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殉教者の理由/Martyr's Cause ◆gcfw5mBdTg



 天照に加護されている、草原の緑、大地の茶、大空の青。

 太陽光に白い皮膚が焼かれながらの長距離全力疾走による息切れを堪えながら確認した背後は、そんな光景だった。

「……ここまでくれば大丈夫かな」

 私は霊夢を振り切ったことに、息を吐いて安心し、街道から外れた木陰で足を休める。

「今日は本当にいろいろあったわね……」

 薄紫の長髪を指で梳きながら思索に耽る。
 太陽がぎらぎら眩しい……けど……生きているというのが分かるのはありがたいわね。

 本当ならそんなの当たり前……なのになぁ。
 大抵は、だらだら過ごすだけで一日が終わったのよね……。
 平和で楽しくて……なにより安心できる日々だったのに。

 ポロポロと涙がこぼれていく。
 やりきれない思いが口から溢れそうになってしまう。
 思い返すだけで、惨めな感情が湧き出てしまう。


 なんで……こんなことになっちゃったの……。

 昨日は、人里へ薬を売りにいったり、永遠亭で団欒したり、師匠に指導されたり……。
 いつもと一緒、いつものように、いつもと同じ。
 何一つ変わったことなんてしちゃいないのに。

 ――師匠によって舞台へ招待されてしまった。

 なんで……殺し合いなんかに参加しなきゃいけないの…っ…。 
 師匠のあんな姿、見たくなかった、あんな声、聞きたくなかった。

 ――親しく話してくる火焔猫燐の食事にあろうことか毒を仕込んでしまった。

 目論見自体は失敗したけど……成功するより被害が増える最悪の結果。
 原因は満場一致で私よね……。


 ――霊夢と出会い、殺されかけた。

 先程まで叫び出したい程の恐怖を私に齎した、博麗霊夢
 ああ、今考えても、わけが分からない。
 あんたは博麗の巫女でしょうが。
 異変の解決に精を出していればいいのに、なんで私に斬りかかるのよ。
 ……ああ、でも私を斬ることに関してだけは、そう責めれることでもないか……。

 ――そして、こうして逃げてきた……と。

 今日の半分も過ごしていないのに、過去最大と断定できる濃密な時間。
 というか、後悔しか残ってないって、もう私なにやってんだろう……。

 ああ、時間を巻き戻したい。
 昔の私を殴ってあげたい、毒を取り上げたい。
 過去の改変を願っているのは、きっと私だけじゃないだろう。
 無駄なのはわかってるのに、いつもいつも脳裏によぎってしまう。
 過去の改変は、師匠でも姫様でも不可能な恒久の摂理なのに、つい、願ってしまう。
 あのとき、ああしていたら、…っ…。


「なんで……こんなことになっちゃったの……」

 私は心に浮かんだ言葉をそのまま小さく呟いた。
 問い掛けなくても答えは理解しているのに、別の答えが欲しかった。

 けれど、別の答えは返ってこない。
 理解したくない。でも、理解している。

 わかってるわよ……全て師匠と私のせいよ。

 もう泣きたい。 
 私なんかに師匠をどうにかできるんだろうか……?
 でも月の兎の一兵卒だった私なんかが抵抗するにも、術の一つすら思い浮かばない。

 師匠は天才だ。
 創設一億年は経っている月の都の創設者の一人。
 様々な科学知識に長けており、不老不死の薬も開発している。

 ……正直、私が勝っているところなんて狂気を操る能力を使えることぐらいじゃ……?

 その考えに至った途端、不安で震えてしまう。

 誰か傍に居てほしい。
 やっぱり諦めたほうがいいかもしれない……。
 こんな不安も迷いも混乱を捨てて、いつまでも夢の中に身を委ねていたい。

 でも……。

 ――――『私の……死を…少しでも……悼んでくれる……のなら……お願い。……逃げないで。自分を……信じて……あげて』

 叱られると思っていたのに……穣子さんは私を気遣ってくれた。
 穣子さんを殺したのは私のようなものなのに……。

 見るも無残な大怪我なのに一生懸命戦う姿、困難に立ち向かう。
 思い返した穣子さんの姿が、冷たい水のように、心に刻まれた傷に沁みた。
 涙が零れそうになり、顔を伏せる。

 ああ……そうだ。

 皆がひどい目にあったのは私の責任だ。
 だから……身内の不始末は私がとらなきゃならない。師匠を……恐れちゃいけない。
 穣子さんの遺志に応えるためにも――私は師匠を……倒さなければならないんだ。



 ……行かなくちゃね。

 きっと明日には、また笑顔に戻れると信じて、涙を拭いて、顔を上げた。
 額に浮き出る玉の汗をセーラー服の裾で拭いながら辺りを見回す。

 まずやるべきことは人探し。

 穣子さんの姉である紅葉神、秋静葉。
 さっきの騒動で行方不明になった少女、古明地こいし。
 私の罪を押し付けられた化け猫、火焔猫燐……。

 こいしと燐は人里から、そう離れてはないと思うけど……どこにいったのかはわからない。
 静葉という人に至っては手がかりの一つすらないという有様。

 ……人に聞くしかないわね。
 あまり人には会いたくないけど、そうしなければ到底見つかるとは思えない。


 決意を固めセーラー服についた塵を落とし木陰から出る。

 そういえば……ここは何処だろう?
 無我夢中で走ってきたためか方角がよくわからない。
 街道沿いに走ってきたということは……人里から東にいったあたりだろうか。

 とりあえずは人里から離れよう。
 燐とこいしから離れるかもしれないが、霊夢とは絶対に遭いたくない。




 そうして魔法の森か永遠亭にでもいこうかな、と東を向けば、遠くに小さな人影がうっすらと窺えた。

 だ、誰だろう。
 恥ずかしいことに恐怖と疲労で碌に身動きが取れない。
 手榴弾を手にし、木陰に半身を隠し、口の中で唾を反芻しながら、途方に暮れた表情で待っているしかできなかった。


 ……。


 あれは……姫様!

 歓喜で私の心が沸きかえる。
 人影がうっすらと個人識別できる程度の大きさとなった時、私は本当に安心した。
 私にとっては非常になじみ深いものだ。

 桃色の上着に赤のスカート。
 背中まで流れる見目麗しい黒曜石の長髪
 なにより、粗暴な荒々しさなど微塵もない、万人の心を掴んで離さぬ神秘的な美貌。

 なんのことはない。
 私が仕える永遠亭の主、蓬莱山輝夜が、片手に持ったおにぎりを頬張りながら、気怠げな足取りで歩いてきただけである。
 もう片方の手には銃をぶら下げているけど……きっと護身のためだろう。

 姫様ならば実力も性格も信用できる。
 師匠にこんなところに放り込まれたもの同士として理解してくれるはず。

「れーせーん、このおにぎり、貴方も食べる?」

 あちらも私に気付いていたようで、そう言って姫様は私目掛けて新品のおにぎりを――投擲した。

 慌ててたけど、なんとかキャッチできた……けど力を入れすぎてちょっと潰れてる……。
 姫様、できるなら手渡して欲しかったです……。

 ◇ ◇ ◇


「あぁ、ご無事でよかったです。お怪我はありませんか?」

「心配は無用よ。そう慌てなくてもいいわ。」

 永遠亭の主、蓬莱山輝夜。
 永遠亭のペット、鈴仙・優曇華院・イナバ

 主従は、穏やかに、和やかに、再開した。
 輝夜のおにぎりをぱくつく仕草と緩やかな雰囲気に、ようやく冷静さが戻ってきた鈴仙は、身なりを整え、取り澄まして応じる




 …………。



 談笑も落ち着き、今までのことを話し合おうという流れになった。

 まずは鈴仙。

 会場へと降り立ち殺害を決意したこと。
 火焔猫燐、鍵山雛、古明地さとり、秋穣子と出会ったこと。
 そして……一連の悲劇。

 鈴仙は嘘はつかなかった。
 軽蔑されるかもしれないという恐れはあった。
 だけど、もう後ろめたい想いを味わいたくはなかったし、もしも、今後の自分が道を違えたときに叱ってくれることを期待していたからだ。

「……それで人を探してるんですけど、どこかで見かけたりしませんでした?」

 鈴仙は気付かない。
 尊敬している主、輝夜の視線が冷たくなっていることに。

「さぁ? 私が出会った参加者なんて貴方で二人目よ。
 魔法の森から、ここまでの街道にはいなかったけど、他はさっぱりね。
 ……じゃあ、今度は私ね。話す内容はそう多くないけど」

 鈴仙は見抜けない。
 敬愛している主、輝夜の現在の心情を。

「――永琳を助ける為、主催者の趣旨に沿うよう動いてるわ」

 澄ました顔で、ぽつりと洩らす。
 それは鈴仙にとって残念なほどに簡単な意味合いだった。

「え……?」

 鈴仙は冷静な反応を返すことができず、表情がビシッと凍りつかせ、思わず声を漏らす。

「既に一人、妖怪の余生を絶ってきたわ。
 放送より前だから、貴方の探してる三人ではないわよ。安心した?」

「ひ、姫様? いつもみたいに冗談ですよね?
 それに助けるって師匠は私達まで巻き込んだんですよ!」

 雲行きが非常に怪しく、風向きも変わった。
 鈴仙はそんな状況を必死に慌てて元に戻そうとする。

「……やっぱり貴方は、永琳が本心から開催したと思ってたのね。
 助けるってのは助勢じゃなくて救出よ、救出」

「え……だ、だって、あれはどう見ても師匠でしたし……。
 それにですよ、師匠を無理矢理従わせるなんてできるわけないじゃないですか!」

「月に人がいるぐらいなんだし、宇宙のどこかにでもいたんじゃない? きっと冥王星あたりね、なんとなく強そうだし」

「あれは……師匠の本意じゃないんですか……?
 師匠は、私を姫様を殺そうとしてるわけじゃないですか……」

 信じられない、でもたしかに……と鈴仙は迷いを見せる。

「会場に、首輪に、袋に、支給品。
 いくら永琳だって、大抵、私達の傍にいながら、こうも大掛かりな設備を整えるなんて、無理があるわよ。
 参加者に永琳が書いてあるのだって、主催者としてあの場所にいるけど、私達とそう変わらないってことでしょ、恐らく」

 鈴仙は反論できない。
 内心の動揺を気取られないようにじっと拝聴を継続する。

「だから私は遊戯の法則に従い最後の一人になる。
 もし、そこまでいけなくても主催者の目的に沿うよう尽力して満足させれば、永琳の開放って恩赦の一つぐらいは望めるかもしれないわ」

 生命を滅し、絶叫を響き渡らせる哀れな子羊を量産する。
 そんな傲慢な応答を、輝夜は、すらすらと淀みなく、親愛を湛えた表情を崩さずに紡ぐ。
 相変わらず上品な立ち振る舞いと満面の笑顔だが、声が笑っていない。

「……でも…他に方法だって……!」

 鈴仙はヨロリと後ずさりながら、血色を変えて必死に反論する。
 しかし必死に模索しても、代案は思い浮かばない。
 永琳ですら敗北した存在に対抗する手段を思いつけない。

「手遅れ、手遅れ。
 私達はこの会場に集められた時点で、既に死んでいるようなものなのよ。
 こんなに容易く拉致されて、能力にも生命にも枷を嵌められた。惨敗もいいところね。
 それにね、仮に奇跡でも起こして皆で帰れたとしても――永琳は皆に含まれていると思う?」

 永琳が含まれているかいないか、それは輝夜にとって譲れないライン。

「で、でも、それを言うなら、最後の一人になれても、それで師匠を開放してくれるというのも決まったわけじゃないでしょう」

「ええ、むしろこんな遊戯を企む人なら、九割方拒否するでしょうね。
 それでも、こっちに期待するほうがましよ、私の見立てではね」

 鈴仙は不穏に満ちきった空気を理解しながらも、破滅への道程をなんとかしようと、思考を重ねる。
 だが、それより先に、輝夜が口を開く。

「ねぇ、協力しない?
 最後には雌雄を決しなきゃいけないのが難点だけど、生存を目指すのなら、まだこっちのほうがましよ」

 輝夜は、柔らかな物腰で鈴仙へ、一歩、二歩、もう手の届く距離。

 とても愛らしい気安い笑みを浮かべ、まるで平時が如く、ペットをあやすように、鈴仙の頭を撫でる。
 自分が必要とされる喜びと幸福感に、鈴仙が自身に課した決心がぐらぐら揺らぐ。
 想いが、心の奥底に掛けていた鍵が、差し出された欲望の手に開けられそうになる。

 だが、それでも。

「……否定、します。何度でも……ッ!」

 はっと我に返って即座に輝夜と距離をとった。
 呂律はまわっていなかったし、迷いはまだまだ捨てきれない。
 しかし、ふるふると手が震えほどの焦りながらも、威勢良く、力強く、自分の生き方を言い切った。
 穣子の死を穢してはならない、と残った勇気を振り絞り、崩れそうになる体を必死に支え、なんでもない風を装って見せる。

「そう……」

 交渉は決裂し、主従の道は違えた。
 輝夜は困ったような軽いため息をつく。

 終始無言。
 どちらも語りかけることができず、重苦しい沈黙が立ち込める。


 ゴクリと鈴仙は唾を飲む。
 先程の啖呵は勝算あってのものだ
 相手は銃を持っているといっても、輝夜は素人、鈴仙は元兵士。

 そして、なによりも彼我の距離が近い。
 僅かな行動に注意を払い、輝夜の波長を操り僅かにでも狂わせれば、姫様を押さえ込めるという算段だ

 だが、鈴仙の行動は実現しなかった。
 といっても、防げなかったのではない。



「――いきなさい」

 ふ、と沈鬱な顔立ちに笑みを灯し暖かな眼差しで空を見つめた輝夜が、そう言って右手を開き、銃を地面に落としたのだ。

「……いいんですか、姫様」

 鈴仙にとって予想外でありながら最良の結果。
 輝夜の言葉は、鈴仙の心の中でじんわりと溶けて、染み込んでいく。
 無防備な心の奥に優しさが嬉しかった。

「次に逢えば……わかってるわね?」

 諦めと寂しさを滲ませた輝夜の声は低く、しかしはっきりと響いた。
 淀みない動作で片手を、ひらひらと振り、どこかへ行けといった仕草を見せる

「――ありがとうございます」


 だから鈴仙は離別のために振り向き、感謝の気持ちを洩らす。
 振り向こうとした鈴仙から、最後に見えた輝夜は――悲しげに顔を伏せていた。

 心の奥底が、優しく修復されていく。
 嬉しさが抑えきれず、涙がじわりと零れる。
 鈴仙は、道を違えてしまった自分を認めてくれた主の意思に応えるため、もう振り返らなかった。

 己の理想、幻想を実現させるために。






 だが、この世界の理想と幻想は、濡れた紙一枚よりも薄く脆い。

 鈴仙は、それを思い知ることとなる。






 ――今、この時に。

 背中を向けて去る鈴仙を鋭い目線で捉えていた輝夜が、巧緻に長けた弾幕を、背中に突き刺したために。

 気の緩みを狙った最適のタイミング。
 ほんの僅かに指を動かすだけの、ワンアクションで全てを終了させた。

 突如、背中に喰らいついた弾幕によって、大地に倒れ伏された鈴仙は、肺から空気の塊を吐き出し、咳き込み、起き上がれない。
 思考だけでも冷静に回転させようとしているが、それでも、いまだ、現実を信じられないでいた。

「なん……で……」

「自分にとって都合の良い物事を、たいして疑いもせず受け入れてしまうのは相変わらずね」

 倒れている鈴仙に歩み寄った輝夜は、片足に体重を乗せ、よく見えている背中を、思い切り、踏み割る。
 踏み締められた肋骨の付近がメキリと不吉な音を立て、刻み込まれた暴力により鈴仙の肉体は静止を余儀なくされた。

「私を認めてくれたんじゃ……なかったんですか……?」

 鈴仙はいまだ踏み締められている背中の痛みを堪えながら、消え入るような、精一杯の言葉を呟く。

「永琳でも敗北した難題を相手にして、貴方になにができるっていうの?」

 氷のように冷たい声音を響かせながら、輝夜は回収済みの拳銃を鈴仙の後頭部へと押し当てる。

 ――自分はどうなってしまうのか。

 そんな鈴仙の想いは、回答を得た。
 理解したくもないのに、正確に理解させられた。

 行動の示す意味は実に細い。
 脅し、もしくは――殺害の意志表示。

 その事実に、鈴仙は必死に足掻きたかったが、執拗に恐怖を伝導された肉体は碌に動かず、身を守るよう縮こまるしかできなかった。


「永琳が貴方に与えた優曇華院という名前の意味は知ってる?」

「ひ、姫様の育ててる盆栽の名前ですよね」

 鈴仙は、質問の意味をよくわかっていなくても、死刑を遅らせるため必死に藁に縋る。

「ええ、そうよ。穢れを栄養とし、蓬莱の玉の枝を咲かせる月の植物ね。
 穢れを知らない月の兎が、地上の穢れを味わい、美しい実をつけるのを期待して、永琳は貴方に与えたんでしょう。
 貴方を殺すのはいいんだけどね――永琳の想いは無碍に摘み取りたくはないのよ」

 ――もしかしたら……助かるのではないだろうか。

 絶望の想いに満ちた鈴仙の表情に光が灯る。

 だが。

「でもね――いつかは殺さなければいけないというのも確かなの」

 普段であれば決して口にしないようなドスを利かせた声で嘲り、銃口を動かし頭皮を軽く削る。

「だからチャンスをあげる」

 潤んだ瞳を閉じ、いやいやと首を振る。
 運命を知りながら、希望を持ちたくない。
 現状を把握することすら、苦痛で、嫌で、やめたい。
 切実で悲壮に溢れた想いが心を駆け巡る。

 だが輝夜は止まらない。

「多分、永琳がこっそり優遇措置してくれたんでしょうけどね。
 首輪の爆破権ってものが支給品に入ってたのよ、一回しか使えないけど」

 鈴仙は、なにを言われたのかよくわからなかった。
 いや、考えれば、嫌な予想にあたりそうな気がして考えたくなかったのだ。

 そして嫌な予想というもののは古今東西、的中する場合が非常に多い。

「――私はこれから参加者を三人ほど殺してきます、と、この場で誓いなさい。
 完遂したら最後の二人になるまでは見逃してあげる。逆に誓いを破るか期限が切れれば、貴方の首輪は爆破される」

 惨めに泣き喚いても、輝夜は止めはしないだろう。
 それだけの意志を感じさせる冷徹な声で続ける。

「選出は自由。期限は……次に私と逢うまで。
 証拠は……顔に出やすい貴方の嘘を見破るなんて容易いし、なくてもいいわ。
 死を満たす基準は、自分が殺したと心の底から認識しているかどうか。
 間接的にでもいいし……死に損ないを介錯してあげるのも一人分と認めてあげる」

 底冷えのする声で、粛々と難題を読み上げられた難題。
 おびえながらも一言一句、命綱を聞き取っていた鈴仙の血の気が凍る。

 再開した場合。
 逃亡すれば――死ぬ。
 偽証だと理解、もしくは誤解されても――死ぬ。
 蓬莱の薬の服用者の輝夜相手に、気取らせずに一撃で致命傷を与えなければ――死ぬ。

「僻地で縮こまっていてもいいけど、その場合、貴方の探してる三人は見つからないでしょうね。
 ま、深いことは考えないの。私の言うとおりに動けば間違いないから」

「……また殺さなきゃいけないんですか……やだ――」

 優しく誘うように語りかける輝夜に、鈴仙はぐずる。
 輝夜はもうめんどくさいとでも言いたげな表情を見せると、間髪いれずに。

「――そう、死にたいってことね」


 ――バァン。


 銃口から火花を散……らさない。
 銃声は輝夜の口から奏でられたこけおどしでしかないが、鈴仙にはそれで十分だった。

 恐怖で体が竦み、表情は見るも無残に引きつり。
 苦悶の絶叫をあげる余裕すらなく、切迫した瞳に涙を滲ませながら、こくこくと懸命に頷く。

「よろしい。
 それ、あげるわ。元兵士なら使えるでしょ?
 あとこれ貰っておくわね」

 輝夜は、鈴仙の袋から破片手榴弾を一個失敬すると共に、ズシリと重量を伝えるアサルトライフルを袋に入れる。

「私は人里にいくから貴方は魔法の森にでもいきなさい。
 しばらくはいかないであげるから。――またね、レイセン」

 輝夜は西へ去っていく。

 背中を見せている隙だらけな後ろ姿に、鈴仙は魔が刺す想いに駆られるが……撃てない。

 震えて照準を定められない両手が。
 輝夜の煌々たる輝きに満ち溢れる自信が。
 なによりも、勝てないと思ってしまった自身の意思が撃たせなかった。

 背中を見送った鈴仙は、眼を伏せ、嗚咽しながら、夢であってほしいと祈ることしかできなかった。

【E-4 一日目 午前】
【鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(中)、肋骨二本に罅、精神疲労
[装備]アサルトライフルFN SCAR(19/20)
[道具]支給品一式×2、破片手榴弾×2、毒薬(少量)、FN SCARの予備弾×50
[思考・状況]基本方針:保身最優先
1.できることなら殺したくはないけど……
2.静葉とこいしを見つけて保護したい
3.永琳や霊夢には会いたくない だけど穣子の言葉が頭から離れない
4.穣子と雛に対する大きな罪悪感
5.燐に謝らないと ……でも怖い

 ◇ ◇ ◇

 出会った時点で殺害する意志は固めていた。

 ペットであり部下であり家族。
 できることならば、手にかけたくない存在。
 殺し合いの最中なのに、私が投げたおにぎりを、素直に受け止めて食べるほどに信頼してくれていた。

 でも……利益もなしに見逃してしまえば、永琳から遠ざかることを意味してしまう。
 不可避の悲劇は、人生のどこにだって偏在している。
 優先順位を間違えてはならない。

 だから覚悟を決め、できるだけ苦しまないように殺そう、そう思っていた。

 懺悔を聞くまでは……だけどね。

 もし、永琳と親しくない他者だったら。
 もし、生存を求めて私を殺そうとしにきたのなら。
 もし、永琳の裏にいる者を打倒しようとしていたのなら。

 道を違えていても、それも仕方のないことだろうと済ましていたのに。


 レイセンは、永琳の所業を身内の不始末として誅したい、と言った。

 あろうことか、永琳が、この馬鹿げた殺し合いを『本心』から仕組んでいると誤解していた。


 三十余年程前の満月の夜、月から逃亡したレイセンを、永琳は保護し命を救ったというのに。
 永遠亭の一員であり、永琳の弟子であり、三十余年を共に過ごした家族のようなものなのに。

 そのレイセンにすら永琳は理解されていなかった。
 永琳は天才であっても狂人じゃないのに、無敵じゃないのに。



 ――もう永琳には私しかいないんだ。

 私は、そう、心の底から理解した。
 苦しまないように、なんて考えは、もうどうでもよくなった。
 ボーダーラインを軽々しく乗り越えたレイセンへの温情は、途端に冷めてしまった。
 だから、少しでも利用してやろう、と適当に芝居を繰り返し、隙を見て難題を与えてやった。


 レイセンは筋金入りの臆病者だ。
 仲間にするには頼りなく、敵に回しても怖くない。

 けど、臆病者は場を乱す。
 私と距離のあるところでなら、役に立たないこともないだろう。

 もう、レイセンがどこでなにをしようとどうだっていい。
 失敗しようが成功しようが興味はない。

 ――さようなら、レイセン。




「それにしても……やっぱり慣れないことはやるものじゃないわね」

 眩暈に体がふらつく。
 全身は重く、粘つく汗は着物と体をへばりつかせる。
 環境の差異、不慣れな激務、行軍による体力の消耗だけはなく、精神の消耗も著しい。

「いつもなら……こうなる前に止めてくれるのに……」

 今にして思えば頼ってばかりだった

 永琳は昔からそうだった。

 いっぱい困らせても。


 ――ま、深いことは考えないの。私のいうとおりに動けば間違いないから。


 この口癖と共に。

 進むべき道を整えてくれた。

 無茶をすれば気遣ってくれた。

 間違ったことをすれば教えてくれた。

 人の心なんて容易く移り変わるはずなのに、数千年をずっと私に捧げてくれた。

 元々、永琳が私に仕えることになったのは、私の我侭に巻き込まれただけなのに。

 罪を償う必要なんてない、私を責めてもいい立場なのに。



 私の味方になってくれた。



 けれど。

 今は頼れない。

「だからこそ……今度は私が守るのよ」

 月から追放された私は、地上にへばりつく人間でしかない。
 地上の民は、自分の働き以上の見返りを期待してはいけない。
 見返りを求めるためには、まだ足りない、まだまだ足りない。
 途轍もない愚かな所業をしてでも、永琳に怒られてでも、見返りは必ずや手中に納めてみせる。

「とはいえ……まだまだ人が残っているのに、無茶しすぎるわけにもいかないか」

 ぼやけ気味の視界で空を見上げ、煩わしげに髪を掻き上げ。
 己の脆弱さを蔑みながら、滑らかな指を額に這わせ、汗を拭き取る。

 今の体力では戦えるのはせいぜい一度。
 とりあえずは人里で休むことにしよう。
 霊夢がいたらしいけど、家屋の中でなら、よほどのことがない限り休憩できるだろう。


 中断された食事を再開しながら、人里へと足を進めることにしよう。
 しかし、一人の食事というのもなんか味気ない。

「貴方もおにぎり食べる?」

 なので、袋の中の妖精を取り出し。
 愛想のいい笑みを浮かべて、おにぎりを差し出してみる。

「……食欲なんてない」

 私の所業でも思い出したのだろうか。
 まぁ、食欲がないというのなら別にいい。
 食べたければあちらから言ってくるだろう。
 私だけで楽しもう。



 むぐむぐと咀嚼し、ちびちびとお茶を啜る。
 具の梅干と塩気のある米の相性も抜群。
 春の柔らかな陽射しに当てられながらの食事は実に心地好い。
 おにぎりとお茶に賛辞を払いながら、ぱくっと湯気の立つおにぎりの一部をまた口に放り込む。

 何度も繰り返していれば、もう残りは少ない。
 最後のおにぎりの塊とちょびっとのお茶を一口で飲み干す。

「永琳も、なにか食べてるのかしらね」

 食べ終わり満足した私の視界に人里が映る。
 とりあえずの目的地はもうすぐだ。





 さぁ、がんばろう。

 すべてはうたかたの夢のために。

 永遠に、心ゆくまで、永琳と語り合うために。

【D-4 人里直前 一日目 午前】
【蓬莱山輝夜】
[状態]疲労(中)
[装備]ウェルロッド(5/5)
[道具]支給品一式×2、ルナチャイルド、ウェルロッドの予備弾×47、破片手榴弾×1
[思考・状況]優勝して永琳を助ける。
[行動方針]人の集まりそうなところへ行き、参加者を殺す。
 1.まだ動けるけど、とりあえず人里の家屋で休みたい


78:黒猫の行方 時系列順 80:So why?
78:黒猫の行方 投下順 80:So why?
57:巧詐不如拙誠 鈴仙・優曇華院・イナバ 90:亡き少女の為のセプテット
60:ロールプレイングゲーム 蓬莱山輝夜 86:悪石島の日食(前編)

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最終更新:2009年08月19日 22:25
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