【そして、互いにすれ違う】
「―――楓様」
時雨を見送ってしばらく、自室で飛竜の帰りを待っていた楓に、扉の外から声がかかった。
「瑠璃? ―――どうぞ」
“七星”の一人である娘の声に、楓は応えて入室を許す。
礼と共に部屋に入ってきた瑠璃は、部屋の奥にいる楓の前まで来ると、二通の書簡を差し出した。
「神子様と供の方をお通した部屋に、これが」
見れば、片方は楓の名が、もう片方には時雨の名が宛名の位置に書かれている。書き手の名は記されていないが、幾度か見たことのある笹の字だった。
「これは、部屋のどこに?」
「卓の上に置いてありました」
瑠璃の答えに、楓は眉をひそめる。笹が出て行った時も、時雨が出て行った時も、こんなものは見当たらなかったのに。
「―――そう、ありがとう。もう下がって休んでください」
とりあえずその書簡二通を受け取って、瑠璃を下がらせる。
瑠璃が退室するなり、楓は自身宛の文を開いた。
時雨を見送ってしばらく、自室で飛竜の帰りを待っていた楓に、扉の外から声がかかった。
「瑠璃? ―――どうぞ」
“七星”の一人である娘の声に、楓は応えて入室を許す。
礼と共に部屋に入ってきた瑠璃は、部屋の奥にいる楓の前まで来ると、二通の書簡を差し出した。
「神子様と供の方をお通した部屋に、これが」
見れば、片方は楓の名が、もう片方には時雨の名が宛名の位置に書かれている。書き手の名は記されていないが、幾度か見たことのある笹の字だった。
「これは、部屋のどこに?」
「卓の上に置いてありました」
瑠璃の答えに、楓は眉をひそめる。笹が出て行った時も、時雨が出て行った時も、こんなものは見当たらなかったのに。
「―――そう、ありがとう。もう下がって休んでください」
とりあえずその書簡二通を受け取って、瑠璃を下がらせる。
瑠璃が退室するなり、楓は自身宛の文を開いた。
―――親愛なる友、楓さんへ―――
その書き出しで始まった文は、やはり、笹の字だった。
―――この文は、私があなたの社を立ち去って、三刻の後まで、人の目に留まらぬよう呪をかけておきました。ですから、あなたがこれを読んでいるということは、私が立ち去ってからそれだけの時が過ぎていることでしょう―――
それで見当たらなかったのか、と楓は思う。しかし何故、そんな面倒なことを、と次の文に目を走らせ―――凍りつく。
そして―――
「―――楓様!? どうされました!?」
「少し出ます! 供は要りません!」
読み終わるなり、静止する社の者たちを振り切り、夜の森へと駆け出した。
「少し出ます! 供は要りません!」
読み終わるなり、静止する社の者たちを振り切り、夜の森へと駆け出した。
足元の悪さも、纏う衣の動きにくさも構わず、楓はただ走る。
脳裏に渦巻くのは、ただ笹が残した―――遺したつもりであろう、文の内容。
脳裏に渦巻くのは、ただ笹が残した―――遺したつもりであろう、文の内容。
―――あなたがこれを読む頃には、もう私はこの世にいないでしょう―――
己の死を示したその下に綴られていたのは、“金色の巫女”と名乗っている女―――“金色の魔王”の策略。
そして、それを確実に打破すると―――己の死を持って、術の要である“碧き月”を消し去るという、決意。
そして、それを確実に打破すると―――己の死を持って、術の要である“碧き月”を消し去るという、決意。
―――自ら命を絶つことができない、己の身を呪わしく思います。
あなたの大切な幼馴染に、こんな忌まわしい所業を強いること、許してくれとはいえません―――
あなたの大切な幼馴染に、こんな忌まわしい所業を強いること、許してくれとはいえません―――
それは、飛竜に自らの命を絶ってもらう―――飛竜に自分を殺してもらう、という意味に他ならない。
―――憎まれようと、呪われようと、構いません。これは、私の最期のわがままです。
私は、私の生涯でただ一人恋した人の手にかかって、“人”として死にたい―――
私は、私の生涯でただ一人恋した人の手にかかって、“人”として死にたい―――
うすうす、気づいていた。笹が飛竜を見る目に、自分を見る時とは違う何かがあることは。
それが、自分が飛竜に抱くものと同じだということも。
それでも―――
それが、自分が飛竜に抱くものと同じだということも。
それでも―――
―――けれど、もしも、あなたが私を許してくれるなら。もう一つだけ、最期の願いを聞き入れてもらえるでしょうか―――
構わない。許すも許さないもない。
笹が願うなら、どんなことでもやってあげる。笹は自分の友達なのだから。
飛竜以外に―――この里では初めて、素のままの自分を認めてくれた大切な友達。
だから、もし飛竜が自分ではなく笹の思いに応える日が来ても、祝福するつもりだった。
だが、それでも―――
笹が願うなら、どんなことでもやってあげる。笹は自分の友達なのだから。
飛竜以外に―――この里では初めて、素のままの自分を認めてくれた大切な友達。
だから、もし飛竜が自分ではなく笹の思いに応える日が来ても、祝福するつもりだった。
だが、それでも―――
―――こんなのは、だめだよ!
笹が死ぬなんて―――それも、飛竜が殺すなんて。
笹がよくても、飛竜が傷つく。時雨が傷つく。―――楓自身も、傷つく。
笹がよくても、飛竜が傷つく。時雨が傷つく。―――楓自身も、傷つく。
―――だから、笹ちゃん、死なないで!
―――飛竜、笹ちゃんを殺さないで!
―――飛竜、笹ちゃんを殺さないで!
それだけを胸に願って、走る。浮かぶ双月の明かりを頼りに―――
「―――――ッ!」
そのことに気づいて、楓は立ち竦む。
「―――――ッ!」
そのことに気づいて、楓は立ち竦む。
―――“碧い月”が、ない。
ぽつねんと一つ浮かんでいた“赤い月”も―――ややあって、揺れるようにして消える。
―――術が、解けた。
そう悟って、楓はその場に崩れ落ちる。
―――間に、合わなかった………!
その思いが、後から後から胸に込み上げて、涙となって瞳から零れ落ちる。
でも―――それでも―――
でも―――それでも―――
―――最期の願いを―――
まだ、やることが、ある。
笹の、最期の願い。―――最初で最後、笹が楓を頼ってくれたことだから。
笹の、最期の願い。―――最初で最後、笹が楓を頼ってくれたことだから。
―――叶えてあげる、絶対に!
その思いだけで、楓は再び立ち上がった。
走り出す、彼女は気づかない。
双月が消えた空に現れた、妖しく輝く、災いの赤い星に。
双月が消えた空に現れた、妖しく輝く、災いの赤い星に。
己に向かって突き出される白刃の煌き、それを笹は美しいと思った。
衝撃―――胸を走り抜ける、冷たい鋼の感触。
でも、それよりも、ずっと、痛いのは―――泣きそうな、己が恋した人の表情(かお)。
衝撃―――胸を走り抜ける、冷たい鋼の感触。
でも、それよりも、ずっと、痛いのは―――泣きそうな、己が恋した人の表情(かお)。
―――ごめんなさい―――
そう思って、意識が薄らいだ時、
「―――笹様ぁ――――――――ッ!?」
耳慣れた声が、聞きなれぬ呼称を叫ぶのを最期に聞いた。
霞んでゆく視界の中に、見慣れた姿を見つける。
はっきりしない視界、それも夜の遠目で見えるわけがないのに―――彼の顔が確かに見えた。
慟哭と怨嗟、驚愕が綯い交ぜになった、泣きそうな表情。
―――ああ―――
悔悟の念が、最期に湧き上がる。
「―――笹様ぁ――――――――ッ!?」
耳慣れた声が、聞きなれぬ呼称を叫ぶのを最期に聞いた。
霞んでゆく視界の中に、見慣れた姿を見つける。
はっきりしない視界、それも夜の遠目で見えるわけがないのに―――彼の顔が確かに見えた。
慟哭と怨嗟、驚愕が綯い交ぜになった、泣きそうな表情。
―――ああ―――
悔悟の念が、最期に湧き上がる。
―――酷なものを、見せてしまいましたね―――
謝りたくとも、もう声も出ない。
―――あなたは、私をいつも思い遣ってくれていたのに―――
―――あなたも、私と形は違えど、飛竜さんのことが好きだったのに―――
―――あなたも、私と形は違えど、飛竜さんのことが好きだったのに―――
その時雨に、この光景は、きっと酷過ぎる。
―――でも、これは私が望んだことだから―――
どうかどうか―――
―――飛竜さんを、恨まないで―――
最期の願い。
―――名前で呼んでくれて、ありがとう―――
これで、本当に、
―――私は、“人”として逝ける―――
そして、笹の名を持つ神子の娘は、静かに瞼を閉じた。
とさり………、とあまりにも軽い音を立てて、友の身体は茂る草の上に倒れた。
刃を引き抜いたその身から、とめどなく赤いものが流れて青い芝生を染める。
手にした刃が、ひどく―――酷く、重く感じられた。
「―――どうして………!」
苦しげな声が聞こえて、緩慢に振り返る。
そこには、涙こそ流していないけれど、泣きそうな顔で歩み寄ってくる男の姿。
「………時雨」
どう声をかけていいかわからず、ただ、名を呼ぶ。
男は、睨むように、縋るように、こちらを見遣る。
「飛竜―――何故―――――ッ!」
飛竜はただ、頭を振る。自分の口から語れるのは、ただの言い訳だけだから。
ただ一つ、言えるのは―――
「―――貴様ぁ―――――ッ!」
叫んで、武器を手に呪を放ってくる男に、静かに告げる。
「―――今、あんたに殺されるわけにはいかない」
がむしゃらに放たれた呪文は狙いも滅茶苦茶で、避けるのは容易い。
「俺を殺すのは―――全てを知ってからにしてくれ」
言って、踵を返す。
「―――待てッ! 飛竜―――――ッ!」
その言葉を背に、夜の森の闇に紛れる。
―――真実を知らないままに、俺を殺せば、あんたは悔いるかもしれないから。
だから、まだ殺されるわけにはいかない。
全てを知って、それでもまだ、赦せないというのなら―――
刃を引き抜いたその身から、とめどなく赤いものが流れて青い芝生を染める。
手にした刃が、ひどく―――酷く、重く感じられた。
「―――どうして………!」
苦しげな声が聞こえて、緩慢に振り返る。
そこには、涙こそ流していないけれど、泣きそうな顔で歩み寄ってくる男の姿。
「………時雨」
どう声をかけていいかわからず、ただ、名を呼ぶ。
男は、睨むように、縋るように、こちらを見遣る。
「飛竜―――何故―――――ッ!」
飛竜はただ、頭を振る。自分の口から語れるのは、ただの言い訳だけだから。
ただ一つ、言えるのは―――
「―――貴様ぁ―――――ッ!」
叫んで、武器を手に呪を放ってくる男に、静かに告げる。
「―――今、あんたに殺されるわけにはいかない」
がむしゃらに放たれた呪文は狙いも滅茶苦茶で、避けるのは容易い。
「俺を殺すのは―――全てを知ってからにしてくれ」
言って、踵を返す。
「―――待てッ! 飛竜―――――ッ!」
その言葉を背に、夜の森の闇に紛れる。
―――真実を知らないままに、俺を殺せば、あんたは悔いるかもしれないから。
だから、まだ殺されるわけにはいかない。
全てを知って、それでもまだ、赦せないというのなら―――
―――その時は、よろこんで殺されてやるから―――
「俺を殺すのは―――全てを知ってからにしてくれ」
言って、男は踵を返す。
「―――待てッ! 飛竜―――――ッ!」
叫んだ声に留まるわけもなく、その姿は夜の森の闇に消えた。
「………なぜ………どうして―――」
呻いて、時雨はその場に崩れ落ち―――俯いた視界に流れ込んできた赤に、弾かれたように顔を上げる。
その先には、地に倒れ付して動かない主。
「―――ささ、さま………笹さま………」
喘ぐように名を呼んで、這うように近寄って抱き上げても、動かない。応えない。
抱き上げた身体は冷たく、ただ流れ出続けるものだけが熱い。
閉じられた瞳はもう開かない。仄かに微笑んで見える唇が、己の名を呼んでくれることもない。
―――全て知ってから―――
あの男はそう言った。自分を殺すのは、それからにしてくれと。
「―――これが、全てだ………」
掠れた声が、口をついて出る。
―――冷たくなった主。流れる血潮の熱さ。開かない瞳。物言わぬ唇。
「―――これが、全てだ―――――ッ!」
怨嗟に満ちた叫び。動かない主の身体を抱きしめて、復讐を誓う。
脳裏に掠める、この森で―――この場所で紡いだ暖かな思い出を、振り払う。
―――“そんなもの”、私には必要ない―――
あの男との、思い出など、要らない。
言って、男は踵を返す。
「―――待てッ! 飛竜―――――ッ!」
叫んだ声に留まるわけもなく、その姿は夜の森の闇に消えた。
「………なぜ………どうして―――」
呻いて、時雨はその場に崩れ落ち―――俯いた視界に流れ込んできた赤に、弾かれたように顔を上げる。
その先には、地に倒れ付して動かない主。
「―――ささ、さま………笹さま………」
喘ぐように名を呼んで、這うように近寄って抱き上げても、動かない。応えない。
抱き上げた身体は冷たく、ただ流れ出続けるものだけが熱い。
閉じられた瞳はもう開かない。仄かに微笑んで見える唇が、己の名を呼んでくれることもない。
―――全て知ってから―――
あの男はそう言った。自分を殺すのは、それからにしてくれと。
「―――これが、全てだ………」
掠れた声が、口をついて出る。
―――冷たくなった主。流れる血潮の熱さ。開かない瞳。物言わぬ唇。
「―――これが、全てだ―――――ッ!」
怨嗟に満ちた叫び。動かない主の身体を抱きしめて、復讐を誓う。
脳裏に掠める、この森で―――この場所で紡いだ暖かな思い出を、振り払う。
―――“そんなもの”、私には必要ない―――
あの男との、思い出など、要らない。
「―――裏切り者めぇ―――――ッ!」
慟哭のような怨嗟の声が、夜の森に響き渡った。