溜め込んでいた書類の検分を行っていると灯りが揺れた。行灯の油が切れ掛かっている。
(ここまでにしとくか)
文具を片付け、灯りを吹き消す。油の嫌な臭いが強く漂った。
凝り固まった肩をほぐしながら廊下に出る。小姓が政宗に気づき、湯の用意を整えると湯殿に向かった。
灯りのついている部屋はもうない。幸村も、さすがに寝ただろう。
もう、寝なければならない。
けれど、と歩みを止めた。
この数ヶ月、ろくに眠りをとっていない。
寝ても眠りは浅く、いつも悪夢を見る。意味の分からない、ただ恐ろしいだけの悪夢も多い。
小十郎のことを多く夢に見る。
許そう、と何度も考えた。けれどどうしてもできない。
そしてまた夢に見る。
心底疲れれば寝られるか、と思い調練に臨んだが、果たして今宵はどんな夢を見るのか。
ふ、と風が吹いた。湿った風。人の肌の温度をしている。
どういうわけか、小十郎の肌を思い出した。熱く獰猛に滾った肌。
ぞわりと肌が粟立った。
恐ろしかった。政宗の知る小十郎は厳しさの中に優しさが見える、頼れる右目だった。
慕っていた。けれどそれは敬愛であり、肌を預けたいとは思わなかった。
あのときの恐怖は、いまだ政宗を苛んでいる。
幸村に、今までのような顔はできない。
きっと、言葉にしてしまう。
(それは……卑怯すぎる)
弱さを武器にしたくない。
湯殿に入り、小姓を下げる。小姓は政宗が女であることを知らない。
着物を脱ぎ、晒しを取る。湯殿用の着物を羽織り、帯を締めた。
頭から湯を被ると何かが流れた。それは愛姫が政宗の髪につけた飾り用の綾紐だった。しまった、と慌てて拾う。
水を吸ってしまった。乾かせば大丈夫だろうか。
「こんなものをつけて何になる」
女であることを捨てた。男として「伊達政宗」として生きると誓った。
けれどまだどこかで女でありたいと思っている。この綾紐が証拠だ。本気で拒めば、愛姫はこんなものをつけなかっただろう。
どこかで喜んでいたから、愛姫は強引につけたのだ。
涙が零れた。
この期に及んで、女の部分が零れてくる。
「どうすりゃ、いいってんだよ……」
戻ることはできない。
かといって進むこともできない。
湯船の縁にしがみついた。
何かがせり上がってくる。吐き出す。そういえば夕餉を取っていない。黄色く濁った液体ばかり吐き出した。
もう嫌だ。
誰か。
誰でもいい。
「兄上、助けてっ………」
――しょうがねぇなぁ。
甘い声を聞いた。まだ幼さを残した、凛々しい声。
顔を上げた。
無数の淡く輝く光が政宗を包んだ。
(ここまでにしとくか)
文具を片付け、灯りを吹き消す。油の嫌な臭いが強く漂った。
凝り固まった肩をほぐしながら廊下に出る。小姓が政宗に気づき、湯の用意を整えると湯殿に向かった。
灯りのついている部屋はもうない。幸村も、さすがに寝ただろう。
もう、寝なければならない。
けれど、と歩みを止めた。
この数ヶ月、ろくに眠りをとっていない。
寝ても眠りは浅く、いつも悪夢を見る。意味の分からない、ただ恐ろしいだけの悪夢も多い。
小十郎のことを多く夢に見る。
許そう、と何度も考えた。けれどどうしてもできない。
そしてまた夢に見る。
心底疲れれば寝られるか、と思い調練に臨んだが、果たして今宵はどんな夢を見るのか。
ふ、と風が吹いた。湿った風。人の肌の温度をしている。
どういうわけか、小十郎の肌を思い出した。熱く獰猛に滾った肌。
ぞわりと肌が粟立った。
恐ろしかった。政宗の知る小十郎は厳しさの中に優しさが見える、頼れる右目だった。
慕っていた。けれどそれは敬愛であり、肌を預けたいとは思わなかった。
あのときの恐怖は、いまだ政宗を苛んでいる。
幸村に、今までのような顔はできない。
きっと、言葉にしてしまう。
(それは……卑怯すぎる)
弱さを武器にしたくない。
湯殿に入り、小姓を下げる。小姓は政宗が女であることを知らない。
着物を脱ぎ、晒しを取る。湯殿用の着物を羽織り、帯を締めた。
頭から湯を被ると何かが流れた。それは愛姫が政宗の髪につけた飾り用の綾紐だった。しまった、と慌てて拾う。
水を吸ってしまった。乾かせば大丈夫だろうか。
「こんなものをつけて何になる」
女であることを捨てた。男として「伊達政宗」として生きると誓った。
けれどまだどこかで女でありたいと思っている。この綾紐が証拠だ。本気で拒めば、愛姫はこんなものをつけなかっただろう。
どこかで喜んでいたから、愛姫は強引につけたのだ。
涙が零れた。
この期に及んで、女の部分が零れてくる。
「どうすりゃ、いいってんだよ……」
戻ることはできない。
かといって進むこともできない。
湯船の縁にしがみついた。
何かがせり上がってくる。吐き出す。そういえば夕餉を取っていない。黄色く濁った液体ばかり吐き出した。
もう嫌だ。
誰か。
誰でもいい。
「兄上、助けてっ………」
――しょうがねぇなぁ。
甘い声を聞いた。まだ幼さを残した、凛々しい声。
顔を上げた。
無数の淡く輝く光が政宗を包んだ。