風が吹いた。生温い夏の風だ。
幸村はぐったりと体を預けてくる政宗に気づき、慌てて引き剥がした。思わず手首の脈を診る。
蒼白ではあるものの、血の通う色の肌が打つ脈はしっかりしている。
幸村は肺の底まで息を吐き出し、政宗の頬を軽く叩いた。んん、と鼻にかかった声を出して政宗は目を開けた。
「ぁ……れ、幸村……」
どうしたんだよ、と笑う。焦点の合っていない目はまるで夢を見ているようで、幸村は夢中で抱き締めた。
以前抱いたときよりずっと細くなっている。
「政宗殿、生きていて、よかった……」
「さっき会っただろうが。何ふざけたこと言ってやがるんだ」
政宗の腕が二人の体の間に入った。体を離すと、政宗は自分の格好に気づいて腕で胸を隠し、恥ずかしそうに顔をそらした。
「……なんで、俺、こんな格好でお前のところに来たんだ?」
「なんで、とは」
「覚えてないんだよ。気がついたら、お前に叩かれてた」
「政宗殿は……某に、会いに来て下さったのです」
「なんで、湯殿に入る格好で会いに来たんだよ。無意識でできることじゃねぇだろ。
大体、小姓がいたはずだし――って、なんで俺を止めなかったんだ。あれ、おっかしーな………」
頭を振り、記憶を辿るように眉根を寄せる。
幸村は考えながら言葉を口にする。
「政宗殿は……蛍に、憑かれておりました」
「firefryに?」
「その、うまくは申せませぬが。蛍に憑かれておりましたので、某、お引き止めしたのです」
「俺、巫女でもイタコでもねぇけど。神職の経験もねぇし」
「古来より、神や霊を下ろすのは女子が多うございます。政宗殿には、巫女の資質でもあるのでしょう」
どこか嘘臭い、と我ながら思った。しかし、記憶がないのだから何かに憑かれていたのだろう、と政宗は納得した。
「蛍、ねぇ……」
政宗は単の襟を直した。直したところで薄いものだから肌が透ける。
「じゃ、俺、湯殿に戻るわ」
逃げるように立ち上がって背を向けられるが、幸村は腕を掴んだ。怯えた顔で振り向かれる。見たことのない弱々しい表情だった。
「離せ」
「離しませぬ。何故逃げられる。何かあったのですか」
「てめぇにゃ関係ねぇ」
問えば、傷つけることになる。
けれど問わずにはいられなかった。
「離せ。痛めつけられてぇのか?」
「それで、政宗殿の気が晴れるのなら」
「……お前、masochistだったのか」
呆気に取られた政宗の顔を、月がよく映していた。
「まぞ……それは何事にござるか」
「いや、たいした言葉じゃない」
幸村は政宗を抱き締めた。強い抱擁に、政宗の体が強張る。いつもなら背中に回る腕が、何かに耐えようと拳を握っている。
「政宗殿。某、政宗殿の身に何が起こったのか」
訊くのが怖い。
けれど訊かない方がもっと怖い。
弱い、と己を嘲笑う。
「存じております」
「――っ!!」
逃げようともがかれる。目を瞑り強く抱き締めた。拳がいくつも背中に打たれ、足を強く踏まれる。それでも幸村は政宗を離さなかった。
やがて、政宗が諦めた。背に腕が回る。覆い被さるように抱き締めると、背を反らし受け止められる。
「無理やりされた、なんて言い訳にならねぇ。俺は……」
「それでも、構いませぬ」
「構うだろ、普通」
耳元で囁かれる声は低く、掠れていた。
「政宗殿も某も、普通ではありませぬ故、構いませぬ」
どういう理屈だ、と政宗は喉を鳴らして笑った。
「……そうか」
手が背中から離れる。腕を絡め、指を絡めるように握り合った。見つめ合い、接吻を交わす。
「お前の子が産みたい」
唇を離すと、何気ない響きで政宗が囁いた。
武田と伊達。縁を組む要素がない。
その上、政宗は男として通っている。身を隠す以外に安全に子を産む方法はない。
それは遠からず伊達を滅ぼす原因となる。
「よろしいのか」
幸村は政宗の肩をつかんだ。政宗は笑うと幸村に体を委ねた。
「今は……ちょっと、無理。眠い……」
「いや、そういう事ではなく」
「……お前の子が欲しい」
すう、と政宗の吐息が穏やかなものになる。ぐっと胸にかかる重みが増した。
誰よりも愛しい人に子を望まれる。
これほど嬉しいことはない。しかし素直に喜ぶことはできなかった。
幸村はぐったりと体を預けてくる政宗に気づき、慌てて引き剥がした。思わず手首の脈を診る。
蒼白ではあるものの、血の通う色の肌が打つ脈はしっかりしている。
幸村は肺の底まで息を吐き出し、政宗の頬を軽く叩いた。んん、と鼻にかかった声を出して政宗は目を開けた。
「ぁ……れ、幸村……」
どうしたんだよ、と笑う。焦点の合っていない目はまるで夢を見ているようで、幸村は夢中で抱き締めた。
以前抱いたときよりずっと細くなっている。
「政宗殿、生きていて、よかった……」
「さっき会っただろうが。何ふざけたこと言ってやがるんだ」
政宗の腕が二人の体の間に入った。体を離すと、政宗は自分の格好に気づいて腕で胸を隠し、恥ずかしそうに顔をそらした。
「……なんで、俺、こんな格好でお前のところに来たんだ?」
「なんで、とは」
「覚えてないんだよ。気がついたら、お前に叩かれてた」
「政宗殿は……某に、会いに来て下さったのです」
「なんで、湯殿に入る格好で会いに来たんだよ。無意識でできることじゃねぇだろ。
大体、小姓がいたはずだし――って、なんで俺を止めなかったんだ。あれ、おっかしーな………」
頭を振り、記憶を辿るように眉根を寄せる。
幸村は考えながら言葉を口にする。
「政宗殿は……蛍に、憑かれておりました」
「firefryに?」
「その、うまくは申せませぬが。蛍に憑かれておりましたので、某、お引き止めしたのです」
「俺、巫女でもイタコでもねぇけど。神職の経験もねぇし」
「古来より、神や霊を下ろすのは女子が多うございます。政宗殿には、巫女の資質でもあるのでしょう」
どこか嘘臭い、と我ながら思った。しかし、記憶がないのだから何かに憑かれていたのだろう、と政宗は納得した。
「蛍、ねぇ……」
政宗は単の襟を直した。直したところで薄いものだから肌が透ける。
「じゃ、俺、湯殿に戻るわ」
逃げるように立ち上がって背を向けられるが、幸村は腕を掴んだ。怯えた顔で振り向かれる。見たことのない弱々しい表情だった。
「離せ」
「離しませぬ。何故逃げられる。何かあったのですか」
「てめぇにゃ関係ねぇ」
問えば、傷つけることになる。
けれど問わずにはいられなかった。
「離せ。痛めつけられてぇのか?」
「それで、政宗殿の気が晴れるのなら」
「……お前、masochistだったのか」
呆気に取られた政宗の顔を、月がよく映していた。
「まぞ……それは何事にござるか」
「いや、たいした言葉じゃない」
幸村は政宗を抱き締めた。強い抱擁に、政宗の体が強張る。いつもなら背中に回る腕が、何かに耐えようと拳を握っている。
「政宗殿。某、政宗殿の身に何が起こったのか」
訊くのが怖い。
けれど訊かない方がもっと怖い。
弱い、と己を嘲笑う。
「存じております」
「――っ!!」
逃げようともがかれる。目を瞑り強く抱き締めた。拳がいくつも背中に打たれ、足を強く踏まれる。それでも幸村は政宗を離さなかった。
やがて、政宗が諦めた。背に腕が回る。覆い被さるように抱き締めると、背を反らし受け止められる。
「無理やりされた、なんて言い訳にならねぇ。俺は……」
「それでも、構いませぬ」
「構うだろ、普通」
耳元で囁かれる声は低く、掠れていた。
「政宗殿も某も、普通ではありませぬ故、構いませぬ」
どういう理屈だ、と政宗は喉を鳴らして笑った。
「……そうか」
手が背中から離れる。腕を絡め、指を絡めるように握り合った。見つめ合い、接吻を交わす。
「お前の子が産みたい」
唇を離すと、何気ない響きで政宗が囁いた。
武田と伊達。縁を組む要素がない。
その上、政宗は男として通っている。身を隠す以外に安全に子を産む方法はない。
それは遠からず伊達を滅ぼす原因となる。
「よろしいのか」
幸村は政宗の肩をつかんだ。政宗は笑うと幸村に体を委ねた。
「今は……ちょっと、無理。眠い……」
「いや、そういう事ではなく」
「……お前の子が欲しい」
すう、と政宗の吐息が穏やかなものになる。ぐっと胸にかかる重みが増した。
誰よりも愛しい人に子を望まれる。
これほど嬉しいことはない。しかし素直に喜ぶことはできなかった。
二人で一つの褥を使い、抱き合って眠った。
しかし、朝、目を覚ますと政宗の姿はなかった。
夢だったのか、と思ったが、夢にしては腕に残る感覚があまりにも現実的で、
何よりも小十郎が血相を変えて飛び込んできたのでやはり夢ではないと理解した。
あの言葉も、夢ではない。一体どうするべきかと思ったが、まさか小十郎に告げる訳にもいかず、ただただガンを飛ばしあった。
しかし、朝、目を覚ますと政宗の姿はなかった。
夢だったのか、と思ったが、夢にしては腕に残る感覚があまりにも現実的で、
何よりも小十郎が血相を変えて飛び込んできたのでやはり夢ではないと理解した。
あの言葉も、夢ではない。一体どうするべきかと思ったが、まさか小十郎に告げる訳にもいかず、ただただガンを飛ばしあった。