目次
はじめに
箱庭の歴史を100期を一区切りに、事件などの記載を行う場である。
1期~100期
101期~200期
201期~300期
第一次中東戦争
ルーム・セルジューク朝成立、アラビア半島に侵攻
イスラエル国がルーム・セルジューク朝に宣戦布告
301期~400期
中国広東省動乱
多国籍軍による広東軍閥武力制裁
中国広東省の
広西軍閥による対仏テロ事件を契機に勃発
フランス率いる多国籍軍が勝利し、広西軍閥は
中華民国が実効支配。
401期~500期
アジア太平洋会議開催
第一次端仏戦争(西ヨーロッパ戦争)
フランス共和国が
スウェーデン連合王国に対し宣戦布告
事由はフランスによるスウェーデンの南米チリ占領問題など
スウェーデンが勝利し、アルジェリア及びコルシカを割譲。フランス王政が復古。
アラブ連合設立
端仏戦争以後、スウェーデンの脅威が一層高まり、その危機意識から結成。
スエズ運河の管理、エジプト駐留、石油等資源価格の協定が取り決められた。
そのため資源価格が高騰し、世界各国から不満が噴出する。
大洋戦争(オセアニア戦争)
大洋共和国によるオーストラリア併合を巡り、インド=イスラーム帝国が反発。
インドの撤退要求に応じず、交渉は決裂。インドは大洋に対し宣戦を布告した。
大洋政府は降伏勧告を最後まで黙殺し、滅亡した。
この戦争はアジア太平洋会議に於いて只ならぬ影響を及ぼした。
501期~600期
中華民国首都南京で国際会議開催
開戦、非人道的兵器の使用禁止、非戦闘員の保護、戦時中立国の規定に関する国際法を各国が締結。
端露戦争(東ヨーロッパ戦争)
スウェーデン連合王国、ロシア帝国に宣戦布告
圧倒的武力によりロシア帝国は即日無条件降伏。
中華民国、フィンランドとの間で領土を分割。
キプロス分割協定(主権統治機構設立)
キプロス周辺の海賊被害に対処すべくキャンベリックと
オスマン帝国の間で取り決められた共同統治条約の下、設立。
その後、両国が南北をそれぞれ併合する根拠となった。
オーストリア帝国成立
オスマン朝成立、オスマン一世がバルカン半島征服
オーストリア帝国領クロアチア及びハンガリーに侵攻し、オーストリア・スウェーデンから抗議を受け即日撤退。
アジア太平洋条約発効
大和民国が提唱し、中華民国が推進。
アジア太平洋会議に於ける合意により発効。
601期~700期
第二次中東戦争
イスラエル国がアラブ都市国家連合郡及びサウジアラビア民主連邦に宣戦布告
オスマン帝国、イスラエル国に同調し、参戦を声明
これに
ケルゲレン共和国、続いてインドが支援を表明し、インドはオマーンを攻略した。
イスラエルは戦線有利が固まるとシナイ半島を併合し、アラブ連合の管轄下にあったスエズ運河管理権を奪取した。
中国雲南省動乱
中華民国雲南省に於ける共産党勢力の討伐を中央政府が開始。広東省もこれを支援。
ウクライナ分割協定
クルトナル帝政で疲弊したウクライナの地をコーカサス、オスマン、ポーランドの三ヶ国で分割し復興支援する旨で取り決められた。
第二次瑞仏戦争(北ヨーロッパ戦争)
スウェーデン王国が親中政権となった
フランス王国に不満を持ち、占領地域に傀儡政権「フランス連邦共和国(自由フランス)」を樹立し、分断工作を図るが、中国の全面的支援を受けたフランスが北フランスに進攻し、第二次仏瑞戦争が勃発。アジア・太平洋諸国会議加盟国の支援もあり、圧倒的物量差で連合軍が勝利。リルティア女王は亡命、スウェーデン王政は崩壊し、共和制国家スカンディナヴィア連邦が発足した。フランスでは第二次北欧戦役ともいう。
フランス、アジア諸国会議に加盟
名誉アジア国家として加盟。
アルビオン内戦
神聖アルビオン帝国からイングランド王国が独立を宣言。アングロ人の民族自決であると主張。
これに対し、神聖アルビオン帝国は鎮圧を宣言した。
この流れを受けて、欧州各国はイングランド支援を表明し、特別支援協定の下、相次いで参戦した。
ところがこれに異を唱えたインド=イスラーム帝国がアルビオン支援すべく第二次中東戦争のさ中、オマーンを攻略。
中継地としてスエズ運河を経由し艦隊を派遣。イングランドとの交戦を宣言した。
スウェーデンは一時地中海を封鎖し、インドとの緊迫状態に陥ったが、協定準加盟国であるオスマン帝国が脱退、
事態への中立へと転じたために形勢悪化とみて同じく協定を脱退。
イングランド支援国はイタリア、ポーランド、フィンランドの三カ国のみとなった。フランスは中立を宣言した。
結果はイングランドの勝利による完全独立とアルビオンの滅亡であった。
ドイツ戦役
オスマン、フランス、
アイスランド、中華民国欧州地区軍がドイツの深刻な環境汚染改善を名目に宣戦。
ドイツ東部をオスマン、南西部をフランス、北部を中国とアイスランドがそれぞれ併合。
オスマンではゲルマニア征伐と呼称。
欧州大陸分断
オスマンを筆頭とする欧亜派、アレクサンドリアにて
欧州経済共同体発足、イスタンブールに欧州評議会設立
これに対抗し、イタリアを筆頭とする欧州派はローマにて欧州経済連合発足、欧州議会設立
これにより欧州大陸は事実上二つに分断された。
701期~800期
第一次世界大戦
オスマン帝国がオーストリアに対し、移民協定、ドナウ川取水権問題、アドリア海賊問題に関係し、『一括要求』を通告。
これをオーストリア政府は黙殺した為、オスマンは宣戦を布告。同時にフランスもオーストリア領スイスに侵攻し、宣戦。
アイスランドもこれに加勢したが、その直後、欧州会議がオスマン帝国に奇襲攻撃を仕掛け、劣勢に追い込む。
しかしながらオスマン帝国陣営にアジア太平洋諸国会議が参戦し、世界規模の戦争に発展。
さらに欧州会議の初期攻勢に乗じてルヴァナ=メキシコがフランス西海岸に上陸を試みるも、フランス海軍及びフランス海岸防衛部隊の決死の抵抗で欧州への上陸作戦は頓挫。
地中海戦線では精強なイタリア・ギリシャ軍の前に苦戦を強いられたものの、圧倒的物量と名将唐国泰元帥の巧妙な指揮の下、ようやく勝利した。
801期~900期
朝鮮軍ノーデンフェルト進攻
朝鮮によるノーデンフェルト併合
スカンディナヴィア懲罰作戦
スリジャヤワルダナプラコッテ講和条約に違反し密かに軍拡を行い、なおかつケルゲレンに対する国家的テロ行為及び事実捏造に連合国首脳部はスカンディナヴィア懲罰作戦を決行。軍事施設及び生産施設の破壊が主目的であったが、スカンディナヴィア政府が軍事施設の自主撤去を実行したため多くの連合国が即座に攻撃を中止した。しかしケルゲレンだけが攻撃を継続し、交渉の席すら与えない強硬策を継続したため、スカンディナヴィア共和国連邦政府は崩壊し、中華民国の統治下におかれることとなった。このケルゲレンの過激なやり方に対し、国際社会からはやりすぎとの声が聞かれるようになった。
901期〜1000期
1001期〜1101期
1100期〜1200期
世界初宇宙進出成功
世界の停滞が深刻化
1600期~1700期
第三次中東戦争
世界浄化の動きが活発化
インド=イスラーム帝国が「世界の再構築に向けた国際会議の開催」を提唱し、この中で外交に消極的な国家を攻撃すると宣言。
1660期頃からインド=イスラーム帝国を筆頭に各国がバルト連邦、オーストラリア共和国、ポーランド民国に宣戦布告し、世界規模で情勢が悪化した。
1701期~1800期
1801期~1900期
1901期~2000期
2001期~2100期
アメリカ連邦が崩壊
アメリカ連邦を構成するメキシコ人民共和国の崩壊により、アメリカ連邦が完全に崩壊。
神聖ローマ帝国が崩壊
世界の大国であった神聖ローマ帝国が崩壊。帝国領内での治安維持活動が各国によって進む一方、世界の停滞はさらに深刻に。
最終更新:2010年01月30日 21:37