東北大SF研 読書部会
「華氏451度」 レイ・ブラッドベリ

著者紹介

レイ・ブラッドベリ(Ray Douglas Bradbury)
1921年アメリカ合衆国イリノイ州ウォーキーガン生まれ。2012年没。代表作は『火星年代記』「華氏451度」『ウは宇宙船のウ』など。SFを中心に幻想文学や怪奇小説、ファンタジー、ホラー、ミステリなども手がけ、詩人としても活躍した。SFには珍しい抒情溢れる文体から、「SFの抒情詩人」と呼ばれ、星新一や萩尾望都、スティーヴン・キングなど多くの作家に影響を与えた。
また、作家志望者に親しく接し、助言や指導を手厚く行っていたことでも有名。ブラッドベリの手助けによって作家になったものとして、ハーラン・エリスンやリチャード・マシスンなどがいる。

訳者紹介

伊藤典夫(いとう のりお)
1942年静岡県浜松市生まれ。早稲田大学第一文学部仏文科中退。代表作に「地球の長い午後」「愛はさだめ、さだめは死」「スローターハウス5」「2001年宇宙の旅」「華氏451度」「たんぽぽ娘」『人類補完機構』『危険なヴィジョン』など。
日本SF界を代表する英米翻訳家。10代にしてSF翻訳を載せ、その後も英米のSF書誌情報や作家動向、新人作家の紹介を行った人気の連載「SFスキャナー」を続けるなど、早熟の天才として知られた。同じく日本SF界を代表する英米翻訳家の浅倉久志 \footnote{あさくら ひさし、1930-2010、代表作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」「高い城の男」「タイタンの妖女」「宇宙船ビーグル号」「世界の中心で愛を叫んだけもの」「たったひとつの冴えたやりかた」など} とともに初期から海外SFの普及に努め、日本SFを語る上では欠かせないひとり。一方愛の深さゆえかSFに関して色々と過激なことでも知られ、当時19歳で早稲田大学在学中にSF同人誌『宇宙塵』にて三島由紀夫のSF小説「美しい星」をメタクソにけなす文章を発表し、三島の怒りを買ったことはあまりにも有名。ほかにも早川書房最大の過ちである「覆面座談会」(1968)をSFマガジン1969年2月号誌上にて福島正実・石川喬司らとともに行い、ここでもSF御三家を筆頭に当時の人気SF作家をメタクソにけなしたため、早川書房は御三家をはじめ多くのSF作家を失うこととなった。
しかしその翻訳の腕はまさに天才と言うべきで、先に挙げた翻訳実績が全てを表している。まだ存命でSFマガジンにも翻訳を掲載している。まだまだ長生きしてぜひ翻訳を続けていただきたい。

解説

ブラッドベリの文章と言えば、なかなか読みづらいことで有名なのだが、本作ではクラリスの言動以外かなり率直であり、分かりやすいものになっている。
ブラッドベリの作品なのに、なぜこんなに読みやすいのだろう。(“ブラッドベリの読みにくさ”が分からなくても、ブラッドベリの他の作品を読んでいけばきっと自分の言っていることを分かってくれることだと思う)
それは、作中の世界からブラッドベリ的な表現が既に消えてしまったからではないかと考えている。この作品の中で、ブラッドベリ的な表現が出てくるのはクラリスのセリフと、物語のクライマックスにあたるグレンジャーらとの合流のあとだけである。この世界の一般的な人間は、本を読まないからブラッドベリのような表現が出来なくなってしまっているということを表現しているのではないだろうか。
この作品は、非常になめらかに、負荷なく物語が進んでいく。そして最後の最後に至って、いつも通りとまではいかないが、ブラッドベリらしい象徴的な、抒情的な描写が出てきて語りの速度が落ち、読者への印象と言う点で非常に効果的に働く。こう言うと悪く聞こえるかもしれないが、あの読みづらいブラッドベリの小説「華氏451度」がアメリカにおける国民的な古典となったのは、内容面だけでなく、自分の長所兼短所を最も効果的に活かしきった構成のすばらしさというのもあったのだと、私は考えている。
こんなことを考えながら、ぜひ何度でも読み返していただきたい。
あとあんまり薦めたくないのではあるが、伊藤典夫の新訳版と宇野利泰の旧訳版を読み比べると、いかに翻訳者の腕が重要かというのが身に染みてわかると思う。伊藤典夫が書いているように、とにかく読みづらくて冗長で仕方がない。旧訳版しか読んだことがないという方には、いますぐ新訳版で読み直すことを勧める。

所感

私はこの作品がSFで一番好きだ。小説全体でもこの作品が一番好きだ。私がこの作品を好きな理由として、本を禁止した世界を本で描くという自己言及性を真っ先に挙げる。この作品は、その点で紙の本に書かれた小説として描かれなければならかなった作品なのだ。
また、この作品はSFとして非常に優れた作品である。この作品のSFとしてのすばらしさは、「もし〜だったら、人類または社会はどのように変容するだろうか」というSFの古典的テーマに対して真正面から、しかも「なぜ物語るのか」という文学的な自己言及の問題を含めて取り組み、大成功しているところにある。
私が特に好きなシーンをふたつ挙げておきたい。
まずひとつめが、68頁、老女が自宅に隠していた本に自ら火を放つシーン。夜闇の中、燃え盛る家と炎のコントラストが嫌に印象的で、象徴的。俺も多分同じことをするんだろうなと、読むたびに泣いてしまってまともに読めた記憶がない。他の本を読めば読むほどこの作品が好きになっていくのは、多分このシーンが大きな役割を果たしていると思う。
ふたつめが、252頁、「わたしが『共和国』だ。〜」のシーン。これはもう言わなくてもいいでしょ。泣いてしまって文章にならないのでこれまでにしておく。いくら本を焼こうとも、人の心までは検閲出来ない。物語は、文学は決して消されない。ブラッドベリの、未来を見つめるまなざしというものが一番よくわかるシーン。
さて、最後にこの作品の題名「華氏451度」について。この温度は紙の発火点からつけられた題であるが、普通“ものの燃える温度”として言及されるのは引火点*1であり、発火点ではない。なぜこの作品は紙の発火点なのか。それは、本が存在できない世界を、紙の発火点に例えているからだと思う。本を燃やすのは昇火士ではなく、私たち自身である。それを、題名で表しているのだ。
「本を焼くものは、やがて人を焼くようになる」
ドイツの詩人、ハイネの言葉を借りて、私の所感を終える。

推薦図書

部会の課題図書を読むだけではSF研にいる意味がない。課題作と関連した作品を読んで、さらにそこからも読書の幅を広げていって、SFだけでなく、ひろく小説そのものを楽しんで頂ければと思う。

1984年

ジョージ・オーウェル 作/高橋和久 訳/ハヤカワepi文庫
言わずと知れたディストピアものの古典中の古典。「二分間憎悪」「思考犯罪」「二重思考」「テレスクリーン」「ニュースピーク」「愛情省」「真理省」と、ディストピアものはすべてこの作品の影響下にあると言っても過言ではない。多分私担当で部会をやるはずなので乞御期待。作者はイギリス人。

わたしを離さないで

カズオ・イシグロ 作/土屋政雄 訳/ハヤカワepi文庫
ノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロがSF的な設定を活かして描き上げた作品。“提供者”という臓器提供のためだけに作られたクローンの口を通して、同じ“提供者”の物語を聞くという形式のディストピア小説。全般的に情緒的な語りなのだが、そこにはなにかが足りないような。以前私が部会を開催しているので、読み終わったらそのときのレジュメを読んでください。作者はイギリス人。

すばらしい新世界

オルダス・ハクスリー 作/大森望 訳/ハヤカワepi文庫
これもまたディストピアものの古典。ハクスリーとブラッドベリは面識があったりもする(『火星年代記』「火星のどこかにグリーン・タウン エジプトのどこかに火星」参照)。実は読んでいないのであんまり話すことがない。作者はイギリス人(後にアメリカに移住)。

時計じかけのオレンジ

アントニイ・バージェス 作/乾信一郎 訳/ハヤカワepi文庫
あまりSF味はないけど、とにかく破壊力に長けたディストピアものの古典的作品。キューブリックが監督した映画版が有名か。好きか嫌いかで言えば嫌い。でもこの作品に対して「嫌い」と言うことは、評価していることと同じことだと思っている。映画版も観てほしい。作者はイギリス人。

パヴァーヌ

キース・ロバーツ 作/越智道雄 訳/ちくま文庫
エリザベス一世が凶弾に斃れ、アルマダの海戦でスペインが勝利し、宗教改革が失敗したことによってローマ・カトリック教会の圧政下にある“もうひとつの世界”を描いたディストピアものにして歴史改変SF。カトリック教会は科学技術を弾圧しているため、作中世界は20世紀にも関わらずヴィクトリア朝程度の科学技術(すなわち蒸気機関)しか存在しない。作品世界の日常生活の描写が非常に正確かつ印象的で、悪臭漂うイギリスを一般市民の目線を紡ぎ合わせて描いていく作品。作中に登場する技術は、すべて実際にヴィクトリア朝時代のイギリスで使われていたもの。地味ながら、地味だけにこんなところでしか出会えない作品ではないかと思う。元々はサンリオSF文庫に収録されていた。作者はイギリス人。

ユートピア

トマス・モア 作/平井正穂 訳/岩波文庫
歴史上はじめて「ユートピア」という言葉を使った作品だが、同時に「ディストピア」という概念を生んだ作品でもある。読み物として普通に面白いのでディストピア好きなら読んでみよう。
自分で書いておいてなんだが、これまでに紹介したディストピアものにイギリス人の作品しかなくてだいぶ面白い。流石イギリス。階級社会と管理社会を描かせたら右に出る国はいない。

火星年代記

レイ・ブラッドベリ 作/小笠原豊樹ほか 訳/ハヤカワ文庫SF、連作短篇集
永遠の名作。SFの抒情詩人ブラッドベリの描く、ソネットのような作品。星新一がSF作家を志したきっかけになった作品としても有名。
ブラッドベリが気になったのなら、次はこの作品を読んでみよう。個人的なおすすめは「ロケットの夏」「緑の朝」「優しく雨ぞ降りしきる」「百万年ピクニック」だが、捨て作は存在しない。特に最後のふたつはブラッドベリ作品を代表する傑作中の傑作。

万華鏡

レイ・ブラッドベリ 作/中村融 訳/創元SF文庫、自選傑作選
ブラッドベリの自選傑作選。「草原」「万華鏡」「刺青の男」「霧笛」「やさしく雨ぞ降りしきる」と、本当にブラッドベリ作品を代表する傑作中の傑作が収録されている。『火星年代記』を読んだら次はこれ。1500円と少し高いが、これを読んでブラッドベリが合わなかったらこれでやめていいよっていうレベルなので、これだけは読んでみてほしい。

冷たい方程式

トム・ゴドウィン 作/伊藤典夫 訳/ハヤカワ文庫SF『冷たい方程式』表題作
「もし、重量制限のある宇宙船に密航者がいたら」という仮定のもとでの人間の決断を描いた名作。トム・ゴドウィンはこの作品しか伝わっておらず、たった一作でSF史に名を刻むことになった(要はSF史上最大の一発屋)。この作品の結末は最初から「冷たい方程式」という題で示されている。どこにも情をはさむことの出来ない冷たい方程式が導き出した答え、それは......。あまりの非情なラストに世界中のSF作家たちが心を痛め、なんとか別解を導き出そうとして「方程式もの」というサブジャンルまで誕生した。この作品が気に入ったなら、同じ題材を扱ったジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやりかた」、ケン・リュウ「もののあはれ」と比較して読むとそれぞれの作家の立場がよりはっきり見えてきて面白いだろう。

バベルの図書館

ホルヘ・ルイス・ボルヘス 作/鼓直 訳/岩波文庫『伝奇集』収録
本をテーマにした作品ということで。
ランダムな文字列を配した本が無限に収蔵された“バベルの図書館”にただ一冊だけ存在する、バベルの図書館に収蔵された本すべてに言及した本(すなわち、この世のすべてを記述した本である)を求めて彷徨う“司書”たちを描いた作品。幻想文学の傑作中の傑作であり、円城塔にも大きな影響を与えた作品。言語SFとか幻想文学とかそういうことは置いておいて、本が好きな人なら絶対気に入ると思うので読んでいただきたい。

地獄変

芥川龍之介 作
炎と芸術、という組み合わせで真っ先に思いついたのがこれ。芸術至上主義を象徴する、芥川の作品の中では一番の傑作だと思う。読んでいない人は、青空文庫に入っているので読もう。(太宰や漱石、鴎外ももちろん読んでね)
芥川の作品で一番気に入っているのは「舞踏会」という作品。SFとはまったく関係ないが、いいものはいいので読んで頂きたい。

文字渦

円城塔 作/新潮社、連作短篇集
自己言及といったらこの人でしょう。
去年までに在籍していた人なら私の怒涛の講釈を食らっているはず。まだ洗礼を受けていない人は、早めに読んで申し出ていただけると嬉しいです()
この作品は、日本文学1000年の歴史がなければ生まれることがなく、また1000年間で最高の作品だと私は確信している。少なくとも、私が推薦したら今年の日本SF大賞を獲った程度には素晴らしい作品なので、ぜひ読んでいただきたい(講釈を聞いた人なら、多少なりともうなずいてくれるはず)。分からないことがあったらほとんど全部答えられるようにしているので、分からなくなっても安心。この作品で円城塔は伊藤計劃を過去にしたと私は認識している。


下村
最終更新:2019年06月26日 13:16

*1 引火点とは、その温度で火に触れているときに燃え始める温度のこと。発火点は火に触れていなくても空気中で自然に燃え始める温度のことで、引火点の方が発火点より低い。