死より得るもの > Necrologia

死より得るもの/Necrologia ◆gcfw5mBdTg




 比那名居天子は橙の元へと戻っていた。

 橙の死体から去ろうとしたとき、衣服の一部に汚れが目立っていることに気付いたからだ。
 天人の五衰には、身体臭穢というものがあり、不潔を維持すれば、心情の他にも不都合が生じてしまう。

 穢れを清める水分のついでに、支給品をゴソゴソと移し変えていた天子。その瞳に、興味の色が映った。
 そして指を顎に添えて、考え込み、ピコン!と電球が頭上に浮かび、なにかを閃いた。

「――こうしたほうが効果的よね」

 ◇ ◇ ◇

 時折、風が通りすぎる微かな音が響く中、茂った葉を次々に寸断しながら歩く人影。
 足元まで銀の長髪を流し、白の上着と紅いモンペを着こなす、その人影は、青黒く鬱蒼と茂る森林に、異彩を放っている。
 その少女、藤原妹紅は、不老不死の梯子を下ろされた影響か、今にも重圧に押し潰されそうな沈痛な表情をしていた。


 ドクン、ドクン、ドクン。

 生を主張するかのように、心臓が激しく高鳴っている。
 価値観を揺るがされた妹紅は、この鼓動を聞くたびに、これが楽器ではなく重要な一部品なのだということを自覚させられる。

 ――これが止まれば……死ねるのだろうか。

 ――今、こうしているときにも、あの頃に戻らないという保証はない……なら。

 内心の動揺は必死に抑えている。
 だが、それでも、ごくり、と細い喉から唾を飲み下す音は、とても大きく聞こえていた。


 在り方の変革を迫られ、心を苛まれていた妹紅だが、それでも実行に移そうとはしない。

 一時の感情に流されて、重大なことをしでかすのは、後悔しか生み出さない。
 妹紅は、衝動に駆られ、蓬莱の薬を飲んでしまったときに、嫌というほど味わっている。
 その経験と、友人や宿敵といった絆の楔の助成により、死神からの勧誘を抑え込んでいた。


 妹紅は、どうにか自分を取り戻そうと胸に手をあて、鼓動を沈める。
 そして気を紛らわそうと、ポケットから煙草を取ろうとするが、探る手は、一向に目標を入手できない。
 眉を顰め、舌打ちし、悩ましげに想いを呟こうとするが、下手に想いを吐露するのを恐れ、思い留まる。
 そして。

「私は……生きているわね」

 噛んで含めるように、丁寧に、事実だけを紡ぐ。


 煙草の代わりに、外界の情報でも取り入れ、気を紛らそうとするが、静寂の森に、佇むのは妹紅一人。
 それ以外には、枝の隙間を通り抜けた月光の粒が、銀髪に反射し、眩しく輝かせているのみ。
 空を仰いでも、いつしか訪れ、いつしか流れ、消えていく雲だけという、中々に寂しい風景。
 妹紅は、そんな変化の見えない光景に、困ったような軽いため息をつき、額の汗を裾で拭った。



 そうして静寂の空間で心を静めていた妹紅の聴覚に、突如、微かな足音が届く。
 警鐘を鳴らし、感覚を尖らせ、視線を巡らせると。
 妹紅の真紅の瞳が人影を捉え、人影の緋想の瞳が妹紅を捉えた。

 鮮やかな薄い桃色のワンピースを身に纏い。
 青空を織ったように真っ青な長髪を背中まで流し。
 桃の実と、桃の葉を飾りつけた黒の帽子を、頭に載せていた。
 そして両手には――月光に煌めく矢尻を携えた、黒塗りの和弓を構えている。


 妹紅は一瞬、足を縫いとめられるが、すぐに戦士の心構えを取り戻し、近場の木陰に半身を隠す。
 そうして相手の出方を窺おうとし。

「先程、怯えた子供に泣きつかれたのですが――貴方の仕業でしょうか?」

 突如、掛けられた声と、強く問うような視線によって、思考を打ち切られる。

 ――あの子供に会ったのか。

 妹紅は、己のミスを反省すると共に、苦渋の表情を浮かばせる。
 誤解ならば、非は妹紅にあり、争いに益などない。
 しかし素直に事情を話したところで、信用されるかといえば怪しいだろう。
 優先されるべきは怯える幼子の証言ではあるし、怯えにより内容が誇張されている可能性も否定できない。
 妹紅は、どう対応するかを、迷いあぐね。

「あの少女に害意を以って接したわけじゃない、と言っておくわ。真偽は貴方に任せるほかないけどね」

 結局は、簡潔に意思を示すことにした。
 下手に嘘をつくにしても、思慮に時間をかければ効果は薄い。
 森林で弓の有効活用は難しく、離脱する隙を十分にあるはずと見越しての判断だ。

「――ですよね。瞳を見る限り、怯えをもたらすような人ではないようですし」

 既に決裂の覚悟を決めていた妹紅に返って来たのは、落ち着き払い、諭すように柔らかい態度だった。
 言葉に従うかのように、和弓の構えも解かれる。
 素直に事情を察してくれたのか、油断させるためなのか。
 妹紅は警戒は解かずに、少し悩んだ素振りを見せる。

「もしよければ、謝っていたとあの子供に伝えてくれないかしら?」

「ええ、構いませんよ。でも私にもやることがありますので、偶然出会えたらということでよろしいでしょうか?」

 妹紅の要請に、少女は、雅な佇まいと丁寧な言葉使いで、快くそれを了承する。
 返事の際、クスリと唇を歪めていたが、辺りは薄暗く、距離も離れており、妹紅には気づけない。

「構わないよ。感謝するわ」

 妹紅は、都合のいい話の進み具合を訝しんではいたが。
 とりあえず交戦だけは避けれそうね、と一回だけ息を吐き、取り澄まして応じる。

「それでは――またいつか」

 少女は、最後に化け猫の少女と出会った場所を教えると。
 目をすぅ、と細めて小さく笑い、スカートを翻し、何処かへと去っていった。
 そして少女が闇へと溶け込むまで無言で見送った妹紅も、また去っていく。

 ◇ ◇ ◇

 少女と別れた後、教えられた場所を目指し歩んでいた妹紅は、森を抜けた。
 背を這う不愉快な冷たい汗に、苛立ちを募らせながら、教えられた場所へと辿り着く。



 そのとき。

 妹紅は、周囲に血の匂いが幾重にも漂う、尋常ならざる空気に気付き、目尻を吊り上げる。
 そして視線を振り撒けば、その原因であろう小さな影が、瞳に、するりと入ってきた。

 寝そべっている小さな影は、深い闇に悉くを隠されている。
 だが、小柄で華奢な身体のライン、服装の色合い、そしてスカートから覗く尻尾を確認できた。
 薄暗い中、妹紅の視界の端に映ったのは、十中八九、化け猫の少女。

 妹紅は、決して死を意識しようとはせず、土と葉を散らしながら駆け寄り。
 仰向けの少女の背中に右腕をあて、首を左腕で支え、抱きかかえようとする。
 そうしたとき、妹紅の片腕に、思い描いていたものとは違う感覚が奔った。

 何か変だ。
 何か妙だ。

 ざらついた感覚が舐めるように背中を伝う。
 死からは、逃げられない、そして逃がしてもくれない。
 そのことを、見て記憶し、触れて理解した。
 そんな、どうやっても助からないとわかる光景。



 橙の死体には――首から上がなかった。



 艶やかな毛並みの髪の毛も。
 その上に乗せられていた帽子や、ふさふさとしていた猫耳も。
 端に涙を浮かべていた、ぱっちりとした猫の瞳も、
 捨てられた子猫のように慌てふためいていた、その表情も。
 恐怖で震えながらも、精一杯の強がりで、迫力の欠片もなく抗議していた、その顔も。

 なにもかもが消失していた。


 頭部とは視覚、味覚、嗅覚、聴覚、感覚、そして思考を司る。
 それを失った生命は、二度と返らない。何かを伝えることも叶わない。
 四肢は人形となり、もし意思があろうとも、身体が付いてこない。
 こんなに近くにいるのに、どんな声も、意思も、感情も、響くどころか届きさえしない。
 そんなこれは、もう物でしかない。


 妹紅は、生の可能性を、為す術もなく一蹴する、完全で絶対の死の宣告を、視覚で感覚で嗅覚で確認した。
 その胸中に飛来しているのは、判断ミスで死なせたことによる後悔だろうか。

 否。
 含まれてはいるが、縛られるほどの後悔ではない。


 天子への怒りだろうか。

 否。
 胸に突き刺さった矢を、まだ確認していない。




 渦巻いているのは、もっと鋭く、重い、尋常ならざる感情。 

 藤原妹紅は、現世に留まりながらも、死からは最も外れた存在として、永遠の苦輪に悩み、諦めていた。
 色鮮やかな冥界を知らない、そんな不老不死の存在が、希望を得てしまったが故に、魂を包む堅牢な意思の鎧が薄れていたのだろう。



 ――藤原妹紅は憧れてしまったのだ。
 忌まわしいことに、己のミスで死なせた幼子を、とても甘美で魅力的なものとして、受け取った。
 首を切られ、完全に死を迎えた亡骸を見て――こうなりたいものね、と咄嗟に、正の感情を抱いてしまった。

 魂の灯火に誘われるように受信した死のカタルシスは、想像を絶するものだった。
 心が軋む音を僅かに立て、心臓の鼓動が早鐘のように激しくなる。
 見えない何かが圧し掛かったかの様に胸が軋む。
 高鳴る心臓に眩暈さえ感じ、崩れそうになる体を必死に支える。
 湧き上がってしまった妄念に耐える様に、唇を噛み、僅かに震える腕に力を入れて、震えを押さえ込む。

 息を切らせながらも、感情の発露を必死に押さえるが、それでも抑え切れない。
 ならば、別の方向に発散させようと、心の底から高ぶってくる感情を、猛々しい激情の焔に変換し、右手に顕現させる。

 そして。
 糾弾を振り払うかのように。
 正気でありたい、と魂に刻み込むように。
 限界にまで高まっていた不安から逃げるように。
 焔を纏いし拳を、ぎゅっと握りこみ、頑なに信じ込んだ意思を籠め、強く――大地に叩き付け、抉り、土くれを撒き散らかす。

 激情を叩き付け、感情を制御した妹紅は。

「幼子を死なせ、あまつさえ憧れる……か。
 慧音にあわせる顔がないわね」

 寺子屋で教鞭を振るう友人に想いを馳せ、自嘲めいた響きを伴った笑みを、溜息混じりに漏らした。

 ただ、情けなかった。
 自分自身が。








 血溜まりにいるような淀んだ空気が蔓延する心地悪い静寂の中。
 橙の傍らに佇む妹紅は、改めて自覚する。




 たとえ、肉体が解き放たれようとも。
 魂は、いまだに、蓬莱の薬に憑かれているのだと

【B-4 山の崖下付近 一日目・早朝】
藤原 妹紅
[状態]健康
[装備]水鉄砲
[道具]基本支給品、ランダム支給品1~3個(未確認)
[思考・状況]基本方針:ゲームの破壊及び主催者を懲らしめる。
1.慧音を探す。
2.首輪を外せる者を探す。
※黒幕の存在を少しだけ疑っています。
※再生能力は弱体化しています。

 ◇ ◇ ◇

「好死は悪活にしかず。
 どんなに悪い生き方でも、死ぬよりは良い。
 ま、結局は私が殺すんだけどね」

 清々しさを伴った、どこまでも楽しそうな声。
 比那名居天子は天を仰ぎ、何処までも白々しくひとりごちた。



 先程の妹紅との邂逅を思い返す。


 天子は趣味の異変観察を通じ、藤原妹紅が、蓬莱の薬を飲んだ不老不死の人間だということを知り得ていた。
 そんな超越者が、幼子を追い詰めるほどの意気込みを見せているというのだ。期待しても仕方のないことだろう。

 しかしそれも、和弓の構えを確認した妹紅が一瞬、硬直したときまでだった。
 その硬直が、悦びからきたものだと、天子の慧眼は見抜いたのだ。

 それは無意識の行動とはいえ、つまらないと落胆させるには十分なもの。
 とはいえ、ただ肩透かしを食っただけならば、残念に思いながらも、天子は妹紅を殺害しようとしただろう。

 なぜ殺さなかったのか。
 それは、天子の好奇心に鎌首をもたげさせるものでもあったからだ。

 比那名居天子の種族である天人も、条件付きではあるが、妹紅と同じく不老不死の存在。
 しかし天子は、妹紅とは似ても似つかない。
 天界という刺激の少ない環境には不満を抱いていたが、不老不死自体には、不満を抱いていなかった。
 天子の身近にいる天人も、不老不死に溺れ、歌、歌、酒、踊り、歌、と日々を自堕落に過ごすものばかり。

 だからなのだろう。

 不老不死なのに死を悦ぶという妹紅を理解できず――とても憐れに想えた。

 そんな天子の想いと欲望が重なった結果。
 妹紅に生への覇気を授けようと、お人よしに格別な効能を発揮する餌を振舞い、放し飼いにしたのだ。

 死体に刺さった矢を確認すれば、さぞや天子に想いを募らせることだろう。
 天子は、妹紅が育ち、自分を殺しにくるのを期待しながら、ただ優勝を目指すのみ。
 もし育たなくとも、再開できなくとも、それはそれで構わない。ゼロがゼロになるだけなのだから。




 回想が幕を閉じると同時に。
 天子の、大地を操る能力が、遠く離れた妹紅の激情を、大地の振動を通して、僅かに捉えた。

 成果に満足した天子の緋想の瞳が、輝きを増していく。
 勝気で、清楚な、その容姿は、本当に生き生きしているように思えた。

「うふふ。
 そうそう! そんな意気込みが欲しかったのよ!」

 被った帽子に手を沿え、優雅な仕草でくるりと回し、底知れない自尊に溢れた言葉を紡ぐ。
 その天真爛漫で、気まぐれで、傲慢な振る舞いは、突然発生し何者をも巻き込む天変地異を髣髴とさせる。

 こうして比那名居天子は、とても綺麗で不純物が一切ない笑顔を振り撒きながら。
 天人の五衰の一つ、不楽本座(いまをたのしめないこと)の解消を満喫していた。

「さぁて、次は、誰と遊べるかな」






 己の意思で掴み取った不老不死に後悔し、俗世から離れることを選んだ少女、藤原妹紅。
 神霊から授けられた不老不死に満足し、俗世に塗れることを選んだ少女、比那名居天子。

 互いに、真逆で、決して理解しあえないであろう、不老不死の生存競争は開幕を迎えた。

【B-4・一日目 早朝】
【比那名居天子】
[状態]正常
[装備]永琳の弓、矢18本
[道具]支給品一式×2、悪趣味な傘、仕込み刀、橙の首(首輪付き)、橙のランダムアイテム(0~1)
[思考・状況]ゲームを楽しみ、優勝する。八雲紫とその式は自分の手で倒したい。


52:二択 時系列順 54:各々の正義、各々の守るもの(前編)
52:二択 投下順 54:各々の正義、各々の守るもの(前編)
32:零れ落ちるモノ 藤原妹紅 72:鳳凰卵の孵化
29:プリンセス天子 -Illusion- 比那名居天子 78:黒猫の行方


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最終更新:2009年07月11日 02:21
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