概要
フェルトビーン帝国の建国直後に建造がはじまり、護国の象徴として存在していたが、
フェルトビーン帝国が自国の危機に陥ることはほとんどなかった為実戦を経験したことは少なく、その堅固さを世に知らしめたのは、7785年に勃発した
フェルトビーン帝国を二分する内乱であり、堅固さに舌打ちをしたのは他国ではなく自国の将兵という、失笑すべき皮肉な歴史を背負っている。
しかし、
六界連合軍による
ルーイガルド侵攻作戦がはじまると、
フェルトビーン帝国は初めて外敵から「亡国の危機」と言える侵入を許し、17328年皇帝
チカをはじめとする主力部隊をこの要塞に集結させ、連合軍の侵攻を見据えながら、決戦のために出陣した。
六界戦争終戦後、要塞は復興されたが、これ以後は軍事というより、商人が各国へ移動する拠点として使われることとなる。
関連項目
最終更新:2024年08月16日 01:13