
 冷静。
 無駄を削り、感情を削り、表情を削り上げた能面のような顔。
 忍者に感情はいらぬ、忍者に表情はいらぬ、無駄をこそぎ落として最高率をもって戦い抜け。
 勝つために。
 目的を達するために。
 殺すために。

 ――殺人技巧者の顔を浮かび上がらせる。

 声すらも静かに、一狼が両手を閃かせる。
 二本のクナイ、全て急所狙い、水月・眼球、縦に並んだ白刃の襲来。
 それを少女は踊るように踏み込み、旋回しながら振り向いた鋼鉄の打撃で弾き飛ばす。
 そして、一狼はさらに手元を閃かせると、魔法にように現れるは漆黒の鉄杭。
 棒型手裏剣と呼ばれる暗器、それらを恐るべき速度の投射術で撃ち放つ、さながら銃弾の如く速度と威力で。
 それを弾き、捌き、砕く。
 嵐のように少女は手元を閃かせ、鉄壁の構えを見せる。
 されど、それこそが狙い。
 足を止めた格闘使いに勝利は無い。
 一狼は前に進むと足を踏み出し、その手に腕の一振りサイズもある短刀を構える。
 真っ直ぐに直進する一狼。
 愚かと嗤うように、無表情の少女は腰を捻り、膝を曲げて、渾身の打突を繰り出した。
 それを躱せるのは先読みか、類まれなる速度を持ちえた人外の速度しかありえない。音速に迫る、亜音速の一撃。
 衝撃破を撒き散らしながら、直進する一狼が刀を構えるが、その程度は障害になるわけもなく粉砕し、そのまま一狼の肉体を粉砕させた――かと思えた。

「!?」

 驚きに気配が歪んだ。
 打ち放った一撃、それが直撃したはずなのに手ごたえは無く、目の前の一狼は姿すらも掻き消える。
 残ったのは折れた刀のみ。
 まるで磨き抜かれた刀身が鏡にでもなっていたのだろうか、折れ砕けた刀身が無表情に歪む少女の顔を映して――その背後に立つ一狼の姿を浮かばせる。

「!」

 少女が振り返る、それよりも早く一狼が首のネクタイを外し、手元を翻したほうが速かった。
 一振り、気を通し、構えられた布切れはあらゆる刀よりも鋭い刃物と化す。
 ネクタイブレードの一撃が、少女の左肩から背中を切り裂いた。
 血は出ない。
 ただ薄く肌を切り裂いたのみ。
 一瞬早く、前に転がるように少女が転倒し、床に付けた手を支点に跳ね飛んで、少女が間合いを広げる。
 その際に一瞬スカートの中身が見えたが、戦闘思考に集中した一狼は気にも留めない。

「まだ、やるか」

 ネクタイブレードを右手に、左手に月衣から取り出したクナイを握り締め、一狼が告げる。

「……」

 少女は沈黙する。
 言葉も出さずに、息を吐き出すように唇を動かすと、不意に後ろへと走り出した。

「っ、逃がすか!」

 校舎の中に逃げ出す少女を追って、一狼が俊足の術を発動する。
 前のめりに倒れこむように自重を前へ、そして倒れないままに走り続ける、古武術において縮地と呼ばれる歩法。
 それを強靭なる身体能力を兼ね備えた忍者が行えば、まさしく風の如く速さ。
 少女が校舎の中に飛び込んだ次の瞬間には、一狼はその真後ろにまで迫っていた。

「にがさ――」

 校舎の中に飛び込んだのを確認し、トラップなどに対する警戒心を持ったまま一狼が校舎の中に足を踏み入れた。
 しかし、そこには――誰もいなかった。

「なに?」

 テレポートか?
 それとも他の何らかの魔法か。
 しかし、魔力の流れも感じず、術式を組むほどの余裕があったとも思えない。

「どこへ?」

 周囲を見渡してもあるのは静かな廊下。
 一階に備え付けられた廊下窓から差し込む月光の光――見れば既に月匣は解除されていた。

「逃げた、のか?」

 気配を探るも何も無し。
 傍にあった廊下備え付けの鏡に手を備えて体重を預けると、一狼は顔に手を当てて表情を変える。
 冷酷な忍者の顔から、どこにでもいる普通の少年の顔に。
 切り替えた。

「とりあえず姫宮のところに戻るか」

 鏡を見ながら、ネクタイを綺麗に結び直すと一狼はそそくさと校門へと向かって歩き出した。
 いきなりの襲撃。
 正体不明の少女。
 気になるものはあるけれど、ただ今ここにある日常を大事にしたくて一狼は学校を去る。


 彼の背後でにやりと笑みを浮かべる悪意の存在に気付かぬまま。







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