概要
戦闘に至るまでの背景
ル・マンティスに制圧されていたレブン要塞があるかぎり、いつまた首都攻防戦が起こるかわからないと考えたクリートは、
アークナイン奪還戦後の旧領地回復もそこそこに、すぐにレブン要塞攻略戦に取りかかった。
ル・マンティス側も、先の敗戦の痛手にもかかわらず、戦力をかき集めてレブン要塞に集結させた。
両軍の戦力
戦闘経緯
アークナイン奪還戦での敗退によりレブン要塞まで退き下がった
ル・マンティス軍内部での上層部への不信はひどく、純粋に故国を思う将兵たちの中にさえ、要塞防衛ではなく各地への潜伏を選ぶ者がいたほどだった。
一方、
クリート内部でも念願の首都奪還を果たしたことで厭戦気分が広がり始めていたため、主戦派をレブン要塞奪還の第一陣とし、その他を首都周辺地域の平定後に攻略戦に参加させることで調整をしていた。
レブン要塞の基本構造を熟知していた
クリート軍の軍師
アカーシャは、要塞の一層を剥いでは撤収を繰り返し、
ル・マンティスに精神的な圧力をかけながら包囲戦を仕掛けて兵力の枯渇を狙った。
ル・マンティス側もこれを見越していたが、有効な戦術を立てることはできなかった。
やがて平定に当たっていた後続部隊が合流し、戦況は本格的な籠城戦の様相を呈した。
包囲から五ヶ月あまり、大小の戦闘が散発し、その間も
クリートは兵力をすり減らすことに終始した。
数では勝っていた
クリートだったが、完全な包囲網を敷き圧力をかけ続けることに拘ったため、攻め落とし切るまではいたらなかった。
10月、密かに要塞から遁走しようとした
ル・マンティス軍の部隊を
クリート軍が取り囲むが、これは囮だった。
囮となった精鋭部隊の攻撃と要塞内からの援護により包囲の一部が崩れると、要塞内から一斉に反撃が開始され、
アカーシャは包囲を立て直すように指示を飛ばすが、あまりに緻密で複雑な命令を次々に飛ばしたため、ほとんどの部隊は戦略通りに動くことができず、逆に現場の判断を阻害することとなった。余剰戦力というものがない状態だったことも大きい。
戦いの結末
クリートは
ル・マンティス軍の兵力をすり減らしたものの攻略までは至らなかった。この後、
クリートはレブン要塞は保留にしたまま旧領回復に務め、要塞の孤立化を狙う。
その他
アカーシャの最後の指示は芸術的であり、うまく行けば巻き返しどころか
ル・マンティスを一気に返り討ちにすることさえできたという戦史家もいる。しかし、あまりに芸術すぎて少しのトラブルでも部隊同士の連携に不具合を起こす(実際に起こした)戦術で机上論であると現場に近い人間ほど述べている。
その
アカーシャは
ル・マンティスの捕虜になり秘密裏に処刑されたが、その報復としてクリート側も
ル・マンティス側の捕虜を惨殺している。
最終更新:2024年07月25日 02:08