1980年代に東京都渋谷区代々木上原駅周辺にあったとされる児童養護施設。
設立年も閉鎖年も不明だが、1980年初頭(可士生の言葉によれば1983年)には開設されていたと考えられる。
代表は
畠本操(故人)。運営に
可士生礼が名を連ねていた。
過去に
バブルガムを調べていた
宇野衛は、この施設の出身。
1984年2月の可士生の事故死以降、経営が行き詰まったのか、ほどなくして閉鎖された。
僕(椎名)の思ったこと
1985年の児童養護施設件数は、厚生労働省のデータでは全国で538件。
2012年時点で東京都にある同施設の数は58件。
つまり、児童養護施設というのは数が絞られるため、関係者には知られている存在。
ところが、これまで「群青の家」について知っているという人物は
宇野衛しかいない。
群青の家は本当に存在したのだろうか?
仮に存在したとして、群青の家が
ハウス・ブルーの活動を行うために設けられたのだとしたら、
1983年に可士生が
ハウス・ブルーを設立したと同時に作られ、
可士生が死んだとされる1984年からほどなくして消えたことになる。存続期間は1年〜長くて3年ほど?
公益性の高い施設にしては、設立から閉鎖までが早すぎないだろうか。
最終更新:2013年02月24日 17:32