クリフォスについて
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cielenica
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- クリフォスの「傲慢」とはなんだったのか
いわば主人公に相当する人物が持っている、「他者への救済衝動」。他人を救うことで自らも救われた気分になる特殊な承認欲求。
メサイアコンプレックスの一端。
数年前に両親を含む教会の人々を失い、拠り所が唯一無事だった「聖遺物」と血を分けた妹にしかなかった経験から、仲間に恵まれ友達もできた時期であれ無力感に苛まれている。それを埋めるための力への渇望が、生まれ育った価値観と噛み合い「真に救うべきものを、真に罰するべきものを」という方向指針に変わっていく。神の遣いを自らに被せながら、その実言動に込められた底の本音は"主"の視点と混濁している。神の裁きと己の審判を同一視していることに気づいていない。
とはいえ、クリフォスの本質はいたって善良なものであり、故にルートアビリティも持った響きの美しさの通り発揮できたとも云える。
一方で指摘されてからは自らの善性を醜いものではないかと悩み始め、戦争を止めるための力が結局は人を救わず殺すだけのものと恐怖していた。加えてサクラメントの特性から、聖聯教会の教えにおける背教者になったのではないかと錯乱することもあり、やはり大元は敬虔な信者でしかない。
しかし、それらを最終的に受け止め、自らの業も利用してでも人を救うことを決めたところは彼の「傲慢」――もとい、開き直りによって立ち直れた精神力の強さを表していることだろう。
光が闇に転じ、清純な魂が堕天したとしても。なればこそ、悪にはならず善を成すべきだと思うのだから。
メサイアコンプレックスの一端。
数年前に両親を含む教会の人々を失い、拠り所が唯一無事だった「聖遺物」と血を分けた妹にしかなかった経験から、仲間に恵まれ友達もできた時期であれ無力感に苛まれている。それを埋めるための力への渇望が、生まれ育った価値観と噛み合い「真に救うべきものを、真に罰するべきものを」という方向指針に変わっていく。神の遣いを自らに被せながら、その実言動に込められた底の本音は"主"の視点と混濁している。神の裁きと己の審判を同一視していることに気づいていない。
とはいえ、クリフォスの本質はいたって善良なものであり、故にルートアビリティも持った響きの美しさの通り発揮できたとも云える。
一方で指摘されてからは自らの善性を醜いものではないかと悩み始め、戦争を止めるための力が結局は人を救わず殺すだけのものと恐怖していた。加えてサクラメントの特性から、聖聯教会の教えにおける背教者になったのではないかと錯乱することもあり、やはり大元は敬虔な信者でしかない。
しかし、それらを最終的に受け止め、自らの業も利用してでも人を救うことを決めたところは彼の「傲慢」――もとい、開き直りによって立ち直れた精神力の強さを表していることだろう。
光が闇に転じ、清純な魂が堕天したとしても。なればこそ、悪にはならず善を成すべきだと思うのだから。