亡き少女の為のセプテット

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「……そ、そんな! ……そんなぁ」

 力なく頽れた少女は、厳寒に耐えるかの如くその細身を掻き抱き、弱々しく震え続ける。
 とんび座りで俯けた顔を両手で覆い、くぐもった嗚咽を漏らす哀れな少女に対して、二人は暗澹とした表情でただ立ち尽くす事しか出来なかった。
 一体、どんな言葉を掛けてやれば良いというのだ? 家族を、半身を引き裂かれた痛みなど、彼女たちには知る由も無い。

「静葉、さん……」

 貰い泣いて抱き締めた所で何の救いにもならない。自分の腕に走る痛みなど、少女が受けた心の傷に比べれば微々たるもの。
 紅美鈴の噛み切った唇から一筋の鮮血が零れる。ぶるぶる、と震える拳は当て所を見失ったまま、やがて無気力に垂れ下がった。

「……穣子。―――いやああああぁぁぁっ!! 穣子っ! みのりこぉぉぉぉぉっ!!」

 号叫。
 新たな同伴者から与えられた情報は、紅葉の神、秋静葉にとって致命的なまでに残酷な事実だった。
 それは最愛の妹―――秋穣子―――の死。
 そして、その訃報を知らせ、今は少女の涕泣に黙って耳を傾ける鈴仙・優曇華院・イナバの紅い瞳は、ただただ虚ろにくすんでいた。






 目に映る全ての景色が色褪せている。
 暑いとも寒いとも感じない。耳が痛かったほどの無音も、今となっては何の心持ちも抱けない。
 自分は今歩いているのか、それとも痛む脇腹を押さえながら未だに蹲って泣いているのか。
 曖昧模糊とした鈴仙の意識では、それさえもはっきりと認識することが出来なかった。

 ……帰りたい。

 茫々たる思考の海の中で、辛うじて見出せる想いは僅かそれだけ。安楽に手を伸ばそうとする寂寥の念のみであった。
 でもどこに帰ればいいのかがわからない。
 自分にとって幸福を感じられた時間は、永遠亭での毎日だったのか、それとも月にいた頃の生活だったのか。
 大切にしまっていたはずの思い出のアルバムは、いつの間にか黒く濁った泥水の中にぶちまけられた。
 自慢の師匠の微笑も、優しい主人の澄まし顔も、元主人の憂いを帯びた表情も、悪戯好きの同僚が元気に跳ね回る姿も、汚水に浸かり滲んでしまって思い出す事が出来ない。
 代わる代わる脳裏に浮かぶのは、師匠や主人の冷徹なる死刑宣告。死にたくなければ殺せ、という下卑た哄笑だった。
 結局、居場所なんか最初からどこにもなかった。帰る所などとうの昔に失われていたのだ。

 ―――『ま、深いことは考えないの。私の言うとおりに動けば間違いないから』

 弱くて愚かな自分は、強者の意向に沿って道化のように踊り続ける以外に術は無い。
 輝夜の脅迫に、その存在に屈した自分が彼女から逃げ切る事など到底不可能。
 生き残りたければ、本当に助かりたいのならば、何も考えずに誰かを殺すしか―――

「―――穣子さん……」

 ……だが、恩人との約束を反故にしてまで命を拾ったとしても、その後の人生は暗い悔恨に耐え続けなければならないだろう。
 死にたくない。自分に嘘を吐きたくない。どうしてこんなささやかな望みさえ両立することが叶わないのか。
 蓬莱山輝夜が課した難題は、鈴仙にとってあまりに難しく、そして無視し難い壁であった。

「……許して下さい。あと三人だけ。三人だけなんです。それさえ済めば、私は解放してもらえる。貴方との約束も果たせます、から……」

 空虚に濁った瞳には何の光を宿すこともなく、言い訳じみた謝罪の言葉を繰り返し呟きながら。
 痛めた肋骨など意にも介さず、鈴仙はフラフラと覚束ない足取りで歩き始めた。
 だが、それでも輝夜の言葉は一言一句漏らさず記憶に植えつけられているのか、鈴仙は決して人間の里の方には向かおうとしなかった。
 進路は東。魔法の森である。小心な月兎は最終的に、主人の命令通りそこにいる参加者の命を奪う道を選んだ。

「なんで。どうして私だけこんな目に。私は何も悪くないのに。死にたくないなんて、誰だって思う当たり前の願いなのに」

 鈴仙の呟きは止まらない。
 その様はさながら夢遊病者のようであったが、裏腹に軍用小銃であるアサルトライフルFN SCARを扱う手付きだけは淀みなかった。
 無骨なフォルムを有する、全長1m前後の凶器をスキマ袋から取り出すと、セーフティを解除していつでも引き金を引けるよう備えた。
 同時に、残り二つの破片手榴弾を懐の中に忍ばせる事も忘れない。自分程度の相手なら、三人殺してお釣りが来るほどの重装備である。
 手段は整っている。ならば後は覚悟のみ。再び奪う側に回ってみせる自身の覚悟さえ固めれば……。

(……死角はない。私の手は既に汚れている。だったら一人殺すも三人殺すも変わらないじゃないッ)

 自分は最早、神殺しという名の咎人に成り下がっている。
 それ即ち生きたいと願う事こそ罪。生の渇望を法が許さないのならば、罪を重ねるしか助かる道はない。
 道徳も約束もプライドも、命あってこその賜物。口だけのお題目など、生きたいという欲求の前では何の抑止力にもならないのだ。

「思い出せ。私は殺人者。血も涙もない気が狂った外道なのよ。殺せる。次に会った奴は殺す。私ならやれる私なら……」

 その時だった。垂れ気味の鈴仙の細長い耳がピクリ、と何かの物音に反応した。
 自分に言い聞かせる事で心の準備を済ませていた鈴仙は、即座に近場の遮蔽物に身を屈め音の方向に銃を構える。
 遠目から見て、音の正体は二人の参加者の足音だった。
 まるで何かに追われているかのように忙しない足取りで、手を取り合いながら息急き切って走っている。
 持ち前の聴力のおかげか、先に感知したのは鈴仙だった。二人がこちらに気付いた様子はまだない。
 鈴仙が潜んでいる地点とは少しズレた方向に向かって、一心不乱に前を目指しているのみであった。

 これはチャンスだ。この状況では、鈴仙でなくともそう思うだろう。
 鴨がネギしょって現れてくれた。逃げ惑うという事は実力的に見てそう高いはずもなく、しかも二人。
 彼女たちを仕留めれば輝夜に課せられたノルマに大きく近づける。
 十分射程内であり、動くだけの的を射る事は訓練を受けた鈴仙にとってそう難しい事ではない。
 腰を落とし銃身を構える。殺せ。二人とも。こんな機会は二度とない。ここで殺さなければ、自分が主人に殺される。

『……止めて、あげて』

 ……考えるな。今思い出していい事じゃない。迷うな。お願いだから。

『貴方が……この殺…し合いを止める…の。他の……誰でもない……あなたが』

 お願いだから出てこないで。私の邪魔をしないで! ……お願いします! 後生ですから見逃して下さいっ!!

 声にならない叫びと一緒に、涙が勝手に溢れ出てくる。視界がぼやけては上手く照準を定められないのにそれでも止まらない。

 正義の味方にも悪の手先にも成りきれない、どっち付かずの半端者。
 亡霊の世迷い言に囚われて、まともに引き金を引く事も出来ない腰抜け。
 我が身可愛さの余り、生き残る為なら誰にだって媚び諂い尻尾を振る駄犬。……もとい駄兎。

 次から次へと悪し様に自分を責め立てる侮辱の言葉が、鈴仙の脳裏に浮かんでは消えた。
 口にするのは殺人を強要した輝夜であったり、自分が殺した雛であったり、殺しの濡れ衣を着せてしまった燐でもあった。
 その後ろでは永琳や穣子も冷淡な表情で、真っ青に染まった顔(かぶり)を振る鈴仙を見つめている。
 二人の眼差しは、侮蔑、憐憫、失望、諦観。様々な悪性の感情が入り混じった酷薄な瞳だった。
 数多の譴責、冷たい視線に晒された鈴仙の銃を持つ手が震え、半開きになった口から「ごめんなさいごめんなさい」と埒もない呟きが漏れる。
 そう簡単に開き直れるはずもない。穣子たちに対する罪悪感は、本人が考えている以上に心の深い場所に根を下ろしていた。
 そうこうしている内に彼我の距離は縮まっていき、鈴仙は初めて相手の顔をはっきりと視認した。

「―――!!」

 緑の人民服に似た衣装を纏った紅髪の少女と、紅葉を模った髪飾りやツーピースを身に付けている金髪の少女の二人組。
 金髪の方を見た鈴仙が驚愕に目を見開く。直感的にではあるが、その顔に自分の恩人である少女の面影を見たからだ。

「に、似てる……? まさ……か、まさか……彼女が、穣子さんの……」

 もしそうだと言うのなら、運命は一体どこまで自分を弄べば気が済むのか、と鈴仙は思った。
 殺人を決起した矢先に、探していた守るべき少女と出会う。これを皮肉といわずして何と言う?
 確認しなければならなかった。罷り間違って穣子の家族を誤殺したとなれば、鈴仙はもう一生、自分自身を許せなくなる。
 銃口を下げた鈴仙は、身の危険も顧みずに伏せていた身体を起こし、走り去ろうとする二人を大声で呼び止めた。

「あ、あのっ!」
「ひっ!」
「静葉さん、私の後ろに! ……誰だアンタはっ!」

 突然声を掛けられた事で金髪の肩がビクリ、と竦み上がり、それを庇うように中華風の少女が一歩前に出て、険しい表情で独特の構えを見せた。
 その腕には痛々しい裂傷が刻まれており、今もドクドク、と多量の出血をきたしている。
 恐らくゲームに乗った参加者に襲撃されたばかりなのだろう。神経過敏になり、荒々しい素振りで警戒するのも無理なかった。
 二人の視線が自分の持つ銃に集中している事に気付いた鈴仙は、慌てて武器を足元に落とし、バッ、と両手を挙げて降伏の意を示した。

「おっ、落ち着いて下さい! あ、貴方は秋静葉さんで間違いないんですね?」
「そ、そう……だけど、貴方は……?」
「貴方がたに危害を加えるつもりはありません。ど、どうか私の話を聞いてくれないでしょうか」

 恐怖による身体の震えをひた隠しながら、鈴仙は出来る限り真摯な態度で懇願した。
 今になって己の迂闊すぎる行動を呪っても仕方ない。主人にも言われたではないか。
 自分にとって都合の良い物事を、たいして疑いもせず受け入れてしまう傾向がある、と。
 だが果たしてこの状況が、鈴仙にとって都合の良い展開であるかどうかは、彼女にもまだわからなかった。






 三人は簡単な自己紹介を済ませた後、お互いの情報交換を行う事となった。
 参加者との初の交戦という危機から脱し、ようやく落ち着いた静葉の治療を受けながら、美鈴は身に降り掛かった今までの出来事を手短に伝えた。
 冥界の管理者である西行寺幽々子と行動を共にしようとしたがはぐれてしまい、その直後に宵闇の妖怪に襲撃された事。
 危険だから今は森に行かない方がいい、という美鈴の忠告を受けて、鈴仙は密かに『殺してもいい参加者』の候補にルーミアを定めた。

 鈴仙からまず伝えるべき情報は決まっている。それは、霊夢の暴挙でも輝夜の危険性でもない。
 あと半刻もすれば放送によって周知の事実となるであろう、秋穣子の死。静葉にとって最も辛い身内の悲報だった。
 どちらにしろ知る事を避けられないのならば、師匠の冷酷な放送からではなく、自分の口から伝えてあげたい。
 だが、……どうしても躊躇われた。
 心の傷痕、それも一生物の悲しみを背負わせるとわかっていながら、それを告げなければいけないジレンマ。
 そして、「誰が殺した?」と二人に問い詰められる光景を、想像した時の恐怖。
 間接的にとはいえ、穣子は自分が殺したようなものなのだ。ポーカーフェイスが壊滅的に下手な鈴仙は、それを隠し通せる自信がなかった。

(……こんな時まで自分のことばかり考えて。私ったら本当に……最低ね)

 最低な臆病者でも、臆病者なりの義理を見せよう。心の封殺に徹し、都合の悪い箇所さえ伏せれば被害者を装う事も出来るはず。
 腹を括った鈴仙は、表情を悟られないよう顔を俯けながら、ゆっくりと口を開いた。

「……私が何故、静葉さんの名前を知っているのか。それは、貴方の妹である秋穣子さんと出会ったからなんです」
「……え?」

 その言葉に、悄然と佇んでいた静葉が掠れた呟きを漏らして反応する。

「ど、どこ? 穣子は今どこにいるの!?」
「それ、は……」

 …………

 それは余りにも残酷な空白。一秒が一分にも一時間にも感じられる、奇妙な間であった。
 恐々と俯伏して口籠もる目の前の兎を見れば、勘の良い者ならすぐに何を言いたいのか察する事が出来る。
 まず美鈴が心苦しげに瞳を伏せた。そして、その悲哀に満ちた様相を見る事で静葉の顔からみるみる内に血の気が引く。
 静葉は、まるで産まれ立ての小鹿のように身を震わせながら、鈴仙の両肩を乱暴に掴み上げた。

「ね、ねぇ……。黙ってちゃわかんない。い、妹は……! 穣子は今どこに―――」

「―――彼女は亡くなりました。私を庇って」

 明かした瞬間。肩に置かれていた静葉の両手が、そのまま鈴仙の細首に掛かった。
 力任せに締め上げようとするも、鈴仙には何の苦痛も感じない。力などまるで入っていなかった。
 弱々しく震える両手は、締めるというよりも縋るように。ポロポロ、と零れる涙に構わず、静葉は哀願に近い否定の意を口にした。

「うそ、……でしょ?」
「……穣子さんは最期まで貴方の無事を祈っていました。私も彼女に助けられたんです。
 傷ついた身を挺して、私を守るために……その、立派に……」
「い、嫌……」
「彼女は私に静葉さんの事を託して逝きました。命を救ってもらった恩に報いる為に貴方を探していたんです。
 よろしければ、私も貴方がたの一行に加えては頂けませんか? 必ず、お役に立ってみせますから」
「……そ、そんな! ……そんなぁ」

 思った事がすぐ顔に出る、鈴仙の悲痛な面持ちを見れば、嫌でも妹の死が現実味を帯びてくる。
 最後の支えを失った静葉の腰が抜けた。
 その場に尻餅をつき、さめざめと声涙あわせくだる紅葉の神の小さな背中を見て、美鈴は痛みなど厭わず下唇を思い切り噛み締めた。

「静葉、さん……」

 ……結局、自分には何も出来なかった。
 気の持ちよう一つで世界の流れは変えられる。気を使う東洋の妖怪である美鈴らしい発想であり、また本人も心底からそれを信じていた。
 だが無情な現実は、それがまやかしである事を容赦なく二人に突きつけた。
 今となっては、静葉にどんな慰めの言葉を掛けようと気休めにすらならない。

 納得がいかなかった。
 心優しい善の神が、これ程までに苦しまなければならない理由が一体何処にあるというのか。
 許せなかった。
 こんなにも人を殴りたいと思ったのは生まれて初めてかもしれない。鈴仙にではなく、自分たちをこんな殺し合いへと導いた主催者をだ!

「……穣子。―――いやああああぁぁぁっ!! 穣子っ! みのりこぉぉぉぉぉっ!!」

 耳を塞ぎたくなるような痛々しい号叫が、森と人里を繋ぐ街道に木霊する。
 今はただ自身の無力を痛感し、せめて目を背けずに少女の泣き叫ぶ姿を見届ける以外、二人に出来る事は何もなかった。






「―――美鈴……さん……」

 あれから、どれ程の時間が経過したのだろうか。
 声が枯れ果てるまで泣き通した静葉が不意に、信頼出来る友人の名を呟いた。
 それに反応した美鈴が、目尻に溜めていた涙を拭って、慈しみ深い微笑で静葉の元へと駆け寄った。
 温もりが恋しいというのならいくらでも背中を貸そう。自分なんかでよければ、静葉が望むまで傍にいさせて欲しい。
 だが、次に静葉の口から出た言葉は、美鈴や鈴仙の予想だにしない内容であった。

「私を、殺して」
「……え?」
「もう楽になりたいの……。これ以上、貴方の足手纏いになりたくないのよ」
「なっ、何を……?」
「―――お願いよっ! まともに戦うことも出来ず、貴方に余計な負担を掛けてばかり!!
 穣子だってもういない。お荷物の私が生き残る理由なんか何一つ残ってないわっ!
 私のせいで貴方にまで死んで欲しくないの! だ、だからお願い。貴方の手で、私を妹の所に送って頂戴!!」

 愕然とする美鈴の袖に縋り、静葉はあらん限りの声を振り絞って、心奥に秘めていた暗い願望を曝け出した。
 ルーミアとの戦闘の際、己の不甲斐なさによって美鈴を傷つけてしまった負い目が、穣子の死によって爆発した結果だった。
 自分では何も成せない。誰も救えない。むしろ集団の穴となって自分以外の誰かに迷惑を掛け続ける。
 それならいっそ、ここで全てを終わらせて欲しかった。
 手前勝手な屁理屈だ。美鈴に辛い思いをさせているのは重々承知の上だが、今の静葉にそんな事まで気を回すゆとりがあるはずもない。
 涙と鼻水と涎で顔を濡らし、ぐずぐず、としゃくり上げるその姿に、かつての神たらんと気丈に振舞っていた面影はどこにもなかった。
 絶望極まった美鈴は、堪えていた悲憤の涙を再び浮かべながら静葉の両肩を抱き、正気を取り戻そうと少女の上半身を激しく揺す振った。

「気を確かに持って下さい! 私は静葉さんを疎ましいだなんて思った事は一度もありません!
 貴方のお陰で私は私のままでいられるんです。だからそんな……そんな悲しい事言わないで下さい!!」
「お願い……お願いだからぁ。もう嫌なの、疲れたの。だから……はやく」
「静葉さんッ!!」

 悲鳴に近い美鈴の掛け声が続く中、彼女たちの耳にカチャリ、とこの場にそぐわない異質な機械音が鳴り響いた。
 美鈴が反射的に背後を振り向くと、そこには胡乱な光を宿した紅い瞳の兎が、スキマ袋に納めていたはずのアサルトライフルを構えていた。
 呆然とした体で、自分が何をしようとしているのか自覚出来ていないまま鈴仙は緩慢な動作で、静葉の額の高さまで銃口を持ち上げる。

「……?」
 きょとん、と。状況がまるで飲み込めていない静葉は、不気味に黒光りする銃口を茫然自失と見つめ、

「や、やめ……」
 瞬きすら許されない、突如目の前に現れた絶体絶命の危機に、美鈴は縺れる舌を必死に動かして―――


「し、死にたい……んでしょ?」
「―――やめろォォーーーッッ!!」


 蚊の鳴くような鈴仙の小さな呟きは、美鈴の絶叫によって完全に掻き消された。













 ―――結論から言うと、鈴仙は撃たなかった。

 美鈴の声によって我に返った鈴仙は、ハッ、と銃をスキマ袋に慌てて仕舞い込み、二人に何度も何度も頭を下げて謝罪した。
 自分でも何をしようとしていたのかよくわからなかった、という愚にもつかない言い訳に対し、美鈴は嫌悪に顔をしかめた。
 冗談にしてはタチが悪すぎ、本気だったのなら目の前の兎は、いつ手の平を翻すかわからないまさしく危険な存在である。
 行動を共にしたいと言っていたが、果たして信用してもいいのだろうか、とお人好しな彼女にしては珍しく猜疑の迷いを見せる美鈴。
 その隣では、意気消沈の体でにべもなく項垂れた静葉が、面目を失い肩を震わせている鈴仙の顔をジッ、と見つめていた。
 まるで何かを問いかけるかのように。
 それは銃口を向けた事に対してなのか、それとも殺さなかった事に対してなのか、その答えは静葉にしかわからない。
 先程の騒動で今は一時的に大人しくなってくれている。
 しかし、まだまだ危うい影を落としている静葉が何処かへ行ってしまわないように、美鈴は静葉の手をギュッ、と握った。
 彼女の傷口に塩を塗るような真似はしたくないが、鈴仙から聞きたい事は未だ山ほど残っている。
 僅かでもいい。それが静葉の希望に繋がるかもしれない、と一縷の望みを託して、美鈴は改めて鈴仙の持つ情報を訊ね直した。

「……鈴仙さん、でしたよね。貴方はどこで穣子さんと出会ったのですか?
 実際に、彼女が息を引き取られる所をその目で確認したのですか? その時の状況を詳しく教えて下さい」
「……」

 口調こそ丁寧だが、まだ先の凶行を引き摺っているのか、鈴仙を見る美鈴の目は険しい。
 ただでさえ信用を大きく落とした上に、核心への言及を求められた。
 もうミスは絶対に許されない、と鈴仙は大きく深呼吸をし、出来るだけ平静を装って事の次第を明かし始めた。

「……穣子さんと出会ったのは、人間の里のとある民家でした。
 穣子さんだけでなく、そこには厄神や地底の妖怪などもいて、私も含めて当初は穏やかに話し合いを進めていたのですが」

 厄神という言葉に、静葉の肩がピクリ、と僅かに震える。
 目は心の窓という。ここからは虚偽も含めなければいけない為、鈴仙は瞼を閉じて、感情を表に出さないよう努めながら続きを紡いだ。

「……その中に殺意を抱いた参加者がいたのです。彼女は懐に隠し持っていた爆弾を使って、私たちを皆殺しにしようとしました。
 私はパニックに陥りながらも、何とか難を逃れる事が出来ましたが、逃げ遅れた穣子さんは……」
「……その参加者の名前は?」

 火焔猫燐……と、言おうとして思い留まる。これ以上、彼女に負い目を作りたくなかった。

「ッ……。わ、わかりませ、ん。あ、あの時は私も逃げるのに必死でした、から」
「……」

 だが、その訥言混じりの返答が拙かった。美鈴の視線が更に冷たくなったような気がして、鈴仙は所在なさそうに身を縮込ませた。
 もし弾みで鈴仙の懐にある爆弾が零れ落ちでもすれば、彼女は疑いの余地もなく、殺人の実行犯と見做されていただろう。
 針の筵の上で綱渡りをさせられている気分だった。ドッ、と滝のような汗が伝い落ちる。
 やはり主人の言う通り、どんなに気張っても自分は嘘一つ吐き通せないのか、と鈴仙は途方に暮れた。

「……鈴仙さん」
「まっ、まだこの話には続きがあるんです! 逃げ延びた後、私は穣子さんと再会出来ました。
 彼女は爆発に巻き込まれ重症を負っていましたが、まだ生きていて、そこで私は穣子さんから姉を守って欲しいと頼まれたんです」

 美鈴の疑惑に満ちた言葉を遮るには、多少強引にでも話を進めるしかなかった。
 その内容に大きく反応した静葉が、身を乗り出して妹の安否を確かめた。

「穣子は……穣子はまだ生きているの!?」
「……い、いえ。言いにくいですが、傍目から見ても明らかな致命傷でした。今から四、五時間以上も前の話なので、今はもう……」
「ちょ、ちょっと待って。……それって何? 貴方、穣子の最期を看取ったわけじゃないのね?
 まさか、死に掛けの穣子を見捨てて、自分だけ逃げ出したっていうの!?」
「し、静葉さん、落ち着いて下さい!」

 情緒不安定に陥っているのか、突然癇癪を起こし鈴仙に掴みかかろうとする静葉を、美鈴が慌てて押し留める。
 そして静葉の今の詰問は、鈴仙にとっても逆鱗に触れるものだった。
 あの時の光景を鮮明に思い出し、ボロボロと泣き出した鈴仙は、今までの弱腰な姿勢も自分の立場も忘れて大声で静葉に怒鳴りつけた。

「私だって好きで見捨てたわけじゃない! 何も知らないクセに勝手なこと言わないでッ!!
 ……仕方がなかったのよ。刀を持った霊夢にいきなり襲われたんだもの! 穣子さんがいなかったら私だって彼女と一緒に死んでいたわ!」
「霊夢って、……ま、まさか、紅白の巫女が殺し合いに乗っているんですか!?」
「霊夢だけじゃないわよ。私の主人である蓬莱山輝夜様も嬉々として殺し回っているわっ!
 それ相応の強者が奪う側に回っているの。たった数時間で14人もの参加者が殺されているのが何よりの証拠じゃない!」
「そ、そんな……っ!」

 ありえない、と反論しようとして、そこで美鈴は我が主である紅い吸血鬼、レミリア・スカーレットの顔を思い浮かべた。

 お嬢様は……レミリア様はどちら側についているのだろうか?
 奪われる側というのは考えにくいけど、あの方は聡明だし、無益な殺生などはされていないはず。
 ……でも、本当にそう言い切れるの? あの紅白ですら殺人を犯しているかもしれないのよ?
 お嬢様だってパチュリー様のご不幸に逆上し、誰かを血祭りに上げていても何らおかしくない。
 そして、お嬢様が殺す側に回ったのなら、咲夜さんも絶対にそっちにつく。これは断言出来る。
 フランドール様は? まだ誰一人殺してないと胸を張って言える? 信じきる事が……できる?

 出口のない迷宮に迷い込んだかのように、美鈴の思考がグルグル、と空回る。
 そもそも自分は何故、紅魔館の住人であるにも関わらず、彼女たちと合流する事を忘れて人助けに精を出しているのだろうか?
 強者である彼女たちには自分の力など必要ないから? 捨て駒扱いされるかもしれないから?

(……違う。これはお嬢様たちを貶めたくないから咄嗟に作った理由。言い訳だ。
 本当は、怖かったんだ……私は。
 もし、お嬢様たちが殺し合いに乗っていたのなら、私もそれに加担しなくちゃならなくなる。
 参加者を殺さなくちゃいけない立場に陥るのが、……堪らなく嫌なだけだったんだ)

 つまり、美鈴は紅魔館メンバーの総意を、『皆殺し』だと無意識の内に決め付けていたのだ。
 気付いてしまえば当然とも言える。この状況において、吸血鬼に人を襲うななどと諭す事がどうして出来ようか。
 美鈴はただ逃げていただけだった。
 殺したくはないけど、逆らって殺されたくもない。知らない誰かを支える事によって日常を繋ぎ止めようとしている。
 ……その結果がこれなのか。本当にこのままでいいのか。自分に出来る事など何一つないというのか。
 美鈴は、涙を流しながら息を荒げる鈴仙を見て、彼女に奇妙なシンパシーを感じた。
 きっとあの兎も自分と同じなんだ。身内を信じきれず、大切なものから目を背け、死にたくない一心でひたすらに逃げている。
 そんな哀れな少女に同情すると同時、美鈴の心に湧き上がる思いはただ一つ。

(私はもう、―――逃げたくない!)






「……鈴仙さん。最後に穣子さんと出会ったのはどこですか?」
「え? 人里の東外れだったと思うけど……」
「そうですか。……静葉さん、人間の里に行きましょう。穣子さんを……探しに」
「……美鈴さん?」
「なっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! 私の話を聞いてなかったの!? 里は危険だってさっき言ったばかりじゃない!」
「……じゃあ、どこなら安全だと言うのですか?
 そんな場所はもうどこにもありません。それなら私は静葉さんを妹さんに会わせてあげたい。
 もしかしたら誰かが彼女を介抱してくれて、まだ無事でいるかもしれないじゃないですか」
「ありえないわ! すでに手の施しようがなかった状態だったもの! あれほどの怪我、師匠でもない限り助けられるはずがない!」

 再び肩を震わせる静葉を抱き締めた美鈴は、真っ青な顔で必死に力説する鈴仙を睨み付け、一喝する事で黙らせた。

「そんな事はわかっています! でも希望を捨てて、諦めて泣いてるだけじゃ前に進めないんですっ!
 ……それに静葉さんは私が守ります。もう決めたんです。
 例え相手が巫女であろうと、……お嬢様であろうと私は決して譲らない! 自分が正しいと思う道を最後まで貫いてみせる!!」
「……や、やめて。あそこには姫様だっているのよ。私は行けない。行きたくない! 出会った瞬間に殺されちゃうよぉ」

 美鈴の瞳に灯る強い決意の光に圧されたのか、鈴仙はヨロヨロ、と後ずさりして目を背けた。
 静葉も、何か眩しいものを見るかのように目を細めて、美鈴の手を握り返し、俯けていた顔を決然と上げる。

「わ、私も……私も穣子に会いたい! 駄目でもいい。自分の目で見て納得したいの!」
「決まりですね。私じゃお供としてはちょっと頼りないかもしれませんけど。あはは」
「そんなこと……。貴方にはもう何度助けられたか。……本当に、本当に……ありがとう。
 私の方こそまた足を引っ張るかもしれないけど、もうちょっとだけ……もうちょっとだけ頑張ってみるから……だから」
「ええ! これからも宜しくお願いしますね、静葉さん!」

 ニコッ、と快活に笑う美鈴を見て、少しだけ自分を取り戻した静葉もぎこちなく微笑み返した。
 それは今まで培ってきた友愛の情。この殺伐とした状況の中で互いを支え合おうとする、家族にも似た強い絆だった。
 だが、置いてけぼりにされ、勝手に話を進められた鈴仙には堪ったものじゃない。
 そのまま人里に向かおうとする二人の行く手を、鈴仙はバッ、と両手を水平に広げて立ち塞がった。

「お願いです! どうか考え直して下さい! 殺されるとわかってて、みすみす行かせるわけにはいきません!
 わ、私だって静葉さんを守らなくちゃいけないのに! それが穣子さんとの約束なのにっ!!」
「……その静葉さんに鉄砲を向けたのは誰ですか? 貴方の思いは本物かもしれませんけど、失礼ながら私は貴方が信用しきれません。
 行きたくないのなら無理についてこなくてもいいですよ。静葉さんは私が命を懸けて守りますので」
「そ、そんなっ!」

 先程とは打って変わって冷たい言葉を投げ掛ける美鈴に、鈴仙の心が絶望に染まった。
 僅かな期待を込めて、保護の対象である静葉の方に顔を向ける。
 静葉は少し迷ったように目線を泳がせていたが、無理についてこなくてもいい、という美鈴の考えには同意見のようだ。
 まさか自分の情報によって、こんな事になってしまうとは夢にも思わなかった鈴仙は、頭を抱えたくなる程の後悔に襲われるしかなかった。

(どうしよう。どうしようっ! 私は一体どうすればいいの!?)

 静葉に危険な目にあって欲しくない。三人の参加者を殺さなくちゃいけない。そして、何より死にたくない。
 全てを都合よく叶える事など出来るはずがなかった。

 二人について人里に赴けば、霊夢や輝夜に出会う可能性が高くなる。そうなれば鈴仙は今度こそ死ぬしかない。
 かと言って、それで説得できる程の信用は今しがた失ってしまった。美鈴たちの決意は固い。
 保身を第一に考えるのならば、ここは一旦別れた方が賢明かもしれなかった。
 だが、もしも次の放送で静葉の死を聞いたりでもしたら、自分はまた見捨ててしまった事になる。
 これ以上自分を嫌いになりたくないという理性と、生に執着する本能が、鈴仙の内で激しく葛藤する。

 迷っている時間はない。美鈴は静かな口調で決断を促した。

「それで、貴方はこれからどうするんです?」
「わ、私は。私は―――」



【E-4 一日目 昼】
【鈴仙・優曇華院・イナバ】
[状態]疲労(中)、肋骨二本に罅、精神疲労
[装備]アサルトライフルFN SCAR(19/20)、破片手榴弾×2
[道具]支給品一式×2、毒薬(少量)、FN SCARの予備弾×50
[思考・状況]基本方針:保身最優先 参加者を三人殺す
1.選択の時。次の書き手さんにお任せします
2.静葉とこいしを見つけて保護したい
3.永琳や霊夢には会いたくない だけど穣子の言葉が頭から離れない
4.穣子と雛に対する大きな罪悪感
5.燐に謝らないと ……でも怖い
※美鈴達と情報交換をしました。殺す三人の内の一人にルーミアを定めています。



【紅美鈴】
[状態]右腕に重度の裂傷(治療済)
[装備]なし
[道具]支給品一式、インスタントカメラ、秋静葉の写真、彼岸花
[思考・状況]静葉を守る
[行動方針]
1.穣子を探しに人間の里に行く
2.静葉を守る為なら戦闘も辞さない。だが殺しはしない
3.幽々子や紅魔館メンバーを捜すかどうかは保留
4.主催者に対する強い怒り
※鈴仙と情報交換をしました。



【秋静葉】
[状態]頬に鈍痛
[装備]なし
[道具]支給品一式、紅美鈴の写真、不明支給品(1~3)
[思考・状況]妹に会いたい
[行動方針]
1.穣子を探しに人間の里に行く
2.情けない自分だが、美鈴の為にももう少しだけ頑張りたい
3.幽々子を探すかどうかは保留
※鈴仙と情報交換をしました。


87:Interview with the Vampire 時系列順 92:Gray Roller -我らは人狼なりや?-(前編)
89:朱に交わる/切れた糸(後編) 投下順 91:早朝より始まりし愚かな選択
79:殉教者の理由/Martyr's Cause 鈴仙・優曇華院・イナバ 105:ウソツキウサギ
80:So why? 紅美鈴 105:ウソツキウサギ
80:So why? 秋静葉 105:ウソツキウサギ

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最終更新:2009年10月03日 11:25
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