朱に交わる/切れた糸(後編) ◆Ok1sMSayUQ
全く、どうしてどいつもこいつも倒されるということを知らない連中ばかりなのだろうか。
最後に自爆した秋穣子といい、この藤原妹紅といい。
フジワラヴォルケイノを回避し、妹紅に最後の一太刀を浴びせようとした霊夢が思ったのはそんなことだった。
殺人への感慨もなく、侮蔑の情もなく、ただ不思議とだけ思っていた。
霊夢にとって自分がこうするのも、自分が勝つという結末も既に用意されたものであり、いつも通りだという実感しかなかった。
だが違うのは敵の抵抗の仕方だ。どいつもこいつも直前で戦法を変えてきたりする。
スペルカード
ルールに慣れきり、単一的な攻撃方法しか知らなかった連中が、なぜ。
妹紅に聞いてみようかと思ったが、その質問はあまりに場違いであることだし、聞いても答えてはくれないだろう。
ひとつ分かるのは、妹紅もまた死にたくはないらしいということだった。
よく分からないと思う。霊夢からすれば不死の体でい続けることなど死んでもお断りだった。
未来永劫、何の目的もなく生かされ続けるなど。
まあ別の奴にでも聞けばいいかもしれないと結論しながら止めの一突きを繰り出そうとして、霊夢の耳が聞き慣れた弾幕の発射音を捉えた。
このまま妹紅を貫けば刀を抜く前に巻き込まれると即座に考えた霊夢は妹紅への攻撃を諦め、大きく跳んで民家の屋根へと上る。
直後、円形の光弾が水中を泳ぐ魚の群れのように押し寄せ、当然逃げ遅れていた妹紅を巻き込んだ。
自分と妹紅の両方を目標にしていたそれは地面や民家にも当たり、
土煙や塵などを巻き上げて『夢想妙珠』や『フジワラヴォルケイノ』以上の破壊をもたらした。
恐らくは遠距離からの広範囲射撃だろう。数撃てば当たる、という弾幕の基本に忠実な戦法。
オーソドックスだが確実な攻撃法だ。その代償として民家の一部は散々なことになっている。
壁がへこんでいたり、窓枠が破壊されていたり、玄関が吹き飛んでいたり。
弾幕の威力はやはり押さえ込まれているらしく、精々がこの程度の被害に留まるらしかった。
妹紅の姿は土煙に紛れて確認できない。流石の霊夢も正確に気配を読み取ることはできなかった。
仕方ないと断じ、意識を乱入者へと切り替える。そこにはつまらなさそうな表情の魔法使いがいた。
「何のつもり? 邪魔をしないで、アリス」
「ふん。博麗の巫女が異変解決もせずにゲームに興じているなんて、呆れたわ」
「私は異変解決に動いているわ。あなたこそ殺し合いに乗っていたとはね。
あなたなら誰かを殺すより先にこの異変を起こした犯人を探るかと思ってたけど」
「その言葉、そっくりお返しするわ。……でも、本当のところもう分かってるんじゃない? 私と霊夢は似ているもの」
確信しているように明瞭に通るアリスの声に、霊夢は高みから見下ろすのをやめてアリスと同じ地面へと降り立った。
空を飛ぶ程度の能力を持つ霊夢にとってこれくらいの高度はどうということもなかった。
「そうね。まあ、アリスに言っても分からないと思うけど……」
「ああ、いいわ、言わなくても。どうせ直感でしょ? お互いにね」
実際のところそうではなかったのだが、直感的に予感したのは同じことだった。
説明して、納得はできても理解はできないだろうと思った霊夢はそれ以上言及するのを止めた。
「それに」
それと。
「どうせ戦うのだから、私達は」
アリスが拳銃を取り出す。弾幕で来るだろうと予想していた霊夢の勘が久々に外れた瞬間だった。
即座にサイドステップして回避運動に移る。拳銃だろうが弾幕だろうが射撃という点では同じ。被弾するとは思わなかった。
発砲音が数回鳴り響くが、内臓や骨、筋肉系統に異常はない。どうやら全部外れたようだった。
そのまま接近しようとするが今度は生成していた弾幕に阻まれる。
円心状に動くそれは接近させることを許さない、範囲は狭くとも密度の高い弾幕だった。
流石にこれをグレイズしながら接近する術はなく、霊夢は弾幕が切れるのを待つほかなかった。
アリスは手馴れている。確信が霊夢の中を過ぎり、速戦即決というわけにはいかなくなったと思わせた。
撤退も思考の隅に入れたところで、弾幕を消したアリスが再び発砲を始めた。
「あなた相手に弾幕だけで戦うのはバカらしいからね。……今度は外さない」
撃ち方を覚えたらしいアリスが拳銃を両手保持して先程より早い間隔で連射してくる。
これはたまらないと霊夢は舌打ちしながら霊夢は近くの民家へと転がり込む。
異変を解決してきた者同士、今までのように容易くはいかないようだという結論に至った霊夢は、自身に拳銃がないことを改めて悔やんだ。
持ち物の内容を思い出す。トランペット、桶、故障したカメラ……楼観剣以外がまるで役立たずだ。
トランペットは恐らく
メルラン・プリズムリバーのものだろう。
上手く使えば『躁』の音色を出すことだって出来るかもしれないが、音が聞こえるということで自分にも効果が及ぶ。使えるはずもない。
桶は振り回すのがせいぜいだろう。カメラは論外。上手い使い方など望むべくもなかった。
「……仕方ないわね」
ここは逃げるしかないだろう。逃亡するのは悔しいが、別にリベンジはいつだってできる。
アリスが『弾幕はブレイン』と言うのと同様、戦略はブレインなのだ。
さっさと方針を決めた霊夢は家の裏手から逃げ出すべく室内を駆ける。
と、居間を通り過ぎようとしたところで台所が目に付いた。
いくらか明治の面影を残しているそこには果物が数種類置かれてあった。
急ぐ足が止まる。向きが変わる。いそいそと果物を回収する。
なんと緊張感がないのだろうと霊夢は我ながら呆れたが、アリスがこちらに侵入してくる気配はなかった。
本気を出さない彼女らしいと思う。本気で殺しには来ず、隙を見て最善最適の手段で勝利をもぎ取りにかかってくる。
だが、余裕だけで殺しが出来るほど事は簡単なものではない。
勝てばいいのではない。殺さなければならないのだ。それが自分とアリスの決定的な違いなのだと霊夢は思う。
「だとするなら、私は余裕がないのかもしれないわね」
アリスは余裕のある自分を維持するのに拘り、自分は役割を演じるのに拘っている。
似ていて、やはり似ていない。所詮アリスも幻想郷の住人でしかないという、どこか空しい気持ちを覚えながら、
霊夢は最後に、籠に突っ込まれていた果物ナイフを手にした。
何のことはない。こんなものでも色々と役には立つかもしれない。直感的にそう思ったからだった。
裏の勝手口から飛び出し、そのまま離脱しようとした霊夢は、しかし急に足を止めた。
余裕を信条とするアリスだが、逃げる相手をそのまま逃がすか?
余裕というのは慢心ではない。常に一歩引いた視線から客観的に物事を見ることを余裕というのである。
それを為せるアリスが、見つけた獲物を逃がす。不自然に過ぎると思った霊夢は勝手口へと取って返し、再び玄関に出ようとした。
その瞬間。ひゅっ、と風を切る音と共に数本のナイフが飛来した。
まるで罠のように設置されていたナイフはそれまで霊夢のいた場所を突き抜け、地面へと刺さっていた。
十六夜咲夜を思わせる芸当に霊夢は感心半分腹立ち半分の意を込めて舌打ちした。
恐らくは魔法糸で操作し、出てくると同時に操ったのか。人形が操作できるアリスならそれくらい容易いだろう。
「やっぱ騙しは通じないか。相変わらず化け物のような勘よね!」
屋根に上り、そこから魔法糸でナイフを操っていたアリスがすとんと飛び降り、ナイフを操作して霊夢へと突き刺そうとする。
室内では弾幕による反撃は無意味だと判じた霊夢はそのまま駆け、襖を盾にしながらアリスの追撃から逃れる。
もしかすると玄関の方にもナイフが設置されているかもしれなかったが、そのときはそのときだ。
アリスだって空間を全て把握しているわけじゃない。遠隔操作したところで簡単に突破できる。
玄関から外に飛び出すと、思った通り事前に設置されていたナイフが霊夢へと飛来する。
だがいくつかはてんで的外れの方向に向かっており、残りも簡単に弾くことができた。
そのまま真っ直ぐに駆け出そうとして、またもやアリスが現れた。
「残念。私の包囲網からは逃げられないわ。あなたは今や蜘蛛の巣に引っかかったも同然なのよ」
アリスが指先を動かし、前後からナイフで霊夢を狙う。
真っ直ぐに、曲線を描くように、斬り上げるように、斬り下げるようにナイフが迫る。
この程度、十六夜咲夜との戦いで慣れている。
利き腕に楼観剣、反対の腕で果物ナイフを持って、器用にナイフを弾き返してゆく。
だが弾いても弾いても執拗にナイフが再度動き、霊夢を突き刺そうとする。
しつこい。弾きながら霊夢が思ったのは、アリスの意外な執念だった。
旧知の間柄であり、その実力も知悉しているアリスからすればここで霊夢を仕留めたいと思うのは当然のことなのかもしれない。
しかし、だからといってここまでするだろうか。霊夢の知るアリスはほどほどに戦い、余裕を感じられなくなれば引く奴だ。
見当違いかもしれない。アリスも穣子や妹紅のように変質を始めており、本気を出すことを覚えたのかもしれなかった。
ならば、自分も本気を出すべきなのだろうか……
そう考え、霊力を集中させようとした矢先、霊夢は口の端を僅かに吊り上げ、ニヤと笑ったアリスの顔を見逃さなかった。
あの笑みを、霊夢は知っている。自分の得を予感したときの表情。
表層的な部分が似ているからこそ分かる、自らの利益を確信したときの表情に相違なかった。
ならば考えることは絞られる。なぜアリスは笑ったか。
彼女は何も変わってはいない。いつも当たる己の勘を信じて、霊夢はひとつの戦略を打ち立てた。
もはや何度目かも分からないナイフを弾き返したあと、真っ直ぐアリスに向かって直進する。
魔法を使っているアリス自身の動きは鈍く、自身の反撃手段は皆無だ。これだけのナイフを操っているのならば、尚更。
そこを狙い、至近距離で攻撃を仕掛ける。本体を狙うという単純な発想。
だがそれが有効だということを霊夢は確信していた。それに――
「今よ、こいし」
霊夢が次の思考に移る前、遮るようにして、どこからともなく妖怪が現れる。
古明地こいし。
地霊殿に住む、心を閉ざしたサトリ。
ほぼ目の前に現れた彼女は……アリスと同じ、鈍く光る銀色のナイフを握っていた。
* * *
古明地こいしは霊夢とアリスの戦いを見ながらひたすら機会を待っていた。
無意識の権化とも言える彼女にとって気配を悟られることなどあるはずがないことだった。
実際、霊夢も自分を送り出したアリスもまるで自分に気付くことなく戦っている。
傍目にはアリスの方が有利なように見えて、こいしは改めてアリスの強さを実感していた。
あの巫女に対して互角以上に戦っている。
それだけに役に立たなくてはという思いは強くなり、ここでやらなければという重圧も強くなった。
もう、ひとりはいやだ。
今のこいしを動かすのはたったそれだけの……しかし、誰よりも強い願いだった。
サトリは生まれたとき既にして孤独を宿命付けられる存在である。
理由は言うまでもない。心を読み、否応なく内奥の全てを曝け出すサトリという種族と前ではどんな取り繕いも意味がない。
まして妖怪はプライドが高い。誰にも知られたくない思いがサトリの前では露になってしまう。
それだけでこいしが疎遠になるのは当然のことだった。
これに留まらず、陰口を叩かれることも多かった。
『あいつがいるだけで空気が悪くなる』
『あいつなんかと喋るだけで嫌だ』
心の声はこいしに届く。元来、こいしはサトリの中でも強い読心能力のある存在で、遠くにいる妖怪の思考さえ読めた。
聞こえるのはひどい中傷の声。自分を傷つける声。必要としていない声。
姉のさとりはそれらの声に対して諦めているようだった。
これは仕方のないことだと、サトリに生まれた宿命なのだと断じて、嫌われ者であることを受け入れているようだった。
こいしにはそれが理解できなかった。嫌われ者でいて、何がいいのかさっぱり分からなかった。
だから自分が抱える悩みについて相談できるはずもなかった。怪訝な目で見られるだけだと、心を読まずとも想像することができた。
サトリでいることがひたすら辛いのだと。嫌われ者はいやなのだと、誰に伝えればいいのだろう。
自分の意思に関係なく、他人の意思は伝わってくるというのに……
ひとりで考え、考えた挙句、こいしは一つの結論に至った。
心を読む能力があるのなら、それをなくしてしまえばいい。
そうすれば心を読めるからと嫌われることもなく、平和に暮らすことができるはずだった。
こいしはこうするしかないと思った。もう限界だった。
姉と違って自分にはサトリのプライドなんてないし、これが宿命だと諦めることができなかった。
なにより……苛められるのが辛かった。善意も悪意も関係なく、サトリというだけで嫌われる。仲良くもできない。
徹底的に付き合いを絶たれることがあまりにも過酷に過ぎた。
だからこいしは心を閉じた。サトリですら心の読めない『無意識』を手に入れて。
けれども、待っていたのは望んでいた未来ではなく、何一つとして変わらない現実だった。
心を閉ざした代償に、嫌われることはなくなったが好かれることもなく、動物達とも心を通わせられなくなった。
誰からも気にされず、誰からも無関心でしかない。寂しさを埋め合わせることなど到底できなかった。
そればかりか、姉のさとりからは心を閉ざしたことを徹底的に責められた。
何故心を閉じた。何故逃げるような真似をしたのか。何故私に言わなかったのか……
既に反発はなかった。そうしても無駄だと知っていたし、もうこいしにはどうしようもないことだった。
ひとつ分かったのは、これで自分は姉からも隔絶されたらしいということだった。
思えば――あれは悲しみで、孤独になった悲しみだったのかもしれない。
結局のところ、以前にも増してひとりになってしまったのだ。
心を閉ざしていたので、もう辛くはなかった。
しかし、その奥底では……心が、悲鳴を上げ続けていた。
アリスがそれを分からせてくれた。アリスだけが苦しんでいた自分を理解してくれた。
だからアリスに認めてもらわなくてはならない。
必要とされたい。
嫌われたくない。
ひとりは……いやだ。
ひとりにならないなら、もう誰もいらない。
お燐もいらない。
お空もいらない。
お姉ちゃん、だって……
地霊殿の仲間の顔を思い出した瞬間、こいしはこんなことをしていいのか、と思った。
本当に嫌いで、いらないと思っているのならさとりはペットを寄越してくれただろうか。
何不自由ない生活をさせてくれていただろうか。
まだ自分は逃げ続けていて、さとり達と向き合うのを恐れているだけではないのか。
誰かを殺してしまったら、今度こそ取り返しのつかないことになってしまうのではないか。
妖怪でありながら争いを好まず、極力命を大切にしてこようとしたさとりが、こんな自分を許しておくだろうか。
「でも、お姉ちゃんは何も分かってくれなかった……」
心を閉ざした理由も、悩んでいたことも。
何も知ろうとしてくれなかった姉に、どれだけの価値があるというのか。
家族という建前だけで、他人同然の付き合いしかしてこなかった姉に……
何も考える必要はない。ただアリスのために人を殺せばいいのだと断じて、こいしは『心を閉じた』。
蓋をした瞬間、聞こえてきた声から顔を背けるようにして。
体の中から空気を搾り出すように思考を追い出し、空虚を己の中に蓄積させる。
そうして無意識と一体化し、ふらふらと戦っている霊夢へと接近する。
それを目撃したらしいアリスが笑う。
よくやった。後は気付いていない霊夢にナイフを突き刺すだけ。できるわよね、こいし?
できる。期待の眼差しを向けたアリスに、ちょっとした嬉しさが紛れ込んでしまった。
認めてくれる――たったそれだけの思いが、しかし致命的な間違いだと気付いたのは、霊夢の視線が自分と合ったときだった。
無意識と同化している自分ならば、ナイフを刺すその瞬間まで相手は気付かない。
そのはずであったのに、霊夢の腹部までいくらもないところまで接近したところで、気付かれた。
既に知っていたと言わんばかりの目が、どこまでも冷淡で自分以上の虚無を感じさせるような色のない瞳が合う。
そんな馬鹿な、と思った瞬間、こいしの体が吹き飛び、後ろへと弾き飛ばされた。
霊撃――そう頭が認識したとき、硬いような柔らかいような感触が背中に当たり、押し倒しながらごろごろと転がる。
「やっぱりね。誰か仲間がいると思ったわ」
土臭い味を口内に感じながら、こいしは霊夢の声を聞いた。
その隣では巻き込んでしまったらしいアリスが苦痛に歪んだ表情になっている。
「アリスが勝てないかもしれない戦いを続けるわけがないもの。だったら、勝てる要因がどこかにある。
それがあなたよね、古明地こいし。確かにあなたがここがいることには気付かなかった。だから私はこの体に意識を預けた」
「……自分の体が覚えていることを期待した、ってわけね。冗談じゃないわよ……無意識ですら奇襲は通用しないなんて」
アリスの苦しげな声は、単に痛みによるものだけではないのかもしれない。
ごめんなさい、とこいしは言おうとしたが、そうしてしまえばアリスが自分を捨てるような気がして、口が重たくなって動かなかった。
役立たずの一語が頭に浮かび上がり、空虚の代わりに絶望の暗闇が支配してゆくのを感じた。
殺されることより、見捨てられることの方が怖い。孤独は嫌だと叫ぼうにも、しかしどうすればいいのか分からなかった。
澱んだ思考は完全に止まり、思考の全てが機能を為さず、放棄しきっているように感じられた。
「アリスが笑わなければ、気付かなかったかもね。あなたは勝負に勝とうとした。私はあなたを殺そうとした。……それだけの違いよ」
霊夢の言葉にアリスの顔が引き攣り、やがて失笑となって吐き出されるのが見えた。
ただ自分に呆れ、偶然などではなかった敗北を噛み締めた者の顔だった。
もうアリスが何も言い返さないのを見た霊夢が刀を持ち直して走る。その視線はこいしへと向かっている。
理由はないのだろう。ただこいしの方が霊夢に近かったから標的に選ばれた。その程度のものなのかもしれなかった。
だがそれでいいと思う。せめて捨石になるくらいのことをしなければ、永遠に自分は一人だ。
孤独の恐怖に呑まれ、死ぬくらいなら、同じ死ぬのでも誰かを守って死んだほうがいい。
こいしは最後に残された希望を掴むべく、アリスの盾になるように前へと躍り出た。
前に出る瞬間、アリスの目が驚愕に見開かれたように思われたが、恐らく己の願望が生み出した幻影なのだろうと思う。
だって自分は役立たずだから。理解してくれたアリスのパートナーどころか剣にすらなれなかった無様な妖怪なのだから。
多分、霊夢が自分に気付いたのは、無意識の中にほんの少し、感情を紛れさせてしまったことがあるに違いなかった。
死んで当然。所詮はその程度の妖怪だ。
でも、死んだ後の一瞬でいい。私のことを心に留めておいてください、アリスさん。
霊夢が刀を振る。こいしは目を閉じた。そのまま開かれることはないのだろうと思いながら。
しかし、その前に……ぐいと体が押される感覚があった。
目を閉じていたこいしは気付かない。何があったのかわからなかった。
ぷしゅ、と何かが切れて、生暖かいものがこいしの頬に飛び散った。
だが痛くはなかった。斬られたはずなのに、痛くないなんておかしい。それに……死んでいない。
こいしは目を開ける。そうしてしまうと何か取り返しのつかない予感がしたが、開けないと何が起こったのか確かめられなかった。
「――あ」
アリスが隣にいた。今までにないような、穏やかでやさしい笑顔を浮かべながら。
霊夢の刀をその身に受けながら。
刃をしっかりと掴んで離さず。
ただ、笑っていた。
自分は、きっと。
希望から見放され続けているのだと、そんな感覚だけがあった。
* * *
負けた。今回も霊夢に負けた。
結局一度として勝利できなかった事実を思う一方で、このように勝負に拘っていたから負けたのかもしれない。
だがそうではない、と内奥から滲み出る声がアリスの弱気をかき消した。
殺したかったと本心で思っていたわけではなかったのだと、どこかにいた自分が告げている。
本当はただ、こうして弾幕戦をして、霊夢に土をつけたかっただけなのかもしれなかった。
そう思うと、今まで殺しに回っていた自分の姿があまりに浅ましく感じられ、美徳の欠片もない醜い生き物のように思えた。
殺し合いという糸に縛られ、自分さえ見失っていた哀れな人形……
そう、人形なのはアリス自身だった。
そんな現実すら見えていない自分は負けて当然。信念を失った己は存在価値を失くしたも同然に違いない。
急速に腹の底が冷え、もうどうにでもなれという自棄になった心が固まり、ただアリスは笑うしかなかった。
こいしがアリスを庇うようにして前に出たのはそんな時だった。
瞳は恐怖に揺れていた。あんなに死を恐れているのに、彼女は自分を守ろうとしていた。
馬鹿な奴、とは思わなかった。彼女はただ純真無垢なのだ。
自分を仲間だと信じ、自分を正しい行いができる者と信じて盾になろうとしているだけだった。
自らの全てを放棄し、何もかもを失くしたと気付いた女を守ろうとしている。
人形としての使命感からではなく、自ら選び取った意思で。
意思を持たせようとした結果はあまりに皮肉なものだった。
同時に、そんなことをさせてまで生き延びようとしている自分がひどく情けなくなった。
誰かに頼らなければ生きられないほど弱々しい女だっただろうか。
そんなことは許されるはずがない。魔法使いは誇り高い存在で、孤高を誉れとする存在であるはずなのに。
人形になってしまったからだ、というのなら、そうなのだろう。
だからこそ意地を張ってみせなければならなかった。
噛み付いてみせねばならなかった。
誇り高い自分を人形へと貶めた、この殺し合いそのものに。
その瞬間には失望も絶望もなく、ただやらなければならないという思いに衝き動かされて、アリスはこいしの背中を押した。
こいしの目前まで迫っていた霊夢の刀が、自分が押し退けたこいしの脇を通過し、体を刺し貫いた。
鋭い痛みが肺から喉へと突き上げ、鉄錆の味が広がってゆくのが分かった。
霊夢の目が初めて驚きの色を宿す。
あの霊夢を驚かせた。その事実が痛み以上の喜びをもたらし、
最後の最後に一泡吹かせてやったという優越感がアリスにもう一度力を行き渡らせた。
素手で刀を掴む。指が切れ、感覚がなくなっていったがもう関係のないことだった。
刀を掴んだアリスはそのまま自らの体へと突き刺してゆく。
深く、深く、抜かせてたまるものかと『本気』の意思を交えながら。
それは美徳も余裕も失ったと自覚していたからできたことなのかもしれない。
滑稽だと思う一方、こういうのも悪くないと思う自分がいた。
何もかもを放出しきる、霧雨魔理沙のような一直線な生き方も。
真意に気付いたらしい霊夢は刀を引き抜こうとするが、もう遅い。力が残っている限りは抜かせない。
ざまあみろ、と言ってやりたい気分だったが、もう口の中は血だらけで言葉を搾り出すだけの空気もない。
だから心中でアリスは愚痴を言い連ねてみた。
霊夢。これが殺し合いに縛られた奴の結末よ。覚えておくことね。
魔理沙。あんたの滅茶苦茶理論、ちょっとだけ分かったかも。やりたくもないけど。
永江さん。悪いことをしたわ。地獄で殺されてやるから待ってればいいわ。
こいし。多分、私はあなたを死なせたくなかったのかもね。いまさら、偽善者の言葉だけど。
それと、私。こんなところで死んで、どんな気分?
さぞ悔しいでしょうね。あんな妖怪を助けて死ぬなんて馬鹿みたい。
空しいでしょう? プライドもなくなって、人形に助けられて、自分が人形になって。
どうしてこんなロクデナシになってしまったのかしらね。知らないわよ、馬鹿。
薄れゆく意識の中で自問自答するのが可笑しく、アリスは血を吐き出しながら笑った。
ぼんやりとした景色はいつしか見慣れた幻想郷の人里の風景に変わり、祭りの喧騒でざわめいていた。
アリスはそんな祭りの中を歩いていた。
買い物に来ていたアリスはついでに、と祭りを見物していくことにしたのだった。
普段と違う着物に身を包み、町を闊歩する人の群れ。
中央の広場から聞こえる太鼓と笛が奏でる祝いの音楽。
かがり火が夕暮れ近い町を照らし、薄闇を帯び始めた空を温かなものにしていた。
祭りそのものの輪に入る気はなかったが、この雰囲気は楽しめるものだった。
なんとなく気分のよくなったアリスは近くの店でいくつか団子を買い、食べながら町を往く人々を眺めていた。
するとそこに泣きながら歩く子供の姿があった。どうやら女の子で、誰かとはぐれてしまったようだった。
時折「おかあさ~ん」と鼻声交じりに言うので、なんとなくいてもたってもいられなくなって、アリスは女の子に声をかけていた。
泣きながらだったので中々聞き取れず、どうにか迷子で一緒に来た親と離れ離れであるということが分かるくらいだった。
とりあえず泣き止まないことにはどうしようもなかったのだが、生憎と団子を食べきってしまった後であり、
会話で紛らわそうにもアリスはそこまで口が上手くはなかった。下手に何か言って傷つけてしまうのではとさえ思っていた。
声をかけたはいいもののどうしようもなく、アリスは呆然と立ち尽くすしかなかった。
何かいいアイデアはないのかと周りを見回してみると、団子屋の椅子に置いてきた荷物の中から人形が顔を覗かせていた。
あれを使って、何とかできないだろうか。「ちょっと待っててね」と女の子をその場に待たせ、人形を取って戻ってくる。
人形を使った魔法は元々美しさと広範囲攻撃の両方を会得するための技術だった。
故に人形を動かす技術も必然高まっており、簡単な人形劇くらいならできるかもしれないと考えたのだった。
「いい。この人形さんが動くから、よく見ててね」
幸いにして悪趣味ではなかったので、可愛らしい人形に目を引かれたのか、女の子はぐすぐすと鼻を鳴らしながらも頷いた。
少し微笑んでから、アリスはいつものように人形を動かした。魔法の糸によって操作される人形はまるで生き物のように動き、
てくてくと歩き、ふわふわと飛んだ後、女の子の頭をゆっくりと撫でた。
女の子が笑った。不思議な力で動く人形がよほど面白いらしく、先ほどまで泣いていたのも忘れたかのようにきゃっきゃっとはしゃいでいた。
それが少し嬉しく、アリスは柄にもなく人形を無心で動かしていた。
しばらくすると、ずっと探していたらしい女の子の親がやってきて、何度も礼を言われた。
別れ際、女の子が手を振りながら「またみせてー」と言っていた。
手を振り返しながら、ああ、それも悪くないかもしれない、と思ったのだった。
人里に人形劇を披露しに行くようになったのは、それからだ。
……そういうことか、とアリスは思う。
なぜこいしを庇ったのか、改めて理解したような気がした。
きっと、私は……
どうしようもなく、お人好しだったのだろう。
最後の最後で詰めの甘い、どうしようもない愚か者。
霊夢を殺せなかったのも、こいしを人形にさせきれなかったのも。
恐らくは、そういうことなのだろうとアリスは納得して……意識を閉じた。
* * *
「っ、くそ……」
げほげほと咳き込みながら、妹紅はむくりと起き上がる。
生きているところを見ると、死んではいないようだ。
いきなり弾幕の雨に晒されたものの、殆ど直撃はなく衝撃波によって吹き飛ばされたくらいだった。
相変わらず蓬莱人の体はそれなりに頑丈であるらしく、若干ふらつきながらも立ち上がることができた。
状況はどうなった。霊夢はどこだ。
散発的な疑問を浮かばせながら妹紅は周りを見回す。
いくつかの建物が破損しており、恐らくは先ほどの弾幕によるものだと想像がついた。
そうだ。弾幕に巻き込まれたということは、乱入してきた奴がいるということではないのか。
自分を助けようとしてか、それとも両方とも殺そうと思ったのかは定かではない。
それでもあのお陰で助かったのには違いないと思いながら、妹紅は援護に向かうべく走り出す。
律儀に過ぎるなあ、と自分で失笑しながらも、恐らく自分の代わりに戦っているであろう人物のことを思うと、
そうしなくてはならないような気がした。誰だっていい。生きていることに、自分は今感謝しているのだから。
しばらく駆け、民家の角を曲がったところで、妹紅は目の前の光景に息を呑んだ。
そこには三つの人影がある。ひとつは霊夢。ひとつは見知らぬ少女。ひとつは……倒れている、
アリス・マーガトロイド。
遅かったかという思いと、自分がいながらまた誰かが殺されたという怒りがない交ぜになり、妹紅は血が滲むくらいに拳を握り締めていた。
そして、アリスの体から刀を引き抜いた霊夢は何事もなかったかのように、次の標的をもう一人の少女に定めようとしていた。
鋭い怒りが妹紅の体を衝き動かし、既に殆どなくなっていたはずの妖力が手に集まるのを感じた。
「霊夢ッ!」
衝動のままに叫んだ言葉は一発の光弾と変わり、霊夢へと直進する。
気付いた霊夢はしかし難なく回避し、そのままこちらを一瞥すると、顔を背けて駆けて行った。
その後ろ背を追う気にはなれなかった。今のが正真正銘最後の妖力であったらしく、しばらくは炎も出せそうにない。
しかも今気付いたのだが、体中が痛い。走ったところで霊夢には到底追いつけそうもなかった。
だが決して霊夢を放っておくわけにはいかないという思いは残り火となって内奥で燻り、消えることはなさそうだ。
どうやら自分には僅かな正義感とやらがあるのかもしれないと考えながら、呆然とアリスの側で座り込んでいる少女へと目を移す。
石のように動かなくなっている彼女にどう声をかければいいのだろう、と逡巡する。
取り残された者。大切な者を失ってしまった者に、どうしていいのか全く分からない。
自分がそうであり、幾度となく経験してきたはずであるのに。
アリスを救えなかっただけでなく、生き残った少女に対して何もしてやれない我が身の無力を思いながらも、
それでもこうしているわけにもいかず、近寄っていこうとしたところ、少女が妹紅へと振り向いた。
歩みを進めていた妹紅の足が止まり、何とか搾り出そうとしていた言葉も失う。
笑っていた。目の前の幼さを残す少女は頬にべっとりと血糊をつけたまま、ただにこにこと笑っていたのだ。
「ねえ」
声はひどく恬淡としていて、笑顔とは裏腹の怖気を覚えるような声だった。
空虚。自身がかつてもっていたそれとは違う、感情そのものを置き去りにしたような少女が妹紅を見つめている。
「あなたのせいで、アリスさんが死んじゃったよ?」
見当違いな言葉にも、妹紅は何も言い返すことが出来なかった。
そうさせないだけのおぞましさが溢れ出ていた。
「私、許さない。あの巫女も、あなたも――」
スッ、と持ち上げられたのは妹紅が持っていたのと同じような形をした物体。
拳銃と脳が認識するよりも先に、ぱん、ぱんという乾いた音が響き渡った。
意味がないと分かっていながらも体を抱える。だがどこにも異常はない。
外れたのかと安堵すると、今度はカチ、カチという音がした。
「あれ? あれ? おかしいな、弾が出ないなあ?」
相変わらず張り付いた笑みを浮かべたままの少女が壊れた機械のように拳銃の引き金を引き続けていた。
もはや正視を続けることも苦痛に思え、妹紅はどうしようもなくなって、少女から目を逸らした。
私は、もう一人も助けられなかった――
「ああ、そうだ。だったら、刺し殺せばいいんだ。アリスさん、殺したら褒めてくれるよね?」
次に少女が手にしたのは銀色のナイフ。ぎらぎらと輝くそれは、少女の濁った瞳と対比となって、あまりに危ういもののように見えた。
ゆらゆらとこちらに近づいてくる。妹紅は何をする術も持てず、身を翻して逃げるしかなった。
そうしてしまえば少女を止められなくなるかもしれないと知りながらも。
妹紅は自らの無力を呪った。
生きたいと思っても、何も出来ないのでは意味がないじゃない……!
「私は……これで良かったの? 慧音……」
ズキズキと痛む胸は、体の痛みではなかった。
あまりに悔しく、あまりにも無様で、妹紅はただ、空を仰ぎ見ることしか出来なかった。
【アリス・マーガトロイド 死亡】
【残り 34人】
【D-4 人里 一日目・午前】
【
藤原 妹紅】
[状態]妖力を大幅に消費(6時間程度で全快)
[装備]水鉄砲
[道具]基本支給品、手錠の鍵
[思考・状況]基本方針:ゲームの破壊及び主催者を懲らしめる。「生きて」みる。
1.無力な自分が情けない……
2.慧音を探す。
3.首輪を外せる者を探す。
※黒幕の存在を少しだけ疑っています。
※再生能力は弱体化しています。
【博麗霊夢】
[状態]腕や足に火傷、及び擦り傷。 またそれらによる疲労。霊力を消費(数時間休憩で回復)
[装備]楼観剣、果物ナイフ
[道具]支給品一式×4、メルランのトランペット、魔理沙の帽子、キスメの桶、
文のカメラ(故障)、救急箱、解毒剤、痛み止め(ロキソニン錠)×6錠、賽3個、拡声器、数種類の果物
[思考・状況]基本方針:殺し合いに乗り、優勝する
1.力量の調節をしつつ、迅速に敵を排除する
2.お茶が飲みたい
※ZUNの存在に感づいています。
※解毒剤は別の支給品である毒薬(スズランの毒)用の物と思われる。
【古明地こいし】
[状態]健康 疲労(小) 情緒不安定
[装備]銀のナイフ 水色のカーディガン&白のパンツ 防弾チョッキ 銀のナイフ×8 ブローニング・ハイパワー(0/13)
[道具]支給品一式 リリカのキーボード こいしの服 支給品一式×2(中にブローニングの予備マガジンがあるかもしれない) 詳細名簿
[思考・状況]基本方針:アリスを殺した奴を許さない。他の連中も……
1.霊夢と妹紅を絶対に殺す
2.地霊殿のみんなに会いたくない
※寝過ごした為、第一回の放送の内容をまだ知りません
【その他:アーミーナイフ(VICTORINOXスイスチャンプ)は人里のどこかに落ちています】
最終更新:2009年09月16日 20:47