act.2 <GIRL meets boy>
翡翠は、その家に養女としてもらわれていくことになった。
初めて来た日のことは、いくつになってもはっきりと思い出すことができた。
翡翠の生まれた小さな村は、侵魔との戦いに巻き込まれて村ごと消滅した。
その事件で、5歳だった翡翠はただ一人生き残った。
理由はわからない。
侵魔が見逃したのかもしれないし、あるいは後に翡翠がなることとなるウィザードとしての素質が彼女を守ったのかもしれない。
それでも結局、彼女が身寄りを失ったことにはかわりはなかった。
身寄りを失った翡翠を見つけたのは、侵魔に村が襲われたことを知り、訪れた近くのウィザードだった。
侵魔関係で身寄りを失った翡翠のことを不憫に思ったのだろう。そのウィザードは知人の家に彼女を預け、養子とすることにした。
そして彼女は、とてつもなく大きな木の門の前に立つことになる。
少女を拾った男が中から出てきた大男と話をしている。
難しい話をしていたのはわかるが、彼女には何を話しているのかまではわからなかった。
話が終わるか終わらないかの内に、翡翠は中から出てきた大男に手をひかれた。
彼女は、急に怖くなって自分を拾った男の方を見る。
男は、翡翠の方をしっかり見て言った。
「恐れることはない。この方はお前の父となる方だ」
翡翠にはその言葉の意味はわからなかった。けれど、男が真摯な目でそう告げたので、そうなのだろうと納得した。
怖がることはない、そう心の中で繰り返し、大男の手を握り返す。
怖くないわけがない。誰一人見知らぬ土地で、何が起きるかわからない不安で翡翠は押しつぶされそうだった。
大男はそんな華奢な少女の手を握ったまま、やや質素なつくりの屋敷の中に入っていく。
屋敷をある程度連れまわされた後、とある一室に入ると、その部屋には先に二人の人間がいた。
板張りの―――後に道場という場だと知る―――部屋にいたのはどこかやる気のない、翡翠よりも大分年が上であろう娘。
そして翡翠と2、3しか違わないだろう、その瞳を楽しそうに輝かせた活発そうな少年だった。
初めて会った時のことを、翡翠はいくつになっても忘れない。あれほどに鮮烈な出会いは、おそらくはこれからもないだろう。
自己紹介をされ、翡翠は戸惑う。
何をどうしていいのかわからない翡翠は、おどおどとしていた。それを見て、少年が翡翠に近寄ってくる。
彼女があまりの事態に混乱していると、少年ははっきりとした声でたずねた。
「お前、名前は?」
強いまなざしにさ混迷を深めながら、それでも何を話せばいいのか方向性を与えられた彼女は、泣きそうになりながら答えた。
「ひっ……ひすい、です」
「ヒスイ?
うん、いい名前だな。よく似合ってる。姉上とは大違いだ」
「なーにか言ったー?この馬鹿愚弟」
少年が一言余計な言葉を付け加えるのを聞いていたらしい年上の女性は、表情を変えぬまま少年に向けて容赦なく拳骨を落とした。
人間からしたとは思いがたい音を立てながら、顔面から板張りの床へと墜落する少年。
あまりの音に、少年が死んでしまったのではないかと翡翠が心配になったほどだ。
しかし直後、少年はがばりと身を起こして女性へと猛然と抗議する。
「何すんだこの暴力姉っ!」
「アンタの言葉の暴力のせいであたしの心は酷く傷つきました。慰謝料としてとりあえず巻き藁の刑に処そうと思うんだけどどう?」
「イヤに決まってんだろうがっ!?っつーかその程度で傷つくほど繊細な神経してねぇだろ―――」
「はぁい、今の言葉で刑が今すぐここでリンチにレベルアップしました。―――ってわけで、死ね」
どこからか取り出された木刀によって少年を唐竹割りにせんとする女性。それを神がかった反射神経によって白刃取りする少年。
ぎりぎりと力が拮抗する中、その緊張感に満ちた時間は唐突に終わりを告げた。
終わりを告げたのは、今までそのやりとりを見ていて混乱の局地にあった翡翠だった。
正確には。きゅるるるる、となんともかわいらしい生理現象が部屋中に響いてしまったからだったのだが。
その音に顔をりんごのように赤く染めて恥ずかしそうにうつむいてしまう翡翠。
恥ずかしさで頭が満たされてしまい、この場から消えてしまいたいほどの衝動にかられる彼女に、声がかかった。
「そーいやもう昼飯時だっけ、俺も腹減ったー。話はここじゃなきゃできないわけでもないし、昼にしようぜ」
「……それもそうね。何より今日から新しい家族になる子にひもじい思いさせてるとあっちゃ家の恥だし」
少年の声に、女性が頷いて木刀を納める。
助かった、と小さく呟いて、少年は翡翠の正面までやってくると手を差し出した。
彼女は差し出された手の意味がわからず、じっとその手を見ていると、少年は言った。
「ほら、行くぞ。お前まだどこに何があるかわかんねーだろ?」
その言葉は乱暴だったがどこか優しくて、おずおずと掴んだ手は暖かかった。
翡翠は、その家に養女としてもらわれていくことになった。
初めて来た日のことは、いくつになってもはっきりと思い出すことができた。
翡翠の生まれた小さな村は、侵魔との戦いに巻き込まれて村ごと消滅した。
その事件で、5歳だった翡翠はただ一人生き残った。
理由はわからない。
侵魔が見逃したのかもしれないし、あるいは後に翡翠がなることとなるウィザードとしての素質が彼女を守ったのかもしれない。
それでも結局、彼女が身寄りを失ったことにはかわりはなかった。
身寄りを失った翡翠を見つけたのは、侵魔に村が襲われたことを知り、訪れた近くのウィザードだった。
侵魔関係で身寄りを失った翡翠のことを不憫に思ったのだろう。そのウィザードは知人の家に彼女を預け、養子とすることにした。
そして彼女は、とてつもなく大きな木の門の前に立つことになる。
少女を拾った男が中から出てきた大男と話をしている。
難しい話をしていたのはわかるが、彼女には何を話しているのかまではわからなかった。
話が終わるか終わらないかの内に、翡翠は中から出てきた大男に手をひかれた。
彼女は、急に怖くなって自分を拾った男の方を見る。
男は、翡翠の方をしっかり見て言った。
「恐れることはない。この方はお前の父となる方だ」
翡翠にはその言葉の意味はわからなかった。けれど、男が真摯な目でそう告げたので、そうなのだろうと納得した。
怖がることはない、そう心の中で繰り返し、大男の手を握り返す。
怖くないわけがない。誰一人見知らぬ土地で、何が起きるかわからない不安で翡翠は押しつぶされそうだった。
大男はそんな華奢な少女の手を握ったまま、やや質素なつくりの屋敷の中に入っていく。
屋敷をある程度連れまわされた後、とある一室に入ると、その部屋には先に二人の人間がいた。
板張りの―――後に道場という場だと知る―――部屋にいたのはどこかやる気のない、翡翠よりも大分年が上であろう娘。
そして翡翠と2、3しか違わないだろう、その瞳を楽しそうに輝かせた活発そうな少年だった。
初めて会った時のことを、翡翠はいくつになっても忘れない。あれほどに鮮烈な出会いは、おそらくはこれからもないだろう。
自己紹介をされ、翡翠は戸惑う。
何をどうしていいのかわからない翡翠は、おどおどとしていた。それを見て、少年が翡翠に近寄ってくる。
彼女があまりの事態に混乱していると、少年ははっきりとした声でたずねた。
「お前、名前は?」
強いまなざしにさ混迷を深めながら、それでも何を話せばいいのか方向性を与えられた彼女は、泣きそうになりながら答えた。
「ひっ……ひすい、です」
「ヒスイ?
うん、いい名前だな。よく似合ってる。姉上とは大違いだ」
「なーにか言ったー?この馬鹿愚弟」
少年が一言余計な言葉を付け加えるのを聞いていたらしい年上の女性は、表情を変えぬまま少年に向けて容赦なく拳骨を落とした。
人間からしたとは思いがたい音を立てながら、顔面から板張りの床へと墜落する少年。
あまりの音に、少年が死んでしまったのではないかと翡翠が心配になったほどだ。
しかし直後、少年はがばりと身を起こして女性へと猛然と抗議する。
「何すんだこの暴力姉っ!」
「アンタの言葉の暴力のせいであたしの心は酷く傷つきました。慰謝料としてとりあえず巻き藁の刑に処そうと思うんだけどどう?」
「イヤに決まってんだろうがっ!?っつーかその程度で傷つくほど繊細な神経してねぇだろ―――」
「はぁい、今の言葉で刑が今すぐここでリンチにレベルアップしました。―――ってわけで、死ね」
どこからか取り出された木刀によって少年を唐竹割りにせんとする女性。それを神がかった反射神経によって白刃取りする少年。
ぎりぎりと力が拮抗する中、その緊張感に満ちた時間は唐突に終わりを告げた。
終わりを告げたのは、今までそのやりとりを見ていて混乱の局地にあった翡翠だった。
正確には。きゅるるるる、となんともかわいらしい生理現象が部屋中に響いてしまったからだったのだが。
その音に顔をりんごのように赤く染めて恥ずかしそうにうつむいてしまう翡翠。
恥ずかしさで頭が満たされてしまい、この場から消えてしまいたいほどの衝動にかられる彼女に、声がかかった。
「そーいやもう昼飯時だっけ、俺も腹減ったー。話はここじゃなきゃできないわけでもないし、昼にしようぜ」
「……それもそうね。何より今日から新しい家族になる子にひもじい思いさせてるとあっちゃ家の恥だし」
少年の声に、女性が頷いて木刀を納める。
助かった、と小さく呟いて、少年は翡翠の正面までやってくると手を差し出した。
彼女は差し出された手の意味がわからず、じっとその手を見ていると、少年は言った。
「ほら、行くぞ。お前まだどこに何があるかわかんねーだろ?」
その言葉は乱暴だったがどこか優しくて、おずおずと掴んだ手は暖かかった。