ブラクトンへの伝言

ブラクトンへの伝言 ◆CxB4Q1Bk8I



 闘争本能、という言葉ではあまりに陳腐かもしれない。
 しかし、比那名居天子が内に秘めた闘争への欲求とは、それに通じるものがある。

 戦うことは手段ではなく目的、生き残る事は目的ではなく結果。
 如何な強者とも渡り合い、その結果に勝利を手にする。


 ――素晴らしいじゃない。

 このゲーム、生き残れば勝ち。“ルール”にはそう決められている。
 でも、戦い抜いて勝利することが一番望ましいに決まってる。
 頂点を望むわけじゃないけれど、それは相応しい者に与えられるべき称号だ。
 当然、私はそれを目指す。戦って戦って、最後に残るのが私。

 私にとってルールなんて、与えられた切欠でしかない。守るべきもの、縛るものなんかじゃない。
 全ては、私が楽しむために存在するんだから。
 勝手にこんなところに押し込まれた不満もあるけれど、それ以上にここは素敵だわ。

 私は、私の思うままに在り続けるだけだ。


 射命丸文との別れの後、天子の心は昂ぶっていた。

 強者でありながら自ら戦うことを避ける天狗。
 おそらく彼女自身は、私とは違う形では戦ってるつもりなんだろう。
 情報を操り、他者を闘争に巻き込むことで自身の勝利を目指す、それを否定することは無い。

 でも私はそうじゃない!
 それでは満足できないのよ。勝ったという快感を得ることが出来ない。
 今はこうやって身体を休めているけれど、私は熱く燃える闘いの中でこそ勝利を掴む!


 …と熱くなるのはいいんだけど、この頭痛と疲労、どうにかならないかしら。
 疲労と負傷は身体能力を著しく低下させる。
 戦いにも害となるし、何より不快なのだ。
 頭痛も、思考が不明瞭になるような感じはないけれど、やっぱり無視できない。

「はぁ、んー…っ」

 大きく深呼吸してみる。
 苦痛を誤魔化すには随分とお粗末な方法だが、何もしないよりはマシだろう。
 濃霧の中多分に湿気を含んだ空気は、あまり良いものではなかった。




 背を預けた木の幹を撫ぜながら、天子は今、ひたすらに待っていた。

 置きっぱなしのリヤカーにある二つの死体は、興味の対象からは既に外れている。
 一度探って結果を得られなかったそれは、もうただの置物程度にしか価値が無い。
 過去に興味は無い、あるのは未来に起こることだ。
 どこぞの不死の姫がそんな風に言ったようだけど、天子もそれには同感だった。

 死者の出番は死んだ瞬間に終わり。亡霊のように未練に任せて存在するのは、過去に囚われているだけ。
 半不死たる天人、未来が面白い方が嬉しいのは当然だもの。

 心は燃え滾っている。こんなにも火照って熱いのよ。
 身体は疲れているけれど、心は早く戦いたくてウズウズしてる。

 あの時、異変を解決しに誰かがやってくるのを待ち侘びていたあの時。そう!その気分!

 さぁ、八雲紫!或いは他の強者達!

 身体さえ、元の通りになれば、
 今すぐにでもこちらから――




「……」

 ガサガサと、草を掻き分ける音が聞こえた。
 誰かが近づいてくる。
 そう感じた瞬間、あらゆる思考より真っ先に、天子は立ち上がっていた。

 弓に矢を番える。
 身体の重さに少し顔を歪めた。

 音のする方向へ弓を向ける。
 腕が悲鳴を上げそうなほどにギリギリと痛み出す。
 視点が定まらない。まるで幻覚に囚われたかのよう。
 二三度瞬きをすると、背を再び木に預けて空を仰いだ。



 ああ、やっぱり、戦いたいのよ、私。
 休みたい、痛い、疲れた、なんて愚痴を言いながら、私の身体は先走った闘争心にこんなにも付いてこようとしてくれる。
 大分、無理をさせてしまったというのに。今もって戦えるには程遠いというのに。
 戦いたいという感情に、身体は正直だった。

 でも、やっぱり今のままでは戦えない。
 誤魔化しきれない。悔しいけど、強者と戦うには不十分だ。

 弓の構えを解いて嘆息、一息つく間に状況を確認する。


 誰か、は真っ直ぐにこちらに向かっているみたいね。
 大方、さっきの隆起させた岩壁を見られたか、それとも、あの天狗に教わったか…そんなところかしら。
 あの猫の可能性もあるけど、そんな感じには思えない。
 どちらにしても、私やリアカーを見つけるのは時間の問題。
 霧が濃いとは言っても、広く視界を遮るほどではない。盲目でもない限り、気付くことだろう。


 ところで、天子の勘が優れているのは当然の事だが、今接近する者に気付いたのはそのお陰ではない。
 明らかに音の主が、その気配や音を隠そうとしていないのだ。
 草を掻き分ける足音が、どんどん大きくなってきている。


 それにしても無警戒な人。
 何を考えているのか知らないけど、身を隠す気は無いのかしら。
 こんなに音を立ててたら、私でなくても気付くに決まってるじゃない。
 先制攻撃されてもいいの? 奇襲されて立ち回れるの?
 私の手には弓がある。運が悪ければ一撃で冥界へご招待。
 何も出来ぬままに殺されちゃっていいのかしら?

 …まぁ、私はそんな無粋な真似はしないけど。
 八雲の猫の時のような“うっかり”はもう勘弁。
 奇襲は下手をすると何も楽しめないまま終わってしまうわけだしね。

 それに、もし相手が戦う気がないのなら、別にこちらからは仕掛けない。
 心は熱く火照っているけれど、私はちゃんと考えてるのよ。
 闘争への本能は、理性で抑えることが出来る。
 今戦うことが得策で無いことくらい、妖精にだってわかるわ。

 でも相手が戦う気なら、それを断る理由は無い。
 私の心は、きっと身体を言い含めて、売られた喧嘩を買う筈よ。

 そして頭のどこかでは、そうなる事を望んでいる。
 それを否定する材料は身体だけしか無いのだから。





 そうして、彼女が姿を現した。
 緑の髪に大仰な帽子、手には大きな得体の知れないモノを持っている。
 あれは多分武器、銃という奴かしら。異様に黒光りして、見ただけで危険な匂いがする。
 知識では知っているけれど、見たのは初めてだった。
 高い殺傷力を誇るものだという。天子に興味を抱かせるに十分な存在感を誇っている。

 そして、本人は堂々とした態度を崩さずに歩いてくる。
 その振る舞いは多くの者の上に立つ存在なのだろうと感じさせる。
 彼女は天子に気付いた様子で、足を止めた。

 その相手の持つ高い実力を、天子は感じ取っていた。
 燃え上がった闘争の炎を心の底に隠し、一旦冷静で柔和な表情を作り上げる。
 背の木から身体を離し、背を伸ばし貴き佇まいを試みる。
 相手が相手だ、相応の振る舞いと言うものがある。
 今は戦いを避けたい打算もある。身体もそうだし、武器にも差が大きいだろう。
 普段どおりならその障壁も歓迎なのだが、流石に今は自分に不利である事を十分に理解している。
 相手の態度次第だが、振る舞いからして戦闘狂や暗殺者などでは無いだろうと考えていた。
 そのため先ずは、自分が無害であるように見せねばならない。
 それでも、猫殺しの自分が猫を被るなんてお笑い種だと、心の中で自嘲した。

「こんにちは、お初お目にかかりますわ」
「これは、始めまして」

 天子が優雅に一礼すると、相手は丁寧に礼を返してきた。
 傷口がずきりと痛む。
 …私も大概だわ。優雅に一礼、なんて余裕のある身体じゃないのに。
 それにこの薄汚れた姿では見栄えも良くないだろう。
 若干歪んだ表情になったが、笑顔は保てている筈だけど。

 相手は一切表情を変えない。愛想も無く冷たい印象さえ受ける。

 まぁ、先ずは想定どおり。
 出会った相手を即座に殺害するタイプではなかったようだ。
 頭が良く冷静な判断が出来る存在。
 近づいてくるときの無警戒はどうかと思うけど、ね。

「私は天子。天より地を見下ろす比那名居の人。以後お見知りおきを」
「…天人ですね。私は四季映姫。――四季映姫・ヤマザナドゥです」

――ヤマザナドゥ!

 その名を聞いた瞬間、僅か数秒前に抑えたはずの闘争の炎が再び首を擡げるのを感じていた。
 知っている。この名前が、閻魔のものであることを。
 地獄で死者を裁く、かの八雲紫さえ苦手とするあの閻魔!
 ああ、幸か不幸か。
 この不完全な身体でなければ、今にでも闘いたい相手!




 天子の内心の変化を知ってか知らずか、映姫は次の言葉を繋げた。

「私は貴女を害するつもりはありません」

 …まぁ、そうよね。閻魔の立ち位置くらいわかってるわよ。
 正義なんていう一文の、いや一点符の得にもならないものに縛られてる。
 どうせ今も、殺し合いを止めるために動いてるとかそんな感じでしょ。
 先ずは意思伝達で安全確保、次いで仲間に勧誘、殺し合いに乗る人間を減らしていく。
 セオリー通りと言ったところかしらね。

 でも、それじゃあ、退屈じゃない。


「ええ、私も『今は』貴女と戦う気はありませんわ」

 今は、と強調して相手の反応を見る。
 挑発めいた言葉は、相手を見極めるのにとても有効。
 閻魔ほど頭の回る方でなくても、この違和感には気付くだろう。

 しかし映姫は表情一つ変えず、言葉に反応した様子も無い。
 そうですか、と一言だけ呟いた。


 天子は少し首を傾げる。
 今までの閻魔のイメージとは少し違う気がしていた。
 安定感、威厳は感じるけど、どこか上の空なように見えたのだ。

 八雲紫や西行寺の亡霊のような胡散臭さ、捉えどころの無さとは違う、一切の誤魔化しを許さない態度。
 常に絶対の真実を見極め、正義という名で全てを規律する存在。
 閻魔を苦手とする妖怪が多い理由はそこにあると思っていたのだが、どうも肩透かしを食らった気分だった。



「では――」

 これからが本題、というように映姫は語調を強めた。

「貴女は、この殺し合いをどのように思いますか」

 天子の目を強く見据えている。
 先ほどまでのどこか上の空の彼女から、一気に閻魔たる四季映姫の表情に変わっていた。




 …ふーん、随分とストレートじゃない。
 もっとじらしながら聞き出したり、他の話題から失言を待ったり。
 相手の真意を知るためには、それくらい出来ないと、生き残るのは難しいんじゃないかしら?
 ま、閻魔って言葉飾るの苦手そうだし、装飾なんて無意味だってことも判ってるのかしら。
 多分変な使命感があるんだろうし、それに従うってことなら納得も出来るけど。

 それなら、私も返答は直球で。嘘を吐いたところで閻魔には通じなさそうだし。
 誤魔化すのも、見逃してもらうように猫を被るのも、やっぱり私には無理だったわ。
 あの時と同じで、飾ったところで無意味だったのよ。
 なによりも、その反応を見てみたいという好奇心が勝ってるから。

 そう、自分に正直である方がいいに決まってるわ。


「楽しいですわ。私の欲望をかなえてくれるもの」
「…と、いうと」
「乗ってるってこと。私は殺し合いを楽しんでいるのよ。今は身体を休めているけど」

 極めてそれが当然であるかのように、天子は言い切った。
 口先で何かを覆い隠そうとするより、それはずっと快感だった。


 さぁ、どう出てくる。
 閻魔らしく説教してくる?私が、貴女の言う正義に戻るように?
 それはお笑いだわ。有頂天に地の底の論理を持ち込むなんて馬鹿げてるじゃない。

 それともその手にした無骨な武器で私を地獄に送ろうとする?
 もしそのつもりなら――勿論、戦うわ!
 身体は万全じゃないけれど、かの閻魔との闘いなんてそうある機会じゃない。
 ここまで熱くなった私の心は、今にでも貴女を――!



「そうですか、それは良かった」

「…えっ?」

「貴女の行いは正しい。そのまま法に従いなさい」


 予想外の反応に言葉を失ってしまった。
 さっきまでの作り笑顔はもう崩壊してしまっていることだろう。
 頭の中で映姫の言葉を繰り返す。

 閻魔が、殺し合いを肯定しているというの!?





「…私を、裁かないのね」
「法に従ってる貴女を裁く理由はありませんし、裁くつもりもありません」
「…法って何よ」
「ルール、秩序。この世界を規定する規律です。即ち殺し合いを続けるべきであり、貴女はそれに従っているのです」


 なによ、それ。
 法に従わない私に、法に従うように説くのならば、それを受け入れるかは別として、理解できる。
 しかし、そうではなく、私自身の行動を、“誰かに”定められたものだとしてしまった。

 確かに、今与えられたフィールドは主催者によるルールの下にあると言える。
 首輪という拘束、ルールという制限、禁止エリアという規制。
 それらはフィールドを、私を、取り巻く主催者の意思。法、或いは規律であるかもしれない。

 しかしただ従うということは退屈で、天子はそれが大嫌いだった。

「悪いけど閻魔様、私は規律になんて従ってるつもりはないの」

 それ故に、認めることが出来なかった。

 私の行動を決めるのは私だ。
 何かに従っているわけじゃない。
 自分で考え、自分の望むままに、在る。

 映姫が何か言おうとしたが、天子が睨むと押し黙った。


「法に従うなんて冗談じゃないわ。考えるのも決めるのも行動するのも、全て私の自由よ。
 このフィールドは“偶々与えられた、ただの切欠”よ。私はそれに便乗して、殺し合いを楽しむだけ」

「ですから、他者を殺め勝利を目指す事は、法が認めた真理。故に貴女は正しいのだと――」

 正しい?そりゃ、閻魔様はそれが大事なんでしょうね。
 でも私はそういうことは望んでいないのよ。
 閻魔のお墨付きなんて、私は、欲しくない。

「貴女の言う事とは違う! 誰かに決められたままに動くんじゃない。私は私の思うままにいるだけよ!
 誰に強要されるわけでもない!正しさや規律なんて無意味だわ! 
 ――さぁ、閻魔!貴女が殺し合いを認めるというのなら、今すぐ私を殺してみなさいよ!
 全て自分で決めた私は、規律に縛られる貴女に負けはしないわ!」





 手に持ったままだった弓を再度構える。
 頭痛や疲労は滾る心に追いやられ、身体はそれに同調するように反応した。
 痛みはあった。しかしそれを抑え込む程に感情が勝った。
 至近距離で相手は不動、得意で無いとは言え身体のどこかには確実に撃ち込める。

 もう限界だわ。

 自分は自由であり、またそうでなくてはならなかった。
 自分を縛る全てが退屈で、常に新しいものを探していた。
 今こうしていることも、全て自分で望んだこと。

 それすらも規律の下にある、そう断言されることは、奔放な天子には許容し難いものだった。


 猛る天子と対照的に、映姫は僅かにも表情を崩さない。


「私は、この法を肯定します。殺し合いは望まれて行われるべきなのです。
 それが今この場での規律であり、私達は法に縛られる存在。
 それは例外なく、貴女は実際その通りに動いている。
 貴女がどう思おうが、それが法の範疇である事に変わりはありません。
 それは勿論私にも言えること。
 ――ですが、私の内なる正義が許さないので、私自身は手に掛けることはありません。
 私は真実を説くだけ。それが閻魔としての役割です」


 なによ、それ。

 熱く滾っていたはずの映姫への闘志が、急速に熱を失っていくのを感じた。
 行き場の無い苛々と怒りが、代わりにとばかりに沸々と湧いてくる。

 それを怒りというのなら、それは身勝手な怒りだろう。
 しかし天子は、身勝手であるという事を否定しない。

 常に自分の在るがままでいられた天子には、身勝手である事を許されないが為に矛盾を抱え込んだ映姫の思考を認められなかった。
 ただ彼女の今の思考が、決定的に自分とは相容れない事を悟った。




「…貴女、どうせ、自分が法を説いて他者を導くべきだ、とか思い込んでるんでしょ」
「ええ、私は閻魔ですからね。規律の番人であり――」

「いいえ、貴女勘違いしてるわ。法を説くとか言って、貴女は閻魔という立場に縋ってるだけ!
 立場に縋るが故に自分の思う規律を他者に押し付けて自分は逃げてるに過ぎない!
 自分でも納得できてないくせに、規律という名でそれを無理矢理消化しようとしているだけ!」

 吼えるように天子は叫んだ。
 対する映姫は冷静なまま言葉を返す。

「閻魔の役割、それは第三者として真実を見出し、秩序を守ることです。
 私は真実を悟りました。故に、それを説くべきなのは当然のことです。
 私が閻魔である以上、そうしなければならないと結論付けたに過ぎません」

「違うわ!勝手に自分で結論付けて、あまつさえそれを法として説いているだけじゃない!
 私に正義が無いように、貴女だって自分勝手な一人に過ぎないって言うことに気付いてない!
 何が閻魔よ、何が規律よ、ふざけるのもいい加減にしなさいッ!!」


 天子は、溢れる言葉を感情の任せるままに吐き出した。
 そうしなくては、感情を押さえ続けることが難しかった。
 闘いを求めた心が暴走すれば、いずれ身体は保てなくなるだろう。
 感情を抑えず顕にするのは、天子が無意識に取った生存への本能であった。

 対照的に、映姫は表情一つ変えない。
 手の武器は下ろしたまま、天子を色の無い顔で見つめていた。


「仰りたいのはそれだけですか。
 一見論理的なように見えて、全く貴女の中でしか完結していない言い分。
 ただ貴女が思ったことをそのまま口にしただけに過ぎない。
 それが何も生み出さない事を理解しているというのに。
 そう、貴女は少し感情に任せすぎる」

 諭すように映姫は話を繋ぐ。
 天子が如何な表情を見せようとも、それは映姫の瞳には映らない。

「良いですか、物事を見極めるために冷静になりなさい。
 一時の感情に任せていては正しい結論は導き出せない。
 私は一時の感情ではなく、勿論自分勝手でもなく、確実な世界の真理を説いているのです。
 それは貴女を含め全てが従うべき規律。即ち先程の――」




「…ッ、もういいわ!」

 激しい怒りを隠すこともなく、天子は映姫から顔を背けた。
 自分の言葉がまるで届いてないのだと感じていた。
 冗談じゃない、閻魔ともあろう者が、闘争心すら無くしてこの様なんて。

 戦いの中でこそ、私の心はあんなにも昂ったのに!
 先ほどの天狗との遭遇のあと、私はこんなにも次の闘いを楽しみにしていたのに!
 それがどうして。無意味な説教されて何が得られるというのかしら!!


「教えてあげる!貴女は今、腑抜け同然よ!戦う価値も無いわ!」

 もし八雲紫や他の強者が貴女のようになっているなら、私はその腐った心を撃ちぬくだけ。
 つまらない結果。そんなもの、私が望むわけ無いじゃない!


 腑抜けという言葉でさえ、映姫の仮面のような表情を崩すことは出来なかった。
 相も変らぬ冷たい表情のまま、奥の見えぬ瞳で天子を見ていた。

「精々、貴女の思う下らない正義のために頑張ることね!私は御免だわ!さよなら閻魔様ッ!」

 捨て台詞を吐いて、弓を仕舞うと、覚束ない足取りで天子はその場を後にした。
 足元に神経を払い、痛めた身体を働かせ、一切動じない閻魔の元から離れていく。



 映姫は去り行く天子を冷めた目で見届けると、何事も無かったかのように視界の端に映っていた荷車へと足を運ぶ。
 覗き込むと、二つの屍が無造作に放り込まれていた。
 それが天子の仕業かは不明。尤も、映姫にとってどちらでもよかった。

「願わくば、安らかに」

 ただそう呟いて一礼し、その場を後にする。
 残されたそれは、既に持ち主不在の投棄物と化していた。

 最早誰かに見止められる事も、無いかもしれない。







 ああ、苛々する。

 私は私の思うようにやりたい。それだけだ。

 それなのにあの閻魔は、自身の勝手な思い込み論理を全て私に押し付けようとした。
 規律という言葉で全てを縛り、白と黒の二色でしか世界を見ることのできない存在。


 嘗ては、閻魔としてそれが正しかったのかもしれない。
 しかし今、彼女の白が白である根拠はどこにもない。
 彼女は見失った正義に何かの影を重ねているだけに過ぎない。
 内に二色の反する正義を抱えて、くだらない正当化を繰り返してるだけだ。

 まぁ、尤も私は正義なんかに従う気なんて無かったけどね。

 この殺し合いのルールは、極めて自由だ。
 だから、私は楽しむ事にした。それだけの話だ。


 映姫が見えなくなるまで歩いた後、手頃な木の傍に腰を下ろす。
 相変わらず濃い霧が不快な上、無理を重ねたせいか余計な疲労を背負ってしまった。

 沸々と湧き上がる感情を宥めるだけというのは退屈だ。
 それでも今、これ以上動くことは得策ではないことは理解している。


 あーあ、またとない機会だと思ったのに。
 閻魔との遭遇、幸運が自分に味方したと思ったのに。

 感情は負に振れ、身体は疲労を重ね、新たな情報も無い。最悪の結果だった。


 映姫がこちらに近づいてくる気配も無い。
 小さく嘆息すると、木に身体を預け精神の安寧を試みる。
 次の放送まで間もない、やはり暫くは待つべきだろう。
 目を閉じると、いずれ訪れる戦いに備え、再び休息に入った。


【C‐3・霧の湖南西部周辺の森・一日目・昼】
【比那名居天子】
[状態]能力発動による疲労(極大)左肩に中度裂傷、左腕部に重度打撲、頭痛
[装備]永琳の弓、 朱塗りの杖(仕込み刀) 矢*12本
[道具]支給品一式×2、悪趣味な傘、橙の首(首輪付き)、河童の五色甲羅、矢5本
[思考・状況]
 1.放送まで休憩。放送後、動けるようになったら人間の里に向かう。
 2.八雲紫の式、または八雲紫に会い自らの手で倒す。
 3.残る幻想郷中の強者との戦いを楽しむ。第一候補は射命丸文。

 ※燐の鉄球を防御した後、スキマ袋は開けていません、中の道具が破損している可能性があります 。
 ※リヤカー{死体が3~4人ほど収まる大きさ、スキマ袋*1積載(中身は空です。)}はC-3南西部の森湖畔沿いに安置されています。




 貴女は私を殺さなかった。
 殺し合いを肯定しているというのに。
 私はそのとき無抵抗で、私を殺すことが如何に有益か、考えればわかることだったというのに。
 そしてそれこそが、正しい選択であった筈なのに。

 やはり貴女もレミリア・スカーレットも、自己満足の世界でしか生きていないのですね。
 判断基準は公に無く、価値観は独自のもので、全て自らの心の中に持つ。
 どうすべきかではなく、どうしたいかで全てを片付ける事ができる。

 愚かにも、それは羨ましいと、思えてしまう自分が、憎らしい。

 貴女達は、それで自己完結すればいい。
 私が抱いてしまっていたつまらぬ白と黒の基準より、よっぽどこの世界に相応しいことだろう。

 嘗ては私もそうだったかもしれない。
 私の独自の価値観は即ち正義であり、規律であった。
 ただ心の向くまま、閻魔という職に付随した正義、善の赴くままでよかったのだ。
 己が中にあることこそ絶対の真実であり、あらゆる基準であったのだ。
 それに悩むことも疑問を持つことも無く絶対で、それ故私は閻魔であった。

 今は悩み、疑問を持ち、犠牲を出しながら真実を悟った。
 正義は自分の内面に存在するものではなく、個々夫々の内部に持つものだ。
 閻魔の役割は、正義を実現する事ではなく、規律を守ることであった。
 そして今、規律は自己の正義とは明確に違っている。

 内心と乖離した皮肉な矛盾は、我が身可愛さに他者を殺めた瞬間に肯定されたのだ。
 矛盾を内包した中で、閻魔は結論を出したのだ。
 いや、出さざるをえなかったのだ。

 殺し合いという規律を認めること。映姫が望まぬとしても、閻魔はそう判断した。それだけの話だ。


 このゲームの主催者たる八意永琳すらこの世界に降り立ち、規律と法の下で“殺し合い”しているのだ。
 規律を規定した存在はそれより遥か高みにいて、きっと真っ黒に染まった大地を見下ろしているのだろう。

 そうして作られた秩序を広く知らしめることは当然の帰結。
 私は閻魔なのだ。世界を導く番人なのだ。
 真実は広く還元せねばならない。


 ならば自己の死は、と一時は疑問にも思った。
 閻魔は殺し合いという規律を肯定する。そして四季映姫は誰も殺さぬのだから、誰かに殺されねばならない。
 他者の殺害という自己の正義に反する行動の犠牲として、或いは規律に背くが為の罰として、それを受け入れるべきなのだろう。
 それは罪人となった自己の贖罪、法に従うことを拒否した四季映姫の、唯一の善行なのだ。

 閻魔も四季映姫も、自己の死までを法に組み込むことに躊躇いはしなかった。






 彼女は道の上を歩いている。

 霧の湖より南、道を辿れば東西へと分岐し、人里か妖怪の山へと続く。
 周囲の草原と違い、人の手により真っ直ぐと引かれた道。
 足場はしっかりと踏みしめられており、僅か小石が転がっている以外は綺麗なものだ。

 彼女は道の上を歩いている。

 超然、威圧。あらゆる存在を導き、常に正確な判断を下す者。
 地獄の最高裁判長、四季映姫は極めて閻魔に相応しい存在であった。
 その眼は尚、常に正しいものだけを見極めているかの如くに揺れず、ただ前を見据える。

 彼女は道の上を歩いている。

 視界は開け、進むべき先がはっきりと見て取れる。
 それは異様に魅力的で、映姫は満足げに微笑んだ。




【C‐3 霧の湖南部の道・一日目・昼】
【四季映姫・ヤマザナドゥ】
[状態]健康
[装備]MINIMI軽機関銃(?/200)、携帯電話
[道具]支給品一式
[思考・状況]基本方針:参加者に幻想郷の法を説いて回る
 1.道に沿って南下。
 2.殺しはしない。しかし、殺害することを否定もしない。
 3.自分が死ぬこともまた否定しない。


95:エスケープ・フロム・SDM 時系列順 97:哀之極
95:エスケープ・フロム・SDM 投下順 97:哀之極
88:文々。事件簿‐残酷な天子のテーゼ‐ 比那名居天子 114:比那名居天子の憂鬱
71:屍鬼 四季映姫・ヤマザナドゥ 107:幽霊がいるとして人生を操作しているとしたら

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年11月08日 15:57
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。