【月下の悪夢】
「―――私を、殺してください」
一言、告げられた友の願いに―――飛竜は、ただ絶句した。
一言、告げられた友の願いに―――飛竜は、ただ絶句した。
いつも四人で集まる森の中。だが、今回はいつもと違う点が二つ。
今まで昼から夕にかけてまでしかいたことのない森に、宵も過ぎた時刻に来たということ。
そして、何より―――今この場にいるのは、笹と飛竜、二人だけだということ。
「―――んで、どうしたんだ、笹。俺に用って何だ?」
何でもないように軽く問いながらも、飛竜は内心只事ではない、と構えていた。
―――わざわざ、楓の社を出て、時雨を置いてきた―――
それはおそらく、楓に聞かせられない―――楓本人に絡む問題で、
時雨に聞かせられない―――聞かせれば、反対するのが目に見えている話。
「………やっぱり、飛竜さんは、私の隠していることを簡単に見抜いてしまわれるのですね」
飛竜が大体の事情を察していると気づいたらしい笹の言葉に、飛竜は表情を取り繕うのをやめた。
「―――楓に何かあったのか」
一転して、我ながら険しいと思う声が口をついて出る。
その様子に、笹は悲しそうに―――哀しそうに、それでいて、どこか安堵したようにも見える表情で、微笑んだ。
「………大丈夫です、楓さんは。私が、守ります」
―――守る。
その言葉は、裏を返せば、今まさに楓に危機が迫っているということではないのか。
「楓が、どうかしたのか!?」
思わず叫んだ声音は、そうとはっきりわかるほど焦燥に満ちていた。
笹は微笑を消すと、一度俯き、次いで天を仰ぐ。飛竜がその視線を追えば、見えるのは紅と碧、二つの月。昼に見たときより、微かに―――しかし確かに、互いの距離を狭めている。
「―――このままあの月が重なれば、楓さんは消えます」
告げられた言葉に、飛竜は弾かれたように笹を振り返った。
「………き、える………?」
呆然と、告げられた言葉を繰り返す。意味がわからない。死ぬでも、殺されるでもなく―――消える、とは。
「―――強化された世界結界に、存在そのものが抹消されかけているんです」
耳から入ったその言葉が、脳まで届くまで―――酷く、時間がかかった。
「………うそだろう?」
届いた瞬間、零れたのは―――そんな間の抜けた声だった。
嘘でも出鱈目でも、根拠のない妄言でもない。それはわかっている。わかりきっている。笹は、こんな縁起でもないことを軽々しく口に出来る娘ではないのだから。
彼女が言うのだから―――それは、真実なのだ。
そう、悟った瞬間、
「―――なん、で………なんで楓が!」
思わず叫ぶ。―――何故、自分の幼馴染が世界から存在を否定される。
「―――楓さんだけでは、ありません」
静かに返された言葉に、冷水を頭からかけられた気がした。
「………どう、いう………?」
「この里の人間―――いえ、世界中にいる、常の世から外れた力を持つ者全てが、世界から存在を否定されつつあるんです」
その言葉で、ようやく、飛竜は事態を理解した。
―――世界結界から見れば、侵魔も俺達も同じ“異物”なのか。
「世界結界は、常の世からかけ離れた存在―――つまり、より強い異能の力を持つ者ほど弾こうとします。
この里で、最も強い力を持つ人間は私でしょう。ですが、私は今、世界結界を強化する要として、世界に存在を許容されています。―――“紅き月の巫女”も」
笹と“紅き月の巫女”、この二人を除いて、この里で最も強い力をうちに宿すもの。
「―――だから、楓が………?」
―――一番最初に、消えるのか?
問う声は、我ながらはっきりとわかるほど震えていた。
―――目の前に、手の届くところにいるのに、為す術もなく、ただ彼女が消えるのを見ているしかない。
それは、飛竜にとって、この上もない恐怖だった。
“蝿の女王”に殺されそうになった時にも、こんな恐怖は覚えなかった。
無論、飛竜にとっても死は恐ろしいものだ。厭わしいものだ。でも、それは、
今まで昼から夕にかけてまでしかいたことのない森に、宵も過ぎた時刻に来たということ。
そして、何より―――今この場にいるのは、笹と飛竜、二人だけだということ。
「―――んで、どうしたんだ、笹。俺に用って何だ?」
何でもないように軽く問いながらも、飛竜は内心只事ではない、と構えていた。
―――わざわざ、楓の社を出て、時雨を置いてきた―――
それはおそらく、楓に聞かせられない―――楓本人に絡む問題で、
時雨に聞かせられない―――聞かせれば、反対するのが目に見えている話。
「………やっぱり、飛竜さんは、私の隠していることを簡単に見抜いてしまわれるのですね」
飛竜が大体の事情を察していると気づいたらしい笹の言葉に、飛竜は表情を取り繕うのをやめた。
「―――楓に何かあったのか」
一転して、我ながら険しいと思う声が口をついて出る。
その様子に、笹は悲しそうに―――哀しそうに、それでいて、どこか安堵したようにも見える表情で、微笑んだ。
「………大丈夫です、楓さんは。私が、守ります」
―――守る。
その言葉は、裏を返せば、今まさに楓に危機が迫っているということではないのか。
「楓が、どうかしたのか!?」
思わず叫んだ声音は、そうとはっきりわかるほど焦燥に満ちていた。
笹は微笑を消すと、一度俯き、次いで天を仰ぐ。飛竜がその視線を追えば、見えるのは紅と碧、二つの月。昼に見たときより、微かに―――しかし確かに、互いの距離を狭めている。
「―――このままあの月が重なれば、楓さんは消えます」
告げられた言葉に、飛竜は弾かれたように笹を振り返った。
「………き、える………?」
呆然と、告げられた言葉を繰り返す。意味がわからない。死ぬでも、殺されるでもなく―――消える、とは。
「―――強化された世界結界に、存在そのものが抹消されかけているんです」
耳から入ったその言葉が、脳まで届くまで―――酷く、時間がかかった。
「………うそだろう?」
届いた瞬間、零れたのは―――そんな間の抜けた声だった。
嘘でも出鱈目でも、根拠のない妄言でもない。それはわかっている。わかりきっている。笹は、こんな縁起でもないことを軽々しく口に出来る娘ではないのだから。
彼女が言うのだから―――それは、真実なのだ。
そう、悟った瞬間、
「―――なん、で………なんで楓が!」
思わず叫ぶ。―――何故、自分の幼馴染が世界から存在を否定される。
「―――楓さんだけでは、ありません」
静かに返された言葉に、冷水を頭からかけられた気がした。
「………どう、いう………?」
「この里の人間―――いえ、世界中にいる、常の世から外れた力を持つ者全てが、世界から存在を否定されつつあるんです」
その言葉で、ようやく、飛竜は事態を理解した。
―――世界結界から見れば、侵魔も俺達も同じ“異物”なのか。
「世界結界は、常の世からかけ離れた存在―――つまり、より強い異能の力を持つ者ほど弾こうとします。
この里で、最も強い力を持つ人間は私でしょう。ですが、私は今、世界結界を強化する要として、世界に存在を許容されています。―――“紅き月の巫女”も」
笹と“紅き月の巫女”、この二人を除いて、この里で最も強い力をうちに宿すもの。
「―――だから、楓が………?」
―――一番最初に、消えるのか?
問う声は、我ながらはっきりとわかるほど震えていた。
―――目の前に、手の届くところにいるのに、為す術もなく、ただ彼女が消えるのを見ているしかない。
それは、飛竜にとって、この上もない恐怖だった。
“蝿の女王”に殺されそうになった時にも、こんな恐怖は覚えなかった。
無論、飛竜にとっても死は恐ろしいものだ。厭わしいものだ。でも、それは、
―――俺が死んだら、楓はどうなる?
根底にあるのは、いつでもその思い。だから、飛竜はどんな戦場からも、生きて帰ってきた。里で祀り上げられて、一人孤独に戦い続ける幼馴染のために―――そのためだけに。
けれど、あの時は、“蝿の女王”に殺されそうになった、あの時は、
けれど、あの時は、“蝿の女王”に殺されそうになった、あの時は、
―――俺が死んでも、時雨と笹がいてくれる。楓を守ってくれる。
ここで自分が死んでも、彼女は大丈夫。そう思えば、己の死など何でもなかった。
―――なのに!
その彼女が、消えてしまう。自分には何も出来ない。あの二つの月が重なれば、楓は―――
そこまで思って、はたと気づく。
「―――なら、術を中断すれば―――!」
勢い込んで叫んだ。しかし、笹は力なく頭を振る。
「私も、気づいてすぐそうしようとしました。ですが………術者に止める意思がない」
「………“紅き月の巫女”か?」
笹が術者なら、既に術は中断されているはずだ。ならばもう一人の巫女が、そう思っての飛竜の言葉に、笹はもう一度頭を振った。
「私も、彼女も、ただ術の要として使われているものでしかありません。実際に、術を施しているのは―――“金色の巫女”です」
“金色の巫女”―――初めて聞くその呼称。しかし、それが誰なのか、何故か飛竜にはすぐわかった。
―――焼け落ちた村で会った、あの金髪の女。
己の命の恩人なのに、どこか背を冷やすような感覚を齎した、あの女。
「止める意思がないって、何で。自分も消えちまうのに」
飛竜は思わず問う。笹の話なら、異能の才を持つ者は全て消えてしまう。それは、術者であるあの女も例外ではないはず。
「彼女は消えません。彼女だけが、全ての異能と魔性が消えたこの世界で唯一存在できる“異物”。
―――唯一の君臨者となり、この世界を掌握する。おそらく、それが彼女の目的なのです」
笹の堅い声に、飛竜は悟る。あの時、己が覚えた怖気の正体―――あの女の正体に。
「―――なら、術を中断すれば―――!」
勢い込んで叫んだ。しかし、笹は力なく頭を振る。
「私も、気づいてすぐそうしようとしました。ですが………術者に止める意思がない」
「………“紅き月の巫女”か?」
笹が術者なら、既に術は中断されているはずだ。ならばもう一人の巫女が、そう思っての飛竜の言葉に、笹はもう一度頭を振った。
「私も、彼女も、ただ術の要として使われているものでしかありません。実際に、術を施しているのは―――“金色の巫女”です」
“金色の巫女”―――初めて聞くその呼称。しかし、それが誰なのか、何故か飛竜にはすぐわかった。
―――焼け落ちた村で会った、あの金髪の女。
己の命の恩人なのに、どこか背を冷やすような感覚を齎した、あの女。
「止める意思がないって、何で。自分も消えちまうのに」
飛竜は思わず問う。笹の話なら、異能の才を持つ者は全て消えてしまう。それは、術者であるあの女も例外ではないはず。
「彼女は消えません。彼女だけが、全ての異能と魔性が消えたこの世界で唯一存在できる“異物”。
―――唯一の君臨者となり、この世界を掌握する。おそらく、それが彼女の目的なのです」
笹の堅い声に、飛竜は悟る。あの時、己が覚えた怖気の正体―――あの女の正体に。
―――金の髪、銀の瞳。“蝿の女王”を退かせるほどの力を持つ者。
そんな存在は、ただ一つしかない。
「“金色の魔王”―――ルー=サイファー………」
呆然と呟いた言葉に、笹は堅い仕草で頷いた。
「術者への説得は不可能です。―――そして、もし術者を倒せたとしても、術が止まる保証がない」
術者を倒しても―――術は動き続けるかもしれない。
「―――そんな………」
飛竜は呆然と呻く。―――それでは本当に、打つ手がないのか。
「術者への説得は不可能です。―――そして、もし術者を倒せたとしても、術が止まる保証がない」
術者を倒しても―――術は動き続けるかもしれない。
「―――そんな………」
飛竜は呆然と呻く。―――それでは本当に、打つ手がないのか。
―――あいつが消えるのを、見ているしかないのか。
足元が揺らいで、思わず手近な木に手をついて身を支え―――
「―――ただ、一つだけ。確実な方法があります」
聞こえた言葉に、弾かれたように笹を見た。
「―――何だ!? どんな方法なんだ!?」
勢い込んで問う。相手が笹でなかったら、きっと掴みかかっていたほどの勢いで。
と、笹は仄かに笑う。その微笑の意味がわからず面食らう飛竜に、笹は問う。
「―――そのために、飛竜さんにお願いがあるんです。とても無茶なお願いです」
「何でも言え! 何でもやってやる!」
迷うことなく、即答する。―――例え、己の命を賭すような無理難題だとしても、必ず成し遂げてみせる。その決意を込めて。
その言葉に、笹は、嬉しそうに―――本当に、嬉しそうに笑って、言った。
「―――ただ、一つだけ。確実な方法があります」
聞こえた言葉に、弾かれたように笹を見た。
「―――何だ!? どんな方法なんだ!?」
勢い込んで問う。相手が笹でなかったら、きっと掴みかかっていたほどの勢いで。
と、笹は仄かに笑う。その微笑の意味がわからず面食らう飛竜に、笹は問う。
「―――そのために、飛竜さんにお願いがあるんです。とても無茶なお願いです」
「何でも言え! 何でもやってやる!」
迷うことなく、即答する。―――例え、己の命を賭すような無理難題だとしても、必ず成し遂げてみせる。その決意を込めて。
その言葉に、笹は、嬉しそうに―――本当に、嬉しそうに笑って、言った。
「では―――――私を、殺してください」
告げられたその言葉に、飛竜はただ、凍りつく。
「―――なに………なに、言ってんだよ………笹」
長く―――永く感じられた沈黙の後、ようやっと、喉から絞り出せた声は、そんな言葉にしかならなかった。
「それしか、確実な方法がないのです」
穏やかな―――穏やか過ぎる声で、笹は言う。
「“金色の魔王”は言いました。『あの月はお前と今一人の巫女の頭上にたゆたい続ける』、と」
言って、天に浮かぶ紅と碧の双月を見上げる。
「あの“碧き月”―――あれを生み出すために、“金色の魔王”は私の元にやってきた。―――あの月は、この術の要」
そうして、飛竜に向き直る。その表情は、あまりに穏やかで―――
その穏やかさは、もはや全ての覚悟を定めたものだと、飛竜にも知れた。
「あの“碧き月”は、私の存在に依存しています。それは、“金色の魔王”が私を殺さなかったことにも明らかです」
事の真相に、“金色の巫女”の正体に気づいた笹。それは、計画にとって障害になる。だが、その障害を“金色の魔王”は放置した。
―――笹自身が術の要だから、手が出せなかった―――
手を出せば―――笹が死ねば、術そのものが破綻してしまうから。
その答えに行き着いて、飛竜は凍りつく。
「―――私は、自らに死を与えられない。自ら死を選ぶことを許されない」
言って、笹は自嘲するように笑む。
「私を殺せるのは、私と同等以上の力を持つ神魔だけ。そういう因果律に、私は縛られています」
「―――じゃあ、」
俺に頼んだって―――そう言い掛けた飛竜を笹は遮る。
「私は、私の因果律を自ら崩すことは出来ない。でも、他者に―――あなたに、その因果律を崩す力を授けることは出来ます」
言って、笹は懐から取り出した書簡を一通、飛竜に差し出した。
「楓さんの所で、あなたを待つ間にしたためたものです。―――私の死後、あなたの無実を証明するものです」
飛竜の無実―――事の真相を記した手紙。
それを受け取ることは、笹の死を受け入れることだ。飛竜はそれから目を逸らすように叫ぶ。
「―――そんなものを遺すつもりなら、何故今みんなにその事実を伝えない!
みんなで考えれば、もっといい方法が―――」
「今、この真実を里に広めれば、私に仕える者達と、“紅き月の巫女”に仕える者達の間で、争いが起きます」
言われて、飛竜は言葉を失った。
―――術の要は、二つの月。その月を存在させているのは二人の“御子”。
つまり、それは―――笹と“紅き月の巫女”、いずれかの死が、術を止める術 となる、ということ。
そんなことを告げられれば、確かに己の仕える主を死なせまいと、両陣営の間で争いが起こる。
そのことを悟り、震える声で、飛竜は呟く。
「―――だから………時雨に、この話を聞かせなかったんだな………」
あの男に―――己の主のためならどんなことでもするだろうあの男にこんなこと聞かせれば、あの男はその足で“紅き月の巫女”を殺しに行くだろう。
「………だから、皆に真実を報せるのは、全てが終わった後でなければならないのです。
この一件が終わった後も、侵魔の脅威が消えるわけではないのですから」
この里の戦力を、徒 らに削ぐわけには行かない、そう笹は告げた。
―――己の死をもって、被害を最小限に食い止める。
彼女は、そう言っているのだ。
「―――なんで………」
震える声が、飛竜の喉から漏れた。
「なんでお前なんだよ! ―――なんでっ………なんで俺なんだよッ!」
叫んで、身を支えていた木立に拳を叩きつける。
―――何故、大事な友である娘を、自分が。
身勝手な慟哭だと知って、なお叫ばずにはいられない。
拳を叩きつけた姿勢のまま、動こうとしない飛竜に、笹は告げる。
「―――なに………なに、言ってんだよ………笹」
長く―――永く感じられた沈黙の後、ようやっと、喉から絞り出せた声は、そんな言葉にしかならなかった。
「それしか、確実な方法がないのです」
穏やかな―――穏やか過ぎる声で、笹は言う。
「“金色の魔王”は言いました。『あの月はお前と今一人の巫女の頭上にたゆたい続ける』、と」
言って、天に浮かぶ紅と碧の双月を見上げる。
「あの“碧き月”―――あれを生み出すために、“金色の魔王”は私の元にやってきた。―――あの月は、この術の要」
そうして、飛竜に向き直る。その表情は、あまりに穏やかで―――
その穏やかさは、もはや全ての覚悟を定めたものだと、飛竜にも知れた。
「あの“碧き月”は、私の存在に依存しています。それは、“金色の魔王”が私を殺さなかったことにも明らかです」
事の真相に、“金色の巫女”の正体に気づいた笹。それは、計画にとって障害になる。だが、その障害を“金色の魔王”は放置した。
―――笹自身が術の要だから、手が出せなかった―――
手を出せば―――笹が死ねば、術そのものが破綻してしまうから。
その答えに行き着いて、飛竜は凍りつく。
「―――私は、自らに死を与えられない。自ら死を選ぶことを許されない」
言って、笹は自嘲するように笑む。
「私を殺せるのは、私と同等以上の力を持つ神魔だけ。そういう因果律に、私は縛られています」
「―――じゃあ、」
俺に頼んだって―――そう言い掛けた飛竜を笹は遮る。
「私は、私の因果律を自ら崩すことは出来ない。でも、他者に―――あなたに、その因果律を崩す力を授けることは出来ます」
言って、笹は懐から取り出した書簡を一通、飛竜に差し出した。
「楓さんの所で、あなたを待つ間にしたためたものです。―――私の死後、あなたの無実を証明するものです」
飛竜の無実―――事の真相を記した手紙。
それを受け取ることは、笹の死を受け入れることだ。飛竜はそれから目を逸らすように叫ぶ。
「―――そんなものを遺すつもりなら、何故今みんなにその事実を伝えない!
みんなで考えれば、もっといい方法が―――」
「今、この真実を里に広めれば、私に仕える者達と、“紅き月の巫女”に仕える者達の間で、争いが起きます」
言われて、飛竜は言葉を失った。
―――術の要は、二つの月。その月を存在させているのは二人の“御子”。
つまり、それは―――笹と“紅き月の巫女”、いずれかの死が、術を止める
そんなことを告げられれば、確かに己の仕える主を死なせまいと、両陣営の間で争いが起こる。
そのことを悟り、震える声で、飛竜は呟く。
「―――だから………時雨に、この話を聞かせなかったんだな………」
あの男に―――己の主のためならどんなことでもするだろうあの男にこんなこと聞かせれば、あの男はその足で“紅き月の巫女”を殺しに行くだろう。
「………だから、皆に真実を報せるのは、全てが終わった後でなければならないのです。
この一件が終わった後も、侵魔の脅威が消えるわけではないのですから」
この里の戦力を、
―――己の死をもって、被害を最小限に食い止める。
彼女は、そう言っているのだ。
「―――なんで………」
震える声が、飛竜の喉から漏れた。
「なんでお前なんだよ! ―――なんでっ………なんで俺なんだよッ!」
叫んで、身を支えていた木立に拳を叩きつける。
―――何故、大事な友である娘を、自分が。
身勝手な慟哭だと知って、なお叫ばずにはいられない。
拳を叩きつけた姿勢のまま、動こうとしない飛竜に、笹は告げる。
「―――これは、私のわがままです」
笹は、苦しそうに、それでいてどこか嬉しそうに、笑む。
「最初で、最後の―――最期のわがまま」
両の手を胸に当て、そこにある何かを抱きしめるように。
「最初で、最後の―――最期のわがまま」
両の手を胸に当て、そこにある何かを抱きしめるように。
「―――私を“人”にしてくれたあなたの手で、“人”として死にたい」
笹のその言葉に、飛竜は木の幹を掻くようにしてその場に崩れ落ちる。
「―――ずりぃよっ………笹………っ!」
そのまま、子供のように、滂沱の涙を流す。―――かつて、彼と彼女が出逢った時に、彼の幼馴染がここでそうしたように。
「そんな………風に、言われたら………」
涙に濡れたその顔を上げ、飛竜は大切な友を見上げる。
「―――ずりぃよっ………笹………っ!」
そのまま、子供のように、滂沱の涙を流す。―――かつて、彼と彼女が出逢った時に、彼の幼馴染がここでそうしたように。
「そんな………風に、言われたら………」
涙に濡れたその顔を上げ、飛竜は大切な友を見上げる。
「―――友達のわがまま、聞いてやらないわけには………いかないじゃないかっ………!」
そう告げた時、その大切な友は、今まで見せたどんな笑みよりも、
―――綺麗に―――哀しいほど綺麗に、笑った。
「―――そろそろ、失礼させていただきます」
「え?」
言って立ち上がった時雨に、楓は面食らった。
“星の巫女”の社、その応接間。そこで時雨は楓と共に己の主の帰りを待っていた。
その待ち人である主の帰館も待たず、席を立った時雨に楓は目をしばたいた。
「笹ちゃん、まだ帰ってきてないよ?」
使用人は皆下げてあるので、素のままの口調で楓は言う。
「そろそろお話も終わった頃でしょう。お迎えに行って、そのまま失礼させていただきます」
「あ、なるほど。こっちに寄ったんじゃ遠回りになっちゃうもんね」
時雨の言葉に、楓は納得して頷いた。
笹と飛竜がいるはずの森は、楓の社と笹の社のちょうど中間に位置する。時雨が迎えにいって直接帰った方が確かに早い。
もう二人が出て行って三刻(約一時間半)ほどの時が過ぎている。いい加減話も終わったはずだ。
入れ違う可能性がないでもないが―――時雨が己の主の気配を読み違えるとも思えない。
「じゃ、気をつけて帰ってね。笹ちゃんにもよろしく。―――あ、身体に気をつけてね、って伝えといて」
あっさりという楓に、今度は時雨が目を瞬いた。
「………なに?」
「いえ………てっきり………」
あたしも飛竜の迎えに行く、とか言うと思った、とはさすがに言えず、時雨は曖昧に言葉尻を濁す。
しかし、楓は濁された部分を悟ってか苦笑する。
「―――さすがにこの時間に社を出るのは無理だよ~。いくら行きに時雨さんが一緒で、帰りは飛竜と一緒だって言っても、みんなが許してくんないもん」
はたはたと手を振って言われ、時雨は確かに、と頷いた。
「では、伝言、確かに賜りました。―――失礼します」
「うん、また明日ね~」
あっさりとした言葉に送られて、戸をくぐる直前、時雨は楓を振り返る。
「―――楓殿は、お気になさらないのですか? ………その………」
―――我が主と、あなたの幼馴染が二人きりなることを。
―――我が主が、あなたの幼馴染を頼りにすることを。
問おうとした言葉は、喉の奥に詰まって、それ以上どうしても出てこない。
しかし、楓はその思いを容易く汲んで答えた。
「気になるよ、当たり前じゃない」
けろりと言われて、時雨は目をまん丸に見開いた。口も半開きになって、おそらく人生で最も間抜けな表情になっている。
「―――は…?」
「気にならないわけないでしょ、笹ちゃんがどんな思いで飛竜だけを呼び出したのかな、とか、あたしじゃ力になれないのかな、とか」
でもさ、と楓は笑う。
「それはしょうがないよね、今の笹ちゃんに必要なのは飛竜なんだもの。横から無理やり『あたしも!』って言われても困るよね。
―――あたしには、これからあたしが力になれる時に笹ちゃんの力になる、これから笹ちゃんに頼ってもらえる存在になれるよう努力する、それしかできないもん」
だから今は努力しつつ待つのですよ、とおどけたように言って、楓は笑う。
「だからさ、時雨さんも、これから、だよ」
「―――これから………」
楓の言葉に、時雨は己の胸に手を当てる。―――何か、波立っていたものが凪いだような、暖かいものが灯ったような、そんな気がした。
己の主以外に垂れたことのない頭が、自然に下がった。
「―――ご助言、ありがとうございます」
「そんな、おおげさな―――ほら、笹ちゃん迎えに行くんでしょ?」
慌てたような声に送られて、今度こそ、時雨は楓の社を後にした。
「え?」
言って立ち上がった時雨に、楓は面食らった。
“星の巫女”の社、その応接間。そこで時雨は楓と共に己の主の帰りを待っていた。
その待ち人である主の帰館も待たず、席を立った時雨に楓は目をしばたいた。
「笹ちゃん、まだ帰ってきてないよ?」
使用人は皆下げてあるので、素のままの口調で楓は言う。
「そろそろお話も終わった頃でしょう。お迎えに行って、そのまま失礼させていただきます」
「あ、なるほど。こっちに寄ったんじゃ遠回りになっちゃうもんね」
時雨の言葉に、楓は納得して頷いた。
笹と飛竜がいるはずの森は、楓の社と笹の社のちょうど中間に位置する。時雨が迎えにいって直接帰った方が確かに早い。
もう二人が出て行って三刻(約一時間半)ほどの時が過ぎている。いい加減話も終わったはずだ。
入れ違う可能性がないでもないが―――時雨が己の主の気配を読み違えるとも思えない。
「じゃ、気をつけて帰ってね。笹ちゃんにもよろしく。―――あ、身体に気をつけてね、って伝えといて」
あっさりという楓に、今度は時雨が目を瞬いた。
「………なに?」
「いえ………てっきり………」
あたしも飛竜の迎えに行く、とか言うと思った、とはさすがに言えず、時雨は曖昧に言葉尻を濁す。
しかし、楓は濁された部分を悟ってか苦笑する。
「―――さすがにこの時間に社を出るのは無理だよ~。いくら行きに時雨さんが一緒で、帰りは飛竜と一緒だって言っても、みんなが許してくんないもん」
はたはたと手を振って言われ、時雨は確かに、と頷いた。
「では、伝言、確かに賜りました。―――失礼します」
「うん、また明日ね~」
あっさりとした言葉に送られて、戸をくぐる直前、時雨は楓を振り返る。
「―――楓殿は、お気になさらないのですか? ………その………」
―――我が主と、あなたの幼馴染が二人きりなることを。
―――我が主が、あなたの幼馴染を頼りにすることを。
問おうとした言葉は、喉の奥に詰まって、それ以上どうしても出てこない。
しかし、楓はその思いを容易く汲んで答えた。
「気になるよ、当たり前じゃない」
けろりと言われて、時雨は目をまん丸に見開いた。口も半開きになって、おそらく人生で最も間抜けな表情になっている。
「―――は…?」
「気にならないわけないでしょ、笹ちゃんがどんな思いで飛竜だけを呼び出したのかな、とか、あたしじゃ力になれないのかな、とか」
でもさ、と楓は笑う。
「それはしょうがないよね、今の笹ちゃんに必要なのは飛竜なんだもの。横から無理やり『あたしも!』って言われても困るよね。
―――あたしには、これからあたしが力になれる時に笹ちゃんの力になる、これから笹ちゃんに頼ってもらえる存在になれるよう努力する、それしかできないもん」
だから今は努力しつつ待つのですよ、とおどけたように言って、楓は笑う。
「だからさ、時雨さんも、これから、だよ」
「―――これから………」
楓の言葉に、時雨は己の胸に手を当てる。―――何か、波立っていたものが凪いだような、暖かいものが灯ったような、そんな気がした。
己の主以外に垂れたことのない頭が、自然に下がった。
「―――ご助言、ありがとうございます」
「そんな、おおげさな―――ほら、笹ちゃん迎えに行くんでしょ?」
慌てたような声に送られて、今度こそ、時雨は楓の社を後にした。
―――これから、か。
その言葉が、時雨の決意を後押しする。
その言葉が、時雨の決意を後押しする。
―――これから、少しずつ、あの主 との距離を狭めていこう。
いきなり、あの男ほどの場所に行くのは無理だけど。
少しずつ、近づくことは出来るはず。
少しずつ、近づくことは出来るはず。
―――主の言葉を待つのではなく、こちらから動こう。
大切な主のために、何が出来るのか、考えて。
―――一番大切なものを一時とはいえ私に託した、あの男に対して恥じないように。
森の中を歩みながら、決意を定めていく。
―――まずは、名前で、
あの男のように、さすがに呼び捨てには出来ないけれど。
―――笹様、と呼ぼう。
少し語呂が悪いかな、と苦笑した時、遠目に二つの人影が見えた。
さっそく、己の決意を声にしようと胸に夜気を吸い込んだ―――その時、
さっそく、己の決意を声にしようと胸に夜気を吸い込んだ―――その時、
きらり、と二つの輝きが月明かりに煌いた。
一つは赤。深い真紅の宝玉の輝き。
一つは白銀。赤い宝玉の先から伸びる刃の輝き。
一つは白銀。赤い宝玉の先から伸びる刃の輝き。
その煌きを手にするのは、長身の影―――小憎たらしくも頼れる、目指すべき場所にいる男。
その煌きを向けられているのは、小柄な影―――最も敬愛し、慈しみ、全てを捧げると誓った主。
その煌きを向けられているのは、小柄な影―――最も敬愛し、慈しみ、全てを捧げると誓った主。
―――え………?―――
その光景の意味を、理解しきるより早く、
白銀の輝きが―――己の主の胸を、貫いた。
「―――笹様ぁ――――――――ッ!?」
誓いとなるべき呼びかけは―――慟哭と怨嗟の声となって夜の森に響いた。