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エデンの果実 [Piece of Eden] - (2013/07/04 (木) 04:32:20) のソース

&bold(){エデンの果実 [Piece of Eden] }

このページはアサシンクリードシリーズに登場するエデンの果実(PoE)の来歴などについて判明している事実を掲載するページです。

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#contents
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*■第一のリンゴ
#region(歴代所有者)
&blankimg(PoE1.jpg,width=319,height=176)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-ナポレオン・ボナパルト(?~?)
-ハリー・フーディーニ(?~1926)
-テンプル騎士団(1926~?)
#endregion

#region(来歴)
-フランス革命
今までに判明しているこのリンゴを所有した人類の中で一番最初の人物は、後にフランス皇帝ナポレオン1世として君臨する事になる、将軍ナポレオン・ボナパルトである。しかし、彼がどの様にしてリンゴを入手し、どれ位の期間保有し、また最後にはリンゴを失ったのか誰かに渡したのかなどの詳細は一切不明である。

-現代
ナポレオンの次にリンゴを所有したのが、脱出技で世界的に有名なハンガリー系アメリカ人の手品師、ハリー・フーディーニである。彼はリンゴの力を用いて、現代でもなお不可能とされる様々な奇術を成功させた。公式な記録では、フーディーニは「虫垂の破裂に因る腹膜炎」が原因で死亡したとされているが、被検体16号の隠された真実では、実際にはテンプル騎士団のエージェント(恐らくJ. Gordon Whitehead)によって暗殺され、リンゴを奪われたと言及されている。
その後このリンゴは、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの暗殺に用いられ、事件の真相解明を困難にさせた。
#endregion

*■第二のリンゴ
#region(歴代所有者)
&blankimg(PoE2.png,width=221,height=300)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-アル・ムアリム(1191)
-アルタイル・イブン・ラハド(1191/9/?~1257)
-エリザベス一世(?~?)
-マハトマ・ガンディー(?~?)
-アブスターゴ社(?~?)
#endregion

#region(来歴)
-アサシン教団へ
第三回十字軍の折、十人のテンプル騎士達がイェルサレムのソロモン神殿内地下墓地に隠されたこのリンゴを発見。そして1191年、当時のテンプル騎士団総長であるロベール・ド・サブレがリンゴを我がものにせんと探索を始める。この再発見に際して、アル・ムアリムの名でも知られるアサシン教団の大導師ラシード・ウッディーン・スィナーンが、三人のアサシン(アルタイル・イブン・ラハド、マリクとカダールのアルシャイフ兄弟)を派遣してこれを阻止、アサシン教団の砦マシャフにこのリンゴを齎した。
アル・ムアリムは、アルタイルがサブレ暗殺に赴く間にリンゴを用いて、アサシンとマシャフの住民を洗脳、自身がリンゴの力に侵されたテンプル騎士である事を露呈した。彼は任務から帰ったアルタイルに対して、リンゴの力を最大限活用して抵抗を試みるも、殺害される。

-アルタイルの手に
アル・ムアリムがその死後もリンゴの力を利用して復活を遂げる事を恐れたアルタイルは、死者を火葬してはならないという教団の掟に反してまでもアル・ムアリムの遺骸を焼却、これに対してアサシン達からは賛否両論巻き起こったものの、かつての友にして過去に確執を抱えるライバルであったアッバス・ソフィアンはアルタイルに対して反感を強める結果となった。
この際アッバスは、大導師の書斎からリンゴを奪取してその使用を目論む。しかし、彼にはエデンの果実を操るだけの精神力が無く、リンゴは彼自身を含むアサシン達の生命力を奪い始めた。他のアサシンに比してリンゴに因る影響の小さかったアルタイルは、アッバスの手からリンゴを奪い返し、この惨事を収めた。アルタイルに救われた形のアッバスは自身の非を認め、教団はアルタイルの元に結束する事となる。

-研究
この惨事によりリンゴの恐ろしさを身に染みて実感しながらも、アルタイルはその後の生涯の大半をリンゴの研究に費やし、教団の優位を確立する為に様々な新しい武器や技術を開発した。彼はキプロス島へテンプル騎士団を排除しに赴いた際にもリンゴを携行、密かにその研究を継続し、後に写本として伝わる文書を執筆した。

-謀反
1217年、アルタイルとその妻マリア・ソープ、息子ダリムの三名は、チンギス・ハンを暗殺してモンゴルの脅威を退けるため旅立つ。モンゴルのアサシン、クラン・ガルの協力も受けた一行は任務を成功させ、10年の歳月を経てマシャフに帰還するが、アッバスはアルタイルの不在を良い事に、彼の次男セフを殺害、マリク・アルシャイフを投獄して後には彼をも殺害した。アルタイルの不在の間マシャフを率いていたマリクを投獄したアッバスは、教団を率いる新たな評議会を組織し、自身をその長に据えた。
帰還して息子の死を知らされると共にアッバスの叛乱に直面したアルタイルは、直ちにこれを鎮圧。追い込まれたアッバスはアルタイルに対してリンゴを渡す事を要求し、アルタイルは同じ過ちを繰り返し続ける彼を嘲りリンゴを差し出す。自らリンゴに触れる勇気のないアッバスは、取り巻きのスワミにこれを受け取らせる。そしてアルタイルに、スワミこそが彼の息子であるセフを殺害した張本人であり、更にスワミは殺害の際、セフに対して「これはお前の父アルタイルの指示だ」と偽りを告げていた事を教える。リンゴを受け取ったスワミは、リンゴを介してアルタイルの怒りを受けて錯乱し、マリアを殺害。その場から脱したアルタイルは、自らに以後20年間のアラムトへの追放を課した。

-帰還
この20年間に彼は、リンゴの研究を更に進め、アサシンブレードに納める小型のピストルなどを開発した。追放を終えたアルタイルは、武力やリンゴの力ではなく自らの徳(ヴィルトゥ)を以てマシャフを奪還、開発したピストルを用いてアッバスを暗殺した。
再び教団を導く地位に戻ったアルタイルは、彼の書物を秘蔵するための書庫建設を命じた。その数年後、ダリムはヴェネツィアの商人であるニッコロとマフェオのポーロ兄弟と出会う。1257年には彼らをマシャフに招待し、彼ら兄弟は既に高齢のアルタイルから直接、アサシンとなるための指導を受けた。
訓練の数ヶ月後、マシャフはチンギス・ハン暗殺の報復を掲げるフラグ・ハン指揮下のモンゴル軍により攻撃を受ける。アルタイルは、ポーロ兄弟に蔵書の数冊、写本、彼の書庫を開ける鍵となる5つの印章を預けた。
モンゴル軍の攻撃を退けた後、アルタイルとダリム親子はマシャフの要塞に帰還し、アルタイルの書庫にて今生の別れを告げた。彼は自らの亡骸と共にリンゴを書庫に保管し、然るべき者だけがこの秘宝に触れられるよう計らったのだ。

-ルネサンス期
16世紀初頭、当時アサシン教団の大導師であったエツィオ・アウディトーレが、アルタイルの書庫に収められた隠された真実を求めてマシャフへの旅路に着いた。
エツィオは、テンプル騎士団の妨害を受けながらも、コンスタンティノープルなどでアルタイルの印章を収集する事に成功し、遂に書庫へと足を踏み入れる。
書庫の中でエツィオが見つけたものは、彼が以前手に入れたものとは別の新たなリンゴであった。しかし、彼はこの秘宝に関わる事無く、そのまま書庫の中へ置いておく事を決意する。

-エリザベス時代
経緯は定かではないが、その後このリンゴは16世紀の英国君主であるエリザベス一世の手元に移った。彼女はその治世に亘ってリンゴの力を統治に用い、彼女が全幅の信頼を寄せていた科学顧問の数学者であるジョン・ディーはエリザベス一世がアーティファクトを所有しているという事実に気付く。彼はプラハに住んでいる期間中にはそのリンゴを自身の手で使いさえした。

-現代
現代に入ってからは、このリンゴはマハトマ・ガンディーの手に帰し、インドにおける対英非暴力不服従運動の熱心な支持者たちを獲得するために用いられた。ところが、テンプル騎士団はこの事態を察知し、1948年1月30日にガンディーを暗殺、秘宝を手中に収める事に成功した。
1963年の時点までに、テンプル騎士団は第一、第二の二つのリンゴを入手し、これらはどちらもJ・F・ケネディの暗殺に利用された。事件の際にケネディのリムジンを運転していたシークレットサービスのウィリアム・グリアは第二のリンゴの使用法を訓練され、大統領の死亡後には第三のリンゴを彼から奪取するよう指示を受けていた。
アブスターゴ社は、デンバー国際空港(DIA)の施設内で第二のリンゴの実験を行っていたが、DIA事件と呼ばれる衛星の打ち上げ事故によって秘宝を失ってしまう。
#endregion

*■第三のリンゴ
#region(歴代所有者)
&blankimg(PoE3.jpg,width=319,height=176)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-ジョージ・ワシントン(?~?)
-フランクリン・D・ルーズベルト(?~?)
-J・F・ケネディ(?~1963)
-ウィリアム・グリア(1963)
-リンドン・B・ジョンソン(1963~?)
#endregion

#region(来歴)
確認されている中で最初の所有者は、「隠された真実」の三番目のパズル内で示されているとおり、このリンゴをヨーロッパから新世界に持ち込んだフリーメーソンである。ジョージ・ワシントンは、建国の父にして合衆国初代大統領であると同時に、フリーメーソンのメンバーでもあった。彼はリンゴを後継者達に代々受け継ぐ事を企図し、実際にそうなったようである。後にはフランクリン・D・ルーズベルトの手に渡ったリンゴが、ウィンストン・チャーチル、ヨシフ・スターリンら指導者を結集し、第二次世界大戦に臨む“連合国”を形作るために利用されている。
第35代大統領であるJ・F・ケネディもこのリンゴを継承したが、テンプル騎士団は労働者階級により市民的自由を与えようとする彼の思想を危険視し彼を暗殺、リムジンを運転していたシークレットサービスの捜査官にこのリンゴを奪わせた。
この事件の後リンゴは、被検体16号がテンプル騎士団であるとして名前を挙げたリンドン・B・ジョンソンの所有となったようで、彼はリンゴの力を使ってアポロ11号を月面に到着させ、月にあった第五のリンゴをも手に入れる事に成功した。
#endregion

*■第四のリンゴ
#region(歴代所有者)
&blankimg(PoE4.jpg,width=319,height=176)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-ニコラ・テスラ(?~?)
-トーマス・エジソン(?~?)
-ヘンリー・フォード(?~?)
-アドルフ・ヒットラー(?~1945)
#endregion

#region(来歴)
-10世紀
被検体16号によると、第四のリンゴは10世紀の中国美術に、小鬼の手に握られた火を放つ黄金の球として描かれているという。この絵画は火器を表現した現存世界最古のものであり、この球は初期の頃のグレネードの一種と考えられていた。この事が書かれた隠された真実には、"Sumerian Me 23"、つまり「神に与えられしシュメールの武器」となるバイナリーコードが隠されており、これこそが第四のリンゴを表していると考えられる。

-現代
判明している範囲で、最初にこのリンゴを所有したのはニコラ・テスラである。彼は、故郷のクロアチアでこれを発見した。テスラが実験を開始し、無料で無制限の電力を供給しようと計画すると、テンプル騎士団は彼を妨害するためのキャンペーンを展開した。
トーマス・エジソンはJ.P.モルガンに対して、テスラの実験に対する資金提供を取りやめるよう要請する手紙を出し、その他の投資家にもテスラを避けるよう指示した。更にエジソンは、象のタプシーを感電死させることでテスラの電気が人を死に至らしめる危険があると主張する実験などで、テスラへの誹謗中傷を行った。その後、テンプル騎士団はテスラの実験室に侵入し第四のリンゴを強奪、それを彼の正気を奪うために使用した。
隠された真実は、その後このリンゴがエジソンの所有となり彼がそれをヘンリー・フォードに供与したことを示唆している。フォードはこのリンゴを用いて自社の組み立て工場で働く労働者を操っていたが、その後「as per instructions(指示に従って)」ヨーロッパのアドルフ・ヒットラーの元に輸送した。
ヒットラーは、ドイツが不況から脱して第二次世界大戦の主要国にのし上がる為にリンゴの力を利用した。また、彼はリンゴを影武者としても利用したと考えられる。彼はリンゴで作り出したこの影武者をバンカー内で自殺させ、自身は"C"(恐らくはウィンストン・チャーチル)に会う為脱出しようと試みたようである。しかし、アサシンらはこのバンカーを監視しており、本物のヒットラーを殺害、そして恐らくはリンゴを教団の物とした。なお、後の捜索ではバンカー内には一体の死体が発見されたのみであった。
#endregion

*■第五のリンゴ
#region(歴代所有者)
&blankimg(PoE5.jpg,width=319,height=176)
-テンプル騎士団(1969/7/20~?)
#endregion

#region(来歴)
-現代
第五のリンゴはテンプル騎士団に月面で発見され回収されたが、なぜそこに有ったのか、いつからそこに有ったのかは一切不明である。被検体16号によると、「something was up there, something abandoned long ago(その上には何かが、遥か昔に打ち捨てられた何かが有った)」。
合衆国大統領であるジョン・フィッツジェラルド・ケネディがテンプル騎士団に暗殺された後、副大統領であると同時にテンプル騎士であったリンドン・ジョンソンは大統領の座に収まった。ケネディの政策の多くが騎士団の指針に反していたという以外にも、彼がソビエトとの共同宇宙開発を目指していた事が彼の暗殺の主要な原因の一つだと考えられる。
アポロ計画は、リンゴを我が物にせんとするテンプル騎士団によって推進された計画だった。1969年7月20日、彼らはリンゴの回収に成功するが、現在のこのリンゴ状況は不明である。
#endregion

*■エツィオのリンゴ
#region(歴代所有者)
&blankimg(Ezio's.jpg,width=188,height=250)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-エツィオ・アウディトーレ(1488)
-カテリーナ・スフォルツァ(1488)
-チェッコ・オルシ(1488)
-ジローラモ・サヴォナローラ(1488~1498/5/23)
-エツィオ・アウディトーレ(1498/5/23~1499/12/31)
-マリオ・アウディトーレ(1499/12/31~1500/1/2)
-チェーザレ・ボルジア(1500/1/2~1501)
-レオナルド・ダ・ヴィンチ(1501~1502)
-ロドリゴ・ボルジア(1502~1503)
-エツィオ・アウディトーレ(1503/8/31~1506)
-デズモンド・マイルズ(2012/10/10)
-ウィリアム・マイルズ(2012/10/10~)
#endregion

#region(来歴)
-キプロスからイタリアへ
1486年、テンプル騎士団がキプロス島に向けて船団を派遣。1488年には、リンゴを積んでヴェネツィアに帰還した。
これを監視していたエツィオ・アウディトーレは、隙を見計らって兵士を殺害、彼の鎧を身に付けて仲間であるかのように装った。リンゴの護送に紛れ込んだ彼は、船団の主であるロドリゴ・ボルジアに接触し、仲間の協力も得つつ彼の暗殺を試みるが失敗。ボルジアは取り逃がすが、リンゴを奪取する事に成功する。

-フォルリの戦い
リンゴを入手したアサシン教団は、これを安全に保管するため、領主のカテリーナ・スフォルツァが教団に友好的であり頑強な要塞を備えたフォルリへとリンゴを運び込もうとした。しかし、フォルリに到着すると、ボルジアの命を受けてフォルリ内の写本の地図を狙うチェッコとルドヴィコのオルシ兄弟がフォルリを攻囲しており、カテリーナの息子と娘が敵の手に落ちていた。エツィオは彼らを救出するために、リンゴをカテリーナに預けた上で城を密かに出てルドヴィコを殺害、姉弟の救出に成功する。しかし、これはオルシ兄弟による陽動であり、エツィオ不在の内にフォルリは猛攻を受け、リンゴはチェッコに手に落ちる。即座にチェッコの追跡に移ったエツィオは、道中で彼を暗殺しリンゴを奪い返すが、チェッコは死に際にエツィオの腹部を短刀で刺傷する。意識が朦朧とするなか、エツィオはリンゴを取り落としてしまうが、これを僧侶のジローラモ・サヴォナローラが拾ってしまう。傷が回復したエツィオは、僧侶の左手の指が一本欠けていたことを手掛かりに、彼がジローラモ・サヴォナローラである事を突き止め、彼がいると思われるフィレンツェに向かう。

-虚栄の篝火
1497年、フィレンツェに到着したエツィオは、サヴォナローラが市民を服従させフィレンツェの支配権を得るために、リンゴで有力者を操っていると知る。彼の支配を揺るがせるため、9人の支持者らを暗殺したエツィオは、暴動を起こした市民らを抑えるためにリンゴを用いようとするサヴォナローラに投げナイフを使い、リンゴを取り落とさせる。これをボルジア兵が即座に奪い取るが、追跡したエツィオが奪還に成功する。

-ヴァチカン
リンゴを持ってヴィラに帰還したエツィオは、写本を調べる事で、ボルジアの狙いが教皇が受け継ぐ教皇杖であると突き止める。
ボルジアを阻止するためにヴァチカンに単身乗り込んだエツィオはしかし、エデンの果実である杖の力の前に敗北し、リンゴを奪われてしまう。意識を取り戻したエツィオは、ヴァチカンの地下に隠された施設に逃げ込んだボルジアを追い、素手の戦闘で彼を倒すが、長年復讐の虚しさを感じていたが為に彼の息の根を止めはしなかった。
ボルジアが逃げ込んだ施設は宝物庫の入り口であり、その鍵はリンゴと杖、そして預言者であるエツィオ自身であった。宝物庫内でミネルヴァのメッセージを受け取ったエツィオは、伯父のマリオと共にヴァチカンを脱出、マリオはティベレ川にリンゴを捨てるようエツィオに決断を迫るが、彼は決断できず、リンゴはマリオが一時的に預かる事になる。

-モンテリジョーニ陥落
こうして一旦はモンテリジョーニのヴィラにリンゴを持ち帰ったアサシン達だったが、1502年1月2日、教皇軍総司令官のチェーザレ・ボルジアが突如街を包囲。カテリーナ・スフォルツァの助けも受けつつ必死の抵抗を試みるアサシン勢だったが、教皇軍及びフランス軍の主力部隊を総動員したボルジア勢の前になす術はなく、リンゴとスフォルツァは敵の手に落ち、マリオ・アウディトーレは死亡、エツィオ自身も重傷を負ってしまう。

-ローマでの戦い
チェーザレは手に入れたリンゴをレオナルド・ダ・ヴィンチに与えて研究をさせていたが、父教皇のロドリゴは息子に知らせずにリンゴをレオナルドから取り上げ、郊外の聖ペテロ聖堂にそれを隠す。
4年の歳月を経た後、ボルジア家の内紛が元となりエツィオはリンゴを奪い返す事に成功する。
チェーザレが勢力を盛り返す事を防ぐため、エツィオはリンゴを用いて彼の基盤となる協力者達を次々と殺害した。それでもなお、チェーザレは残りの手勢を結集させローマ奪還を企図するが、総力をあげて立ち向かうアサシン教団とリンゴの力に敗れ、新教皇命で捕縛される。
だが、縄をかけられてなお自信を失わないチェーザレに不安を覚えたエツィオはリンゴの力で彼が牢から脱走する事を知る。

-宝物庫に
ナヴァラにてチェーザレを屠ったエツィオは、1506年、リンゴをコロッセオ地下の宝物庫内に封印し、二度と触れる事は無かった。

-現代
2012年10月10日、アニムスを用いてリンゴの在り処を特定したデズモンド・マイルズ、ルーシー・スティルマン、ショーン・ヘイスティングス、レベッカ・クレインらアサシンは、数々の仕掛けを解明しとうとうリンゴの元へと辿り着く。しかし、デズモンドがリンゴに触れた途端、リンゴを通してジュノーが彼の身体を操り、アサシンブレードでルーシーの腹部を刺傷させてしまう。
ジュノーのコントロールから解かれたデズモンドは、昏睡状態に陥ってしまう。デズモンドの父であるウィリアム・マイルズのサポートを得たショーンとレベッカはデズモンドをアニムスに戻し、彼が昏睡から覚める事を祈ってニューヨークへと向かう。
#endregion

*■聖骸布
#region(歴代所有者)
&blankimg(Shroud.jpg,width=319,height=176)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-イアーソーン(?~?)
-[[ヨセフ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95_(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)]](?~?)
-ダビデ(?~?)
-マルクス・ユニウス・ブルトゥス(?~?)
-ナザレのイエス (?~75)
-ジョフロワ・ド・シャルネー(?~?)
-マリオ・アウディトーレ(1454)
-ジョバンニ・アウディトーレ(1454)
-リナルド・ヴィッツィーリ(?~1498)
-ペロット・カルデロン(1498)
-ニッコロ・ピティリアーノ(1509~1510)
-フランチェスコ・ヴェチェッリオ(1510~?)
-バグッティアーニ家(?~1944)
-アブスターゴ社(1944~)
#endregion

#region(来歴)
-古代ギリシア
聖骸布が最初に文献に登場するのは、ギリシア神話の「黄金の羊毛」である。“奇妙な力”を持つとされるこの羊の毛皮は、イアーソーンとアルゴナウタイらがコルキスから奪い取ったものである。

-中東
紀元前17世紀、ヘブライ人の祖であるヤコブは彼の息子であるヨセフに聖骸布を与える。創世記第37章3に登場する「長袖の着物」である。その後、紀元前11世紀にはダビデが巨人ゴリアテを倒す際に、聖骸布を用いて傷を治している。

-マケドニア
この後聖骸布は、古代ローマのアサシンらの手に収まることになる。ブルータスが紀元前44年にユリウス・カエサルを暗殺しその二年後に自殺をした際、彼の弟子のアサシンらは、マケドニア王国の都市フィリッピ(ピリッポイ)にて聖骸布を用いて彼の蘇生を試みる。
彼らはそれまでに聖骸布を用いたことが無かったのでその効果を恐れつつ使用した。彼らがブルータスの死体を聖骸布に包むと死体は目を開け、腕を動かし、一旦は蘇ったかのように見えた。しかし、彼は一切呼吸をせず、弟子たちの呼びかけにも応じることはなかった。そして、徐々に動きを止めていき、遂には“二度目の死”を迎えた。

-救世主
聖骸布の所有者として最も有名なのはイエス・キリストことナザレのイエスであろう。彼が聖骸布を所有していると突き止めたテンプル騎士らは、紀元後30年前後に(ローマ帝国という偽装の下)彼を磔にし殺害した。しかし、彼の弟子たちは無事に聖骸布の回収に成功し、彼の遺体をそれで包み復活に成功する。
この後、聖骸布は長きに亘って歴史の舞台から姿を消す。

-モンテリジョーニ
経緯は不明だが、聖骸布は14世紀頃にフランスのテンプル騎士であるジョフロワ・ド・シャルネーの手中に落ちる。しかし、モンテリジョーニのアサシンらは、これを彼の元から盗み出し、精巧な偽造品とすり替える。検証の末に、聖骸布の重要性を認識したアウディトーレ家のアサシンはこれを秘匿することを決める。彼は教会記録の改竄などを行った後、モンテリジョーニの井戸の水を排出し更に深くまで掘り下げた後、聖骸布を隠した。

-マリオ・アウディトーレ
1454年にとうとう聖骸布の所在を突き止めたテンプル騎士団は、傭兵隊長フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロにモンテリジョーニを攻撃させたが、マリオ・アウディトーレはこれを撃退。敵のスパイであったルシアーノ・ペッツァーティから、今回の攻撃はモンテリジョーニ地下に埋められた何かを手に入れる為のものだったと知る。
マリオは歴史家と建築家たちを招集し、地下の秘宝に関しての記録を探したが、街の井戸についての漠然とした言及が判明したのみであった。
必死の探索の末、マリオと傭兵たちは井戸へと通じる道を発見する。しかし、そこはカミソリワイヤーなどのトラップが張り巡らされており、マリオ自身も振り子の罠から逃れる際、左目に重傷を負ってしまう。
傷付きながらも生き残った数人の仲間と共に最後の部屋にたどり着いたマリオが見たものは、簡素な木の箱一つであった。その時、一行は彼らの傷を癒してやると約束する声を聴くが、マリオは箱を開けることを禁じた。そのため彼らはマリオに襲い掛かり、傭兵隊長はその麾下の者たちを殺さざるを得なくなってしまう。
秘宝の力を恐れたマリオは、弟のジョバンニ・アウディトーレにこの箱を託しモンテリジョーニから遠ざけるよう依頼した。

-アニャデッロ
1498年、アサシン教団の潜入員としてボルジア家を監視していたペロット・カルデロンは、監視対象であるルクレツィア・ボルジアと恋に落ちてしまう。遂には二人の間に子供が生まれるが、この男の子は障害を持って生まれ、余命数日だと宣告された。教団が保持している人を癒す能力のある秘宝について聞き知っていたペロットは、我が子を連れてアニャデッロへと赴き、聖骸布を守護しているリナルド・ヴィッツィーリの家を訪ねた。
忠誠を誓った血盟の兄弟たちを殺害しながらも、ペロットは息子の病を癒すことに成功するが、彼自身はその後教団の掟を破った咎で処刑される。この息子は、ジョバンニ・ボルジアと名付けられる。

-ロニーゴ
1509年の[[アニャデッロの戦い>http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Agnadello]]の前後に、戦いの当事者の一人であるニッコロ・ピティリアーノが聖骸布を手に入れたとみられる。1510年、彼を暗殺し聖骸布を取り戻す為、アサシン教団からフランチェスコ・ヴェチェッリオが派遣される。
フランチェスコは彼の暗殺に成功したとみられたものの実際には彼はまだ死亡してはおらず、床下の隠し場所から聖骸布を取り出し、傷を癒すことに成功。歩くだけの力を取り戻したニッコロは燃え盛る荘園から逃亡を図るが、その道程で体力の完全回復をしようと改めて聖骸布を用いる。しかし、この際には聖骸布は彼の身体を癒すどころか破壊し、未完であったアサシンの仕事を遂げてしまう。
フランチェスコはこの一連の流れを予想しており、死に行くニッコロから聖骸布を剥ぎ取りロニーゴを去った。

-ミラノ
第二次世界大戦末期の1944年のクリスマス、テンプル騎士団のエージェントは聖骸布であると主張される布を入手するため、ミラノのレストランへと派遣された。彼は多額の金を伴って、戦場を抜けてバグッティアーニ家の一人に接触を果たす。彼はそのエージェントに、木箱に入った折りたたまれた布を示した。
驚くべきことに、エージェントはアブスターゴ社の金属製のロゴのキーホルダーを布の上にかざすことで、彼の目の前で聖骸布の真偽を証明した。キーホルダーは振動を始めたのだ。
#endregion

*■アンク
#region(歴代所有者)
&blankimg(Ankh.png,width=383,height=176)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-イシス(?~?)
-ローマ人墓泥棒(?~?)
-商人(?~?)
-アクシピター(?~?)
-アクイルス(?~?)
-ルシウス(?~?)
-カイウス・フルヴァス・ヴルトゥア(?~?)
-アクイルス(?~?)
-ローマ兵(?~?)
-ヴァレリア(?~?)
#endregion

#region(来歴)
-古代エジプト
アンクは元来、エジプトで女神とされるイシスが歴代のファラオを保護するために用いられてきた。しかし、彼女が慕っていた兄オシリスが逝去し、彼女は悲嘆に暮れ、アンクを彼の復活のために用いてしまう。秘宝の力でオシリスは復活を遂げるものの、それは一夜限りの生であった。互いに愛し合っていた二人は残された時間で性交渉を行い、その結果イシスはホルスを身籠る事となる。

-ローマ帝国
200年の後、アンクはローマ人の墓泥棒によってピラミッドから発掘され、商人に売り飛ばされる。その後アンクは、数多の手を経て帝国の首都ローマへとたどり着く。
ある時点で、アンクはアラマンニ人アサシンのアクシピターの手に渡る。彼は秘宝をアクイルスに、アクイルスは更にルシウスに秘宝を渡す。ルシウスはアンクを箱に施錠して保管するが、その日にテンプル騎士団のスパイであったカイウス・フルヴァス・ヴルトゥアによって殺害され、アンクは奪われてしまう。
後にアクイルスはカイウスをローマで暗殺した際にアンクを取り戻し、妻のヴァレリアと共にその研究を進める。しかし、彼らはローマ兵によって捕縛され、アンクも彼らによって接収されてしまう。アサシンの協力者であるアクシピターが彼らの護送行列を襲撃した際、ヴァレリアはアンクを取り戻すことに成功。アクシピターの要請もあり、彼女はアンクを隠しておくこととした。

-ドイツ
14世紀前半、「ブラザーズ・オブ・クロス」を名乗る集団(テンプル騎士団の組織)がヨーロッパ中を巡って、ペストからの保護を謳って賛同者を集めていた。ドイツ人アサシンのルーカス・ツァーブルグは、彼らが中央ヨーロッパに隠されているというアンクを探しているのではないかという疑念を持ち、調査を行う。
1350年、ブラザーズ・オブ・クロスはルーカス・ツァーブルグ共々その姿を消し、二度と歴史の表舞台に立つことは無かった。
#endregion

*■杖
#region(歴代所有者)
&blankimg(Staves.png,width=150,height=352)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-モーゼ(?~?)
-歴代ファラオ(?~?)
-アレキサンダー大王(?~BC323)
-洗礼者ヨハネ(?~?)
-歴代ローマ教皇(?~1499/12/28)
-アレクサンドル3世(?~1888/10/29)
-ニコライ・オレロフ(1888/10/29)
-アレクサンドル3世(1888/10/29~1894/11/1)
-ニコライ2世(1894/11/1~?)
-グリゴリー・ラスプーチン(?~?)
-テンプル騎士団(?~?)
→破壊(1908)
-グリゴリー・ラスプーチン(?~1914)
-ニコライ・オレロフ(1917~?)
#endregion

#region(来歴)
-モーゼ
記録上最古のエデンの杖の使用は、モーゼによる紅海の“分断”である(実際には彼は杖の幻惑効果を用いて出エジプトを果たした)。

-ファラオ
紀元前7世紀の古代エジプトでは、ファラオのシャバタカが臣民の統治の為、エデンの杖を用いていた。恐らくは、彼の前後のファラオたちもこの杖を統治に用いていたと考えられる。

-アレキサンダー大王
紀元前4世紀ごろ、テンプル騎士団は何らかの手段でエデンの杖を入手。彼らは秘宝を盟友のアレキサンダーに委ね、彼はそれを用いて歴史上もっとも巨大な帝国の一つを築き上げていく。彼はBC323年にアサシンのイルタニによって毒殺された際、この秘宝を失ったものとみられる。

-洗礼者ヨハネ
その後この杖は、預言者にして宗教的指導者である洗礼者ヨハネの手に渡る。

-教皇杖
ヨハネの杖は、後にキリスト教会を創設し初代教皇に就任することとなる、イエスの第一使徒の聖ペトロのものとなる。これは代々のローマ教皇に受け継がれ、アレクサンデル6世ことロドリゴ・ボルジアの手中に収まるまで続いた。
1499年12月28日、エツィオ・アウディトーレがシスティーナ礼拝堂に潜入。ロドリゴと対峙し彼を倒した後、杖はリンゴと共に<宝物庫>への鍵として利用された。この際、杖はそのまま<宝物庫>入口の地下へと格納され、「人の手にあるよりも、むしろ地に委ね」ることとなった。

-皇帝笏
1888年までの時点で、杖はロシア皇帝アレクサンドル3世によって回収され、ロシア帝国全域にツァーリの威光を広めるため用いられた。
同年10月29日、ペトログラードへの帰路にあったツァーリは、アサシンのニコライ・オレロフの襲撃を受ける。皇帝列車は脱線し、皇帝は襲撃者に対してエデンの杖を投げつけ、それを使って戦うよう挑発した。オレロフはPoEの力とアサシンの技巧を駆使して戦ったものの、体格差のある皇帝に打ち負かされ、杖も置いたままほうほうの体で逃げ出す。
アレクサンドル3世の死後、杖は彼の息子のニコライ2世に継承されるものの、彼はその力について知らされていなかった。テンプル騎士団の一員であり、ロシア皇室に巧みに取り入ったグリゴリー・ラスプーチンは、密かにこの杖を盗み出し、ツングースカのテンプル騎士団研究施設に運び込んだ。
1908年夏、アサシンの一人がニコラ・テスラに対し「テンプル騎士のトーマス・エジソンに評判を貶められた報復の機会を与える」と提案した。テスラはウォーデンクリフ・タワーと彼の電気技術の知識を用いて研究施設に歴史上もっとも巨大な爆発の一つとされる[[ツングースカ大爆発>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%A4%A7%E7%88%86%E7%99%BA]]を引き起こした。この爆発により、杖は研究施設もろとも破壊された。
しかし、杖の方は完全に破壊されたわけではなく、少なくとも一つの破片がラスプーチンの手に渡り、ニコライ2世の皇后であるフョードロヴナを操るために用いられた。1914年、ラスプーチンはアサシンによって暗殺され、この破片は彼と共に埋葬された。1917年、ツェサレーヴィチからこの破片の存在を聴いたオレロフは、ラスプーチンの墓を掘り起し、この破片を取り戻した。
#endregion

*■剣
#region(歴代所有者)
&blankimg(Swords.png,width=88,height=352)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-ペルセウス(?~?)
-アッティラ(?~?)
-アーサー王(?~?)
-シグムンド(?~?)
-ジャンヌ・ダルク(?~1431/5/30)
-テンプル騎士団(1431/5/30~)
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#region(来歴)
-デミゴッド
かつて来たりし者たち以外で最初にエデンの剣を使用したのは、ギリシア神話の半神の英雄ペルセウスである。彼はゴルゴンのメデューサを倒すためにこの剣を用いた。

-神の災い
5世紀ごろ、羊飼いが地中から発見し剣はフン族の王アッティラの所有となる。彼は剣を用いて帝国を拡大し、ユーラシア大陸を恐怖に陥れた。このころから、エデンの剣は「軍神の剣」や「アッティラの剣」として知られるようになる。

-永遠の王
5世紀後半から6世紀初頭ごろ、アーサーは石からこの剣を抜き、エクスカリバーと名付けイングランド王となるために用いた。

-グラム
恐らく6世紀後半、乞食に扮したオーディンが大樹バルンストックに剣を突き刺し、「抜く事が出来た者に褒美としてやる」と告げる。その場にいた勇士たちは全員剣を抜こうと挑戦するものの誰も抜く事が能わなかったが、唯一人英雄シグムンドのみが抜く事に成功する。

-蒼き狼
13世紀、モンゴルの武将チンギス・ハンは諸部族を統一して造ったモンゴル帝国を率いて大規模な西進を続けていた。レバントのアサシン教団を率いる大導師であったアルタイル・イブン・ラハドは、ハンが何らかのエデンの果実、恐らくはエデンの剣の所有者ではないかと疑いを抱く。1227年、アルタイルの息子ダリムとモンゴル人アサシンのクラン・ガルはハンの暗殺を果たすが、結局の所彼の力の源泉が剣であったのかどうかは分からず終いであった。

-オルレアンの乙女
百年戦争の最中、フランスの百姓の娘であったジャンヌ・ダルクが剣を見つけ、その所有者となる。彼女はフランス側で参戦し、イギリスに対して数々の勝利を収める。しかし、1430年に彼女はブルゴーニュ軍によって捕えられ、イングランド軍に引き渡されてしまう。テンプル騎士団は彼女を火刑に処し、彼女から剣を奪い取ることに成功する。
#endregion

*■水晶髑髏
#region(歴代所有者)
&blankimg(CS.png,width=319,height=176)
-かつて来たりし者たち(?~?)
-テノチティトランの神官(?~?)
-ジョバンニ・ボルジア(1520)
-ボンバトゥス(1520)
-ジョバンニ・ボルジア(1520~1542)
-アブスターゴ社(?~)
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#region(来歴)
-ルネッサンス
1520年、エデンの果実捜索のためエルナン・コルテスの事業に派遣されたアサシンのジョバンニ・ボルジアが、水晶髑髏の一つの位置を特定する。アステカの首都テノチティトランの神官が人身御供の儀式に用いていたものを盗み取ったのである。
これをヨーロッパに持ち帰った彼は、エデンの果実の専門家である科学者の[[ボンバストゥス>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%A9%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%B9]]に託す。彼はいくつもの試験を行いこのPoEの謎を解明しようとしたが、結局目的も機能も判明せず、血盟の兄弟たちはこれをただの装飾品であると判断し、忘れ去った。
それにも関わらず、ジョバンニは毎日最低一時間はこの骸骨を眺めるという独自の研究を22年間続けた。そして、1542年に遂に中国人の男がもう一つの骸骨を用いて彼と交信を行い、水晶骸骨は通信機能を持っていることが判明した。

-現代
2012年の段階で、複数の水晶髑髏がアブスターゴ社の手中にある。同社CEOのアラン・リッキンはウォーレン・ヴィディック博士宛のメールで「ミッシェル・ヘッジスの通信機」は実際に機能することが確認されたが、数が限られている事に言及していた。
テンプル騎士団は、水晶髑髏をアサシンたちが傍受不能な完全にセキュアな通信回線として用いることを企図している。絶対数が極めて少ないため、騎士団の中でもとくに重要な施設や人物にのみ配給される予定である。
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*コメント欄
過去ログは[[こちら>http://www33.atwiki.jp/aciii/pages/26.html]]
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