10.聖地コムから大都会テヘランへ
テヘランは西アジアの中では最大級の都会です。革命前は知りませんがそのころを知る人は洗練された町並とお洒落な人達が溢れていたそうです。イラクとの消耗戦で疲弊した当時のテヘランはそんな華やかさはほとんど感じられず、疲れた空気が漂っていました。
4000メートル級のエルブルズ山脈を北に望む町は南北に高低差があり、北のアップタウンと南のダウンタウンに分かれています。北側は高級住宅地や大使館なのも多く、東京の山の手という感じ南はバザール、鉄道駅バスターミナルなどのあるいわゆる下町的地域になっています。南側からテヘランに入ると絨毯などの洗い場としても有名な泉のあるレイを過ぎるころから大きな建物が並びその大都会ぶりがわかってきます。同時にこの町を支えるエネルギーを感じます。
キャリミザデさんが懇意にしている絨毯クリーニング工房もこのテヘラン南部にあり、まずは洗い場へ向かいました。テヘランの南部には肉体労働者などのブルーカラーの人達が多く、ワイルドで男らしい人達が多くいるようでした。ここで驚いたのは洗いあげた絨毯を乾す前に,巨大なローラーを通すのですが、それがかなり前の電気洗濯機についていた手動脱水器を思い起したからです。
若い方々はご存知ないでしょうが、昭和40年代洗濯機が家に来たとき、脱水器がなく二つのローラーの間に洗濯物を挟み手でハンドルを回しローラーの圧力で水分を取るというプリミティブなものでした。
絨毯クリーニング場にもこの巨大なものがあり、男達が手で強大なハンドルを回すとすっかり平らになり毛足水分が切れた絨毯がするすると出てくるのでした。絨毯を洗う場合にこの脱水作業がとても重要です。湿気の多い日本では洗いの後、短期間に乾かすのが難しいので特に大事です。湿り気がのこったまま絨毯をほっておくと、色がにじんだりさらには縦糸や横糸が切れたりすることになりかねません。このローラー脱水機は絨毯クリーニングに欠かせないものなのでしょう。後で聞いたのですが絨毯のクリーニングはイランの中ではテヘランが良いそうで、遠くで仕入れた絨毯でもテヘランまで洗いに出すこともあるそうです。これは昔からの伝統で有名なレイの泉なども天然素材の絨毯を洗うのに適した成分の水がある事も知りました。
絨毯クリーニング場にもこの巨大なものがあり、男達が手で強大なハンドルを回すとすっかり平らになり毛足水分が切れた絨毯がするすると出てくるのでした。絨毯を洗う場合にこの脱水作業がとても重要です。湿気の多い日本では洗いの後、短期間に乾かすのが難しいので特に大事です。湿り気がのこったまま絨毯をほっておくと、色がにじんだりさらには縦糸や横糸が切れたりすることになりかねません。このローラー脱水機は絨毯クリーニングに欠かせないものなのでしょう。後で聞いたのですが絨毯のクリーニングはイランの中ではテヘランが良いそうで、遠くで仕入れた絨毯でもテヘランまで洗いに出すこともあるそうです。これは昔からの伝統で有名なレイの泉なども天然素材の絨毯を洗うのに適した成分の水がある事も知りました。

(写真クリーニング1-09)
しばらくそこで作業を見ていましたが、イラクのミサイル攻撃は相変わらず続いていて戦況はますます悪くなっているという話題で持ちきりでした。
彼も仕事を早く終えるために、洗いが終わるとすぐ、急いでテヘランの巨大なバザールへ向かいました。迷路のような道を何度も曲がり、奥へ、奥へ分け入っていくのですが、彼がとても急ぎ足で進むのでついていくのが精一杯、周りの店を見る余裕はありませんでした。
彼も仕事を早く終えるために、洗いが終わるとすぐ、急いでテヘランの巨大なバザールへ向かいました。迷路のような道を何度も曲がり、奥へ、奥へ分け入っていくのですが、彼がとても急ぎ足で進むのでついていくのが精一杯、周りの店を見る余裕はありませんでした。
途中で何度か彼を見失いそうになり、とても慌てました。
ここではぐれたら本当に迷子になってしまう、彼もそんなわたしの様子をみて笑いながらどんどん足を速めるのでした。着いたのは薄暗いビルの地下にある店で,はだか電球がひとつぶら下がっているのが印象的で中にはアセチレンガスの臭いがしました。
当時のイランは日に何度も停電があり、ここで停電になったらどうしようという不安がよぎりました。店の中にはたくさんの絨毯が無造作に積まれていて年配の男達が出入りしていましたが、とくに目だったのは黒い毛むくじゃらの大きな帽子を被ったお爺さんでした。他のイラン人とは少し違った東洋的な顔立ちでした。見とれているとキャリミザデ氏がトルクメン人だと教えてくれました。東北の方から来ていて彼の絨毯もこの店に預けてあるということです。
日本人を見るのは初めてらしくお爺さんもこちらに興味をしめしているようでした。
言葉はお互いまったく通じませんが,何か親しみを感じました。そんなこともあり彼の持ち物のトルクメン絨毯を何枚か見せてもらうことが出来ました。コムのシルク絨毯のような華やかさはありませんが、重厚で力強い情熱的な印象を受けました。赤だけのものや赤いボーダーに鮮やかな緑のフィールドものやベージュ地に濃紺の洗練された配色のものなど色合いは様々でしたが、文様はみな幾何学的な8角形のギュルと呼ばれる家紋柄の連続です。
当時のイランは日に何度も停電があり、ここで停電になったらどうしようという不安がよぎりました。店の中にはたくさんの絨毯が無造作に積まれていて年配の男達が出入りしていましたが、とくに目だったのは黒い毛むくじゃらの大きな帽子を被ったお爺さんでした。他のイラン人とは少し違った東洋的な顔立ちでした。見とれているとキャリミザデ氏がトルクメン人だと教えてくれました。東北の方から来ていて彼の絨毯もこの店に預けてあるということです。
日本人を見るのは初めてらしくお爺さんもこちらに興味をしめしているようでした。
言葉はお互いまったく通じませんが,何か親しみを感じました。そんなこともあり彼の持ち物のトルクメン絨毯を何枚か見せてもらうことが出来ました。コムのシルク絨毯のような華やかさはありませんが、重厚で力強い情熱的な印象を受けました。赤だけのものや赤いボーダーに鮮やかな緑のフィールドものやベージュ地に濃紺の洗練された配色のものなど色合いは様々でしたが、文様はみな幾何学的な8角形のギュルと呼ばれる家紋柄の連続です。
その地下の店で見たトルクメン絨毯がさらに部族絨毯に魅せられることになったきっかけになったと思っています。

(写真0058bazarテヘラン)
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