4.トルクメンに出会う
かれはモタギーという名前で、出身はイラン東北地方のゴンバデ・カブースというトルクメン族の町から来ていて、ここイスファハンの美術学校でペルシア語の書道(カリグラフィー)を勉強しているとの事でした。私が日本から一人来ていたことに興味を持ったのか、翌日は彼の通う美術学校へ案内してくれと約束しました。
美術学校はイスファハンの中心にある、かつての王の広場に建つ王の宮殿(アリ・カプ)の直ぐ裏手にあり伝統芸術を学ぶには最高の環境でした。500年を超えるモスクなどの建物に囲まれた小さな学校には、イラン各地から集まった美大生達がいて、モタギー氏の親友のアルメニア系の人懐っこい男や、ラジオの海賊放送で覚えたという流暢な英語をはなすクールなシュールレアリストなどの若者達から、多くの質問を受けました。
海外の情報に飢えていた彼らとは、当時の戦争と国際政治の有り方、そしてイランと日本の将来についてなど‥夜も更けるまで話をしました。日本にいてはどうしても偏った情報しか流れてこないんだ、ということを初めて知りました。その頃からイランとアメリカの関係は最悪で、アメリカをはじめフランス、イギリス、ソ連(当時)などの列強がみなイラク軍のフセインに味方し、イラクの軍事力はドンドン太り湾岸戦争に傾倒していく要因になったのだと言われています。
帰りの飛行機に乗るぎりぎりにもかなり着込んだ軍服の目つきの鋭い若者に「アメリカに死を」と紙に書けと凄まれたことも有りました。 海外からの報道をかなり規制し、当時ほとんど鎖国状態だったイランでとても人気の有ったテレビが、数年前の朝の連続ドラマ「おしん」でした。本当かどうかはわかりませんが視聴率は70%以上とかで、当時の大統領ラフサンジャニ氏も大ファンだということでした。
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