2 イランへ出発
飛行機は、一番安いアエロフロートでモスクワ経由のフライトでしたが、ソ連時代のモスクワの飛行場とトランジットのホテルは薄暗く広告や宣伝のディスプレイがないせいか、まさに灰色のイメージで、これから向かう戦時中の未知の国を思うと不安感でいっぱいでした。ほとんど眠れない一夜を過ごしてから、朝早く にテヘランに出発しました。
通常であれば5時間ほどのフライトなのですが、その時はテヘランの上空で1時間も旋回を繰り返しなかなか着陸出来ず、言葉もわからず焦りました。後で聞けばイラク軍の攻撃があるかもしれないということだったそうです。実際この頃からイラン側の戦闘状況が悪くなり、イラクのフセイン大統領を太らした欧米の援助でソ連から大量の武器と軍人がイラク側にあったため、ソ連のアエロフロートは攻撃を受けにくいといわれていました。実際にこの頃から、孤立無援のイランはスカッドミサイルの攻撃をまともに受け、厳しい状況に成っていったのでした。
テヘランでも時折、大きな爆発音とガラスのビリビリと振動する音、それに続く、けたたましい救急車のサイレンの音を耳にしました。「ムシャキ」=ミサイルというペルシア語を真っ先に覚えました。 夜には、戦闘機同士の攻撃で暗い空に花火のような火花が散る光景を眺めていました。
戦争経験がないせいか、その時はあまり恐怖感は無かったのですが,怪我をした人や肉親を失った人を見るのはとてもつらく、自分がいかに安直に過ごして来たかを思い知らされました。今ではだいぶ慣れましたが、大通りを渡ることすら難しく、本当の意味で初めてアウトサイドに出たという感じでした。テヘランはことにハードな街なのでかねてから行きたかった、イスファハンへ早々に向かうことになりました。
続きを読む
| + | ... |