卓上ゲーム板作品スレ 保管庫

第01話

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Eの記憶



 頬を打つ冷たい雨で目覚める。
 目を開けば、深い森の木々が切り取った灰色に濁った小さな空。
 見知らぬ土地で敵と遭遇し、撤退の転移と相手の攻撃が同時に重なった結果、制御を離れた力に放り出され、現在地も分からぬまま倒れていた始末だ。
 自身の損傷を確認するまでも無く、激しい痛みで再び意識に霞がかかる。
 かすれゆく認識の中で、雨音に交じって濡れた木の葉を踏む足音が聞こえた。
 所詮、敵に捕捉されるか、損傷で死が追いつくのかの違い。
 無感動に考えながら、それは自らの意識を手放した。




 侵魔と呼ばれる存在がある。
 超至高神に反逆した古代神とその眷属の流刑地、裏界に住まう者たちの総称だ。
 上は魔王から実力に応じた爵位階級があり、最下層は名も持たぬ侵魔である。
 今から語る侵魔も、かつては古代神に創り出された存在ではあったが、名前が無かった。
 存在自身でもさしたる思い入れを持たなかったが、初めて赴いた人間界で“エミュレイター”と呼ばれ、名前という法則を知った。
 以降、それはエミュレイターの頭文字を取り“E”と名乗っている。
 あくまでも便宜上の手段として。
 これはEの心の底に埋もれた、遥か遠い記憶の断片――――そんな物語である。




 沈んでいた意識が浅瀬に浮かび上がる。
 今度の目覚めは冷たい雨の感触でなく、薪が炎に爆ぜる音。
 揺らめく炎の照り返しを受ける、質素な藁ぶきの天井が目に入ってきた。
 家屋というよりも家畜小屋に近い、雨露をしのぐだけの薄汚れた建物の中で、Eの身体には申し訳の程度に布団代わりのムシロが掛けられている。
 記憶の混乱を避けるよう、自身の前後を思い出して整理する。
 人間界のとある国で侵魔とウィザードの緊張感が高まる最中、下位の侵魔の悲しさで大局を知ることなく、Eは物見遊山の気分でこの地を訪れていた。
 魔王級の侵魔が広域の月匣を展開する地で、安心し切っていた油断。
 一時的に占拠したとはいえ、ここは人と魔の戦いが確定した先端なのだ。
 運悪くウィザードの一団と遭遇し、命からがら逃走を試みるも重傷を負った次第である。
 一つ一つ自分の行動を思い返し、Eは当然の疑問に思い至った。
 ここは何処なのだろう?
 身を起こそうとして走った激痛に硬直し、倒れ込んでまた新たな痛みに悶絶をする。
 その騒動を聞きつけたのか、扉すらない家屋の入り口に人の気配が生じた。
 痛みに耐えながら半身を起こす。
 粗末な小屋の入り口に、小さな少女が壁に手を着いて佇んでいた。
 ぼろ布に等しい酷く汚れた粗末な衣服をまとい、腰まで長い黒髪は余り手入れをしたことがない無造作さが見て取れる。
 明らかに貧困に喘ぐ下層の存在で、容姿は平凡なありふれたもの。
 疲労めいた影の雰囲気を持つ中、伸びた前髪から覗く、Eの身を案じる優しい瞳が印象的だ。
 少女は片足を引きずりながらEに近づいてくる。
 それは片足に怪我や障害を抱えた不自由なものだが、歩みからは長年の付き合いが伺えた。
 Eと一定の距離を置いた場所で、少女は腰を下ろして正座する。

「……キミがボクを助けてくれたのかな?」

 Eの問いかけに、少女は口を引き結んだまま首を縦に振った。
 口を利いてくれないとは、やはり警戒されているのだろうか?
 簡単な質問を何度か投げかけるが、少女は黙して首を縦や左右に振るばかりだ。
 ふと思い当たり、Eは問いかける。

「もしかして、キミは口が利けないのかい?」

 申し訳なさそうに、ゆっくりと首が縦に振られた。
 鈍い自身に苦笑しながら、Eが少女に近づこうとすると、彼女は狼狽して後ずさった。
 気にはなっていたが、どうも少女の様子が変だ。
 彼女に瞳を合わせて思念を探り、真意を知ってEは噴出しそうになるのを抑える。
 少女はEを神に類する美しきものとして畏まっていたのだ。

 こちらの世界でのEの姿は、背中まで流れる金色の長い髪に白い肌、青い瞳の麗人である。
 時代に合わせてまとった貫頭衣が、その美貌には巫女さながらに似合っていた。
 下位の侵魔は実体を持たない不定形な精神体であり、人間界の物質や生物に取り憑くことで怪物として具現化する。
 Eは古代神に創られた古き存在ゆえ、長い年月の末に自身を具現化するに至っている。
 もっともEの戦闘能力は低く、後衛向きである為に便利性から人型を取っていた。
 裏界ゆえに身近には人型のモデルが居らず、Eは魔王たちの姿を参考にしたのだが、それは人間界の基準では高い美貌に当たる。
 もちろん、美とは表向きの形だけでなく、気品や内に宿す魂があって完成するのだが、ただの人間から見れば十分な資質であろう。

 茶目っ気を出して、Eは思念を通じて彼女の心に告げた。
<……助けてくれてどうもありがとう>
 途端、驚愕して少女が髪と同色の黒い目を見開き、“やはり、神さまだった!”と感嘆の思念を伝える。
 戦闘能力が低く後方向きであるがゆえに、Eはこうした能力を持っている。
 声無き者の思念を聞くなど簡単な部類だ。
 試したことはないが、その気になればヒト以外の生物とも意思疎通が出来るかもしれない。

<残念ながら、神さまではないけどね。まぁ、その使いみたいな下の者だ>

 かつての古代神が上位なのだから、ある意味で嘘はついていまい。
 実際、Eはクラス的には「使徒」と呼ばれる存在である。
 しかし少女には、神とそのしもべは同義語であったらしい。
 畏怖と尊敬の眼差しで、少女の思念が届く。

“天女さまは、三日間も眠られていたのです。あの、お腹は空いていませんか?”

 Eにとっては、人間の食事は余り意味を成さない。 
 だが、少女に言われて侵魔としての飢えが呼び起こされた。
 世界に存在をなす力――プラーナである。
 傷を負った身の回復には、何よりも美味な食事だ。

<キミのプラーナを分けて欲しい>
“……ぷらーな?”
<存在の力とでも呼べばよいかな。キミが生きている輝きとか、生命力みたいなものだ>
“生き血のことでしょうか?”
<いや、そういった痛い類じゃないんだ。ちょっと疲れるかもしれないけど……>

 手を伸ばそうとすると、彼女の思念から躊躇するのが分かった。
<やはりボクが怖いかい?>
 慌てて少女が頭を振る。

“わたしは……汚れていますから……”

 少女が長い前髪をかき上げ、片足を横に崩した。
 片足のかかとにある腱を切られた白く古い傷痕。
 額に付けられた、所有者の示す一つの文字の焼印。
 Eの持つ人間界の知識が告げる。
 少女は、奴隷と呼ばれる立場なのだ。
 粗末な住居や彼女の態度に納得すると同時に、Eは少女へと優しく笑いかけた。

<大丈夫。プラーナは汚れることの無い力だし、キミのはとても綺麗だよ>
“…………っ!”

 Eの言葉で真っ赤になる少女が可愛らしい。
 距離を詰め、手を伸ばして優しく少女の頭を抱えると、額の焼印に唇をつけた。
 身を硬くする少女を微笑ましく思いながら、ゆっくりと微量のプラーナを吸い上げる。
 手っ取り早く回復を願いたい所ではあるが、少女の存在を危うくするほど吸い上げて騒ぎを起こせば、ウィザードたちに気づかれてしまう。
 だから時間をかけて、ゆっくりと少しずつ回復をしなければならない。

<……今日はこのくらいで。ありがとう、出来れば、また明日も頼むよ>

 身体を離して、安心させるように少女の肩をぽんと叩く。
 顔を赤く上気させたまま、こくりと少女が頷いた。

<そういえば、名乗るのがまだだったね。ボクの名は(いー)。キミの名は?>
“……つぐみ……と呼ばれています”
<つぐみ――か。ふぅん、可愛らしい良い名前だね>

 名前に感じた皮肉さを隠し、Eがつぐみに微笑みかける。
 つぐみとは日本で冬を越す渡り鳥のことである。
 越冬中はほとんど鳴くことがなく、春の渡り直前のわずかな時期にのみ鳴く生態から「口をつぐむ」の意味で名づけられている。
 口の利けない少女を揶揄して、奴隷の主が名づけたに違いない。

 現代から千年と数百年を遡った時代。
 こうして一体の侵魔は、一人の少女と出会う。
 これが悲劇の始まりであることを、この時二人は知るよしも無かった。

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