act5 <doublecross-wybarn -たった一つの、さえたやり方->
その光景を見た翡翠は、思わず目を疑った。
裏切り者とはいえ、人類勢力のうちで三指に入るとうたわれた剣の使い手。
それこそが彼女の兄であり、それを彼女は誇らしく思っていた時期もあった。
その彼が。
今、翡翠の目の前で。
……どう見ても、子供のおもちゃにされていた。
「なー、にーちゃんおんぶー」
「おにいちゃんおにいちゃん、これー。これがほしいー」
「ねぇおにぃ、清音と八重どっちが可愛いと思う?はっきりしてよっ!」
「お兄さん、竹とんぼが壊れてしまったんだがどうしたら直るのかね」
そう口々に言い放ち、座っている青年にわらわらと群れる子供たち。
彼らの中心に立って子供たちに遊ばれているのは、かつて「人類勢力のうちで三指に入るとうたわれた剣の使い手」。
「つかさ、見りゃわかるだろーが。今志保と清隆背負ってんだから無理だっての。
つばき、そんなんでよけりゃもってけ。今の俺には必要ないもんだし。
清音、八重がまたため息ついてるぞ。それと、どっちも美人になりそうな顔立ちしてると思うぜ。
右京之介、どこをどうしたら竹とんぼが繊維に逆らって真っ二つになるのかわからんがそこまで壊れたなら作り直した方が早い」
待ってろ、と言って、両手であまりそうな数の子供をあやしながら、月衣から一節の竹と小刀を取り出し、慣れた様子で割って削りだしていく。
あっという間に竹とんぼの形になった竹を、竹とんぼをねだったまだあどけない子供に手渡す。
竹とんぼを受け取った少年は、満面の笑顔を浮かべてさっそく竹とんぼを空へと飛ばす。
青い空に、白と緑が円を描きながら舞った。
そういえば、このところとんと空を見ていなかったな、とぼんやり翡翠は思った。
あの紅い空を見るのがイヤで、青い空を取り戻すために彼女は剣をとった。
だから、一月前のあの日は翡翠にとって願いの叶う日のはずだったのだ。
なぜ忘れていたのだろう、と少し疑問に思って、長い間紅い空を見ていたせいで慣れてしまっただけだろうな、と適当に結論づけた。
ぼうっと空を見ていた翡翠の前を、先ほどまで青年に絡んでいた子供たちが駆けていく。
あわてて見つからないように木の影に隠れる翡翠。
幸い、子供たちは気づくことなく走り抜けていった。
突如追い込まれた緊張を解きふぅ、と胸をなで下ろす。
その時だ。
「おい」
今度こそ心臓が止まるかと思った。
声をかけてきたのは、先ほどまで子供たちに囲まれていた青年だ。
それは恐怖によるものではない。殺気も敵意もこもっていない懐かしい声に、彼女は一瞬だが戦意全てをくじかれそうになった。
先ほどの光景が彼女の思い出をゆるがした結果だったのだが、渦巻く想いに囚われた翡翠はそんなことに気づきはしない。
彼女は大きく息を吐き出し、決意を新たにする。
それを待っていたかのように間をおいて、声は続く。
「ここじゃ、いつさっきのガキ共に見つかるかわからねーからな。何も知らないガキ共巻きこむのはそっちの本意でもないだろ?
ついてこい、こういう血なまぐさいことにちょうどいいとこ見つけてある。案内してやるよ」
その言葉とともに、相手は先に歩き出す。
声をかける隙も与えられず、あわてて追いかける。
それは、子供の頃からの彼女の定位置で……昔を少し思い出しかけて、それが表に出てくる前に無意識下で封じ込めた。
***
鋭い踏み込み。呼気を吐き出しながら、一閃。
彼女の鬼気迫る剣撃を、受け止め力任せに弾き返す。勢いに踏ん張りきれず一歩退った翡翠に、容赦なく袈裟懸けの一撃が放たれた。
翡翠はそれを受け流せる体勢ではなく、できたことといえば剣を盾代わりに差し出すことだけ。
それでも、それは彼女の命を救った。
苛烈な一撃は翡翠を剣ごと大きく吹き飛ばす。
間合いが離れ、どちらにとっても攻撃の当たらない位置。戦うのなら距離を詰めるのは必須。
けれど、無防備になった翡翠を刃が襲うことはなかった。
青年は翡翠を吹き飛ばしたその位置から一歩も動かず、魔剣を肩に担いで呆れたように呟いた。
「それで終わりか?」
その言葉が、翡翠の心を激しくかき乱す。
見たことのある光景が重なって、心が折れそうになる。
剣術の稽古が辛くて泣いてばかりいた自分の、手をとる手があった。
「だったら帰れ、お前じゃ俺には何回やっても勝てねぇよ」
迷子になった自分が、その背を見失わないように歩調を合わせていた足音があった。
「別にわざわざ俺を殺しに来なくたって、もう普通に生きていけるだろ」
幼馴染の少女と二人でいるところを見ると、時に泣きたくなるくらい切ない気分になる背中があった。
「世界はとっくに救われたんだ。後は嫁にいくなりなんなりして、普通に暮らせばいいだろ」
「―――だまれ」
いくつも湧き上がる幻視に、翡翠は激情でふたをしようとする。
彼が自分達を裏切ったのは事実。そして、その裏切り者を斬ると言い出したのは彼女自身だ。
だから、過去などは忘れて役目に専念せねばならない。そうして、激情をたぎらせる。
「お前は、自分がやったことで何が起きたかわかっているのか」
剣を握り、激情を迸らせて立ち上がる。
逆に言うのならそうしていなければその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
そのために、彼女はもう一度自身の心を確認する。
目の前の相手を家のために、死んだ仲間のために斬る。
亡くなった蒼き月の神子の仇をとるために、ここで殺す。
姉を失った幼馴染の少女の代わりに、そのあだ討ちを肩代わりする。
「いくつのものが失われたと思っている」
怒りに我を失った翡翠は気づけない。
彼女が剣を握ろうと思ったのは、空は青いほうがいい、なんて理由で剣をとった少年のためだったことも。
兄がいなくなった後彼女を襲ったのは、怒りではなく絶望と悲哀と虚無感だったことも。
青年がいなくなった後も笑っている幼馴染や義姉を見る度に、苛立ちがわくことも。
何人もの刺客が彼を倒せず、最後に自身が刺客として選ばれた時沸いた高揚感も。
「それを取り戻すことは不可能だ。だからお前は、私が斬るっ!」
怒りが、憎しみが、猛りが再び彼女を覆う。
翡翠の体から、多量のプラーナが吹き上がる。
突如現れた質量さえ持ちかねないほどのエネルギーに、びりびりと空気が震え、周囲の地面がめくれ上がる。
相手は、そんな彼女の激情を目の前にしてさえ平静に吐き捨てるように答えた。
「くるなら早くしてくれねぇか、そろそろ飽きてきた」
それが、翡翠のなかの何かをぶつりと絶ちきった。
渾身のプラーナを吹き上げながら、彼女は男に向かって腰溜めに剣を構えぶつかっていく。
彼女の突撃に呼応するように、相手は右からのなぎ払いで応じる。
激情のまま、翡翠は相手の名を叫ぶ。
「飛竜―――――――っ!」
二人の剣使いが交錯し。
―――分厚い紙の束を叩くような音と、何かが次々と砕けるような音が響いた。
***
翡翠のこれまでの経験と勘は告げていた。
相手―――飛竜の放った一撃は、彼女の突きよりも数段速く、翡翠の剣が届くより前に届く、と。
そして、翡翠にはそれを防ぐ術はなかった。
だから彼女はそこで倒れるはずだった。
なのに。
翡翠の剣は、深々と相手を突き貫いていた。
声が、出ない。
別に首筋まで数センチに迫った刃のせいではない。
この結果に、頭がついていっていないだけだ。
はぁ、と疲れたようなため息が耳元で響いた。
「……ったく、この一ヶ月長かったんだぞ。お前をずっと待ってんの」
どこか満足したような言葉に、え?とため息にも近い声が漏れた。
胸を貫かれ、肋骨をいくつも鋼の塊で砕かれてなお話す力があるというのは常識の外にあるウィザードゆえか。
それでも生物としての重要な部分を破壊された以上、彼に残された時間はもう、ない。
「あんなことしちまった以上、どうなるかぐらい俺にだって考えつく。
だったら、お前にやってもらうのが一番みんなが救われるし……なにより、お前にやられるんならまだ許せたしな」
これでもプライドの欠片みてーなもんはあるんだぜ、とどこか苦笑するような雰囲気。
それでようやく強ばっていたのどが動いた。
「なん、で」
けれど、頭が真っ白で言葉にならない。
心の奥でいくつも言葉が浮かぶのに、頭の中で焦点を結ばず言葉にならない。
その声が聞こえているのかいないのか、彼はゆっくりと剣をおろすと、長きに渡り共にあった相棒に語りかける。
「こんなとこまで付きあわせちまって悪かったな、次はもっといい使い手選べよ。
―――ありがとう、お前に何度も助けられた。最高の相棒だった」
背後の崖に向けて、彼は魔剣を放り投げる。
刃が太陽の光をちかちかとはねかえし、持ち主との契約が絶たれた赤い黄昏色の宝玉から光が消える。
しばらくしてぼちゃん、とはるか下の海面に重いものが沈み込む音が、むなしく響いた。
翡翠は、もう一度同じ言葉をくりかえす。
「なんで」
飛竜はなんとか、といった様子で右腕を持ち上げて翡翠を抱き寄せ、呟く。
「後味悪いことさせて悪かった。これでいいんだ、これで全部上手くいく。
ありがとう、な。ひすい」
それだけ言い終えると、彼の腕から力が抜ける。
触れていた手が離れることで、翡翠の心を押しつぶしてしまいそうなほど大きな恐怖が襲う。
いなくなる。
あの日からずっと、心のどこかにいつづけていた人が。
その声が耳に届くことはない。
その表情が変わることはない。
その背を目にすることはない。
もう二度と。
とん、と肩を押された。
翡翠は剣を持ったまま硬直していたため、剣が彼の体からずるりと嫌な音を立てて引き抜かれた。
体に空いた大穴から、栓を失った赤がごぷりと吐き出された。飛沫がぽつぽつと翡翠の体に降りかかる。
短い草の上に力なく横たわるその目に、何も浮かばぬ空が映る。
「あー……そらが、あおい」
それだけ、満足そうに笑って呟いて。
人類勢力で屈指の力を持つとされながら、裏切り者と呼ばれた男は永遠の眠りについた。
それが理解できたのか、頭の中で焦点を結ぶことのなかった言葉が、心が一つのことだけを強く叫んだために声になる。
「いや……いやぁ、にいさまぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
少女の声は、誰に届くこともなく―――青い青い空に、吸い込まれた。
その光景を見た翡翠は、思わず目を疑った。
裏切り者とはいえ、人類勢力のうちで三指に入るとうたわれた剣の使い手。
それこそが彼女の兄であり、それを彼女は誇らしく思っていた時期もあった。
その彼が。
今、翡翠の目の前で。
……どう見ても、子供のおもちゃにされていた。
「なー、にーちゃんおんぶー」
「おにいちゃんおにいちゃん、これー。これがほしいー」
「ねぇおにぃ、清音と八重どっちが可愛いと思う?はっきりしてよっ!」
「お兄さん、竹とんぼが壊れてしまったんだがどうしたら直るのかね」
そう口々に言い放ち、座っている青年にわらわらと群れる子供たち。
彼らの中心に立って子供たちに遊ばれているのは、かつて「人類勢力のうちで三指に入るとうたわれた剣の使い手」。
「つかさ、見りゃわかるだろーが。今志保と清隆背負ってんだから無理だっての。
つばき、そんなんでよけりゃもってけ。今の俺には必要ないもんだし。
清音、八重がまたため息ついてるぞ。それと、どっちも美人になりそうな顔立ちしてると思うぜ。
右京之介、どこをどうしたら竹とんぼが繊維に逆らって真っ二つになるのかわからんがそこまで壊れたなら作り直した方が早い」
待ってろ、と言って、両手であまりそうな数の子供をあやしながら、月衣から一節の竹と小刀を取り出し、慣れた様子で割って削りだしていく。
あっという間に竹とんぼの形になった竹を、竹とんぼをねだったまだあどけない子供に手渡す。
竹とんぼを受け取った少年は、満面の笑顔を浮かべてさっそく竹とんぼを空へと飛ばす。
青い空に、白と緑が円を描きながら舞った。
そういえば、このところとんと空を見ていなかったな、とぼんやり翡翠は思った。
あの紅い空を見るのがイヤで、青い空を取り戻すために彼女は剣をとった。
だから、一月前のあの日は翡翠にとって願いの叶う日のはずだったのだ。
なぜ忘れていたのだろう、と少し疑問に思って、長い間紅い空を見ていたせいで慣れてしまっただけだろうな、と適当に結論づけた。
ぼうっと空を見ていた翡翠の前を、先ほどまで青年に絡んでいた子供たちが駆けていく。
あわてて見つからないように木の影に隠れる翡翠。
幸い、子供たちは気づくことなく走り抜けていった。
突如追い込まれた緊張を解きふぅ、と胸をなで下ろす。
その時だ。
「おい」
今度こそ心臓が止まるかと思った。
声をかけてきたのは、先ほどまで子供たちに囲まれていた青年だ。
それは恐怖によるものではない。殺気も敵意もこもっていない懐かしい声に、彼女は一瞬だが戦意全てをくじかれそうになった。
先ほどの光景が彼女の思い出をゆるがした結果だったのだが、渦巻く想いに囚われた翡翠はそんなことに気づきはしない。
彼女は大きく息を吐き出し、決意を新たにする。
それを待っていたかのように間をおいて、声は続く。
「ここじゃ、いつさっきのガキ共に見つかるかわからねーからな。何も知らないガキ共巻きこむのはそっちの本意でもないだろ?
ついてこい、こういう血なまぐさいことにちょうどいいとこ見つけてある。案内してやるよ」
その言葉とともに、相手は先に歩き出す。
声をかける隙も与えられず、あわてて追いかける。
それは、子供の頃からの彼女の定位置で……昔を少し思い出しかけて、それが表に出てくる前に無意識下で封じ込めた。
***
鋭い踏み込み。呼気を吐き出しながら、一閃。
彼女の鬼気迫る剣撃を、受け止め力任せに弾き返す。勢いに踏ん張りきれず一歩退った翡翠に、容赦なく袈裟懸けの一撃が放たれた。
翡翠はそれを受け流せる体勢ではなく、できたことといえば剣を盾代わりに差し出すことだけ。
それでも、それは彼女の命を救った。
苛烈な一撃は翡翠を剣ごと大きく吹き飛ばす。
間合いが離れ、どちらにとっても攻撃の当たらない位置。戦うのなら距離を詰めるのは必須。
けれど、無防備になった翡翠を刃が襲うことはなかった。
青年は翡翠を吹き飛ばしたその位置から一歩も動かず、魔剣を肩に担いで呆れたように呟いた。
「それで終わりか?」
その言葉が、翡翠の心を激しくかき乱す。
見たことのある光景が重なって、心が折れそうになる。
剣術の稽古が辛くて泣いてばかりいた自分の、手をとる手があった。
「だったら帰れ、お前じゃ俺には何回やっても勝てねぇよ」
迷子になった自分が、その背を見失わないように歩調を合わせていた足音があった。
「別にわざわざ俺を殺しに来なくたって、もう普通に生きていけるだろ」
幼馴染の少女と二人でいるところを見ると、時に泣きたくなるくらい切ない気分になる背中があった。
「世界はとっくに救われたんだ。後は嫁にいくなりなんなりして、普通に暮らせばいいだろ」
「―――だまれ」
いくつも湧き上がる幻視に、翡翠は激情でふたをしようとする。
彼が自分達を裏切ったのは事実。そして、その裏切り者を斬ると言い出したのは彼女自身だ。
だから、過去などは忘れて役目に専念せねばならない。そうして、激情をたぎらせる。
「お前は、自分がやったことで何が起きたかわかっているのか」
剣を握り、激情を迸らせて立ち上がる。
逆に言うのならそうしていなければその場に崩れ落ちてしまいそうだった。
そのために、彼女はもう一度自身の心を確認する。
目の前の相手を家のために、死んだ仲間のために斬る。
亡くなった蒼き月の神子の仇をとるために、ここで殺す。
姉を失った幼馴染の少女の代わりに、そのあだ討ちを肩代わりする。
「いくつのものが失われたと思っている」
怒りに我を失った翡翠は気づけない。
彼女が剣を握ろうと思ったのは、空は青いほうがいい、なんて理由で剣をとった少年のためだったことも。
兄がいなくなった後彼女を襲ったのは、怒りではなく絶望と悲哀と虚無感だったことも。
青年がいなくなった後も笑っている幼馴染や義姉を見る度に、苛立ちがわくことも。
何人もの刺客が彼を倒せず、最後に自身が刺客として選ばれた時沸いた高揚感も。
「それを取り戻すことは不可能だ。だからお前は、私が斬るっ!」
怒りが、憎しみが、猛りが再び彼女を覆う。
翡翠の体から、多量のプラーナが吹き上がる。
突如現れた質量さえ持ちかねないほどのエネルギーに、びりびりと空気が震え、周囲の地面がめくれ上がる。
相手は、そんな彼女の激情を目の前にしてさえ平静に吐き捨てるように答えた。
「くるなら早くしてくれねぇか、そろそろ飽きてきた」
それが、翡翠のなかの何かをぶつりと絶ちきった。
渾身のプラーナを吹き上げながら、彼女は男に向かって腰溜めに剣を構えぶつかっていく。
彼女の突撃に呼応するように、相手は右からのなぎ払いで応じる。
激情のまま、翡翠は相手の名を叫ぶ。
「飛竜―――――――っ!」
二人の剣使いが交錯し。
―――分厚い紙の束を叩くような音と、何かが次々と砕けるような音が響いた。
***
翡翠のこれまでの経験と勘は告げていた。
相手―――飛竜の放った一撃は、彼女の突きよりも数段速く、翡翠の剣が届くより前に届く、と。
そして、翡翠にはそれを防ぐ術はなかった。
だから彼女はそこで倒れるはずだった。
なのに。
翡翠の剣は、深々と相手を突き貫いていた。
声が、出ない。
別に首筋まで数センチに迫った刃のせいではない。
この結果に、頭がついていっていないだけだ。
はぁ、と疲れたようなため息が耳元で響いた。
「……ったく、この一ヶ月長かったんだぞ。お前をずっと待ってんの」
どこか満足したような言葉に、え?とため息にも近い声が漏れた。
胸を貫かれ、肋骨をいくつも鋼の塊で砕かれてなお話す力があるというのは常識の外にあるウィザードゆえか。
それでも生物としての重要な部分を破壊された以上、彼に残された時間はもう、ない。
「あんなことしちまった以上、どうなるかぐらい俺にだって考えつく。
だったら、お前にやってもらうのが一番みんなが救われるし……なにより、お前にやられるんならまだ許せたしな」
これでもプライドの欠片みてーなもんはあるんだぜ、とどこか苦笑するような雰囲気。
それでようやく強ばっていたのどが動いた。
「なん、で」
けれど、頭が真っ白で言葉にならない。
心の奥でいくつも言葉が浮かぶのに、頭の中で焦点を結ばず言葉にならない。
その声が聞こえているのかいないのか、彼はゆっくりと剣をおろすと、長きに渡り共にあった相棒に語りかける。
「こんなとこまで付きあわせちまって悪かったな、次はもっといい使い手選べよ。
―――ありがとう、お前に何度も助けられた。最高の相棒だった」
背後の崖に向けて、彼は魔剣を放り投げる。
刃が太陽の光をちかちかとはねかえし、持ち主との契約が絶たれた赤い黄昏色の宝玉から光が消える。
しばらくしてぼちゃん、とはるか下の海面に重いものが沈み込む音が、むなしく響いた。
翡翠は、もう一度同じ言葉をくりかえす。
「なんで」
飛竜はなんとか、といった様子で右腕を持ち上げて翡翠を抱き寄せ、呟く。
「後味悪いことさせて悪かった。これでいいんだ、これで全部上手くいく。
ありがとう、な。ひすい」
それだけ言い終えると、彼の腕から力が抜ける。
触れていた手が離れることで、翡翠の心を押しつぶしてしまいそうなほど大きな恐怖が襲う。
いなくなる。
あの日からずっと、心のどこかにいつづけていた人が。
その声が耳に届くことはない。
その表情が変わることはない。
その背を目にすることはない。
もう二度と。
とん、と肩を押された。
翡翠は剣を持ったまま硬直していたため、剣が彼の体からずるりと嫌な音を立てて引き抜かれた。
体に空いた大穴から、栓を失った赤がごぷりと吐き出された。飛沫がぽつぽつと翡翠の体に降りかかる。
短い草の上に力なく横たわるその目に、何も浮かばぬ空が映る。
「あー……そらが、あおい」
それだけ、満足そうに笑って呟いて。
人類勢力で屈指の力を持つとされながら、裏切り者と呼ばれた男は永遠の眠りについた。
それが理解できたのか、頭の中で焦点を結ぶことのなかった言葉が、心が一つのことだけを強く叫んだために声になる。
「いや……いやぁ、にいさまぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
少女の声は、誰に届くこともなく―――青い青い空に、吸い込まれた。