8.イスファハンのオールドバザール
イスファハンにはその後2週間ほど滞在しました。戦禍の中であったためか世界的な観光地のイスファハンに訪れる人はほとんど無く、かの有名な金曜のモスクもいつも独り占めという状況でした。入り口で手足を洗い、口をゆすいで中に入ると大理石のひんやりした感触が足に伝わり壁と天井を埋め尽くすモザイクタイルに目がくらむようです。ドーム型の天井の真下に立ち,軽く手をたたくとその音が共鳴して木霊のように何度も繰り返し、まるで天から渦を巻いた旋律が下りてくる様でした。実際に聞くことは出来ませんでしたが、きっとここで聞く生のアザーンは心を透明にしてくれるのではないだろいうか、そんな想像をかきたてられる特別の場所でした。
幸運なことに、日本でイスファハンに住む親戚がいる方から紹介して頂いた住所を頼りにオールドバザールの絨毯の店を訪ねました。そこでキャリミザデさんという絨毯商に出会うことが出来ました。彼は私と同じ年でしたが、信じられないほど大人っぽく落ち着いた感じがしました。そしてつながった眉毛が印象的でした。
彼のバザールの店で色々な絨毯を見せてもらうことが出来ましたが、今でも印象に残っている絨毯が3枚あります。当時日本では高級手織り絨毯の輸入が始まったばかリで、イスファハン・ゴム・タブリーズ・ナイン・カシャン産など都市工房の典型的図柄の絨毯しか見たことがなかった私にとってその3枚は新鮮な驚きでした。
彼のバザールの店で色々な絨毯を見せてもらうことが出来ましたが、今でも印象に残っている絨毯が3枚あります。当時日本では高級手織り絨毯の輸入が始まったばかリで、イスファハン・ゴム・タブリーズ・ナイン・カシャン産など都市工房の典型的図柄の絨毯しか見たことがなかった私にとってその3枚は新鮮な驚きでした。
(写真キャリミザデ絨毯)
彼が最も自慢にしていたのは、これまでに見たことのないシュールなデザインのイスファハンザロニム(1メートルx1.7程度)でした。それはペルシア絨毯の典型的なコーナーメダリオンや花瓶文様(ベース)・ミフラ
ーブ(モスクの内部)などとはかけ離れたデザインで、海の中の魚やイソギンチャクなど海中の生き物の図柄がびっしりと詰め込まれた水族館のような絨毯でした。中央には大きなチョウザメがいて、周りには深海を思わせるような、アンモナイトやグロテスクな深海魚らしきものが、織り込まれていました。クオリティーはイスファハンらしく11x11/cm程度の申し分ないものでしたが、見ていると気分が重くなるような底知れぬ深い影をもった絨毯でした。この絨毯は当時のイランvsイラク戦争中に織られた新しいものでしたが、その当時耐えに耐え抜いたイランの現実を表しているようで、とても買う気にはなれませんでした。もちろん当時の私に手の出るような値段ではなかったでしょう。
ーブ(モスクの内部)などとはかけ離れたデザインで、海の中の魚やイソギンチャクなど海中の生き物の図柄がびっしりと詰め込まれた水族館のような絨毯でした。中央には大きなチョウザメがいて、周りには深海を思わせるような、アンモナイトやグロテスクな深海魚らしきものが、織り込まれていました。クオリティーはイスファハンらしく11x11/cm程度の申し分ないものでしたが、見ていると気分が重くなるような底知れぬ深い影をもった絨毯でした。この絨毯は当時のイランvsイラク戦争中に織られた新しいものでしたが、その当時耐えに耐え抜いたイランの現実を表しているようで、とても買う気にはなれませんでした。もちろん当時の私に手の出るような値段ではなかったでしょう。
しかし彼らの想像力と表現力には驚かされました。
もう一枚の自慢の絨毯はまったく初めて見るタイプのものでした。鮮やかな緑と赤、オレンジなどが大胆に大きなひし形を重ねた幾何学文様に表現されていました。時間を経た羊毛のとてもいい艶が出ていて、触るととても柔らかく気分が落ち着くようでした。結び目はざっくりと決して細かくはありませんでしたが、なんだかとても心を和ませてくれる絨毯でした。それは店の奥の部分に飾られていて、ずうっーと昔から、この歴史のあるバザールに掛けてあるそんな雰囲気が漂っていました。恐る恐る値段を聞いてみたのですが、とてもこちらに買える値段ではなかったのでしょう値段は教えてもらえませんでした。おそらく彼にとっても自慢の絨毯だったと思います。今思えばそれはカシュガイ族かハムサあたりの遊牧民のオリジナルのアンティーク絨毯ではなかったかと思います。
私にとっては初めての部族じゅうたんとの出会いでした。
もう一枚は真赤な絨毯でこれまでに知っていたパキスタン製の絨毯に似ていました。彼からその絨毯がトルクメン族の織ったものということを聞き、初めてその八角形の家紋のような文様と見事な深い赤の絨毯が部族のオリジナルの絨毯であることを知りました。きりっと整列した結び目と腰のある
パリッとした羊毛の感触は今でもはっきり覚えています。日本で見ていたパキスタン絨毯の『赤いブハラ』の本物でした。
その絨毯はイラン東北部のトルクメン族が織ったもので、カスピ海沿岸のゴルガンのほうから来たものだという事でした。戦火の中、ニンジンを貰ったことをきっかけに知り合ったトルクメン族のモタギー君の出身地ゴンバデカブースの近くです。その絨毯を見ているうちに、いつか彼の生まれ育った町に行ってみたいと思うようになりました。
パリッとした羊毛の感触は今でもはっきり覚えています。日本で見ていたパキスタン絨毯の『赤いブハラ』の本物でした。
その絨毯はイラン東北部のトルクメン族が織ったもので、カスピ海沿岸のゴルガンのほうから来たものだという事でした。戦火の中、ニンジンを貰ったことをきっかけに知り合ったトルクメン族のモタギー君の出身地ゴンバデカブースの近くです。その絨毯を見ているうちに、いつか彼の生まれ育った町に行ってみたいと思うようになりました。
絨毯商のキャリミザデさんからはイスファハン近くのヤラメという町で織られた素朴な村の絨毯を何枚か買いました。それは、カシュガイやロリ族のような幾何学的なデザインでざっくりと織られた新しい物でした。安値の割には味があるその絨毯は、何といっても最初に現地で仕入れた記念すべきものでした。
(写真12454ヤラメ))
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