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――突然だが、ここで博麗霊夢の"ゲーム"における戦果を振り返ってみよう。

まずは黎明。
霧雨魔理沙に追われ、助けを求めてきたリグル・ナイトバグの首を跳ね飛ばした。

続いて早朝。
人里の民家で書物の検分に熱を上げていた稗田阿求を後ろから刺し殺した。
その現場を見られたルナサ・プリズムリバーには弾幕で抵抗されたが、特に問題にせずに斬り伏せた。

そして午前。
人里で交戦したアリス・マーガトロイドには、伏兵だった古明地こいしの存在を読み切って圧勝。
こいしを血祭りに上げようとした矢先、それを庇ったアリスを斬ることとなった。
どの道こいしの後で仕留めるつもりではいたが、とにもかくにもこれで4人。

最後は真昼。
魔理沙とフランドール・スカーレットと魔法の森で交戦。
その際助太刀に入るも気の迷いを見せた八雲紫に狙いを定めるも、これを庇った八雲藍を刺殺という結果に。
そして、すかさずターゲットをフランに変えるも、ここに割り込んだ森近霖之助を刺して命を奪った。

すでに6人を殺めた彼女は、度重なる戦闘でもこれといった深手を負うこともなかった。
ルナサの決死の弾幕攻撃は、かすり傷すら与えることも出来なかった。
秋穣子が自分の命を賭して仕掛けた自爆攻撃も、熱風で火傷を負わせるのが精一杯。
藤原妹紅の『フジヤマヴォルケイノ』も、アリスとこいしの連携攻撃も、霊烏路空とチルノが立てた必勝の策も……
多少なりとも彼女を慌てさせたとはいえ、決定打には成り得なかった。
河城にとりに桶を投げつけられて頭を切ったのと、フランに脇腹を一発殴られたのと……
霊夢が負ったダメージらしいダメージはそれだけであり、それらも時間の経った今では行動に影響を残しているとは言い難い状況。

その天賦の才と鋭い勘で、ここまでおよそ24時間にわたる死のゲームを渡り歩いてきた博麗の巫女。
異変の解決に向けて動き続ける彼女の行く末に待つものは果たして何なのか、この時点でそれを知る術は無い。




 *      *      *




撃墜マークを6つ並べた"エース"は人里の上空にふわりと漂っていた。
彼女が閻魔に背を向けて程なく、背後で銃声が一発だけ鳴り響いたが霊夢はそれを気に留めることはなかった。
二発目の銃声が鳴り響かなかったこと、加えて弾幕が形成されたような気配を感じなかったこと。
これらのことから、霊夢はその一発で全てが終わったことを悟った。
威嚇射撃の可能性もあったが、未だにこの場でそうした行動を取るような者に先は長くないと踏んだのだ。
自分が行かずとも他のヤル気ある者に早晩葬られる、ならばそんな相手に力は無駄遣いしない、そう決めたのだった。

空を漂いながら霊夢は改めて今後の指針について思案する。
八意永琳によって撃墜されたチルノと空にトドメを刺しに行くか。
あるいは、その永琳に向かって行って始末するか。
生きていれば伊吹萃香もこの人里のどこかに潜んでいるはずであり、それを探して改めて交戦するか。
利害関係の一致から表面上は同盟関係を結んでいる小野塚小町との合流を目指すか。

しばしの思索の後、霊夢は当てもなくゆっくりと動き始めた。
最初に目に入った者に向かって行こうと決めたのである。
戦闘を行っていた永琳をはじめ、各人がその歩を止めていない可能性があった。
捜索に出ても徒労に終わって無駄な疲労を蓄積させるくらいならば、適当に飛んで目についた者を片っ端から……
そうした考えの下に"エース"が始動する。

そんな彼女が、人里に向かってゆっくりと近づいてくる影を視界に捉えるまではさほどの時間を必要としなかった。
そういえば、さっき遠くの空で何やら戦っているような小さな影があったっけ。
そんなことを呟きながら、霊夢はその影のある方へ進路を定めたのだった。




 *      *      *




幻想郷最速を自負する天狗とて、本調子でなければそのスピードには陰りが生じるというもの。
ましてや、全身を内から、外から痛めつけられた状態では歩くことが出来るのが不思議である。
人ならざる者である彼女だからこそ、それでも動けるという道理ではあったのだが。

「……ねぇ、本当に大丈夫なの……?」

前方を歩く小柄な妖精が振り返る。
歩を進める度に、軋むような激痛が射命丸文の全身を駆け巡っていた。
レミリア・スカーレットとの死闘で負った重傷、そしてそれを押してまで放った自らの大技。
そのことで自らの身体に過度の負担をかけたのは事実だが、そこからの回復も遅いことに文は気づく。
無理をして歩いてきたことで、怪我の具合をさらに悪化させてしまっていたのだ。

同行者であるサニーミルクに心配をかけさせまいという思い、そして天狗という高位の妖怪としてのプライドにかけて。
決して苦悶の表情を浮かべぬように腐心はしたものの、それで歩調が改善されるというわけではない。

「えぇ、大丈夫ですよ」

ズキンという痛みが再びその体を貫いたが、文は笑顔を取り繕って言葉を返した。

「ほら、やっと里も見えてきたからね? もうちょっとでゆっくり休めるから」

サニーの表情は不安げなままである。
自分では取り繕っているつもりでも、もう隠しきれていないのかもしれない、そう思うまでに文は追い詰められていた。
これほどの重傷を負うことさえ滅多にないことではあるが、それでも妖怪は人間とははるかに大きな治癒力を持っていたはず。
それが遅々として癒える気配のないことにも、文は焦りを募らせていた。
ここまで痛みを引きずる経験が無かったことで、彼女の心の片隅を不安という名の病魔が巣食っていたのだった。

痛みを逸らすようにふぅっ、と一息ついた文が、何気なく空を見上げる。
……そして次の瞬間に、彼女の背中を冷たい汗が伝った。
そのまま空中の一点を見つめて固まってしまった文の様子に、サニーが気づいた。

「……? どうしたの? 何か見つけたの?」

サニーが振り返ってその方角を見やる。
そして、視界に見知った人間の姿を確認して思わず、あ……と声が漏れた。
服装こそ普段のそれとは違っていたが、その姿形は紛れもなく博麗の巫女のものであった。
伝聞だけとはいえ、その所業を聞いていたサニーの背中にも文と同じく冷たい汗が伝う。
河城にとりと伊吹萃香にその殺意を向け、阿求とルナサを手にかけたその張本人がこちらに向けて飛来してくるのだ。

「あ……あわわ……は、早く姿を消さな……」
「無理です……もう……」

慌てて振り返ったサニーを文が声で制した。
湖の近くの森からはだいぶ離れてしまった。人里が近いとはいえこの身体ではまだいくらか時間がかかる。
なにより、こちらに向かってまっすぐ飛んでくる霊夢の様子を見て、間違いなくこちらの存在を視認していることを文は確信していた。
今更姿を隠したところで、周辺一帯を潰すように弾幕を飛ばされては逃げ切る余力もない。
余力といえば、サニーの光を屈折させる力とてここまでかなり酷使していたがために、どれほど姿を消せるかも分からなかった。

姿を隠すことは出来ない、自慢のスピードを生かして逃げることもかなわない。
霊夢と対峙しなければならないのでしょう、そう覚悟を決めた文は頭をフル回転させ、この場を生き延びる方策を練る。
レミリアとの戦闘でボロボロの自分に対して、相手はどれほどの損害を負っているか……
わざわざ向かってくるくらいなのだから、大した手傷も追っていないと見た方がいいのかもしれない、そう文は推測する。

(……もしかしたら、これは詰んでしまったのかもしれませんね)

ギリ、と悔しそうに歯噛みする。
にとりとレティの無念も晴らせぬまま、ここで散ってしまうのかと思うと、悔しさから涙を零しそうになる。
そうした思いを文はどうにかこらえ、サニーの為に痛みを押し殺したのと同じく、表情を取り繕って霊夢と対峙しようとする。
キッと強い視線を飛んでくる霊夢に向け、その場に仁王立ちした文の下へ、サニーが駆け寄ってくる。

「ねぇ……本当に大丈夫なの……?」

先刻と同じ言葉をサニーが投げかける。
その対象とニュアンスは大きく異なるとはいえ、文の返す言葉は変わらなかった。

「えぇ、大丈夫ですよ」

強がりとはいえ、こう返事をする他なかった。
天狗としての、射命丸文としての矜持をもって、目の前の脅威にどれほど抵抗できるか。
自分の背後にサニーを押しやり、文はその時を待った。




 *      *      *




人里に近づく影を目指してゆっくりと飛んでいく霊夢が、その正体をブン屋と悪戯妖精であることに気づくのにさほど時間はかからなかった。
名簿に載っていない妖精がこの場にいることに一瞬の戸惑いを覚えるも、関係なく斃してしまえばいいとすぐさま思考の隅に追いやる。
そして、同時に天狗の負っているダメージの算段に入る。
スピードをウリにしているはずの天狗が、わざわざ歩いてまで、それも妖精に先行を許してまでこちらに向かってくる理由。
妖精に先導を任せているのか、それとも妖精の歩みにすら劣るほどにダメージを負っているのか。
おそらくは後者であろうと勘を働かせた霊夢は、懐からナイフを取り出した。
その白刃が月の光に照らされ、キラリと輝きを放つ。
そのせいなのかどうか、向こうも霊夢の様子に気づいたらしく、前を歩いていた妖精が慌てて天狗の下へと駆け寄っていくのが見えた。
そして、自分を待ち受けるかのようにその場にとどまる姿を確認する。

(そうだろうとは思ったけれど、逃げるつもりはない、ってことね)

妖怪の、特に高位の妖怪が持つプライドの高さを肌で感じてきた霊夢は、半ば確信していたかのように呟いた。
鬼にしても、閻魔にしてもそうだった、プライドが高いが故にこの場でもがき、苦しみ、喘ぎ続けているではないか、と。


(何かに縛られるというものは面倒なものね)

霊夢は嘲笑にも似た笑いをわずかに浮かべながら、滑空するように二人の前方へと降り立った。

サニーが怯えるように文の背後からこちらをのぞき見ている。
文は、というと普段の飄々とした表情とは打って変わって、根城である妖怪の山に外敵が来た時に放つような敵意を込めた視線を向けていた。
そうはいっても、身体のあちこちに傷を負っていることは見た目にも明らかであり、先ほどの勘が概ね当たっていたことに霊夢は安堵する。

「……ずいぶんと珍しい取り合わせね。何か悪巧みでもしているのかしら?」

つかつかと二人の下に歩み寄りながら、霊夢が切り出した。

「悪巧みとは心外ですね……貴女こそ、博麗の巫女としての責務はどうされたのですか?」
「仕事ならしてるわよ、ボロボロのあんたと違ってね」

霊夢はなおもゆっくりと近づいてくる。
その手にナイフが握られたことを見たサニーから、思わずひっ、と小さな悲鳴が漏れる。
そして、そのまま自分の体を完全の文の背後へと隠してしまう。

「よく言いますね」

身じろぎもせずに文が返す。

「地底の異変の時だって、私たちがけしかけなければ動くことはなかったじゃないですか」
「何が言いたいのよ」

冷たい視線を霊夢が叩きつけてくる。
その姿から、にじみ出てくるような殺意を感じ取りながらも、文はなおも言の葉を継ぐ。
彼女は決して、巫女を挑発しているわけではなかった。
記者である以上、取材を通じてその真意を探り当てることを目的としたのだった。
霊夢の本心を突き止めることで、この場の突破口を得る。
弾幕も、体術も封じられた文にとって、その話術こそが残された武器でもあったのだ。

「此度の事変にしてもそうです。すでに多くの人妖の血がこの大地に流れました。それだというのに貴女は……」
「……あんたは」

遮るように霊夢が告げる。

「耳の敏い妖怪だからきっと知ってるわよね。私のしてきたこと」
「……えぇ、よく存じておりますよ」

文も負けじと続ける。
いつ攻撃が始まるのか不安で仕方ないサニーの視線が、両者の間を行ったり来たりとしていた。

「こともあろうに、率先して幻想郷を血に染め上げようとしている……違いますか?」
「それが異変の解決に繋がるとしても?」
「……どういうことですか」

文がごくりと息を飲む。
そんな文の様子を意に介するそぶりも見せずに、霊夢が続ける。

「あんたはこれが普段の異変と同じような異変だと思ってるの?」
「……まさか。スペルカードルールも無視して、露骨に人妖を殺し合わせるような異変なんて……」
「……だけど」

再び霊夢が文の言葉を遮る。

「この場ではそれがルール。スペルカードルールなんてあったもんじゃないわ。
 美しさも何も無い、ただ生き残った者が勝ち、それがここでの理」
「……それに黙って従えとでも?」
「愚問ね」

そう言うと、霊夢は果物ナイフの切っ先を文へと向けた。

「従わないなら従わせるまで。私は今までそうしてきたわ、そしてこれからもね」
「……それで、今まであなたは多くの血を流し続けてきたのですか」
「当然よ、そしてあんた達だって例外じゃないわ」

ふぅっ、と一息ついた霊夢がさらに続ける。

「全員この場から消えてもらうわ。恨みっこなしよ」
「……そんなことで異変が解決するとでも?」
「くどいわね。私以外の誰が生き残っても幻想郷は成り立たないわ。
 だったら、その他大勢には消えてもらうしかないのよ」
「その結果取り戻せた幻想郷は……あなたの望む幻想郷なのですか……っ!」

文が語気を強めて返す。
自分の愛する幻想郷を守りたい、その想いだけで彼女は博麗の巫女に立ち向かう。
仲間と酒を飲み、他愛もない話で笑いあい、時々ちょっぴりちょっかいを出してはすぐに鎮められる。
ぬるま湯ではあったけれども、それだけに居心地の良かったあの場所を取り戻したい、そうした願いを胸に。

だが、巫女の想いは別のところにある。
人間と妖怪、立場の違いもさることながら、妖怪に好かれながらも基本的には相対する巫女としての立場。
そして、彼女の持つ天性の勘の良さが、文とは違った世界を彼女の心中に映し出していた。

「私が望むも何も……」

一呼吸おいて、霊夢が言葉のナイフを突きつける。

「この姿が幻想郷の望む姿よ」
「莫迦な……そんなの、認められるわけないでしょう……っ!」

文も引き下がらない。
ペンは剣よりも強し、時として言葉というものは幾多の武器よりも大きな破壊力を持つものである。
その言葉を操るプロとしての意地もまた、彼女をこの場に立たせている原動力であった。

「あんたが認めようが、認めまいが関係ないの。さっきも言ったでしょ、従わないなら従わせるまで。
 認めないなら……認めさせるまでよ、あんたの命でね」

さらに一歩、霊夢がずいと文に近寄る。
その腕を振れば、手にした果物ナイフの刃がまた血を流すまでに二人の距離は縮まっていた。
夜の静寂が辺りを包む中、互いに視線を逸らすことは無かった。
何かの拍子に、二人の間に張りつめた緊張が解け、また一つの命が失われかねない、そういう状況になっていた。

場に一石を投じたのは、第三者……霊夢にとっては思考の埒外にある妖精の声であった。

「……何よ、どいつもこいつも……っ!」

霊夢と文は同時に視線を下に向ける。
霊夢の顔には冷笑が、そして文の顔には戸惑いが、それぞれ貼り付けられていた。
視線の先のサニーはというと……その両の瞳にうっすらと涙を浮かべていた。

「霊夢さんもあの吸血鬼とおんなじよ……! 自分が生き残りたいからって適当な理由作って並べてるだけじゃない……!」

先刻、レミリアに啖呵を切った時の勢いは見られなかった。
吸血鬼の手によって、レティ、にとりとは離れ離れになってしまったことがその最大の理由である。

サニーはサニーで、昨日までののどかな暮らしに戻りたいと願っていた。
スターサファイアや、一度は会えたけどまた離れ離れになったルナチャイルドという、いつも一緒にいる二人と……
日々悪戯に興じたり、冒険をしたり、四季折々の幻想郷を楽しんだり……
そんな日常を根こそぎ持っていかれたこの異変で、なお他者の命を散らそうという行為を見過ごすことは出来なかった。
それを覆せるだけの力も、頭脳も持たないながら、だからこそシンプルに打算抜きで感情をぶつけることがサニーには出来た。
それが、レミリアの怒りを買い、文の目を覚まさせ、レティの迷いを振り払い……直球で相手の心に何らかの影響を及ぼしたのだった。

……だが、博麗の巫女は違った。
やや精神面で脆いところがある妖怪とは違い、彼女のその堅牢な覚悟はサニーのまっすぐな言葉とて突き崩すことは困難であった。

「……ごちゃごちゃ五月蝿いのよ、毎日を暢気に遊び呆けている妖精のくせに」

小さく舌打ちをすると、ターゲットをサニーに変えて文の背後へと回ろうとする。
レミリアに啖呵を切った時と同じく、サニーの言葉に一瞬心を打たれていた文が慌てて霊夢の前に立ちはだかる。

「ま、待ちなさい! 彼女は関係ないでしょう……っ!」
「私に関係ないものなんてないの」

最早、霊夢は文に視線を合わせることさえしなかった。
文は、霊夢の目にはもう自分やサニーなど映っていないのではないか、もっと別の何かが見えているのではないか……
そうした思いに囚われそうになっていた。

ぐす、と今にも瞳に溜まった涙がこぼれそうになっていたサニーの下に近づこうとする霊夢を、どうにか押しとどめようとする文。
そんな文の背後で俯き加減になっていたサニーが、おもむろに顔を上げて再び霊夢を見据えた。
もうやめてください、これ以上彼女を刺激しないでください、そう文が口を開こうとした刹那、再びサニーの口から言葉が発せられた。

「……霊夢さん」

目の前の妖精が一瞬纏った雰囲気に、霊夢は一種の既視感を覚えた。
そして……

「……もうやめようよ……ねぇ、こんなことさ……」

一滴の涙が、サニーの瞳から零れ落ちた。

次の瞬間だった。
霊夢が強引に文を突き飛ばすようにして、道を作る。
満身創痍の文は思わずよろめき、地面に倒れ伏してしまう。

「な、何を……!」

顔を上げた文の目に映ったのは、サニーの胸ぐらをつかんで持ち上げる霊夢の姿だった。

「あ……く……苦し……」

じたばたともがくサニーに向けて、まるで害虫や害獣でも扱うかのような視線を霊夢は叩きつけていた。

「あんたに……たかが妖精ごときに私の何が分かるのよ……っ!!」

そして、そのままサニーを文のいる方とは逆に強く放り投げる。
小さな体躯の妖精は、弧を描きながら地面に叩きつけられ、苦悶の表情を浮かべた。
思わずせき込みながらも、それでも怯む様子はサニーになかった。
大粒の涙をボロボロと流しながら、なおも倒れこんだ状態で霊夢を見据えて言葉を並べる。

「分からないわよ……そんなの分かりたくもないわよ……っ!」
「やめてください……っ! もう、もう十分で……」

背後から叫ぶ文が、思わず息を飲んだ。
霊夢の周囲に光弾がいくつも浮かんでいた。

霊夢の十八番――神霊「夢想封印」。

待って、そう文が口を開くよりも早く光弾はサニーへと放たれた。

「五月蝿い五月蝿い五月蝿い五月蝿いっっっっ!!!!」

光弾と共に怒気も叩きつけるように霊夢は攻撃を仕掛ける。
その背中を見ることしかできなかった文は……どこか空しさに似た感情を覚えていた。



「わ、わわっ……」

思わず後ずさりをして回避を試みるサニーであったが、光弾は正確に彼女を追いかけていた。
目の前に迫る光弾に対して、サニーがとった行動は、その諸手を前に突き出すということだった。
パンッ、と小さな炸裂音が響き渡り、一発の光弾がサニーの手の前で散った。
かつて、八雲紫の放った光弾をも防御してのけた、彼女の光を屈折させる力である。

……しかし、ここまで力を酷使し続けた小さな妖精には、その猛攻を一度だけ食い止めるのが限界であった。
スゥッ、と自分の手から力が抜けていくのを感じたサニーは、もう自分に力が残っていないことを直感した。
慌てて地面を転がり、すんでのところで次の一発をグレイズするも、体勢の崩れたサニーにもう回避の手段は残されていなかった。

「きゃああぁぁっっ!!」

残る全ての光弾の直撃を受け、再びその小さな体が弧を描いて飛んでいく。
そして全身をしたたかに地面に打ち付けると、もう立ち上がることは出来なかった。

「サニーっっ!!」

文の悲痛な叫びが響く。
……だが、目を凝らして遠くで倒れ伏すサニーを見てみると、まだピクリと体が動いていた。
胸が上下する様子を見て呼吸をしていることを目で確認し、文は安堵のため息を思わず漏らした。

一方で、霊夢は歯噛みをする。
やはり、弾幕だけで命を奪うのは容易ではないということに改めて気づかされたからだ。
小さな妖精一匹の命をも奪えない現状に、乾いた笑いを漏らしそうになる。

「なんてことを……してくれたんですか……っ!」

ようやく立ち上がった文が、フラフラと霊夢の下に歩み寄る。
その様子に気づいた霊夢が、再び視線を文の方に戻してつかつかと歩み寄る。
文は、決死の覚悟で折れた短刀を振りかざした……が、霊夢はそれを問題としない。
その手を払いのけるようにして短刀を弾き飛ばすと、文を押し倒し馬乗りの状態へと持ち込んだ。

「は、離してください……っ!」

語気を荒げる文を無視し、その首筋にナイフを突きつけた。

「所詮自己中心的で、享楽的な妖怪と妖精が……今更何説教じみたことぬかすわけ……?」

首筋に冷たい金属の感触を感じながら、文はただされるがままになっていた。
必死にその表情を読み取ろうとするも、霊夢の背後に月が隠れてその全てを読み取ることは出来なかった。

「あんたやあの妖精も魔理沙や萃香と同じよ。勝手な事ばかり言ってるのはどっちよ」

感情の籠っていない、冷たい言葉だけが響き渡る。
あとは、その手を少しひねるだけ、そうすれば鴉天狗の命が潰えるところであった。




直後、霊夢の背後から強烈な光が射しこんできた。
霊夢が振り返る頃には、その光もすぐに収束して薄らいでいった。
視線の先は、人里の上空であった。

「……どうやら、まだあそこにもまだやる気のあるのがいたみたいね」

呟きながら霊夢が立ち上がる。
マウントポジションから解放された文が、その上半身だけを起こして問い詰める。

「何の……つもりですか……殺すなら……殺してみせなさい……っ!」

文に背を向けたまま、霊夢が返した。

「死にぞこないの天狗と、雑魚妖精に付き合ってる暇は生憎ないのよ」

無茶苦茶な事を言っている、文はそう思った。
サニーに光弾で攻撃を仕掛け、自分もほぼ命を取る寸前まで追い詰めておいて……
そうした思いがよぎるも、口を開くことは出来なかった。
まくしたてるように霊夢が続けたからである。

「あんたらみたいなのは、私がやらなくたって遅かれ早かれ誰かの手にかかるわ。
 そんなのに無駄な力を使うつもりはないの……まだまだ消さなきゃいけない奴らがわんさかいるんだから」

そう言い残し、ふわりと飛び去ろうとする。
呆然と見上げることしか出来ない文に対し、最後まで視線を向けることはなく霊夢が続けた。

「里に向かうんでしょう? せいぜい殺されないように頑張ることね。
 ……もし次に会うようなことがあったら、その時こそ私が死なせてあげるから」

そのまま、ゆっくりと人里に背を向けて霊夢は飛び立っていった。
後には、満身創痍の鴉天狗と妖精が残された。




 *      *      *




しばらく佇むことしか出来なかった文は、ゆっくりと立ち上がると倒れ伏すサニーへと歩み寄った。
光弾を受けてボロボロになったサニーは、痛さと悲しさと悔しさと恐怖に体を震わせ、ボロボロと泣き続けていた。

「……起き上がれますか?」

文の問いかけに、サニーが泣きながら頷いた。
むくりと、体を起こしたサニーを文はそっと抱きしめた。
しゃくりあげるサニーが泣き止むまでに、そこからしばらく時間を要した。

「……よく、生かしてもらえたね」

まだ涙を零しながら、一言一言を噛みしめるようにサニーが話す。
にとりや萃香、文に霊夢の所業を聞いていただけに、サニーはある程度の覚悟をしていた。
だが、実際にその脅威を目の当たりにすると百聞は一見にしかず、巫女の恐ろしさを全身で感じることとなったのだ。
全身に光弾を受け、体中に打撲を負いながらも、なお彼女は生かされた。
倒れ伏したままでその後の様子を見ることは出来なかったが、文もまたいつでも殺せたのにもかかわらず生かされた。
サニーにはそれが訳が分からなくて仕方がなかった。

「あの巫女も……気まぐれなところがありますから」

文はお茶を濁したが、彼女は半ば霊夢の奇行について確信めいた思いを持ちつつあった。
霊夢もレミリアと同じように明確な敵意を持って、文たちに接してきた。
しかし、レミリアの尖った殺意を全身に受けたばかりの文は、霊夢の放つ殺意に違和感を感じていた。
もちろん、殺意を向けてくるという意味では同じであったが、その殺意が……

(何が何やら分かりませんが……迷いがあるのでしょうか……?)

霧散しかかっていることに文は気づいた。
表情も変えずに阿求と、ルナサを手にかけた時は遠くでその表情も細かくは読み取れなかったし、言葉だって聞き取れなかった。
だが、何の気なしに普段の異変解決に臨む時の延長線上にあるような振る舞いをしていたあの時とは明らかに違っていた。

他者の犠牲の上に、望むものを得るということ。
かつては同じ思いを抱いていた文は、自分が抱えた迷いに似たようなものを霊夢が抱えているのでは、と推察した。
もちろん、推測が当たっている保証はない……が、この決定的な状況で命を取らなかったことにはサニーならずとも違和感は感じるだろう。
文はそう断じていた。


(ですが……巫女の脅威がなくなったというわけではありません……本質的に彼女が危険因子であることは変わらない……)

文はグッと思いを飲みこんだ。
憎きレミリアを打倒する以外にも、乗り越えるべきハードルは多い。
あの幻想郷へと帰るためにはまだまだ障害が多いことに気づかされ、文は深いため息をついたのだった。




 *      *      *




人里から離れた霧の湖。
その南のほとりに、霊夢は降り立った。
ゆっくりと湖に近づき、両手で水をすくい上げるとバシャバシャと顔を洗い始めた。
冬と春の境目、そして間もなく深夜に差し掛かるこの時間帯、湖の水は刺すような冷たさを持っていた。
そんな冷水を、霊夢は何度も何度も顔にかけ続けた。

ひとしきり洗顔を終えた霊夢の息は荒く、思わずせき込んでしまうほどであった。
その原因は飛行による疲労ではなかった。
何かに苛立ったように、霊夢はその両の掌で水面を叩く。

"エース"の心中にはイライラが募っていた。
藍と霖之助を手にかけた、魔法の森での戦いからは間もなく半日が過ぎようとしている。
しかし、その間彼女に新たな撃墜マークがつくことはなかった。
迅速に異変を解決することを目指しているにもかかわらず、遅々として上がらぬ戦果に対して、間違いなく霊夢は苛立っていた。

チャンスはいくらでもあった。
利害が一致するとはいえ、最後には敵になる小町など手を組まずにその場で手にかけることも出来た。
途中で邪魔の入った萃香や、空、チルノといったあたりはともかく、戦意を失っていた映姫を斬り伏せることなど赤子の手をひねるより楽だったはず。
そしてそれは、満身創痍であった文や、実力には大きな開きのあるサニー相手でも変わらないはずだった。

霊夢は気づいていない……いや、気付いていないことにしている"鎖"があった。
映姫に、そして文にナイフを突きつけた時に、彼女の心中にある光景がフラッシュバックしていたのだ。

(……霊夢)

霊夢本人はそのことを意地でも認めたくはなかった。
何にも縛られることのない自分が、自らの行為を悔いて心の枷としてしまうことなど認められるはずもなかった。

(やめろ。な、こんなこと……)

脳裏をよぎるのは、自分が最後に手にかけた、幼少の頃より縁のあった、誰よりも素の自分として接することの出来た半妖の最期の姿。
心のどこかでそうしたことを恐れてはいたものの、覚悟は決まっていたはずだった……なのに、どうして。

かつてアリスが最期に取った行動に僅かに動揺し、妹紅とこいしを討ち損じた時とは訳が違った。
付き合いの長い彼女が遺した鎖も、霊夢の胸をいくらか締め付けたものの、さらに付き合いの長い霖之助が遺した鎖はさらに強固であった。
霊夢は霖之助の命を奪ったことを考えないように心がけていた……が、意識しないようにすればするほど逆に意識をしてしまうのは世の常。
だが、霊夢はそれを認めない。あくまで、一時の気の迷いとして強引に片付けようとしていた。

映姫に刃を突き立てようとした時も、霖之助の最期が頭をよぎった。
薬にも害にもならない存在だ、そう理由をつけて放逐したものの、どうしてもその手をあと一捻りすることが出来なかった。


その時点で、霊夢はまだ自分を縛り付ける存在には気付いていなかった。
思い起こさせたのは、涙を浮かべた妖精が放ったあの一言であった。
自分を縛るものの存在に気づかされ、激情に身を任せて無駄に力を使ったことも、さらに霊夢の苛立ちを加速させていた。
あくまで平静を装い、文に改めて刃を突き立てようとしたが……この時点でもう"鎖"の存在に目を背けることは出来なくなっていた。
結果、映姫と同じようにもうわずかのところで命を奪えた標的を、先刻と同じような理由をつけて放逐する羽目になったのだ。

(違う……! 違う、違う……っ! 相手に戦意が無いから、力が無いから……下手に余裕があるから妙な雑念が入るのよ……っ!)

自身にまとわりつくもやもやを振り払うかのように、頭をぶんぶんと激しく振る。
縛りを雑念として処理しようとするが、それでは今までと同じ事であった。
むしろ、時間を追えば追うほどにその残像は大きくなってくるようにさえ、霊夢には思えた。



この幻想郷を模した空間においては、誰にも等しく制限がかけられている。
それは弾幕を展開するための霊力や妖力といった力や、それぞれが兼ね備えている能力までに渡っている。
霊夢の持つ「空を飛ぶ程度の能力」とは、同時に何にも縛られないという意味も内包している。
……そこにもまた制限がかけられているとしたら?

霊夢自身、自分が幻想郷を構成する歯車の一つでしかないということは理解している。
この場においてさえ、殺し合いという目的を為すがための駒に過ぎないということを理解はしている。
だが、そうした立場とはまた別に、他者の言動や行動に縛られるということは彼女の埒外であった。
誰が何を言おうが、何をしようが、それに縛られることはなく目的を遂行できるものだと頭から信じていた。
それが出来ないとなれば、自分はいったい何者なのか、そうした思いに駆られてしまいそうになるから。



苛立ちの収まらない霊夢が顔を上げる。
視線の遠く先には、この漆黒の闇の中でもくっきりと浮かび上がる緋色の館があった。
そういえば、あそこの主とその従者にはまだ会ってなかったわね……そう霊夢は呟く。
主の性格を考えれば、己が居城を目指し、そこを根城にしていても不思議ではなかった。
そして、その主に忠実な従者もまた同じような行動をとるであろうことも容易に想像できた。

吸血鬼は夜の王。
時間を考えればまさにこれからが彼女の時間である。
先程のサニーの発言から推測して、幻想郷でも強者に分類される文にあれほどの傷を負わせたのがレミリアであることも想像に難くない。
加えて、その従者も付き従っているとするならば……相手にとって不足は無い。
自分の心を乱す雑念など感じる暇もないほどに戦闘に集中できる、霊夢はそう考えた。

この手でまた屍を作って記憶を上書きしない限り、また同じことの繰り返しになるのではないか。
ならば、その雑念の入らない環境下でそれを実行せねばなるまい。
時間、場所、相手、その条件が目の前の館には全て揃っているはずだと霊夢の勘が告げた。

ゆっくりと立ち上がった霊夢の足がわずかにふらつく。
さっきサニーに使った力のせいか、あるいは少し長く飛びすぎたか、理由はいくつか思い浮かんだが、霊夢はそれを些末なものだと断じた。
文と真っ向からぶつかったのなら、少なからずレミリアたちにも損害はあったはず、それを踏まえたうえで1対2でもどうにかなるという自信はあった。



自らを縛る鎖を断ち切るために、霊夢は敢えて虎穴に飛び込む覚悟を決めた。
大丈夫、私ならできる、今までそうだった、だからこれからも……
言い聞かせるように呟き、霊夢は当面の目的地をキッと見据えるのだった。


【C-3 一日目・真夜中】


【博麗霊夢】
[状態]疲労小、霊力小程度消費
[装備]果物ナイフ、魔理沙の帽子、白の和服
[道具]支給品一式×5、火薬、マッチ、メルランのトランペット、キスメの桶、賽3個
救急箱、解毒剤 痛み止め(ロキソニン錠)×6錠、賽3個、拡声器、数種類の果物、
五つの難題(レプリカ)、血塗れの巫女服、 天狗の団扇、文のカメラ(故障) 、ナズーリンペンデュラム
不明アイテム(1~4)
[基本行動方針]力量の調節をしつつ、迅速に敵を排除し、優勝する。
[思考・状況]
1.紅魔館を目指し、いるであろうレミリアたちを排除する
2.自分にまとわりつく雑念を振り払う
3.死んだ人のことは・・・・・・考えない




 *      *      *




歩調は先程よりもさらに遅くなった。
先程まではまだ無傷だったサニーが先導していたものの、いまや彼女も満身創痍。
そんなサニーを背負う文もまた、生きているのが不思議なほどの傷を負っていたのだから、無理もない話である。

それでもなお、一歩一歩着実に人里へと近づいていく。
ひとまず、適当な建物で体を休めよう、そして同志を集めて反撃の機会を練ろう、改めて文はそう考えていた。

「しっかりしてください、もうちょっとで里に着きますから」

文の背中で無言のままサニーがこくりと頷いた。
自分自身も傷は負っているが、先ほどとは立場が逆になってしまったことに文は苦笑する。

(それにしても……)

歩みを進めながら文は思う。
霊夢に殺されかけたあの時、人里の方で輝いた光はあきらかに弾幕によるものであった。
そして、その弾幕の使い手は既にこの世を去っているはずであった。

(首謀者がその死を誤認した可能性は無いわけではありませんが……それは限りなく低い可能性と見ていいでしょう)

頭に浮かんだ選択肢の一つを投げ捨て、さらに文が思考する。
あれが本人による弾幕でないとして、それを模した弾幕を放つ、そうした芸当が出来る人妖……心当たりはあった。

(正当防衛の可能性は大いに考えられます……が、警戒をしておくに越したことはないでしょう)

何せ、その心当たり――古明地さとりは、その能力故に疎まれて地底に封じられた妖怪だ。
何を考えているのか、何をするのか分かったものではない。
まして、肉親も、ペットも喪った今の彼女が暴走している可能性は決して低くない、そう文は推測する。

(願わくば、彼女は避けて休むことが出来ればいいのですが……さて、どうなるでしょうかね)

なおも軋む自分の体を引きずるようにして、当面の安息の地を目指す。
その先に待つものが、安らぎなのか、はたまた喧噪か。
不気味なほどに静まり返る人里が、彼女たちを待ち受けていた。


【D-3 人里そばの平地 一日目 真夜中】


【射命丸文】
[状態]瀕死(骨折複数、内臓損傷) 、疲労中
[装備]胸ポケットに小銭をいくつか、はたてのカメラ、折れた短刀、サニーミルク(S15缶のサクマ式ドロップス所有・満身創痍)
[道具]支給品一式、小銭たくさん、さまざまな本
[思考・状況]基本方針:自分勝手なだけの妖怪にはならない
1.人里で体を休め、同志を集めてレミリア打倒を図る
2.私死なないかな?
3.皆が楽しくいられる幻想郷に帰る
4.古明地さとりは一応警戒




166:空の彼方に(後編) 時系列順 168:第四回放送
166:空の彼方に(後編) 投下順 168:第四回放送
162:KIA pictures 射命丸文 167:正直者の死(前編)
161:最後の審判 博麗霊夢 169:原点回帰

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最終更新:2012年01月15日 00:09
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