第1章 混雑緩和のために……
1980年代の判ノ谷線は,新都周辺の人口増加に伴い混雑が激化していた。ところが当時在籍していたのは旧判ノ谷鉄道から受け継いだ1000系で,3扉クロスシートと通勤に適した車両ではなかった。旧型車の足回りを再利用した2700系もいたものの,性能の低さからこれも使いにくい車両であった。そこで,当時塔野線に導入されていたTR-2000系をベースとした新型車両が導入されることとなった。これがTR-2030系である。1986年に登場した彼らは通勤に適した車内構造を持っており,またこれまでの判ノ谷線の車両とは比べ物にならないほどの高性能車であった。8両編成,起動加速度3.1km/h/s,最高速度120km/h(営業運転では110km/h)のTR-2030系は量産され,判ノ谷線の混雑緩和に大いに……
役立たなかった。
というのもこの車両,4編成の合計32両しか製造されなかったのである。しかもあまりに新機軸を盛り込んだ弊害として,北真砂駅以北の変電所が回生ブレーキに対応していなかったことでその区間には入線できず,また一部駅のホームは6両までしか対応していなかったことで運用も限られた形のなった。結果として,TR-2030系は非常に「使いにくい」車両となってしまったのである。かくして彼らはあまり輝くことなく,最初の十年紀を終えることとなる。
第2章 判ノ谷から八真へ
1990年代,新都特別市で進んでいた計画として新都環状線への快速線新設がある。そして東側,桜樹駅〜北八城駅間の快速線を判ノ谷線と繋げて1つの運行系統とすることにした。ここで判ノ谷線にも本格的な通勤車両が入ってくることとなる。TR-4000系。TR-2000系の正当発展車であるこれらの車両が導入されたことにより,共通の運用に就けるTR-2030系は扱いにくい車両から一転,主力車両の一員となれたのである。2000年に判ノ谷線と新都環状線の快速線を繋げて「八真線」が開業し,TR-2030系は都心への本格乗り入れを開始。通勤型の面目躍如となった。
第3章 少数派故の……
2006年,八真線・都西線の真砂駅が大雨により冠水する事故が起きた。留置されていた一部車両が使用不能となった。TR-2030系は被害を受けなかったが,良住検車区のTR-3500系がこれにより編成不足に陥った。当時5両編成の都西線であったが,他の殆どの路線は偶数両での組成であったため5両を組める車両が少なかった。そこで,1M車を持つTR-2030系に白羽の矢が立った。1編成(2033F)が5両に短縮の上で一時的に良住検車区に転属,修理完了までの車両不足を補った。また,同時期に緑園都市線でも保安設備の更新により車両不足となったが,これにも2034Fが貸し出された。このように便利屋扱いされていた彼らだが,これも汎用性があればこそのものである。
以下編集中……